猫・本・歴史・アートなど、その日見たもの考えたことをそこはかとなく書きつくります。つれづれに絵や写真もあり。
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2018年02月15日 (木) | 編集 |
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東博の「仁和寺と御室派のみほとけ-天平と真言密教の名宝」に行ってきました。
そんなに混んでないと聞いていて2時間で足りるかなあと思ったら結構混雑していたし
(たぶんみんなこの日から展示される葛井寺の千手観音像を見に来たんだよな…わたしもだ)、
書に絵巻に仏画に宸翰、そして仏像の群れというラインナップで3時間でも足りなかった。。
写真はラウンジに展示されていた御室流のいけばなです。毎週変わるらしいよ!綺麗。

仁和寺は平安時代初期に光孝天皇が発願し、子の宇多天皇が完成させ初代をつとめたお寺です。
真言宗のお寺なのは宇多天皇が真言宗の僧を戒師として出家したからで、
さらに法皇が住んだ僧坊が御室と呼ばれたので真言宗御室派というようになったのですね。
室町時代に描かれたとされる宇多法皇像は袈裟をまとった立派な姿、
法皇所蔵とされる刺繍袈裟の断片も近くに展示されていました。
宇多法皇以後も主に親王が門跡をつとめておりまして、
6世守覚法親王(後白河天皇の子)が自ら行った祈祷や法要を記録した密要鈔から
孔雀経法則と開白次第が展示されていました。
孔雀経は安産祈願や厄払いの際に唱えられるもので、平徳子の出産の御修法にも使われたそう。
また、歴代天皇の書も仁和寺にはたくさん残されていて
だいたいは門跡に宛てて天皇が書いた手紙や色紙のようです。
(わたしが行ったのは後期なので見られなかったけど、
前期展示には平徳子の出産の際に祈祷を行ったことへの高倉天皇からのお礼の手紙と
兄である守覚法親王の返事の手紙が並んで展示されていたそうな)
どの天皇の書にも龍に囲まれた「仁和寺」の印がでかでかと押されていて
これは高倉天皇の宸翰に押されている印だそうで、
他の宸翰にもいくつかその印が押されている例がみられました。蔵書印みたいな使い方なのかな。
後水尾天皇と後西天皇の和歌懐紙はさすが親子で書体がむちゃくちゃ似てて微笑ましかったし
19歳の霊元天皇が書いたむちゃくちゃ真面目な字もすてき。
光格天皇の薬師経は紺紙に金字で書かれていて、
天皇は制作の途中で亡くなったので後は子の親王が書いて完成させたそうです。
天皇本人によるお経の最初の部分が展示されていて、フォントのような厳格な筆跡に舌を巻いた。

真言密教のお寺のため空海に関する文化財も。
10cmほどの薬師如来坐像は秘仏で、過去にほとんど御開帳されたことがなく(直近は1986年)、
歴代門跡の持念仏であり元々は空海の持ち帰り物と伝えられていたそうですが
平安時代後期の制作で円勢・長円という仏師によるものと今はみられているそうです。
衣に金色が少しだけ残っていてキラキラしていた☆
光背と台座には薬師如来が7人、台座には日光・月光菩薩、十二神将が浮彫で見事に表現されていました。
国宝「三十帖冊子」は空海が遣唐使として唐に渡った際にあらゆる経典を写して持ち帰ったもので
ノートとか手帳サイズなので空海が常に持っていたとされるもの。
展示されていたのは30冊のうち20帖と26帖で、「空」と「海」の字も見つけました。
(後でミュージアムショップを覗いたらその2文字がTシャツやトートバッグなどにあしらわれていました)
唐の写経生の人たちにも書いてもらったらしく、丁寧な楷書が並んでいまして
空海は行書で書いているので印象が全然違っておもしろい。
不空(空海の師である恵果の師)筆と伝わる「尊勝陀羅尼梵字経」の堂々とした梵字もかっこよかった。

修法のためのお経や仏具。
掛軸の孔雀明王像は孔雀経修法の際に掛けて使われたものなのかしら、
羽の1枚1枚まで細かく描かれていて、何より江戸時代の絵だから色がきれいに残ってる!
孔雀明王同経壇具等相承起請文は覚法法親王(白河天皇の子)によるもので
修法に使う画像や仏具をみだりに持ち出してはいけないという戒めを書いていて
でっかい手形も赤く押してあったんだけどこれ親王の手なんだろうか…。
また覚法法親王は消息にて修法の秘伝を安易に伝授する者を批判したりしていて
なかなか厳しい人だったようです。
国宝の両界曼荼羅は一条天皇から仁和寺へ贈られたもので
紺地に金色の白描で描かれた、壁いっぱいに広がる巨大な曼荼羅であった。
童子経曼荼羅は子どもを守る修法の際に使われるもので
中央に不動明王がいて、乾闥婆・梵天が子どもを守り、
周囲には犬・猫・獅子・牛など子どもに害をなすという15の動物が描かれていました。
こんなこと言ってもしょうがないけど猫は子どもには害じゃないよー!(アレルギーとかは別です)
白描の薬師十二神将画像は干支の神々がそれぞれの動物に乗った姿で描かれているんだけど
寅神が乗っている首長の虎は鳥獣人物戯画の乙巻にいる虎に似ているので
模写されたのではないかという説があるとか。
そうそう、仁和寺には鳥獣戯画もあります!
甲巻のうさぎの弓矢の場面と、丙巻の人間たちの場面が展示されていまして
何らかのタイミングで写されたものが伝わっているのではないかとのこと。高山寺印のない戯画は新鮮です。
古筆手鑑は紀貫之の如意宝集切・小野道風の写経断簡、
藤原行成・源俊頼の和歌断簡のページが開かれていて
貫之が仮名文、道風が漢文、行成と俊頼は仮名交じり文で何だか時代の流れを感じて楽しかった。
後深心院関白記は1375年10月のページが開かれていて
著者の近衛道嗣が後円融天皇に付き添って仁和寺所蔵の御禊行幸絵巻7巻を見たことを記録しています。
蓮華王院宝蔵の絵で云々とのことですが…時代を考えると応仁の乱で焼けてしまった可能性が。。
現存最古とされる日本図は、現代では日本地図ってだいたい東が右で西が左側ですけど
これは近畿が右で遠江が中央で陸奥国が左向きに描かれていました。
文字が縦向きだったのでたぶんこれが正位置だと思うんだけど、びっくりする。

応仁の乱で荒廃した仁和寺を、江戸時代に復興した21世覚深法親王(後陽成天皇の子)の展示も。
徳川家光に許可をもらい伽藍を再興した人だそうです。
このとき御所から移築した清涼殿や紫宸殿、常御殿などが現在の仁和寺の伽藍を形づくっているとか。
(現在の金堂は元紫宸殿だそうだ)
狩野孝信による牡丹図襖や唐人物図屏風はたいへん美しく、
これらは実際に建物の中に配置されていたそうです。

そしてこの頃建てられたのが仁和寺観音堂なのですが
この展覧会ではその堂内が会場に再現されています!
観音堂は修業の道場であるため通常は非公開ですが現在は解体修理中のため、
安置されている仏様たちを東博にお連れしてくださったようです。
しかも展覧会場で唯一写真撮影が許可されているポイントなのだ!最高。
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キエエエエェェェェェエエエエエ( ゚Д゚)
ご本尊の千手観音菩薩立像、脇侍の不動明王立像・降三世明王立像、
さらに二十八部衆像と風神・雷神像!全部で33体が勢揃い!!
なんじゃああなんなのじゃああああああスゲエエェェェエエエエ(゚Д゚;≡;゚Д゚)

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降三世明王側。

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不動明王側。
SNS映えとか言ってる場合じゃない、ひたすら拝んでは撮らせていただきます。
千手観音様も他の仏様もレプリカじゃない全部本物、それがこんなに並んでいるド迫力☆

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風神。
なんかハーフパンツ穿いてるみたいでかわいい…。

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雷神。
三十三間堂こと蓮華王院でも千手観音軍団の両脇を風神雷神が守っていますけども
あの2柱もだいたいこんなポーズしてるんですよね。
俵屋宗達が風神雷神図を描くとき参考にしたのは三十三間堂や北野天神絵巻だけじゃなくて
仁和寺観音堂のお像もなんだろうか…
でも修行場なら当時も非公開だったかもしれないし、さすがに見られなかったかな。
あるいは風神雷神といえばこのポーズ!みたいなのが当時すでにある程度確立されていたとか、かなあ。

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観音堂再現の周囲をぐるりと囲んでいる壁画は
同じく仁和寺観音堂の壁画を高精細デジタルスキャナで取得したものだそうです。
(京都大学の研究室によるデジタル化→保存するプロジェクトだそう)
オリジナルは木村徳応という絵師による作品で上部に仏画、下部に六道絵という
仏教の世界観を表現した内容になっています。
(木村徳応は江戸時代前期に活躍した絵師で、主に寺社の仏画や肖像画を手掛けていたそうな)

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上から仏様に見下ろされてひたすら恐縮し、下の地獄絵を眺めて楽しくなる時間。
観音堂は長い年月の間に雨漏りとかもあったらしくそういう傷みの痕も見受けられますが
これだけ色が残っているというのは普段から非公開であることも理由のひとつだろうな…
光に当てなければ絵は傷みにくいのでね。
建物が修復されれば雨漏りの心配もなくなるし、これからも大切に保存されていってほしい。

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六道絵の一部、畜生道。(隣に修羅道が描かれていました)
江戸時代に描かれた絵だからか、モチーフや世界観がほぼ完成された地獄絵のような気もします。
室町以前の地獄絵によくある「これなんだろう?」っていうのが、あまりない。

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風神雷神がいます!正面には龍神。

後半は怒涛の御室派仏像ラッシュ。
ほとんどの仏様が360度、お背中まで見せていただけるのがすごくうれしかったです。
平安時代の制作のものが多く、蓮光院の大日如来坐像とか屋島寺の千手観音菩薩像とか
一木造が多いのもこの時代の特徴だなと思った。
仁和寺創建時の本尊である阿弥陀如来坐像および両脇侍坐像(国宝)は
光孝天皇の一周忌、つまり仁和寺創建供養に制作されたもので
そんなに大きくはないけどふくよかでゆったりしたお姿が優美。
平安時代の吉祥天像は唐風のお姿というか、和様のお姿を見慣れているので新鮮でした。
帽子にリボンついてるみたいな飾りがかわいい。
悉達太子像(釈迦の王子時代)は少年の姿に小さな角髪を結ってかわいらしい。
金剛寺の五智如来坐像は密教で5つの知恵を仏にあてはめたもので
大日如来を中心に金剛界の五人の仏様が鎮座していらっしゃいました。
平安末期の優美なお姿だけど玉眼が入ってるんだよね。時代の移り変わり。
明通寺の降三世明王立像・深沙大将立像はおふたりとも2.5mもの阿吽像で
ものすごい迫力ですが筋肉はすっきりした一木造で、鎌倉時代との差を感じます。
深沙大将は磐座に乗っておられて、降三世明王はシヴァとパールヴァティを踏んでいました。
中山寺の馬頭観音菩薩坐像は33年に一度しか御開帳されない有難い仏様、
3面8臂の勇ましいお姿は慶派仏師によるものだそうです。
長勝寺の八幡神本地仏坐像は頭部がそれぞれ如来・菩薩・僧で体は神像という3体。
八幡神は阿弥陀如来や釈迦牟尼仏を本地仏としますが(八幡大菩薩というやつ)、
僧はなんだろ、空海かな。香川のお寺なのでね。
雲辺寺の千手観音菩薩坐像・毘沙門天像・不動明王像は秘仏だそうです!
42本手の千手観音像はぴったり合掌しておられて
目を閉じているのかと思いきやよく見るとうっすら開けておられた。
像内の胸のあたりに「目アヘラカニナシタマエ」という墨書があるそうで眼病に効く仏様とのこと、
施主は「女大施主中原氏」という女性と伝わっているそうですが目がお悪かったのかな…。
神呪寺の如意輪観音菩薩坐像はひとつの頭に6本腕、足を降ろさず組んでいる珍しいお姿ですが
ゆったりした雰囲気が伝わってくるのは他の如意輪観音にも通じるなあと思います。
お寺が兵庫県の甲山山麓にあるため「100万ドルの夜景を見下ろす仏像」とキャッチコピーがあって笑った。
大聖院の不動明王像は宮島に行ったとき階段の途中にあった霊宝館にいらした不動様だー!
かつて仁和寺真乗院にいらしたのを宮島の弥山に移されたんですよね。
巻髪ではなく総髪のお不動様は真言宗御室派の特徴だそうです。
道明寺の十一面観音菩薩立像は秘仏で、
道明寺は菅原氏の先祖にあたる土師氏の氏寺であることから菅原道真の制作と伝わるそうです。
(どうでもいいけど道明寺と聞くと桜餅を思い出してしまう)
中山寺の馬頭観音菩薩坐像も33年に1度の秘仏で
くわっと口を開けたお姿がとてもかっこよかった。

