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2022_04
23
(Sat)23:51

ゆさかもしれない。

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世田谷文学館の「ヨシタケシンスケ展かもしれない」に行ってきました。
絵本作家ヨシタケシンスケさんの初めての大規模展覧会です。
キービジュアル、今までヨシタケさんが出した絵本のキャラクターがいっぱい歩いていますね。
りんごかもしれないの人もころべばいいのにの生き物も
かみがくちゃくちゃの子もあるかしら書店の人もいる!

ヨシタケさんとの出会いは忘れもしない、ふらりと寄った西荻窪駅近くの書店で
たまたま新刊として発売されていたデビュー作『りんごかもしれない』をパラ読みして
なんじゃこりゃ…!と思ったのが最初。
わたし忘れっぽいのでこんなこと滅多にないんですけど
そのときはあまりにびっくりしたんでしょうね、場所や時間帯やその日の予定まで覚えてます。
以来、新刊が出たら追っかけさせてもらってます。

チケットは日時指定の予約制で、平日と休日夕方がすいているとのことで
平日のお昼に行ってきました。
ランチ時だと午前中のお客さんが抜けて、割とすいていますのでね。
それを過ぎると午後のお客さんが入ってきてまたざわざわするんですよね。
手指の消毒とマスク必須、会話は控えめに。人との距離を取ること。
京王線も芦花公園駅も平日昼間はガラガラで快適でした。

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展示室は2階です。階段の前にもこちらにもタペストリーがありました。

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あっちこっちにこんな看板があって案内してくれます。
「こっちかもしれない」って言われても。自信がないのね。
あとこの子『もうぬげない』に出てきた子ですね。

yoshitaketen4.jpg
階段の踊り場にありました。ちょっと、わかる。そうかもしれない。

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お手洗いの前にあった。確かに、行っておいた方がいいのかもしれない。
展示室の中にはお手洗いがないからね。
(これもしかしたらお手洗いの中にも看板とかあるのかな、
あったらおもしろいなと思って入ってみましたが、特に何もなかったです)

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展示室入口にあったもの。今はちょっとお話はしにくいですね。
ただまあ、ここにはファンの人たちが多く来ていると思うので
その人たちが展示品の前でふと漏らす感想などが聞こえてきて
同意したり共感したりすることはあるかもしれない。

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受付にあったもの。それはちょっと困るな。

yoshitaketen8.jpg
会場内の写真撮影OK、SNSアップもOK!!(フラッシュと動画撮影は禁止)
太っ腹です。

以下、写真が多いのでたたんであります↓クリックで開きますのでどうぞ。

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2022_03
05
(Sat)23:54

君は、西から飛んできた鳥だ。

富安陽子さんの『博物館の少女-怪異研究事始め』を読みました。
大阪生まれの女の子が文明開化初期の東京へやって来て
上野博物館(現在の東博)を訪れたのをきっかけに、
様々な人と出会いながら古美術にまつわる怪異を調べていくことになるミステリーです。
かつて上野の寛永寺の奥では怪異学の研究が行われていたという設定で
その研究のための品々が収められている博物館で主人公が働くことになるという展開だけでわくわく、
もう何も言うことはありませんでした。
近代化が進み始めたとはいえそこかしこに江戸時代の名残が残る文明開化と、博物館と、怪異。
何ですかこのわたしの好きなものばかりを詰め込んだ、わたしのために書かれたような物語は!
わたしはこの物語をただただ楽しめばいいんだ!と思えてしあわせでしたし、
実際、読み終えて期待通りの部分と期待以上の部分がものすごくあって本当に充実した読書時間でした。
(いや、富安さんの本は何を読んでもそうなんですけど)

300ページ以上あるけど例によってあっという間に読んでしまったし
何しろ富安さんなので下地になっている歴史の調査ががっつりされていることがわかるし
主人公の行動範囲が広がると同時に世界が広がっていくのもわかるし
近代化と博物学と宗教と戦争と古美術と黒手匣にまつわる怪異など、エピソードと伏線のバランスがとてもよくて
相変わらず見事なストーリーテラーだなあと感心してしまいます。
富安さんの物語って書かれたものに何ひとつ無駄なものがなくてすごいんですよねいつも…
すべての登場人物、登場する物、起こる事象が最終的に全部活かされて終わる。
怪異が怪異としてすべて解明されずにふわっとしたままなのも、消化不良なままにはしなくて
ああ、怪異ってこれくらいわかっててこの先はわからない方がちょうどいいよね…ていう
落としどころを見事に見つけてくる。
どんどん力をつけていくし大好きになる作家さんです。ずっと書き続けてほしい。(シノダの続きも待ってるよ!)

物語は1882年、大阪で古物商を営んでいた親を亡くした花岡イカルが
母の遠縁を頼って神戸から船で東京へやって来るところから始まります。
横浜港で船を降りて、その年に開通したばかりの汽車で新橋へ行って
そこから馬車鉄道に乗り換えて上野停車場へ向かう主人公☆(まだ東京駅は存在していません)
この時代は大阪もかなり賑やかだったはずですが、横浜~新橋や上野界隈の賑やかさも
伝わってきておもしろかったし、
イカルの遠縁の大澤家のひとびとは幕府側だったため戊辰戦争後はかなり苦労して
それをイカルの母親が援助していた縁でイカルを引き取ってくれることになったとか、
上野博物館はこの時代は東博と科博に分かれていなかったから
仏像や武具と骨格標本や剥製が同じ館内に展示されていたりとか
(イカルが見たキリン(キャプションに麒麟と書いてある)の剥製はあれですよね、
今は壊れてしまったために科博の収蔵庫に仕舞われているあのキリンですよね??
そうだよねえあのキリンも展示されている時期があったはずなんだよな…)
そんな風に上野のお山の歴史というか、
寛永寺が上野戦争で半分以上焼け落ちたところに博物館と上野動物園がオープンした話とか
博物館や図書館の役割や当時の人々にどう捉えられていたかとか
キリスト教をイカルの親世代は非難めいて語るけどイカルは興味津々とか政府の神道国教化政策とか
ふとしたところで書かれる”人物や出来事のバックボーン”にわくわくドキドキ。
物語の底辺に史実があって、作者がそれをおろそかにするつもりがないと感じられるだけで
テンションあがってしまうのでわたくし…色んな意味で。

タイトルに博物館とあるだけあって、ちょこちょこ出てくる古物や古美術に関する描写がおもしろいです。
今では当たり前にある博物館ですが、当時、ようやく、少しずつ少しずつ、各地に建設されるようになって
一般市民に解放され始めた公立の博物館がどんなに珍妙で未来的でわくわくするものだったことか。
主人公のイカルが古美術商の家の生まれで父親の仕事を見ていたので古物の知識が身についていて
博物館で五重塔の模型を見てまず出てくる感想が「よくできた模型」なのすごいと思う。
仏像の立像・坐像の区別もつくし阿弥陀や薬師などの見わけもつけられるし
(「お寺でもないのに仏さんだらけや」っていう感想、言われてみればそうだなあと思っちゃった)、
田中芳男に鑑定してみろと出された花瓶がフランス陶工が伊万里の土で作ったものだと一発で見抜くし
(これ町田久成が井上馨にやられたエピソードですよね)、
博物館の裏の古蔵で織田信愛(通称トノサマ)の助手をすることになって
アキラくんと一緒に品物と台帳の突き合わせの仕事をやるときも
「それはイラタカの数珠」「摩利支天像です」「青面金剛像」と、一目見ただけでズバズバ言い当てていく。
ミイラの作り方について聞かれて長々と話し始めちゃうところは専門家あるあるだし
湯島の河鍋家へ行った帰りにちょっとお散歩してたまたま道具屋を見つけたときに
「なつかしい知人と再会したような気分」になったりする。
(そしてその道具屋で見た1枚の伊万里が博物館の蔵にある伊万里と対であることを見抜くのが
ミステリの王道をいく展開になっていてますますドキドキした)
古物や古美術に対してのリスペクトもあって、暁斎の百円の鴉についても知ってるし
トヨが絵描きの娘で彼女も絵を描く人だと聞いて「自分の腕一本で食べていけるなんてすごい」と素直に感心したり
トヨの家にお使いを頼まれたときに「河鍋暁斎の家に行ける!」ってなったりする。
でもその割には大澤家でお花のお稽古をするのは嫌いなんですね^^;
(後見人になってくれた大澤家の登勢さんが「しかるべきお家に嫁げるよう」にと
立ち振る舞いのマナーやお花や裁縫の稽古をつけてくれているのです)
たぶんこの子あれだ、華道について研究するのは好きだけどやらされるのは嫌いなタイプだ…!
まあでも華道や裁縫が好きな子ならともかく、
13歳の子が何もかもきちんとしなさいとか言われ続けるのはしんどいよね。
そんな大澤家で息が詰まりそうになっているときに、登勢さんの娘の近さんが訪ねてきて
(しんどい描写が必要以上に長続きしないのも富安文学の特徴です)、
まだ東京見物もしていないというイカルのために、近さんの娘のトヨ(15)と一緒に
「上野の博物館へ行って帰りにお団子でも食べていらっしゃい」とおこづかいをくれて
ここから物語が動き始めた感じがしましたね。
久し振りに外出できて、大阪と東京は空の色が一緒だ、と気づくイカルの解放感がとてもよかった☆

あとこの物語のもうひとつの魅力は、実在の人物が富安ナイズされて登場することです。
60ページくらい読むだけで大澤近と河鍋豊と田中芳男と町田久成と織田信愛(賢司)の名前が出てくる!!
もうどうしようかと思いました。読みながらこの人知ってる!この人も!!みたいになっていた。。
(別に顔見知りというわけではなくても、知ってる歴史上の人物というだけでテンションあがっt(以下略))
大澤近は河鍋暁斎の3番目の妻ですがサバサバした素敵なキャラクターになっているし
彼女の娘であるトヨ(のちの河鍋暁翠)はいつもニコニコしているやさしい子だし
(この本ではまだ暁翠と名乗ってはいないし父親の暁斎は名前しか出てきません)、
田中芳男は学者らしい落ち着いた見識と頼もしさのあるおじさんだし
町田久成は田中さんの語りの中にしかいませんが相当変わったおじさんだし。
(主人公が子どもの頃に実は重要人物と出会っていたというのはミステリあるあるですが、
この物語の町田さんは塩を使ったおまじないを知っているあたり、かなり詳しい人だと思われる)
織田信愛は元高家で榎本武揚と一緒に戊辰戦争で戦っていたおじさんですが
この物語では気難しく、古美術に詳しく、矍鑠とした気骨のある老人として描かれています。
んん~~富安さんの書く物語だなあ(*´︶`*)☆
強い人と弱い人とやさしい人と気難しい人と清濁併せ呑む人のバランスがとてもよいです。
ここに主人公のイカルと、アキラくんという織田家の奉公人と
神田天主堂の大人たちと子どもたちという、この物語だけの人々が関わってきて
上野博物館の古蔵から盗まれた黒手匣をめぐって長崎の隠れキリシタンにまで話題がおよんで
司法省のお雇い外国人だったロッシュの死をきっかけに物語は一気に加速して
黒手匣の本当の使い道が明かされていくのですが、
もう後半はずっとどうなるのどうなるの…ってドキドキしながら読んでいました。
黒手匣にまつわる事件そのものはフィクションなので富安さんの創作ですが
その事件がなぜ起きたか…なぜその黒手匣が存在しなければならなかったのかという理由のベースには
人類が太古から慣れ親しんできた宗教観や古典の存在が感じられる結末になっていて
それもまたお見事と拍手するしかありませんでしたなあ…。
理由についても黒手匣の持ち主本人ではなく、
トノサマが研究者としての知識を総動員して推測するという形で語るのみで
真実は誰にもわからないまま…というのもとても良き。
何より怪異というものに対してわたしたちは本当に無力だというのを
改めて思い知らされてしまったなあという気がしています。
神様や妖怪などにカテゴライズをされていない、まだ人類が存在そのものに気づいていない、
人の形をした人ではない、人類とはまったく異なる理のなかに生きているものたち…。
黒手匣の持ち主に対してイカルが抱いてしまった感慨は、13歳の子どもにはあまりに壮大で
これはちょっと誰かがケアしないと考えすぎてしまうぞ…と思っていたら
今回の事件に一切関わっていないトヨがイカルから話を聞いて肯定も否定もせずに
古典を引用しながら「過去にこういう事例があるからもしかしたらあるかもしれないね」と語ってくれたことで
イカルの心が少しケアされたのとてもよかったです。
トヨは本当にやさしくて賢い子だなあと思ったし、
たぶんこんな風に怪異に向き合って考えて整理することで人類は不思議な物事と一緒に生きてきたんだろうし
現代人もきっとこんな風に怪異と付き合っていくのかなあ…などと思いました。
必要なのは知識と想像力。これに尽きるなあ、とも。

(だってイカルが仕事を得たのは成り行きと人の縁があったからですけど
彼女自身に古美術を鑑定できる目利きの能力があったというのは絶対に大きくて、
それは子どもの頃に家で自然と身に付けた知識の力なんですよね…。
あの時代に女の子がひとりで生きていくのはとても大変なことで、大澤家という後見はあるけど
彼女が自分の知識と能力を活かして働ける場所に辿り着けたのは本当に幸運なことだと思うのです。
トノサマと一緒に働くことが彼女にとっての幸いになるかは、今後に期待というところだと思いますが…。
富安さんの過去作には「気難しいキャラクターと付き合う主人公」というパターンがとても多くて
たぶん全部が幸いにはならないだろうなあ、という想像もついてしまうので^^;
でも絶対に不幸にならないこともまたわかっているので、そこは安心しています)

あとこう、何て言えばいいか、富安さんの物語の登場人物って
本当に色んな意味で”その人らしく”生きているのがとてもいいんですよね…。
物語のために動かされたりしない、その人がその人自身の心によって行動した結果、
物語が展開して結末を迎える…という流れになるっていうのはとても大好きです。
キャラクターは決して都合よく動かず、みんな好き勝手に行動していて
えっえっこんなに風呂敷広がってどうなるの大丈夫なの??というところから
さっきも書いたように見事なまでに収束していく構成は富安文学の真骨頂。


装画が禅之助さんで、ジョサイア・コンドル(作中ではトヨがコンデールさんと呼んでいる)の
設計した上野博物館も細かく描かれていてすばらしい。

こちら、シリーズ1作目ということらしくてまだ序章なんですね…続きが読めるんですね!
イカルの博物館助手としての仕事も怪異の研究も始まったばかりだし、
彼女が子どもの頃に経験した怪異や町田さんによるおまじないなど明かされていないこともあるし
次巻も期待しています。
河鍋暁斎とか出てきたら絶対トノサマに負けないレベルの変なおじさんキャラだと思う…!
あと本編で田中さんが教えてくれたイカルという名前の由来。
彼女の母親の故郷の斑鳩にちなんでつけられたもので鵤という鳥、美しい声で鳴く強い鳥だという
エピソードをイカル本人が聞くシーンがとてもよかったです。
町田さんが出張前に田中さんに言った「西から飛んできた鳥が一羽、博物館に迷い込んでくるかもしれない」
という言葉を受けて田中さんが「君は、西から飛んできた鳥だ」と確信するシーン、
イカルは怖かったかもしれないけどわたしはドキドキしたよー!こういうの弱いです。

次に上野や東博に行ったら…状況を考えるといつ行けるかわかりませんが…
イカルのことを考えてしまうかもしれないです^^
2020_09
12
(Sat)23:58

移動図書館と5つの物語。

※しばらくブログの更新をゆっくりにします。次回は19日に更新予定です。


『じりじりの移動図書館』を読みました。
ぐるぐるの図書室ぎりぎりの本屋さんに続く5人の作家さんたちによる短編小説集です。
ぎりぎりの~が発表された時点で3冊目があるという情報があったので楽しみにしていました。
\4冊目も楽しみにしています!/(気が早い)

お話は全部で5つ、ある日どこからかやって来る移動図書館ミネルヴァ号を狂言回しに
登場人物たちは本の貸し借りをしたり誰かと出会ったり大冒険をしたりします。
前2作はどちらかというと日常ファンタジーっぽい雰囲気だったのが
今回は図書館が過去にも未来にも行くので物語の幅がぐっと広がっているような気がする。
ミネルヴァ号には知恵の象徴であるフクロウの紋章がついていて、
車体の上にある目覚まし時計(!)が車の発着時にじりじりじり!と鳴ります。(タイトル回収)
現代に来るときはキャンピングカーやマイクロバスのような形をした車とのことですが
訪れる土地や時代に合わせて馬車やボンネットバスなどに形を変えるので
いつどこへ行ってもその場所にするりと溶け込んでしまう便利な機能つき。ワクワク。
乗っている職員は男性の館長さんと、運転手も兼ねる女性の司書さんのコンビ。
移動図書館に館長がいるのは日本ではあまり例がないですが
世界には移動図書館しかない地域もありますから、そういう意味でもワールドワイドな感じ。
司書さんの正体の可能性には言及されますが(馬に変身するとか知恵の神ミネルヴァを彷彿とさせるとか)
館長さんが最後まで謎なので色々想像してしまいます。白髭のおじいちゃん☆
知恵の神様というとオーディンやトト、文殊菩薩、思金神などが思い浮かびますが、さて、さて。


目次の順番は毎回違うのですが、
今作は廣嶋玲子さん・まはら三桃さん・濱野京子さん・工藤純子さん・菅野雪虫さんの順番。
移動図書館の物語なので世界の移動やタイムトラベルなどSFちっくな内容が多めですね。
館長さんと司書さんは各地を訪れて本の貸し借りを行うのが仕事ですが
まれに急用があったり、誰かに呼ばれたりして世界を渡らなくてはならないこともあります。
(そのせいで巻き込まれる主人公多数)
主人公たちはだいたい小学校5~6年生で、前2作と同じような年齢の子どもたちです。
本を焼こうとする人が国王になっている国で本狩りから逃げたり
奄美大島の伝説を島の言葉で語るおじいさんから話を聞いて謎を解いたり
戦争の時代にタイムスリップして画家になりたかった青年にスケッチブックを見せてもらったり
タイムトラベルして政治も芸術も本もAIに検閲される未来世界で本の疎開をする人たちに会ったり
小説を書くと発禁になる世界から逃げてきた人たちと出会って
自由になるために本を読んで勉強する、と決意したりします。
トップバッターの廣島さんがポポポポ~~ンと大きな冒険を書いているので
後に続く人たちも自由に物語を展開しています。
そもそもミネルヴァ号のバイタリティがすごいので内容が壮大になるのもさもありなん。
前作までの主人公たちは何かにぐるぐる悩んでいたり、状況がぎりぎりだったりする場合に
図書室や書店を利用するパターンが多かったけど、今作は悩める主人公はそんなにいなくて
いきなり大変な状況に放り込まれてじりじり追い詰められたりするパターンですね。
うっかりミネルヴァ号の中で本を読みふけっていたら知らない世界に連れていかれたり
過去や未来に行ったりしたらそりゃびっくりしますな…おちおち本の世界に夢中になっていられない。。
でも冒険や出会いを経た主人公たちは前よりも世の中の奥行きを感じられるようになったりするので
彼らは豊かな経験をしたと思います。
子どもはあっという間に成長しますよね…。
ただ菅野さんの短編の主人公みたいにえげつない成長する子もいるので時と場合によりますが…。
(ああいう子は本当に多いと思うので大人として無力さを感じて申し訳なくなるんだけど
頼むよ誰かこの子助けてって思いながら読んでたら最後の最後に救いが来て、
いや救いかというとわからないんだけどあの子があれからどういう大人になっていったのかはとても気になる)

あと今作はいつになく、図書館の役割について組み込まれていたなと。
焼かれそうになった本を救い出すとか、消滅しそうな書物や伝説を探して収集・保管するとか
離島やディストピアに住む人々に本を届けるとか、歴史について学べるとか
家に居場所のない子のためのシェルターになることもあるとか。
基本中の基本である収集・保存・提供のほかに焚書、アウトリーチサービス、郷土史の収集、
検閲や発禁の反対、自由を守ることなど普段の仕事中に考えている様々なことを思い出しました。
(あと始皇帝の焚書や華氏451度、図書館の自由に関する宣言、鎌倉市図書館のツイートについても)
この本を読んでくれた人たちが、図書館が収集するのは販売されている本だけじゃなく
地元の人が地元の言葉で語る物語も収集対象になるとか(むちゃ加那が出てくるとは思わなかった)
(ミネルヴァ号さん今回収集したデータをぜひ主人公くんの住む自治体の図書館へも寄贈してくださらんか)
戦地などで本の疎開をした人たち・今この時代もしている人たちがいることとか
図書館や学校図書室を避難場所にしている人がいることとか
(図書館の自由に関する宣言には「資料と施設を提供することをもっとも重要な任務とする」という一文がある)
図書館には色んな役割があるのだと思ってくれたらいいな…。
あと濱野さんの短編に、ミネルヴァ号を見た過去の人々が貸本屋と勘違いするシーンがありますが
あのリアクションは、移動図書館が珍しい時代だった頃を描いているのでああいう描写になるのですが
その描写を書くためには当時の図書館の歴史について調査をする必要があるので
そういう調べ物にも書店や図書館が一役かうことがあるから
資料の保存や自由に読める環境は大切なのだということを…想像してくれたら…いいな…(小声)。
(いやこれは物語なんだ!小難しいことなど考えずに楽しめばいいんだ!という自分と
あわよくば図書館てこういう仕事をしてるんだって知ってもらえたら…という自分が大喧嘩をしている)


今日もどこかでミネルヴァ号が誰かに本を届けたり本を守ったりしているのかと思うとワクワクするし、
これは続きというか、もうちょっと別のお話も読んでみたいと思いました。
たとえば移動図書館黎明期の時代の話とか、自分の本が保存されているのを知る作家さんとか
館長さんと司書さんはいつからこの仕事をしているのかとか…。
あとミネルヴァ号が所属している図書館とかないんですか…じりじりの図書館的な…。


今回も巻末に5人の作家さんへの質問と回答が掲載されていました☆
「子ども時代の自分と、今の自分の状況」について、擬態語を交えて語ってくださっているのですが
廣嶋さんの、「子どもの頃は真冬でも半袖Tシャツ短パンで寒さなんかへっちゃら、ぴんぴん」だったのに
今は「セーターの上に半纏」「タイツの上に暖パン」「ルームシューズでもこもこ」「ヒーターとホットドリンク」というの、
わたしはそこまで極端ではないけどわかる気がしました。
子どもの頃は真冬でも外にいるのは平気だったし、学生時代は冷たいドリンクめっちゃ飲んでたのに
今は冬になると半纏とこたつが欠かせないし温かい飲み物じゃないと飲めない。
まはらさんの、「さまざまな感情に目まぐるしく見舞われるせいでいつも胸がどきどきしていた」は
わたしには経験がないのですが、そのせいで授業中もお手洗いに行きたくなってしまうのは大変だな…。
濱野さんの、「授業中に答えがわかっても手を上げられない子どもだった」とか
今は「面倒なことは先延ばし。ぐずぐず」もすごくわかる…!
やらなかったら気になってしまうくせに、やり始めるまでが長いんですよね^^;
工藤さんの、子どもの頃は「本当に大変だった。周りの目が気になったり他人と自分を比べたり、いじいじ」も
今は「開き直るワザを身につけました」というのわかる…!
そう、ワザなんですよね…生き抜くために身につけるんだよね。
菅野さんの、「ぺらぺらよくしゃべる子で、読んだ本の内容を友達に語るときに
飽きられないように省略と盛り上げる箇所を考えてしゃべっていた」みたいなこと、
確か前にどこかでもおっしゃっていたような…。そしてこれもすっごくわかるんだよなあ…。
楽しかったことやおもしろかったものを誰かに話すとき、無意識に盛ってしまうことわたしもあるので。

