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2023_12
03
(Sun)23:57

風を食べる生き物。

TheoJansen1.jpg
千葉県立美術館のイベント「ストランドビースト in 千葉みなと会場」に行ってきました。
千葉県誕生150周年記念・オランダ文化交流事業ということで
現在、県立美術館で開催中のテオ・ヤンセン展の関連イベントで
現代美術家のヤンセン氏が制作したストランドビースト「アニマリス・オルディス」(2006年)を
千葉ポートパークの海岸に沿って動かすというものです。
(千葉県とオランダは千葉が佐倉藩だった頃から蘭学を通じて交流があり、
現在もホストタウンとして交流をしているそうです)

TheoJansen2.jpg
ポートパークに着くとすでにこんな案内板の矢印があちこちにあって
迷わずにパーク内のビーチプラザまでたどりつけました。

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わー!やってるやってる!!

TheoJansen4.jpg
これですアニマリス・オルディス!まじで歩いてる!
ちょっと動きを文章でお伝えするのは難しいので動画をご覧ください→こちら
自動車メーカーのCM用に制作され、ストランドビーストが世界的に有名になるきっかけになった作品だそうです。

テオ・ヤンセン氏はオランダの芸術家で、
彼の制作するストランドビースト(strand beest)はオランダ語で砂浜の生命体という意味だそうで
帆に風を受けて自走する作品群です。
プラスチックチューブやペットボトルを使って制作されるこのシリーズは
現在オランダが直面している海面上昇問題にヒントを得ているそうです。
人工的なエネルギーを使わず、風力のみをエネルギーとして動くビーストたちを
ヤンセン氏は「風を食べる生き物」と表現されています。

ヤンセン氏は春になるとストランドビーストシリーズの制作を始め、
夏になると地元オランダの海岸に連れて行って自由に歩かせて
秋になると連れて帰って、冬は家の中で過ごさせるそうです。
本当に生き物と生活してるみたいだ(*´▽`*)。
現在、10種類以上のビーストたちがいて
今回のイベントで海岸沿いを歩くアニマリス・オルディスは4mほどの大きさですが
大きなものだと10mを超す大きさのビーストも作っているそうです。

TheoJansen5.jpg
ご覧の通り、アニマリス・オルディスはプラスチックの骨組みに帆を張ったもので
海からの風を受けて動きます。
帆は実際に帆船に張られる布を使っているそうです。

TheoJansen6.jpg
写真撮影タイム。
アニマリス・オルディスに結んだ紐の先に重しをつけられてしまいました。
風で動かないようにという措置ですがさっきまでシャカシャカ動いている様子を見ているので
何だか気の毒になってくる。。

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アニマリス・オルディスの足は、ヤンセン氏が作ったホーリーナンバー
(コンピュータで約1500通りのシミュレーションを繰り返して生み出したメカニズムで
別名「テオ・ヤンセン機構」といいます)の脚の仕組みがとてもよくわかります。
複雑に組み立てられたたくさんの足がシャカシャカと滑らかに動いて歩きます。
動画をご覧いただくとわかるのですが、足を前後に動かすだけではなくて
人間が歩くのと同じように足を持ち上げて降ろして進むというところに生き物のような生々しさを感じる。

TheoJansen8.jpg
抽選で当選した人たちがアニマリス・オルディスを押すイベントも。
離れた場所からの見学は無料ですが、こちらは事前に申し込みが必要だったようです。
かなりの倍率だったようで、選ばれし人々ですね。

TheoJansen9.jpg
コースアウトしそうになるとスタッフさんたちが駆けつけて「よいしょ」と持ち上げて軌道修正。
なんだか手のかかる子どもみたい^^
きっとそういうところに愛着が出て、さらに生き物っぽく見えるのでしょうね。

TheoJansen10.jpg
ビーチに立つポートタワーと一緒に。
このでっかいタワーが駅からよく見えたおかげで迷わずにポートパークまで着けたんですよ、
ありがとうございました。
姫路城とかもそうですけど、駅を出て「あの建物を目指せばいいんだ」ってわかると助かりますね。
(逆に駅に戻るときは高架の線路を目指せばいいのでやっぱり助かりました)

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なんて思ってたら飛行機が横切って行った。
空にはカモメや鳶などもゆったり飛んでいました。いい天気でよかった。

TheoJansen12.jpg
イベントは午後まで続いていましたが、満足するまで見学したので離脱。
ストランドビーストシリーズは世界各地で開催されるヤンセン氏の展覧会で展示されていて、
日本でも北海道や島根などの展覧会で動かされていて
SNSで動画がバズっていたりしたので、一度動くところを見てみたいと思っていたので
よい機会があってよかったです。


TheoJansen13.jpg
せっかくなので県立美術館の展覧会も見て行こうかなと思ったのですが
とんでもなく長蛇の行列ができていて入場制限がかかって
入場までにも2時間待ちでチケットが札止め(!)になっていたので諦めました。
ポートパークのイベントの影響やこの日限りのステッカーの配布などもあり、
いつにも増して混雑してしまっていたようです。
今回わたしが一番見たかったのは海岸を歩くビーストだったので
目的は達成したのでまあ良いんですが、それにしてもすごい人気。
テオ・ヤンセン氏すっごく興味が湧いたのでまたの機会を待ちます。次は展覧会で動くビーストが見たいな。
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2023_11
19
(Sun)23:59

この秋の展示室その2。

前々回記事の続き。
東博平成館でやまと絵展を見た後で、本館の展示も見てきました。

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特集「仏画のなかのやまと絵山水」。
特別展に合わせて日本美術の中から様々なやまと絵が展示されていまして、
まずは中古の仏画から。
下村観山・本多天城・溝口禎次郎模「阿弥陀聖衆来迎図(模本)」(1896年)。
原本は平安時代後期の作品で、阿弥陀如来を中心に楽器を奏でる仏たちが描かれています。
周囲に岩山や松、からまる蔓などがやまと絵風に描かれています。

2023tohaku_124.jpg
糺晴岱模「一遍聖絵(模本)」巻第三(1840年)。
原本は1299年に法眼円伊により制作されたもので、一遍が熊野を訪れた場面が描かれます。

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模本「東大寺大仏殿縁起(模本)」巻中(19世紀)。
原本は東大寺にあり、芝琳賢という芝座(興福寺一乗院絵所)の絵師が1536年に制作したものです。
室町時代の南都のやまと絵がどんなものだったか感じられます。

2023tohaku_126.jpg
田中訥言模「平等院鳳凰堂壁画(模本)」中品上生図(19世紀)。
原本は平安時代半ばの制作、平等院創建当時のものを写しています。
鳳凰堂内の四面の壁には四季の絵が描かれていて、これは北面に描かれた春の景色。

以下、写真が多いのでたたんであります↓クリックで開きますのでどうぞ☆

続きを読む »

2023_11
11
(Sat)23:51

絵師の手技、絵師の手仕事その2。

otakinen2023.jpg
太田記念美術館の「葛飾応為「吉原格子先之図」肉筆画の魅力」に行ってきました。
3年ぶりの太田さんの肉筆画展だ~!
過去に見た作品が多かったですがまた会えてうれしかったし、
キャプションが前と変わっていたので違う視点ももらえて楽しかったです。
肉筆画は版画の展示より絶対に混むと思ったので早めに行ったつもりでしたが
やっぱりいつもの太田さんより人がいたな…。
たぶん会期末はもっと混むので見たい方はお早めに~。


葛飾北斎「羅漢図」(1846年)、葛飾応為「吉原格子先之図」(1818~60年頃)、
喜多川歌麿「美人読玉章」(寛政中期)が入口の展示ケースに並んでいました。
吉原格子先之図はあまり大きくないので近距離で見られることの有難さよ…。
(太田さんは鑑賞者が作品にめっちゃ近づいて見られることで有名です)
もう誰が見ても夜、更けた夜ですよね、真っ暗な屋外と不夜城の吉原の見世の対比。
北斎が西洋絵画を見た人なので応為もおそらく見ていますが
西洋のグラデーションをやってみたかったのかもしれないな…。
半諾迦尊者を描いた87歳の北斎せんせい、オシャレの感覚が完全に時代を超えてる、
こういう半諾迦さんみたいなファッションの人いるもん原宿とかに…。
歌麿の手紙を読む女性もいつ見ても優雅ですね。
なんだろうな、懐月堂みたいな武士っぽさじゃなく歌川派みたいな俗っぽくもない、
雅と俗がちょうどよいバランスで表現されているみたいな印象を、彼の絵からは受けます。
なんだか安定した美しさ。しかし色気はだだ漏れ。ううむ( ̄▽ ̄)☆