そしてこの日からお出ましの葛井寺の千手観音菩薩坐像が!すごかった!!
この展覧会、本当は混まないうちに来たかったけどこのお像が展示されるのは会期半ばからで
どうしても会いたくて展示初日まで我慢して、当日は案の定混雑してたわけですが
ご本人はかなり大きな仏様だったのでどこからでもよく見えたのがよかったです。
通常、千手観音像は手が40~42本で制作されることが多いのですが
この観音菩薩様の手は両方で1043本あります!
そもそも千手観音の「千手」は「多い」的な比喩であることがほとんどなのに
ガチで1000本以上の手をつけてしまった注文主と職人の狂気を感じる。
物理的に1000本の手を持つ千手観音像は現在このお像しか確認されていないそうです。
無数の脇手は左右4つのパーツに分けられ支持柱や環に釘止めされており、
飛び出している大手は38本ありすべてに持ち物が持たされています。(後世に付けられたらしい)
持ち物をひとつひとつ眺めながらお像の周囲をグルグル回っていたら
向かって右の何も持たれていない大手に目が描かれていてびっくりした。
さらに他の脇手にも目が描かれた手がちらほら…どれも細いけど少しずつ開き方が違っておもしろい。
改めて正面から見ると羽を広げた孔雀のような仏様で、でもどこかで見たことある造形だなと思っていたら
どこからか「宝塚の背負い羽根みたい…」と聞こえてそれなー!って思いました。
この千手観音像はリアルに手が千本ある、まさにトップスターなのだ。すごい。

葛井寺は過去に一度訪れていますが、ご本尊の御開帳日ではなかったので(毎月18日だそう)
今回はお会いできて本当によかったです。
合掌しておられる手が少しだけずれているのが興福寺阿修羅像を思い出しました。
そういえばあの阿修羅もこの千手観音も奈良時代の乾漆造だ。

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会場の特設ショップで限定御朱印がいただけると聞いて!
とても雅なパッケージに書き置きの御朱印を入れていただけました。
ただこの御朱印、日付が入っていないのであれー?と思っていたところ、、

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決まった時間になると仁和寺のお坊様がラウンジで日付を入れてくださるというので駆けつけました!
ちょっと並んだけど無事に書いていただけました。よかった!

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「仁和寺」の印は例の高倉天皇宸翰の印を復元しているそうです。
普段仁和寺でいただける御朱印には押されないそうなので、気になる方はこの機会にぜひ。


そうそう、仁和寺は徒然草の「仁和寺にある法師」や「これも仁和寺の法師」などが有名ですが
(仁和寺近くの双ヶ丘長泉寺に兼好法師舊跡の碑があるよね)
わたしにとって仁和寺といえば野々村仁清だったりします。
江戸時代前期に仁和寺の門前に御室窯を開き、弟子に尾形乾山がいたことでも有名。
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本館に展示されていましたよ~仁清の「色絵牡丹図水指」。
唐風の形の器に和様の牡丹が丁寧に描かれた作品です。きれいだ。

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こちらも仁清、「色絵梅花文茶碗」。
金と赤のきれいな梅の絵。

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東博のレストラン「ゆりの木」のフォンダンショコラ。自分へのバレンタインです。
ここ、デザートのお皿がハート型なんですよね^^
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2018年02月03日 (土) | 編集 |
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節分ですね!!というわけで鬼鎮神社に行ってきました。
過去記事にちらっと節分祭の様子を書きましたけども、
最近は足が遠のいてしまってたけど久し振りに行きたくなりまして。
鬼を追い出さないお祭が好きなので選択肢は限られているのですが(氷川神社とか)
そのひとつが県内に存在するのがとてもうれしいです^^

朝からバタバタしていたせいで出かけるのが遅くなってしまって、
神社に着いたときには写真のように境内が人だらけでごった返しておりました。
この日は1年で一番、この神社に人が集まる日なのに出遅れたー!自業自得。
(しかし…前回訪れたのは7~8年前ですが何だか人が倍以上に増えている気がする…
先週のぶらり途中下車の旅で紹介されたからかな)

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お祭の日には社殿の脇に特別に紅白幕が用意されまして、
時間になると赤鬼さん青鬼さん、宮司さんなど神社の人たちが続々とご登場。
参拝者の皆さんも豆まきはまだかとそわそわした雰囲気。わたしも久しぶりなのでどきどき。

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青鬼さんスタンバイ。

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赤鬼さんスタンバイ。福枡にも鬼さんたちが描かれてるんだよね。

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午後3時、豆まき開始!
「ふくはーうち!おにもーうち!あくまーそと!」という威勢のいい掛け声とともに
豆やみかん、お菓子、お守の入った袋などが一斉に撒かれます。もはや食べ物のシャワー!
参拝者の皆さんは慣れてらっしゃるので
帽子や紙袋などを高々と掲げて飛んでくるものをひたすらキャッチしまくる!
ていうか豆って、あれ飛んできたのが当たると結構痛いよね!
周りでも「痛い」「痛い」って言ってる人たちたくさんいました。笑いながらだったけど。
(節分で鬼役をつとめている人たちは毎回こんな痛い思いをしているのかと思うと申し訳ない…
そして豆をぶつけられるのは至近距離からが多いだろうからもっと痛いに違いない、
改めて誰かに豆を投げるのはやめようと心に誓った時間でした)

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豆まきって勢いのあるイベントなので撒いたり投げたりする人はだいたい遠くへ飛ばしますが
赤鬼さんが時々手近なところへ撒いていたのがちょっとホッコリ。
彼の後ろではテレビ局のカメラがばっちりそのお姿をとらえていました。
ここの鬼さんはやさしいんですよ!記録しておいて!(笑)

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豆まき終了~。お疲れさまでした!
ちょっとくたびれたご様子の赤鬼さん、金棒を手に(これ結構重いのだ)出ていらっしゃいました。
(中の人は毎年同じ人がやられてるみたいですけど、お疲れ様です)

しかし休む間もなく、鬼さんたちは参拝客に囲まれてしまって
ツーショット写真をせがまれたり子どもたちから「豆ください」とかわいらしく両手を出されたりして大人気☆
世間の節分祭では豆で追い出される鬼さんが多い中、
その豆を要求される鬼さんはちょっと、シュールですね^^

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おやあ和楽器を持った人たちだ!
わたしは間に合いませんでしたが、どうやら豆まきの前、
鬼さんたちが神社の社殿に入って行くときに和楽器の演奏が随行したらしいのが
夕方のニュースで流れて初めて知りました。
いいなーいいなー見たかった!

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お祭の後は参拝です。
社殿の中には鬼の形をした神像や燈台鬼が奉納されていたり絵馬や鬼瓦も見られます。
あと社殿内を神社の人がほうきで掃いていて、何でだろうと思ったら豆を塵取りに集めてらしたのでした。
中も豆まきしたんだねえ。

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説明をすっかり忘れておりましたけど、
鬼鎮神社は畠山重忠が菅谷館を建立した際に鬼門除けの守護神として祀ったとか
不眠不休で刀を作り続けた男が鬼になり100本目を制作中に力尽き倒れたのを供養したとか
色々な縁起が伝わっておりますが、
歴史としては鎌倉時代あたりからこの地に鎮座しているようです。
写真の金棒はお願い事が成就した人々がお礼参りとして奉納したもの。
大きさは大小様々で、近隣だけではなく県外からも奉納する人がいるそうです。

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いつから奉納されるようになったのかわからないけど、外にある物で一番古いのはたぶんこれ。
当時は"鬼神社"と呼ばれていたのかな…。
鉄製が多いために戦前には供出された時期もあったみたいです。

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屋根の鬼瓦も鬼かっこいいんだよ。

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撒かれた豆やみかんを手でキャッチはできなかったけど、
バッグや髪にいくつか豆がついていたことに豆まき終了後に気づきました。
写真撮るのに夢中だったからなあ。
福豆もいただいてきたよ~ご利益ありますように。


そんなこんなで家に帰ってから、録画しておいた「いまドキッ!埼玉」を見たら
節分の日特集ということで鬼鎮神社、定峰峠の鬼うどん、小鹿野町は観音茶屋の鬼ころり、
深谷市の鬼瓦工房鬼義が紹介されていました。
氏子総代長の方がおっしゃっていた「鬼は本当にすばらしいものです。
やさしくて、力持ちで、鬼によって世の中が真っすぐすすんでいる。
そういう鬼さんであることをいつも信じています」とか
職人さんの「鬼瓦職人にとって鬼は神のような存在」などのお言葉に泣いた。
鬼をリスペクトしている人のお話ってなかなか聞けないので…みんなもっと鬼のこと語っていいのよ…!

鬼を祭神とする神社は全国各地にありますけども、
そういう場所でも節分祭は行われるみたいですけど
基本的には鬼を追い出さなかったり「鬼は外」と言わないとか、色んなパターンがあるみたいですね。
たとえば鬼子母神を祀る神社やお寺では「鬼は外」と言わないらしくて
そういうところのお祭だったら行ってみたい気もします。
鬼には何の罪もないから…単に厄払いや病払いだったらやりたいんだ…。
あとこれずっと言ってるけど節分に鬼がお祓いをやる長田神社に!いつか行きたいーー!!

2018年01月09日 (火) | 編集 |
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東京国際フォーラムのJ-CULTURE FESTに行ってきました。
去年に引き続き入場料無料で開催されていたお正月イベントです。
写真はイベント会場で販売されていた、鎌倉にある手毬さんの和菓子だよ~☆
戌年のワンコにリンゴに水引のついた菊、それぞれとってもかわいい!

今年もEホールのロビーギャラリーは京都の井筒さんによる力の入った展示がたくさんあって
「宮廷文化・今昔物語」として内容も数もパワーアップしておりまして
去年も思ったけどほんとに無料で見ていいのかと!
写真撮影OKだったのでたくさん撮ってしまいました。勉強にもなるし目がしあわせ^^
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かさねの色目コーナー。
グラデーションが美しい…!と見とれると同時に、この枚数を重ね着していた当時の女性たちのパワフルさにも
もう何百回目かわからないけど思いをはせました。
当時は現代に比べて着物の生地が軽かったというけど、
これに唐衣と裳と長い髪が加わるわけで…いやはやすごい。しかし綺麗。
染料に使われる植物やそれで染めた糸玉なども展示されていて、和色好きなのでテンション上がった☆

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平安時代のお食事を再現したコーナー。
1137年9月に崇徳天皇が仁和寺の法金剛院御所に行幸して競べ馬を見た際の酒肴と御膳を
江戸時代の書物『類聚雑要抄指図巻』から再現したそうです。
天皇や皇太子の食事は再現されている事例を時々見かけるけど
大臣やその他公卿たちの膳があったのがワクワクしました。
天皇は御膳が4つもあるけど公卿さんたちは1つでコンパクトにまとまっているのよね。

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牛車もきてた~たぶん去年と同じものかな?
近くで写真を撮っているのは2日と3日にだけ行われていた装束体験の人たちです。
事前申し込みで平安~鎌倉時代の男女の装束を無料で楽しめたそうで(わたしは申込みそびれました)、
大人だけではなく子どもサイズもあったので十二単&壺装束とか、パパ烏帽子さんと少年烏帽子さんとか
平安親子や鎌倉親子がそこら中に溢れていました。目の保養。

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中から素敵な袖がチラリと。こういうのを出車というそうです。
乗っている人の顔が見えそうで見えないのが御簾のロマンだよね。

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「十二単の変遷」と題して宮廷女性たちの装束の移り変わりを等身大のお人形で紹介するコーナー。
手前が飛鳥時代、つまり天武・持統朝の女官朝服で
高松塚古墳壁画に描かれた女性の装束を参考に再現されたそうです。
さらに奥には奈良時代、平安時代…と、だんだん時代が新しくなっていきます。

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2017年11月01日 (水) | 編集 |
先月、世田谷の豪徳寺に行ってきました。
招き猫のお寺として有名なので知ってはいて、ずっと行きそびれていたのですが
リンともの橘右近大夫さんが記事に書いていらっしゃったので「うおお行きてえ!」と触発されまして。
あと、先日から世田谷線で走っている招き猫電車にも乗ってみたかったし^^

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小田急線豪徳寺駅の改札を出たら早速招き猫が!

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豪徳寺駅から徒歩1分、山下駅のホームへ。
青や緑の電車が何本か通り過ぎていくのを見送って待っていましたら。

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反対側の車線に招き猫電車キタ~~!
世田谷線の前身である玉川線が今年で開通100周年であることを記念して
9月から毎日1編成だけ走っているラッピング電車です。
思ったよりものすごく猫顔してるぞ…!すばらしいね。

下り電車は山下駅を出ると終点の下高井戸駅まで2駅ですから
すぐ折り返して戻ってくるはずと思って見送って待っていたら、
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戻ってきた~~~乗!れ!る!!+゚+。:.゚(^◇^).:。+゚ +゚

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車体も猫だらけデザインです最高です。
わずかな停車時間にバシャバシャ写真を撮りまくるわたしは
乗り降りする人たちの目には大変奇異に映ったことでしょう、大変失礼いたしました。
わたしはある条件が整うと突発的撮り鉄になります。主に「ローカル線」「新幹線」「限定車両」という名前に反応する。

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乗った!!
つり革も招き猫の耳と手がぶら下がってるよ…欲しい…素敵すぎる。(語彙力)

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車内の床には肉球の足跡が。
列車最後部にいた車掌さんから「陰になってるところが撮りやすいですよ」とアドバイスいただきました、
ありがとうございました!

