「わいはただただ絵が描きたいんや」「おれはただ絵が描きたいだけなんだ」
※しばらくブログの更新をゆっくりにします。次回は9日に更新予定です。
原田マハ『風神雷神』上下巻を読みました。
俵屋宗達の少年時代を描いた小説…なのですが、たぶんそれだけだったら読まなかったと思うのですが
「宗達少年が1582年の遣欧使節の少年たちと出会い彼らと一緒にイタリアまで旅をして
同じく少年時代のカラヴァッジョに会う」的なあらすじを単行本の帯で見て
なん…だと…!!??ってなって読書決定。
特に下巻の衝撃が色々とすごい、宗達くんほんとにヨーロッパ着いちゃったよ、イタリア行っちゃったよ!とか。
宗達が主人公の小説で「ピサの斜塔」って出てくるのすごいよね…!
宗達の前半生がほぼ不明だからこそ書ける物語だと思いますが
原田さんは遣欧使節の行程はもちろん、当時の日本とイタリアの時代背景もしっかり書かれて
そのうえで想像の翼を思い切りはばたかせているのが素敵でした。
存分に楽しませてもらいました。よいおうち時間を過ごせた。
1580年の肥前。準備中の遣欧使節団のもとへやってきて
長旅で絵筆が持てなくてくさくさしていたので紙と筆を要求して
巨大な紙いっぱいにつがいの鷺を描いてみせた野々村伊三郎(宗達)くん、自称14歳☆
「よっしゃ、ほな、いきまっせ」京ことばしゃべる宗達、最高!!(≧∀≦)
もうこのときの宗達は信長や永徳とも出会っていて
12歳で狩野永徳の洛中洛外図屏風の制作に参加したあげく永徳に「養子にしたい」とまで乞われるくらい
(その場でノブ様にダメって言われちゃうんだけど)実力のある少年として書かれていて、
でも全然偉ぶることなく(バカにされたら怒るけど)白い紙が目の前にあれば何かしら描いちゃったり
美術を見ればすぐ心動いたり感動して泣いたりしちゃうような、
とにかく「絵が好き」「絵が描きたい」気持ちが強い子だったりします。
小さい頃に家の近所にできた南蛮寺の聖母子像に衝撃を受けて以来、
「いつかたくさんの南蛮の絵を見る」「それらを模した絵ではなく超える己の絵を描く」と決めて
色々がんばっていたら洛中洛外図作りに巻き込まれたあげく
ノブ様に「おまえパードレたちと一緒にキリストの王の国へ行け、ローマを見てこい」と言われてしまい。。
キリスト教関係者は現地の信仰を、それ以外の者は活版印刷を学んでくるという壮大なプロジェクトだと聞いて
宗達くん顎が外れるくらいびっくりしちゃうんですけど、
ノブ様が宗達に行けといった本当の理由が「活版印刷は表向き。ローマの洛中洛外図を描いて持ってこい」
てなことだったのでさらにびっくり。。
宗達だけでなくアゴスティーノっていう名前までいただいちゃったし(宗達の名前もノブ様が与えたことになってます)
「俺様が推挙したんだから辞退はダメ」って言われて、行くしかなくなるっていう。
あわわ。この小説のノブ様もかなり強引な人だな…。
でもって使節団が長崎を出発したのは1582年2月中旬なので、本能寺の変の3か月半前なのだな…。
この物語の宗達くんは晩年のノブ様に出会ったことになるのだね。
(あとこのとき、永徳の子の孝信(探幽の父)がすでに生まれていて10代ですが
出てくるかなと思ってたけどあまり描かれてはいなかったな…。
あと永徳のもとにいた菅次郎少年は山楽だったりするんだろうか)
原マルティノくんは信心深くて常識人といいますか、
ラテン語やイタリア語がわかるので、宗達が現地で外出するときはだいたいマルティノくんがついてきてくれて
外国やキリスト教圏で過ごすコツをまったくわかっていない宗達くんに
「そういうこと言っちゃダメだよ」「これはこうするんだよ」ってひとつひとつ全部教えてくれて優しい。
みんながアゴスティーノって呼ぶ中マルティノだけは宗達って呼んでるんですよね、
宗達が洗礼を受けていないせいもあるけど、絵師の名前で呼んだ方がいいからって呼んでくれるんだよね。
「西洋の絵師は見事な絵を描くから少年ではないはず」と笑う宗達に
「日本には天賦の才を持った少年絵師がいる。そいつの名は俵屋宗達だ。だから西洋にもいるかも」って
言ってくれるマルティノかっこよすーー!!!素敵だ(*´ `*)☆
千々石ミゲルも中浦ジュリアンも伊東マンショもみんなかわいい、
彼らは生まれた年がはっきりしているわけではないけど、10代前半であったことは確かで
宗達くんも1580年の時点で14歳(自称)だからたぶん実際は12~13歳くらいですよね。
