「お客さん、何にします?」「いつものやつ。」
福田里香『ゴロツキはいつも食卓を襲う フード理論とステレオタイプフード50』を読みました。
映画や小説、マンガやドラマ、あるいは古典など
数多ある物語の中で描かれる食べ物や食事シーンの表現について50章にまとめた本です。
ちょっと前にブロともさんが紹介していて、おもしろそうだなあと思って読んでみたら
予想以上におもしろかった!
テーマと提示される事例がとても想像つくんですよ…チョイスと編集がうまいのだな。
作品の中に登場する食べ物や食事シーンを分析していくと、その食べ物の表現が
登場人物の性格や感情、あるいはそのシーンの状況説明などに一役買っているというのが
著者の考える「フード理論」というものだそうです。
ちなみに著者が考えたフード三原則というものがあるそうで、
1.善人は、フードをおいしそうに食べる
2.正体不明者は、フードを食べない
3.悪人は、フードを粗末に扱う
なるほど…!と思ってしまいました。思い当たるシーンや表現が色々浮かんできますなあ…。
目次を開くと、タイトルにもなっている「ゴロツキはいつも食卓を襲う」とか「仲間はいつも同じ釜の飯を食う」
「失恋のヤケ食いはいつも好物」「絶世の美女は何も食べない」
「食いしん坊の寝言はいつも「う~ん、もう食べられない」」などなど、
映画や小説における「食べ物あるある」について章タイトルを一瞥しただけで
わかるー!って頷いてしまう章立てになっていて、どこから読んでも楽しいです。
著者の文章が軽快でわかりやすくて、読みながら何度「わかる~!」って言ったか覚えてない。。
一番わかるわ…!ってなったのは、「お茶を飲むのは、ちょっとひと息のサイン」。
物語世界に登場するお茶のシーンはだいたい「ちょっとひと休み」なシーンが多いという分析。
たとえば映像作品などでコポコポ…と注がれるお茶と、カップから立ちのぼる湯気が映って
次のシーンでは「それで、相談事ってなに?」ってセリフが入って物語が進むとか、
主人公が疲れてお茶をしながらその日1日を振り返るとか、
事件を整理しようとしてこれまでの出来事を書きだしたら糸口を見つけるとか、
大団円のシーンでお茶会が開かれていたら「すべて終わりました」という一件落着感が出るとか。
わたしは紅茶党なので物語におけるお茶のシーンは大好きなのですが
そのどれもがだいたい、ホッとできる時間として描かれているから好きなのかなァとこの本を読んで思いました。
マリラが支度する3時のお茶とか、ロミオがカセラ教授の家でいただいたお茶とか
ミス・マープルや杉下右京さんが事件解決後に飲む紅茶とか
さめない街の喫茶店でお料理と一緒に出てくる紅茶がおいしそうだったりとか。
食卓に紅茶があるというのはわたしにとって落ち着くシーンであることが多いですね。
あ、でもアリスのマッドティーパーティーは、落ち着いているシーンとは程遠いな…。
あ、でもPandoraHeartsの“素晴らしきなんでもない日”のティーパーティはマッドティーパーティーが元ネタですが
とてもすばらしかったですね…オスカー叔父さん…!(泣)
飲み物については他にも、「マグカップを真顔で抱えたら、心に不安があるか打ち明け話が始まる」とか
「少女まんがの世界では温かいココアには傷ついた心を癒す特別な力があると信じられている」とか
「驚きは、液体をプッと吹きだすことで表現される」などの章がありました。
カップを抱えて黙ってしまった人は何かを語り出す心構えをしていることが多いし
ショックを受けた人に誰かが「あったまるよ」って言ってココアを出したり
何かに驚いたり誰かに驚かされたりしてカップのお茶をブーっと吹くシーンは確かによくあるアイコンだ。
「お茶吹いたw」っていうネットスラングもありますしね。
「動揺は、お茶の入ったカップ&ソーサーをカタカタ震わせることで表現される」も、
確かに手に持ったカップをカタカタ震わせてしまう人は何か不安なことがあるか、隠しごとをしている場合が多いような。
カップ&ソーサーは見た目の美しさやデザイン性が高い食器なのでパーティや面談のシーンに使われやすく、
「対人関係で緊張を強いられる場面に出てくるのが定番」とのこと。
推理小説だったら証拠を見つけたか、犯人がわかったか、犯人に脅されているか、