わたしは…。
授業中に手をあげられなくて、指名されたらどぎまぎしてしどろもどろになって
人前で何かパフォーマンスしなきゃならないときは完璧にできたためしがなくて
放課後は学校の図書室や部室で好きな本読むか友達と絵を描いている…みたいな生徒だったので
先生たちにとって決して扱いやすい子ではなかったと思います。
今は「別に完璧じゃなくても適度にやれればいいや」という風に、ようやく思えるようになってきたので
子どもの頃よりはいくらか肩の力を抜いて過ごせているかなあ。
そんな風になれたのも昔から好きな物語とか友人の言葉とかSNSの集合知のお蔭だったりするので
この世に言葉が、文字が存在することに感謝しています。
今日もわたしは本を読む。( ・ω・cl⌒l⌒b
2020_05
31
(Sun)23:17

「きつねよ。きれいな白いしっぽの、わたしのたいせつなきつね」

※しばらくブログの更新をゆっくりにします。次回は6月6日に更新予定です。


久保田香里『きつねの橋』を読みました。
平(碓井)貞道が源頼光の郎党になった頃の、平安時代のお話です。
この貞道と、渡辺綱・坂田金時・卜部季武の4人が頼光四天王ですが
物語はまだそうなる前の時間を描いていますね。
若武者たちが様々な人々と出会いながらバタバタと過ごす、色々ありつつも充実した日々。

15歳で元服を済ませたばかりの貞道くんは頼光の邸に来てまだ日が浅く、
馬の世話や薪割りなどの仕事をしていますが
頼光に近い仕事ができるときは手柄をたてようと転がるように走っていくのかわいい。
そんな貞道とは対照的に飄々としているのが平(卜部)季武で、
気がよくておしゃべりな人ですが、弓がうまくて矢を射れば的を外さない達人でもあります。
(彼の弓の腕前は古今著聞集の逸話にありますね)
高陽川の一件で気に入られて、セットで仕事を言いつけられるようになった貞道くんが
最初のうちはそっけないのおもしろいし、
「たいへんだ、貞道」「たいへんそうだな」のやり取り好きです。かわいい。
公友は金時の父親でしょうか。体が大きくて2人よりも力があり、季武が相撲で勝てないとのことなので…。
(坂田金時のモデルになったという下毛野金時の父親の名前が確か公友だったと思う)
公友邸で3人で飲み食いするシーンが楽しくて好き~☆
公友の留守中に2人がやってきて、勝手に竈の火を起こして麦縄を茹でて
帰宅した公友に「醤はないの?」とか聞いたりして、
家主も怒ったりせず「あんたたち他人の家でくつろぎすぎでしょ」ってニコニコ入ってきて唐菓子を出して
貞道が干し魚を出して、季武が草餅を出して3人で朝までだべってるのが
信頼関係が透けて見えて素敵です。
綱はまだいないのかな~5回くらい読み返したけどそれらしい人の描写はなかった。

狐の葉月が現れたのが高陽川だったのは今昔物語集27巻にある
「高陽川の狐、女と変じて馬の尻に乗りし語」の引用でしょうか。
夕暮れの高陽川に女童がいて、通りかかる人に馬に乗せてほしいと言ってはからかっていた狐を
滝口の武士たちが捕まえようとする話です。
今回は貞道が捕まえに行きましたけど
1回目は物語集の滝口の武士みたいに化かされて一晩寝込んでしまって、
2回目でつかまえて邸に連れ帰りますが同僚たちが狐をいじめるので放してやって
以来腐れ縁みたいな付き合いが始まっていく流れになっていますね。
「困ったときは呼ぶように」とお互いに約束を交わしている仲ですが
よほどのピンチにならなければ頑として呼ばなくて、呼んだ後もちょっとくやしがってる貞道は
まじめで誠実で若いなあと思います。
はっきり呼んだのも、帝の椅子の影から五の君を守るためだったしねえ、
太刀のような自分の武器だけではどうにもならなかったときでした。
同行人に「こいつは狐だ」と知らせないでいる、葉月の正体がバレなくてほっとする自分に戸惑いを覚える貞道は
つくづくやさしいな…。
でも葉月はあっさり貞道を頼ってきましたね、
自分が仕えている斎院が、祖父を亡くして賀茂祭の準備が行き届かないので頼光に頼んでほしいと。
信頼されてますなあ貞道(*´︶`*)☆
もともと紫野の斎院の庭が遊び場だった葉月は
3歳で親元を離れて紫野にやってきた斎院が気の毒で、悲しませたくないんですよね。
小さな斎院も、大人しかいない御所で話し相手になってくれる人がいたらそれはなついてしまうよね。
「わたしがお願いしてここにいてもらっているの」「きれいな白いしっぽの、わたしのたいせつなきつね」が
もう最強すぎる…この物語のセリフ堂々のMVPはこれだ…!!
斎院の母親が病気なので、何とかして彼女たちを会わせようと
賀茂祭の真っ最中に季武も公友も巻き込んで斎院のためにこっそり行動する貞道とても良き。
「病気の親がいれば会わせてやりたいと人なら思う」「人なら…」「きつねでも」のやりとりも良き。

袴垂は挿絵を見るとおじさんなので保輔ではなさそう…?
初瀬もうでの峠で部下が貞道たちにひどい目に遭わされたので、
頼光の弟の頼信を多田の里へ送って馬を借りて帰路についた貞道たちを待ち伏せして
商人の格好で巧みに言いくるめて身ぐるみ剥がして逃げおおせるの、お見事でした。
貞道たちが仕掛けたからとはいえ、斎院のもとに届ける扇を乗せた牛車に颯爽と現れる姿もかっこいいし
自分をおとりに、仲間たちを頼光邸に向かわせて髭切をまんまと奪ってしまう手際もかっこいい。
袴垂はこうでなくっちゃね~!(盗賊大好き)
(女装して牛車に乗っていた貞道が車酔いしてしまうの気の毒でした)
牛車に乗りながら「こちらはおとりか。ぬかったな」と漏らしているけど
ト書きに「それほどくやしそうでもなく」と書いてあったので
たぶん、こういうことをしょっちゅうやってて慣れてるのだろうなと想像させる余裕が見えましたね。
頼光さんも頼光さんで、髭切がとられたからといって特に郎党をとがめず、自分の手抜かりだと言って
怪我をした貞道に医師をよこしてくれるやさしさ…頼光さんちで働きたいなあ…!
貞道のところにこっそり薬草と食べ物を持ってきてくれる葉月にごんぎつねを見た。こういうの弱いです…!
あ。あと頼光の弟の頼信が何だかんだで好きかも^^
体裁があるからお供をつけてるけど、強いので一人でどこへでも行けちゃう怖いものなしの暴れん坊くん。
でも得体の知れない商人(袴垂)を見かけると「用心が足らぬな」と貞道たちに諭す冷静さも持っているし
葉月のために馬を借りに来た貞道を最初はからかうんだけど、貞道が真剣とわかるとからかうのをやめて
「どれでも乗って行け」と言われた貞道が頼信の馬に乗ってしまっても「どれでもいいと言った」って行かせてくれる。
むっとした顔が見えるようなシーンでしたなー!言葉に責任を取る人は好きです。
これはなかなかめんどくさそうな人物に成長しそうな予感がいたしますぞ。

袴垂のことで公友に相談に行ったのに
なぜか公友が仕える五の君のために巻き込まれる形で大内裏へ行くはめになる貞道たちですが
このことがきっかけで思いがけず斎院のための賀茂祭の準備の援助をたのめることになる流れが見事でした!
一の人をのぞむ五の君(藤原道長)が姉姫想いのよい少年ですね。
(姉上はたぶん詮子だと思う)
宴の松原で藤原道隆が何かの声を聞いて逃げ帰ったという話が大鏡にあるそうですが、
同じように松原を歩く五の君と貞道たちが、肝試しみたいで何だかほのぼの。(本人たちはドキドキしてるけど)
大極殿の暗がりに集まってくるものの例として安和の変(969年)の話が出てくるので
この物語がだいたいいつ頃の時代を背景にしているかがわかりますね。
(道長が10歳くらいということなので970~980年代だと思われる)
大極殿で出くわしたあやかしに貞道が「弓をひくんです。矢はいらない」と鳴弦を頼むシーンがクライマックス、
音の魔除けキターーーーー!!!ヽ(゚∀゚)ノ(ヽ ゚∀)(ヽ ゚)(  )(゚ ノ )ヽ(∀゚ノ )ヽ(゚∀゚)ノ クルクルクルクル
貞道が葉月と初めて会ったときも「おおお~~」って先走りの声を出して葉月の術を払ってましたよね、
音は魔除けになるんだよね!平安ファンタジーはこうでなくっちゃね~!!(大喜び)
音といえば大極殿で貞道が葉月の名を叫ぶシーンもものすごく印象に残りました。
声を出すことは魔除けになりますが、それが誰かの名前である場合は
その人を身近に呼び寄せるまじないのような意味をもつと言ったのは『陰陽師』の晴明氏でしたっけ、
呼び声に応えて現れて手を貸してくれる葉月がとてもかっこよかったです。
貞道も何だかんだで頼りにしているんだよね。
祭の帰りに袴垂に襲撃された葉月が貞道を呼んだ声も(耳の奥に高くうちつける声)強烈でした、
貞道だけに聞こえる声…こういうの大っっっっっ好きです…!
あやかしと交わした約束は破らない方がいいのは古典のセオリーですけども
(その代わりあやかしは約束を必ず守る)、
貞道が頼信の馬を借りてでも駆けつけようとするのはそういう理由じゃないよね。
まじめでやさしい貞道…はあ~~何できみは頼光四天王なんだよう。(ゆさは酒呑童子派)

母親が亡くなってから斎院は一条の邸に戻るのですが、
賀茂保憲に都に入れない術をかけられてしまった葉月とはお別れ…なのかもしれませんが、
貞道だったら何とかしてしまいそうな気がしなくもない。
葉月をひょいと馬に乗せて、一条に入れるかどうか試してみようとする貞道はかっこいいです。


「嵯峨の狐は牛車に化ける。高陽川の狐は女の童に化ける。
桃薗の狐は大池に化け――狐の事なぞはどうでも好い」
By 芥川龍之介『好色』
2020_02
28
(Fri)23:53

ぼくを読んでくれる?

北川チハル『だれもしらない図書館のひみつ』(汐文社)を読みました。
夜長森図書館という架空の学校図書館を舞台に、そこで働く司書さんと
夜になると動き出す本たちと、本が好きなとある読者たちのお話です。
職業柄、図書館とか博物館がテーマになっている物語は見つけるとチェックするので
この本も例外ではなかったのですが、
図書館から本が消えていく展開が怖すぎて途中で読めなくなってしまって
1週間くらい伏せて置いていまして、
でもやっぱり続きが気になったので思い切って再度ページを開いたら
そこからワーーーーーッと幸せな世界になってあっという間に読んでしまった。
わたしが読めなくなった辺りが怖さのピークだったみたいです^^;

いや棚から本がなくなるっておっかないんですって!図書館員にとってはホラーでしかありません。
蔵書検索で「貸出可」となっている図書が、請求記号に沿って並べているはずの図書が
該当の棚に行っても置かれてない!
こちらは仕事にならないし、利用者さんは読みたい本が読めないしでダブルパンチなわけです。
そういうときはだいたい、他の人が閲覧席で読んでいるとか貸出手続前に持ち歩いているとか
「新着図書」や「きょう返却された本」の棚に置かれているとか、破損して修理中のため事務室にあるとか
理由は様々考えられるのですけども、
一番多いのはやっぱり請求記号とは別の棚に置かれてしまっている場合かな…。
読んだ人が、戻す場所がわからなくてヒョイっと置いてしまうとか
職員がうっかり(本当にうっかり!)返却ミスをしてしまうとか。。
職員のミスはちゃんと仕事しろ!って感じですけど
もし利用者さんで、読んだ本をどこに戻したらいいかわからなくなってしまったら職員に声をかけてほしい…
別に怒らないから…職員が責任をもって元の場所に戻しますから…!
とまあ、そういうわけで年1回の蔵書点検がとても大切になってくるわけです…。
図書館によく行かれる方は図書館が年に1度、1週間ほどの休館日を設けているのをご存知だと思いますが
あれは図書館にある資料を全部チェックするための作業を行っているからだったりします。
(なので、建物はお休みだけど職員は出勤しているんですよ~)
どの本が図書館にあって、どの本が貸出中で、きちんと請求記号順に並んでいるかを
1冊1冊すべて確認するわけです。
最近はバーコード化してだいぶ作業も楽になりましたが、ベテランの先輩のお話を聞くと
貸出カード時代は本当に大変だったといいますから…技術は進歩しています。

ええと、本の話に戻ろうね。。
夜長森図書館にはマザー・ブックというオルゴール人形が置かれているのですが
夜になり館内に誰もいなくなると、そのマザー・ブックがひとりでに鳴り出して
図書館にいる本という本に魔法をかけて動けるようにしてくれます。
人間が見ていないところでおもちゃや博物史料が動く、という映画をいくつか知っていますが
本が動き出すというのもワクワクします☆
中でも絵本コーナーの本たちは賑やかで、自分は子どもたちに人気があるとか
誰それさんの家にお泊りにいって帰ってきたばかりだとかおしゃべりしていて楽しそう。
そんな中、あまり子どもたちに読まれない『ひかげのきりかぶ』という絵本がいまして、
こちらがこの物語の主人公くんです。
ひかげには文章がなく、絵だけの絵本なので
手に取ってもらっても「つまらない」と言われて棚に戻されてしまうことが多かったりして、
他の絵本がお泊りに行って帰ってきたというのを聞いて羨ましく思ったり
今日こそ誰かが読んでくれるかなあ…と、その時間を心待ちにしていたり
「地味」などと言われて心がどしゃぶりになってしまう毎日を過ごしています。
そもそも自分がどんなお話か、ひかげは知らないらしいのでした。
(この物語の本たちは、誰かに読んでもらって初めて、自分がどんなお話か知るという設定です)

そんなひかげが、あるときから図書館に起こった事件の真っただ中に放り込まれます。
絵本コーナーから絵本が1冊、2冊…と消え始めるのです。(こわい)
司書さんが探しても見つからず、子どもたちは「読みたい本が今日もないよ~」と残念そうで
絵本たちも心配になって、図書館から絵本を連れていく「絵本さらい」の仕業ではないかと騒ぎ始めます。
しかも最初にいなくなった絵本『ヒマワリとはつこい』のバーコードが館内から見つかって
「人気者をねたんだのでは」とひかげが疑われる事態になってしまい、
ひかげはぶるぶる震えるばかりでしたが
『ヒーローマン』の絵本が庇ってくれて事なきを得ます。
ヒーローは子どもたちに大人気の絵本で、ひかげのことも知らずに「新入り?」と聞いてしまうような本ですが
ひかげがヒーローよりずっと前から図書館にいることを知ると「すまなかった」と謝って
握手をしてくれる素敵な本です☆
「あの握手は、ぼくをハッピーにしてくれたんだ」というのが、ひかげを庇った理由でした。かっこいー!

そんなヒーローマンもある日行方不明になってしまいます。。(こわい)
絵本たちは夜に館内のパトロールを始めますが、『火の玉オニ』と一緒に行動していたひかげは
お手洗いで『火の玉オニ』が目の前で絵本さらいに攫われるのを見てしまって
気絶してしまったりするのですけど、
絵本たちや子どもたちと過ごした時間を思い出して、その時間を守りたい、取り戻したいと勇気をだして
見知らぬ本にみんなの目覚めタイムをもらって絵本さらいに攫ってもらうことにするくだりが
もはや怖さのピーク。。
この辺りで読めなくなっちゃったんですよね…ひかげが健気すぎて、絵本さらいが怖すぎて。

ひかげの冒険が始まります。
お手洗いに隠れて、ワンピースにバッグを持った姿の絵本さらいがやってきたときに
そのバッグに飛び込んでみんなを探しにゆきます。すごいな…!
図書館の外に出たのが感覚でわかったのもつかの間、ヒュルヒュルっと大きな風にさらわれて
図書館の屋上に連れて行かれて出会ったのが森の木っこたちで、
彼らが人間に化けて絵本を攫ってきていたことを知ります。
「わたしたち、本、すき」「もっと、近くで、みたい」「もって、かえりたい」ということで
バーコードを切り取って絵本を図書館から持ち出していたらしい。
木っこたち、屋上に落ち葉を敷いて小枝でテーブルを作って図書館みたいなレイアウトを作っているのが
とても微笑ましくて^^
そこでひかげは、攫われた絵本たちが丁寧に飾ってあるのを見つけます。
その理由が「人間は、よごす」「人間は、やぶる」「わたしたち、やさしくする」というもので
色んな意味でグサッときてしまった。。
(この物語には子どもたちが絵本を楽しんで読む描写のほかに
興奮のあまり床に落としたり踏んだりする様子もごまかさずに書かれていまして
この作者はよくご存知だ…!と思ったのでした。
著者略歴を拝読したら元保育士さんということだったので、そういう場面をご覧になっていたのかな)
ひかげが読み聞かせをすると木っこたちはキャッキャと喜んで拍手をしてくれたので
思い切って「ぼくを読んでくれる?ぼく、字がないんだけど」って言ったときのドキドキが
ものすごく伝わってきて泣きそうになりました。
こんな切ない願い事ってありますか??ないよ(T_T)。
今までずっと地味だとか言われてきて、拒否されるかもしれないって思いながらお願いを言うのって
ものすごく勇気の要ることだと思うので
木っこたちが「読みたい!」って飛び跳ねてくれたときもやっぱり涙が出そうになったし
ひかげがどんな絵本か気づいてくれて「すき」「こんな本、はじめて」って言ってくれたの、もう号泣。。
よかったなーひかげーー!!。゚(゚´ω`゚)゚。
木っこたちがまた図書館から絵本を連れてくると言い出したときに
「本当に絵本が好きなら攫わないで」って胸を痛めながら懸命に対話を試みるところも
ひかげの話を聞いてわかってくれて一緒に図書館へ帰る協力をしてくれる木っこたちもみんな素敵だ!
ひかげほんとに…がんばったな…!

木っこたちが残した手紙で、屋上で司書さんの読み聞かせが始まることになるラストシーンは本当に幸せ。
(お互いが見えない者同士が手紙を介して繋がるっていう展開にめちゃくちゃ弱いのです)
見えない読者がいるロマン…!
そこでやっと、ひかげが司書さんにページをめくってもらえるのですけど
同じ絵ばかりでつまんない、という子どもたちの前で司書さんが何度も繰り返してページをめくっていると
ゴウくんという子が「わかった!」と気づいてくれるシーンも本当に幸せ。
ゴウくん本当にありがとうな~。


あと、読み終えたときにごくごく短い感想をTwitterに呟いたのですが
作者の北川さんから直々にメッセージをいただいてしまいました!→こちら
さらに主人公の『ひかげのきりかぶ』からもいただいてしまいました→こちら
SNSをやっていらっしゃる作家さんはたくさんいるので
今までにもRTいただいたり直接メッセージくさだったり、わたしからお伝えしたりすることはありましたけど
作家さんとしてではなく主人公さんとして送ってくださった方は初めてで
素敵だー!!って動揺してしまって
かなり大慌てな返信を送ってしまいました…北川さんすみませんその節は…。
誰とでも気軽にコミュニケーション取れるのがSNSのいいところですな。
2019_09
03
(Tue)23:50

五つの指輪。

菅野雪虫さんの『アトリと五人の王』を読みました。
9歳~19歳までの、ひとりの女の子の人生を記した物語です。
タイトルにある通り、五人の王様と出会ってお別れするお話ですし彼らと結婚も離婚もするのですが
(誰かと別れるたびにアトリの指に黒い指輪が増えていくのがしんどい)、
アトリの人生の中で彼らはアトリに大きな影響を与えては通り過ぎていくだけで
ただただ目まぐるしく変化する環境に対しアトリがどう考え立ち向かうかに比重が置かれ延々と描かれていて
ページをめくる手が止まりませんでした。
電車に乗りながら読んでたんですけど乗り換えの時間さえ惜しくて早く次の電車乗らなきゃ…ってなってた、
久し振りによい読書の時間でした。

アトリの行動力がとにかく凄まじい。。
両親である国王と王妃から知識も常識も愛情も与えられなかったアトリが、結婚という形で城の外に出て
最初の夫になった月王と、彼に仕えるサヤとエンジから知識・常識・愛情を与えられながら半年を過ごし、
学習の喜びを知り、無知の歯がゆさを悔しがり、地域の人々の力になりたいと思うようになり、
自分は変われるかもしれないと自己肯定していく過程がものすごく胸にくる。
月王が亡くなって実家のお城に戻った後は貪欲に本を読んで知識をつけ、お城の人々の仕事を見て回り、
こっそり城下に出かけては人々の暮らしや国の物流・経済について観察し考えています。
アトリのこの姿勢はどの王と一緒にいるときでも変わらなくて、トナムと一緒に歴史を学ぶし
ザオに法律の知識を与えるし、イムの即位に湧く人々を冷めた目で見るし
投獄されてもエンジとロルモからもたらされる情報を頼りに牢獄の人々の力になったりする。
目の前の出来事を冷静に見つめ、知識と経験を頼りに、時事と最新情報をたぐりよせアップデートしつつ
常に最善を尽くそうとするアトリはかっこいいです。
ザオを殺したイムに軟禁されたときも「情報があれば交渉できるのに」とか考えられるのすごい、メンタルゴリラすぎ。
知識と情報は生きるために、あざむかれないために、肝心な瞬間を自分で判断するために、
誰かに手を貸すために不可欠なものだなぁ…と改めて思いました。
あと、逐一描写される知識や記録へのリスペクトがとても素敵。
月王の持っていた基礎的で古くて学習の土台になる知識、
トナムの教師が言った「国の歴史は異国の人々から見れば解釈が違うと感じられる場合もある」の言葉、
前政権の記録を破棄しなかったザオと、彼の統治した2年間を正史として認めず破棄させたイムの対比。
国の年表や歴史書に何も書かれない空白ができてしまうことをアトリはとても憂えていて
逆にザオの治世が続いていたら歴史も記録も彼のもので、前王は「滅んだもの」として記録されただろう…ということも
わかってしまっている。
歴史は常に勝者が記してきたもので、そのことにアトリが気づいた描写は本当にすばらしくて
そうなんだよなあ、きみも気づいちゃったね…と肩ポンしたくなりました。
国の歴史に人々がどう記されていくか、過去にどう記されてきたかを知るのはとても大切なことです。

五人の王(うち2人は同一人物)たちもそれぞれの人生を生きています。
アトリが最初に結婚した月王は壮年であり病人ですが、彼には知識があったので
アトリは彼のもとで学ぶことの楽しさと難しさを知ります。
でもいかんせん時間が足りなかった…アトリとは半年で死別してしまいます。
次に結婚したひとつ年下のトナムは11歳という少年で王になっていて
アトリを素直に見つめて妻にと選び、学習をおこたらず、公平に物事を見ることができる人です。
兄を政治的な事件で失っているので精神的に大人にならざるをえず、
自分が国の駒のひとつであると知っている。
しかしいかんせん経験が足りなかった…城内の裏切りに気づかず反乱軍に追われて国から追い出されます。
盗賊であり反乱軍のリーダーから国王になったザオは、粗暴ですが人望があり
人々のために精一杯学ぼうとしていて、人をよく見てきたから直感で不正を暴くことができ、
手切れ金に金銀を渡すことでしかコミュニケーションが取れない人。
しかしいかんせん知識が足りなかった…力をつけて戻ってきたイムに王位を簒奪されます。
トナムの兄イムは「弟の仇を討って王位についた兄」という英雄として国に戻ってきて
かつての国を取り戻そうとするかのように完璧に政務をこなし、力で政治を推し進めていくタイプ。
しかしいかんせん愛情が足りなかった…アトリに庇われるまでアトリを見ようともしなかったけど
温泉地で療養するアトリの元へ通うのは楽しかったんだろうな。
そして、闇落ちトナム。。
もう堕ちるべくして堕ちたというか、そりゃそうだよねっていう感じしかないですね。
五人目はこうくるかよ。すごいよ菅野雪虫。
イムを刺してアトリを抱きしめるシーンはめちゃくちゃドラマチックですが
18歳にして目が真っ暗というのがもう、壮絶な日々を物語るようでむちゃくちゃしんどい。
何もかもに信頼をなくしてすべてが信じられなくなっているトナムは自分の決めたことしか通さなくて、
かつて月王と柚記の人々にかわいらしい嫉妬をしていた少年が
兄に好かれるアトリに対して憎しみのような疑いと憎悪を向けるようになってしまって、
でもエンジとアトリが一緒にいるところではそうは思わなかったというところに
本人が救いを感じていたのが、本当に救いだなあ。
ザオのお墓を作ったり、流刑にしたイムを呼び戻すかどうかの議論を始めたのも
少しずついい方向に向かっているからだといいなあ。
これからも色んなことが起こるだろうし波風だらけの人生でしょうけど国王としてがんばってくれトナム、
あと彼は「アトリならどうするだろう」という思考にしばしば陥りそうな気がします。