同年代として設定されているのでみんな仲がいいし、にらめっこや取っ組み合いのケンカもするし
見得を張って大口たたいたりもするし将来の不安も語り合ったりする。
遣欧使節の旅は遣隋使や遣唐使がそうだったようにとても過酷で
距離がアジアからヨーロッパまで伸びたぶん危険も増しているわけで、
少年たちは、海を渡ることが社会的にどういうことかはまだ小さいから背伸びしてわかろうとしている感じで
本質的には悟ってそうだなと思いました。
語学ができて信心深くて知識だけとはいえ外国のことも知ってて、自立してるなあ…と思うけど
ヴァリニャーノさんがゴアに残ると言い出したときに「自分がキリシタンじゃないから」だと思ってしまう宗達は
とても子どもに見えて…いや子どもだけど…なんというか、年相応に見えたのでした。
京都を出る前、宗達はお父さんから風神雷神を描いた金色の扇をもらうのですが
(この扇が色々と大活躍で、嵐の海で宗達が扇を振ってその金色で近くの船に合図したりしてる)
それは「形見のつもりで」もらっていて、以後はヴァリニャーノさんを親だと思ってきた宗達にとって
ヴァリニャーノさんがインドのイエズス会のためにローマに行かないとなったらそりゃしょんぼりしちゃうよな…。
(アレッサンドロ・ヴァリアーノはこのとき実際にローマへは行かずゴアに残っています)
宗達に日本語で話しかけてくれて、マリアやキリストではなく神の愛について教えてくれて
やさしかったヴァリニャーノさんとのお別れのシーンは泣けました。
このエピソード以降の宗達くんはちょっと精神的に強くなったように見える。
西洋史上の人物たちも次々に出てきます。
1584年10月に使節団がマドリードでフェリペ2世に謁見したとき、
なりゆきで宗達が父の扇を2世に見せる流れになるのですが
このとき2世が扇に描かれた風神雷神を「ディアブロ(diablo)」と表現したのがちょっとおもしろかったです。
空を飛んでて角が生えてたらそりゃ悪魔に見えてもおかしくはないか…。
(ただ、話はちょっとずれますが、この視点は大切だなと思ったことも確かでした。
宗達の風神雷神は、現代では「おもしろみ」「ユーモラス」「かわいい」などと言われていますが
当時もそう言われたかどうかはわからないので…。
あの絵が果たしてユーモラスかどうかは、見た人の主観でしかないのだよね)
ピサに到着してトスカーナ大公フランチェスコ1世が開いた舞踏会でコジモ1世の幽霊に会うシーンでは
ブロンズィーノの描いたエレオノーラ(妻)とジョヴァンニ(息子その2)の肖像画を見せながら
家族自慢を始めるコジモさんがかわいかったです。
(このエレオノーラとジョヴァンニの肖像画はウフィツィ美術館にあるやつかな→こちら)
メディチ家の礼拝堂でダ・ヴィンチの聖母子を見つけた宗達くんが感動のあまり動けなくなってしまうのですが
ダ・ヴィンチ見ただけでこんなになってしまうならミケランジェロとか見たらどうなってしまうのこの子…
とか思いながら読んでいたら。
最後の審判の前で声もなくして泣いたよこの子。。。゚(゚´Д`゚)゚。
すごいよヴァチカンまで行ってしまったよ宗達くん…。
システィーナの美術に圧倒されてボーっと立ち止まり見とれてしまっているのをマルティノくんに注意されますが
ヴァチカンのパオロ神父が「みなさん立ち止まりますから」って言ってくれて思う存分見られてよかったね…。
ノブ様からローマ教皇への献上品の中に例の洛中洛外図屏風があって
それを見たグレゴリウス13世が「余は今、旅をした」と感想を伝えてくれるのが素敵でした。
1585年6月から一行はイタリアの諸都市を訪問していて、ミラノにも滞在しているのですが
宗達とマルティノが散歩していて街の教会を訪れて、そこがまさかのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会で
2人で最後の晩餐を見ていたらミケランジェロ・メリージという少年がドアを開けて入ってきまして…。
待ってえええぇ宗達とカラヴァッジョが出会ってしまったよ!!(゚Д゚;≡;゚Д゚)
シャツにベスト着てるってことは果物の皮をむく少年みたいなファッションてことだろうか、
あの絵の子はシャツだけですけど…。
「おれは17歳だがおまえ年下だろ」とかマウント取る宗達くんに
「おまえらが使節団?冗談だろ」みたいな感じで信じてくれないメリージくん、