まずは人物を中心に描いた作品。
菱川師房「婦女読書図」(元禄頃)も懐月堂派「立美人図」(宝永~正徳頃)も再会ですな~。
懐月堂の女性たちは相変わらず凛と立っていてかっこいいです。
梅祐軒勝信「若衆立姿図」(正徳~享保頃)はこざっぱりした若衆を描いた大きな掛け軸で
初代水木辰之助が好んでしていた水木結びという帯結びをしていてかわいい。
礒田湖龍斎「雪中美人図」(安永中期)も過去に見たような、雪を避けながら歩く鼠色の着物の女性。
歌川豊国「弾琴美人図」(文政頃)は琴の前に座った女性が琴柱を立てていた、視線の先には琴柱袋。
二代歌川豊国「桜下短冊を結ぶ娘」(文政頃)は男性の背に乗って桜の枝に短冊を結び付けようとしている女の子で
女の子の着物は立派ですが男性は下男でしょうか、明らかに表現に差がありました。
歌川国芳・歌川国英の合作「浴後美人図」(弘化~嘉永頃)も見覚えがあるのでたぶんどこかで見たはず、
湯上がりで浴衣を羽織っただけの女性、肌から湯気まで見えそうな色気。
鈴木春信「二代目瀬川菊之丞図」(明和頃)も久しぶり久しぶり☆
柱絵のように細くて(ってか柱絵なのかな?)たぶん展示作品の中で一番細いと思う。
賀邸(内山椿軒)の賛「深き渕はまるひいきにあふ瀬川 音にもきくの上手とはしれ」も良き手です。
奥村政信「団十郎 高尾 志道軒円窓図」(宝暦頃)も見覚えがあるから再会だと思う、
当世の有名人をひとつの円窓の中に描いています。
奥村政信「佐野川市松の人形遣い」(宝暦頃)、市松模様の元ネタになった人ですが
絵の中でも女の子の人形を操りながら市松模様の着物を着ていました。
歌川国貞「七代目市川団十郎の暫」(1830年)も久しぶりだ~迫力がある。
勝川春好「春好自画像」(寛政~文化頃)は春好が体調を崩して左手で描くようになった40代以降の作品で
下にモノクロの自画像を書き上部には日蓮宗の元政上人の壁書をもとにした賛をびっしり入れています。
利き手と逆の手でここまで描けるのすごいと思いますが本人はどんな気持ちだったのかな…。

市井の風景。
古山師重「隅田川両国橋之景」(貞享~元禄頃)は隅田川にかかる両国橋と浅草寺を同じ画面に描いていて
おそらく鳥瞰図ではこんな風に見えませんが両者の間に霞がかかっているので
ふたつの風景を並べることにあまり問題のない構図の様子。
落款に「日本絵」とありましたがあれかな、鈴木春信がやまと絵師と名乗っていたみたいな感じかな。
宮川一笑「楼廓遊興図」(享保~寛延頃)は2階建ての遊郭で
やまと絵の手法で壁をとっぱらって1階と2階の風景がそれぞれ見えるように描かれていて
人々が遊ぶ様子が描かれていました。

ここから2階。
太田さんは展示ケースが狭いので作品にめっちゃ近づいて鑑賞できるのが最高に最高なのですが
2階に来るとさらに近づいて鑑賞できます。狭い展示ケースばんざい☆\(^o^)/☆
宮川長亀「吉原格子先之図」(享保~寛延頃)さっきの応為の作品とは違いこちらは昼の絵なので明るいです。
というかこの画題って本来は昼の様子を描くもんじゃないのかな…応為がいつもと違う時間の絵を描いたってことかな。
鳥居派「浮絵歌舞伎劇場内の図」(1757年)、紋から中村座の公演とわかり、奥行きの深い浮絵の手法で描かれています。
画面の端から端までびっしり人人人、人だらけ。。
さすがに表情は描き分けていませんが(みんな引き目と点の口)作業を考えると気が遠くなりそう。
礒田湖龍斎「舟遊の図」(天明頃)、川に浮かぶ大きな屋形船と川岸から見物する人々を描いています。
船の中は屋根に隠れて見えませんがチラっと人の姿やご馳走が見えました。
鍬形蕙斎「桜花遊宴図」(文化頃)は山奥の桜の下で飲めや歌えや踊れの楽しい時間を過ごす人々の様子。
喜多川月麿「美人花見の図」(文化頃)は向島の花見を楽しむ色とりどりの着物を来た女性たちの様子。
歌川直広「橋上二美人図」(享和頃)は隅田川にかかる橋の上で何やらおしゃべりをしている女性たちで
着物と髪型から年の差があることがわかります。親子かな。お嬢様とお付きの人かな。師匠と弟子かな。
歌川広重「東都隅田堤・京嵐山大堰川」双幅(1849~51年頃)は落款の上に金泥で画題が書かれていることから
天童広重という、天童藩(現山形県天童市)から依頼を受けた描いたシリーズもののひとつであるとわかります。
これ前にも見たけど金泥には気づかなかった…色んなところから依頼受けてるのね広重せんせい…。
歌川国直「平清遊興図」(文政~天保頃)は高級料亭だった平清の店先の様子で
お店を訪れるお客さんと出迎える人々を描いています。
このお店は川辺にあったので船をつけられたようで、船で本を読みながら待つ船頭さんも描かれていました。
歌川国次「桜下遊宴図」(文政~嘉永頃)、拳遊びをする男女や投扇をする人々もおもしろいのですが
手前に描かれた男性がうつぶせで足をぶらぶらさせていて感動してしまいました。
えっこんな風に過ごす人この時代にもいたんだ!(゜▽゜)☆
落合芳幾「両国大川端夜之景」(1869~72年頃)、満月が出ているので夜の風景です。

風景画。
鍬形蕙斎「両国の月・飛鳥山の花」双幅 (文化頃)は桜の咲いた飛鳥山と隅田川の夜の様子で
どちらも遠景ですが花や草木など細部まで描きこまれていました。
司馬江漢「西洋風景図」(寛政~享和頃)は切り立った崖の間に小舟が行き交う水辺と西洋風の建物。
礒田湖龍斎「三囲・待乳山図」(天明頃)は三囲神社と待乳山を縦に並べて描いた掛け軸なのですが
そのど真ん中に酒井抱一が庭柏子の号で入れた「舟に寝てながるる夢や花紅葉」と
でかでかと、しかし優雅な筆遣いで賛を入れてしまっていました。
これは果たして湖龍斎の意図なのか、それとも抱一が後年に入れちゃったのかしら。いやはや。
歌川広重「日光山華厳ノ滝・日光山霧降ノ滝・日光山裏見ノ滝」3幅対(1849~51年頃)も久々の再会、
これも天童広重もので金泥で画題が書いてあるのですね。
歌川広重「上野榛名山雪中・上野妙儀山雨中・上野中ノ嶽霧晴」3幅対(1849~51年頃)も同じく天童広重、
広重せんせいの風景画を見るとホッとします。描きこみすぎず手を抜きすぎず、ちょうどよくて安心する(*´▽`*)。
歌川広重「待乳山雪中月夜之景」(嘉永~安政年頃)は
夜更けの待乳山の家々にしんしんと降り積もる雪を、紙の白を活かす形で表現しています。
もうすっかり風景がお手の物になった感じですね…しかし安政って晩年だな…。
小林清親「開化之東京両国橋之図」(1877~82年頃)も何度見ても素敵、
そうそう灯りって水面でこんな風に揺れるよね…水も影もよく観察している人だなと思います。
小林清親「富士川上流秋景図」(1897~1912年頃)は輪郭がほとんどなくて筆の跡だけで富士や山の植物を描いていて
山道にたたずむ2人の人間が筆で色を乗せただけで男女とわかるのすごい、透明水彩画みたい。
小林清親「帆舟図」(1897~1912年頃)も海に浮かぶ帆船の周囲にうっすらと霧が出ている透明感の表現が美しい。

物語の絵。
二代葛飾戴斗「神功皇后図」双幅(文政~嘉永頃)もたぶんどっかで見た覚えが…。
皇子(のちの応神天皇)を抱いた武内宿禰と、三韓征伐を終えた神功皇后の周囲を
北斎が描いたような大波がドラマチックに覆っている作品。
神功皇后は鎧じゃなく当世貴族風のファッションなんですね…さすが江戸時代ですね…。
岩佐又兵衛が指導して工房で描かれたであろう「小町図」(寛永~慶安頃)も
光源氏が朧月夜を垣間見る葛飾北斎「源氏物語図」(文化頃)も久しぶりでした。
歌川豊春「松風村雨図」(1784年)は在原業平と別れた後の松風・村雨の姉妹を描いた作品。
小林清親「勿来図」(1897~1912年頃)は源義家が勿来の関(現福島県いわき市)で詠んだ
「吹く風を勿来の関と思へども道もせに散る山桜かな」(千載集巻二)が元ネタで
童子とともに桜の咲く方へ進む馬上の義家がなんと後ろ姿で描かれていました。
お馬さんがチラっと後ろを見て目線をくれてますが義家も童子もめっちゃこっちに背中向けてる。こんな絵があるんだ!
月岡芳年「雪中常盤御前図」(1878~84年頃)も再会ですが相変わらず劇的で
吹雪の中を行く常盤と乙若・今若・牛若の絵ですが着物がバサー!としてて大変そう。
菊川英山「源義経像」(1858年)には特に誰を描いたとは書かれていませんが着物の紋から義経とわかります。
梅堂小国政「地獄太夫図」(1904~1912年頃)の太夫の着物、
本当に着物か?と思うくらい奥行き感があります。着物の中に地獄の世界が続いているみたい。
(たぶんこの絵師、太夫が着物を体に羽織ってるとか意識しないで塗ってそう)
落合芳幾「弥次郎兵衛 喜多八」(1869~72年頃)は藤沢の茶屋で消し炭団子を食べて大騒ぎする2人の様子ですが
広重の五十三次の藤沢遊行寺にそっくりの構図の絵があるそうです。参考にしたのかな。
山本藤信「やつし俣野石投げ」(宝暦~明和頃)は石橋山の合戦で
真田与一が投げた大岩を俣野五郎が投げ返したエピソードをもとにした作品ですが
与一も五郎も当世風の女性に置き換えられ、さらに大岩は大きな紅の盃になっていて
何も知らずに見ると女性が大盃で女性をぶっ叩きそうな絵に見えます(笑)。
これこのままえいっと振り降ろしたらものすごい景気のいい音がしそうだな。バーン!(゜-゜)
勝川春章「達磨と美人図」(天明頃)、遊女が苦界10年で達磨の石に向かう修行が9年なので
両者はよく一緒に描かれることが多いそうです。
この絵の達磨さんはまじめな顔をして女性と一緒に巻物を読んでいましたが
達磨の手が女性の肩に回っていたのでああ、ダメだこりゃと思いました。
懐月堂安度「大江山絵巻」(宝永~正徳頃)も久しぶり~!
武士たちの集合や羅城門の渡辺綱と茨木童子、輿に乗せられて鬼たちにさらわれる貴族女性など
過去に見た場面が開かれていました。これ後半はどんな風に描かれているのかな。