アトリと国王たちよりアトリとカティンの関係が好き(笑)。
カティンのすごさはまず、親に洗脳されなかったところですよ…!
あんなに毎日毎日、自分の母親が異母姉を貶める言葉を聞かされていたのに
カティンは母を信じるどころか、「そんな言葉を使えばお母様の品格を貶めるだけ」で
「姉は馬鹿でも愚かでも頭がおかしいわけでもない」と、自分で気づいたかしこい人です。
王の娘という自分の立場を哀しいくらいにわかっていて、それでもその立場を最大限利用してアトリを助けるカティンは
親の権力の正しい使い方を知っていると思う。
びっくりしたのが史姫のペンネームで本を書いたり書評やキャッチコピーも書いてお金をもらい始めたこと!
しかもそのお金を牢のアトリを助けるために惜しみなく使ってしまう潔さ、
ペンで稼ぎ異母姉を援助する異母妹!強い。強すぎる(;´∀`)。
もうカティンがアトリを守ればいいじゃん~~おまえら結婚しよ~~~!!って読みながら何度思ったかわかりません。
だからこそ「わたしだって男だったらアトリと結婚したいもの」のセリフが惜しいんだ…。
同性が結婚することに考えが及ばない世界。女性が王位を継ぐことも想定されない世界だしなあ…さもありなん。
(これで菅野さんの次回作に同性婚の描写が出てきたら「お、菅野雪虫が一歩進んだ」と思えるかもしれない)
アトリの側近のエンジとロルモも好きです。
脳筋と理性というか、精一杯アトリを好いてくれるエンジと事務的な能力で助けてくれるロルモは
いいコンビだなと思います。
エンジは戦法を、ロルモは知識をお互いに与え合い補い合っていてすごく仲が良いし。
アトリにとって頼もしい騎士であり頼れる友人であり、とにかくただただ良心!
どんなときもアトリを信じて支えていく2人はかっこいいです。

「女の子が幸せになるために必要なものは、知識と、常識と、愛情。仕事と友人があったら申し分ない」
月王のことばですが、最終的にアトリはすべてを手にできていたと思いますね。
アトリが幸せになれるかどうかは、まだわからなそうなところで物語は終わりますが
アトリはまだ若いので終わりではなく始まりでしょうね。
そしてオチがカティン著の新刊『アトリと五人の王』だったことに笑った(笑)。
月王が実は龍神だったり、トナムが天馬の化身だったり、ザオが天狼の化身だったりする物語おもしろそう、
カティンはファンタジーを書くのが得意なのかな?
主人公のモデルになったアトリの人生はまだ続いていきますから、カティンの書く物語も続いていくでしょうね。
どんな結末を迎えるのかとても気になります。アトリの人生も、カティンの物語も。
どちらも、それぞれが納得のいく生き方を全うできますように。

最初は誰とも遊んだことがなくて、誰かと遊ぶってどうやるの?とか言っていたアトリは
なんとなく『天山の巫女ソニン』のソニンに見えたのですが、
やがて『女神のデパート』の結羽になり、『羽州ものがたり』のムメになり、どんどん行動力が出てきて
終いには『天山~』のイェラのような思考力を身につけたと思うし、
一方で『チポロ』のイレシュのように自分の置かれた状況や立場に対してものすごく冷静なまなざしで見ている。
離婚してお城に戻った自分のための予算が削られていることをわかっていたり
カティンが王妃とはまったく違う子であることをすぐに見抜いて仲良くなったり
よく物事を見ているというか、大切なものを見過ごさない目を持っているなあと。
菅野ヒロインの行動力すべてを凝縮したような子だなと思いました。集大成のような子だと。
でも菅野さんのことだから次の主人公もきっとアトリをアップデートしたような子かもしれないなあ…
同時代を生きて新作を追いかけられるしあわせ。次回作も楽しみにしています。

そういえば女神のデパート終わっちゃうんだった~おもしろかったのに。。
5巻の発売は来年かな…お待ちしております。
2019_02
28
(Thu)23:53

書店と5つの物語。

『ぎりぎりの本屋さん』を読みました。
前作『ぐるぐるの図書室』から1年、あの2006年デビュー組が、
まはら三桃さん・菅野雪虫さん・濱野京子さん・工藤純子さん・廣嶋玲子さんの5人が
再びリレー小説を執筆されましたぞ~☆
お話は全部で5つ、登場人物たちはそれぞれ別の日別の時間に同じ書店を訪れて
本を買ったり誰かと言葉を交わしたり不思議な冒険をしたりします。
ぐるぐるよりもファンタジー色が強めで、前後のお話の繋がりがちょっとずつあって
(まはらさんと濱野さん、工藤さんと廣嶋さんのお話は
前作で主人公だった子が後作では脇役として出てきたりする)、
ぐるぐるに比べて一歩進んだ編集がされているなと思いました。
工藤さんのツイートによると既に第3弾を企画中かも…??楽しみです。

子どもたちが訪れる書店の名前は最後のページになるまで明かされないんですけど、
お話がすすむごとに「…書店」「…り書店」「…ぎり書店」「…りぎり書店」と
少しずつ見えるようになっていくのもじわじわおもしろい。
ぐるぐるの狂言回しは図書室の司書さんでしたけど、ぎりぎりは本屋さんのレジにいる少年で
お客さんにちょっと困ったことがあるのを見抜いて本を薦めたり薦めなかったりします。
彼のその能力が人をたくさん見てきた経験からなのか、彼個人の特性によるものなのかは
結局わからずじまいでしたね。もしかすると両方かもしれないね。
「試し読みOKだよ」「役に立つ本だけがいい本じゃない」「あの本を持っている限りはね」
「思いが強すぎると厄介。『本』に『気』がつくと『本気』になるだろ」とか
いちいち名言が多くて付箋つけたくなるレベル!
「先に知っておけばいくらかは備えることもできる。備えておけば減らすことはできるんだ」と
「そのとき興味を持ったことが書いてある本を読めばいいのさ」は全地球民に贈りたい言葉だと思いました。
お客さんに声をかけるときは決まって「ぎりぎりでしたね」というのが口癖で
何がぎりぎりなのかはお客さんによって異なり、そこからお話が広がっていくのですが
一度だけ「わたしたちぎりぎりだったね」と先にお客さんが言ってしまったことがあって
そのときは「先に言われちゃったな」と呟いていてかわいかったです。
自分の決めゼリフみたいに思っているのかしら、1日1回言わないとすっきりしないとか^^
あと彼がいつもつけている青いエプロンは一反木綿みたいな存在だったりするんだろうか。

ぐるぐるの主人公たちも小学5年生でしたけど、ぎりぎりの主人公たちも同じくみんな5年生で
ちょっとした悩みから深刻な問題を抱えている子まで、色々な子が登場します。
これはぐるぐるとの共通点ですが、その書店に入ったり本屋さんの少年を見ることができるのは
「いま、その書店を必要としている人」たちなのでしょうね。
まはらさんのお話で、主人公以外にもその書店にやって来る人たちが何人か描かれますが
皆さんせっぱつまった「ぎりぎり」状態で本を求めている切実さが伝わってくるので。
各話の主人公の子どもたちはお手洗いを借りて泣いたり、お葬式で本の言葉を引用してえらい目に遭ったり
その本を持ち歩いて厄除けしたり、かみかくしに会ったり、書店から脱走した本を虫取り網で捕まえたりと
本屋さんの少年を介して様々な体験をします。
「立ち読みOKだよ」と少年に言われて、うなずいたりドキドキしたり叫びそうになりながら物語を読んだり
買った実用書が使い物にならなかったと少年に言うと「誰にでもいい本なんてない」と返されたり
(彼がお話のラストで見つけた『雨にも負けて風にも負けて』という本がとても気になる)、
いじめを受けていた女の子が少年に薦められた本を持ち歩いたらいじめが消えたり
本の中に閉じ込められて、紙の山を「おれのもの」と言う神様から逃げ回ったり
本の中から出てきた魔女や鬼、狐のキャラクターと交流したりと
みんな本との関わり方が実に豊かです。
書店に来たきっかけも、誰かに紹介されたりとか、ふらっと入っちゃったとか
入ったことなかったけど入ってみようとか、雨宿りしたらたまたまその書店だったとか色々ですが
でもきっとそれさえも、その後の展開を考えると必然だったりするんだろう、
彼らは気づいていないかもしれないけど。
(あと菅野さんのお話に葬式鉄の子がちょっと出てきたのでこたつで倒れるかと思いました、
「〇〇鉄」という言葉に興味を持ったのは某アニメの影響ですが…ちょっと不意打ちすぎた、当社比で。
あと何となく『女王さまがおまちかね』との地続きを感じたのですが気のせいかしら)

ラストを飾る廣嶋さんのおはなし、その最後で少年の正体と書店の本当の名前が明かされますが
とても平凡な名前だったのが拍子抜けするやらホッとするやら。
店主のおじいさんはまだあの少年に会ったことがないみたい…会えると、いいな。


巻末に5人の作家さんへの質問と回答が掲載されていておもしろかったです。
「子どもの頃に通っていた本屋さんのイメージ」の質問では
まはらさんの「階段の一段目で店番の人がマンガを読んでいた」とか
廣嶋さんの「大型書店で、建物全体が書店というのが子ども心に魅力的で絵本や児童書が充実していた」とか
わかるわかるって頷いてしまいました。
菅野さんが「本屋=何でも売っているイメージ」とおっしゃっていて
確かに地元の本屋さんは事務・学校用品も文房具も記録媒体も切手も売ってる…!と思い出したり。
「本屋さんに行って最初に見るコーナーは?」では
新刊、児童書、入ってすぐのコーナー、目的の本がある棚など様々で
皆さん自分の本が置いてあるかどうかを気にされているのがやっぱり作家さんだなと。
「本屋さんにいるとトイレに行きたくなる説は本当だと思うか」には
廣嶋さんが実際に体験されたとおっしゃっていて
おお、作家さんにもそういう人がいるのか!と感慨を覚えました。わたしもたまになる生理現象です。
「本の世界のキャラクターに会えるとしたら誰がいいか?」という質問には
工藤さんの「星へ行く船に出てきた探偵が理想の男の人だった」とか
まはらさんの「サマータイムで主人公が作ったゼリーが食べたい」とかもすごくわかるし
濱野さんの「自作の登場人物に会ってみたい」も
廣嶋さんの「好きなキャラが多すぎて決められない」もすごく、すごくわかる!
「経営するならどんな本屋?」という質問には
4人の方がそれぞれ理想の本屋さん像を語る中、
菅野さんだけが「ぜったいに潰すと思うので経営したくない」と回答してらしたのエッジ効きすぎ…!
「ブックカフェはやってみたい」(落合恵子さんを尊敬なさっているそう)ともおっしゃりながら
「やっぱり潰すかな」って、結局そこに落ち着いているのがおもしろくて笑ってしまった。
菅野さんは百貨店で働いた経験もおありなのでリアルに考えなさるんだろうな…。
(そういえば女神のデパートの新刊読んでなかった!読まなければ)

わたしの理想の書店は…。
あらゆるジャンルの図書が一通りそろっていて、在庫がなければワンクリックで取り寄せできて
カフェが併設されていて一休みしたりランチしたりしながら本を楽しめる滞在型のお店かな。
みんなただ本をめくったり読んだりしていて、お話する人たちもいるけど
たまにしぃん、となって本のページをパラパラッとめくる音がするだけの時間が発生している感じの。
(でもきっと、菅野さんがそうおっしゃったようにわたしも経営センスは1ミクロンもないので潰すと思う)
ゆさ的最強のとしょかんは過去に考えたことがあるけど、あれはファンタジーですけども
書店は経営しなきゃならないのでちょっとリアル目線で考えてしまいますね。
あ。でも廣嶋さんがおっしゃっていた魔女の図書室コンセプトのお店はちょっとおもしろそう…
洞窟のような内装にハーブや大がまを飾って、きのこの形の椅子を置いたり
店主が魔女のコスプレしてるとかすごく楽しそう。見てみたいです(笑)。
2018_07
11
(Wed)23:52

大切なことはみーんな子どもたちに教わった。

ただいまただいま~!
某所の〆切に無事に間に合いました。後日お知らせいたします。
いい加減にギリギリまで作業がはかどらない自分をどうにかしたい。


ところで…。
kakowatoshi1.jpg
先日、川崎市市民ミュージアムで「かこさとしのひみつ展-だるまちゃんとさがしにいこう」が
始まりましたので行ってきました。
5月に亡くなられたかこさとしさんのお仕事を紹介する展覧会です。

kakowatoshi2.jpg
だるまちゃんとかみなりちゃんの看板!
展示室には複製原画や下絵、スケッチ、画材や遺品などがずらりと並び
かこさんの画業を様々な角度から鑑賞できる内容になっていました。

kakowatoshi4.jpg
展示室の入口に大っきなだるまちゃん!(撮影OKでした)
台の上に乗っていてわたしの肩くらいまでの大きさでした。

そういえばだるまちゃんて人間と比較するとどれくらいの大きさなのかしら、
てんぐちゃんと並んでもあまり身長差はなかったからお子様サイズかもしれない。
たぶん彼らは人間でいうところの未就学児だと思うので
絵本の対象年齢を考えても園児さんたちの平均身長とそう変わらない気がするけどどうなんだろう。

kakowatoshi5.jpg
ちゃんと手足も描いてあるよ。かわいい。
鈴木まもるさんとヨシタケシンスケさんのサインがしてありました。既にいらっしゃったのですな。
(鈴木さんは今度、かこさんが準備していた絵本を引き継いで出版されますね。たのしみ)

展示はかこさんの子ども時代から就職後に出会った川崎セツルメント活動を経て
やがて絵本作家として活躍していくという、かこさんの人生を追う構成になっています。
生まれた頃の写真やお姉様と並んで撮られた写真はとてもかわいらしい。
小学6年生のときに制作した『過去六年間を顧みて』の絵日記は
かこ少年が毎日どんなことをしていたのか、何を考えていたのかが素直なことばと絵でダイレクトに伝わってくるし
当時の尋常小学校についての歴史書としてもものすごくしっかりした資料だと思う。
校庭で忍術を再現したり、綴り方の先生の苗字から石田三成を連想したり、中学受験に一喜一憂したり
そんな中に少しずつ戦争の話題が挟まるからヒヤッとする。
(かこさんは19歳のときに敗戦を迎えています)
絵を描き始めたのは小学2年生のときだそうで、中部の山々や太平洋や富士山を
どうにかして紙の上へうまく表現したいと思ってクレヨンで一生懸命に写し取ろうとしたとか。
ところでこの『過去六年間を顧みて』は最近、偕成社から出版もされて活字でも読めるんですよね。
わたしがツボだったのは成績の話で、6年生のときの成績順にお友達の名前を列挙してあったんですが
学年1位は地主の息子さんで、2番目にかこ少年の名前があって
ここに大人のかこさんが「でも1番だと挨拶とか色々やらされるから2番の方がいいと思っていた。
その頃からセカンド主義になった」とかツッコミを書かれてて笑ってしまった。
お気持ちよくわかります。

戦後にかこさんが川崎で参加していたセツルメント活動についての資料は
子どもたちと一緒に出していた「こどもしんぶん」や新聞を刷っていたガリ版、
子ども会で使われた紙芝居、幻灯機などが展示されていました。
写真もパネルに引き伸ばされていて、みんなで電車ごっこみたいに並んだり紙芝居を演じる様子、
東大演劇部にかこさんが所属していた縁で子どもたちを五月祭に招待したときの写真などがあって
色んなことやってたんだなァとしみじみ。
そんな子どもたちが描いた「かこさとし先生」の絵もあって、たぶんクレヨンで一生懸命描いたんだろうなあ、
ぶっといタッチが強烈で印象深かったです。
また、子どもたちに絵を教えるためにデザイン教室へ通ったり
イラストがきれいなロシア雑誌を集めて勉強もしていたそうです。
かこさん所蔵の雑誌がいくつか展示してありましたが
中にはマトリョーシカが描かれた本もあってだるまちゃんの原型だなァとやっぱりしみじみ。
(だるまちゃんはロシア民話「マトリョーシカちゃん」を読んで思いつかれたとのこと)
かこさんが制作した紙芝居もあって、「おちていたてぶくろ」というタイトルですが
ストーリーがロシア民話の「てぶくろ」そのまんまでした(笑)。
かこさんが描くとこういう絵になるんだなあと思えておもしろかったです。

あと、4年前にかこさんを撮影した映像が上映されていたんですけど
川崎に住んでいたときの場所や紙芝居をやっていたさんかく広場などを訪ねる内容だったんですが
「同じ川崎で活動していた人」として辻惟雄氏が突然出てきて心の底からびっくりしました。えええ~~!!
まさかまさか辻氏とお知り合いとは!
活動時期は被っていなくて、かこさんが抜けた前後に辻氏が入ったみたいですが
当時使っていた紙芝居を見せたりして色々お話されていました。
かこさんが出した紙芝居は1953年に作ったなめくじのお話で
なめくじの背中に次々に建物を建てていくけど最終的なオチは木の葉だったというもの。
この紙芝居を作った理由は戦争で焼けた建物を絵の中によみがえらせたかったのと
日本の建築史を子どもたちに伝えたかったからだそうですが、
肝心の子どもたちはちっとも見てくれなかったらしい。。
でもそんな子どもたちに「彼らは退屈ならどこかへ行っちゃう、嘘がない、おもしろい」ということで
すっかり魅せられてしまったのだそうです。

絵本を出すことになったきっかけは本当に偶然で、
アンデパンダン展に出品した「わっしょいわっしょいのおどり」を使って展覧会案内の絵はがきを作ったところ
当時福音館でアルバイトをしていた内田路子氏がその絵はがきを見かけて
編集長だった松居直氏に紹介したのがきっかけだそうです。
その「わっしょいわっしょいのおどり」の絵が展示されていて
人も動物も鳥も魚も、ど真ん中の櫓を囲んで楽しそうに盆おどりを踊っている絵で
これきっと『わっしょいわっしょいぶんぶんぶん』のルーツなんだろうなあと思った。
「平和ばんざい 月ばんざい」もアンデパンダン展への出品作で
真ん中に大きく美しく描かれた銀色の満月のまわりに
世界各国の民芸品がたくさん描いてあって楽しい☆
どろぼうがっこうのエピソードがおもしろくて、
元々はかこさんが子ども会のために描いた紙芝居が元になっているそうですが
その紙芝居を作った当時のかこさんは仕事が猛烈に忙しい時期で
書きかけの論文の下書きの裏にモノクロでわーっと描いて、申し訳ないと思いつつも子ども会に持って行ったら
予想に反して大ウケで「もういっぺん、もういっぺん」と何度もせがまれたとか。
わかるなあ、楽しいからなあ、あの話は^^
(かこさんの娘さんも、かこさんのお話をなかなか読まなかったそうですが
どろぼうがっこうだけは猛烈におもしろがってくれたらしい)
絵本の原画が、複製でしたけど全部展示してあって
文章は入ってないけど絵を見るとストーリーを思い出しますね…
原画を楽しみながら絵本を読んでいるような気分でした。

『だるまちゃんとてんぐちゃん』『からすのパンやさん』は人生で初めて読んだかこさんの絵本だったから
改めて原画を見られてうれしかった☆
だるまどんがだるまちゃんのために色々な団扇や履物や帽子を用意するのとか
カラスたちが色んな形のパンをページいっぱいに作って並べるのとかが
子どもの頃は楽しくて楽しくてワクワクしていたのを思い出します。
パンやさんは下絵もあって、絵と文章をあちこち切り貼りしていて
かこさんの試行錯誤の奮闘が見て取れました。
他にも『おたまじゃくしの101ちゃん』は本当に101匹いるのか数えたりとか
『あかいありとくろいあり』のキャラメルとビスケットがとてもおいしそうだったとか
『にんじんばたけのパピプペポ』は『もぐらとずぼん』みたいだなと思いながら読んでたのとか
絵を見るとどんどん思い出して昔の友人に再会したみたいなポカポカした気持ちになりました。
あと、『どろぼうがっこう』は歌舞伎や講談の登場人物がモデルなんだなというのが
当時はわからなかったけど今はわかりますね。
『かこさとし かがくのほん』とか『かわ』とか『どうぐ』みたいな学習絵本も
今読むとわかることがいっぱいあって、
子どもの頃もうちょっとちゃんと読んでおけばよかったとも思います。
断面図が本当に秀逸!食べ物もみごとですがお茶碗やお鍋、空っぽのお櫃、
ダムにビルに万里の長城まで何でも断面を描いてみせてくれるかこさんの画力に
今更ながらすっかり感心してしまいました。
かこさんは物語の絵本の絵は割と単純化して描く傾向があるので気づきにくいんですが
学習絵本はリアルと単純の間みたいなものすごいバランスで描いていたんだなあ…気づけて良かったです。

藤沢市立図書館の開館30周年に寄せた色紙には
だるまちゃんとカラスのパンやさんの絵とともに「よりうつくしくあれ よりたくましくあれ」という
メッセージがあったし、
『未来のだるまちゃんへ』のサイン本には3/30の日付が入れてありました。
展覧会の準備中に亡くなられたかこさん。
本当にありがとうございました。そしてお疲れさまでした。
お空の上にはかみなりちゃんがいらっしゃるでしょうか、きっとゴロゴロと賑やかでしょうね。

「1950年代川崎で始まったセツルメント活動に当初より関わり、こどもたちから多くを教わったが
本展示会ではそこで誕生した作品をご覧いただくとのこと、感慨無量。」
2018年3月 かこさとし(展覧会入口のメッセージより)


kakowatoshi3.jpg
『未来のだるまちゃんへ』ハードカバーの表紙絵がタペストリーに。わたしも大好きな本です。
かこさんの絵本のキャラクターが大集合しています~ネギを追いかけるあかいありがかわいい。



西日本豪雨のあまりの状況に言葉が出ません…心よりお見舞い申し上げます。
真備図書館や愛媛の各図書館の水没が他人事じゃなさすぎて、もう。。
何もできないのでこちらはせめて普段通り生活して募金します。
2018_04
25
(Wed)23:48

本の本。

サン・ジョルディの日も世界の本と著作権デーもセルバンテスの命日も過ぎてしまいましたが
こども読書週間は5月まで続きますので本を読んでおります☆
わたしはもう子どもではないけど子どもの本を読むのは大好きだからこれでいいのだ。
(いや、別に普段から読書週間であってもなくても読んでますけど)