でもダ・ヴィンチの絵の話になったとたんに意気投合しちゃうのおもしろい(笑)。
「祈るより先に絵として見てしまう」「マジで??実はおれも」から始まって
ダ・ヴィンチもミケランジェロもめっちゃリスペクトしているので宗達たちがこれまで見てきた絵について話すと
「聖母子見たの!?えっ、ヴァチカンも行ったの!!?いーなー!!」って
めっちゃ羨ましがるの本当にかわいかったです(*´︶`*)。
殴り合って握手するのは少年漫画ですけど、絵を語り合って分かり合うのは何漫画というんだろう(笑)。
まだ14歳だから工房では親方や兄弟子たちの仕事の準備をやらされるだけで絵を描かせてもらえなくて
仕方なく夜になって部屋に引きこもって自主練習してたら
「おまえの部屋のろうそくの減り方が早い」って兄弟子に注意されてケンカになって
教会に懺悔しに来たけどヴェロネーゼを見たらどうでもよくなっちゃったミケランジェロ・メリージくん!
「ヴェロネーゼを見たとき、ほんものの何かを見たと思った」「それがほんものだとわかった」の感慨は
わたしにも経験があるのでよくわかりました。
子どもの頃に見る美術は、技法はわからなくてもその作品がすごいってことはわかったりするんですよね…。
さらに宗達が「ミケランジェロと名前がかぶるならダ・ヴィンチみたいに出身地の名前を名乗ったら」と提案してくれて
カラヴァッジョと名乗ることを決めるメリージくん!!
「おまえの絵を見せろ」と頼まれてスケッチを持ってきていなかった宗達くんが父の扇をわたして
「ユピテルとアイオロスだよ」って説明するのすごく素敵だし
「この先どこへ行こうとこれを連れてゆくよ」と返したカラヴァッジョくんも素敵だし
扇のお礼にと後日カラヴァッジョくんが風神雷神の絵を描いて持って来てくれるの最高にエモい。
やまと絵の風神雷神と油彩画の風神雷神の交換とか!
宗達くん、ミケランジェロにも会えるとよかったけどね…史実でもギリギリ重ならないんですよね。(1564年没)
そこも上手い。
カラヴァッジョは1584年からミラノのシモーネ・ペテルツァーノのもとで修業を始めていて
1585年6月に遣欧使節団がミラノに滞在しているのですが、
「原マルティノとカラヴァッジョが9日間だけ同じ街にいた」という史実をもとに
ここまで想像を膨らませる原田さんはすごいな…。
あとこの小説、実は上巻のプロローグと下巻のエピローグに
現代の京博に勤める学芸員の望月彩という宗達研究者が
マカオで風神雷神の絵とマルティノが残した古文書を見つけるまでのエピソードが書かれるのですが
その絵は木板に描かれた油彩画なのでたぶん少年カラヴァッジョの絵だろうと思う。
マルティノは追放先のマカオで亡くなっているのでこれも史実にあわせたフィクションですね。
史実ですと宗達くんは日本で活躍したことになっているので
カラヴァッジョの絵とともに帰国しているはずですが、絵はマルティノにあげちゃったのかな…。
学芸員さんはなぜその絵がマカオにあったかというところまでたどり着くことはできるだろうか。
(物語は古文書の研究を始めたところで終わります)
現代パートはたぶん原田さんのご経験が反映されているのだと思う。
あとわたし、原田さんて、書かれる小説のラインナップからてっきり西洋美術がご専門なのかと思っていたので
今回、宗達を書かれたと知ってびっくりしたんですよね…。
それも、この本を読んでみたいと思った理由のひとつだったりします。
『ジヴェルニーの食卓』も『モネのあしあと』も『常設展示室』も静かな物語でしたけど、
『風神雷神』は冒険譚なので迫力が違いました。いやはや。
あ、あと『たゆたえども沈まず』も読んでみたいなあ。
あと原田さんは巻末やインタビューで、この本を書くにあたり
若桑みどり氏の『クアトロ・ラガッツィ:天正少年使節と世界帝国』を読まれたと書いていらっしゃいましたな…。
わたしも後で読んでみよう。
原田マハ『風神雷神』上下巻を読みました。
俵屋宗達の少年時代を描いた小説…なのですが、たぶんそれだけだったら読まなかったと思うのですが
「宗達少年が1582年の遣欧使節の少年たちと出会い彼らと一緒にイタリアまで旅をして
同じく少年時代のカラヴァッジョに会う」的なあらすじを単行本の帯で見て
なん…だと…!!??ってなって読書決定。
特に下巻の衝撃が色々とすごい、宗達くんほんとにヨーロッパ着いちゃったよ、イタリア行っちゃったよ!とか。
宗達が主人公の小説で「ピサの斜塔」って出てくるのすごいよね…!
