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2011_06
30
(Thu)23:49

第1227回「明日から7月!夏は何する?」

こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当ほうじょうです。今日のテーマは「明日から7月!夏は何する?」です。皆様、ご存知ですか。6月は今日で終わりだということを……明日から7月であるということを……1年の半分が今日で終了したということを……というわけで明日から7月夏らしい数字になってまいりました。各地でも既に猛暑日を記録...
トラックバックテーマ 第1227回「明日から7月!夏は何する?」


Σ(゚д゚;)
うわーっ2011年ももう半年なのですか。ええと、な、何してたっけ。。。
(いつだったか職場の先輩が、「1日や1ヶ月が早く感じるのはまだいい方で
1年が早く感じ始めたらオシマイだよ」とか何とか
オソロシイことをさらっとおっしゃっていたのを思い出します…ひええ)

とりあえず来月は色々忙しくなる予定ですが、連日の暑さですでに軽く夏バテっぽいので
水分しっかり取って食事もしっかりして、とにかく体調崩さないように気をつけたいと思います。
あと7月の新刊情報まだチェックしてないから本屋さんの情報コーナー行って、
アニメ『夏目友人帳』の新シリーズが始まるからチェックして
映画『蛍火の杜へ』の前売り券も買いに行って
17日公開の『コクリコ坂から』を観て(MOEやアニメージュも特集組むだろうからチェックしなきゃ)
ジブリ美術館の新しい展示もまだ行ってないので観に行きたい!
何だかんだでやることいっぱいありそうです。。。


本日のお絵かき↓
星を奏でる。※クリックで大きくなります
星熊童子。
わたしの大好きな鬼その3(笑)で、茨木童子と同じく酒呑童子の部下です。
(現在の大江町には酒呑・茨木・星熊の3人のモニュメントがあるらしい)
琵琶を奏でるのは自己設定。深夜にどこぞの楼閣で一曲つまびき、余韻に浸っている姿を描きました。

半年くらい前に何となく描いた絵ですが、最近発掘したので載っけてみました。
よく見たら、門の屋根裏とか星熊が座っている屋根瓦のディテールが結構間違っていることに
今更だけど気づいた。

星熊が持っている琵琶は笹琵琶というやつで、琵琶法師たちが持ち歩いていたものです。
大学時代、レポート作成のために鳴り物博物館で笹琵琶を見たときに
館長さんから「小型の琵琶ですよ」と説明いただいたのを思い出して
これなら少年の力でも持ち歩きやすいだろうと思って描いた覚えがあります。
(そういえば夢枕獏の『陰陽師』シリーズの、どの本だったか忘れてしまいましたけど
蝉丸が「いくらか覚えのある曲ですが」って笹琵琶をさらりと奏でる場面があった気がします。
本当にどうということのない場面なんだけどああいうのすごく好きだ)
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2011_06
28
(Tue)23:35

伊香保温泉すわっと旅行記。

昨日今日と、友達2人と一緒に伊香保温泉に行ってきました~☆

入り口☆
↑十数年ぶりの伊香保グリーン牧場!!
小学校時代以来で、懐かしいとかどうとか思う前に園内の記憶がまったくなかったので
ほとんど一見さん状態で楽しんできました。
人に慣れている動物たちはすぐに寄ってきてくれましたよ(*´∀`*)どうしようみんなかわいいっ☆

以下は長いので収納。クリックで開閉します。↓

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2011_06
26
(Sun)23:48

これがにゃんこの歩む道。

この土日の彩の国北西部は1日中曇りで、とても過ごしやすい日でした。
純毛を全身にまとっている我が家のにゃんこも、3日前よりは生き生きしていた感じです。

何してるのそんなところで…。
↑そんな日の母にゃんこ。なぜかこんなところにいます。家政婦は見た!!(笑)

うちの母にゃんこは物陰に隠れるのが好きで、ゴミ箱だけではなく
ソファとかテレビとか椅子とかテーブルとかピアノとか半開きのドアの向こう側とか、
色んな物の後ろからこちらをじーーーっと眺めていたりすることがあります。
理由としてはお腹がすいたからご飯が欲しいか、外に行きたいから玄関を開けて欲しいかの
どちらかということが多いです。
このときは外に出たかったらしく、わたしが近づくと玄関に向かって走って行きました。