先日、ジョゼ・ジョルジェ・レトリア&アンドレ・レトリア親子の『もしぼくが本だったら』を読んだのですが
「ずっとしまってきた昔の秘密を読者とわかちあう」
「ニューヨークのことも古代ローマのことも知っている」
「うちあけられたすべての秘密をしっかりと守ってみせる」
「ぼくのことを友達と呼ぶ人に夜がふけるまで読まれたい」
「文字と音だけでできた摩天楼になりたい」
「戦争したがる心をいっぺんでうちくだく効果的でやさしい武器になる」
「熱心な読者と一緒なら無人島に行ってもいい」
「図書館になるくらいどこまでも大きくなりたい」
などなど、名言が次々に出てきて楽しい絵本でした。
過去記事にゆさのかんがえた最強のとしょかんについて書きましたけども
そうか建物が本の形をした図書館というのもいいな…(妄想中)。
文字と音、というフレーズを見て、そうだなあ本は目で読むだけではなくオーディオブックもあるしなあ、とか
秘密を守るというフレーズに手帳や日記帳を連想したりとか
本というか冊子について考えたというか、読書っていろいろあるなあと思いました。
無人島の一文は笑ってしまった^^
これきっと、読書好きなら一度は問われる「無人島に1冊だけ本を持って行くとしたら何か?」という
問いに対しての遊び心だと思う。
わたしはあの質問の答えはそのときの体調や気分で毎回変わるけど
本の方から「わたしを無人島へ連れてって」と言われたらその本を連れて行くのもいいかもしれません。
「ボールは友達、こわくないよ!」と某有名サッカー少年は言いましたが
わたしも「本は友達、こわくないよ!」とか言いたい(笑)。
過去記事で一度言ってますけどね)

ほかにも素敵なセリフが書かれていますが、
わたしがとても気に入ったのは最後のページの言葉です。
「『この本がわたしの人生を変えた』と誰かが言うのを聞いてみたい」
本にとっての誇りだろうなあ。
添えられた絵もユーモアにあふれた素敵な絵ばかりなので気になる方はぜひ読んでみてください。


そういえばヨシタケシンスケさんの『あるかしら書店』にも
「とび出す絵本」「とけ出す絵本」「駆け出す絵本」「とびこむ絵本」「ほめ出す絵本」などなど
本が人格を持っているかのような絵本がいっぱい描かれていたな…。
この本はタイトルのとおり、お客さんが書店に来て「〇〇な本はあるかしら?」と質問すると
おじさんの店員さんが「ありますよ!」とお店の奥から出してきてくれる…という
シンプルなコンセプトの絵本ですが
これがまあ想像力たくましいというか、ヨシタケフィールド全開というか、とにかく楽しい。
個人的にいいなあと思ったのは「月光本」。
月明かりに反応してボンヤリ発光するインクで印刷された本、というものだそうですが
明るい満月の夜に月明かりの下でだけ読むことができ、
内容は古今東西の月にまつわる小話や詩を集めたものだそうで
「月光ペン」を使うと書きこみもできるそうです。
なんだか林完次さんの『月の本』みたい。
読書履歴捜査官のページはドラマ仕立てになっていて、刑事ドラマにはお決まりの崖とかで
「あなたは過去に〇〇本を読みましたね!」(たぶん決め台詞)とか言う捜査官に犯人が追いつめられるのですが
普段から利用者の履歴は消して当たり前の職場で働いてるからこいつまじ怖すぎる!
読書履歴から動機はたぶん探れるとは思うけどさ…。(だからこそ履歴は秘密でなければいけない)
他にも、本のお祭は本でできた山車がゴロゴロ行くし文庫犬めっちゃかわいいし
本の降る村にはぜひ行きたいし、お墓に本棚つくるのすごくいいなと思うし
水中図書館はロマンがだだ漏れですが水に沈んだ知識を誰か救出してくれ…
あと読書サポートロボはうちに来てほしい。
最後にサラリーマン風の人が駆け込んできて「〇〇な本ありますか!?」と叫んだところ
おじさんが「あー…そういうのはまだないですね」と答えるのがおもしろかったのですが
「ないですね」じゃなくて「まだ」ないですねとおっしゃるのが希望があっていいなと思う。
(そのサラリーマンがどんな本をリクエストしたのかは読んでのお楽しみにしておきますね)

ヨシタケさんは『りんごかもしれない』を読んだときからただ者ではない作家さんだと思っておりますが
(『りゆうがあります』とか『なつみはなんにでもなれる』とか『ヨチヨチ父』なども好き)
なんというか、読みながら、あるいは読み終えてから妄想が止まらなくなる本を作るのがうまいなと思う。
あるかしら書店も次から次へと様々な本が紹介されますけど(そしてそれらはほとんど非実在なのですけど)
読み終えた瞬間、あるいは読んでいる最中にもわたしだったらこんな本がほしいなあと妄想し始めてしまう。
脳みその色んなところをプニプニと刺激してくるような絵を描く人なんですよね…
しかもツンツンでもグサッでもなくぷにぷにって感じだよね…(^^)。
描きこみすぎず、かといって描き足りないということもなく、絶妙なバランスというか
文章と絵をセットで見ると「この文章にこの絵を添えるのか!」とか
秀逸さをより強く感じる部分があって楽しいです。


あと最近読んだのは、かこさとしさんの『ほんはまっています のぞんでいます』。
本を読まない、読めない、あるいは読みたいけど、でも…という人に向けて
かこさんが「そういうときはこんな方法がありますよ~」と色々語りかけてくる絵本です。
子どもも読めるように全て平仮名で書かれているのですが
最初のページからパンチの効いた問いかけをしてくるのですよ。
「あなたは ほんが すきですか」
「よみたい ほんは ありますか」
で、子どもたちが「本を買うのはお金がかかる」「書店で立ち読みしていると追い出される」と言うと
かこさんが「おかねが なくても、ほんが よめるところが あります。
いろいろなほんが ちゃんと そろっていて、よめるところが あります」
「そこは としょかんです」
きたこれ。
でも、図書館は静かにしなければいけないし騒ぐと注意される、あと飲食禁止でしょ…といわれると
かこさんは「図書館ではお話し会があって、そのときは賑やかにしていい」とか
「本は借りて家に帰って読もう」「読書の休憩にお菓子やジュースを食べられるよ」とアドバイス。
しかも図書館についてだけじゃなく、司書の役割についても説明してくれるのですよ。
「わからないというひとは、としょかんの かかりのひとに きいてごらんなさい。
さがしている ほんが どのほんで、どこにあるかを しんせつに おしえてくれるでしょう」
もう、わたしァ、うれしくて涙が出てきたよ。
でも近くに図書館がないから…と言う子には
「確かに日本の図書館は人口に比べて図書館が少ない」と前置きしたうえで
移動図書館のバスや私設文庫、学校図書館が使えますよとアドバイス。
児童書界隈でこんなに図書館について書いてくれる人、他にしらないっ…!

でも、でも…という子には、かこさんも「わかりました」と、無理強いはしません。
読みたくない人は無理に読むことはない、元気に外で遊んで楽しみましょう、
本が読みたくなったらどうしたらいいか、どこへ行けばいいかはもうすっかりお話しましたから…と。
そして結びの言葉。
「ほんは いつまでも いつまでも まっています」
「あなたが そばにきて ほんを ひろげ なかに かいてあることを よんでくれるのを のぞんでいるのです」
秀逸。
奥付のあとがきはさらにパンチが効いていてダブルパンチ受けた気分になります。秀逸。(2回目)

人に読むことを強制しない本は好きです。友達だもの。お互いにマイペースでいこう。


そういえば先日、小俣麦穂さんの『ピアノをきかせて』を読んでいたら
主人公が谷山浩子の「カイの迷宮」を聴いて雪の女王のストーリーってどんなだっけ…と図書館に行き、
こんな話だったのかとUnlearnして、さらに「赤い靴」や「エンドウ豆の話」などもアンデルセンの話だと知る流れが
図書館の役割を端的に描いていていいなあと思いました。
これを読んで図書館てこういうことができるのか…と知る人が増えたらいいな。
(戦場のメリークリスマスや初音ミクの千本桜なども効果的な場面で引用されている本でした。現代の物語だなあ)
2018_04
21
(Sat)23:57

Where's Wally, everywhere。

wally1.jpg
松屋銀座で開催中のウォーリーをさがせ!展に行ってきました。
絵本『ウォーリーをさがせ!』が1987年の出版から30周年を迎えた記念の展覧会です。
作者マーティン・ハンドフォード氏の絵本の原画をはじめ約150点が来日、
入口にあったハンドフォード氏のメッセージによると「世界初公開の絵がほとんど」とのこと!
お住まいのイギリスでもあまり展示の機会はないのかしら。
(それにしてもメッセージ読んで思ったけど
ハンドフォード氏はお年を召されてもむちゃくちゃテンション高い文章をお書きになるよね。
ウォーリーの絵本はやたら「!」が多用されていますけど、ああいう雰囲気のメッセージでした)

展覧会場を見てまず驚いたのは、展示されている原画がほぼ絵本と同じ大きさだったこと。
原寸大だったのかあ!
ハンドフォード氏は1987年の第一作の制作期間に1年半ほどかけたそうで(1枚1ヶ月半くらいかな)
改めて絵をみて思ったけどそりゃそうだ…
これだけの群衆と背景を描くのはものすごく時間がかかるよね。
決して大きい絵ではないし描かれている群衆はマッチ棒よりも小さいので
わたしもでしたが皆さんかなり顔を近づけて鑑賞するので譲り合いの精神が必要でした。
(3~5人いると人だかりに感じますよ)
かと思えば、タイムトラベラーにある宇宙や海底などの絵を大きく引き伸ばした展示もあったので
ああいう展示は大人数がいてもわいわい探せて楽しいのではないかしら。
日本の戦国時代の絵が大きな屏風に仕立ててあったんですが
その陰にウーフの好物の骨がちょこんと置いてあったのには遊び心を感じた^^
あと会場にいるのは自分だけではないのでウォーリーを見つけても指をささない気遣いが必要ですね。
ウォーリーの某ポスターの絵の前でわたしを含め5人くらいでウォーリーを探していたんですが
後ろの人が「あっ」「いた」とおっしゃったけど他の人とわたしは見つからなくて
後ろの人のお連れさんが「どこ?」とおっしゃってその人が困ってらしたので
(たぶんまだ自力で見つけてないわたしに気を遣ってくださったんだろうな~)、
「あ、じゃ後ろ向いてます」と絵に背を向けて、その間にお話してもらいました。
しばらくして「もういいですよ」とおっしゃっていただいたので、また自分で探すことができました。
かと思うと、ぜんぜん知らない隣の人に「ウォーリーどこにいる?」って聞かれることもあって
こんなに絵の前で知らない人とおしゃべりすること滅多にないなあ。
ウォーリーを知っている人や好きな人が集まってくるから会話が弾む弾む。楽しい時間でした^^

設定資料やスケッチなどの展示もありまして、旅の道具の説明や裏話などもいろいろ。
原作者マーティン・ハンドフォード氏はウォーリーを描くときに
「人混みでも見つけやすいデザインにすること」「いつも微笑んでいること」を
心がけているそうです。
言われてみれば彼はいつも微笑んでいるな…ニコリでもニヤリでもなく微笑んでいる…。
あとウォーリーの絵本は初版から何度かリメイクされていて、
初期のウォーリーは四角い顔をしていますが今のウォーリーは顎がすっきりしていたり
リメイク版の絵本にはウェンダやウーフ、帽子などの落とし物が描き足されたりしています。
ウェンダやオドローは過去に見たアニメで知っていたけどウォーリー親衛隊はありゃすごいな、
新シリーズの絵も展示されていたのでウォーリー探しましたけど
ウォーリーよりも必ず親衛隊の子どもたちが先に目につきます。
ハンドフォード氏の術中にまんまとハマっている。。
(ちなみにウォーリーの作画はハリウッドへ行くからPC画になったそうだ)

ハンドフォード氏の画業を紹介するコーナーもあって
(この展示ゾーンの入口に「この部屋の展示にはウォーリーはいません」と注意書きがあって笑った)
少年時代の絵からウォーリーを発表する前までの作品が展示されていました。
子どもの頃から群衆を描いてらっしゃったようで、引きのアングルの絵がいくつか並んでいて
海辺や遊園地や海賊船の絵などがあって、これが後年ウォーリーに活かされていくんだなあと。
アトリエの作業机も再現されていて、ウォーリーが「Hello, Japan!」と手を上げているイラストが置いてありました。
ハンドフォード氏がそれを描いたときの映像も上映されていて、
びっくりしたのが鉛筆で薄く下書きした後、てっきり顔から描くのかと思っていたら
ズボンから描き始めて体を描き、手を描き、最後に頭を描いていたこと。
カラーインクでゆっくり丁寧に色をつけてから、もう一度ペンで輪郭をなぞって完成させていました。
最後の最後に目と口を描いてウォーリーの顔ができあがるのワクワクしたー!

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撮影可能ゾーンにいたウォーリー、ウェンダ、ウーフ。
背景はハンドフォード氏が展覧会のために描きおろした限定作品です。
ここでもやっぱりウォーリーをさがしてしまったし、
見つけたときは絵本のウォーリーを見つけたときと同じくらい楽しくなった^^

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会場にはウォーリーにインスピレーションを受けた現代作家たちによる作品も展示されています。
こちらは寺田尚樹氏による「1/100 ウォーリーをさがせ」。
渋谷スクランブル交差点にいる無数の人々の中からウォーリーをさがします。
本物はウォーリー12道具のひとつである杖を持っているとのことですが、
とにかく人々が小さいしみんな赤い水玉やボーダー着てるしで探すのに難儀しました。
ヒントが掲示されていてもなかなか見つからないのがウォーリーです…
本当に見つかりそうでまぎれるデザインしてるよなあ。

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松屋の店内ではリアル「ウォーリーをさがせ!」も開催中。
お店のどこかに設置されているウォーリーのパネルを探して写真を撮って
特設カウンターに持って行くと記念品がもらえます。(ウォーリーの居場所は毎日変わるそうです)
せっかくなのでやってみることに!

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店内の壁やエレベーターには絵本に描かれたキャラクターたちがペタペタ貼りつけられています。
こういうのを探すのも楽しい^^

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えっこんな人たち絵本にいた?どこにいるのかな!?
あとで絵本で探してみなくては。
(わたし初期の3冊しか知らないのですが後半のシリーズに出ているのかしら)

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ウォーリーを見つけました☆
日によってパネルだったりシールだったり、ウォーリーのコスプレをした人間だったりするそうです。
人間の日はどんな人がウォーリーに変身するのか気になるね。

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特設カウンターでいただいた限定クリーナー。ウーフかわいい。

最近はダヤン展とかぐりとぐら展とかエリック・カール展とかタマ&フレンズ展とか
過去に楽しんだ児童文学や絵本の展覧会がたくさん開催されてワクワクする!
ウォーリーも過去にさんざん楽しんだので今回の展覧会もむちゃくちゃ楽しかったし、
何よりあの頃みたいにまだ夢中で探せる気持ちが自分の中に残っていたのもうれしいです。
展覧会は始まったばかりなのと、平日のためかそんなに混んでいなかったけど
これきっと休日になるとかなり混んで絵の前に人だかりができてウォーリーを探しにくくなりそう、
ウォーリーをさがせ展なのに探せない展になってしまっては本末転倒なので
平日に行ける人はなるべく平日に行った方がいいよ!

wally9.jpg
うちにあるシリーズ本。
1冊目はカバーがどっかいっちゃって(たぶん破けた)背表紙から中味が外れかけていて
2冊目3冊目はカバーはついてますが同じようにボロボロ。
小学生が読んだために手垢ジュースのシミお菓子のかけらまみれですが
捨てられないのは本を捨てる習慣がわたしにないのと、夢中でウォーリーを探したからだなあ。
展覧会から帰った日も、なつかしくなって引っぱり出してパラパラとめくっておりました。
ウォーリーを探すのも楽しいけど、巻末のチェックリストの人々を探すのも楽しいんです(^ω^)。
2017_12
12
(Tue)23:56

虫愛づる姫君。

ジャクリーン・ケリー『ダーウィンと出会った夏』『ダーウィンと旅して』を読みました。
実は初読は去年でして、タイトルに惹かれてパラリとめくったら文字がぎっしり(に見えた)、
でも読み始めたらグイグイ引っぱられて止まらなくて夢中で一気に読んでしまって
感想もそのとき書いたつもりだったのですが最近、書いていないことに気づいたので書くことにします^^;
1899年(続編は1900年)、世紀末のアメリカはテキサスに暮らすキャルパーニア・ヴァージニア・テイトが
家の裏の実験室で蒸留酒を作っている祖父ウォルター・テイトとともに
昆虫や自然現象を研究する「共同研究者」からの「同志」となり、
やがて科学者になりたいと行動し始めるまでの2年間が描かれています。
ファーブル昆虫記のような細かい観察描写や、シートン動物記のような動物との交流描写などが
テキサスの生活描写とともにリアリティをもってバランスよく綴られていて
あくまでひとりの女の子の毎日がゆっくり進んでいく感じなのが、読んでいて全然疲れなくて
結構ページ数あるけど定期的に読み返したくなる物語だと思う。

もうすぐ12歳を迎える11歳のキャルパーニアには、綿花工場を営む両親と祖父と3人の兄・3人の弟がいて
普段からスリップ姿で川遊びを楽しむようなアウトドア好きな女の子です。
ある日長兄のハリーにミミズの観察について打ち明けたところ「科学的な観察結果を書き留めるといい」と
小さなノートをもらって庭先で観察した色々なことを書くようになり、
それまで気づかなかった犬の口の形やバッタの色と大きさの違いなどを目にして
「これはなに?」「なぜこうなんだろう」と考えるようになっていきます。
観察を始めて数日後に庭で初めて黄色いバッタを発見し、
夏の暑さで黄色く枯れた芝生の中でどんな風に生きているかを観察して
緑色のバッタは鳥に見つかりやすいけど黄色いバッタは保護色で見つかりにくいため体が大きくても平気、などと
自分なりの結論をつけて祖父に報告しに行ったら「一人で考えたの?誰の助けも借りずに?」と驚かれ、
案内された書斎で初めてダーウィンの『種の起源』(1859年刊行)を目にします。
両親や他のきょうだいたちがほとんど興味を示さなかった科学や生物学に
まさか孫娘が首を突っ込んでくるとは思ってなかったみたいですなおじいちゃん…。
ちなみにウォルターおじいちゃんの科学始めは南北戦争中に出会った1匹のコウモリとの交流だったらしい。
戦闘中にテントに逃げ込んできたコウモリを保護し、常に無事かどうか心配していたという追想を
キャルパーニアに語る様子はとても心温まるシーンでした。

そうして始まったキャルパーニアの実験は蝶になると思って羽化させた毛虫が蛾になったり(放してあげた)、
見たことのない植物を見つけたので撮影するために写真館へ行ったり(スミソニアンへ送った)、
気圧計を自作して学校のピクニックに雨が降ると予想したり(当たった)、
ゴマダライモリや蛇を洋服ダンスの中で育てたり
夜空を見上げて北極星や北斗七星や星座のことを考えたりなど
生物だけではなく物理や天文学など多岐にわたります。
おじいちゃんの研究を一緒にやったり、自分が興味を持ったことを手当たり次第にやってる感じかな。
彼女が科学者になったときどんな専門を選択するのかはわからないけど(たぶん生物学系)、
色んなことを観察・経験しておけばきっとどこへ行っても慌てなくて済むだろうし
何より研究がますます楽しくなるからどんどんやった方がいいと思う。
(理系は物理を勉強しておいた方が絶対にいいと、かつて我が妹も言っておりました)
おじいちゃんはスミソニアン協会に手紙を送る際にキャルパーニアと連名で署名してくれて
年末に協会から電報がきたときも宛先が連名になっていて
しかも新種で学名をつけたと書いてあったときの2人の喜びようといったら!よかったねえ。
「女の子も科学者になれるわよね」って震えながら問うたキャルパーニアに
マリー・キュリーやメアリー・アニング、ソフィア・コワレフスカヤ等の話をしてくれたり、
裁縫が苦手と言ったら「戦争中は自分で戦闘服も繕ったし料理もした」と語ってくれたり、
13歳になる前に「女の子にできることは少ししかないのにお嬢さんと呼ばれるようになったらもっと減る」と
嘆いたら『ビーグル号冒険記』をプレゼントしてくれたり、
タイプライターで手紙を代筆したら「すばらしい」「機械の時代の到来だ」と
10セントの報酬を支払ってくれるおじいちゃんは素敵。
後にキャルパーニアがタイプの腕を活かしてプリツカー先生の処方箋を打つ仕事を見つけたのも
本当によかったなあと思います。
自分の力で生きていくことができるかもしれないと発見できたことは彼女にとって僥倖だよね。

世紀末のテキサスが舞台ということで当時の思想や技術や発明品などが随所にみられ、
アメリカの歴史小説でもあるなあと思いました。
ダーウィンの進化論とキリスト教の創造論がせめぎ合う過渡期だったり
新世紀の最初の日に世界が終わると言った団体があったり
おじいちゃんがアメリカ地理学協会(1851年結成)に参加していたり
ハウスキーパーのヴァイオラさんが黒人の血を引いていることは家族だけの秘密だったり
ロックハート図書館が子どもに種の起源を貸し出すのをためらったり
(今と違って人々が図書館を利用するには厳しい制限のある時代でした)、
クリスマスプレゼントに『シャーロック・ホームズの冒険』(1892年刊行)が贈られたり
奇術師ハリー・フーディーニ(1874-1926)やナショナルジオグラフィック(1888年創刊)の名前が出てきたり
自宅の農場で綿花を摘むためにきょうだいたちが学校を休んだり
(このときキャルパーニアは弟たちの世話をしてお駄賃がもらえないことを訴え父親からせしめている)、
おじいちゃんが「自動車を運転したい」と言って「爆音のおそろしい機械なのに」と呆れられたりします。
家庭に電話線が引かれたりコカコーラが発売されるのもこの頃からなんですね~。
おおこんな出来事が、これこの時期の登場なのかって色々と勉強になりました。

続編に描かれているガルベストンのハリケーンも1900年に本当にあった災害で、
高潮により6000人以上もの人が亡くなった大事件だったそうです。
ある時キャルパーニアがワライカモメを目撃したと聞いて
「こんな内陸で?」と疑問を持ちガルベストンに電報を打つおじいちゃんはかっこいい。
(そして父と兄たちが復興のためガルベストンに出かけている間も
ミミズの観察を怠らないキャルパーニアは本当に科学者だなと思う)
災害をまの当たりにした従姉のアギー(アガサ)が、家を建てる間だけテイト家に住むことになって
キャルパーニアのベッドで寝起きするんだけど、
最初は何も言わなかったアギーがキャルパーニアと衝突しながらも徐々に語り始めていくのは
前に進み始めた感がありますね…。
(でもキャルパーニアがゴマダライモリの学名や生態を説明したら
「何言ってるのかわからない」って返されるのは科学者あるあるだなと思った)
アギーの持ち物にタイプライターがあるのを知ったキャルパーニアが興味津々だったり
(The quick brown fox jumps over the lazy dogのことを初めて知りました)、
アギーが銀行口座を持っていると知って自分も親に頼んで作ってもらい預金通帳にわくわくしたり
何だかんだ会話が増えて最終的にはアギーが家族に秘密にしている恋人について共有できるまでになって
うおお仲良くなったなあ!と。胸熱。
「海ってどんなところ?」と聞いたキャルパーニアをアギーは最初はめんどくさがっていたけど
駆け落ち後に貝殻とハリセンボンを送ってきてくれたのが素敵だなと思いました。
アギー、しあわせに暮らせるといいなあ。