次に狙われるのは自分だ!なんて怯えてひとりで部屋に閉じこもってしまうとか、かなあ。(それ死亡フラグ)
推理小説といえば、「事件で悶絶死が起こる場合、それは青酸カリの仕業」という章があったけど
(わたしもアガサ・クリスティの小説でさんざん見かけた毒物の名前です)、
倒れた人からアーモンド臭がするとか探偵がよく言ったりしますが
匂いがわかる距離まで近づいてしまうと嗅いだ人も危険だと聞いたことがあります…あれガスの匂いらしいので…。
でも確かに「匂い」があった方が物語のリアリティが増すよなあ…
リアルを取るかリアリティを取るか、クリエイターが表現に悩むところですな。
「仲間は同じ釜の飯を食う」とかも、具体的なシーンは浮かびませんが
数人でひとつのお皿からチャーハンとか餃子とかスパゲティとかドーナツとかを取り分けていたら
何となく集団っぽいイメージがあるような。
あと「同じ釜の飯を食った仲じゃねえか」みたいなセリフもよく聞きますね。
名バイプレイヤーとかが演じる、気のいいあんちゃんあたりが言いそうなセリフ。
あと、同じ釜じゃなくても、同じものをそれぞれ食べていたら仲間っぽいイメージもあります。
本にも書かれていたけど、アン・シャーリーとダイアナ・バリーのお菓子作りのシーンとか。
わたしが思いつくのは映像研の主人公3人がよく一緒にラーメン食べにいったりするとか、あんな感じ。
「焚火を囲んで酒を回し飲みしたら仲間」とか「食べ物を分け合ったら親友の証」とかも
わかるわかる!ってなりました。
焚火を囲む酒盛野郎どもの話も、少年がポケットから食べ物を出して「ほら、食えよ」って相手に差し出すのとかも
エモくて好きです。
いいシーンでは食べ物が粗末にされないし、おいしそうに描かれますね。
そういえばこの本の挿絵はオノ・ナツメ氏によるものですが、
氏の作品である『ACCA13区監察課』は食べ物のシーンがとても幸せそうで好きだ…。
特にロッタちゃんやモーヴさんが好んで行くパン屋さんとか監察課のおやつシーンが好き~。
初出がどこかという分析がなされていた、
「遅刻遅刻~!と言いながらパンをくわえて走っていると曲がり角で誰かにぶつかって恋が芽生える」と
「バナナの皮ですべって転ぶ」。
遅刻遅刻~!の初出がどこかという話題は定期的にネット上で湧いては消えていってますけど
まだ特定には至っていなかったはず…。
バナナに関しては『バナナの皮はなぜすべるのか?』という本まで出ているそうですが
この本でも初出がどこかははっきりとはわかっていないらしい。
確かどちらもここ100年以内のことではないかという解釈がどこかにあった気がしますが…どうなんだろう…。
「スーパーの棚の前で2人が同じ食品に手を伸ばすと恋が芽生える」あたりも
特に書いてなかったけど初出はどこなんでしょうね…。
(ちなみにわたしはこのシチュエーションについては、スーパーの食品棚よりも
書店や図書館で2人の人間が同時に同じ本に手を伸ばすシーンが浮かびます)
「マスターが放ったグラスはカウンターをすべり、必ず男の掌にぴたりと収まる」とか
「あちらのお客様からです」とかも、何度も見た記憶はあるけど
初めてこの表現を使ったのはどんな物語だったんだろう。
こういうのってAIとかで探したりできないのかな、
ありとあらゆる文章や映像作品をインプットして検索するAIとか…できないんだろうか…。
(素人なので勝手なことを言っています)
食べ物が粗末に扱われるシーンも確かにある。
ゴロツキはいつも家族の食卓を荒らすし、コメディではパイが投げられるし(そして人に当たる)、
ガムは噛んで吐き捨てられるためにあるし、映画館ではポップコーンが食べ散らかされる。
悪党がよく、食事中のお皿に煙草をジュッて押し付けるシーンがありますけど
それで極悪非道さを表現したりもしますけど
あれどんな作品でいつ見ても心がヒヤッとします…だってもう食べられないじゃん…。
逃走劇やカーチェイスなどで、厨房が大混乱になったりシャンパンタワーがガッシャーン!と倒されたり
果物屋やスーパーの品物がはね飛ばされて散らばることで
アクションの大きさを表現する手法もよくありますけど、あれも本当に心臓に悪い…。