パトロールなう。
↑で、庭の象の上に乗ってみたところです。
高い所に登って、自分の庭(笑)に不届き者がいないかどうか見極めているところだと思う。たぶん。

見つめる瞳。
↑パトロールに飽きると庭先へ出て、ちょこんと座り込んでしまいました。
猫ってたまに、こういう、遠くの何かをひたすら見つめているような表情をすることがありますけど
なぜなのかなぁといつも思ってしまう。
しかもそんなときの彼らは決まって無言で、ニャアともすんとも言わないので余計に。

ところで現在、にゃんこたちの体毛がちょうど冬毛から夏毛に生え替わる時期でして
家のそこかしこにやつらの毛がごそっと落ちまくっていたりします。
しかも姉にゃんこは大部分の毛が真っ白なので、うっかり抱っこしようものなら
服に真っ白な毛がもっさりと付着します。驚きの白さ!!
(そんな姉にゃんこを、うちの弟は「白い悪魔」と呼んでいたりする)
たぶん来月あたりには全部生え替わって落ち着くんじゃないかと思うので、
それまでお掃除がんばるどー。


そういえば小笠原諸島に続いて、平泉もユネスコ世界文化遺産登録が決まりましたね☆
やったああぁぁぁ!おめでとう平泉本当におめでとう!!\(≧▽≦)/



本日のお絵かき↓
そういえば歌うダヴィデの図ってあまり見たことないような…。※クリックで大きくなります
リラを奏でるダヴィデ。
先日カラヴァッジョを描いてみたら、ダヴィデが無性に描きたくなったので。

わたしのダヴィデ好きは明らかに、フィレンツェのアカデミア美術館にあるミケランジェロの彫刻と
ローマのボルケーゼ美術館にあるカラヴァッジョの絶筆(ゴリアテの首をはねたダヴィデが
悲しそうにうつむいているやつ)の影響が色濃くあります。
特に後者の影響大。敵を倒して英雄となるダヴィデももちろんかっこいいですが、
あの絶筆絵はゴリアテを殺したことを重く受け止めているダヴィデという描き方になっていて
すごくリアリティがあるなぁと思ってる。
(画家自身の苛烈な人生が投影されているせいもあるかもしれないけど)

ってか、あのダヴィデもかなりのイケメンに描かれていますが
個人的には、カラヴァッジョがダヴィデ以上にイケメンに描いているのは
洗礼者ヨハネじゃないかと思う。
去年のボルゲーゼ美術館展で、いくつかあるカラヴァッジョのヨハネのうち1枚が来日していましたが
あれ超絶美少年すぎてもーときめきが止まらんぜよ!
(何年か前にカラヴァッジョにハマっていた時期があって、絵もいくつか模写したのですけど
あの絵を模写する勇気は未だにありません)
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2011_06
24
(Fri)23:55

暑い日だったけどこれだけは記録しておかねば。

あーつーかーっーたー…orz
今日も汗出まくりで化粧落ちまくりでした。あと麦茶をたくさん飲みました。
我らが彩の国熊谷市の最高気温は39度だったとニュースでいっぱい聞きましたけど
もう何なんだろう…。
そんなことで有名にならなくてもいいんですよ熊谷市。

皆様こまめに水分とって、日射病や熱中症に気をつけましょうねぇ~。\(×o×)/


そういえば小笠原諸島がユネスコ世界自然遺産に登録されることが決まったようで
自分のことのように喜んでおります♪やったー!
登録にあたってこれから検討しなきゃいけないことは山積みだろうとは思うけど
何はともあれすごいっめでたい!おめでとうおめでとう!!父にありがとう母にさようなら!!
なんかテンションおかしいですけど、もしかしたら登録されるかもと言われていた頃から
ず~~~~~~っと気になっていて本当に待ち遠しかったので
あぁそうなのねと暖かくスルーしてやってください。。。

日本の自然遺産登録は白神山地、屋久島、知床に続き4ヶ所目だそうですね。
この調子で平泉も登録目指してふぁいとおーっ!!\(^▽^)/
(少し前の大河ドラマ『義経』で高橋英樹氏が演じていらした
奥州藤原氏三代目の秀衡さんこと御館(みたち)のかっこよさに一目惚れして以来、
平泉はわたしにとって訪問必須ポイントのひとつになっています。松尾芭蕉も句にしてるし…。
そのうち時間つくって絶対に行くぞー)