また、キャルパーニアはきょうだいの中で平等に扱われていない現実に直面してしばしば涙を流しています。
お母さんに「18歳の社交界デビューのために」と家事や料理を教えられたり
髪を切りたいと言っただけで「野蛮人みたいな姿で駆け回ってはだめ」と言われたり
(こっそり数センチ切ったものの翌日の朝がものすごく怖かったとか
その後1時間のブラッシングと栄養クリームを塗られ日光浴させられる描写もある)、
クリスマスまでに家族全員分の靴下をお母さんと2人だけで編むことを強制されたり
クリスマスプレゼントに『家事の科学』なる本をもらって蕁麻疹ができたり
何時間もかけてパイを焼いたのにたった数分で家族にたいらげられ「観察や標本のための時間を失った」と嘆いたり
成虫になる前に雄になるか雌になるか決められる蜂がいると祖父から聞いて
なぜ人間の子どもは5歳までにそういう選択肢がないのか、わたしなら絶対男の子になる…と
きっぱり思うキャルパーニアが痛々しい。
だから電話交換手になることを夢見たり、ディケンズを読んだり、部屋の中でお玉杓子を飼ったりする姿は
すごく生き生きして解放されているように見えます。
そしてそういう環境で育つと女の子だけではなく男の子にも影響があるもので
「コーリー(キャルパーニアの愛称)に料理を手伝わせればいい」みたいな意識を持つことに
きょうだいたちがまったく抵抗を覚えていない描写がしばしばあってゾッとした。
(そんなときキャルパーニアは悪意を込めて睨みつけ怯ませたりしている)
共進会の手芸部門に出品したら3位をもらえたけどそれは出品者が3人だったからとわかり
いまいち喜べないキャルパーニアに戦争中の裁縫の話をしたおじいちゃんに救われましたが、
当主を退いたおじいちゃんはキャルパーニアの鋭い質問を「すばらしい」と誉めることはできても
両親の教育方針に口出しできるわけではないのですね。

新世紀前夜、大晦日に家族の前で人生の決意を宣言するところで
キャルパーニアが「死ぬ前に見たいもの」と題してオーロラや太平洋やカモノハシや雪をあげていて
ハリーが拍手してくれる描写がとてもいいし
(続編の大晦日には「大学に行って学位を取りたい」に変わっている)、
翌朝の1月1日にテキサスに数十年振りの雪が降って
銀世界の中を走り回るキャルパーニアが「どんなことも起こりうる」と
希望を見出すシーンは救いでもあり絶望への序曲だったらどうしよう…という不安もあり
やっぱり希望であってほしいと心から思います。
キャルパーニアは科学者になれるのか。トラヴィスは獣医になれるのか。
まだまだ続きが読みたいけど、出ているのかな。出してほしいなあ。
2017_09
14
(Thu)23:52

連れていけるのは生きたい命。

柏葉幸子さんの『涙倉の夢』を読みました。
山あいのおばあちゃんの家(屋号:さがえ)にやってきた亜美が
「(お仕置きや病気の隔離などで)倉に入れられた人はみんな泣く」ことから涙倉と呼ばれる倉にふと入って
数十年前の時代に迷い込んで昔のさがえの様子を目撃するところから物語が動き始めます。
(「蔵」ではなく「倉」なのは何か理由があるのかしら…たとえばこういう記事がありますけども)
当時温泉宿を経営していたさがえに住んでいたのは人間だけど、
時々その中にエッちゃんと呼ばれる猿が人間の子をあやしていたり
鼠の顔に着物を着たおばあさんに「おまえではない」と声をかけられたりして
現代に戻ってもハヤブサや猿や蛙の顔をした(ように見える)人がさがえにいることに気づいて
どうも人間の姿になってさがえで生活している動物がいるらしいと亜美は気づきます。
人が動物の顔に見えるのは亜美だけで、彼女の家族や町の人々はまったく気づかないでいるけど
はっきりした理由は最後まで明かされなかったね…
ラストで亜美が自分なりに考えて結論づけていたけど。

亜美がおばあちゃんとお出かけしたり、山から来たハヤブサの隼人や猿のエッちゃん先生と仲良くなったり
そういう心温まる交流シーンも素敵なんですけど
ねずみのばば様が話してくれたさがえの昔話がとにかくものすごいインパクトでした。
「ねずみにひかれる」という言葉が物語前半のキーワードになっていて
これは人間の世界(里)から動物の世界(山)へ連れていかれることだと町の人々が言っていて
亜美も過去と現代を行き来するうちに神隠しとか人身御供じゃないかと想像したりするんですけど、
2回目の過去への訪問で山と里を仲介するねずみのばば様に会って話を聞いたら
どうもそう単純な話ではなかったらしく。。
大昔に様々な理由から動物が山から里へ、人が里から山へ移動することがたまにあって
その仲介役を担っていたのがねずみのばば様だったので
里から山へ人が引き取られると「ねずみにひかれる」と人々は言ったと。
そして「ねずみにひかれる」ことは元々は親が育てられない子どもを殺すことの隠語で
間引かれた人の子どもを山が引き取る代わりに里へ動物を人間の姿にしてよこしていて
(山へ何人も引き取るわけにはいかないので)、
そうして山のものが里に混じる代わりに里で生きられない命を山で引き取る約束を人と動物は交わして
その仲介の場所がさがえで、ねずみのばば様は宿の西の塔にとどまり役目を果たしていたと。
引き取られていく人の中には間引かれる子だけではなく病人もいて、彼らは山の気に溶け込んでいき
山で生きられなくなった動物も里でなら生きる場所があってWinWinな場合もあったみたいだし
「戻りたい」とばば様に言えば戻ることも可能だそうですが、
子どもを間引いた親は本当のことは言いにくいから「ねずみにひかれた」と言って隠していて
やがて子どもが間引かれる時代ではなくなったので約束は忘れられていき、
さがえが宿を閉めて山との交流がなくなると「ねずみにひかれる」という言葉だけが残って
「悪さをすると鼠に連れていかれるよ」的なしつけに使われたりするようになる。
子どもが間引かれなくなるのはいいことだけど
言葉だけが形骸化した教訓として伝えられていく過程にぞっとしました。
これってたとえば、平安時代の鬼が姿を見せず詩や歌や音楽など風流を愛する生き物だったのに
いつしか陰陽道の丑寅と結びつけられ牛の角・虎パンツのいでたちに形づくられ
「悪さすると鬼に食べられるよ」的な、しつけに使われるようになっていくのと似てるな…。
しきたりが今なぜそうあるかを調査していったら
過去の人たちの決めごとの枠だけが残った結果今の状態になっているとわかる事例って
歴史を見てもいくらでもあるので、一定期間ごとに学び直すことと次世代へ伝達することって
本当に大事だと改めて思いました。
あと「猿がかでてる」って言葉も、過去の世界でエッちゃんがしていたみたいに
昔は文字通り山から下りてきた猿が人間の子育てを助けるっていう意味だったのに
亜美たちの時代には「赤ん坊が泣きやまないこと」の意味になっていて
言葉の語源が忘れられているのも怖かったです。
それらを物語に落とし込める柏葉さんはやっぱりすごいや。

約束が形骸化した後、動物たちが里に混じる理由は人間が山を崩して道路やダムを作ったり
山へ何かしようとするときに仲介者を通して動物たちに知らせるためという感じになっていて
そうして山や、山に暮らすものたちを守っていると。
ジブリのぽんぽこも人間世界での狸たちの生きづらさが描かれますが
この物語における動物たちの生きづらさもハンパなく生々しい。
エッちゃんは山を下りて里で成長できたけど夫や子どもに自分のルーツを話せるまでには至っていなくて
山から来たとバレないように気を張って生きていたし
(彼女は怪我をして群に置いていかれたので山では生きられず里なら生きられた猿だった)、
ねずみのばば様は現代ではもういなくなっていたから隼人は里へ混じるのも大変だったみたいで
ふとしたときにハヤブサだった頃の癖で飛ぼうとして塀から落っこちたりする。
亜美が汲んできた鳴滝の水を隼人が飲んで「なつかしい」と涙をこぼすシーンはちょっとウルッときた…
今の生活圏にある水道水もミネラルウォーターもまずいって飲めなくて
やっと飲めた水が生まれ育った場所の水だったっていう。
終盤でバイト仲間の家の井戸水が「まあまあ飲める」って発見できてよかったね^^
帰命寺横丁の夏の記事にもカズと裕介の読書シーンについて書いたけど
柏葉さんの物語はこういう何気ないシーンがすごく胸を打ちます。好きっ)
ねずみのばば様、柏葉さんの描くおばあちゃんキャラは目力が強いイメージですけども
このおばあちゃんは無言で見つめられると威圧感があるイメージ。
着物姿でお茶飲んでる挿絵はちょっとドキドキしました。
あ。挿絵!
読みながらどうも見たことある絵柄だなあと思ったら青山浩行氏だったー!
シンプルな線だけで動物の毛並みまで描き出す表現力は見習いたい。

『岬のマヨイガ』を読んだときも感じたけど柏葉さんはしゃべる動物たちを描くのが自然体でいいなあ、
素朴で、生きる意志が強くて、人間の世界や用語に精通していて、時々ちょっと怖くて。
ねずみのばば様が「おまえじゃないね」って手をしっと振ると人を里へ戻す力を持っていることとか
隼人が亜美の尾行に気づいて「なんのまねだ」って睨むところなんかは
亜美も猛禽類に狙われた獲物の気分と言ってるけどわたしも読んでてうわってなった。
でもってその怖さも悪意があるわけじゃなく結果としての怖さだったりもする…
マヨイガの海ヘビがそうだったように今回も山の気がひとりの人を狂わせてしまって
でもそれは山へひかれた怒りや里への未練かもしれなくて…
西遊記の金閣銀閣みたいな解決法だったのも、誰も傷つかなくてなるほどなあって思ったし
できることなら水じしゃくを使って水脈を動かすところも見てみたかったけど
それは山の領域で行われるもので人間が見るものではないのかもしれない、
すぐりさんが使うのか、それとも鳴滝の誰かが使うのかな…。
すぐりさんがまた亜美たち家族に会えるのかはわかりませんが
涙倉があくびをしてしまったので当分は無理かな、また会えるといいですね。
亜美のお母さんが倉を買ったのも涙倉からすぐりさんの泣き声が聞こえるといわれたからだしね。
それにしてもあくびする倉を想像するとちょっとおもしろい(笑)付喪神みたい。

自分が過去へ行けたのは涙倉が目覚める前に見た夢に迷い込んだせいだと亜美は判断するんだけど
夢見る倉って、眠っている倉ってなんだかロマンだ…。
荻原規子さんのRDGでも九頭龍大神が見る夢が真澄だったりしたけど
物語で人でないものが見る夢は人のできないことをヒョイと具現化させてしまうことが多い気がします。
そして涙倉のその後にもだいぶびっくりしました。よくある話だけど、したたかだなあ。
2017_05
27
(Sat)23:24

まちがったいろ?そんなものはない。

ericcarle1.jpg
世田谷美術館のエリック・カール展に行ってきました。
アメリカの絵本作家エリック・カールさんの仕事を紹介する展覧会です。
絵本の原画はもちろん、カールさんのスケッチや習作や画材、影響を受けた作家の作品などもあって
カールさんの人生とお仕事をたどれる内容になっていました。
入口にカールさん(御年87歳!)からのビデオメッセージが上映されていて
白いお鬚もじゃもじゃの、気さくそうな青い目のおじいさまが
「日本のみなさん楽しんでくださいね~」とかニコニコと短く挨拶してくださっていてこちらも笑顔に(^^)。
ご本人によるとボストンにあるエリック・カール美術館はアメリカで唯一の絵本美術館だそうです。

とにかく絵本原画がすごかったです。
カールさんの絵本は大好きで家にある絵本はボロボロになるくらい読んでますけども
ナマ原画を見るのは初めてでどんなものかしらと楽しみでした。
びっくりしたのがどの原画も絵本よりずっと色鮮やかだったこと!
印刷と原画の差はわかっているつもりでしたがこんなに違うものかと…
美術館にいくといつも「これだから美術館通いはやめられないな」って思うんだけど
今回はいつにも増してズンときました。たぶん一生やめられないぞおおおお٩( ᐛ )و
代表作『はらぺこあおむし』の原画の前でやっぱりたたずんでしまいましたね…
りんごやオレンジの色が鮮やかであおむしも強烈な緑と赤で
本当はこんな色をしていたんだなって感動しました。
最終的に絵本になった原画のほかに別案原画も今回は展示されていて
月明かりに照らされるあおむしの卵の葉っぱが、完成原画は黒いんですけど
くっきり緑色のままの別案もあったようで、カールさんはより夜っぽさを強調したのかなと。
『ゆめのゆき』の最終原画と別案原画の比較もおもしろかった~。
仕事を終えた農夫が着替えて、やがてサンタクロースであると判明する絵本なのですが
別案では12/24の日付のカレンダーが決定稿では時計になっていたり
長靴だったのが黒い靴になっていたりして
より最後に「サンタだった!」みたいな驚きに向けてボルテージ上げる構成になってる印象を受けました。
使わなかった原画を捨てずにとっておくカールさんとっても慕わしい。

また、カールさんがこれまでに出版された絵本はほとんどが紙によるコラージュですが
『くもさん おへんじどうしたの』のクモは紙にクモの手足を描き、上から模様を色付けしたアクリル板を乗せたり
『ゆっくりがいっぱい』の雨に降られるナマケモノの雨粒がやっぱり別シートだったりして
立体感を出されているのを初めて知ってやっぱ美術館通いやめられねえなって改めて思いました。
著者の工夫がみられるっていうのがほんとに好きなので…!
『ぼくのエプロン』(未邦訳)はコラージュした紙の上にキャラクターの輪郭線を描いた透明シートを乗せていて
(フェルナン・レジェの作風に触発されたそうです)、
なんだかステンドグラスみたいな原画になっていておもしろかったです。
働いた後の少年がふっと帽子を上げる仕草の絵があったけど表情がとってもよくて!
カールさんはあまりキャラクターの表情を作らない人なので意外に思いました、
これぜひ邦訳して出版してくださらないだろうか。
あと絵本に必ずついてるエンドペーパー(遊び紙のページ)も絵の具だったりコラージュだったりして
やっぱり絵本よりずっとくっきりした色できれいでしたね。

カールさんの人生についての展示。
若い頃に制作されたニューヨークの街や地下鉄の風景のリノカットはシックでかっこよくて
ゴシック感あふれる建物などもおしゃれでした~この頃から版画で作ってらっしゃるんですね。
カバや虎、牛などのスケッチもあって相変わらず太っとい線でかっこいい。
フランツ・マルクやアンリ・マティス、パウル・クレーの作品がお好きだそうで
特に動物をよく描いたマルクの影響が強かったらしいです。
カールさんは青い馬を何度か絵本に登場させているけどあれはマルクの青い馬だったんですね…。
『えをかく かく かく』はそんなマルクに捧げられた絵本だそうで
あれは内容もすばらしいですがカバー折り返し部分に添えられた描く自由の宣言みたいな文章がすごく好き。
間違った色はなくてぴったりの色を自由に自分でさがす的な言葉にわたしはずっと救われて生きてきたので
誰かへの捧げものだったんだなあと思ってうれしかったしもっと好きになりました。
クレーへのオマージュとして制作された天使(最新作!)は紙や布、ダンボールに絵の具をべったり塗って
確かにクレーがコラージュ作ったらこうなりそう…と思った。
マグリットの「イメージの裏切り」を冒頭に据えた『ナンセンス・ショウ』(未邦訳)は
人面ライオンがライオン人間にサーカスさせられていたり人面馬に馬人間が乗っていたり
アヒルに人の足(ズボンと靴履いてる)がくっついててまさにシュールレアリスム。
また、モーツァルトの音楽がお好きだそうで
2001年にマサチューセッツで魔笛が舞台化された際には衣装や舞台セットのデザインを依頼されたそうで
そのデザイン画もあったのですがスケッチとかじゃなく切り絵で作っててぶれないなあと思ったし、
「very simple」という書きこみがすべてを物語っている気がしました。
そういえば『うたがみえる きこえるよ』はモーツァルトのメヌエットを意識したんじゃなかったっけ…
あれも絵から音楽が聴こえてくる絵本だよね。
レオ・レオニは画家としての先輩にあたり彼の紹介で絵本を出されたこともあるそうで
『巨人にきをつけろ!』はレオニに捧げた絵本なんだとか。
レオニのねずみ原画も展示されていて見比べることができました。やっぱりかわいいなー。
2人とも紙のコラージュで絵本を作るのは共通してるけど、レオニは色で遊んでいて
カールさんは色で研究してるみたいな感じがしますね。
いわむらかずおさんと共作した『どこへいくの? /Too see my friend』は
ページをめくっていくとアメリカの男の子と日本の女の子が絵本の真ん中で出会うようになっていて
周りに動物たちもいてすごく幸せな絵本だなあと。
和服に触発されて制作されたという「キモノ」もすてきでした~ちょっとこの柄の着物作ってほしい。

子どもが家庭から小学校へ上がる間には深い淵があって
そこに橋を架けたいとおっしゃっているカールさんが描いた赤と青の橋の絵が印象的で
橋は色がついてるけど淵のなかが白のままというのがちょっと新鮮だった。
淵や谷底って黒のイメージがあるので…ただの空間なのかもっていう視点を提供してもらった気がします。
最後に展示されていた絵の具だらけのスモックや絵筆などにもテンション上がったけど
絵の具がついたままの刷毛の毛先に赤や黄色模様のリボンをくるくるっとつけていて
オッシャレー!って叫びそうになった☆
画材の紹介展示にリボンつけるとか初めて見たよ!赤い刷毛は赤、青い刷毛は青って統一感もあって素敵。

ericcarle2.jpg
展示の終わりにあった撮影コーナー。
蝶の前に立つと背中からカラフルな羽が生えたような写真が撮れますよ!

ericcarle3.jpg
あおむし見つけた☆
美術館ボランティアさんの手作りだそうです。

ericcarle4.jpg
カールさん描きおろし新作イラストを使ったグッズもあったのでゲット!
カラフルな「ARIGATO」のコラージュとあおむしのツーショットです。中味はラムネ。
他にも「KONNICHIWA」「DAISUKI」のグッズがありましたよ~→こちら
2017_01
17
(Tue)23:54

図書室と5つの物語。

『ぐるぐるの図書室』を読みました。
まはら三桃さん、菅野雪虫さん、濱野京子さん、廣嶋玲子さん、工藤純子さんの5人の作家さんたちが
デビュー10周年記念に書きおろした放課後の学校図書室が舞台のリレー短編集です。
皆さま2006年にデビューされたので「2006年組」と呼ばれているそう。
工藤純子さんは読んだことないけど、他の作家さんはずいぶん前から読んでた気がしていて
去年で10年だったと聞いて「おおっそんなに経つ…いやでもまだ10年…」とか
何だか長いような短いような不思議な気持ちに。
どの作家さんも深いお話作りをされるのでこれからもゆっくり追いかけていこうと思います。
とりあえず工藤純子さんの本を今度読んでみよう。

5つのお話に共通しているのは、
・主人公たちが全員同じ学校に通う小学5年生
・放課後の図書室の扉に茜色のきれいな貼り紙を見つけて入室する
・白い服の司書から図書室の仕事を頼まれたり本を薦められたりする
の3点。
あとはそれぞれの作家さんの持ち味が存分に発揮されています。
日常の学校や図書室が舞台だったり、まったく違う世界でのお話もあって
キャンディボックスやクッキー缶の色々な味を楽しむような気分で読みました。
茜色の紙が見えるのは誰でもというわけではなく、
本を読む子とも限らず全然興味のない子でも見える子は見えるっていう
決して本好きな子ばかりではないのが現実感ありますね。
見えるのは「いま、その本を必要としている子」たちで、他にも見える子がきっといて
この本はたまたまこの5人の場合を書いたんだろうなと思う。
(ランガナタンが言った「すべての人にその本を」みたいな感じの)
子どもたちは過去と未来を行き来したり、妖怪のためにご飯を作ったり、秘境で絶体絶命になりかけたり
わかり合える相手を探してみたり、書きかけの読書感想文のために大冒険をしたりして
本を通した体験を終えるとみんな少しだけ元気になっているのがいいなと。
しかも冒険の始まりがすべて1冊の本であるというところに
ビブリオ・ファンタジーとかドラクエのぼうけんの書とか二ノ国のマジックマスターみたいなロマンを感じる☆
人生の節目に本があるって素敵だ。

ひとくちに小学5年生といっても主人公たちの性格や人間性は様々で
ひたすら元気な子や何となくふわふわしてる子、責任感の強い子や厭世的な子まで様々。
ただどことなく地に足が着くか着いてないかみたいな危うさとか、
目の前の出来事をストンと受け入れて大冒険するにはギリギリ可能な子たちな感じは
共通しているように思いました。
だからこそ誰かの助けが必要で、それが彼らの場合は本だったってことかもしれなくて
それをあの司書さんは見抜いて彼らに声をかけたのかもしれない。
何という理想のレファレンス!
図書館で働いてると完璧なレファレンスなんて都市伝説じゃないかと思いがちですが
こういう物語や夜明けの図書館とか読んでるとやっぱりがんばろう…!って思う。

狂言回しの司書さんの口調がどのお話も同じように描いてあるのはあえて統一されたんだろうな。
(この本の発売後に行われたトークセッションで(遠くて行けなかった)、
図書室も扉は木なのか、ガラス張りなのか、何階にあるのかなど話し合われたと聞いた)
彼女のいでたちが背が高くて黒のロングヘアに白いワンピースという描写で、
白いワンピースの人といえば竹下文子さんの『青い羊の丘』にもそんな人が出てたな…と
ふと思い出しました。
主人公たちにだけ見えてるっぽかったけど他の子たちはどうなのかな、
茜色の紙が見えれば司書さんのことも見えて、紙が見えなかったらやっぱり見えないとかなのかな…
そもそも人間なのかどうかもわかりませんけども
(人でないとしたら精霊なのか神様なのか妖怪なのかどう呼べばいいのかもわからないけど)、
人間誰でも人生の中で一度はこういう人に出会う、みたいな雰囲気の人に感じました。
図書館や本の神様がどんな形をしているかというのはたまに妄想しますが、
日本にそういう神っていましたっけ…思金神とかは知恵の神だしな…。
(書物が御神体みたいな神社ってないですよね)
西洋だと書物や図書館の守護聖人はアレクサンドリアのカタリナとかローマのラウレンティウスですかね。


巻末に5人の作家さんたちによる座談会が掲載されていて、
本との出会いや、どんな本を読んできたか、これからの読書の展望みたいなトークが交わされていました。
空想することがお好きだったという工藤さんが「子どもの頃に授業中に色んなことを想像しても
他のクラスメイトはやってないから「自分は変なのかも」と思っていたけど、
読書好きのお友達ができて一緒に物語を書いたらとても気持ちよかった」とおっしゃっていたり
菅野さんが「読んだ本を友達にプレゼンするときちょっと盛って面白く話した」とおっしゃるのとか
わ、わかる…!と同意しまくり。
まはらさんの「わからないところはとりあえずそのままにして読み進めてもいい、読書に訓練は必要」とか
濱野さんの「講演などで本は読まなきゃいけないものではなく読まなくても生きていけると話すけど
同時に読書をしないのはもったいないと伝えています」とか
名言もたくさん飛び出していた。
菅野さんの「わたし絵本もマンガも大好き!どのジャンルにもどんどん手を出して!」にも全力で頷いた。
この年齢にならなきゃ読んじゃいけないとか、この年齢でこれ読むのはみっともないとかたまに聞くけど
そんなのはないんだよー!
本は本だしその人はその人、あなたはあなただよって伝えたい。。

