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2010_11
20
(Sat)21:46

ああ文化その5。

サントリー美術館の「歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎」展に行ってきました。

蔦重がプロデュースした絵師や作家や狂歌師たちの作品展示というコンセプトで、
蔦重自身の作品もいくつかありました。
本人も狂歌や絵をたしなむ人だったようで、北尾重政や山東京伝と一緒に本を作っています。
まじめな解説本だけではなく、今でいうタウン情報誌やライトノベルみたいなのも出版して
庶民を中心に大ヒットさせたとか。
それまでの書物は、教養を高めるためとか必要だから記録しておくなどの役割が主でしたが
蔦重の頃から「面白いから読む」という書物が増えてきたのだそうです。
確かに今回出品されたどの作品を見ても、蔦重が作家や絵師たちと一緒になって
楽しんで作っていたんだろうなというのが伝わってくるものばかりでした。
浮世絵、戯作集、吉原ガイドブック、政治スキャンダル狂歌本、寺子屋教科書、チラシなど
ありとあらゆる出版物や印刷物が展示されていましたが、
歌麿と写楽の作品がやっぱり一番多かったような感じがします。
あの2人は蔦重プロデュースの双璧ですね~。
歌麿の美人大首絵は迫力があります。高島おひさと難波屋おきたはすごいですよ!
最近発見された『女達磨図』もあって、こちらは線の細い達磨が赤い布を被っていましたが
その布の線がとても太くて、すばやく一気に描かれたような爽快さがありました。必見。
歌麿を見慣れた後で写楽を見ると、絵柄ががらりと変わって「おおっ」と思いますね。
当時の人たちが首をかしげて見たという話もうなずけます。
たぶん写楽って、京都でいうところの蕭白や蘆雪のような存在だったのかもなぁ…。
当時はなかなかその真髄を理解してもらえず、後々になって爆発的にヒットするあたりとか。
磯田湖龍斎の、雪に難儀する美人の図が美しくて立ち止まってしまいました。
鈴木春信に学んだ人はみんな雪の描き方が綺麗ですね~(^ ^)。
参考資料として英一蝶の吉原絵巻もありました。
この人の描く人間たちはみんな愉快で、まるで踊っているかのようです。

4階から3階へ行く途中の吹き抜け空間に、蔦重の見世「耕書堂」が立体再現されていて
むちゃくちゃテンションあがりました!
(北斎の描いた耕書堂の絵も展示の中にあったのですが、それを基にしたらしいです)
こんな感じで出版物が売られていたのだなぁと思うとわくわくします~。
実際に印刷に使われる版木の展示もありました。うおおぉぉこれ、超参考になるんですけど!!
線だけの部分、目尻の紅、着物の色、着物の模様、髪飾り、背景、
絵師や彫師の名前の部分などなど、数枚の板がありました。
これが全部見当ひとつで美しく合わさっちゃうんだなぁ…多色摺ってすごいなぁ…。

…しかし、実はわたしが一番見たかったのは
鳥山石柳女・鳥山石燕・喜多川歌麿が挿絵を描いた冊子『麦生子』です!
公式サイトの展示品一覧でこのタイトルを見つけて「きゃーーっ!」と脳みそ昇天して以来
どうしてもどうしても見たかったので感激でした!!
書物なので、展示時期によっては開かれているページが変わるそうですが
石燕の挿絵がばっちり開かれていましたよ~~~ラッキー☆☆
ちゃんと「七十七翁石燕戯画」と書いてありますよ!本名の「豊房」の落款もありますよ!!
ぎゃあああーーーっ先生、先生ーーーーーっっ!!o(*≧▽≦*o)(o*≧▽≦*)o
ナマ先生絵です。もうガン見です。幸せでした。おっ母さんわたし生きてて良かった…。
蔦重さん、先生を使ってくださって本当にありが糖っ☆

絵は『朝比奈と鬼の腕相撲』という題で、朝比奈おじさんと鬼2人が腕相撲をしていました。
鬼たちは歯を食いしばっているのに、おじさんは涼しい笑顔でペロリと舌まで出していて
「まとめてかかってこいや♪」なんて声が聞こえてきそう(笑)。
七十七歳ってことは最晩年に描いた絵なわけだけど、全然老いを感じさせない筆致でした。
「力強っ!」「繊細っ!」「コミカル!」とか怪しくつぶやきながら眺めてしまった…。
とても先生らしい絵でした。ますますファンになっちゃいましたよ~☆
ところで、石柳女と歌麿が描いた挿絵のタイトルはそれぞれ
『梅に鶴』、『丁子屋雛鶴と、福禄寿の掛軸を見る禿』というものなのですが、
どの挿絵にも必ず鶴のモチーフが入っているのが気になりました。
(石燕の『朝比奈と鬼~』の絵にも、朝比奈おじさんの着物の柄に鶴が使われています)
図録の解説を見ると、この本は麦生子さんという人の病気全快祝いに刊行したとのことなので
鶴は千年ということから長寿の意味をこめて絵に入れられたのだろうか。
福禄寿も長寿の神様ですしね。
そういえば朝比奈って誰だろう…怪力朝比奈か、今川家家臣だった朝比奈氏の誰かかな?
先生と蔦重から宿題もらった気分です(笑)。

あと喜多川歌麿の『画本虫撰』も気になっていたので、今回見られて良かったです。
虫撰というのは、狂歌の詠題にするために外へ虫を取りに行くの意で
たくさんの狂歌師たちが作った狂歌に歌麿が挿絵を描いた絵本なのですが、
実はこの本を出版するにあたって、師匠の石燕が跋文(あとがき)を書いているのですよ!
「歌は小っちぇ頃、コオロギを掌に乗せて遊ぶのが好きでなぁ」みたいな!!(注:意訳です)
残念ながら跋文ページは開かれていませんでしたが、若い頃の歌麿の花鳥画を堪能しました。
きゃ~~~っこの絵が師匠と弟子の精進の結晶なのね!!
彫師にも藤一宗という、当時売れっ子だった人を起用したそうですね。
さすが蔦重…お金の使い方が違います(笑)。

きらきら。※クリックで大きくなります
↑ミッドタウンガレリアのすぐ隣にあったイルミネーション。綺麗でした~(^▽^)。


初仕事。※クリックで大きくなります
鈴木春信の周辺事情その18。17はこちら
根津の先生のところに下絵を持ってきた春さん。自信作です。
春信「今度、富田屋さんから出すの」
石燕「へえ…いい団十郎じゃねぇか」
春信「えへへ~。他にも、いくつか仕事もらっちゃった」
石燕「そりゃ良かったな。おれも、負けてられねぇや」
小さな火花の衝突(笑)。塀の向こう側にいるのは、枕返しと加牟波理入道です。

春さんの住む神田と、先生の住む根津は歩いて40分くらいの距離なので
行き来するのはそんなにしんどくない…かな??
(交通手段は徒歩しかないので、江戸の人はみんな歩くのが速かったらしいですし、
そんなにきついとか考えていなかったと思います。。。)
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