本日のお絵かき↓
地上の極楽の守り人。※クリックで大きくなります
志賀僧正明尊。
小野道風の孫で、天台宗の僧侶。宇治平等院ができたときに初代執印を務めた人です。
(道風の孫ということは小野篁さんの玄孫にあたるわけですな *^ ^*)
上東門院に授戒し、藤原頼通の帰依を受けていました。

ちなみに平等院開山の1052年当時、明尊さんは81歳!!
その後も10年以上生きて大往生を遂げています。元気なおじいちゃんだったのだなぁ。
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2011_06
22
(Wed)23:50

百面相。

今日はまるで「夏至!」といわんばかりの暑さでしたね…(- -;;)。
出先でめっちゃ汗かいて、化粧落ちまくりで大変でした。なんかどっと疲れた。
(Google先生のカイカイキキな夏至ロゴはかわいかったけどvvv)

しかし帰ってきて歴史秘話ヒストリアの平賀源内特集を観たら
疲れはすっかり吹っ飛びました(笑)。
うは~~~やっぱりこの人楽しいよぅ(^▽^)☆

事業の成功うんぬん以前に、源内の八面六臂ぶりは見ていて爽快ですらあります。
御神酒天神の制作とか(白石伝次郎時代ですね)、湯島の物産展とか
秩父での火浣布制作とか鉱山の発掘とか
あらゆるシャレを盛り込んだ戯作を書いたりとか
羊を買い込んで「国倫織」を作ろうとしたりとか、油絵描いてみたりとか
壊れたエレキテルを直してみたりとか
『解体新書』の挿絵をどうしようか困っていた杉田玄白に小田野直武を紹介したりとか
鈴木春信の錦絵制作にちょこっとアイディア出したりとか(←これ最重要・笑)。

でも本人の性格ゆえか、当時の時代背景ゆえか、
せっかく新しい事業を起こしたりキャッチコピーを作ったりして注目されても
どれも一過性で終わってしまった…というのは、いつ聞いても切ないなと思ってしまいます。
やりたいことがありすぎて、本当はどれを真剣にやりたいのか
本人もわかっていなかったのではないかな…。
新しいものを見るたびにアイディアが次から次へと湧いていたんだろうけど
でも実行するだけの人脈と財力に恵まれなかっただけのような気も。
以前にここで「頭は相当良かった」と書きましたけど、その印象は今も変わっていません。

源内が借金まみれだった理由について、
番組では「フリーの身で多くの事業に手を出したから」だとしていましたけど
彼は何も好きでフリーでいたわけではなく、彼の出身地である高松藩の松平頼恭藩主から
「他へ士官の儀は御構い遊ばされ候」と釘をさされていたのです。
(江戸に出たくて脱藩した源内の罪を許す代わりに、ということらしいです)
構いをかけられる、つまり他の藩に仕官できない身だったので
裸一貫で江戸に出た源内は、どこの藩主の力を借りることもできずに
ひとりで事業を起こしていくしかなかったのです。
戯作を書いたり物産展を開くなどして、江戸の町や本草学界では有名になりますが
身分は浪人、どこかの藩へ仕官しようとすると構いをかけられる、それなら幕府へ売り込もう!と
とにかく何でもかんでも思いついたことをやってみた…という感じではないかなと
わたしは勝手に思っています。

少し前に浅草の源内さんのお墓へ行ったのですが、
番組を見てまた行ってみたくなりました。
お墓の隣の碑に刻まれている「あゝ非常の人~(by杉田玄白)」のことばがすごく切なかった。


本日のお絵かき↓
無頼画家。※クリックで大きくなります
カラヴァッジョ。イタリアの画家で、源内さんより150歳ほど年上です。
先日テレビで彼の特集をやっていたのを見て描きたくなりました。

源内さんはその生涯でかなりの旅をしましたが、カラヴァッジョもたくさん旅をしました。
彼が旅先のトスカーナで亡くなったとき、いつも持ち歩いていた鞄に入っていたという
絶筆の3作がものすごく好きだ。
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2011_06
20
(Mon)23:58

いざ我が行く処は愛宕ぞ。

茨木童子について語って欲しいと何人かの方からリクエストをいただいたので、
ちょこっと(どころじゃないけど)語ってみたいと思います(笑)。

まずは史実…というか、日本の説話の中で茨木童子がどう語られてきたのかを
ざっくりお話してみます。
茨木童子と聞くと、こんな話を連想する方が多いのではないかと思いますが↓