そんなわけでとても楽しかったのですが、
美術館を出た後でそういえば鳥山石燕の絵は前回も今回も出てなかったな…と気づきました。
石燕に限らず出していない肉筆画はまだたくさんあると思いますけど(理由があって出してないんだろうけど)
太田さん石燕も持ってるんだし歌麿の隣に並べて師弟展示とかしないのかなあ。
画風が違いすぎてキュレーションが難しいでしょうか。今後に期待。
2023_11
05
(Sun)21:51

三十日。内より西京に参る。倭絵四尺屏風の色紙形を書く。

2023tohaku_118.jpg
東博のやまと絵展に行ってきました。
平安~江戸初期までの絵巻、掛け軸、屏風、冊子などが年代順にズラーーーーっと並んでいて
日本美術史の教科書のような内容でした。
細かい描写が多いので単眼鏡とか持ってる人は持っていくといいですよ。

2023tohaku_119.jpg
チケットをもぎってもらいエスカレーターで会場入りしてから一目散に特設ショップへ。
会期前に宣伝されていたグッズのひとつである絵巻ぬいぐるみを見に来ました。
百鬼夜行絵巻と鳥獣戯画絵巻、信貴山縁起絵巻の俵のぬいぐるみなどがあって
わたしが欲しかったのは百鬼夜行絵巻なのですがこの日は売り切れ。。
まって会期3日目でなぜ完売してるんですか…そんなにみんな好きなの絵巻ぬいぐるみ。(ブーメラン)
仕方がないのでレジで聞いたら、次期入荷分も予約で売り切れたので会場入荷はいつになるかわからないとのことで
そのままレジで予約しました。
送料無料で下旬には届きますと聞いてよっしゃ待ってる~!と喜んでいたのですが
届くころにはすっかり忘れていたという。。(顛末は記事の末文にて)

というわけで展示室に行くよ~!
日本美術の変遷をたどる展覧会のトップバッターは秦致貞「聖徳太子絵伝」(1069年)。
法隆寺東院の絵殿の障子絵だったもので現存する最古・最大級の絵伝です。
全体で大きな山水図になっており、平安時代中期の大画面説話画の貴重な作例であり、
記録によって作者が判明している意味でも貴重です。
山水屛風(平安時代)は隠者訪問を描いたもので、唐の頃に完成したとされる青緑山水です。
山水屛風(室町時代)も隠者訪問を描いた唐風の屏風、密教の灌頂儀礼で使われたもので扇緑取り。
浜松図屛風(室町時代)は雲母が下地にあってきらめいていました。

やまと絵の成立と王朝文芸。
権記(伏見宮本)(13世紀写)は藤原行成の日記の写本で、
999年10月30日に倭繪四尺屏風に行成が揮毫をしたという記述がみられます。
唐絵に対するやまと絵の初出はこのあたりではないかと言われています。
藤原道長「御堂関白記」999年10月21日にも彰子入内にあたって
倭繪四尺屏風のための歌を歌人たちに詠ませた記述があり、
27日に数人の歌人たちが歌を持って訪れたという記述もあります。
栄花物語巻第六(13世紀写)999年1月21日にも彰子入内のための屏風の歌について書かれており、
これら3点は同じやまと絵の屏風について書かれた記録ということになります。
藤原行成「屛風詩歌切」は1018年1月12日の藤原頼道の大饗において
四尺屏風の色紙に清書をするための下書きで、行成の手控えだった可能性があるもの。
伝藤原公任「葦手歌切」や観普賢経冊子は文字を絵画化した葦手というフォントが使われていて
紙は中国製で雲母摺りになっていました。
藤原伊行が書写した「葦手下絵和漢朗詠集」(1160年)も葦手の下絵がある。
宝篋印陀羅尼経(1170年頃)は寂真の書を使って供養するために金字で書写されたもので
葦手も書かれていました。

王朝貴族の美意識。
雑伎彩絵唐櫃(平安時代)は絵がほとんど落ちてしまってよく見えませんが
闘鶏、お手玉の曲芸、見物する人々が四面にそれぞれ描かれています。
蒔絵箏(本宮御料古神宝類のうち)(平安時代)は沃懸地螺鈿の山水図が描かれ、懸崖には流水紋があり、
小型の箏で演奏目的で制作されたものではないとのこと。
片輪車蒔絵螺鈿手箱(平安時代)は牛車の車輪が乾燥して割れるのを防ぐため水に漬けた情景で
流水と車輪が研出蒔絵で表現されています。
伝久我通親「扇」は骨が片面のみについた蝙蝠扇で詩歌集から3首の歌が書かれ、
金銀箔と砂子でススキが描かれていました。
車図(鎌倉~南北朝時代)は洞院家と摂関家の車図の故実で、
雨眉車の上部には山岳図が、下部には四季図が描かれ、
内装は院・摂関家は唐絵で、従者はやまと絵と決まっていたようです。
本阿弥切の古今和歌集巻第十二残巻や古今和歌集(平安時代)は
舶載の唐紙に夾竹桃などの下絵が摺られています。
巻子本の藤原定実筆「古今和歌集序」や古今和歌集巻第十三残巻(巻子本)(平安時代)は
赤・青・オレンジなどの色変わりの唐紙を繋ぎ合わせて巻子をつくり、歌を書いています。
伝藤原公任筆「和漢朗詠集 巻下」(益田本)(平安時代)も色変わりで、華やかに見せるための演出だそうです。
石山切の貫之集下と伊勢集(平安時代)は色違いの料紙を切り貼りして山水を表現したり
本願寺本三十六人集から分譲された日本製の唐紙で制作されたものもありました。
平家納経(1164年奉納)分別功徳品 第十七は見返し部分に4人の貴族が蓮池の前にいる様子が描かれていて
葦手で「加」や「な」などが表現された部分もありました。
一字蓮台法華経(平安時代)は見返しに9人の僧侶の法要が描かれ、
一字一字を金輪で囲み蓮台に乗せた形で書いたものです。
法華経 普門品(平安時代)には経典の後半から引用した文字が葦手で表現されていました。
阿字義(平安~鎌倉時代)は月輪の蓮台に乗る阿字と引き目鍵鼻の尼と貴族が描かれていました。

第3節 四大絵巻と院政期の絵巻。
徳川美術館の源氏物語絵巻、関屋・絵合と柏木二(平安時代)は
色落ちが激しいですが引き目鍵鼻の人物たちが丁寧に描かれていて、
柏木を見舞う夕霧のシーンなどは教科書でも見たなあ、これが本物か…などと感動。
源氏物語絵巻詞書 松風(平安時代)は上記の源氏物語絵巻の詞書の部分で
金銀箔の料紙が美しく、わずかな断簡でも装飾を怠らない制作側の気合を感じました。
信貴山縁起絵巻(平安時代)飛倉巻は空とぶ鉢で運ばれた米倉の米が村の長者に返されるシーンで
倉から米俵がゴロゴロ転がり出てくる表現が圧巻、
あと人々の表情や仕草が源氏物語絵巻の頃より具体性を増しています。
伴大納言絵巻上巻(平安時代)もそんな感じ、群衆の表現に個性が見えてきます。
地獄草紙(平安時代)、久々に見ましたがこんなに生々しかったっけ、
たぶん綺麗な料紙や源氏物語絵巻とか見た後だから余計にそう見えるのかもしれない。
沙門地獄草紙 火象地獄(平安時代)は炎に包まれる象と僧侶が、
地獄草紙 勘当の鬼(平安時代)は僧侶を背負って逃げる鬼が描かれていますが両方とも余白が大きい。
辟邪絵 神虫(平安時代)も過去に初めて見たときはオエってなったんですけど
今は一周回ってかわいく見えてきました。神虫ちゃん今日も元気に人間食ってますねえお口が血まみれですよ的な。
餓鬼草紙(平安時代)も病草紙 眼病治療(平安時代)も生々しいですが描写が細かいし
不眠の女には藻勝見模様なども描かれていて王朝とのつながりも感じます。
そしてすっかり有名になった鳥獣戯画甲巻・乙巻も久しぶりに見まして、画面が真っ白でなんだかホッとしまして
光と闇と底抜けの明るさをいっぺんに見てしまったのと
普段なら展覧会の主役を張っている絵巻たちを一度に見たのとで頭がクラクラしました。。
鳥獣戯画断簡(平安時代)は甲巻16紙の前にあったものではないかとのこと。