宗達の前半生がほぼ不明だからこそ書ける物語だと思いますが
原田さんは遣欧使節の行程はもちろん、当時の日本とイタリアの時代背景もしっかり書かれて
そのうえで想像の翼を思い切りはばたかせているのが素敵でした。
存分に楽しませてもらいました。よいおうち時間を過ごせた。
1580年の肥前。準備中の遣欧使節団のもとへやってきて
長旅で絵筆が持てなくてくさくさしていたので紙と筆を要求して
巨大な紙いっぱいにつがいの鷺を描いてみせた野々村伊三郎(宗達)くん、自称14歳☆
「よっしゃ、ほな、いきまっせ」京ことばしゃべる宗達、最高!!(≧∀≦)
もうこのときの宗達は信長や永徳とも出会っていて
12歳で狩野永徳の洛中洛外図屏風の制作に参加したあげく永徳に「養子にしたい」とまで乞われるくらい
(その場でノブ様にダメって言われちゃうんだけど)実力のある少年として書かれていて、
でも全然偉ぶることなく(バカにされたら怒るけど)白い紙が目の前にあれば何かしら描いちゃったり
美術を見ればすぐ心動いたり感動して泣いたりしちゃうような、
とにかく「絵が好き」「絵が描きたい」気持ちが強い子だったりします。
小さい頃に家の近所にできた南蛮寺の聖母子像に衝撃を受けて以来、
「いつかたくさんの南蛮の絵を見る」「それらを模した絵ではなく超える己の絵を描く」と決めて
色々がんばっていたら洛中洛外図作りに巻き込まれたあげく
ノブ様に「おまえパードレたちと一緒にキリストの王の国へ行け、ローマを見てこい」と言われてしまい。。
キリスト教関係者は現地の信仰を、それ以外の者は活版印刷を学んでくるという壮大なプロジェクトだと聞いて
宗達くん顎が外れるくらいびっくりしちゃうんですけど、
ノブ様が宗達に行けといった本当の理由が「活版印刷は表向き。ローマの洛中洛外図を描いて持ってこい」
てなことだったのでさらにびっくり。。
宗達だけでなくアゴスティーノっていう名前までいただいちゃったし(宗達の名前もノブ様が与えたことになってます)
「俺様が推挙したんだから辞退はダメ」って言われて、行くしかなくなるっていう。
あわわ。この小説のノブ様もかなり強引な人だな…。
でもって使節団が長崎を出発したのは1582年2月中旬なので、本能寺の変の3か月半前なのだな…。
この物語の宗達くんは晩年のノブ様に出会ったことになるのだね。
(あとこのとき、永徳の子の孝信(探幽の父)がすでに生まれていて10代ですが
出てくるかなと思ってたけどあまり描かれてはいなかったな…。
あと永徳のもとにいた菅次郎少年は山楽だったりするんだろうか)
原マルティノくんは信心深くて常識人といいますか、
ラテン語やイタリア語がわかるので、宗達が現地で外出するときはだいたいマルティノくんがついてきてくれて
外国やキリスト教圏で過ごすコツをまったくわかっていない宗達くんに
「そういうこと言っちゃダメだよ」「これはこうするんだよ」ってひとつひとつ全部教えてくれて優しい。
みんながアゴスティーノって呼ぶ中マルティノだけは宗達って呼んでるんですよね、
宗達が洗礼を受けていないせいもあるけど、絵師の名前で呼んだ方がいいからって呼んでくれるんだよね。
「西洋の絵師は見事な絵を描くから少年ではないはず」と笑う宗達に
「日本には天賦の才を持った少年絵師がいる。そいつの名は俵屋宗達だ。だから西洋にもいるかも」って
言ってくれるマルティノかっこよすーー!!!素敵だ(*´ `*)☆
千々石ミゲルも中浦ジュリアンも伊東マンショもみんなかわいい、
彼らは生まれた年がはっきりしているわけではないけど、10代前半であったことは確かで
宗達くんも1580年の時点で14歳(自称)だからたぶん実際は12~13歳くらいですよね。
同年代として設定されているのでみんな仲がいいし、にらめっこや取っ組み合いのケンカもするし
見得を張って大口たたいたりもするし将来の不安も語り合ったりする。
遣欧使節の旅は遣隋使や遣唐使がそうだったようにとても過酷で
距離がアジアからヨーロッパまで伸びたぶん危険も増しているわけで、