絵的な派手さはありますが、やっぱり食べ物がもったいないと思ってしまうんだよね。食いしん坊なのでね←
あと、粗末にするとはちょっと違うけど「賄賂は菓子折りの中に忍ばせる」で山吹色のお菓子が紹介されていまして
これも時代劇でさんざん見る演出ですね。
(一番最近に見たのは大岡越前か必殺仕事人あたりの、コテコテの時代劇だった気がする)
余談ですがこのお菓子、朝霞市にあるお菓子会社が実際に売っていまして→こちら
うちの弟くんがお土産品のお店で売られているのを見つけて買ってきてくれたことがあります(笑)。
弟くん曰く「見たとたん笑いが止まらなくなってレジに持って行った」とのこと。
このてのパロディ商品は理解して買ってくれる人がいるだけで大成功なのではないかな。
さらに余談ですが、「孤独なひとはひとりでご飯を食べる」の章を読んでいて
真っ先にシンカリオン68話でしょんぼりカレーを食べていた先輩を思い出してしまって、
でもあの後アズサちゃんに呼ばれてみんなで写真撮って、たぶんだけどご飯も一緒に食べたろうから
大丈夫大丈夫…などと気持ちを落ち着かせておりました。
というかシンカリオンは食べ物のシーン多いよな…。
1話から速杉家の食事シーンがあるし、伝説の手巻きパーティや新麺会もあるし
アキタくんがスイーツマスターだしセイリュウくんはケーキをきっかけにアズサちゃんと仲良くなったし。
ミクさんが作ってくれた卵酒(大沼指令長レシピ)とか、アキタくんが紹介した黒蜜のどら焼きとか
門司でレイくんが紹介した焼きカレーとか、タツミくんが食べまくる名古屋めしとか
ハヤトくんが買ってきた名古屋土産とか、鹿児島でみんなで食べたタカトラくんお手製のさつま揚げとか
ご当地にまつわる食べ物も結構出てきました。
屈指の名シーンはゲンブさんへのケーキと名もなきお鍋ですね…もう色んな意味で泣けてくる。。
「鍋は料理界の新幹線」とか「おいしいものを食べたとき、それを食べさせたい相手が家族」なんてセリフもありますね。
(あとで聞いた話ですが脚本の下山さんがグルメな人らしいです。
だから枕崎の鰹節とか利尻昆布とかしれっと出てくるのかな)

そんなわけでカレーを作ったら彼をひとりにはしません…。
みんなで一緒にパチリして食べるよ。
映画や小説、マンガやドラマ、あるいは古典など
数多ある物語の中で描かれる食べ物や食事シーンの表現について50章にまとめた本です。
ちょっと前にブロともさんが紹介していて、おもしろそうだなあと思って読んでみたら
予想以上におもしろかった!
テーマと提示される事例がとても想像つくんですよ…チョイスと編集がうまいのだな。
作品の中に登場する食べ物や食事シーンを分析していくと、その食べ物の表現が
登場人物の性格や感情、あるいはそのシーンの状況説明などに一役買っているというのが
著者の考える「フード理論」というものだそうです。
ちなみに著者が考えたフード三原則というものがあるそうで、
1.善人は、フードをおいしそうに食べる
2.正体不明者は、フードを食べない
3.悪人は、フードを粗末に扱う
なるほど…!と思ってしまいました。思い当たるシーンや表現が色々浮かんできますなあ…。
目次を開くと、タイトルにもなっている「ゴロツキはいつも食卓を襲う」とか「仲間はいつも同じ釜の飯を食う」
「失恋のヤケ食いはいつも好物」「絶世の美女は何も食べない」
「食いしん坊の寝言はいつも「う~ん、もう食べられない」」などなど、
映画や小説における「食べ物あるある」について章タイトルを一瞥しただけで
わかるー!って頷いてしまう章立てになっていて、どこから読んでも楽しいです。
著者の文章が軽快でわかりやすくて、読みながら何度「わかる~!」って言ったか覚えてない。。
一番わかるわ…!ってなったのは、「お茶を飲むのは、ちょっとひと息のサイン」。
物語世界に登場するお茶のシーンはだいたい「ちょっとひと休み」なシーンが多いという分析。
たとえば映像作品などでコポコポ…と注がれるお茶と、カップから立ちのぼる湯気が映って
次のシーンでは「それで、相談事ってなに?」ってセリフが入って物語が進むとか、
主人公が疲れてお茶をしながらその日1日を振り返るとか、
事件を整理しようとしてこれまでの出来事を書きだしたら糸口を見つけるとか、