写実と理想のかたち。
平安時代から既に存在していた写実性が鎌倉時代に入るとより濃くなります。
神護寺三像と呼ばれる伝源頼朝像・伝平重盛像・伝藤原光能像(鎌倉時代)に久々に再会、
やっぱり大きくて綺麗だなあと思いました。
過去に見たときより冷静に見られたので目元とかお髭とか装束の文様などを観察、
3人とも表情が写実的で、衣装はカクカクした表現で、鎌倉時代の肖像画の特徴ですね。
この頃から人物画はなるべく本人に似せて描くようになってきて、
玉葉(九条家本)には1173年に最勝光院の障子絵に細かい描写の人物画を描いたという記述があり、
似絵の記録とされています。
近衞兼経像(鎌倉時代)も白描の下絵の段階からかなりリアル。
公家列影図(鎌倉時代)は57人の大臣の白描で、これも似絵の描法。
若狭国鎮守神人絵系図(鎌倉時代)は禰宜をつとめた笠氏31人を描いていて
71歳とか80歳とか97歳とか皆様長命、顔が似ているので血縁関係も指摘されているそうです。
柿本人麻呂像(鎌倉時代)、この時代に本人を見た人はいないと思いますが似絵の系統のようです。
時代不同歌合絵(白描上畳本)良暹(鎌倉時代)は歌仙絵の初期の形で図像の源とされています。
佐竹本三十六歌仙絵(鎌倉時代)から小大君、小野小町、壬生忠峯、源信明が展示されていて
これは教科書でもよく見るやつ、やっと本物が見られてうれしかったです。
1919年に切断され現在の形になっています。雲母摺りもされている。
上畳本三十六歌仙絵 小大君(鎌倉時代)は歌仙が畳の上にいる姿で描かれていて
佐竹本と同時期の制作とみられますがこちらはより形式化が進んだ描写でした。
最勝四天王院障子和歌(江戸時代)は1207年に建てられた同院の障子に
名所46×10人の歌人がそれぞれ詠んだ460首の歌が書かれたもので名所絵の先駆けかな。
藤原定家詠草「泊瀬山」は同院の障子絵のために定家が詠んだものですが選ばれなかった歌で
書きつけた紙には山水が描かれています。
草花図(鎌倉時代)は歌絵の作例で、秋草の絵に仏教主題の歌が書きつけられたもの。
西行物語絵巻(鎌倉時代)には山水、田園、霞などの表現が見られるようになります。
伊勢新名所絵歌合(1295年頃)は名所絵に四季・恋・雑の歌を添えたもので
隣に展示されていた男衾三郎絵巻(鎌倉時代)にほぼ同じ構図の浄見関の絵があるので
作者は同一人物ではないかと考えられているそうです。
住吉蒔絵唐櫃(1357年奉納)は源頼政の「住吉の松の木間より眺むれば月落ちかかる淡路島山」を
四面に図像化したもの。
山水人物蒔絵手箱(鎌倉時代)は宇治川の景色を蒔絵で表現しています。
法眼円伊「一遍聖絵」巻第九、巻第十(1299年)はやまと絵と唐風の水墨画が取り入れられた作例。
親鸞聖人伝絵巻 巻第三(1344年)は親鸞が常陸国にいたときのシーンで
現地で行われていた塩焼きの様子や小屋も描かれています。
春日宮曼荼羅(鎌倉時代)や石清水八幡宮曼荼羅(鎌倉時代)は鳥瞰図で描かれた神社の様子。
日吉山王本地仏曼荼羅(鎌倉時代)は宮曼荼羅と呼ばれるもので
比叡山の下に実際に点在する神社の場所を本地仏の姿で表現しています。
Googleマップとかで神社の場所が鳥居で表現されたりしますけど、あれを仏さんの姿にした感じ。
虚空蔵菩薩像(鎌倉時代)は菩薩の足元に朝熊山の景観が描かれています。

王朝追慕の美術。
紫式部日記絵巻断簡(鎌倉時代)は藤原彰子が産んだ敦成親王の五十日の祝いの場面で
彰子の母倫子が親王を抱いてこちらを向いていて、彰子は後姿で顔は描かれていません。
紫式部日記絵巻(鎌倉時代)の貴族たちは強装束で人物の表情を描き分けています。
なよ竹物語絵巻(鎌倉時代)は建物が細かく描かれていて人物はさらりとした描写で
紫式部日記絵巻を見たあとだとちょっとユーモアを感じます。
狭衣物語絵巻断簡(鎌倉時代)は牛車がものすごく丁寧に描かれている。
伊勢物語下絵梵字経(鎌倉時代)は白描に光明真言が描かれています。誰かの供養かな?
隆房卿艶詞(鎌倉時代)は白描で描かれた貴族の男女たちで、こちらは王朝の引き目鍵鼻に近い描き方。
梅蒔絵手箱(鎌倉時代)には錦・帳・栄・伝・雁・行の文字が刻まれていて白氏文集に取材したもの。
秋野蒔絵手箱(鎌倉時代)は源英明の「池冷水無三伏夏松高風有一聲秋」(和漢朗詠集)を表現したもの。
灯明皿を乗せる高燈台(鎌倉時代)には反射板に机に向かう唐風の童子たちが描かれ、
うち一人が眠っているので眠子燈台とも呼ばれているとか。

鎌倉絵巻の多様な展開。
平治物語絵巻 信西巻・六波羅行幸巻(鎌倉時代)も久々に見ました。
平安時代に比べて武士の群衆がぐんと迫力を増して描かれるようになってます。
鎧が黒かったり馬も黒毛が多いので圧がすごい。
法眼円伊「一遍聖絵」巻第七(1299年)は京都の景色がとても細かいので作者が地理に詳しいのではないかと。
法然上人絵伝 巻第十(鎌倉時代)は蓮華王院の場面が開かれていて柱や壁に描かれた画中画の細かさがすごい。
天狗草紙(鎌倉時代)は最後の場面が開かれていて修行方法を話し合う各宗派の天狗たちがいて
画中にセリフが書かれる画中詞ですすめられています。
駿牛図は鎌倉時代に流行した画題で、速描でした。御所の杉戸に使われたものだそう。
馬医草紙(鎌倉時代)は馬医10人と6頭の馬、草17種が描かれたもので
馬の名前(クロウリウなど)も書き込まれていました。

きらめきのかたち。
日月図軍扇(南北朝時代)には足利尊氏の花押があり、表に金の太陽が、裏に銀月が大きく描かれています。
西塔院勧学講法則尊円親王筆(1349年)には四季絵に葦手。
十界図屛風(南北朝時代)は十界がやまと絵様式で描かれカラフルですが、
水墨の障子絵が描きこまれていたりして唐風の影響もみられます。
源氏物語図扇面貼交屛風(室町時代)は室町源氏絵の代表作で、
絵は巻号順ではなくその巻に描かれた季節(春夏秋冬)の流れで屏風に貼られています。
彩絵檜扇(阿須賀神社伝来古神宝類のうち)は金銀砂子、彩絵檜扇 伊号(古神宝類のうち)は和漢の絵。

南北朝・室町時代の文芸と美術。
おとぎ草子の先駆けともいえる土蜘蛛草紙(鎌倉時代)、大江山絵巻 巻下(南北朝時代)などは
平安の雅とも鎌倉の写実とも違い、両方をうまく取り入れたようなバランスの描写になっています。
福富草紙(南北朝~室町時代)の頃には画中詞が当たり前になっているようです。
伝土佐光信「百鬼夜行絵巻」(室町時代)も久々に見ました~!相変わらず格調高いです。
仏鬼軍絵巻(室町時代)は地獄を浄土に変えようとする仏の軍隊(!?)が地獄に攻めてくる物語で
武器を持った仏(主に明王たち)が鬼や閻魔大王と戦っていました。
法楽歌仙連歌懐紙は1423年11月13日に熱田神宮で行われた法楽連歌に使われた懐紙で
金銀泥の下絵が描いてありました。
細川藤孝「大原野千句連歌懐紙」第十帖は1571年2月5日~7日に行われた連歌会を藤孝が清書したもので
やはり金銀泥の山水の下絵が描いてありました。
男山蒔絵硯箱(室町時代)は唐風の山水が蒔絵で表現され、
「代々・男・よ・里・仰・出・かけ」の字が銀の平文で刻まれていて
『続後撰和歌集』巻9の源雅実「なほてらせ代々にかはらず男山 あふぐ峯よりいずる月影」に取材し、
葦手の表現もみられました。

和漢の混交と融合。
景徐周麟賛「駿馬図」(室町時代)は11代将軍足利義澄の依頼であるせいか
馬が毛並みまでとても細かく美しく描かれていますが
狩野元信「神馬図」(室町時代)は対照的にとても大雑把な描写でした。
日月松鶴図屛風(室町時代)は当時好まれた画題であるマナヅルが松の中にたたずんでいて
銅版の太陽と月が浮き出ていました。
狩野元信「四季花鳥図屛風」(1550年)は巨大だし極彩色だしで室町美術てんこ盛りといった感じ、
74歳にしてあのエネルギーはとてつもないです元信。
伝土佐光信「星光寺縁起絵巻」巻上(室町時代)は水墨の画中画が細かい。
土佐光茂「桑実寺縁起絵巻」巻上(1532年)は飛行機からお寺の境内全体を見下ろしたようなパノラマ、
漢画の影響とのことです。
狩野元信「酒伝童子絵巻」巻上(1522年)久しぶり~!言われてみれば建物と山水の描写が細かいんだわ。
伝土佐光茂「堅田図屛風」(室町時代)は元大徳寺塔頭瑞峯院のふすま絵だったもので
琵琶湖の周囲の風景ですが、水墨で漢画の手法が使われています。