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むちゃくちゃテンションあがったまま宮の坂駅で招き猫電車を降りて
名残惜しくもふらふらと豪徳寺へ。
さっきの興奮冷めやらず頭が沸騰している上に大量の招き猫に会えると思うと胸が苦しくなってきました。
わたしはもうだめだ。(がんばれ)

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2017年10月24日 (火) | 編集 |
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活版工房丹さんの立体カード「遣唐使船」が届きました!
先日、ことのまあかりさんのツイートを見て
「ここここれは何としても我が家にお迎えせねば!!」と気が狂いそうな思いをしていたのですが
有難いことに早々に通販を始めてくださったので光の速さで注文しました。
玄関のポストに届いているのを見つけたときは「来たっ」て声出ちゃったし
封筒を切るときもドキドキわくわくしながら手がめっちゃ震えたけど無事に取り出すことに成功。
こんなに心拍数を上げながら取り出す郵便物も久しぶりです。

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いくよ!開けるよ!!

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スゲーーーーー!!!*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*(落ち着け)

Twitterに開けたときの動画をアップしております→こちら
ちょっとバタバタっとしてしまっていますが雰囲気だけでも感じていただければ…;;
これを開いたときの感動は忘れられそうにない、
カードから遣唐使船が立ち上がるなんて先月までのわたしには思いも寄りませんでした。
「拝啓、2017年9月のゆさへ」と題して今すぐ手紙を書きたい…
10月にとてもいいことがあるからそれまで生きてね、みたいな。

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見てくださいよこの再現度。
同封されていた説明書きによりますと、
奈良の平城京歴史館に展示されている遣唐使船(2010年復元)が元になっているとのことで
あの遣唐使船は何度も見たことがあるので断言する!これものすごいハイクオリティ作品だぞ!!
そっくりだし、細部まで美しいし、何より品格が感じられます。
国の代表として派遣されていた船がモデルなのでかっこよさが大前提なわけですけども
見れば見るほどとにかくかっこいいと思いましたよ。
職人という職業の人々に尊敬の念を抱いてだいぶ経ちますがもうもう、大尊敬が止まらない。
すばらしいお仕事ですありがとうございますありがとうございます!

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船首。雑居部屋も賄い部屋もあるよ…。
(吉備大臣入唐絵巻などに描かれる遣唐使船の上には3つほどの屋形があって
前方の部屋は留学生や僧侶たちが雑魚寝したり料理をする部屋だったのではないかと考えられています)

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やや船尾寄りのここが遣唐大使の部屋。
こうしてみると船室少ないよね…上に入れない人は船の内部で寝起きしていたんだよね。

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後ろから。
網代帆もきれいに再現されてて、この帆が風を受けて船が大海原を走ると思うとたまりません。
航跡も切り抜かれていて雰囲気も抜群ですね…行ってらっしゃい~~とか手を振りたくなる。

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こちらは船尾部分ですがここと船首部分と2箇所だけがカード本体に接着していて
あとは紙から浮いてます。
開いたり閉じたりするときにかすかなカサカサという紙の音が手作り感を誘います。素敵。

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平城京遷都1300年祭公式ガチャ「せんとくん平城立体図録」の遣唐使船と一緒にパチリ。
(このシリーズも結構クオリティ高くて当時かなり驚いたんだよな…)
これで我が家の遣唐使船が2隻になりました。うへへ楽しい。

kentoshisen_9.jpg
猫さまと大きさ比較。
こうして背後にいると遣唐使たちをお守りしてくださる海神様や観音様に見えなくもない。
南無海龍王神、我らの船を無事に日の本へ至らしめたまえ。(Byドラマ『大仏開眼』玄昉)


本日のお絵かきもどき↓
kentoshisen_10.jpg※クリックで大きくなります
遣唐使たちが乗ったらこんなかなあという妄想加工絵。
Twitterに載せた画像はやっつけ気味に玄昉と真備のみ乗ってもらってますが
せっかくなので人を増やして飛沫もとばしてみました。
人物たちは遣唐使のおはなしの過去絵からコピペしています。
*遣唐使のイラスト記事一覧はこちらです*


余談ですが先日まで読売オンラインの正倉院展特集ページで「遣唐使物語」なる記事が連載されていて
それぞれ阿倍仲麻呂、吉備真備、玄昉、井真成、聖武天皇について書かれていたのですが
中でも真成の記事の「衣装に詳しかったのでは」の記述にわたしァ涙が出たよ…!
墓誌の「礼楽を蹈みて衣冠を襲い」や玄宗からの贈尚衣奉御などを考えると
衣装の勉強をしたのではないかという説があるそうです。
彼が唐で何をどんな風に学んでいたかとか、もう少しでいいから詳しくわかる日がいつか来るだろうか…
36歳で客死した真成ですがもし生きていれば仲麻呂や真備みたいに活躍したかもしれないよね。ぐすん。
(いつになくセンチメンタルですが、もう遣唐使については感情が振り切れるどころか一周してるので
ひとしきり噴出すれば沈静化しますのでどうぞご安心ください。
あと奈良県におかれましてはいつぞやの遣唐使船ペーパークラフトをJPGでもPDFでもいいから
オンライン化してDLできるようにしてもらいたいです。作りたい)



123,456Hitありがとうございます!
特に何かする予定はないのでお礼だけ言わせてください、
いつも来てくださる皆様、拍手やコメントくださる皆様、通りすがりのあなたもありがとうございます!
これからもマイペースに続けていきますので気が向いたら構ってやってくださいませ。
どうぞよろしくお願いいたします(*´∀`*)☆

2017年07月28日 (金) | 編集 |
jigokuew1.jpg
三井記念美術館で開催中の「地獄絵ワンダーランド」展に行ってきました。
地獄と極楽を描いた絵巻、掛軸、版本、彫刻などから日本の死生観・来世観をたどる展覧会です。
灼熱のビル街から自動ドアで涼しい館内に入ったというのに
水木しげる御大の釜茹で絵に迎えられるというなかなかロックな趣向です。嫌いじゃない。

jigokuew2.jpg
先日、奈良博の源信展に行きましたけど関東でも地獄絵が見られるということで楽しみにしていて
サイトでチケット情報を見たら相互割引をやっていると書いてあったので、
源信展の半券を持って行ったら200円引きにしていただけました。有難や。
逆に三井記念美の半券を奈良博に持って行っても割引になるそうですよ。

そして最初の展示室で出迎えてくれるのも水木御大の作品。
「のんのんばあと地獄めぐり」の絵本の原画がズラリと並んでいました。
文字通り、水木少年とのんのんばあが地獄や六道をめぐる絵なのですが
少年は「うへー」とか引いてたりするんですけど、なんだかんだ2人とも楽しそうだった。
阿鼻叫喚地獄の絵に犬が描いてあったのを見て
先日の源信展で見た聖衆来迎寺の六道絵にも確か犬がいたなと思い出したり
炎の表現が地獄草紙みたいだなって思ったり…
後の展示を見ても思ったんですけど御大は各地の地獄絵や六道絵をたくさん見て描いたんだろうなと
見ればすぐわかるくらいのレベルで再現されていたと思うし、
わたしもやっとそういうのがわかるところまで来られたのかなあとちょっと思いました。
あとやっぱり現代の人ですから原画がきれいだ…
関係者の皆様にはなるべくこのクオリティでがんばって保存していってほしい。
(ところで御大が旅立たれてもうすぐ2年になりますがあの世からの原稿はまだ届かないのかしら…
御大が何をご覧になったのか気になる。虹色のゾウリムシ(by太宰治)はいるのかなあ)

往生要集3冊、遣宋完本・建長五年版と呼ばれる現存する最古の写本もあって
源信展で見たのは補遺本だったからこっちの方がオリジナルに近いんだろうか。
この本より前の地獄美術は東大寺二月堂本尊の光背に描かれた地獄図とか
平安初期の胎蔵界曼荼羅、中尊寺経の見返しに描かれた六道絵などだそうですが
源信が往生要集を書くうえで六道描写の参考にした「正法念処経」も合わせて展示してあって
(ちなみに正法念処経は地獄草紙の典拠でもある)
源信の思考過程などもわかっておもしろかった。
往生要集は発行後も絵入本や版本など色んな形で伝えられていくのは奈良博でも見たけど
京都の八田華堂金彦の挿絵はゆったりとした線で、でもやっぱり炎は迫力があった。

六道や八大地獄の絵、相変わらずこれでもかと責め苦が用意されている。
掛軸や絵巻で揃っている例がこんなに多いとは…たくさん見せてもらいました。
聖衆来迎寺の六道絵を模写した掛軸、さすが模本で色がきれいに残っていますが
先日原本を見たのでわかるんですが再現率むちゃくちゃ高くないですか、
絵師が特に書かれてなかったけどどういう人が描いたんだろうか。
佐太天神宮の北野天神絵巻には日蔵商人with不動明王の地獄めぐりが描かれ
太政威徳天となった道真に会ったりするんですが
途中で業火に焼かれる醍醐天皇が下着一枚になっちゃっててこれは…あんまりじゃないかな…^^;
長寶寺縁起の慶心尼と不動明王の地獄めぐりは
閻魔王宮で額にハンコを押されて終わりっていうのがおもしろいし、
さらに後日談では本堂で青いクモを見つけた慶心尼がなぜかパッタリ倒れてまた地獄へ行って
閻魔に「あなたハンコ作りなさい」と言われて目が覚めたら青い舎利を手に持っていて
それを使って閻魔王大実判を作ったっていう。
絵巻には慶心尼がハンコを作ったり、他のお坊様が閻魔王像を彫ってる描写があって
さらにそのハンコの実物も展示されていた!
長寶寺では毎年5/18に閻魔像の御開帳がありお参りすると額にハンコを押してもらえるそうで
やばい…行ってみたい…!!
富山の立山曼荼羅、立山連峰は死者の魂が集まり地獄と極楽が共存すると考えられているそうで
この曼荼羅は勧進の絵解きなどで使われた形式だそうですけど描いた人がすごい、
藩主の松平乗全が自ら筆を取ったものらしい。
すみずみまで細かく、色遣いが美しく、確かな描写力で山の緑や人々の生活、その中にある六道や極楽、
空には飛天が舞い赤い太陽と白い月が雲とともに出ている。
藩主って忙しいイメージですけど一体どんだけ時間かけて描いたのか、すごい人がいたもんです。

閻魔大王の姿も様々。
中山寺の六道絵の閻魔様が、このての絵にしては珍しく白い顔の閻魔様でおおって思ったのと
餓鬼道の真ん中に右上を見つめて手を合わせる獄卒を発見して、おやっと思ったら
彼の近くにいる死者たちも揃って手を合わせていたのが気になった。
右上は色落ちしてしまっているんだけどかすかに仏様の頭っぽいのが残っていたから
来迎でも描かれてたのかしら。
當麻寺の十王図の閻魔様と、誓願寺の地蔵十王図の閻魔様が
机の上で手を組むポーズでお仕事してる姿が完全に一致しててどっちか参考にしたのかな?
それともわたしが事例を知らないだけで閻魔様をああいうポーズで描いた絵はどこかにあるのかな。
あと、閻魔様は密教に輸入されると閻魔天にメタモルフォーゼするらしく
閻魔天曼荼羅なるものが存在するのを初めて知りました。
甲冑を身に着けた忿怒相で水牛に乗ってるっていう…すごい、こんな閻魔様見たことない。
河鍋暁斎の「閻魔・奪衣婆図」がもう、むちゃくちゃおもしろくて
閻魔様が短冊をつるそうとする地獄太夫の踏み台にされているのですが
あとこの閻魔様、四つ足だし髪がクルクルパーマになって口をくわっと開けていて
何となくですが唐獅子図屏風のお獅子みたいに見えるんだよね。意識したんだろうか。
奪衣婆は奪衣婆で、若衆に髪をとかしてもらってまんざらでもない顔をしちゃって、
あの天下の奪衣婆がですよ!本来ならその若衆くんの着物をひっぺがすのが仕事でしょうあなた…
ほんっと暁斎っておもしろい人だなと思う。

暁斎もそうですが、江戸時代は地獄をおちょくった作品が出版されまくった時代でもあります。
基本的に六道絵のイメージは繰り返されているけどそれらを踏まえたアレンジがもう、すごい。
山東京伝作・絵の『小野篁地獄往来』おもしろそうだ~~全部読みたかった。
烏帽子姿の篁が閻魔様が不在の地獄・六道・極楽をめぐるお話なのですが
獄卒がちょんまげ結って江戸町人風の風俗だったりするのがおもしろいです。
八代目市川團十郎の死絵で、地蔵菩薩に扮した八代目が閻魔大王を懲らしめているのとか
児雷也に扮して賽の河原の鬼を追い払うとか(対岸の子どもたちからは投石の応援まである)
先輩役者たちの顔をした仏様たちに蓮台に乗せられそうになってるとことか
もはや何でもあり。
八代目みたいな役者だったら地獄に行っても強いぜ安心しな!とか、絵師たちの声が聞こえるような気もする。
東覚寺の地蔵・十王図はデフォルメがすごくて、地蔵も十王もみんな目がでかくて閻魔は髭ボーボーで
とにかくゆっる~い表現がおっかしくて笑ってしまいました^^
芹沢銈介から柳宗悦に寄贈されたという十王図には十王たちの傍らにそれぞれ小さく本地仏が描かれて
十王たちも素朴な表現でかわいかったです。
孝子善之丞感得伝は信濃の善之丞くんという少年が病気の父親を助けるために地獄へ行く話ですが
5コマ漫画みたいな構成だし絵もゆるかわいいしでコミック読んでる気分になりました。楽しい!