あと、まはらさんが「弓道がテーマの小説『たまごを持つように』を書いたとき弓道の取材をしたけど
弓を引く感触を探る気持ちで書くためにあえてその場では引かなかった」みたいなお話をされていて
それはわたしも何となくわかる気がしました。
歴史もののお話を書くために色々調べはするけど、必ず意識するのが書く対象の年齢なんです。
わたしたちは未来人ですから歴史上の人たちがどう生きて死んだかある程度わかっているけど、
ご当人は自分がどうなっていくのかまったく知らないわけです。
なのでうっかり「その人物がその時までに経験してないこと」を書かないように結構、神経使います。
結果を知ってるとどうしても伏線張りたくなったりしますけどね…
ニヤリとするくらいはやってもいいけど、できるだけやらずに描きたいなあといつも思います。
リアリティとフィクションのバランスって難しい。
2016_06
29
(Wed)23:50

現代の天岩戸。

富安陽子さんの『天と地の方程式』がおもしろいです。
3冊とも発売とほぼ同時に読んで、たまたまですけど全3巻読み返したのが先週の夏至だったので
ちょっと感想めいたもの書いてみることにします。
(物語のクライマックスが夏至の日の出来事なのだ)
ちなみに1巻を読んだのは歌舞伎座で幕見席のチケット買うために並んだ時だったと記憶してる…
本のページをめくりながら目の端に映っていた風景の記憶が待機列の椅子なので。
夏至に読み返したい本がまた増えましたお~。
真夏の夜の夢とか、ムーミン谷の夏祭りとか、ハウルの動く城とか、精霊の守り人とか。

ニュータウンにできた小中一貫校に通い始める男の子とクラスメイトが
ある日学校の廊下でヒョイと異空間「カクレド」に迷いこむところから物語が動き始めます。
やがて現れた「頭の中に日本語で話しかけてくる猿」によって
それは天ツ神と黄泉ツ神の戦いにカンナギとして選ばれたためと判明します。
カクレドは黄泉ツ神がもっさり入っている繭であり、あの手この手で容赦なく襲いかかってくるので
彼らをかわしながら繭のほころびを探して穴をうがち脱出する…と書くとRPGみたいだし、
カンナギ同士でタッチするとカクレドに放り込まれるのはわかっても
カンナギは目印がついてるわけじゃないからタッチするまでわからないジレンマもあれど
次第に一人、また一人と仲間が増えていくのも何だかRPGみたいですが
黄泉ツ神の攻撃が意識を乗っ取るとかカンナギの恐怖を食べるとかの精神系のため
ドキドキというよりちょっと、怖い感じ。
冨安さんの物語は神や妖怪を親しみやすく感じさせてくれますけど
同時に彼らは理不尽であり祟るものであるというのも思い出させてくれますな。

カンナギは巫(神子のこと)だし、選ばれるのは6~14歳の子どもに限られていたりするし
黄泉ツ神たちがみんな片目だったり、鏡の光が脅威だったり
米粒で結界張るとか稲荷祭文との関係性とか、閏年生まれの子は誕生日にしか年を取らないとか
ルールがいちいち神話的民俗学的なのも相変わらずの富安文法。
クライマックスで円周率を唱え、フルートを奏し、千引岩に見立てた巨大柱で黄泉ツ神を封印するのは
黄泉比良坂と天岩戸を現代ヴァージョンでやるとこうなる、みたいなひとつの形式みたいな…。
引用先の心当たりが無数にありすぎて想像すればきりがありませんが
それらと、これまで富安さんが書いてこられた物語の要素がてんこ盛りになっているなと
読み終えて思いました。

アレイは富安さんの物語によくいる典型的な巻きこまれ型主人公ですけど
富安さんの男の子主人公、久し振りに読んだ気がする。
(他に男の子主人公ってムジナ探偵局とかオバケ科シリーズとか、あと2~3冊くらいですよな)
記憶媒体並みの記憶能力は彼にとって強さであり重荷でトラウマでもあったのが
Qがコントロールできるようになれば大丈夫ってアドバイスしたとき救われるとまではいかなくても
考え方として腑に落ちたみたいだったのが少し安心しました。
名前が森有礼(アリノリ)と同じって最初に出てきたけど
古事記から見つけた稗田阿礼を意識してアレイと自称してるのがおもしろいし、
名前の設定をここぞというところやクライマックスで思ってもみないほどに活かすのが
富安さんのすごいところだと思う。
音楽と円周率をつなげるとか誰が思いつきますか…!
学者やクラスタさんが数字や数式を音楽にたとえるのはよく聞きますけど
それを(物語の中とはいえ)実際にやってくれて
しかもπを数百桁ぶん唱えるアレイむちゃくちゃかっこいいんですけど!
「○○できるのはおまえしかいない」っていうセリフは汎用性高いなと思うし
無数の物語で合計数千、いや数万回以上言い尽くされてる言葉でしょうけど
聞くたびにうおおお!!ってたぎる。
それにしても天音をどこかで聞いたことあるって言ってていざ思い出したら
ドレミを数字に置き換える癖から円周率だと導き出すくだりはわたしにはとてもできない発想でした。
数学クラスタさんだったら気づくのかな…。

でもQの話を聞いてると数学おもしろそうって思えるから不思議。
すべての法則や公式は発明ではなく発見だとか、
オウム貝の渦巻きを拡大するとハリケーンになり、さらに拡大すると星雲になるとか。
数学は神の設計図であり世界システムかあ…。
彼が口にする用語にいちいち「そんな問題あるんだ」「そんな定理あるんだ」などと
つぶやいてる程度には数学オンチなので、注釈あったらよかったなと初読時は思ったのですが
再度読み返したときに展開があまりにもスピーディーなことに気づいて
これ注釈ついてるとかえって物語に集中できないからこのままでいいかなとも思いました。
気になる人は辞書引いたり教科書見れば載ってるかもしれないよね。
3巻のラストで「超新星爆発の音はファ、赤ちゃんの泣き声はラ。宇宙では死と生がハモっている」とか言い出したときは
「へー」と「どうしたんだQ、ポエマーじゃないか」と同時に思いました、
マンガで読んだって言ってたけどそれ現実に存在しますか…読みたい。
…というかこの本で一番謎だらけなのはQのお姉さんですよ…。
Qが電話かけたり事後報告する時しか出てこないけどコロンボの「うちのかみさん」レベルに姿なき存在感。
お姉さんのカンナギ経験については目覚めずに終わった人という推理をイナミがしてたけど
もし経験済みでQに秘密にしてるだけだったとしたら前日譚が書けそうだなと思った。
ぜひ検討してほしい~。

ヒカリは頭脳派というより感覚派の天才肌なのかな、
ピアノ弾いてるシーンは音楽の申し子のような描写だし、自分のイメージのままに奏でてそう。
自身のトラウマからピコを助けに行こうとするあたりが人の良さが出ていて好き。
「ピコくんが混乱するから」と自分を名字じゃなくヒカリ呼びにしていいと言う場面は心がポカポカしました。
アレイもアレイ呼びでいいって言いやすくなったしね。
春来は戸籍名はハルコだけど訓読みにするとハルクになって、普段から力持ちな子ですが
みんながハルクって呼んでる時の方がとんでもない力を発揮してる感じ。
アレイもだけど、ハルコも名前の力を感じずにはいられませんでした。
本人の意志は真逆ですが^^;
ピコくんは大きいお兄さんお姉さんに囲まれているのであまりしゃべりませんが
お兄さんお姉さんたちから全幅の信頼を一身にあびて仕事してるのすごいかわいい。
安川くんは最初ただのチンピラかと思ってましたごめんなさい、
猿を介してお話してたのはみんなに信じやすくさせるためだったけど
日輪と猿が切っても切れない関係という言い伝えが背景にあると思います。
猿田彦とか日吉丸(豊臣秀吉の幼名)とかの。
関西ことばでしゃべるのも、日本神話や古事記は関西から生まれたものだしなあ。
というかイナミ…名探偵コナン君でさえ「見た目は子ども、頭脳は大人」ってちょっとややこしい設定だけど
イナミは「見た目は大人、中味は子ども、でも子どものときは大人の時の記憶とカンナギの知識があって
大人のときは子どもの記憶はなくて子どもの人格の方が無駄に頭がいい」という、更にややこしい設定で
本人による説明セリフ3回くらい読み返しました。。
4年に1度の誕生日に年を取るって、ありそうでなかった設定ですよな…。
よく物語に出てくる、主人公より長く生きて知識のある人たちって渋かっこいい場合が多いけど
(ジグロとかハヤとか、または雪政みたいな残念なイケメンとか)、
富安さんがそういう人を書くとイナミとか菜の子先生とかムジナ探偵とかホオズキ先生とか
夜叉丸おじさんみたいになるのはなぜなんだぜ。
いや、おもしろいんですけど(笑)。

あとここにもちょっと書いたような、富安さんの古典と科学と神話の混ぜこぜっぷりも健在でした。
結界をテリトリーと言ったり、黄泉ツ神たちをザコキャラとボスキャラにたとえたり
カクレドのほころびを「靴下に穴があくみたいなもの?」ってまとめちゃったり
天ツ神はこの世のどこにでも宿ってるという点で細菌と同じようなものって言っちゃってるのは
この本くらいじゃないかぬ(笑)。
ファンタジーや冒険ぽいところからいきなり現実へ引き戻されるこの感覚…嫌いじゃないぜ…!
(わたしが今まで一番秀逸と思った言い回しは、
荻原規子さんのRDG3巻で泉水子が姫神をうまくおろせなくて言った「山側だと入らないとか」に対する
深行のセリフ「携帯の電波が入らないみたいな言い方だな」です)

あと少し戸惑ったところがあって、
ハーメルンの笛吹きについてイナミが結構細かく生徒たちに説明してたんだけど
もしかして笛吹きの話ってすでに説明が必要なくらい「みんなが知ってるお話」ではなくなってる…?
何をどこまで説明するかは著者と編集者の判断だと思いますがあえて入れたってことは。うむむ。

五十嵐大介さんの表紙画、ポップな感じとおどろおどろしさが共存してておもしろいです。
漫勉でもザクザク描いてらしたタッチがいい感じに出ている。
イナミがやたらイケメンなんですけど、この口から子どもの声が出ると思うとシュールだな…。
1巻に数字、2巻に音符、3巻に惑星記号が飛び交ってる装丁デザインもすてき。


さて、さて。
2016mina.jpg
夏越の祓が近いので花扇さんにて水無月をゲットしました。
白い外郎は氷をかたどったもので、小豆の赤い色は魔除けになるそうです。
雨が降らなければどこかの茅の輪をくぐりに行きたい。

himuro.jpg
先週の玉川高島屋「若き匠たちの挑戦(通称:ワカタク」のお菓子たち。
巌邑堂「紫都」と高林堂「煌」は福島県産ブルーベリーを使った和菓子で甘酸っぱかったし、
雅風堂「氷室饅頭」は加賀藩の氷室にまつわる金沢銘菓です。
江戸時代、毎年7月1日に加賀藩は江戸城に雪氷を献上する役割があって
無事に届けられるようにと神社にお饅頭をお供えして祈願したのですって。
期間限定で買えるかわかりませんでしたが無事ゲット。いただくの初めて(*´∀`*)。

2016年がもう半分終わるわけで時の流れに神秘を感じますが、
この厄除けが終われば本格的に夏が始まりますね。
今年も夏への扉が開くぜ、ピート。
2016_02
10
(Wed)23:54

目覚めよと呼ぶ声が聞こえ。

森川成美さんの『アサギをよぶ声』全3冊を読みました。
スカイエマさんの力強いタッチの表紙にひかれて何となく読んでみたら
続きがどんどん気になってワーッと一気読み。
古代日本のような世界観の、ひとりの少女の生きざまを描く物語です。
(人生でも生き方でもない、生きざまって感じだなと読み終えて思いましたので…
シンプルなタイトルの児童書ですが内容はすっげえ硬派でハードボイルドだった)

「男だったらよかった」とか親に言われる、紫式部日記のような書き出しに始まり
弓矢で獲物をとり布を織り金銭ではなく物々交換で生計が成り立つ時代の小さな村が舞台。
子どもたちは12歳になると成人扱いされて男の子は男屋に入って戦士になるため武術訓練に励んで
女の子は女屋に入って機織りの仕事をする…みたいなルールが
アサギの「戦士になりたい」という行動とともにさりげなく説明されて
だからハヤがアサギを追い払わなかったときは「よっしゃあ話が動き始める!」と胸が熱くなりました。
男屋の男の子たちがエスカレーター式に戦士になれるのを羨ましがりながら
夜な夜なハヤのもとに通って矢尻作りと「モノノミカタ」を習得していくわけですが、
毎日訓練ができる男の子たちと違ってアサギはハヤに毎日会えるわけじゃないから
どうしても遅れを取ってしまう。
それでも男の子たちとの何気ない会話や山で出会った猿との交流、時々聞こえる声を通して
「物事をありのままに見て、なにものにもとらわれずに意味を考え」られるようになっていく姿は
翼を手に入れたかのようで、知識は武器だなあと改めて。
戦士になるための競い合いに出場して勝ち抜いても
長老たちの反対にあって結局その時は戦士にはなれなかったけど、
その現実をまずは見つめてまた別のアプローチをかける姿勢に彼女の本気が見えて泣けた。
わたしは弓を射たことはないけど、「バスッ」のト書きはお腹に響いたな…。

タイトルにもある「声」をアサギやハヤが聞くのは無意識の具現化というか、
単に人より働く勘が声となって聞こえているようにわたしには思えたのだけど
その感覚に体が追いつけるのは本人の能力だと思う。
的を見たとき、どこにどれだけの力で矢を放てばいいかすぐわかってしかも完遂できる感じ。
(ハイキューでスパイカーが「(打つポイントが)見える」と言って綺麗にスパイク決めたりしますけど
あれに近い気がします)
ああいう現象がスピリチュアルなのかオカルトなのか、いわゆる「天に愛された」的なものか
わたしにはわかりませんけども
「今だ」「そこだ」「ちがう」など単語が多いのが古事記の一言主みたいだなって思うし
無骨な雰囲気も相まって古代っぽくてじわじわくる。
アサギはまだ子どもなので声をたよりに矢を放ってるけど、
いつか弓の名手になったら聞こえなくなるのかもしれないな…。
で、また別の新しいことを考えたり学ばなきゃならなくなったら、また別の声が聞こえるんだと思う。

ハヤのかっこよさは本人の生き方と物の見方からにじみ出ている。
山頂で火をたく夜の見張りをしながら、アサギの話をちゃんと聞いてくれて
戦士の仕事とアサギの能力と、やるべきことを具体的に示して見守ってくれるし
アサギの力量を「女の子だから」ではなく「今のこいつの力はこのくらい」的な計り方なのもいい。
1巻のラストで、仲間にするみたいな仕草でアサギの肩を抱くシーンが好き~。
読みながらなんとなく精霊の守り人のジグロを思い出していたのですが
(亡くなった親友の娘を教育するおじさんという点で共通しているなと)、
ジグロはほぼ放任してたけどハヤはつかず離れず的な関わり方ですね。
最後は諦めないでほしかったけどかっこよかった…!
あの村人たちの中にあって、彼が自分の考えを保ちながら立ち位置を確保できているのは
本人の訓練と昔からのルールがあるせいかな。
風立ちぬの「会社は全力で君を守る、君が役に立つ間は」のセリフではないですが
戦士として強いことが支えになってる部分はあると思う。

イブキとアサギの関係、イブキがアサギの気持ちを半分もわかっていなかったように
アサギもイブキの気持ちをほとんど理解できてなさそうだけど
向いてる方向が一緒なのでこれからも話し合いながらいい関係を築いていくんじゃないかと。
サコ姉さんはたぶん、アサギの生き方にはついていけない人ですが
ストレートにアサギを大切に思ってて必ず味方でいてくれるのが船を待つ港のようで好き。
ヤチとタケはいい関係だったと思うんだけどなあ…!
巫女のおばあちゃんは物語の中盤、アサギの話を聞いて頼りにしてくれるようになったら
大好きになりました。
おばあちゃんは昔アサギだったんじゃないかな…と思えるくらい話ぶりが現実的で
過去に色々諦めたり譲らなかったりしたような印象が個人的にはありますがどうなんだろう。
アサギたちが出陣するとき、舞は省略するけどお祈りだけねってしてくれるのがいいなー。
あと、何気に好きなのは機織りのおばあちゃんとナータ。
おばあちゃんは兵糧支度の手際の良さがめちゃくちゃかっこよくて
きっとダイとハヤを怒鳴りつけながら見守って来た人だろうなと思う(╹◡╹)。
ナータは「戦はいい商いになるの」のセリフでガチだ!って思ったし
経験に裏打ちされたリスクマネジメントからちょっとやそっとじゃ動じなくてまさに「商人」って感じ。
アサギと同じようにロールモデルを持たない彼女だから
何にもとらわれずに見て考えて判断する癖が無意識についてそうで
主体的に生きてますね、たくましい。
アサギに商売の仕組みや舟の漕ぎ方を教えるシーンがほほえましい。

読んでるうちにこれはやばいんじゃないかと思ってたことが杞憂に終わったのもよかった。
なりたくてたまらなかった戦士が、どういう仕事かわからない時ほど憧れて
おばあちゃんに「おまえを戦士にする」って言われた時には嫌というほど知ってしまった後なので
全然うれしくないってアサギの気持ちがとにかくリアルでした。
実際なっても、今度は「新米だから」と話を聞いてもらえなくて
やりたいことのためには戦士である必要はないかもしれない、とあっさり見切りをつけたり
みんなを不安にさせないために大言壮語なこと言わなきゃならなかったり
逆にみんなをまとめておくために言えないことがあったり
倒れている人(味方か敵かもわからない)の背中から矢を取って使ったり
何もかもが初めてな中でアサギが考え、声を聞きながら戦うのもものすごいリアリティ。
すべてが終わってもアサギが勝利者を自覚しないのもよかったし、
終わりではなく始まりを迎えたところで終幕なのは
レッドデータガールや風の万里黎明の空とかもそうじゃなかったっけかな。
アサギは今後、攻殻機動隊の素子さんみたいな人になっていくのか
それとも獣の奏者のエリンみたいになっていくのかどうか…ちょっと読みたい気もする。

スカイエマさんの表紙と挿絵めっちゃかっこいい~。
児童書やYAコーナーでよく見かける方ですが一般図書の装画も手掛けてらっしゃるようです。

「歌えや歌え 祈れや祈れ さあ 言葉よ命になれ
あらゆる軌跡 あらゆる出会いが 私を守ってる」
(鬼束ちひろ「The Way To Your Heartbeat」より)

そういえば猿が出てくるから申年にぴったりですね、この本。
あの猿たちは要所要所でアサギに道案内するのがいい、あとしゃべらないのがポイント高し。

他にも『さる・るるる』『おさるのジョージ』『タンタンのぼうし』『おさる日記』『ひとまねこざる』
『西遊記』『古事記』『地獄変』『天と地の方程式』あたりもよさそう。
あとドンキーコングやりたいし猿之助さんのお芝居もいっぱい見たいー!
(『猿之助、比叡山に千日回峰行者を訪ねる』はたいへん有意義な内容でした)


sansetsu.jpg
先月東博で見た、狩野山雪「猿猴図」。
猿猴捉月の故事がモチーフになってて下に水面のゆらゆらがさりげなく描かれていますが
なんかこのお猿さんは落ちなさそう…(笑)。
墨のにじみがすばらしくて、体毛のフワフワまで感じられたな~ナマ絵は、よい。
2015_06
26
(Fri)23:43

鬼神に横道なきものを。

先日ネサフをしていてたまたま、竹下文子さんの『酒天童子』を見つけたのですが
読んでみたら内容があまりにもツボで沼が深すぎて危うく足を滑らせ頭からドボンしかけたくらい
すばらしかったのでその事を書きます。
どこがどうツボって、魅力を語ろうとすると「筆舌に尽くしがたい」という言葉でしか表現できないし
しかも読んだの真夜中だったからおかしなハイテンションが脳天突き抜けて
沼に落ちそうなすんでのところで踏みとどまってどうにかこうにかお風呂入って寝たけど
目覚ましが鳴るまで夢も見ないで爆睡した。
気持ちがバンジージャンプしまくったのと、よほど頭使って疲れたっぽいです^^
実はまだ心が完全に落ち着いていませんので
たぶん今から語るのもまとまりのない話になると思います、ご了承ください(^v^)←

あらすじはリンク先に書いてありますしご存知の方も多いと思いますので割愛しますが
ざっと申し上げると今昔物語集や御伽草子集に載っている一条戻り橋の話、土蜘蛛、鬼同丸、
酒呑童子の説話などを源頼光を主人公にまとめてつなげた連作です。
ゆさは鬼びいきのためあまり頼光側の小説って読まないのですけども
この本は著者が黒猫サンゴロウシリーズの竹下文子さんと聞いたとたんに興味が沸騰して
図書館で借りてきてパラパラめくってみましたら描写がもういろいろツボだらけでしてな。。
たとえば渡辺綱が戻り橋で一悶着あって朝帰りしたときの様子は、

近づいて、顔を見た。口を横一文字にむすび、かたい表情をしている。
髪は乱れ、衣服もあちこち破れている。ふだん身ぎれいな男にしてはめずらしいことだ。
かたわらに、ぼろ布でくるんだ大きな包みがある。「ごらんいただけますか」
綱は、何重にもなった包みをほどいた。ごろりと出てきたのは、なんと一本の腕だった
」(p.16-17)

なんじゃこりゃーー!!!!!!(ダァン!!!←床叩)
無口でふだん身ぎれいな部下が乱れた服装でおっかない顔して帰ってきて
何重にも巻いた布から鬼の腕ごろんて出すとかむりむりむりむり怖いかっこいいずるい!!!!!
他にも、

「一条大宮まで使いにいってもらいたい」「承知しました」
なぜかとは決してたずねないのが綱である。4人のうちで自分が呼ばれたということは
内密のだいじな用なのだと、こちらが言わなくてもわかっている
」(p.13)
「おみごとでした」綱がそばに来て、すばやく手綱をつかみ、暴れる馬をなだめた。「おまえもだ、綱」」(p.93)
わたしが17のときから、渡辺綱は、そばにいた。
わたしの影のようにうしろにつき、あるいは盾のように前に立って、
いつも言葉少なく、わたしをまもり、支え、はげまし、ときには叱ってくれたのだ。
わたしの命に従わなかったことはない。呼びかけて答えなかったことはない
」(p.226)
「わたくしがお仕えするのは、頼光さまおひとりです」にこりともせず、さらりと言いきった。
その顔、いつもの綱である
」(p.229)

待って待って待ってもえしぬ待っっっって!!!!!!!!!!
なんだこのおまえの気持ち全部わかってるぜな主人と一を聞いて十を知る部下は。
綱が言葉を短く切っても表情だけで言いたいこと読み取る頼光がハイスペックすぎるし
綱も綱で口数少なくて頼光が話しかけなければいつまでも黙ったままとか
しかも12歳で17歳の頼光のもとへ来ておそらく10年以上仕えてる(←ここ重要)という、
まさに最強の萌え要素てんこ盛りの設定がやばすぎて沼落ち5秒前。
頼光やその部下の知識は名前と役職となんとなくの人物史だけで10年くらい更新されてなかったし
あえて誰と聞かれれば綱一筋だったのにまさか頼光&綱にセットで惚れるなんて
わたしが一番びっくりだよ!!
今まで好きって思ったこと一度もなかったからこわい。新境地こわい。
他にも空飛ぶ茨木童子から逃れて北野天満宮に落下して屋根は壊れたのに自分は無傷な綱とか
頼光が鬼同丸の目に深い闇を見て「わたしはこの男を救えない」って思う一瞬の交差の妙とか
そういうシチュエーションが大好物なのであれよあれよと物語に引きずり込まれてしまって
冒頭のような有り様になったわけです。