宮廷絵所の系譜。
住吉如慶他「年中行事絵巻」(住吉本)(1661年頃) 巻第一・巻第三は展覧会に出るのは半世紀ぶりとのこと、
宮中の儀式や仏事、神事、遊戯の様子が細かく描かれ有職故実の百科事典のような絵巻です。
年中行事絵巻(鷹司本)(江戸時代)巻第六・巻第八には前出の模本で白描、
前出の絵巻にはない場面があるそうです。常磐光長の原本にはあったものなのかな。
春日権現験記絵巻(1309年頃)を描いた高階隆兼は宮廷絵所預だった人なので
描写力はもちろん高いし使っている絵の具も高価なものだそうです。
伝高階隆兼「石山寺縁起絵巻」(鎌倉~南北朝時代)には彫塗りの技法が使われています。この頃からあったのね。
伝藤原行光「十王図」秦広王(南北朝時代)は地獄に落ちた人々が漢画の描写で描かれていますが
後姿の長い髪の女性がいて、王朝絵巻風の描き方になっています。
妙音天像は歴代の絵所絵師が描くという不文律があり、
今回展示されている伝土佐行広の作品(1408年)もそのひとつ。
融通念仏縁起絵巻(1417年)は六角寂済とか6人の絵師による合作で
どの絵をどの絵師が描いたかという記述も絵師の名前も載っているとても珍しい作品。
粟田口隆光「誉田宗庿縁起絵巻」巻下(1433年)は建物、人物、画中画などすべてにおいてレベルが高く
室町やまと絵の基準作ともされています。
伝土佐光信「硯破草紙」(1495年)は通常の絵巻の半分の大きさの小絵という作品で
こういうものも作られていたんですね。
土佐光信「後円融天皇像」(1492年)は本人の100回忌に制作されたもので
光信による数少ない人物肖像画の作例。
同じく土佐光信が幸若舞の祖である桃井直詮を描いた同像(室町時代)は
大陸風の敷物に座った姿で描かれていて、当時の文化もしのばれます。
光信の孫であり、紫式部石山詣図(1560年)や源氏物語図扇面(室町時代)を描いた土佐光元は
1569年の但馬攻めに参加して戦死しており、
当主を継ぐことがなかったので土佐家直系はここで途絶えています。

やまと絵と四季。
浜松図屛風(室町時代)は右から左へ四季が流れており、
手前に季節の鳥たちが描かれて奥に人々の四季の生活が描かれています。
月次風俗図屛風(室町時代)は公家・武家・庶民の月ごとの行事が描かれているもの。
日月山水図屛風(室町時代)は柳と橋が描かれているので宇治川の風景であり、
錬金した太陽と月が上部に埋め込まれています。
おいの坂図(室町時代)は人の一生を描いた掛軸で人生の時間を植物とともに表現しています。
梅から始まり桜、楓、枯れ木などとともに年齢を重ねていく男性が描かれていました。
狩野秀頼「観楓図屛風」は愛宕神社と神護寺の秋の行楽の様子を描いたもので
川にかかる橋の下に霊亀がいるなど、ちょっと不思議な世界でした。

いや~~~~どっと疲れた。。
源氏物語絵巻、紫式部日記絵巻、伴大納言絵詞、鳥獣人物戯画、地獄草紙、平治物語絵巻など
普段ならその作品ひとつでお客を呼べるような、展覧会で主役を張っている作品たちが
会場に全部集まっている様は圧巻で体力必須。
展示室の大きさは変わらないので歩く距離はいつもと同じですけど精神的に圧倒されちゃったのと
日本美術は細かい描写が多いので展示ケースに顔を近づけて目かっぴらいて凝視しなきゃならないから
全体を見るために行った1回目も神護寺三像目当てで行った2回目も
なんだかんだ作品群のエネルギーがやばくて展示室を出る頃には2回ともヘトヘト。。
主役ばかり見るのって疲れるけどパワーをいっぱい浴びられて楽しかったです。
描写も引き目鍵鼻→写実→集大成→形式化→個人化と変遷していく流れがよくわかったし、
注文主や職人たちの奮闘も工夫も作品からバンバン伝わってきてやっぱり疲れました。
まだ展示替えが何度かありますが見たいものは見たのでとりあえずもういいかな…頭もお腹もいっぱいだよ。

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先月の記事に応挙館のカフェについて書きましたけど
もう一回覗いてみたくなって行ったら相変わらずの盛況ぶりでした。
カフェそのものは充分楽しんだと思っていたので今回は入らずに帰るつもりでしたが
店先に置いてあったメニューをパラ見したらなんと新メニューが追加されていたので
「やっぱり入る!」ってなって待機列に並びました^^

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15分ほど待って、今回は室内の席へ案内いただきました。
障子も襖も全開で換気はバッチリ、景色が違うと楽しいですね。

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今月からの新メニューはこちら、和栗のモンブランセット。
ドリンクは煎茶か加賀ほうじ茶か和紅茶が選べまして、ほうじ茶にしました。
前回と同じように急須にはちょうど2杯分入っていました。

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モンブランはスタッフさんが目の前で作ってくださいます!
たっぷりクリームと栗が乗ったチョコケーキがまず運ばれてきて
抹茶をふんだんに盛り込んだモンブランクリームを絞り出してくれます☆
楽しいね楽しいね^^
目で見て楽しんで、味もちょうど良い甘さでおいしかったです。


そんなわけで楽しんで帰宅してしばらく経った頃、
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すっかり忘れてたけど無事に届きましたよ!
いやその、予約したのをガチで忘れていたので帰宅してこの巨大な段ボールがあったのを見て
えっわたし血迷って何かわけわからん物注文したのかな…ってなって開けてみまして。

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このぬいぐるみが入っているのを見てやっと思い出しました。。
やったーーーーー届いた☆
おっきいしフワフワしてるけどしっかり作ってあってぎゅ~~ってしても大丈夫そう、
ってか抱き枕によさそう!ベッドでこれ抱っこして寝たい。

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広げたら畳の丈くらいありました。でかいな。
絵巻って紙のレプリカとかは売ってますけどぬいぐるみになる機会はそうそうないと思うので
いい買い物をしたと思います☆時々開いて楽しもう~^^
2023_10
14
(Sat)23:53

鉄道、食欲、芸術の秋。

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151回目の鉄道の日です!東京駅に行ってきました。
これは丸の内中央口からJR改札内に入ったところにあるポスト。丸の内駅舎がどーんと乗ってます。

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改札内にあるTRAINIART TOKYO店で今日から発売のE5系・E6系のかたぬきバウムをゲット☆
早く買わないと絶対なくなる!と思って午前中に買いました。
売ってるお店はここと大宮てっぱくのTRAINIARTさんだけだそうです。買う予定の方はご注意を。

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てなわけで新幹線ホームにやってきましたが、
いつもは900番台の列車番号が出ているはずですが今日は600~800番台…。
すわ有識者の方々の予想が外れたか!?と思いましたが
SNSでは目撃情報がちらほら出ていたので信じて待つことにしました。
あといつもだったら18番線に入ってくるはずだから…!と18番線ホームで待っていますと、、、

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来た~~~~~~っよかった会えた!!!
ドクターイエローT5編成、博多への送り込み回送列車です。
本日の夕方に新大阪~博多まで選ばれし50人のお客様を乗せるWESTER会員様限定の体験乗車イベントと
明日に博多総合車両所で開催される新幹線ふれあいデーへの参加のための回送ですね。
どちらも鉄道の日に関連してJR西日本が開催するものです。
のぞみ検測と同じ時間、同じ番線に来ましたが列車番号は877。そういうこともあるんだね。
あと今回は検測のお仕事ではないので、パンタ交換などもありませんでした。

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17番線に移動。
やっぱり反対側のホームからの方が車体がしっかり撮れます。

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美しい横顔。

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18番線に戻って黄色くなった屋根など撮影しておりましたら。

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やおら運転士さんがイエローの扉を開けてホームに出てきて、ホームのイエロー専用出入口の鍵をしめて
また車内に入ってドアを閉めて運転席に戻るという一部始終を目撃してしまった。。
イエローの運転席のドアが開くとドキドキしてしまう。。

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行ってらっしゃいませ~博多までお気をつけて。
イベント参加者の方々と素敵な週末をお過ごしください☆(東京に戻ってくるのは月曜日)

あと、今週末にはT4編成の浜松工場までの回送がありますね。
そちらは見に行けませんが、早朝っぽいので通勤通学の人たちに目撃されそう。

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在来線改札内にあった北陸新幹線福井・敦賀開業カウントダンのパネル。
2024年3月16日に敦賀駅まで延伸するため、すでにEast-iやW7系の試運転も始まっていて
開業が楽しみですね。

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Newdays×OJICOの今年のお~いお茶ペットボトルカバーは6種類、
今年ももちろんドクターイエローをゲットしました。
OJICOのデザイン毎年かわいくてこのキャンペーンは見逃せないです^^

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こちらも鉄道の日に合わせてNewdaysで発売されたデミチーズハンバーグパンです。
東京駅グランスタ内にあるSTATION RESTAURANT THE CENTRAL Tokyoが監修したもので
同店で提供されている伝統のハヤシライスが味のモチーフになっているパンです。
デミグラスソースとハンバーグが入ってました~おいしかったです☆


この後は山手線で上野へ移動しました。
(神田駅の発車メロディがマジでお口クチュクチュモンダミンになっててびっくりした)
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東博にin、開放中の庭園へ一目散に向かいます。
なぜかって?

以下、写真が多いのでたたんであります↓クリックで開きますのでどうぞ☆

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2023_10
08
(Sun)14:52

Since sensations are the root of my work, I believe I am impenetrable.