彫刻もいくつかあって、室町時代の閻魔・司命・司録坐像は
閻魔様の黒目が小さくて口をくわっと開けて、するどさがあったように思う。
壬生狂言「餓鬼相撲」と「賽の河原」で使用される閻魔と地蔵のお面は
閻魔が真っ赤で地蔵が白という、遠目でも役割がはっきりわかりそうな色をしている。
鎌倉時代の十王坐像は、銘がないので十王のどなたかはわからないけど
中国の官人の服を着て口をかっと開けているから閻魔様イメージかもしれない。
木喰上人の木造閻魔・白鬼・十王坐像は閻魔と奪衣婆だけ歯をむき出しにして
笑っているのか威嚇しているのか…。
びっくりしたのが厨子入りの閻魔王坐像、わずか4cmの閻魔様!!
所有する正明寺によると善光寺別当の興金上人が閻魔王宮の仏事に招かれ
庭の松の木で彫ったその像を賜ったという言い伝えがあるそうです。
たとえ4cmでも腕まくりしてやる気満々な閻魔様まじ閻魔様、彫った職人の名前をぜひ知りたいですね。

とまあ、そんなこんなで地獄絵のイメージが強烈すぎて
極楽絵も最後にちょこっとあったけどあまり印象に残ってない(笑)。
あっでも、刺繍でできた阿弥陀三尊来迎図はすごいと思いました!
金の糸で来迎の全身図が作られていて…三尊の髪だけは人間の髪が縫い込まれているそうですが。
またそういうやつか。髪を縫い込むとか血で赤を塗るとか、やる人はやるんだよね。
阿弥陀二十五菩薩来迎図は阿弥陀様以外の仏様がみんな楽器を持っていらして
賑やかな音楽が聞こえてきそうな雰囲気。
法如(中将姫)の肖像画は背景に二上山があり、そこへ帰っていく阿弥陀如来一行の帰り来迎が印象的。

jigokuew3.jpg
ミュージアムショップにあったいったんメモに爆笑^^ 即買いました。
暁斎の「閻魔と鵜飼図」のポスカもあったのでゲット。展示はされないみたいですがおもしろい図だったので。


あと。
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秋葉原のハニトーカフェが今日から夏目友人帳のコラボメニューを期間限定で出すと聞いて
ランチがてら行ってきました。
あまりこういうイベントに行くことって普段はないんですけど(混んでるから)、
今回はメニューを見て食べたくなったお料理があったんです。

natsumecafe2.jpg
これ~~夏目・田沼・柴田が作ったオムチャーハン!
6期3話のお泊り会 in 田沼家で男子高校生3人が夕ごはんを作るんですが
原作では炒飯だったけどアニメでは柴田が「オムライスなら任せろ」って勝手に卵焼いて乗っけたんだよね(笑)。
おかげで米とふわふわ卵を楽しめました…おいしかったよ、おまえら(何)。

夏目友人帳は劇中にこれっていう食べ物があまり描かれないので
(あえて挙げるとしたら七辻屋のおまんじゅうくらいか)、
コラボカフェとかやってもだいたいイメージフードとかドリンクが多くて
それはそれでオシャレでかわいいのが多くて楽しいんですけど、
あのオムチャーハンはガチで劇中に登場した食べ物だったし
作ってる3人がわちゃわちゃ会話してるシーンもすごくよかったので
それが再現されたのは本当にうれしい。
(で、食べてたら柴田や夏目があれこれ話し始めて以下怖い話展開になるお約束)
夏目は同級生たちといる時が一番遠慮なくしゃべってる気がします…高校生トークいいよね。
柴田また出ないかなァ緑川さんが準レギュラーと思ってるっておっしゃってたし、確か。

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ニャンコ先生パンケーキ!チョコで肉球が描いてある(=^ω^=)。
今回のコラボは1メニューにつき缶バッジとポストカードがついてきます。先生かわゆ~。

natsumecafe4.jpg
テーブルにいた黒ニャンコ先生。
他のテーブルにも白ニャンコ先生や黒ニャンコがちょこんと乗っていたり
大きめの椅子には先生クッションがあったり、レジにはエプロンをつけたニャンコ先生がいましたよ~。
お店中に先生がいる光景はちょっと、すごい。
8月いっぱいなのでまた行きたいなあ、藤原家のごはんプレートも食べたいです。

あと、この日は国立公文書館の「ふしぎなふしぎな百人一首」も見てきたのですが
長くなりますので次回記事にてレポしたいと思います。


クリックで拍手お返事。↓
皆様いつもありがとうございます(^-^)/☆
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2017年04月07日 (金) | 編集 |
daieshi1.jpg
科博の「大英自然史博物館展」に行ってきました☆
始祖鳥を始めとする約8000点ともいわれる同館のコレクションから
選りすぐりの180点が世界中を巡回しています。
意外ですが同館に関するまとまった展覧会は今回が初めてなのだそうで…
大英博物館の展示は割と行われてるイメージあるけども。

スタッフさんからの「フラッシュを焚かなければ撮影OKです」との案内に僥倖を覚えて
デジカメを手にワクワクしながら展示室に入ります。
まずは、こんなものを収集してる博物館ですよ~みたいな、大まかな展示品の紹介。
daieshi2.jpg
ジョン・オーデュボン『アメリカの鳥』より、ショウジョウトキとイヌワシの絵。
オーデュボンは19世紀初頭の野鳥画家で、
この本は北米に生息するほぼすべての鳥を可能な限り等身大で描いているそうです。
写真だと大きさが伝わりにくいかもしれませんが原画は巨大でした。すごい迫力。

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レオポルド・ブラシュカ&ルドルフ・ブラシュカによるタコのガラス模型。19世紀の超絶技巧です。
生きているタコの色を保存し研究するための資料として作られたものだそう。

daieshi4.jpg
呪われたアメジスト。
所有者に不幸をもたらすとか、川に投げ込んだのに発見されて戻ってきたとか
色々といわくのある宝石らしい。
こういうの怖いけどワクワクしてしまう自分がいます^^
照明が暗くてうまく撮れなかった…装飾には12星座のアイコンもついていました。

daieshi5.jpg
集団で交尾中に何らかの原因で窒息死したと思われる三葉虫。
えらい姿が化石になってしまったもんです。子孫を残すのも命がけ。

以下、写真とともに展示内容の一部を紹介しています↓クリックで開きますのでどうぞ☆
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2017年02月15日 (水) | 編集 |
kasuga1.jpg
東博にて「春日大社 千年の至宝」展を見てきました。
大社の創建から歴史、古文書、本地仏、奉納された神宝や武具、芸能、式年造替まで
あらゆる視点から春日大社を紹介する展覧会です。
金地螺鈿毛抜形太刀が見たくて行ったのですが、他の武器も結構かっこよかったり
春日権現験記絵が予想以上におもしろくてわーいたーのしー!ってテンション上がって
結局2時間近く滞在してしまった。
割と混んでいたのでお互いに譲り合いながらの鑑賞でした。最前列は亀の歩み。

春日大社といえば鹿、ということで最初は鹿さんの展示から。
御使いである鹿さんは様々な形で表現されています。
江戸時代の鹿図屏風は大社周辺に生息する鹿をほぼ等身大に描いたもので
のっぺりとしたタッチがのんびりして宗達みたいな雰囲気。
鹿島立神影図は鹿島神宮からタケミカヅチを乗せて春日の地に降り立った鹿さんの絵で
これは繰り返し描かれてきたモチーフのようで、複数展示されていました。
春日山と三笠山のふもと、鹿さんからいましも降りようとしているタケミカヅチは赤い束帯姿で
髭を生やした顔は唇を引き結んでいて割と恰幅のいいお姿。
大社においては普段、紙垂で顔を隠してお祈りされるとのことですが
今回は展覧会ということで直接お顔を見ることができるという、なかなかレアな機会です。
また、フツヌシ(タケミカヅチと対の神)と一緒に鹿に乗ってきたという掛軸もあって
2柱の神様のポージングがそっくりというかほぼ同じで
こういう風に描くみたいなルールとかあったのかな…。
また、春日鹿曼荼羅なるものも初めて知りました。
立派な鞍と鈴をつけた鹿さんの背中に榊の木が乗り紙垂が垂れている絵は
鎌倉時代の制作で現存最古。
鳥居を描いたものもあって、遠く京都から大社を遥拝するのに使われたとか
春日講の本尊として使われたものなどもあるそうです。

大社についての記録。
続日本紀の18巻にタケミカヅチが鹿に乗って春日へ来たという内容の記述があったり
延喜式に大和国286座のひとつとして春日大社の名前があったりして
この頃から歴史上にもぽつぽつ登場してくるのですね。
小右記の一条天皇の春日詣でとか、一条~崇徳(今上って書いてある)までの行幸記とか
御堂関白記では道長と一緒に女車が同行したとか(女性たちのお参りですね)、
藤原忠実が15歳のとき春日祭で上卿をつとめたことが栄華物語に書いてあったり
藤原の皆さんによる記録が多め。
藤原頼長の日記「台記」には1136年11月の春日詣でにて長櫃を持参し宝物を納めたとあって
そうして人々が納めてきた宝物の一部がここに展示されているんだなあと思うと
胸が熱くなってきた。

春日大社の本殿はひとつではなく第一~第五まで5つありそれぞれに神様が祀られていて
そのうち本殿第2殿が実物大で展示室に再現されていました→こちら
春日大社の監修だそうで、上野にいながら春日詣でできる…!
御簾に取り付けられた蝶や花の形をした金具が雅だったし
青いビーズが連なったような瑠璃燈籠が吊られておごそかな雰囲気。
(近くには室町~江戸期の金具や燈籠も展示されていました)
左右の御間塀には獅子牡丹図と神馬牽引図の2図が描かれていて
これらは去年まで実際に本殿に奉納され、
先日の式年造替の時に撤去された絵なのだそうです。
あと鎌倉時代の獅子や狛犬もいて、彼らも最近まで第一~第四殿に飾られていたけど式年造替にて撤下。
第一殿ペアは足をしっかり着いてどっしり構えているけど
二殿ペアはちょっと首をかしげてて、三殿はちょっと空を見上げてる感じで
四殿に至っては阿が立ち上がろうとして吽は座ったままという、
だんだんアクションが足されてくるのがおもしろかったです。

奉納された宝物類。
緑地彩絵琴箱は琴を入れる箱で、内部にシンプルな花鳥画が描かれていて
琴の展示はなかったけどどんなのが入ってたのかな…。
鏡台や笥、笏など普段の生活に使われそうなものも。
武器は梓弓、鏑矢、鎧、刀などたくさんあって
奉納された時代とともに形が少しずつ変わっていってるのも見どころで
時代ごとの流行や武器に対する思いも伝わってくるようでした。
藤原頼長が奉納した金地螺鈿毛抜形太刀は武器だけど武器として使うことは一切想定してないと思う。
鞘の装飾がほぼ純金と螺鈿で作られていて、1000年近く経つのに遠くからでも輝いて見える!
尻尾の長い猫が雀を追いかけて捕まえて満足☆みたいなストーリー性があって
狩りのポーズとか下がった耳とか雀を押さえた肉球とかすごくリアルで
この螺鈿職人は猫をきちんと観察して再現する能力が桁違いにカンストしている!
あるいは頼長たんの監修が入ってるかもしれぬ…彼のそばには猫がいましたからね。
(平安時代に猫好きはたくさんいましたが頼長は少年時代に飼い猫の葬式を行うほどの猫クラスタです)
そういえば日光東照宮の眠り猫の裏側には竹林に遊ぶ雀がいて
猫が寝ているから雀は安心して遊んでいられる、みたいな意味だったような。
小鳥遊と書いて「たかなし」と読む名字がありますが、そういうとこからきてたりするのかな…。

10柱の春日ゆかりの神と本地仏が描かれた春日本迹曼荼羅は
仏像の姿を借りて神を表現したものです(平安時代からの風習)。
たとえば春日神は不空羂索観音、二殿は薬師菩薩、三殿は地蔵菩薩、四殿は十一面観音、
若宮は文殊菩薩…などの姿で描かれます。
空海も八幡神の姿で表現されたりするけど、あれに近いのかな…神仏習合の極み。
文殊菩薩騎獅像および侍者立像は獅子に乗った文殊菩薩に善財童子などの侍者が付き従っており
つまり若宮ご一行なわけですな。
春日神鹿御正体も彫刻作品で、鹿さんの彫刻も見事なんだけど
鹿さんが背中に乗せている丸い御正体には春日の5柱の神が仏の姿で描かれていた。
また、神の全身図を描くのは本地仏と一緒にいるor本地仏そのものに変化している場合ですが
そのほかは体の一部を描くのみだったそうで、
興福寺の天狗草紙には春日神が烏天狗に日に三度甘露を振りかけたところ救われたという話が載っていて
絵巻に烏天狗たちの姿は描かれているけど神は手だけでした。
(ちなみに大社に縁のある人や信仰した人は春日野の地下にある春日野地獄に落ちて
春日神が毎日水を注いで助けてくれるらしい。すごい)

大社に伝わる芸能。
若宮おん祭を始め大社には様々な舞楽や能が奉納されます。
鼉太鼓(左方。複製)は源頼朝が奉納し今もおん祭で実際に使われる太鼓を忠実に再現していて
見上げるような大きさでよくここまで運んでこられたなあと思う、
いつか雅楽の演奏で使われてるとこ見てみたい…!
蘭陵王や納曽利をはじめ数々の舞楽で着用される面や装束も豪華で美しく、
鼻高で外国人がモデルとされる地久や鯉口をしている貴徳面など初めて見るのもあったし
興福寺に伝わる新鳥蘇面は唐招提寺の仏像修理をした印勝作ということがわかっているらしい。
太平楽の装束の肩喰が麒麟と狻猊で帯喰が龍と獅子なの最高にかっこいい!