大団円のシーンでお茶会が開かれていたら「すべて終わりました」という一件落着感が出るとか。
わたしは紅茶党なので物語におけるお茶のシーンは大好きなのですが
そのどれもがだいたい、ホッとできる時間として描かれているから好きなのかなァとこの本を読んで思いました。
マリラが支度する3時のお茶とか、ロミオがカセラ教授の家でいただいたお茶とか
ミス・マープルや杉下右京さんが事件解決後に飲む紅茶とか
さめない街の喫茶店でお料理と一緒に出てくる紅茶がおいしそうだったりとか。
食卓に紅茶があるというのはわたしにとって落ち着くシーンであることが多いですね。
あ、でもアリスのマッドティーパーティーは、落ち着いているシーンとは程遠いな…。
あ、でもPandoraHeartsの“素晴らしきなんでもない日”のティーパーティはマッドティーパーティーが元ネタですが
とてもすばらしかったですね…オスカー叔父さん…!(泣)
飲み物については他にも、「マグカップを真顔で抱えたら、心に不安があるか打ち明け話が始まる」とか
「少女まんがの世界では温かいココアには傷ついた心を癒す特別な力があると信じられている」とか
「驚きは、液体をプッと吹きだすことで表現される」などの章がありました。
カップを抱えて黙ってしまった人は何かを語り出す心構えをしていることが多いし
ショックを受けた人に誰かが「あったまるよ」って言ってココアを出したり
何かに驚いたり誰かに驚かされたりしてカップのお茶をブーっと吹くシーンは確かによくあるアイコンだ。
「お茶吹いたw」っていうネットスラングもありますしね。
「動揺は、お茶の入ったカップ&ソーサーをカタカタ震わせることで表現される」も、
確かに手に持ったカップをカタカタ震わせてしまう人は何か不安なことがあるか、隠しごとをしている場合が多いような。
カップ&ソーサーは見た目の美しさやデザイン性が高い食器なのでパーティや面談のシーンに使われやすく、
「対人関係で緊張を強いられる場面に出てくるのが定番」とのこと。
推理小説だったら証拠を見つけたか、犯人がわかったか、犯人に脅されているか、
次に狙われるのは自分だ!なんて怯えてひとりで部屋に閉じこもってしまうとか、かなあ。(それ死亡フラグ)
推理小説といえば、「事件で悶絶死が起こる場合、それは青酸カリの仕業」という章があったけど
(わたしもアガサ・クリスティの小説でさんざん見かけた毒物の名前です)、
倒れた人からアーモンド臭がするとか探偵がよく言ったりしますが
匂いがわかる距離まで近づいてしまうと嗅いだ人も危険だと聞いたことがあります…あれガスの匂いらしいので…。
でも確かに「匂い」があった方が物語のリアリティが増すよなあ…
リアルを取るかリアリティを取るか、クリエイターが表現に悩むところですな。
「仲間は同じ釜の飯を食う」とかも、具体的なシーンは浮かびませんが
数人でひとつのお皿からチャーハンとか餃子とかスパゲティとかドーナツとかを取り分けていたら
何となく集団っぽいイメージがあるような。
あと「同じ釜の飯を食った仲じゃねえか」みたいなセリフもよく聞きますね。
名バイプレイヤーとかが演じる、気のいいあんちゃんあたりが言いそうなセリフ。
あと、同じ釜じゃなくても、同じものをそれぞれ食べていたら仲間っぽいイメージもあります。
本にも書かれていたけど、アン・シャーリーとダイアナ・バリーのお菓子作りのシーンとか。
わたしが思いつくのは映像研の主人公3人がよく一緒にラーメン食べにいったりするとか、あんな感じ。
「焚火を囲んで酒を回し飲みしたら仲間」とか「食べ物を分け合ったら親友の証」とかも
わかるわかる!ってなりました。
焚火を囲む酒盛野郎どもの話も、少年がポケットから食べ物を出して「ほら、食えよ」って相手に差し出すのとかも
エモくて好きです。
いいシーンでは食べ物が粗末にされないし、おいしそうに描かれますね。
そういえばこの本の挿絵はオノ・ナツメ氏によるものですが、
氏の作品である『ACCA13区監察課』は食べ物のシーンがとても幸せそうで好きだ…。
特にロッタちゃんやモーヴさんが好んで行くパン屋さんとか監察課のおやつシーンが好き~。
初出がどこかという分析がなされていた、
「遅刻遅刻~!と言いながらパンをくわえて走っていると曲がり角で誰かにぶつかって恋が芽生える」と