前々回記事の続き。
アーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)にて、企画展を見てきました。

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現代美術家が石橋コレクションと共演するジャム・セッションシリーズの4回目、
石橋財団コレクション×山口晃「ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」。
山口晃氏の展覧会なのですが、氏の作品と石橋コレクションを照らし合わせる形で
展示が構成されています。
タイトルにあるサンサシオン(Sensation)はフランス語で感覚、感触、気持ちなどの意であり、
詩人の春山行夫が鬼頭鍋三郎らと名古屋で結成した美術グループの名前であり、
アルチュール・ランボーが詠じた詩のタイトルであり、
ポール・セザンヌがよく口にした「感情になる前の感覚」でもあります。
今回、山口氏がセッションするのはセザンヌと雪舟なので、この言葉が選ばれたようです。

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前々回記事にも書きましたがこちらの展示では写真撮影に加えてスケッチができます。
普段はスケッチは禁止されていますが、山口氏がお願いして今回のみOKになったそうです。

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そんな顛末が得意げに描かれていました。かわいいね。

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最初の作品「汝、経験に依りて過つ」(2023年)の部屋に来たら
展示の入口に係員さんが立っていて、このご案内を示されました。
え…なんか怖いなって思って階段を登ったら。

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?????(゚Д゚;)
斜めに撮ってるんじゃないですよ、展示の部屋の入口がこうなってるんですよ。
係員さんに「あのー、ここ入っていいんですか?」って尋ねたら
「どうぞ!そういう展示ですので。足元にはくれぐれもご注意ください」って返ってきたので
思い切って入ってみることに。
(こういう展示が苦手な方や入れない方は回避して次の展示に進めますので、係員さんに声をかけてね)

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部屋全体が斜めに傾いていて、真っすぐ立っていられない。。
たぶん10~20度くらい傾いていたと思います。
写真は壁に背中をつけてほとんど座り込みながら撮りました。
でも写真だけ見ても全然傾いてるようには見えないですね。撮るの失敗しただけみたいに見える。
ほんとに傾いてたんだよおおおおおお(゜○゜)。

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斜めの部屋を出たところに山口氏の解説(すずしろ日記No.156)が貼ってありました。
過去にとしまえんに行かれた際に、部屋が斜めになっているアトラクションがあって
それをもとに制作してみたのだそう。
視覚と感覚が平行であれば安定して立っていられるけど
どちらかがズレると視覚に引きずられて重心を取り損なうわけで
まさに「経験に依りて過つ」のタイトル通りだなと。

展示はこんな感じに、山口氏のすずしろ日記の解説つきですすみます。
以下、写真が多いのでたたんであります↓クリックで開きますのでどうぞ☆

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2023_09
23
(Sat)23:51

わたしだけの時間。

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アーティゾン美術館に行ってきました。
旧ブリヂストン美術館で2015年から長期工事に入り2020年に館名変更しリニューアルオープン、
ArtizonはArtとHorizonを組み合わせた造語だそうです。

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目的はこちら。
石橋財団コレクション選 特集コーナー展示「読書する女性たち」です。
財団が所蔵する近代絵画の中から読書をしている女性たちを描いた作品を展示するもので
開催情報は先月得ていたのですがもう楽しみすぎてたまりませんでした。ありそうでなかったテーマだと思う。

チケットは日時指定の予約制で、当日券は余分があれば当日でも買えるようですが
予約していった方が300円も安いので前日に予約。
スマホでQRコードを読み取って入館します。半券はもらえませんでした。

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写真撮影は非営利かつ私的目的で可。ありがとうございます!
(あと現在開催中の企画展ではスケッチもできるらしい、詳細は後日書きます)

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展示室は4~6階の3フロアにありまして、
入口でチケットを読み取るとエレベーターで6階に上がってくださいと言われましたので
いったん6階に上がってからエスカレーターで4階へ。
なぜかって?コレクション展示は4~5階で、「読書する女性たち」は4階だからです☆
やった~読書する人たちいっぱい見られる、あとロゴがめっちゃ優雅。

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特集展示はこの一部屋。
このお部屋の中の人たちみんな本読んでるんだってワクワクしながら入りましたら。

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おおっ読んでる!

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すごいみんな読んでる(^○^)☆

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2023_08
27
(Sun)16:59

この夏の展示室その4。

前回記事の続き。東博本館の様子を特集展示を中心にレポします。

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特集展示「関東大震災と東京国立博物館」。
震災から100周年ということで当時の資料や被災した美術品や写真を通して
東京帝室博物館(当時)の被害について紹介するものです。
1937年11月に竣工した復興本館(現在の本館)の建設や当時行われた模写・模造についても紹介されています。
(資料館OPACで関連図書リストもご覧になれます→こちら

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被災した第1号館(旧本館)。
正面玄関部分が大きく崩落して使用不可となり、後に取り壊しとなりました。
地震が発生した9月1日11時58分は開館中でしたが、死傷者はいなかったとのこと。

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田代二見「大正震災焼跡写生図」計54枚の写生図のうち上野公園における避難民とバラック(1923年)。
上野公園は高台に位置していたため火災がほとんど起きなかったようです。
空地が多かったので仮設が建てやすく避難所として使われました。

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震災当時、上野公園に建てられたバラックの配置図。
避難者収容・救世軍建設救護用・診療所や配給、児童相談所用などのバラックがありました。

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9月から4ヶ月後の12月、博物館総長から宮内大臣へ出された上申書案文。
表慶館で展示の再開が検討されたので収蔵庫とバラックの新設を申し出ています。
収蔵庫は鉄筋コンクリートで建てると書いてあります。

以下、写真が多いのでたたんであります↓クリックで開きますのでどうぞ☆

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2023_08
20
(Sun)15:45

この夏の展示室その3。

前回記事の続き。東博本館の展示も見てきました。

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特集「藤原定家-『明月記』とその書」。
明月記自筆本の一部と定家本人の書が展示されていました。
定家の自筆をこんなにいっぱい見られる機会なんてめったにないのでウッヒョ~~イ!!ってめっちゃはしゃいで
嬉々として写真撮りまくりました☆
写真は嘉禄二年(1226年・定家65歳)八月記で重要文化財だよ!!前参議だったときのですね。

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天福元年(1233年・定家72歳)六月記。
正二位権中納言だった頃なので百人一首の焼くや藻塩の歌を詠んだ時期かな。
新勅撰和歌集の撰集や天皇の大嘗会屏風和歌の担当など忙しい日々がつづられています。

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申文(1202年)。
41歳の定家が左近衛少将から中将への転任を願って提出したものです。
この年の10月に念願かなって無事に任じられています。

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断簡。建久五年(1194年)11月20日記です。
当時の定家は九条家の嫡男良経に仕えていまして、
この日も大将殿(良経)のもとに参じた定家が北政所(良経の母)の服喪明けについて聞いています。

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断簡。正治元年(1199年)6月24日記です。
この2日前の22日に九条良経が左大臣に昇進し、それに伴う臨時除目について書いています。
墨が薄く走り書きのようになっていて、いつもなら読みやすい字もこの日はちょっと読みにくい。

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断簡。建暦元年(1211年)7月25日記です。
窮屈(疲労)でへばっているという書き出しですが、人事の噂や後鳥羽上皇の御幸について書いています。

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記録切。
1143年正月の宮中行事「賭射」についての記録です。
いつもの日記より小さな料紙に書いていて、定家はこうした写本を折本で携帯し手控えにしていたようです。

>2023tohaku_74.jpg
書状。
後鳥羽院と九条良経が開催した詩歌合の写本を紛失してしまったので
知人(日野資実?)に写本を貸してほしいと頼んでいるものです。
中央の行間に書き込まれているのが知人からの返答で、
藤原清範(新古今集の中書をした歌人)が持ってると思うよ~ということだそうです。

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藤原定長による書状(1186年)。
十訓抄第10巻にもある、勅勘をくらって謹慎していた定家の処分が解かれたことを俊成に知らせたものです。
(定長は藤原宣孝(紫式部の夫)の子孫で後鳥羽院に仕えていた人ですな)
定家は「あしたづ(定家)は雲居(宮中)をさしてかへるなり~」という歌を返したようです。

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二条家三卿之芳翰。
俊成筆の日野切、定家筆の後撰集切、為家筆の拾遺集切の三葉の古筆切をまとめて掛軸にしています。
祖父・父・子の三代の筆跡が同時に見られるのは貴重。まさに三者三様で3人とも全然違いますな。

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通具俊成卿女歌合断簡(歌合切)。
源通具と俊成女が行った五十番歌合に定家が判詞を加えた草稿。
定家40歳くらいの書と考えられています。

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熊野懐紙(1201年)。
後鳥羽院の熊野詣の途中で催された歌会において、供奉した定家が自詠の歌を書いたもの。
当時定家は40歳でしたがつけていた日記には「疲れた、寝る」みたいなことしか書かれていない日もあります。
あの筆まめの定家が!って思いますがそれだけ京都~熊野の道程は過酷だったんでしょうな。

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特集「歴史の記録 虫譜づくりの舞台裏-栗本丹洲著『千虫譜』とその展開」。
江戸幕府の奥医師だった栗本丹洲(1756~1834)が制作した『千虫譜』(1811年)を中心に
博物虫譜づくりの舞台裏を紹介しているものです。

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『琉球産物志』木。田村藍水著・田村西湖撰(1770年)。
島津藩から送られた植物の標本をまとめた薩南諸島の植物誌です。
丹洲の父である本草学者田村藍水と兄の西湖による仕事です。
(藍水のもとには中川淳庵や平賀源内など多くの本草学者が出入りしています)

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『寛政重修諸家譜』1292巻(すごい巻数だ…)。
江戸幕府の堀田正敦や林述斎らが中心になって編写された大名や旗本の家譜集です。
丹洲の項では出だしに「田村元雄登が二男」と書いてあります。(元雄は藍水の号)

2023tohaku_82.jpg
栗本丹洲著写『千虫譜』第二巻。日本初の虫類図譜といわれています。
動物や植物の図譜はあれど虫類の図譜がないと気づいた丹洲が作成したもの。
原本は現存していませんが写本がいくつか残っているそうです。

2023tohaku_83.jpg
丹洲は小さい虫を観察する際に顕微鏡を使っていたそうです。
原寸大で見た場合のサイズと顕微鏡で見た場合のサイズについて
2種類の絵を並べて紹介しています。

2023tohaku_84.jpg
丹洲は様々な文献を参考にして虫を紹介しています。
こちらは倭名類聚抄などを引用しています。

2023tohaku_85.jpg
『丹洲虫譜』上巻(1875年)。千虫譜の転写本のひとつです。
植物画家の服部雪斎と植物学者の伊藤圭介の蔵本から写したもので、
両者とも動植物の文献調査で栗本家の蔵書を調査しているそうです。
(伊藤圭介と聞いて朝ドラらんまんを思い出した方はいませんか、わたしは思い出しました)

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庭園開放。
そういえば夏の庭園て見たことないな~と思ってちょっと出てみました。
(猛暑だったので少しだけね)

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午後だったので池の蓮の花はほとんど終わってました。

他にも特集展示がありましたので見てきましたが
長くなりますので次回記事にて書きます☆
2023_04
22
(Sat)23:54

狛犬も獅子も膝でまどろみ仁王は腕で子をあやす。

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MDP GALLERY Nakameguroに行ってきました。
中目黒駅に降りたのはたぶん初めて…都道から目黒川方面に曲がるだけですが地図めっちゃ見ました。
あと福砂屋の東京工場ってこの近くにあるんですね。

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目的は三好桃加さんの初個展「仁王像たちのオフの日」の鑑賞。
3年前の東京藝大の卒展に出品された「オフの日」がTwitterでバズっていたのがきっかけで知った作家さんで
今回初めての個展で作品がたくさん拝見できるということで楽しみに来ました。
主に粘土を焼いて素焼きするテラコッタという手法で作品を制作なさっています。

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展示は1フロア。
奥にご本人がいらっしゃってお客さんに説明なさっている声が聞こえました。
ギャラリーってこういうところがいいよね。

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写真撮影OK、お触り×です。

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早速拝見します、「くつろぐ獅子」。
んにゃ~~~~すでにかわいい!!
陽だまりの中でうつらうつらしているような表情がたまりません。かわいい!