春日権現験記絵巻。
皇室の名宝展や大神社展でもいくつか見たけど、さすがに今回の出品数はかなり多め。
春日の神々がどんな存在か、どんな力を持つ神かを物語とともに生き生きと描いてくれていて
人々が神々をどんな風に捉えていたかがダイレクトに伝わってくる。
地蔵菩薩の姿で牛車に乗った第三殿が御簾からチラリと顔をのぞかせていたり
十二単姿の第四殿が教懐という人の腰痛を治してあげて、雲に乗って帰ったり
僧侶に化けてきた何者かの正体を見抜いて追い払ったりと大活躍する様子が
細かく丁寧な筆致で描かれています。
ほとんど江戸時代の制作ですが、
1927年制作の13巻は童子姿で現れた第四殿が学問所を見学していく様子が描いてある。
藤原基通が平家都落ちの際に難を逃れたり
藤原光弘が竹林で十二単姿の第四殿に会ったり
藤原忠実が春日詣での際に11~12歳くらいの童子の姿をした春日神を見かけたりするとか
藤原氏の氏神らしい一面も。
興福寺の狛近真が大社に舞を奉納した「狛近真事」とか
貞慶から仏舎利を譲られる明恵を描いた「明恵上人事」みたいな
春日大社に関わった人や信仰した人なども絵巻になっています。
1301年に盗難に遭った神鏡を取り返す様子は
盗賊たちを追いかけて斬り殺したり3つぶんどったりする武人たちは白い衣装を返り血で真っ赤に染めてて
これ…奉納した絵巻だよな?って、ちょっとびっくり。
個人的に特に紀州本第六巻のおもしろさが振り切れてて好きー!
地獄に落ちた興福寺の狛行光を春日神が助けるという内容で
(興福寺も藤原氏とゆかりの深いお寺ですな)、
地獄の閻魔様のところへ直接赴いて行光を許してください~と直談判する春日神のフットワークの軽さよ。
閻魔様も春日神も顔の部分が霞で隠れて衣服だけが見えていて、
行光を冥府から連れだした後も春日神は後ろ姿で描かれているのとか徹底してますけど
チラリと見える横顔はハンサムメンの香りがして絵師も絶対引き目鍵鼻を意識して描いてると思う。
救済された行光は春日神とともに地獄見学ツアーをするのですが
六道の責め苦の場面に笏を向けて「ほらご覧」とでも言ってそうな雰囲気の春日神は
なんだか無邪気なようで少し怖くもありました。
あとヒラヒラなびく束帯がそりゃ…イイですよね…(突然の萌え語り)。

kasuga2.jpg
春日大社万燈籠を再現したコーナーは撮影ができます。
ほのかなライティングはおごそかで厳粛な儀式の場のよう。

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黒かったり金色だったり。

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燈籠の円窓部分にはひとつひとつ異なる彫刻がほどこされています。
写真は鹿さん、と、松かな?
笠が花びらだったりするのもオシャレです。

特別展の後は、いつものように本館も鑑賞。
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春日大社展に関連して鹿の彫刻作品がいくつか展示されていました。
写真は竹内久一「神鹿」。背中に宝珠を乗せています。
さっき見た御正体の鹿さんを彷彿とさせるような美しさ、白は神様の色ですね。

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こちらは森川杜園「牝牡鹿」。
1893年のシカゴ万博に出品した作品で、森川さん当時73歳!
鹿の制作を得意とした人だそうで…葛飾北斎も高村光雲もかくやというほどのご活躍、かっこいい。

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本館特集展示も見に行きました。「奈良・金春家伝来の能面・能装束」。
南北朝時代から春日大社に芸能を奉納してきた金春流ゆかりの品々が展示されています。
写真は天冠と中啓。
雅楽や能に使われる冠はキラキラひらひらしていてすごく好き。
中啓は女性が主人公の能に使われる扇で表に玄宗と楊貴妃、裏に花々の花戦さ模様。

konparu2.jpg
女性面の迫力。泥眼と般若。

konparu3.jpg
鬼神面。
どれもすごく綺麗に残っていて大切に伝えられてきたんだな…。
金春流の能は1度しか見たことがなくて(ちなみに道成寺)もっと見に行きたいなあと思っています。

2017年01月29日 (日) | 編集 |
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川越八幡宮(川越八幡神社)に厄払いに行ってきました。
友人が年明けに何やら災難があったらしく「お祓い行きたい!」というお誘いがあったので。
川越には何度も来ていますが、この八幡宮に来たのは初めてで
駅から徒歩5分というのも初めて知りました。近いなー!
入口の鳥居の参道には朱塗りの燈籠がズラリと並んで美しい。

kawahatchi2.jpg
社務所で御祈祷の受付をすませてから神社にお参り。
川越八幡宮は1030年、甲斐守だった源頼信が長元の乱の必勝祈願を行い鎮圧した折に
八幡神社を創建したのが始まりと伝わっています。
祭神である誉田別尊は八幡神の別名だそうな。

kawahatchi3.jpg
拝殿。
老朽化のため1975年に改修されたそうで、とても綺麗でした。
休日でしたが境内は静かで人もまばら。お正月から一区切りついた感じかな。

kawahatchi5.jpg
装飾と鈴。
破風や懸魚などすべてに同じ植物の意匠が施されていました。

kawahatchi6.jpg
屋根の鬼瓦もきれいです。
巴紋は防火の意味もありますが、確か八幡宮の神紋だったね。

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2017年01月05日 (木) | 編集 |
JCUlTUREF1.jpg
東京国際フォーラムのお正月イベント「J-CUlTURE FEST」に行ってきました☆
フォーラム会館20周年記念事業で
全国各地から工芸や芸能や演芸、食べ物まで集めたイベントが行われると聞いて
(しかも入場は無料だ!)楽しそうだな~と思ったので。
実際行ったら想像以上にエキサイティング、門松と鳥居が迎えてくれるし
お雑煮食べられるし羽根つきなどのお正月遊びスペースもあって
もしお正月をテーマパークにしたらこんな感じになるだろうなと思いました。

JCUlTUREF2.jpg
まずはお着物コーナーから。
Eホールのロビーに展示されていたのは京都の井筒さんによる十二単と束帯。
井筒さんの衣装はすごくしっかりしていて再現度も高くていつ見てもホレボレします(//▽//)。

JCUlTUREF3.jpg
後ろはこんな感じ。
裾や裳は高位になるほど長くなるのだそうです。

JCUlTUREF4.jpg
牛車もきてた!
乗車体験とかはありませんでしたが、ほぼ原寸大で乗ろうと思えば乗れそうだし
引いてもらえば移動も可能ではないかと。(車輪には動かしたような跡がついてました)

JCUlTUREF5.jpg
正面から着物がチラリ。中にはお人形さんが乗っていました。
いつかチャンスがあれば牛車にも乗ってみたい、何だかとても優雅な気持ちになれそうな予感がする。

JCUlTUREF6.jpg
風俗博物館の源氏物語の六条院模型もきてた!
正面に再現されていたのは胡蝶巻の舞楽の場面です。
風俗博物館は去年も訪れましてその精巧さに圧倒されたな…。

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2016年11月27日 (日) | 編集 |
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東京富士美術館「漢字三千年-漢字の歴史と美」展に行ってきました。
甲骨文字から楷書までの漢字の歴史が学べるし、
紙や盃や剣に瓦に至るまで様々な文字の形と出土品美術品が鑑賞できます。
キャプションは作品の横に「草書体」「行書体」などフォントの種類が紹介してあって
そういうのも初めてなのでおもしろかったです。
ちなみに写真手前の白抜きになってる「漢字三千年」は篆書体だそう。

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入口からしてとても胸熱。
篆書の門をくぐって展覧会に入るとかロマンがカンストしている、文字フェチにはたまりません。
会期末も近いので展示室内はだいぶ混みあっていて、
聞こえてくる会話からたぶん書道をなさってる人が多かったんじゃないかと思う。

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みんなー!「中国側のご配慮により写真撮影は自由」だよー!!
職業病なので権利関係どうなってるのか少し気になりましたが有難くお言葉に甘えました、
次に機会があるかわかりませんから…混雑していたので譲り合いの精神を心掛けたよ。

(注意:この展覧会は巡回しますが各地の会場で撮影できるかは今のところ不明なので
行かれる方は現地でご確認くださいね)

以下、写真が多いのでたたんであります↓クリックで開きますのでどうぞ☆
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2016年11月03日 (木) | 編集 |
先月末に友達と3人で三峯神社へ行ってきました。
ずっと行こう行こうと言ってて、でも約束した日が雨になることが多くて延期に延期が重なって
ようやく曇りの日に念願叶いました。
神社は秩父三峰山の標高1102mという山奥にあるため車は諦めまして(3人とも山道の運転は苦手)、
電車とバスの計画立てたら朝めっちゃ早起きする羽目になった。。
ローカル線は萌えのかたまりですが時間厳守しないと詰むよね(^v^)何とかなったけど。

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秩父鉄道に乗って三峰口駅に到着!
桜沢みなのさんはハロウィン仕様でした。

三峯神社へは駅の向かいにあるバス停から発車するバスに乗って約1時間です。
山道をくねくね登っていくバスの中から景色を眺めたり、
急カーブで対向車とすれ違えなくてバスじゃなく対向車がバックしてるのとか眺めながら
「うちら車で来なくてよかったね…無理だったよね…」とかしみじみ語り合いました。(しみじみ言うな)
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二瀬ダム。荒川の上流にかかるダムで名前は水没した地名からとられています。
向こう側には湖があって秩父湖と呼ばれています。
「瑠璃色に輝く秩父湖二瀬ダム」(埼玉郷土かるた「る」より)

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色づき始めた紅葉を眺めながらダムの上の県道を走るぜ!
一車線のため赤信号の待ち時間が異様に長く感じました。

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それからも延々と山道を登り続けて、やっと三峯神社の駐車場に着いたー!
駐車場からさらに坂を上ると神社の鳥居が見えてきます。

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入口の三ツ鳥居!白い!かっこいいかっこいい。

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鳥居の左右にいる狼の狛犬。
三峯神社の神使は狼なので境内各所に像がいます。
秩父山中には昔から狼がいたそうですが、いつしか土地を守る存在として崇められるようになって
江戸時代の三峯講で広く知られるようになったとか。
神社で狼の護符をもらう狼信仰などもその頃に広まったそうです。
(狼信仰は三峯神社のほかに両神神社や長瀞の宝登山神社などにもあります)

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2016年07月27日 (水) | 編集 |
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国立公文書館で開催中の「ようこそ地獄、たのしい地獄」展に行ってきました。
平安時代~江戸時代の古典籍から日本史における地獄観や死生観の変遷をたどる展覧会です。
「地獄ってだいたいこういうイメージだよね」というオーソドックスなものから
「こんな地獄もありだよね」的な自由なものまであって楽しかった。
あとポスターも展示もやたら河鍋暁斎押してた(笑)改めていっぱい描いてたんだなあとしみじみ。

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妖怪退治伝展のとき以来ですから2年振りの公文書館ですが
竹橋駅の出口ってややこしいので一瞬、反対方向に進みかけたりしましたが無事到着。
写真は入口のアスファルトに描いてあったトリックアートです。出典は暁斎の絵から。
鬼の手元に立ったり寝転がったりすると地獄に連れて行かれるっぽい画像が撮れますぞ。
(公文書館の人たちがツイートしてました→こちら。なんだか楽しそう)


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入館すると目の前に巨大顔はめパネル。
暁斎の閻魔様にしばかれる体験ができます。迫力すごい(笑)。