少年たちは、海を渡ることが社会的にどういうことかはまだ小さいから背伸びしてわかろうとしている感じで
本質的には悟ってそうだなと思いました。
語学ができて信心深くて知識だけとはいえ外国のことも知ってて、自立してるなあ…と思うけど
ヴァリニャーノさんがゴアに残ると言い出したときに「自分がキリシタンじゃないから」だと思ってしまう宗達は
とても子どもに見えて…いや子どもだけど…なんというか、年相応に見えたのでした。
京都を出る前、宗達はお父さんから風神雷神を描いた金色の扇をもらうのですが
(この扇が色々と大活躍で、嵐の海で宗達が扇を振ってその金色で近くの船に合図したりしてる)
それは「形見のつもりで」もらっていて、以後はヴァリニャーノさんを親だと思ってきた宗達にとって
ヴァリニャーノさんがインドのイエズス会のためにローマに行かないとなったらそりゃしょんぼりしちゃうよな…。
(アレッサンドロ・ヴァリアーノはこのとき実際にローマへは行かずゴアに残っています)
宗達に日本語で話しかけてくれて、マリアやキリストではなく神の愛について教えてくれて
やさしかったヴァリニャーノさんとのお別れのシーンは泣けました。
このエピソード以降の宗達くんはちょっと精神的に強くなったように見える。
西洋史上の人物たちも次々に出てきます。
1584年10月に使節団がマドリードでフェリペ2世に謁見したとき、
なりゆきで宗達が父の扇を2世に見せる流れになるのですが
このとき2世が扇に描かれた風神雷神を「ディアブロ(diablo)」と表現したのがちょっとおもしろかったです。
空を飛んでて角が生えてたらそりゃ悪魔に見えてもおかしくはないか…。
(ただ、話はちょっとずれますが、この視点は大切だなと思ったことも確かでした。
宗達の風神雷神は、現代では「おもしろみ」「ユーモラス」「かわいい」などと言われていますが
当時もそう言われたかどうかはわからないので…。
あの絵が果たしてユーモラスかどうかは、見た人の主観でしかないのだよね)
ピサに到着してトスカーナ大公フランチェスコ1世が開いた舞踏会でコジモ1世の幽霊に会うシーンでは
ブロンズィーノの描いたエレオノーラ(妻)とジョヴァンニ(息子その2)の肖像画を見せながら
家族自慢を始めるコジモさんがかわいかったです。
(このエレオノーラとジョヴァンニの肖像画はウフィツィ美術館にあるやつかな→こちら)
メディチ家の礼拝堂でダ・ヴィンチの聖母子を見つけた宗達くんが感動のあまり動けなくなってしまうのですが
ダ・ヴィンチ見ただけでこんなになってしまうならミケランジェロとか見たらどうなってしまうのこの子…
とか思いながら読んでいたら。
最後の審判の前で声もなくして泣いたよこの子。。。゚(゚´Д`゚)゚。
すごいよヴァチカンまで行ってしまったよ宗達くん…。
システィーナの美術に圧倒されてボーっと立ち止まり見とれてしまっているのをマルティノくんに注意されますが
ヴァチカンのパオロ神父が「みなさん立ち止まりますから」って言ってくれて思う存分見られてよかったね…。
ノブ様からローマ教皇への献上品の中に例の洛中洛外図屏風があって
それを見たグレゴリウス13世が「余は今、旅をした」と感想を伝えてくれるのが素敵でした。
1585年6月から一行はイタリアの諸都市を訪問していて、ミラノにも滞在しているのですが
宗達とマルティノが散歩していて街の教会を訪れて、そこがまさかのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会で
2人で最後の晩餐を見ていたらミケランジェロ・メリージという少年がドアを開けて入ってきまして…。
待ってえええぇ宗達とカラヴァッジョが出会ってしまったよ!!(゚Д゚;≡;゚Д゚)
シャツにベスト着てるってことは果物の皮をむく少年みたいなファッションてことだろうか、
あの絵の子はシャツだけですけど…。
「おれは17歳だがおまえ年下だろ」とかマウント取る宗達くんに
「おまえらが使節団?冗談だろ」みたいな感じで信じてくれないメリージくん、