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お背中の丸みがもはやネコ科のそれ。。
くりんくりんの鬣もほんとにかわいい、触ってみたい。

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寝起きの狛犬。
「あ~よく寝た」みたいな、起きたばっかりでぽや~~っとしてまだ完全に目が覚めていないような。
だら~~っとしたあんよもかわいいですなあ^^

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2023_04
08
(Sat)23:59

博物館でお花見をその3。

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先週のことですが、毎年恒例、我が家の桜が今年も満開になりました☆
いつもより早かったですね。
見ごろを迎えたので写真撮ろうと思っていたら次の日からなかなか晴れず…
散り始めたときにようやく晴れてくれました。

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青い空、白い雲、薄紅の桜。

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毎年咲いてくれてありがとうね。

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お花こんもり。かわいいね。

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というわけで、今年も東博の「博物館でお花見を」に行ってきました。
表慶館と平成館の間にある桜の木がいつもかっこいいなと思って見ています。
(上野公園もちょうど満開で見ごろを迎えていましたが人がいすぎて怖かったので近づきませんでした…
感染症禍になる前から人混みは苦手なのです)

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2023_02
11
(Sat)23:54

博物館に初もうでその10(3)。

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前回記事の続き。
東博本館での鑑賞の後は表慶館に移動、150年度の国宝展を見てきました。
東博初の公募型展覧会で、個人や協賛企業が未来に残したいものを
「150年後の国宝候補」として展示するものです。
これ12月までは確か本館の入館料金とは別料金だったんですけど、
お正月を過ぎたら本館入館料だけで入れるようになってました。ありがたや。

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表慶館の吹き抜けいつ見てもモダンで美しい。
真ん中の垂れ幕には展示品が代わる代わる映し出されるようになっていて
シャッターを切ったらたまたま初音さんでした。

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入口はこちら。
なんか真正面に紫色のフットライトが当たってる人がいますね…。

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ゴジラさんだー!!
(声出そうになった)(マスクしててよかった)

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白目があるから2代目ゴジラさんかな。
現在はウルトラマンと並んで特撮の代名詞のようになってますが
初代から5代目?6代目?くらいまでの間に正義のヒーローだったり悪役だったり
人間と心通わせる存在だったりと、結構役割が変わってきてもいますね。
(核兵器への反対という思想だけはずっと貫かれています)

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オキシジェン・デストロイヤーだー!!
これは複製ですがすごい久し振りに見た、いつ見てもすっきりして禍々しいデザイン。

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後ろの背びれも光っておるのですようふふかっこいいね(* ´艸`)。

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周りには現場で使われたと思われる小道具も配置してありました。
金槌とか釘とかペンチとか入ってる木箱。

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ピクトリアルスケッチ(絵コンテ)。
1954年第一作のイメージイラストをまとめたもので、円谷英二のサインも入っています。
永田町やテレビ塔をぶっ壊すシーンのページが開かれていた。

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ラッシュチェックに使われたフィルム。
「ゴジラVSガイガン」て書いてあったから1972年のフィルムですな。

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第一作台本の決定稿。
血文字のデザインが時代を感じさせます。

ゴジラさんは150年後にはどんな存在になってますかねえ…。
150年後ってことは22世紀後半ですけど特撮技術は残っているんだろうか、
というか映画はどうやって撮影されるようになってますかね。
ちなみに23世紀になったらバイオ生物からキングギドラさんが生み出されて20世紀に送り込まれて
ゴジラとの戦闘で首1本へし折られてメカキングギドラに作り替えられて再バトルする出来事が起こります☆
(いきなり1991年の映画の話をするな)(文章にすると結構エグい内容だな…)

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2023_02
04
(Sat)23:57

博物館に初もうでその10(2)。

前回記事の続き。
東博平成館で「兎にも角にもうさぎ年」を見た後、本館に行って新春の展示を見てきました。

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伊勢崎市にある赤堀茶臼山古墳から出土した鶏形埴輪(古墳時代)。
被葬者の魂が宿る家形埴輪のそばに置かれることが多いそうです。
この時代の日本でも鶏って夜明けを告げる鳥とかだったりするんだろうか。

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伎楽面酔胡従(奈良時代)。
ペルシアの国王と従者が酒に酔う演目があり、その従者の役で使われるものです。
852年の東大寺の大仏開眼供養会に使用された可能性があるとのこと。

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国宝室に展示されていた今月の未来の国宝候補はこちらでした、
伊藤若冲「玄圃瑤華」(江戸時代)の部分。
もう何度も見ていますが見るたびにモノクロームの静かな世界に惚れ惚れします。
そういえば動植綵絵が去年だったか国宝指定されましたけど
玄圃瑤華もいつか指定されるのかなあ。

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紺紙金字無量義経(平基親願経)(1178年)の見返し部分。
極彩色で十種供養伝供のうちの童舞を奉納する童子を描いています。
色が部分的に剥離していますが残された色から元の様子が充分に想像できるし今も大変美しい。
お経は無量義経で、金文字で書かれていてこちらも綺麗。

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2023_01
28
(Sat)23:59

博物館に初もうでその10。

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東博の「博物館に初もうで 兎にも角にもうさぎ年」に行ってきました。
これ本館地下のお手洗い前に並んでたポスターなんですが全部今回のポスターです(笑)。
こんなにいっぱいデザイン作っちゃって楽しかったろうなあ。

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博物館に初もうでは、いつもは本館2階の特別展示室で開催されますが
今回は珍しく平成館1階の企画展示室でした。
今年は卯年ですのでうさぎに関する作品が展示されています。

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博物局編『博物館獣譜』(19世紀)。
東博の前身である博物局によって編纂された獣類の画集で、その中からうさぎを展示。
解説文には漢名と和名のほか色や特徴も書かれています。
このうさぎはRabbitじゃなくてHareの方かな、色的に。

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伊万里の染付水葵に兎図大皿(19世紀)。
うさぎの輪郭がレリーフのように盛り上がっていますので
使うためじゃなく飾るためのお皿かもしれません。

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藍釉兎(中国・8世紀)。
唐の時代に焼かれたもので、貴族の墳墓の副葬品だそうです。
何だかうさぎというよりパグみたいな造型ですが、昔のうさぎってこんな顔だったんだろうか。
(これはこれでかわいい)

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2022_12
17
(Sat)23:28

年末の展示室。

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前回記事の続き。
東博の国宝展のほかに、本館と東洋館の展示も見てきました。
こちらは東洋館でやっていた特別企画「未来の博物館」デジタル技術×日本美術体験のコーナーです。

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エントランスにある「夢をかなえる8K」。
SHARP協賛の大画面に拡大された仏像やお茶碗を調査したり鑑賞したりできるというものです。

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まずは「みほとけ調査」をやります。
混雑緩和のため整理券を出してもらって、スマホの特設サイトで順番待ちを確認。
順番が来たら館内に入って体験となります。

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大画面の前に懐中電灯のような手持ちのライトが置いてあって、それを手に取ると体験開始。
映し出された重要文化財の菩薩立像(鎌倉時代)を照らして鑑賞します。
会場にセンサーがついていて画面に近づくと仏像が拡大され、離れると縮小されます。
また左に動くと左回りに回転し、右に動くと右回りに回転します。

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なのでお背中も見られるよ!
衣の金泥や彩色、截金、目や唇に水晶が使われているのもわかりました。

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顔から足元までの調査項目をすべて調べ終わると調査終了となります。
お疲れ様でした。

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続いて「ふれる・まわせる名茶碗」を体験します。

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2022_12
10
(Sat)23:57

これまでの150年、次の150年。

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上野公園の秋です。
黄色に染まった銀杏が地面に散り敷いて絨毯みたいになっていました。

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東博平成館で「国宝-東京国立博物館のすべて」を鑑賞します。
東博が所蔵する国宝89件を順番に紹介するのと、東博150年の歴史を所蔵品からたどる展覧会です。
チケットは日時指定の予約制で、マスクの着用と消毒と検温必須。