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入場料は無料で写真撮影もできて(フラッシュは×)、Twitterでつぶやいても大丈夫という
公文書館さんの姿勢は本当にありがたい。
というか公文書館さんのツイートは楽しく勉強できる素敵アカウントです。
毎日ネタ探すの大変でしょうけど続けていってほしいな。

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展示室はこんな感じです。では早速いってみよー。

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2016年07月02日 (土) | 編集 |
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台東区下谷の小野照崎神社へ夏越の祓に行ってきました。
毎年6月30日(大祓)・7月1日(富士山の開山日)の2日間だけ解放される境内の富士塚に
前から一度登ってみたかったので。

照崎は小野篁が陸奥守時代に住んだ地と伝えられ、後に主祭神として奉斎され神社となりまして
さらに菅原道真も相殿に祀られているので(江戸二十五天神のひとつで通称渡江天神)、
学問のご利益があるそうです。
また俳優の渥美清さんがかつてお参りしたところ映画がヒットしたという逸話も伝わるため
芸能のご利益もあるそうです。
他にも健康や病気平癒、厄除、交通安全など各種そろっているのが下町の庶民の神社っぽいというか
「何でもお願い事きくよ」みたいな姿勢が太っ腹だなと思う^^

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鳥居の上に提灯が下げられて、お山開きと書いてあります。お祭だ!
鳥居をくぐると社務所がありまして、御朱印やお守がいただけるのですが
この日はお祭ということもあり行列ができていたので大慌てで並びまして、

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神社の御朱印と、お山開き限定御朱印と、肌守を無事いただけました。

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本殿の前に設置された茅の輪☆
左上にくぐり方の説明書きがあるので、それに従ってくぐります。
左まわり、右まわり、もう一度左まわり、最後にまたくぐって社殿まで歩いてお参りするという作法。
(神社によっては茅の輪が3つ並んでそれぞれくぐる場合もあったり
「水無月の夏越の祓する人は千歳の命延ぶといふなり」と唱えながらくぐるそうですな)

なぜ茅の輪をくぐるかの理由は諸説あるそうですが
過去記事にも少し書いた、伊勢参りに来たスサノオをもてなした蘇民将来へ
スサノオがお礼にと厄除けの茅輪を編んで贈ったのが始まりという説が一般的なのかな。
半年のケガレと厄を落として、また半年息災で過ごせますように。

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2015年10月18日 (日) | 編集 |
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川越まつりに行ってきました!
山車にお囃子に出店もたくさんあって賑やかだった~。
去年は夜のお祭りを楽しんだので、今年はお昼に行きまして
時間もたっぷりあったので去年より山車もお祭も楽しめてよかったです。

川越まつりは1648年に当時の川越藩主だった松平信綱が
川越氷川神社にお神輿を寄進し祭礼を奨励したところ、
華麗な山車や氏子が町内を巡行するようになり町衆も楽しむようになったのが始まりです。
江戸400年の祭だぜ!
(その松平信綱さんというのは知恵伊豆と呼ばれ徳川家光の左の手と言われ、
1922年に埼玉県初の市制を布くきっかけになるほどに川越の基礎を育てあげたあの人ですな)

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駐車場まで聞こえてくる祭囃子をたよりに歩いて市役所へ向かっていたら
さっそく山車に出くわしました~新富町の鏡獅子☆

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てっぺんにいるお人形。大切に保存されているのだろうなあ、とても綺麗です。
鏡獅子は能「石橋」に取材した歌舞伎の演目に出てくる文殊菩薩のお使いで
劇中では勇壮な舞を披露します。
毛振りといって髪をグルングルン回す演出で有名な舞踊ですな。

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すぐ近くにいた猩々の山車。
川越まつりの山車は各町内の自治会が所有するものがほとんどですが
こちらは川越市の所有のため市役所前にいることが多いようです。

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猩々さんのアップ。中国の想像上の生き物で、能「猩々」にも登場します。
肩に背負っているのは無限にお酒が湧いてくる酒壺。

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2015年06月06日 (土) | 編集 |
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とらや赤坂本店の「虎屋文庫のお菓子な展示77」に行ってきました。
お菓子の資料室・虎屋文庫(1948年に開館)がとらや本社ビル建替えのために
3年間休室することになったそうで、
これまでに開催された77回の展覧会を年代順にダイジェストで紹介してくれています。
創業時の記録に注文用カタログに商売道具、パッケージ、ポスター、映像資料ほか
展示されているお菓子は職人さんが実際に再現された本物なのです!
しかも入場料無料です、無料なんです!お菓子好きな方ぜひ行くべきー!!

とらやの資料をお客さんに見てもらおうと1948年に始めたらしい資料展覧会は
最初は古文書が中心だったそうですが、やがてお菓子を展示するようになり(第3回)、
とらやの歴代店主を務めた黒川家や歴史上の人物のお菓子にスポットを当てたり
パリ店がオープンした年には西洋のお菓子を紹介したり(第14回)、
和菓子の歴史に注目する内容が増えたり(第18回)、
そうした取り組みが実を結んで来場者数が1,000人を超えたり(第27回)、
展覧会限定お菓子の販売(第29回)や映像展示を始めたり(第35回)、
大河ドラマ関連展示をしたり(第45回)、香り体験や辻占クッキー配布を行ったり
タマちゃんブームでフィーバーしたり新型インフルエンザであわや中止!?になりかけたり
スタンプラリーやトークイベントが行われるようになったり(第73回~)などなど
時代と平行しながら行われてきた展示の悲喜交々がつづられていました。
記念すべき第1回展(1973年)は「富岡鉄斎と虎屋展」で、
幕末~近代にかけてとらやの京都店支配人と親しかった鉄斎が取り上げられたようです。
現在もとらやで使われている「竹に虎」の掛紙は鉄斎の筆によるものだそうです。知らなかった。

歴史上の人物とお菓子の企画がwktkでしたっ( ̄∀ ̄)
第4回展で取り上げられた光格天皇はお菓子が大好きだったようで、
とらやのお菓子に何度か名前をつけているそうです。
そのうち「下染」「村紅葉」の2つが再現され展示されていました。きれいだった!
第13回展は和宮御用関係の展示で、成人祝いのでっかい月見饅頭がおもしろかった。
お饅頭の中心に穴をあけて、夜空にかざして月を覗き見る風習があったそうで
そのためにすごく大きく作ったのだそうです。ちょっとやってみたい…p(◎qд ̄)
第45回展で紹介された、1705年に尾形光琳が中村内蔵助に贈ったお菓子は
10種類を重箱につめた豪華なものだったようです☆
うち「色木の実」「友千鳥」が再現され展示されていまして、
とらやで発行されていた御菓子之書図というお菓子カタログは絵入りで品物の説明がされていて
光琳が見たのはこんな冊子だったのかなあとワクワク。
(歴史上の人物と和菓子についてはとらやのサイトでも連載されています→こちら
来年には本になるそうだ!楽しみ!)

やっぱり一番テンションがあがったのはお菓子の再現ですかね!(o゜▽゜)o
重箱にお菓子が敷き詰められた百味菓子(第6回)、
伊勢神宮の神使である鶏の2羽を表現した「みもすそ川」というお菓子(第19回)、
源氏物語の夕顔の扇子や、若紫の伏せ籠をイメージしたお菓子(第30回)に
唐菓子(第50回)に干菓子の模型(第56回)に宝来袋(第64回)!
あああああ全部食べたいいぃぃぃいいいい(*´Д`*)hshs
第14回の、パリ店で出しているガレット・ディロワは餡子入りのパイで
中にフェーブと呼ばれる陶器製の小物を入れたそうです。
パイを切ってみんなで食べて、小物が入っていた人はその日1日王様になれるという
西洋の風習を取り入れたものですね。
第58回の、鳥籠サイズの三角形の籠にハマグリお菓子をどっさり入れたのが最高でした☆
こ、これ…もう籠抱え上げてそのまま口にドバドバ放り込みたい←
第69回の、枕草子に出てきた削り氷の再現度が高すぎてやばい、
甘葛たっぷりかけて食べたくてたまりませんでした。
第75回にはお菓子で作った七福神を宝船に乗せた展示があったのですが
制作した職人さんが「マニュアルもなく試行錯誤。きれいに飾れた時はうれしかった」との
コメントを寄せられていまして、
「ふの字尽くしの宝船だー前に見たーー!」とテンション上がりました☆あれは良かった…。
生菓子だけではなく、お菓子の模型もあって
第67回に展示された木製のお菓子は、中にマグネットが入っていてパカッと割れます。
丸みを帯びているからお子様のおもちゃとかに喜ばれそうだなと思いました。

お菓子についての豆知識もおもしろくて、
ようかんを「羊羹」と書きますが、字の「羊」は小さい羊を、「羹」は大きい羊を意味するそうで
羊羹の字には羊が3頭いるんですね、気がつきませんでした。
(ちなみに羊羹とは、もともとは羊の羹(あつもの)ということでスープのようなものだったらしい)
金平糖の語源がポルトガル語のコンフェイトではないかという話はどこかで聞いたけど
茶巾餅が砂金袋をイメージしてるのは初耳でした!漂うズッシリ感…。
第77回展の桜餅大調査は都道府県の桜餅の材料をお客さんから調査したパネルで、
埼玉は道明寺が73・長明寺が175だったそうです。うん、確かにうちは長命寺を食べます…。
(ちなみに京都を見たら110・4でやっぱり道明寺が多いようですな)
戦時中のお菓子を紹介した映像ではお菓子の写真とレシピが次々に映し出されて
いかに当時の人が工夫しておやつを作っていたかが克明に。
寒天でみかんの汁を固めるとか、小麦粉とイモにりんごを混ぜて鹿の子とは!勉強になりました。
材料は小麦粉や砂糖、イモ、卵が多かったような印象があるな…。

さらに、展覧会が長ければハプニングにも事欠かないわけで
合間にちょこちょこ貼ってあるここだけの話っぽいパネルがおもしろい。
第33回展の、和菓子を入れるためのお通箱「井籠」(立派な造り!)についてのエピソードは
広告にお菓子と井籠が紹介されたせいで「この籠に入れて届けて欲しい」と
実際にお客さんから注文があったとか、
第36回展で全国のご当地羊羹を展示したら
展示ケースが斜めに傾いたタイプだったので床に落ちてしまうこともあったとか、
亥の子餅の展示で「猪の小弥太萩餅」なる回転パネルを作って
表に小弥太の絵を、裏に絵についての説明をつけて置こうとしたら
「お客様の手をわずらわせるのはいかがなものか」と社内から意見が出たとか(結局採用)、
たくさんのこぼれ話を拝見できました。
今は触ったり香りをかいだりするような参加型展示は全国的に溢れておりますが
昔は見るだけというのが基本でしたからね…。
そう考えると時代って進んできたんだなあと思います。
第71回展で昔の子どものお祝い用に作られたという大きな鏡餅のレプリカを置いて
裏に重さの答えを書いて「持ち上げてね」って書いておいたけど
皆さん持ち上げるだけであまりひっくり返してくれなかったこともあったようでした^^;
で、「今回はご覧ください!」とパネルにあったのでお言葉に甘えて持ち上げてみたら
結構、ずっしりと手にきましてびっくり。
お餅の下に「ありがとうございます!重さは2kgです」と喜びいっぱいに書かれてて笑ってしまった^^

いやあ楽しかったです。3年後にビルができたら次はどんな展示をしてくれるのかな。

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とらやの5月の生菓子唐衣(左)と更衣(右)。
唐衣は1694年に発売されたお菓子で、伊勢物語八つ橋の「唐衣きつつなれにし~」の歌を
イメージしているそうです。初夏を感じますな(´▽`)
更衣は1770年発売の、涼やかな夏の衣をイメージした衣替えのお菓子だそうで
毎年5/30~6/1の3日間限定販売です!
ずっと買いたくてタイミングを逃していて、やっと買えました。もっちりした食感でおいしかった☆

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とらやさんの隣のビル中2階に小さなお稲荷さんがございましたのでお参り。
美喜井稲荷神社というそうです。
比叡山から降りてこられた徳の高い神様を祀っていると看板にありましたが
神様の名前は書いてなくて、
代わりに「この神様にお願いする方は蛸を召し上がらぬこと」と謎の一文が^^;
そういえば最近食べてないな、蛸…。

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猫ちゃんの彫刻があった☆ 左は鳥と戯れていますが、右は魂と戯れてます。
むむ、ここはお稲荷様のはずですが…謎神社^^;


あと、この日は東博にも寄りました。
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特別展入口にはこんなディスプレイが。すごい、絵巻の一場面がリアルに再現されている…!