でもダ・ヴィンチの絵の話になったとたんに意気投合しちゃうのおもしろい(笑)。
「祈るより先に絵として見てしまう」「マジで??実はおれも」から始まって
ダ・ヴィンチもミケランジェロもめっちゃリスペクトしているので宗達たちがこれまで見てきた絵について話すと
「聖母子見たの!?えっ、ヴァチカンも行ったの!!?いーなー!!」って
めっちゃ羨ましがるの本当にかわいかったです(*´︶`*)。
殴り合って握手するのは少年漫画ですけど、絵を語り合って分かり合うのは何漫画というんだろう(笑)。
まだ14歳だから工房では親方や兄弟子たちの仕事の準備をやらされるだけで絵を描かせてもらえなくて
仕方なく夜になって部屋に引きこもって自主練習してたら
「おまえの部屋のろうそくの減り方が早い」って兄弟子に注意されてケンカになって
教会に懺悔しに来たけどヴェロネーゼを見たらどうでもよくなっちゃったミケランジェロ・メリージくん!
「ヴェロネーゼを見たとき、ほんものの何かを見たと思った」「それがほんものだとわかった」の感慨は
わたしにも経験があるのでよくわかりました。
子どもの頃に見る美術は、技法はわからなくてもその作品がすごいってことはわかったりするんですよね…。
さらに宗達が「ミケランジェロと名前がかぶるならダ・ヴィンチみたいに出身地の名前を名乗ったら」と提案してくれて
カラヴァッジョと名乗ることを決めるメリージくん!!
「おまえの絵を見せろ」と頼まれてスケッチを持ってきていなかった宗達くんが父の扇をわたして
「ユピテルとアイオロスだよ」って説明するのすごく素敵だし
「この先どこへ行こうとこれを連れてゆくよ」と返したカラヴァッジョくんも素敵だし
扇のお礼にと後日カラヴァッジョくんが風神雷神の絵を描いて持って来てくれるの最高にエモい。
やまと絵の風神雷神と油彩画の風神雷神の交換とか!
宗達くん、ミケランジェロにも会えるとよかったけどね…史実でもギリギリ重ならないんですよね。(1564年没)
そこも上手い。
カラヴァッジョは1584年からミラノのシモーネ・ペテルツァーノのもとで修業を始めていて
1585年6月に遣欧使節団がミラノに滞在しているのですが、
「原マルティノとカラヴァッジョが9日間だけ同じ街にいた」という史実をもとに
ここまで想像を膨らませる原田さんはすごいな…。
あとこの小説、実は上巻のプロローグと下巻のエピローグに
現代の京博に勤める学芸員の望月彩という宗達研究者が
マカオで風神雷神の絵とマルティノが残した古文書を見つけるまでのエピソードが書かれるのですが
その絵は木板に描かれた油彩画なのでたぶん少年カラヴァッジョの絵だろうと思う。
マルティノは追放先のマカオで亡くなっているのでこれも史実にあわせたフィクションですね。
史実ですと宗達くんは日本で活躍したことになっているので
カラヴァッジョの絵とともに帰国しているはずですが、絵はマルティノにあげちゃったのかな…。
学芸員さんはなぜその絵がマカオにあったかというところまでたどり着くことはできるだろうか。
(物語は古文書の研究を始めたところで終わります)
現代パートはたぶん原田さんのご経験が反映されているのだと思う。
あとわたし、原田さんて、書かれる小説のラインナップからてっきり西洋美術がご専門なのかと思っていたので
今回、宗達を書かれたと知ってびっくりしたんですよね…。
それも、この本を読んでみたいと思った理由のひとつだったりします。
『ジヴェルニーの食卓』も『モネのあしあと』も『常設展示室』も静かな物語でしたけど、
『風神雷神』は冒険譚なので迫力が違いました。いやはや。
あ、あと『たゆたえども沈まず』も読んでみたいなあ。
あと原田さんは巻末やインタビューで、この本を書くにあたり
若桑みどり氏の『クアトロ・ラガッツィ:天正少年使節と世界帝国』を読まれたと書いていらっしゃいましたな…。
わたしも後で読んでみよう。
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