頼光四天王の他の3人が明るくてアホでみんなかわいい。
「姫さまは軽いなあ」っておどけた調子で桜姫を抱えて助け出す坂田公時とか
諏訪明神のお告げひとつで頼光のもとへ押しかけてきちゃった碓井貞光とか
賀茂祭を見に行きたいけど堂々とは行きづらい(当時はまだ武士の身分がとても低かった)から
牛車を牛飼いごと借りてきちゃう卜部季武とか。
(結局3人とも車酔いでヘロヘロになって綱にめちゃくちゃ怒られる)(今昔物語集にある話だね)
風邪をひいて寝込んだ頼光に薬草をせんじた公時が言った
「苦いけど飲んでください、頼光さまがいなきゃおれたちはどうにもならないんですから」に
どうにもならないのはこっちの台詞だってごちる頼光のモノローグがツボでした。
ここに「この人たちよくわからないなあ…」って思ってそうな藤原保昌と
「この人たちほんとしょうがないですねえ」って思ってそうな安倍晴明が加わっててさらにツボ。
(竹下さんがブログでおっしゃっていますが、
保昌については月岡芳年の月下弄笛図をご覧になったそうで
わたしも大好きな絵なのでとてもうれしかった)

しかし本当にとんでもなかったのはさらにその先、
頼光主従の設定以上にドリームすぎたのが酒呑童子のキャラクターだった…。
廊下に足音と、衣ずれの音がした。あらわれたのは、ひとりの男だ。
色白で、まず美男子といっていい。黒々とした髪を結わずに切りそろえて肩にたらし、
とろりとなめらかな白絹の狩衣に、目のさめるような緋色の袴をつけ、
その長い袴のすそをしゅっしゅっと鳴らしながら足早に歩いてくる。
「山伏か。道に迷ったとな。それはいい」
」(p.169)

かっk…!!!!!!!(←かっこいいと言おうとしたけど萌えのあまり声帯が動かなくなった音)

若く、ものごしは尊大だが、けっして粗野ではない。育ちもよく教養もありそうなしゃべり方だ。
体格はがっしりとして胸も厚く、武人のようだが、顔や手は白い。
肩までとどく童髪がひどくちぐはぐで、どこか人形じみた印象をあたえている
」(p.170-171)

なんじゃこりゃーーーーーーー!!!!!!(ごろごろごろごろ←床転)
わかるわかるわかるわかる竹下さん、うわーっ*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
まさに!まさにわたしがイメージしていた酒呑童子はこれだ!!
絵本や御伽草子から抜け出てきたままの、世の中へのどうしようもない諦観にさいなまれながらも
好き勝手に生きる気持ちの方がずっとずっと勝っている酒呑童子ーーー!!!
長いことこんな鬼小説を探してて見つからなくて、誰も描いてないのかと思ってたけど
諦めずに探してよかった、こんなところにいたんだねえ(*´Д`)。
道理を無視して、気分のままに振る舞う、数百年も生きながらちっとも成長のない童子を
竹下さんが実に生き生きと描いてくれていて、泣くシーンじゃないのに涙出ました。
だから後半のバトルシーンでこんなシーンがあった後は、

童子が、ぱちりと目をひらいた。血走った眼玉がぐるりとまわって、
わたし(頼光)に焦点をあわせ、ひどくおどろいたように見つめた。
「だましたな、客人」口が、そう動く。「だましたな」
」(p.209)

涙腺決壊につき自分の涙で溺れかけたアリスのごとく涙の海へ出航いたしました!!面舵いっぱい!!!
御伽草子の「鬼神に横道なきものを」のような絶叫ではない、
でも低く低く冷え切った声が聞こえてくるような描写がぐわっとくる。
絵本や御伽草子を読むたびに思うのですが、この本でも思ったので書きますが
鬼で盗賊って時点で常に死と隣り合わせなのは童子も承知の上だったと思うけど、
お酒が入っていたとはいえ寝込みを襲われる可能性を考えなかったのは童子の落ち度だけど
山伏(の姿の頼光)たちを客と疑いもしなかった心根の良さを感じずにはいられないんですよ。
伊吹山に捨てられて山の動物たちに育ててもらったのと
刹那的な性格だけど盗賊の本領発揮したらとてつもないのと
いわゆるはみ出し者のまま社会の影で死んでいくことを考え始めると沼の深さにゾッとする。
…あれ、これ大学時代に小野篁がはみ出し者っぽいことの残酷さについて考えすぎて
気がついたら沼に落ちていた感覚と似て…る…??
あかん思考を停止しろわたし!!
これ以上鬼小説沼にはまってみろ、間違いなく仕事も私生活にも支障が出るぞ!!!

あと茨木童子もいろいろすばらしくてですね(結局語ります)、
一条戻り橋で綱を誘惑しながら「行く先は愛宕の山ぞ」と凄んで綱に襲いかかるシーンの迫力!
虫の垂れ衣姿の女性の袖からぬっと毛むくじゃらな鬼の腕が出てくるとこ想像してくださいよ、
ちぐはぐな妖しい魅力に拍車がかかって頭がこんがらかりそうになりました。。
闘って腕を斬られてしまっても諦めずに取り返しにいって
「綱の顔をみてにたりと笑」って屋根をつきやぶって空を翔けていくシーンは
ありありと姿が想像できて頭を抱えたくなるくらいかっこよい。
でも最後の最後で綱に「三度はだまされん」と見破られて戦って負けてしまうけど
顔が綱をだましたときの女性に次々変わってから灰になり消えていくっていうのが切ないよね…。
御伽草子だと鬼たちの最期ってあまり詳しく描かれてないので待ってそこんとこkwsk!って思ってたけど
ここまでがっつり書かれると逆にしんどいもんですね。
(でもそういう結末が、嫌いじゃないんだ(どうしようもない)

何だかテンションがおかしいですが、鬼に関しては沼どころかマリアナ海溝に沈んでますので
いつものことです、ご安心ください。
しかし四方八方にときめきすぎてとても疲れる本ですた…。
竹下さんて、短いけど的確でいきいきと洗練された文章を書きますよね。かっこいい。

あ、あと変なテンションついでに語ってしまいますが
サントリー美術館の「酒天童子絵巻」と逸翁美術館の「大江山絵詞」については
これまでにも何度か書いていますが、あえて何度でも力説する!
あの2つはものすごくよくできた絵巻だぞ!
比喩とか誇張でなく本当に、見れば見るほどとにかくすごいって思う。
首だけになった酒呑童子が頼光の兜にくらいついていくクライマックスは狩野元信の筆が踊ってるし
少年姿の童子の美しさたるや土佐派の筆が冴え渡ってるよ!
しかしやはり武士と鬼の戦いを描いた絵巻なので梨汁、じゃなかった血ブシャーな場面もあって
美術館で見るといつも「ギャーー怖えええええ!」と心底思うのですが、
大江山絵詞を見た後で酒天童子絵巻を見ると
とても残酷に感じた土佐派の筆致も元信に比べるとまだマイルドで控えめだったんだなと思う。
ほんと殺し合いとかするもんじゃないな…。


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「風神雷神図屏風Rinne」光琳・乾山編その8。7はこちら
季節は冬を迎え庭も真っ白のある日、乾山が訪ねてきました。

乾山「にーちゃーん、どこまで進んでますか…って、何その格好」
光琳「さむい」
乾山「北山におしどり見に行かない?」
光琳「いやだ。さむい」
乾山「もー出不精……何描いてるの」
光琳「今月の支払い分」
乾山「……」
多代「細井さんと吉田さんとこ」
乾山「ああ、はい」

こたつに入っているのは妻の多代と、光琳の娘のそねです。

龍安寺は冬になると鴛鴦が飛来したため、鴛鴦寺と呼ばれることもあったそうです。

光琳は生涯で妻と妾が合わせて6人、子どもが7人いて1人は早世、数人を養子に出しました。
細井つねから子の認知をめぐり訴えられた際には屋敷や諸道具、金子を差出しています。
5番目の子寿市郎が養子に入った小西彦五郎(銀座役人)の家に尾形家の遺品が伝わり、
今日において光琳や乾山の生涯を知るための貴重な資料となっています。
2015_04
24
(Fri)23:56

ダイアナ・ウィン・ジョーンズのファンタジーランド観光案内。

教文館で開催中の佐竹美保さんの展覧会に行ってきました。

佐竹さんはSFやファンタジーの表紙絵や挿絵でご活躍中の画家さんで、
書店で彼女の絵を見ない日はないというくらい、幅広いジャンルの表紙を描いていらっしゃいます。
虚空の守り人、シェーラひめのぼうけん、盗まれた記憶の博物館、勾玉シリーズノベルス版、
ハウルの動く城シリーズ、魔女の宅急便、黒い兄弟、サラシナ、竜が呼んだ娘などなど
大好きなものからまだ読んでなくてタイトル思い出せない本まで様々!
今回はそんな中からダイアナ・ウィン・ジョーンズさんの本につけた絵と
大伴家持を描いた絵本の原画が見られるとのことでワクワクしながら銀座へ。
(ところで教文館はかつて村岡花子さんが勤めておられた出版社でもありますな)

satakem3.jpg
まずは教文館6階、小さなギャラリーで行われている展示に行きました。
「春の苑紅にほふ桃の花 下照る道に出で立つ娘子」(万葉集19巻4139番)をもとに
奈良時代後期に大伴家持が越中守として過ごした5年間を描いた
絵本『春の苑紅にほふ はじめての越中万葉』の原画展です。
絵本を企画した富山県は佐竹さんの出身地だそうだ。
こちらに少し内容紹介がございますのでどうぞ、絵も見られます)

展示室はちょうど誰もいなくてゆっくり鑑賞できました~。
家持をはじめとする人物がすばらしいし、静謐で美しい風景画にため息しか出なくて
室内をぐーるぐーる回ってしまった。
絵本原画のため文字が入ってない状態で見られたのもよかった^^
鵜飼たちの絵と、家持の妻が桃の花に囲まれている絵が特に美しくて
絵から光があふれ出てくるとでもいえばいいのでしょうか、
松明に照らされた人物と夜の紫色、咲き誇る桃のピンクと薄紅色が
やさしいグラデーションで表現されていました。
あと馬に乗って延槻川をわたる家持が神がかり的なかっこよさで夢に出てきてほしいレベル。

ギャラリーの入口に絵本が平積みされていたので脊髄反射でレジに持ってっちゃったよ、
表紙の家持が優雅で美しい~☆
店員さんに「9階の展示はご覧になりました?」と聞かれたので、これから行きますと答えたら
割引券がいただけました!やっほう。

そんなわけで、9階の「ファンタジーを描く」展へ。(こちらは有料)
satakem1.jpg
「佐竹美保のダイアナ・ウィン・ジョーンズの世界」と題して
佐竹さんがジョーンズさんの本に描いてきた原画の数々が
ご本人のコメントが添えられて100点以上も展示されています。
徳間書店の本だけでも20冊以上のジョーンズ作品に挿絵をつけてらして、
東京創元社や早川書房なども合わせると40冊くらいあるんじゃないかな…。
ジョーンズさんは「世界中の挿絵画家の中で、彼女の絵が一番好き」とおっしゃっていたとか。
わたしもそう思います~ジョーンズワールドは佐竹さんの絵がぴったりだと思う!

こちらは6階の展示とは打って変わってファンタジックな絵のオンパレードです(笑)。
特に広いフロアってわけでもないのですが、人少なかったし作品の間近まで寄れるしで
ゆうに1時間半はいたな~。
画材や紙の種類、主線や色塗り、ホワイトや絵の具のタッチまで
印刷ではわからない部分も見られて感動しました。
グリフィンの年の原画がなんか持ってる文庫の表紙と違う印象がして、なんでだろうと思ったら
原画の群青の空の上にあるピンクの空が文庫では切られて群青だけになっているとわかって
こういうのも原画展示のいいところだなあと思いました。
何より佐竹さんのセンスがすばらしいなって改めて。
ジョーンズさんの物語っておもちゃ箱みたいで色んな要素や小物や伏線やギミックが
ぎゅーっと濃縮されてぐっちゃぐちゃになってるのが魅力なんですけど、
佐竹さんも負けずに詰め込んで描いてますよね。
読み終えた後パタリと本を閉じて、さあ今回の表紙や裏表紙には作中の何があるかな?と
探すのがジョーンズ×佐竹本の醍醐味だよね!
本を楽しんで、「これあれだ」「これもあったー」って絵でも楽しめる。
あと、今回は展示されてないけど挿絵のほかに作品世界の地図なども本に添えてくださるので
ジョーンズさんのファンタジー世界を解説してもらってる気持ちになれます。
しかも「ああ、そうそう、こんなのを想像してたの!」って
わたし(読み手)の想像にどんぴしゃな絵や図を描いてくださるから、余計好きになっちゃうよね。

面白かったのがキャプション代わりに添えられている佐竹さんのコメントたち。
佐竹さんの文章ってあまり読んだことないのですが、
こんなに面白いこと書かれる方だったとは(^ω^)。
ダークホルムの表紙で「豚さんが見ているのは、あなたです」とか
牢の中の貴婦人は「天井から覗いているあなたを女性が見上げた図」とか
七人の魔法使いの表紙には「ジョーンズさんを登場させました」とか
キャットと魔法の卵は「ギー、バッタンと音が聞こえてくる感じ」とか
鬼がいるの表紙で「作中に出てきたバレリーナ人形が大変なことになっています。遊びです」とか
魔法×3の表紙が瓶詰ぎゅうぎゅうなのは読み終えたときの佐竹さんの頭の中だったとか
「わかるわかる」から「なんじゃそりゃ!」まで
制作裏話や佐竹さんが仕込んだ秘密がいっぱいでした。
シリーズものは関連性を持たせることもあって、たとえがクレストマンシーシリーズの4冊は
「魔法使いはだれだで上から下へ、クリストファーで下から上へ、
魔女と暮らせばでぐるりと回し、トニーノで前に飛び出して
魔法がいっぱいでお風呂の水を抜くように真ん中に吸い込みました」そうな(笑)。
魔法使いはだれだの裏表紙に描いた赤ちゃん靴下の絵を
ジョーンズさんが大笑いしてくださったというエピソードが宝物なんですって^^

展示室中央のケースには佐竹さんの机の上の様子が再現されていまして
画材やスケッチブックはもちろん、筆バケツやハサミや拡大鏡代わりのメガネ、
描くための資料群や編集者さんとのやり取りを記したポストイットまであった(笑)。
小さくなって使えない消しゴムや、使い切った絵の具のチューブに針金で手足をつけて
"ケシゴムシ"と名づけてテーブルから逃げ出そうとするみたいにして展示されていたのが
まっくろくろすけみたいでかわいくて、
わーこれ今度やってみよう!って思った(゚∀゚)☆
絵の具はカラーインクや水彩などがありましたが、コピックがあったのが
わたしもコピッカーなので個人的に感動。
『アーヤと魔女』はコピックで塗ったそうです!言われてみれば確かにあの色はコピックだったね。

イギリスやアメリカで出されたジョーンズ作品の原書も展示されていて、
佐竹さんの絵で見慣れている身としてはなんか不思議な感じ…。
佐竹さんとは全然別のシーンを表紙にしている本がほとんどですが
七人の魔法使いのゴロツキの表紙登場率が異様に高くて
ゴロツキは画家にとって面白い題材なのかもしれないなあと思った。
泣きそうになったのが、佐竹さんが「ミステリーズ!」47号に寄稿したジョーンズさんへの追悼文。
わたし発売当初読めなくて、初めてここで読んだのですが
部屋が散らかりっぱなしのクレストマンシーのもとへ
「なんてめちゃくちゃな世界なの!」と言いながらダイアナおばさんが踏み込んでいくくだりは
そうだったらいいなと思っていたことを代弁していただいた気がしてガチ泣きしそうに。
魔法泥棒の表紙コメントに「たぶんジョーンズさんは今頃こんな風に
ファンタジーの世界を旅していらっしゃるのでは」とあって、これもうんうんってうなずきました。
佐竹さんとジョーンズさんは直接会ったことはないそうですが
本を通して十数年おつき合いしてこられたんだなあと年月をしみじみ感じました。

satakem2.jpg
「撮影可能スポット」とイラストつきで展示されていたパネル。
『アーヤと魔女』の挿絵の下絵で、
ベラ・ヤーガの家で奮闘するアーヤが生き生きしています!すごい描きこみ!
近くには佐竹さんお手製のヤーガ人形もありまして、毒々しい色ですがすごくかわいくて
展示室入口にいた田中薫子氏作のボス人形と一緒に連れて帰りたかった。

そしてですね…!
会場の奥には小さなテーブルがあって画材が置かれているのですが
なんのためかというと、佐竹さんご本人が在廊されるためだったりします。
そうですご本人に会える日があるんです!お話できるチャンス☆→こちら
わたしが行った日にもいらっしゃって、有難いことに6階で購入した絵本にサインをいただけて
たくさんお話してくださいました!
さっきの佐竹さんの机の上再現展示にあった豚ちゃん写真は
ダークホルムを描くときモデルにしたそうですが、本当にたまたま巡り合えたもので
「豚が正面向いてる写真がなかなかなくてね~」と、資料さがしのご苦労もしのばれました。
絵は全体を決めて背景から描いていくそうですが、
画材は特に種類で分けたりはせず机に雑然と置いておいて描くときに探すとのことで
うわっそれわたしと同じ…ってちょっとうれしくなった。
「小学校の図工用の絵の具、あれ全然固まらなくて使いやすいよ」などなど
画材についても教えていただいたり。
あと、美術館のお話ができたのがすごくうれしかった!
佐竹さんもよく各地へ行かれるそうですが、特に科博がお好きとのことで
アファール猿人の再現模型(通称「ルーシーちゃん」)によく会いに行かれるとか
ヒカリ展できれいな石をたくさん見たわとか、
医は仁術展にあった解剖の絵がリアルで当時の絵師よく描いたなって思ったとか
新美術館に行きたいとおっしゃったのでマグリット展をプッシュさせていただいたりとか
ものすごく有意義な時間でした…本当にありがとうございました!
教えてもらった六本木の豚料理のお店いつか必ず行きます。

予定の合う方ぜひぜひ行ってみてください~とっても気さくな方でしたよ☆→こちら

クレストマンシーシリーズの部屋にはクロッキー帳が置いてあって
メッセージが書けるようになっていたので思いのたけを書かせていただきました。
佐竹さん、そしてメッセージ書こうとしてうっかり前のページめくっちゃった鑑賞者の方、
日本語おかしい文章があると思いますが生暖かい目でスルーしてやってください。
隣には佐竹さんのお仕事場を撮影したアルバムが置いてありまして、
たくさんの画材や資料に囲まれた机がなんだかハウルの部屋のようで面白かった。
特に資料の山は民族衣装や動物図鑑、科学やドラゴンの本まで
洋の東西を問わずあらゆるジャンルが揃っているのが書名から垣間見られて
こんな本あるんだ!って読んでみたくなったり。
こうした調査と取材を積み重ねて葉っぱのひとつひとつから壮大な景色まで細かく描いてるから
ファンタジー絵も歴史絵も立体感と説得力があるんですね…。
佐竹さんの絵を見ているとキャラや世界が二次元から立ちのぼってくるような気がします。
3Dみたくぽーんと飛び出してるんじゃなく、どちらかというとランプの魔神みたいな
あくまで立ちのぼって空中に留まってるイメージ。
(そういえばジョーンズさんの物語も、魔法がキラキラーって光るだけじゃなく
植物や家具や食べ物など身近なものが魔法で動くことがよくあって
そういう部分も強いリアリティを持つファンタジーとして構築している要素のひとつだと思う)
「窓から見える夕焼け」とコメントがついた写真にほおってため息が出ましたが
「オオスズメバチに驚く人体模型」の写真には大笑いしました。
本当におもしろい方だ~!

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教文館を出たら目の前の松屋銀座がこんなだったのでパチリ。
ミッフィー展が開催中だそうです。かわいい。
2015_03
15
(Sun)23:45

どこまでもゆける力。

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先週、ジュンク堂池袋本店の「荻原規子 ファンタジーを語る」トークセッションに行ってきました♪
荻原さんの新作『あまねく神竜住まう国』刊行記念イベントです。
池袋店の喫茶は小ぢんまりした空間で作家さんとフラットに話せるので大好きだ~。

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ワンドリンク制につきホットティーを注文。
参加者のみなさんがひととおりドリンクでほっと一息ついた頃に時間がきて
荻原さんが真珠のネックレスをつけた白地に青模様のワンピースでご登場~☆
雑誌などでよくお見かけするお姿そのまま、とってもかわいらしい方でした。

トークというと作家さんがお客さんに向かってお話するのが一般的ですけども
今回は事前に参加者から質問を募集して、荻原さんがそれに答えてくださるという形式でした。
理由もお話くださって、ご自分だけしゃべるのは楽しくないのだとか^^
荻原さんのブログによるとご本人からの提案だったらしい)
質問の募集は2月からあって、わたしも僭越ながらいくつか考えてお店に投函して
どんな風に答えていただけるんだろう~とウキウキしながら当日を迎えましたらば
なんと「用意してきたけど数が予想以上で間に合わなかったものもありましたので
知りたいことがある方は時間をとるので今日、この場で聞いてください」とのこと。ひゃー!
トークの申込みそのものも、募集からあっという間に席が埋まってキャンセルも一切なかったそうで
改めて荻原さんの人気の高さに驚きましたが
「遠慮せずどんどん声だしてね~」との有難いお言葉に一気に和んでトークスタート^^

質問は大まかに3種類に分けられていて、まずは「荻原さんご本人について」。
インドア派でお絵かきや人形遊びが好きだった子ども時代を過ごされた荻原さん、
作家になろうと思ったきっかけはナルニア国物語を読んだことだったというのは
他の著書や雑誌のインタビューなどで聞いたことがあるな~。
アスランを始め「物言う獣」の存在が印象的だったとか。
生まれ変わるなら何になりたいか?という質問にはきっぱり「鳥になりたい」。
自分の下に空間がある生活がしたいとのこと、わかるわかるって思った。
紫式部派か清少納言派か?という質問へのお答えが
「清少納言のファン!内省的な紫式部は自分だと思う」とおっしゃって
わわ、なにそれわたしも同じこと考えてましたって言いたかった…言えなかったけど(^^;)。
「枕草子の良さは中宮定子の性格の良さにあると思う。てか、定子に会いたい!」って
ファンのように語る荻原さんに会場から「アア~」と歓声があがっていて笑ってしまいました^^
(ちなみに荻原さんにとって源氏物語は「大人にならないとわからないもの、
なってから読んでもよくわからないもの」だそうで、これも同じ同じって思いました。
ユーミンの歌のように(!)原文が良くて、恋愛の背景に草花など季節が見えるのは
源氏の頃から日本人の心性にくいこんでいると考えていらっしゃるとか)

次に「創作方法について」。
お話を思いつくのは電車の中やコーヒーを淹れているときやお風呂の中など
普段の生活で一瞬、ボーっとしたときが多いようで
原稿が始まると手が勝手に書いていくし、細かい場面も書くことでわかっていくのだそうです。
ラストシーンはお話を思いついたときにぼんやり見えているが、
どうやってそこへ辿り着いたらいいかその段階ではわからないとのこと。
主人公がよく恋愛をしますよね、という問いには
成長期の10代を主人公に据えることが多いせいかも、と。
カップルというか2人で1つ、補い合わなければならない2人として考えているのだそうです。
空色勾玉を思いついたのも直接古事記を書こうと思ったわけではなく、
書いていたら「あ、これ古事記だ」と気づいたとか。
既に覚えているものでないと作品に起きてこないんですって。
「そもそも空色は古事記を捨てようと思って書いたのに(使うと引きずられてしまうから)、
狭也と稚羽矢を思いついたら日月が出てきちゃったの!古い話の力は侮れません」と
苦笑交じりにおっしゃるのがすごくかわいかった^^
空色勾玉を小学生の時に読んだという参加者さんに「よく読めたね!」と誉めなさって
勾玉男子はすごくかっこいいけど憧れの本の中のヒーローはいますか?という質問には
アーサー・ランサムのトム・ダンチョン(『オオバンクラブの無法者』)が好き、
好きな子がいると読めるよね、と笑っていらっしゃいました。
本の表紙を決めるのは編集さんにお任せしているそうですが
なかがわちひろさんと佐竹美保さんについては荻原さんのリクエストだそうです。