「一条戻り橋or朱雀門or羅城門にて、渡辺綱と対決して片腕を切り落とされて、
7日後に綱の伯母に変装して渡辺家に侵入し、腕を取り返して去っていった」


ここに出てくる鬼は「朱雀門の鬼」や「羅城門の鬼」という名で文献に記されていますけど
実は、渡辺綱と対決した鬼が茨木童子だと断定している文献は
現存する平安・鎌倉時代文学にはひとつもありません。
室町時代後期成立といわれる『御伽草子集』にて、酒呑童子が身の上話をする場面で
初めて「茨木童子はかつて渡辺綱に腕を切られ、その後取り返した」という記述が
出てきます。
ここから、「茨木童子=羅城門または朱雀門の鬼」という認識が
人々に広まっていったのではないかな…。

で、江戸時代になると
「童子は産まれた直後に歩き出して人語をしゃべり、髪も歯も生えていたので
気味悪がった両親が茨木村に捨てたところ、髪結床の主人に拾われて育てられた。
ある日、手違いで客を剃刀で傷つけて血をなめたところ、血の味を覚えてしまい
客を傷つけるようになって主人に家を追い出されて、
とある橋の上で川に映った自分の姿をみて鬼になっていることに気づき出奔、
大江山の酒呑童子の部下になった」

という話が、民話や語り物などで見られるようになります。
これは「髪と歯が生えた赤ん坊=not人間=鬼子」「髪結=江戸時代を起源とする職業」
「血をなめる=ケガレを口にする→鬼になる」「川=水面=あの世とこの世の境」
といった当時の風俗や慣習が、茨木童子の物語が人づてに語られるうちに少しずつくっついて
ひとつの話にまとまっていった結果のようです。
その後、自分を捨てた親が病気に倒れると、看病に戻ってきてきちんと看取ったなどの
小さなエピソードも付随するようになります。
(このあたりは大橋忠雄氏の『茨木童子の素顔に迫る』にものすごく詳しく書いてある)

あと、綱から腕を取り返した鬼は女性の格好をしていたため、
茨木は女性ではないか…と言われるようにもなったようです。
これは「腕を取り返した鬼=茨木童子」という認識がなければ成り立たないので
江戸時代以降に出てきた説なんじゃないかな…。
ちなみに江戸時代、浮世絵師たちの描く茨木童子は、鬼か少女か老婆のどれかでした。
(少女として描いたのはもちろん鈴木春信です・笑)

ついでに言うと綱に切られた腕も、物語や浄瑠璃の中では「腕」としか書かれていないし、
舞台や絵の中でも右だったり左だったりして、特にどっちと決まっているわけではないです。
また、江戸時代は過去からの流布本がいくつも存在しているうえに
劇作家たちがこぞって面白おかしく戯作や絵本に書いたために
茨木の腕のエピソードと大江山征伐の順番も、どっちが先と決まっているわけではありません。
たとえば『御伽草子集』では「腕を取り返す云々→大江山征伐」という流れですが
『謡曲羅生門』では大江山征伐が先で、腕のエピソードはその後になっています。
このことについて馬場あき子氏は『鬼の研究』の中で
「むしろ大江山は完全に殲滅できなかったのであり、
後継者的存在であった茨木童子はその後に生き存えたとする方が
話としては発展性がある」とおっしゃっています。

で、わたしは後者の「大江山征伐→腕エピソード」の設定で日々妄想しているわけです、が。
すみません、ここからちょっと自分設定を語りますので厨二モード発動します。
苦手な方はご注意ください…。そして異常に長いです…。
勇気のある方は追記をクリックしてどうぞ。↓