現在、東博では去年に京博で開催された鳥獣戯画展が巡回中でして、
京都旅行でも大混雑の様子をレポしましたが東京展はさらに大変な混雑&長蛇の列だそうで
(公式アカウント@choju_uenoでは開館前に800人以上が並び日中は入館まで2時間待ち、
甲巻まで2~3時間待ちという収拾のつかなすぎる状態が連日ツイートされている)、
まあ京都で見たので今回は展示そのものは鑑賞しなかったのですが
撮影スポットには並ばなくても入れるとの情報を得てやって来ました。

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撮影スポットにいた子犬ちゃん^^
鳥獣戯画を所蔵する高山寺の祖・明恵上人が愛玩したと伝わる子犬像のレプリカです。
かわいい~かわいすぎる~~~(*´∀`*)。
京都の展示にもいて、ちょこんと座る姿にたくさんの方が見入っていたのを覚えています。大人気。

ミュージアムショップでグッズ見ようかとも思いましたけど、レジに大行列ができていたので諦めました。
いやはやなぜこんなに人気が出てしまったのか鳥獣人物戯画、
2007年のサントリー美術館の全巻展示はかなりすいてて前期後期ゆっくり見られたというのに…。
もともとの人気と東博・京博のネームバリューと、美術番組と京騒戯画と
ここ数年で関連グッズが爆発的に売られるようになったせいかな~。
あと綺麗になったしな、修復効果。

東博本館では特別展の関連展示として「鳥獣戯画と高山寺の近代」展を開催中でした。
1872年に町田久成(東博初代館長)らによって行われた高山寺の宝物調査の記録や
絵巻の模本、絵巻を撮影した写真資料などが展示されていて
100年以上前の学芸員たちがどんな風に文化財調査をしていたかがわかるようになっています。
調査は、主に高山寺の仁王門や茶室や明恵上人坐像の撮影や
鳥獣人物戯画(当時は「鳥羽僧正筆画巻物4巻」と記録されているらしい)を含む文化財の状態を
調べるのが目的だったようです。
(ちなみに調査の10年後に戯画の修復が行われている)
こういう「誰が、いつ、どんな風に」調査したかっていう「調査方法の記録」を
残しておくことも大切だよなあ…。
物と違って「やり方」には形がないので、その人がいなくなったらわからなくなってしまうのだから。
(というか研究者の皆さん積極的にハウツー残しましょう後世のためにも…メイキング大事)

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1888年に岡倉天心やフェノロサらが行った調査で撮影された写真。
鳥獣人物戯画乙巻の一部です。

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山崎董詮が模写した甲巻はすべての場面が公開されていました!

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壁に本物を写したパネルがあって、

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下に絵師の写した絵があって見比べられるようになっていました。
模写方法の説明が特になかったのですが、並べて描いたのか紙を重ねて写したのか…
パッと見だけだとたぶん前者のような気がする。

わたしもやってみたいなあ戯画の模写…和紙買ってきて筆ペンとかでできるかな。
しかし動物かわいく描ける自信ないうえに甲乙丙丁で全長約12mあるから折れない心も必要だ。

そんなこんなで展示を堪能しましたので、この日東博に来た最大の目的を果たしに
東洋館横のホテルオークラのレストラン「ゆりの木」へ向かいまして。
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じゃーん!鳥獣戯画ケーキを注文しました☆
特別展は見られなくてもこれだけは食べたかったんだ!

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白うさぎのマカロンを外すとこんな感じ。
よもぎシフォンスポンジの上に黒糖ババロア、ゆずわらび餅がズンと乗っかってて
苺とオレンジがぎっしり積まれています。この世の天国…ホレボレ(*´з`)
シフォンとババロアの柔らかさと、わらび餅のぷるぷる食感と、フルーツの甘酢っぱさが口の中でミックスして
しあわせすぎて訳がわからなくなりました。
うわああ鳥獣人物戯画ずっと大好きだー!

あ、うさぎマカロンといえば。
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4月に日本橋三越に期間限定オープンしていた鳥獣戯画ショップでゲットしたマカロンの写真を
載せようと思っていてすっかり忘れていたので、この機会にアップ。
戯画のうさぎとカエルが描いてあって、もっちもち食感でしたよ~また販売してほしい。


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「風神雷神図屏風Rinne」光琳・乾山編その3。2はこちら
乾山、外へ出した方がいいのかなあと障子を開けてみましたが
へんな生き物たちは部屋の中で勝手に遊び始めてしまいました。
光琳「虫じゃねえよな…」
乾山「うん、風と雷出してる」
光琳「………」
乾山「………」
2人「「風神雷神図」」
光琳「だよな」
乾山「だよね」
光琳「どこにあったっけ」
乾山「妙光寺」
光琳「………」
乾山「どうしたの」
光琳「決めた、おれ絵描くわ」
乾山「はい?」
光琳「まだ質に入れてない品が手本になるし、親父の型紙も売るほどあるし。腕を上げて、宗達の屏風を写す」
乾山「本気なの」
光琳「本気」

目は確かに本気っぽいけど寝ながら言われてもなあ…と、乾山は半信半疑です。

光琳が本格的に絵を描き始めたのは40歳前後になってからといわれます。
父親の遺産を使い果たし兄弟からも借金の督促を受けるようになって、
何とかしなくてはと真剣に考え始めたのかもしれません。

宗達の風神雷神図はもともとは妙光寺(京都市右京区北部)にあったという説があるそうです。
妙光寺は乾山が住んだ鳴滝窯の近くにあり、乾山が陶法を学んだ野々村仁清の墓所もあります。
その後屏風は何らかの理由で江戸時代後期に建仁寺へ移されたそうです。

2014年09月13日 (土) | 編集 |

こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当河本です今日のテーマは「歴史上で好きな人物は誰?」です。皆さん、歴史は好きですか?私は授業を聞くのは好きでしたが、テストはかなり苦手でした。笑とにかく人の名前を覚えるのが苦手で、地理的感覚もなく歴史はもちろん、社会系のテストは残念な結果が多かったですそんな私がすぐ覚えたのは、源義経です源義経がチンギス・ハンという説があるというのを授業で教えてもらって...
FC2 トラックバックテーマ:「歴史上で好きな人物は誰?」


とっても素敵なテーマなので思う存分語りたいところではありますが、
好きな人全員を列挙しているときりがないのでかいつまんで書きます。

・小野妹子に始まる小野一族(岑守&篁親子にLOVE)
・額田王
・717年遣唐使メンバー
・大伴家持
・和気広虫&清麻呂
・最澄&空海
・菅原清公・是善・道真
・嵯峨天皇
・淳和天皇
・橘速勢
・古今和歌集編纂メンバー
・平将門
・藤原純友
・渡辺綱
・摂関期の女性の書き手たち
・菅原孝標女
・藤原保輔
・平清盛の一族(平六代にLOVE)
・源頼朝の一族
・鴨長明
・明恵
・藤原俊成&定家
・源実朝
・公暁&鞠子
・日野資朝
・楠正成
・卜部兼好
・観阿弥&世阿弥
・三条西実隆
・真田幸隆
・明智光秀&煕子&玉子
・細川藤孝
・井伊直虎
・甲斐姫
・出雲阿国
・高尾太夫
・狩野派
・琳派
・京阪画壇
・浮世絵師(鈴木春信、鳥山石燕にLOVE)
・戯作者&読本作家
・杉田玄白
・平賀源内
・塙保己一
・新選組(土方歳三&市村鉄之助にLOVE)
・山本覚馬&八重
・荻野吟子
・近現代の文豪(芥川龍之介、宮沢賢治にLOVE)
・女性参政権関係者
・上村松園
・柳原白蓮
・渋沢敬三
・白洲次郎&正子
・手塚治虫

世界史にも好きな人はいますが、多すぎるので日本史に限定。
他にも思いついたら書き足していくかもです。

こうして見ると本当わたしどの時代クラスタとかじゃなく歴史クラスタだなあ、
しかし歴史クラスタになってよかったと思います。
『源氏物語』と『るろうに剣心』の影響で平安・幕末クラスタだった頃は
その時代の本とかドラマしか見なくて他の時代のを見てもよくわからなかったんですけど、
今はどの時代にも必ず1人は好きな人がいて楽しめる範囲が増えたので結果オーライかなと。
(風呂敷広げすぎてしんどい時もありますけど^^;)

わたしは昔から不真面目なので、学校の歴史の授業中は教科書ではなく資料集を眺めて
縄文時代の生活道具とか平安時代の華やかな衣装とか江戸時代の出版文化などに
思いを馳せているような生徒でした。
(しかも授業とは全然関係ない時代を読んでた。きっと先生にはバレバレだったろうな)
小さい頃から本を読むこととお絵かきすることが好きでしたので、
歴史の中に本を書いたり絵を描く人を見つけるとものすごくうれしくなって
彼らは何を考えていたんだろう、どんな道具で書いたんだろう、仕事のない日は趣味をしたのかな、
好きな食べ物は、どんな服を着たの、つらかったのは、笑ったのはどんな時かなって
どんどん知りたくなって調べ始めてどっぷり浸かって今に至ります。
昔々に生きた人々のナマの感情や思考を記録の中に見出して、
今と同じじゃん、今とはこう違うのかってわかっていくのが楽しい。
平安の女性たちの日記とか、鎌倉時代の注釈書とか、江戸時代の旅行記とかを読むと
今とは全然違う社会体制や価値観の中で生きていた人たちが
ただの「過去の人」ではなく今生きているわたしと同じように体温をもって立ち上ってくるというか、
「その人たちが食べたり寝たり考えたり感じたりしながら生きていた」ということが
伝わってくるんですよね。
好きな人が生きていた実感を、遺跡や遺品を見てこの手で感じたくて資料をめくる日々ですよ。

いやーでも本当に生活史・文化史にハマって良かった!
教科書に出てないことばかりで勉強になりますし、
今と全然違う文化でも調べていくとひとつは萌えポイントが見つかりますし、
当時の生活がわかるようになると歴史マンガやドラマの美術にうおおおってエキサイトできて
楽しいことが5倍くらい増えました☆
歴史小説や大河ドラマを見ながら「今○○年か、ちょうど○○さんが○歳であそこでアレしてる」
「もうすぐ○○時代だから実用性が変わって○○の形も変化する」
「この頃は○○が輸入されて○○さんが使って大流行する」などと
考えて2828するのがここ数年のマイブーム。

あ、あと調べものをしていて時々やることなんですけど
個人的に苦手だったりどうしても読みにくかったりするジャンルでも
『~史』『~の変遷』『~辞典』みたいなタイトルを妄想するとものすごく読みたくなります。
摂関政治家の生活とか、戦国期商人と茶道の歴史とか、江戸数学者の道具辞典とか、
科学と迷信の歴史とか、戦時下の芸術の変遷とか、○○女子の日本史とか。
あー読みたい!誰か書いて!!(笑)


sotatsu9.jpg※クリックで大きくなります
「風神雷神図屏風Rinne」宗達・光悦編その9。8はこちら
弟子たちを引き連れて、養源院に下見に来た宗達です。
注文は杉戸絵が4枚(表裏8面)と、本堂中央の間の襖12面ということで
まずは本堂を拝見して絵の構想を練ります。

風雷「(キャッキャッ」
宗達「おもしろいか」
風雷「(キャッキャッ)」
宗達「おれもワクワクしてきたよ」

桃山~江戸期に寺社や城の襖絵を任されていたのは主に狩野派の絵師たちでした。
養源院も例外ではなく、狩野山楽筆の牡丹の襖絵や唐獅子の羽目板などが残されています。
一介の町絵師にすぎなかった宗達が呼ばれたのは、
狩野派の多忙により襖絵制作が遅れたためともいわれています。

2014年08月08日 (金) | 編集 |
アルス画房さんのイラストコンペが終了いたしました~。
見てくださった方、応援してくださった方、どうもありがとうございました☆


そして、本日から俵屋宗達ほか琳派の人々を中心とした
「風神雷神図屏風Rinne(りんね)」の連載を始めます☆
予告してからかなり時間が経ってしまいました、お恥ずかしい。

そんなわけでまず登場人物紹介です。
rinpa.jpg※クリックで大きくなります
琳派と呼ばれる人々。
江戸時代初期の京都で俵屋宗達&本阿弥光悦が、中期に尾形光琳&乾山きょうだいが、
後期の江戸で酒井抱一&鈴木其一がそれぞれ活動しており
彼らの系譜は光琳の「琳(光り輝く玉の意)」を取って琳派と呼ばれています。

おもしろいのは彼らが師弟ではなく私淑(直接教えを受けなくても手本として学び師と仰ぐこと)で
繋がっていることですかね~。
宗達が描いた絵を約70~80年後に光琳が学んで大成させ、
さらに約80~90年後に光琳の絵に惚れ込んだ抱一が江戸でその絵を広めたことが
彼らをひとつの系譜として語るものになっているようです。
宗達と光琳に面識はありませんし、光琳と抱一にもありません。
ただ絵を通して過去の人と対話し、過去の人の絵を学び自分なりに発展させて独自の表現をつくる。
でも先達をリスペクトしまくってるから作品を並べてみると何となく似通っている部分もあったりする。
そこがとても面白いなあと思っています( ̄ー ̄)。


まずは、今から約400年前の安土桃山~江戸時代初期に活躍した絵師・俵屋宗達の周辺を
ゆさの想像(という名の妄想)で、短期ですが描いていきたいと思います。
その後は光琳&乾山、抱一&其一をそれぞれ描きます。
例によって事件らしい事件はなく、人の形をした人でないものも出るフリーダムストーリーですが
どうぞゆるゆるとお付き合いください☆
(どうしてもダメな方いらっしゃると思います。ごめんなさい)