ファンタジーとSFについてどう思いますか?という深い質問に対しても
両者の境界は接近していると思う、SFは科学的な説明があるけど
ファンタジーは魔法が使えても理屈はいらないよね、でもわたしは理屈を作る方なんですと答えてらして
ああ、だから西魔女やRDGはああなんだな…と思った。
少女マンガのSFが好きで、萩尾望都さんなどSFにもファンタジーが出てくる漫画はよくあるし、
ジャンルはあくまで便宜上でひとつひとつの作品は簡単にはくくれなくて
作家の好きなものが出てきてSFとかファンタジーとか呼ばれるのかなと思う…というのも
わたしがずっと考えてきたことを言葉にしていただいた思いで感動しました。
勾玉三部作や風神、新刊の神竜のスタイルについては
歴史小説を書いているつもりはなく隙間を見つけて書きたいものを書いている、と。
(歴史って調べてるとハマっちゃうよねとおっしゃって会場から同意の笑いが起きていました^^)
書ききれなかったエピソードは次回作に活かしますか?という質問に
書くときは全力だから考えないけど、時間が経つとあれも、これも…と思うことはあって
スピンオフを書いてみたくなることもあるそうです。
寝かせているものはいくつかあるけど、次を書くために大切にしておきたいとか。

登場人物の名前で最初に決まるのは主人公だそうです☆
名づけは大事で、二度と変えない!と思うくらい気に入ると作品の何割かはできてる、との言葉に
なんだか陰陽師の呪を思い出しました。。
名前に真がつく子が多いと思う、という質問には「意識してなかった」と答えつつも
特にRDGの三つ子は「最初に真夏が出てきて、次に真響、真澄にしました。3人だから目立ったね」と
苦笑されていました。
キャラクターのビジュアルは何となく雰囲気が浮かぶだけだそうですが
誰かが描いた絵を見てもちがう、とはあまり思わないとかで
「絶対こんな顔って決めても意味ないからみんな自分好みに想像してね」とのことでした。
すてきだ。
主人公が勝気な女の子になる理由は、
1988年出版の空色勾玉の頃はまだ元気な女の子主人公の物語が少なかったからだと。
「ファンタジーは自分が隠れれば隠れるほど、つまり自分と違う子を書くとよい世界になります」との
言葉が、ちょっと考えたことなかったのでびっくりしました。

続いては、お待ちかねの(笑)「作品について。別名、マニアックな質問コーナー」。
これが一番数が多かったそうです(笑)。

まず空色勾玉について。
玉の御統が8色である理由は、みすまるの語源はスバルの六連星なのだけど
どこかに7つめの星があって昔は目の検査に使われたことがあるというのを知って
7つもいいけどせっかくだから8個にしよう、
昔から8という数字は深い意味を持つし、首飾りとしても8個ほしかったから、とのこと。
(闇・輝の2つの勾玉は届けられることはなく今も闇の大神の手元にあるとのこと)
白鳥異伝は菅流についての質問が多くて彼の人気が伺えました(笑)。
髪の色は真っ赤というわけではなく東洋人としての赤さ、
衣装はノベルスの表紙に佐竹さんが描いてくれたものが一番近い、
物語のその後は象子と一緒に伊津母の指導者になっている、
漁師の父親を嵐で、その後母を亡くして10代前半くらいにひとりになって淋しかったと思うけど
一族に育てられたから生活には困らなかったと思う、
玉造の腕は遠子が一目で見抜いているくらいだからそんなに高くはない、
生まれ月は決めてないけどおうし座っぽいよね(笑)、など、など。
荻原さんもマシンガン質問者さんに対して「彼のことが知りたいのね」と微笑んでいらっしゃって
マジで女神さまに見えました。すてきなだ~(´∀`)☆
薄紅天女への質問も負けずにディープで、
竹芝の家は大きな農家のイメージで母屋(跡継ぎの住まい)を中心にいくつか建物があって
井戸のある中庭は有事の際に人々や武器を集められるくらいの広さで
藤太と阿高は結婚したら同じ敷地内に住んで食事はみんな母屋で
子どもができたら敷地外に家を建てて独立するかもね、と。
阿高はふだんは苑上を鈴と呼んでいて、2人きりのときは本名を呼んだとのこと。
苑上は内親王だったから農家の人間としてはトンチンカンで、
千種がつきっきりで教えてすごく仲良くなっちゃって二連の脅威になった!とか。なんですと!(笑)

西魔女はもともと荻原さんが学生サークルでお友達と作ったお話が元になっていて
主人公の名前はアラヴィスだったのをフィリエルに変えたけど
ルーンはルーンだったそうです(ルンペルシュツルツキンの設定は後からつけた)。
女王と一の騎士の関係についての「蜂社会だと思う」とのお言葉にどよめきが(笑)。
騎士たちは重要だけど使い捨てという危険な地位で、女王は事実婚で夫がたくさんいたとか
アデイルが「同じ家から騎士を出すとうまくいかない」と言ったのは
小さい頃から一緒にいるとずっと幼馴染でしかいられない…というあてつけだとか。
フィリエルとアデイルは同年だけどどちらが年上?という質問には
アデイルの方がしっかりしてるけど生まれはフィリエルが早いと思う、とのこと。
レアンドラが奴隷のふりをして東の国に乗り込む話やティガとルーンの出会いも書いてみたいが
今は取り掛かる時期ではない、とも。
ティガとアデイルの再会を「あると思う」とおっしゃる荻原さんに
質問者さんが「ユーシスに焦ってほしくて!」と言うと「悠長だもんねあの人」と返してらして
何だか世間話みたいでおもしろかった(笑)。
風神秘抄の糸世が飛ばされた場所についてはやはり多くの質問があったようで
樹上かRDGの世界とつながっているかと考えた方もいらっしゃるそうです。
荻原さんの返答は「素材が同じなので、ありえます」でした。
糸世にとっての忉利天が現代なのかどうかはわからないけれど、
たぶん飛ばされた先にはある程度長くいて、そこの人が糸世がいた時代について調べてくれて
未来を知ってしまった可能性もあって
(草十郎も笛を吹いたときに見ているから2人は頼朝のところに行ったんだと思う、とも)、
だからいい場所だけど一刻も早く元の世界に帰りたかった…というのは裏設定だから
みなさんは考えなくていいです、ともおっしゃられました(笑)。
あと、喪山の位置は白鳥で考えると美濃で、風神で考えると飛騨だがどちらか?の問いは
「鳥彦王が適当に言っただけ」という答えでみんな爆笑しました^^
カラスだから人間の地理がわかってなくて、おばばから聞いた知識しかないそうです。
かわいい(^q^)

RDG(レッドデータガール)で雪政と泉水子の高尾山デートについて
「待ち合わせの時間を決めなかったのに雪政はいつから待っていたのか?」とか
「雪政と紫子の出会いはいつか?」など、雪政の人気ぶりが(笑)。
高尾山デートのときは、山伏ネットワークを駆使して近くの知り合いの家に泊まって
翌朝も早朝から「泉水子が来るから…」とずっと待っていたという衝撃の回答が!
「プレイボーイですから」とさらっと言う荻原さんにプロの神髄を見ました。。
雪政が紫子さんに会ったのは学生時代で、修行時代から大成さんとも仲良しだったけど
その大成さんが紫子さんと仲良くなるのを見ながら成長していったという
なかなかドラマティックな裏設定ががが。
姫神の「天から受け取るための手、下々に与えるための手」のセリフは
変なことを言う人だなって思っていただければいいとのことで
深行が姫神の左手を取った理由はたまたまそのタイミングだったわけだけど
姫神としては「ほう、そっちを取るか」と思ったかもしれない、と。
みゆっきーはあれで完全に姫神に気に入られたよね…(^^)。
印象的だったのが、真夏がものすごく好き!って感じの人が
「真夏は長く生きられますか?」と声を震わせながら質問なさっていて
「だいじょうぶ。科学は進歩しているし、希望はあるよ」と力強く答える荻原さんが
やっぱり女神様に見えました☆
会場の雰囲気も「ああ、よかった…」みたいなほのぼの空気に包まれたし^^
前にも書いたけど、彼らは3人そろって無敵なので作者さんのお墨付きがあるとホッとしますね。
これかぎのハールーンとひろみの再会は、現代を舞台に書く予定ではあったけど
いろいろこじれて樹上になりましたとおっしゃられた。
(樹上にハールーンが出ないのはひろみちゃんが好きになる子がハールーンだからで
夏郎くんはちょっとイメージ違うけど、まあいいか、というのがラスト。
ちなみに夏郎くんはダイレクトにひろみちゃんが好きだそうです♪)
樹上は、これも前に聞いた気がするけど高校生活を書き残しておきたかったとのことで
荻原さんの中では別個の作品なんだとか。
ひろみちゃんは、荻原さんにもっとも近い主人公だそうです。
鳴海くんは有理さんの家で育った時期があって親戚関係もろもろこじれたらしいですが
眼鏡は別に伊達ではないとか。


とまあ、こんな感じで事前に寄せられた質問に答えた後もどんどん手が挙がって
どんどんディープな質問が出てきて荻原さんの回答もディープで
ものすごい濃密な時間でした(^◇^)。
それぞれの作品についてランダムに聞かれても、パッと切り替えて返答なさる荻原さんすごかったです。
お答えに対してさらに質問が飛んでさらに返答があって会場が湧くこともあって、
これは荻原さんや参加者さんの中でもっと話が膨らんで花開いて
しばらくしてネット検索したら新刊情報や良質な二次創作がたくさん見られるのかもしれないと思うと
勝手に楽しみになったりしました☆
物語って広がるよなあ…。

わたしの事前質問にも答えてくださいまして、休日の過ごし方は?というのには
「休日っていうか、暇なときにしていることは読書したりネットでアニメを見ること」とおっしゃって
ああそうか、専業の方は出勤しないもんな…と考えが足りなかったことを反省しました。
熊野についても聞かせていただいたのですが「伊勢とは違った古代の雰囲気の場所だよね、
熊野では断然、大斎原がお気に入り!霊感はないけどあそこに行ったら何かあるって感じた!」と
興奮気味におっしゃったのが印象的でした。
大斎原はおととしの熊野旅行でちょっとしか寄れなかったけど
確かに何かありそうな場所だったのでやっぱりそうなんだな…と思いました。

で、今まで書いてきたとおり本当に何でも聞ける雰囲気だったので
当日、気持ちを奮い立たせて会場で手を上げて
ずっと疑問に思っていた作中のセリフについて質問してみました。
空色勾玉の前半で、「死んじゃったらもう会えない」と言う狭也に鳥彦が「おれは死なないよ。
一度闇の大神の御前に戻るだけ。また会いに行くよ」みたいなセリフをしれっと言うシーンについて
ここで彼は闇の一族の知識を口にしているのか
それとも実際に何度か生まれ変わってそれを記憶していて、経験に基づいて言っているのか
いまいち判断がつかなかったのでずっと知りたくて…。
荻原さんの答えは「闇一族の常識ですね。岩姫や王たちからそう教え込まれていて
本気で思っているので、過去の記憶はないけどそうだと信じています」というような内容でした。
緊張のあまりマイクを持つ手も震えてたのでうろ覚えなのですが…^^;
「迷いがないように見えたので」と言葉をつぐと、荻原さんも「迷いはないですね」ときっぱり。
ああやっぱり迷わなかったんだな…だから前半クライマックスで捕まって足を折られても
あんなに冷静でやんちゃでいられたんだなあとしみじみ思いました。
鳥彦は結局、カラスになって帰ってきて
わたし初めてあのシーン読んだときすごくうれしかったけど同時にすごくショックで
だから白鳥異伝と風神秘抄を読み終わったとき感想が「カ ラ ス !!」しかなくて(泣笑)。
荻原さん本当に本当にありがとうございました!


新作もトークセッション前に読んだのですが、ひさびさの和ファンタジーで面白かったです。
流罪になった源頼朝が伊豆の土地神と対決する物語で、
風神秘抄の主人公だった草十郎と糸世も活躍するので風神の続編でもありますな。
糸世が頼朝を「しおりちゃん」と呼ぶシーンと
草十郎が糸世を本物かどうか確かめようとするシーンがよかったなあ。(結局カラス)
読みながら、そういえば風神でそんなことあったよねって思い出したことも多くて
今度は2冊続けて読み返したいです。
(で、その後きっと鳥彦王のルーツを読み返したくなって勾玉三部作に手が伸びるんだろうな)

あと、このトークセッションが行われた3月11日は源頼朝の伊豆流罪が決まった日でもありまして。
(鎌倉時代の僧侶慈円が記した『愚管抄』第5巻に
「義朝が子の頼朝をば伊豆国へ同く流しやりてけり。
同き(1160年)三月十一日にぞ、この流刑どもは行はれける」とあるのです)
わーいぜひお伝えしよう!と思ってメモしてトーク中の途中までは覚えていたのに!
しかも質問できる時間をいただけたにも関わらず!!
鳥彦のことで頭がいっぱいだったのと緊張のあまりすっかり忘れて伝えることができませんでした…。
ばかああぁぁ(゚Д゚)
ので、チラシと一緒に渡されたメッセージカードに書いて店員さんにお渡ししました。
よりによって伊豆の頼朝本の刊行イベントが頼朝伊豆流罪決定の日に行われるとは。たまたまだろうけど。

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2014_11
07
(Fri)23:53

小さな動物はしっぽに弓を持っている。

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思いがけず招待券をいただけたので(O先生ありがとうございました!)、
横浜そごう美術館の「トーベ・ヤンソン展 - ムーミンと生きる」に行ってきました♪
トーベ・ヤンソン生誕100周年を記念してフィンランドで行われた回顧展が
日本にやって来て今後は北海道や新潟なども巡回するそうですよ~。
フィンランドのご親族や美術館に所蔵されている原画や遺品の展示が中心で
ムーミンはもちろん、アリスやホビットの挿絵や生涯描き続けた油彩画、スケッチや習作、
手作りのジオラマのほかにヤンソンの映像や音声などもあって
まさに「人間トーベ・ヤンソン」がまるごとわかる内容でした。
入口パネルにでかでかと再現された「Tove Jansson」のサインが超かっこいい。

ムーミンは大好きで本も読んでいますが、実はヤンソン本人については何も知らなかったので
(ムーミンシリーズやアリスの本の巻末解説で簡単な経歴について記憶していただけでした)、
今日は一から学んでこよう~とウキウキしながら展示室にin。
幼少期のお絵かきや学生時代の油彩画(ストックホルム、ヘルシンキ、パリ等で学んだらしい)の
主線の太さにびっくりしました。
ムーミンを見慣れていたせいか細かいタッチで描くイメージがあったので…。
ヤンソンはすでに10代で絵の仕事を始めていて、学業のかたわら個展も開き、
絵の師だったサム・ヴァンニの影響か20代の頃は強い色彩を好んでいたようで
「青いヒヤシンス」は窓辺に置かれた花の色がくっきりしています。
筆のタッチも結構しっかり残っていて柔らかめのゴッホって感じなんだけど
「神秘的な風景」とか見ているとシュルレアリスムっぽくもあり
リンゴの静物画はあっさりしたセザンヌの絵ようでもあり
そういう部分はやはり20世紀の画家だなあと思いました。
ご家族の肖像画は、お母様や弟ペル・ウーロフ・ヤンソンのは正面だったり視線がこちら向きですが
本人の自画像は斜めを向いているのがほとんど。
ねえトーベ、こっち向いて。恥ずかしがらないで。

ヤンソンが表紙や記事に挿絵を描いた雑誌「GARM」もありました。
彼女は若い頃に第二次大戦を含む4度の戦争を経験しており、
絵にもそれが反映されているそうです。
ヴァイキングとヒトラーとダイナマイトの樽に座った男性の3人が
同時にマッチに火をつけようとするカリカチュアとかすごくて、
これを戦時中に出版できたというのもすごい…フィンランドって昔から意識高い国ですね…。
ラップランド戦争のイラストに小さくTove(トーベ)と書かれたサインには
ムーミン(スノークかな?)に似たキャラクターもくっついています。
身体はまんまるですが鼻が細くて目も小さい、でもかわいい。
ヤンソンが「一種の逃避」と表現してムーミンを描いた最初の本『小さなトロールと大きな洪水』の出版が
1945年だったと知って顎が外れるほどびっくりしました。来年で70年じゃないかー。
続く『ムーミン谷の彗星』もハラハラドキドキする大冒険小説でとても大好きな本なのですが
ヤンソンの人生を知ってみるとすごく終末観の漂う内容にも思えてきて
もう一度読み返したらきっと違った印象を受けるだろうな…。

そんなムーミン、挿絵やマンガの原稿がたっぷりあります(*´∀`*)。
あわあわムーミンが、スナフキンが、スニフが、スノークのお嬢さんが、ミィが、ミムラねえさんが、
ヘムレンさん、ニョロニョロ、ひこうおに、モラン、パパママも!
インクペンのベタと掛け網と空白だけで表現された白黒ムーミンの世界…うわあ懐かしい…!
結構、ざっくりした線ですけど手描きの味わいがすさまじいです。
挿絵は小さな小さな原稿で、マンガ原稿はふつうに雑誌サイズでしたが
ペン画の完成原稿と鉛筆画の習作が並んでいるのもありまして
いや、習作っていうかネームだよこれ!(感動)
この時代からネームと原稿は別々だったんだな…。
トレーシングペーパーを使った原稿もあって、所々変色もしててこれ保存大変じゃないのかな、
ダンスしてるパパとママの大きな絵がとっても素敵でした~!
「滞在 - ヴィヴェカとトーベ」のヤンソンの授賞式についてきたムーミン谷のキャラクターたちが
わくわくしてるのもすごくかわいい。
ニョロニョロの原型を描いたっぽい絵もありましたが、手足が生えていて緑色で
どう見ても今のニョロニョロの方がかわいさも不気味さも上回っている。
(ところでニョロニョロやモランみたいな生き物って、
ヤンソンと同じ北欧の作家リンドグレーンの『山賊の娘ローニャ』に出てくる灰色小人や鳥女とか
アスビョルンセンの『三匹のやぎのがらがらどん』のトロルとかに存在としては似てるのかな…。
あとラップランドの地名を初めて知ったのはラーゲルレーヴの『ニルスのふしぎな旅』だ)

ムーミンの原型は、ヤンソンが姉弟げんかをしたときトイレの壁に描いたという落書きと
叔父さんから「悪さをするとムーミントロールが首に息を吹きかけてくるよ」と聞いたことから
着想したといわれています。
叔父さんは"ムーミン"の名前をどこで聞いたんだろう…それともとっさに思いついたのかな…。
そして何冊か出版されていくうえで物語の内容も
大冒険からキャラクターの関係性中心へと変化していっているのがわかるようです。
特に『ムーミン谷の十一月』はヤンソンの身内に不幸があったことが色濃く反映されているとか。
…本当に読み返したくなってきた!

ヤンソンはムーミンのマンガ連載を10年ほど続けた後、
弟に連載を任せて1960年代から再び絵画を描き始めたそうです。
1975年の自画像でようやく真正面を向いたかと思ったら力強さが爆発してる。
若い頃よりもっと線が太くなって、たたきつけるように置かれる色はムンクのようなタッチで
でも配色が絶妙なのが本当にすごいな…!
この頃から一緒に暮らし始めたトゥーリッキ・ピエティラの作業風景を描いた「アーティスト」も
タッチは骨太ですが色遣いがパステル風でやさしい~。
水彩画のムーミンの絵も柔らかなブルーグレーでした。

展示室の真ん中には。
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ヤンソンが夏を過ごしたバルト海のクルーヴ島(ハル)の小屋が実物大で再現されていました☆
おおこれが…かつてまことしやかに噂された伝説の…!(そんな噂はない)
割と雑然とした散らかりようで、そのうちヤンソンがふらりと現れて机に向かいそうな雰囲気!
奥の棚にはムーミン一家の小さなフィギュアがありました。

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こういう台所って好き。

近くにはクルーヴ島の模型や、弟のペルさんが撮影した島での生活を楽しむヤンソンの写真が
パネルに大きく引き伸ばされて展示されていました。
日本で購入したという8ミリカメラで撮影されたヤンソンとピエティラの映像も上映されていて
ヤンソンが海で水泳するのとか、小屋の外で陽気にダンスをする様子などが見られます。
ナレーションは本人が直々に入れていました。
ひいぃ~~トーベの肉声!落ち着いたハスキーヴォイスでした…初めて聴いたよ。

ヤンソンはムーミンの他にも絵本の挿絵を描いていまして、
ホビットの冒険や不思議の国のアリスの原画がカラーも含めて展示してありました。
トールキンとキャロルが書いた濃密なあの世界観も
ヤンソンが描くとかわいらしくふわふわした不思議な印象になるからおもしろい。
ビルボは背が縮んだスナフキンに見えるし、マッドハッターも年取ったスナフキンに見えてしまって
自分がいかにスナフキンが好きか改めて思い知ることになったほかは
ムーミンで見たタッチがそこここに散見されて和んでおりました(´ω`)。
(ってか、無理もないけどアリスの絵は思いっきりジョン・テニエルに引っ張られてますな…
クロケー場にチェシャ猫が出てくる構図とかそっくりだし…
というか、ヤンソンのアリス絵にどことなくエドワード・ゴーリーを連想するのは
2人とも猫好きで、しかも猫を描くタッチがそっくりだからかもしれない)
不思議なメガネを拾ったスサンナがムーミン谷に行く『ムーミン谷へのふしぎな旅』のカラー原画は
とても大きく色彩豊かで、
これ絵本だったらページをめくるとパーッと光が溢れてくるみたいに見えそうで
そういう意味でもインパクトのある絵だなと思いました。
あと、ヤンソンは自国の保育園や病院に壁画を描いてもいて
その習作と、実際に描かれた絵の写真と、施設を赤点で示した地図が並んでいました。
特に病院の、ムーミン谷のキャラクターたちが大行進をする絵が明るくていいなあ。

ムーミンの小説に出てくるシーンを再現したジオラマ模型も4つほどありまして、
ヤンソンとピエティラの共同制作だそうです。
ムーミンのシリーズがひと段落したあたりから少しずつ作り始めて晩年は没頭していたとか。
暖炉であたたまるムーミン一家とスノークのお嬢さんのほんわかした雰囲気、
おさびし山に向かうヘムレンさんは張り切っててかわいい☆
ヤンソンが使っていた大型のパレット(絵の具が大量にこびりついてる)の裏にはTuulikkiの署名があり
ピエティラが制作したものであることがわかります。
このパレットからあの迫力のある油絵が生み出されていたんですね。

展示室出口の近くでは1991年に放送されたムーミンのアニメの上映も!
わああ懐かしい~~観てた観てた!
高山みなみさんのムーミンと大塚明夫氏のパパ、子安武人氏のスナフキン大好きだったなあ。
(冬眠前にスナフキンからハーモニカを預かるムーミンと、
ムーミンが冬眠から目覚めるとき間に合わなくて八つ当たりするスナフキンが好き)

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出口にあるヤンソンとムーミン谷の仲間たちのパネル。
一緒に写真が撮れますよ。

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3階の特設ショップにもムーミングッズがたくさんありました~。
限定品が多くて財布のひもを引き締めてかからないとたちまち散財しそうです(;´∀`)。
写真は撮影可のジオラマ。のどかですね…。

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眠れないのかな?(笑)

そういえば来年にムーミンの新作アニメ映画(フィンランド製)が公開されるそうですね。→こちら
楽しみすぎるよ(*‘∀‘*)。