展示室は2部屋が国宝の展示、2部屋が東博150年の展示になっていまして
いつもでしたらどの展示もゆっくり見るのですが、今回は国宝の展示に関しては流し見。
展示品の半分以上は過去に本館の国宝室で見たり写真を撮ったりしておりますので
初めて見るものは細かく見て、あとは「ああ今日もお元気ですね何よりです」とご挨拶するにとどめました。
展示品に再会できるのって本当にうれしいことなので^^
舟木本洛中洛外図屏風や地獄草紙や餓鬼草紙にまた会えてうれしかったし
竹生島経は見たことがなかったので見られてよかったです。
小野道風の秋萩帖や元永本古今和歌集や寛平御時后宮歌合も相変わらず綺麗。七弦琴や龍首水瓶も。
東大寺山古墳や江田船山古墳、文祢麻呂墓からの出土品はたぶん初めて見たけど
太刀や鏡、耳飾りや沓、墓誌、骨壺や金壺などが残っているのですね。
片輪車蒔絵螺鈿手箱も光琳の八橋蒔絵螺鈿硯箱もいい感じに並んでいました。
刀剣は童子切と三日月にだけ挨拶して、あとはゆっくり見せてもらいました。
というか、要するに所蔵展示なのに写真撮影もできないってどういうことかな。

東博150年の展示は初めて見るものがいっぱいあって勉強になったのでレポしたいと思います。
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2022_12
04
(Sun)21:53

百着繚乱。

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埼玉歴博の企画展「銘仙」に行ってきました。
博物館に寄贈された銘仙コレクションを中心に、銘仙の歴史と流行を紹介する展覧会です。
2021年に開催予定だった展覧会で図録もチラシも招待券も作られていましたが
緊急事態宣言のため博物館が休館になって展示そのものが中止になりまして
今回ようやく開催となったものです。
入館にあたってマスクの着用は必須で検温・消毒、会話を控えることなどの注意書きがありました。

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企画展示室の前にあった高織。ちちぶ銘仙館の所蔵品です。
地機に比べて腰掛ける位置が高いことから名づけられたもので
足元の踏木をふむことで操作します。
過去にちちぶ銘仙館に行ったとき入口あたりに織機が置かれていたけど、これだったような気がする。

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こちらもちちぶ銘仙館所蔵。ご当地銘仙のパネル。
1929年の「婦女界」にて雑誌記者と三越仕入係長の対談が掲載されていまして
その中で有名な銘仙の産地として秩父、伊勢崎、足利、桐生、八王子の名前が挙がっています。
パネルでは各地の特徴を述べたうえで、新しい技術やデザインへの挑戦についても書かれていました。

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企画展示室に来ました。
ここの企画展は撮影禁止が多いのですが、今回は写真撮影ができました!
やったー!!ありがとうございます。
(まあ、言うたら所蔵品展ですからね)

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2022_07
02
(Sat)23:55

この夏の展示室その2。

前回記事の続き。特別展「琉球」の後に
いつものように東博本館の展示も鑑賞してきましたので、ご紹介。

その前に。
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本館入口の「東京国立博物館創立150周年」の垂れ幕。
今年は東博の前身にあたる東京帝室博物館ができて150年目の節目の年ということで
1年を通して様々な催しが企画されており、
本館でもそれを意識した展示が見られました。

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こちらは東博入口の看板。
150周年記念ロゴの周りを覆っている白い模様は東博の建物に使われている唐草文で、
写真は1955年に撮影された、東博本館を出る人々の写真だそうです。
言われてみれば確かに本館の扉だ、これ。

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東博入口にあるポストも150周年ヴァージョンになってた。

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レンブラント・ファン・レイン「画家と妻」(1636年)。
創立150周年記念特集「時代を彩る洋画たち」のコーナーにありました。
東京帝室博物館が1947年5月に国立になったとき、表慶館を近代美術の常設展示室とする方針があって
(当時はまだ西美も近美もオープンしていなかった)、
レンブラントなど近代以前の画家の作品も展示されていたそうです。
この作品はレンブラント生誕350年を控えて1950年に購入したものだそうです。
作品そのものにも歴史があるけど、作品の収蔵までの道程にも歴史あり。

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2022_05
21
(Sat)23:52

硬くて脆くて美しい。

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科博の特別展「宝石-地球がうみだすキセキ」に行ってきました。
宝石について様々な切り口から紹介する展覧会です。
原石の誕生から採掘、カット技術、地域による石の種類や色彩の違い、ジュエリーが作られていく過程など
歴史も科学も文化もひっくるめて学ぶことができて楽しかったです。
展示ケースのどこを見てもキラキラがいっぱいでした。楽しい☆

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写真撮影は可能。(フラッシュと動画は×)
あといつものことですけど、チケットは日時指定の予約制でマスクと消毒と検温必須でした。
休日はチケットが売り切れるほど混雑しているとのことだったので平日昼間に予約していきました。
午前中のお客さんが出て午後のお客さんが入ってくるまでのランチ時間が穴場ですな、
思ったよりすいててゆっくり見られました。

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まずは宝石が生まれる地質について。
地下深くのマグマやプレート移動などで様々な物質が化学反応を起こし結晶化することで
宝石の元となる原石が生まれます。
原石を生み出す物質を母岩と呼び、母岩を調査することで
原石ができるプロセスを推定することができます。
ここでは火成岩、ペグマタイト、熱水脈、変成岩という4種類の母岩と原石の大型標本が紹介されています。

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マグマが冷えて固まった火成岩から見つかったダイヤモンド(金剛石)。
ダイヤモンドやペリドット(カンラン石)などはマグマに由来する鉱物だそうです。

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地下で熱せられた高温の水が上昇し岩石の割れ目を通過してできる部分を熱水脈といい、
そこから見つかったロッククリスタル(水晶)。
熱水に溶け込んでいた物質が水温や圧力の低下で結晶化したもので
アメシストや水晶はこのあたりから見つかるそうです。

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水やガスなどの揮発性成分が固まってできたペグマタイト(上部マントル)から見つかった原石たち。
粘性の低下や気泡の発生で元素が移動しやすい場合、大きな結晶になることが多いそうです。
フッ素やホウ素が多く含まれているとトパーズ(黄玉)やトルマリン(電気石)などができるそうです。

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変成岩から見つかったルビー(紅玉)。
変成岩は海洋プレートが沈み込むときに岩石が熱や圧力を受けて結晶化していくもので
その過程で鮮やかな色がもたらされルビーやエメラルドなどの原石が見つかることが多いそうです。
大きな結晶ができることが滅多にないというのも特徴だそう。

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ブラジルの溶岩台地から採掘されたアメシストドーム。高さは2.5mあります!大きい。
(南米は白亜紀の頃に大規模な噴火が起こっており、そのときにできた溶岩台地が
ブラジル・ウルグアイ・パラグアイの3か国にまたがる形で広がっているそうです)
アメシストは熱水の酸化ケイ素から固体が分離して出てくるもので、
紫色になるのは結晶を覆っているジオードの周りの玄武岩が鉄を含むからだそう。
アメシストが本来は無色の水晶というのを初めて知りました~そうなんだあ。
言われてみれば「紫水晶」だもんね…水晶なんですね。

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ドームの中にカルサイト(方解石)が埋まっていました。
このジオードが生まれた場所の地下水にカルサイトの成分も含まれていてこうなったんだとか。

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パラサイト(エスクエル)隕石。
1951年にアルゼンチンに落下したもので、ペリドットを含んでいます。
宇宙に宝石のような鉱物が存在するか?というのは長年研究されていることで
この隕石は太陽系が生まれた頃に小惑星の内部でできたと考えられていて
つまり小惑星のかけらなのですね。
ちなみに地球や火星のマントルもペリドットでできていると考えられているそうです。

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2022_01
15
(Sat)23:57

博物館に初もうでその9(2)。

前回記事の続き。
東博「博物館に初もうで」寅年特集の後は本館の展示も見てきました。

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聖徳太子立像(13世紀)。
日本の仏教発展の歴史上で大きな役割を果たした聖徳太子はしばしば子どもの姿で表現されます。
赤い袴姿で2歳のときに「南無仏」と唱えたとされる伝説にちなみ南無仏太子と呼ばれるそうです。
今年は太子の没後1400年にあたりますね。

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十王像から「閻魔王」(15世紀)。
1月の初閻魔にちなむ展示ですかね。(1月16日と7月16日は閻魔様の縁日)
ヒンドゥー教のYamaが中国に取り入れられ道教と融合して十王のひとりになり、
日本では地蔵菩薩の化身としても信仰されています。

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酒呑童子図扇面(16~17世紀)。
全36面のうち1~12面が展示されていて、これは4面。源頼光が天皇から酒呑童子討伐を命じられる場面です。
展示は頼光たちが八幡・住吉・熊野の神から兜と毒酒を受け取る場面で終わっていて
肝心の鬼退治の場面は展示されていませんでした。残念!

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一重口水指・銘「柴庵」(16~17世紀)。
重要文化財の信楽焼。ひび割れは元々あるのか後世に割れてしまったのか…。
かなり口の広い水指ですがどんな花を生けたのかな。

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足利義輝「龍虎梅竹」(16世紀)。
花押から義輝が将軍になる前の作品と推測されています。彼は能書家でもありました。
墨をたっぷり使ってかすれてないしめちゃくちゃバランスよくて勢いもある。

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小袖「白練緯地松皮菱竹模様」(16~17世紀)。
背中に三つ葉葵文がついてます。鷺流狂言師の鷺仁右衛門宗玄が徳川家康から拝領したと伝わります。
権力者の前で役者が演じるために前もって制作され、拝領した役者はその場で舞う文化がありました。
大胆に切られた紫と白い竹の対比がおもしろい。

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夜着「紺綸子地鳳凰唐草模様」(18~19世紀)。
旧久留米藩藩士の家に伝来したもの。
友禅染による鳳凰模様は『諸国御ひいなかた』(1686年刊)などに用例があるそうです。
昔は眠っている間によくないものが近寄ると考えられていたため、
夜着には吉祥模様がつけられたそうです。
綿が入っているのか、裾がモコモコ。

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