※このお話に出てくるのは、日本史上に実在した人々です。
 史実に沿って描いていきますが、大部分はゆさの創作であることをあらかじめお断りしておきます。


sotatsu1.jpg※クリックで大きくなります
「風神雷神図屏風Rinne」宗達・光悦編その1。
1602年5月、関ケ原の合戦から2年後の京都は上京小川通。
福島正則が中心となってすすめた平家納経の修復作業を終えて京都に帰って来た宗達、
買い物に来ていた光悦とばったり出くわしました。

光悦「あ、おかえりー!どうだった」
宗達「どうって?」
光悦「平家納経。見たんだろ、本物」
宗達「見たよ。絵がおもしろくて紙がきれいだった」
光悦「それだけ?」
宗達「うん」
光悦「ふーん………」
宗達「…」
光悦「…」
宗達「どした」
光悦「いや、頭の」
宗達「?」
光悦「頭のそれ、なに」
宗達「…………え…………?」

どこかでいつの間にか変な生きものたちを頭にくっつけてきたらしいことに
まったく気がつかなかった宗達(笑)。
好き勝手に飛び回っていますがさて何者なのでしょう…。続きます。

2014年07月11日 (金) | 編集 |
前回記事で古今和歌集の七夕歌を紹介しましたが、
実はあの後、ものすごく久し振りに『土佐日記』を読み返しました。
土佐守の任期を終えた紀貫之が、土佐から都へ帰還するまでの約50日間を
仮名文字でつづった日記です。
大学時代にがむしゃらに読んでそれっきりだったのですが、ひさびさに読んだら
あれ、こんなに短かったっけと呆気にとられました。
手持ちの本で40ページしかなくて、方丈記より少し長いくらいでしょうか。

貫之1111首』で描いたのは古今和歌集の編纂だったので
この日記は参考文献には用いなかったのですが
(貫之が土佐に赴任したのは編纂から20年以上も後の晩年期です)、
連載を終えてから読むとなかなか感慨深いものがありますな。
あんなにみずみずしい歌を詠んでいた若者がすっかり落ち着いて引継ぎや儀式をやってて、
でも歌を詠むとき理屈っぽく技巧を凝らすのは変わってなくて
なんだかずーっとご無沙汰していた親戚の男の子に再会したみたいでこそばゆい。
貫之が古今和歌集に仮名序を書いたのは30代でしたけど、
もしこの老年期に書いていたらきっともっと理屈っぽくすっきりして、それでいて情緒にあふれた
仮名序になっていたんじゃないかと思います。
六歌仙評とかあんな露骨じゃなくもっとオブラートに包んで皮肉ったりしてそう(笑)。

ところでこの日記、過去にわたしにちょっとしたきっかけをくれた日記だったりします。
1月23日の記述に「日照りて曇りぬ。「このわたり、海賊のおそりあり」といへば、神仏を祈る」とか
「二十五日、楫取らの「北風悪し」といへば、船出ださず。「海賊追ひ来」といふこと、絶えず聞こゆ」とか
書いてあるのですが、
実は貫之が土佐から海路で都へ帰った935年前後、瀬戸内海には海賊がしばしば出ていまして
4年後の939年には藤原純友が海賊たちを率いて各地を襲撃しはじめたために
小野好古を追捕凶賊使長官とする朝廷軍が鎮圧する大乱が起きたりしています。
しかし、当時のゆさはそれを同時代の出来事としてはまったく捉えていなくて
(歴史の教科書とかでは藤原純友は政治史、紀貫之は文化史で出てくるので
全然別方面から勉強していたせいもあるかもしれません)、
土佐日記の海賊の記述で「?」となって年表を確認してみたら
それまで何の接点もなかった紀貫之と藤原純友が突然ひとつの横線でつながって
「わー!貫之と純友は同じ時代に生きてたんか!そりゃそうか!」と
ものすごく納得してしまったのでした。
あぁあれはアハ体験だった…いかに歴史を縦ラインでしか見ていなかったかを自覚できた瞬間でした。
ほんとこれ読んでて良かった。
(ちなみに貫之たちはその後も海賊や大嵐のために何度か足止めをくらいながらも旅をつづけ、
和泉国に入ってやっと「海賊ものならず」とホッとしたという記述があります)
以降、何かひとつの出来事を知ったらなるべく同時代に何があったかを
調べるようにしよう~と思えたわけです。
結果、歴史の深さにどっぷりハマってもはや廃人を通り越して灰になってるのですけども
楽しいから後悔はしてない。
-=三└(┐卍^o^)卍ドゥルルルルルル

sumiyoshi.jpg※クリックで大きくなります
確かおととしくらいに描いた藤原純友と小野好古。
北方謙三氏の『絶海にあらず』の純友は超かっこいいですよ!おすすめします!
*ブログ内のイラスト記事一覧はこちらです*


歴史を知れば知るほど、縦ラインだけじゃなく横ラインで調べるのが楽しくなってきて
あらこんなところにあの人が、あらこの人とあの人が同じ時代に、じゃ会ってるかもしれないじゃん!と
ロマンが広がるのを止められなくなります。
誰かと誰かが出会ってお互いに高め合ってとかヤバい、たまらない。
どうもわたしは誰かひとり英雄的な人がばーんと英雄的な大活躍をするよりも
特に何か突出してるわけでもない人たちが何人も出てきてキャッキャする方が好きみたいです。
たぶん貫之と純友のせいで「横つながり」のときめきの導火線が着火してしまったんだと思う(*´з`)。

Twitterでよく「大河ドラマの主人公で見たい人誰です」的なタグが流行するたびに
いっぱいいすぎて絞れなくて適当な人物挙げてるんですが、
もういっそ『葵徳川三代』みたいな世代ものや『翔ぶが如く』みたいな複数主人公や
『赤穂浪士』『元禄繚乱』『新選組!』みたいなパーティものなど
個人史じゃなくいくつもの人生まとめてやってくれたらいいのにって思います。
吉備真備&阿倍仲麻呂とか、最澄&空海とか、菅原清公・是善・道真とか、
戦国女性アンソロジーとか、平賀源内&杉田玄白とか、とか、etc..
それとも視点がバラけると作りにくいのかな…。
(いやでも、『炎立つ』とか『太平記』とか良かったけどな…神の視点っぽくて)

個人的な希望としてはいつかやってほしいのは文化史なのですけどね~(笑)。
万葉集・古今集・新古今集、藤原氏周辺の文化サロン、運慶・快慶、枕草子・方丈記・徒然草、
猿楽、狩野派、宗達・光琳・抱一、円山応挙と仲間たち、菱川師宣からの浮世絵史、
出雲阿国~近現代までの芝居史とか、とか。
合間に政治史も入れたらいかがでしょう、
というか文化は政治の影響をモロに受けますので入れざるをえないと思いますが。
過去の例を見ても古今和歌集は藤原時平、源氏物語は藤原道長のバックアップがありますし
世阿弥のそばには義満、利休のそばには秀吉がいました。
浮世絵の表現形式は改革の影響をその都度受けて千差万別に七変化していってるし。
文学も芝居も同じですね。
誰もひとりで作ってなくて、たくさんの人の関わりなどあらゆる影響の結果その表現があるみたいな
ドラマが見たいなあといつも思います。
来たれ群像劇(੭ु `・ω・´)੭ु

2014年06月09日 (月) | 編集 |
kyukoku1.jpg
スマホアプリ「旧国名パズル」を教えてもらいました☆
江戸時代までの日本国内68カ国のシルエットを下部の選択肢から長押し&スライドさせて
それぞれの場所にはめ込んでいくゲームです。
正解すると「ピョッ」的な音(わたしにはそう聞こえる)とともにぴたっとはまるのが面白い。

関東近辺や東海、陸奥、近畿あたりは何となく覚えていたものの
いざやってみるとこれがなかなか難しいもので、
国名は知ってるけど場所がわからなかったり、アタリをつけてドラッグしてもハズレだったりと
最初はうまくいかないこともありましたが
やっているうちにだんだん覚えてきてクリアまでの時間も短くなってきました。
地理の勉強にもなるし一石二鳥。

どの国かわからなかったら赤で表示してくれるアシスト機能とかついてるんですけど
使うと負けた気がするから使ってません。
(ペナルティで30秒加算されちゃうし)

kyukoku2.jpg
トレーニング・ベーシック・エキスパートの3モードがありまして、
こちらはベーシック(国境表示なし・国名表示あり)。
国境がないだけでドラッグした指先があっさり迷子になって地図上をうろうろ。

kyukoku3.jpg
エキスパート(国境・国名表示なし)モード。国のシルエットをはめ込んで初めて国名が表示されます。
ベーシックよりも指先の迷子率高し。
ドラッグしては弾かれドラッグしては弾かれ、わからない国はずーっと選択肢に残ってて
最後にやっとはめ込んで「ああ、ここだったのか!」とすっきりする。
で、リプレイ後に忘れる。

kyukoku4.jpg
3つのモードを一定時間内にクリアすると家紋パネルがもらえます☆
左列上から:菱(武田氏)、竹に二羽飛雀(上杉氏)、加賀梅鉢(前田氏)
左から2列目上から:轡(島津氏)、九曜(細川氏)、丸に九枚笹(竹中氏)
右から2列目上から:三つ盛亀甲に花菱(浅井氏)、七つ片喰(長曾我部氏)、真田六文銭(真田氏)
右列上から:一に三つ星(毛利氏)、左三つ藤巴(黒田氏)
(()内は使用した主な武将の例)
最後のひとつがまだもらえてません。がんばろう~。

他にも世界地図パズルアプリとかあるんですけど、ドハマリしそうなので手を出せずにいます。


友達や職場の人たちの出身地や住所を脳内で旧国名に変換するのが最近のマイブームです。
おおこの人は同郷か…上野国か…陸奥国仙台藩か…筑前国福岡藩か…琉球か…など(笑)。
(恥ずかしいからご本人たちの前では言いません)
ちなみにわたしが住んでいるのは武蔵国○○郡(プライバシーのため伏せます)で
江戸時代には幕府の直轄領だった地域です。
なんで藩じゃないんだ…川越藩とか忍藩とか名乗りたかった…と、昔は思ってました( ̄ー ̄)。
自然豊かだし遺跡あるし工芸品あるし地酒おいしい(飲んだことないけど)から、地元大好き♪


そういえば昔の偉い人たちは"吉良上野介"みたいな、
苗字の後に受領名という通称のようなのを名乗っていましたけれども
これ別に出身地でもお仕事先の地名でもないんだそうな。
たとえば大岡越前守は江戸生まれだし、勝安房守(勝海舟)も江戸本所の生まれだし
松平肥後守(松平容保)は美濃国の人で仕事先は会津藩だし。
吉良上野介も上野国にはたぶん行ったことないんじゃないかな…。
(あ、なぜ上野"守"ではなく"介"かというと、上野国は親王の任国なので
守である親王を補佐するという意味で"介"というのだそうです。
織田信長の受領名"織田上総介"も同様とか)

受領名は平安~鎌倉時代あたりまではそれぞれの国へ赴いてお仕事するにあたり
朝廷から「じゃあ○○守として○○国へ行ってください」とか任じられて初めて名乗るわけですが、
室町~戦国時代以降の人たちは割と好き勝手に名乗っていたようです。
実名を名乗らない武士には通称が必要だったので、
(別に出身地でも任地でもないにも関わらず)先祖や親の受領名を子どもが継いだり
上司からご褒美代わりにもらったりして名乗っていたとか。
確か前田利家が本能寺の変後くらいに秀吉から筑前守の名前をもらっていたように記憶しています。
前田筑前守…うーむやっぱり前田大納言の方が個人的にはしっくりくる、聞き慣れてるから(;´∀`)。

江戸時代になると「従五位下以上の位階を持つ人」なら好きにつけることができたらしいですが
国が60数か国しかないのに対して大名家は170以上ありましたので
結構みなさん被っていたみたいですね。。
苗字が違えばともかく、松平さん家みたいに一族や親戚がいーーっぱいいると
自分はこれを名乗りたいけど先に名乗ってる人いないかなーとか、ちゃんと調べないといけないのが
難儀だなあ。
でもそうして一度つけてしまえば「松平○○守」って手紙とかに書くだけで
あぁあそこん家か、とか一発でわかって便利だったかもしれない。
人数多すぎて覚えるの大変そうですけど(笑)。

ただ、武蔵守については名乗ってはいけないという暗黙の了解か何かがあった気がする…。
(武蔵国には将軍のいる江戸があるので遠慮します的な)
尾張守や山城守など御三家や朝廷に縁のある名前も遠慮されたとか。

それから、浅野内匠頭(浅野長矩)とか井伊掃部頭(井伊直弼)などは官職にあたり
官途名というそうです。
これらもだいたい家で継がれることが多いそうですね。
浅野さんもおじいちゃんが内匠頭だったのをそのまま継いでいますし。


ちなみに…。
いま連載の準備をしているお話に出てくるのは、山城国愛宕郡に住んでいた人たちです。
他にも葛野郡とか、播磨国姫路藩の人で江戸在住、なんて人もいます。
…もうわかる方にはわかるよね(^ω^)。
以上、ちょっとした情報でした。



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皆様いつもありがとうございます(^-^)/☆
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