「バナナの皮ですべって転ぶ」。
遅刻遅刻~!の初出がどこかという話題は定期的にネット上で湧いては消えていってますけど
まだ特定には至っていなかったはず…。
バナナに関しては『バナナの皮はなぜすべるのか?』という本まで出ているそうですが
この本でも初出がどこかははっきりとはわかっていないらしい。
確かどちらもここ100年以内のことではないかという解釈がどこかにあった気がしますが…どうなんだろう…。
「スーパーの棚の前で2人が同じ食品に手を伸ばすと恋が芽生える」あたりも
特に書いてなかったけど初出はどこなんでしょうね…。
(ちなみにわたしはこのシチュエーションについては、スーパーの食品棚よりも
書店や図書館で2人の人間が同時に同じ本に手を伸ばすシーンが浮かびます)
「マスターが放ったグラスはカウンターをすべり、必ず男の掌にぴたりと収まる」とか
「あちらのお客様からです」とかも、何度も見た記憶はあるけど
初めてこの表現を使ったのはどんな物語だったんだろう。
こういうのってAIとかで探したりできないのかな、
ありとあらゆる文章や映像作品をインプットして検索するAIとか…できないんだろうか…。
(素人なので勝手なことを言っています)
食べ物が粗末に扱われるシーンも確かにある。
ゴロツキはいつも家族の食卓を荒らすし、コメディではパイが投げられるし(そして人に当たる)、
ガムは噛んで吐き捨てられるためにあるし、映画館ではポップコーンが食べ散らかされる。
悪党がよく、食事中のお皿に煙草をジュッて押し付けるシーンがありますけど
それで極悪非道さを表現したりもしますけど
あれどんな作品でいつ見ても心がヒヤッとします…だってもう食べられないじゃん…。
逃走劇やカーチェイスなどで、厨房が大混乱になったりシャンパンタワーがガッシャーン!と倒されたり
果物屋やスーパーの品物がはね飛ばされて散らばることで
アクションの大きさを表現する手法もよくありますけど、あれも本当に心臓に悪い…。
絵的な派手さはありますが、やっぱり食べ物がもったいないと思ってしまうんだよね。食いしん坊なのでね←
あと、粗末にするとはちょっと違うけど「賄賂は菓子折りの中に忍ばせる」で山吹色のお菓子が紹介されていまして
これも時代劇でさんざん見る演出ですね。
(一番最近に見たのは大岡越前か必殺仕事人あたりの、コテコテの時代劇だった気がする)
余談ですがこのお菓子、朝霞市にあるお菓子会社が実際に売っていまして→こちら
うちの弟くんがお土産品のお店で売られているのを見つけて買ってきてくれたことがあります(笑)。
弟くん曰く「見たとたん笑いが止まらなくなってレジに持って行った」とのこと。
このてのパロディ商品は理解して買ってくれる人がいるだけで大成功なのではないかな。
さらに余談ですが、「孤独なひとはひとりでご飯を食べる」の章を読んでいて
真っ先にシンカリオン68話でしょんぼりカレーを食べていた先輩を思い出してしまって、
でもあの後アズサちゃんに呼ばれてみんなで写真撮って、たぶんだけどご飯も一緒に食べたろうから
大丈夫大丈夫…などと気持ちを落ち着かせておりました。
というかシンカリオンは食べ物のシーン多いよな…。
1話から速杉家の食事シーンがあるし、伝説の手巻きパーティや新麺会もあるし
アキタくんがスイーツマスターだしセイリュウくんはケーキをきっかけにアズサちゃんと仲良くなったし。
ミクさんが作ってくれた卵酒(大沼指令長レシピ)とか、アキタくんが紹介した黒蜜のどら焼きとか
門司でレイくんが紹介した焼きカレーとか、タツミくんが食べまくる名古屋めしとか
ハヤトくんが買ってきた名古屋土産とか、鹿児島でみんなで食べたタカトラくんお手製のさつま揚げとか
ご当地にまつわる食べ物も結構出てきました。
屈指の名シーンはゲンブさんへのケーキと名もなきお鍋ですね…もう色んな意味で泣けてくる。。
「鍋は料理界の新幹線」とか「おいしいものを食べたとき、それを食べさせたい相手が家族」なんてセリフもありますね。
(あとで聞いた話ですが脚本の下山さんがグルメな人らしいです。
だから枕崎の鰹節とか利尻昆布とかしれっと出てくるのかな)

そんなわけでカレーを作ったら彼をひとりにはしません…。
みんなで一緒にパチリして食べるよ。
スポンサーサイト