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2011_06
18
(Sat)23:37

石楠花色にたそがれる。

こんもり。
↑実家庭のシャクナゲが見頃を迎えているのでパチパチ撮ってみました(*^ ^*)。
毎年かなり大きな花を咲かせてくれます。今年も元気に咲きました♪

満開☆
↑葉っぱに毒素があるらしいけども、別に触ったらすぐどうなるというものでもないらしいけども
それでも綺麗だから好きvvv


↑アップ。


↑シャクナゲの木の下にはドクダミが咲いています。
小さい花ですが、真っ白だから目立つのですよね。星みたいですごく綺麗☆


↑近づくとくんと匂います。

祖母は子どもだった頃に、けがしたときドクダミを傷口に当てて薬代わりにしたり
花を天ぷらにして食べたこともあるらしいです。
ドクダミはもともと「毒消し」とか、そういう意味の名前だそうですね(´ー`)。
そう考えると、シャクナゲの下にドクダミが咲いているっていうのも
良くできた組み合わせだなぁと思います。
…別にそうなるように計算して植えたわけではなく、
シャクナゲを植えた根本にたまたま勝手にドクダミが自生しているだけなのだけど
あまりにできすぎている気がして妙な感じがしてしまう。。。f(^ ^;)

「色硝子暮れてなまめく町の湯の 窓の下なるどくだみの花」北原白秋
(『桐の花』より)


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皆様いつもありがとうございます(^-^)/☆

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2011_06
16
(Thu)23:56

旅の続きの終わり。

唐の青空。※クリックで大きくなります
「行きて帰りし遣唐使・後日」その15。14はこちら
735年8月。長安は秋を迎えました。
まぁくんのお墓にやって来た仲くん。座って一息つきました。
手には、副使たちが無事に日本へたどり着いたという知らせの手紙を持っています。
「一仕事終えた後は、風が気持ちいいねぇ…」

見つめるのは空の彼方か、海の向こうの故国か。
仲くんの唐における人生は、まだまだこれからです。


遊びに来たよ。※クリックで大きくなります
こちらは大和国@日本。
マッキーが仲くんからの手紙を持って、玄ちゃんのいる海龍王寺にやって来ました。

真備「玄ー!」
玄「おーっす、久し振りだなぁ。どうした」
真備「第2船が帰ってきたんだって。しかも全員無事で」
玄「ほんとか!そりゃ良かった」
真備「あとで報告書出すっていうから、じきに詳細はわかると思うけど、仲麻呂からも手紙が来たんだ。副使たちの帰国の件で、すごくがんばってくれたみたいでさ」
玄「なにーーーっ、見せろ見せろ!どうだ、相変わらず几帳面な字してんのか」
真備「だいぶねー!(笑)」

久し振りの後輩からの手紙に、ホッとしている先輩ズでした。
ちなみに、手紙の返事はかなり分厚くなる予定です(笑)。


今回をもちまして『行きて帰りし遣唐使』は、めでたくめでたく(笑)おしまいです。
約1ヶ月の短期間連載でしたが、いかがでしたでしょうか?(^ ^)
前回の連載が終わってからも、有難いことに続きを見たいと色んな方から言っていただいて
「よし!」と思い切ってやってみたのですが、やっぱりすごく楽しかったです☆
マッキーと由利ちゃんが再会できたし、仲くんにも新しい友達ができて
これで本当にホッと一安心という感じですね。

この続きはドラマ『大仏開眼』にバトンタッチしようと思います。
(ドラマをご覧になった方はおわかりになるかと思うのですが、
この先は色々と込み入った感じになってしまうので。。。^ ^;)
あ、でもイラストや番外編とかは、今後も描き続けていくつもりです。

今回の連載を勧めてくださった方々、読んでくださった方々、
拍手やコメントで応援してくださった皆様すべてに感謝申し上げます。
本当にありがとうございました!
m(_ _)m

近いうちに「後日」の一気読みページを作る予定です。
しばらくお待ちくださいませ(*^ ^*)。


また、このシリーズを連載するにあたり、以下の書籍に大変お世話になりました。

・田村圓澄編『大宰府』 1987.5 吉川弘文館
・坪井清足監修『平城京再現』 1992.11 新潮社
・福岡市博物館編『遙かなる長安-唐朝文化の輝きを求めて』 1996.10 福岡市博物館
・ジョヴァンニ・カセッリ監修『古代中国』 1997.12 ニュートンプレス
・奥平卓責任編集『人物中国五千年5 世界帝国の盛衰 隋・唐・五代十国』 2001.9 PHP研究所
・学習研究社歴史群像編集部企画編集『長安旅遊』 2000.6 学習研究社
・古瀬奈津子『遣唐使の見た中国』 2003.5 吉川弘文館
・専修大学・西北大学共同PJ編集『遣唐使の見た中国と日本』 2005.7 朝日新聞出版
・アーサー・コットレル『写真でたどる中国の文化と歴史』 2006.1 あすなろ書房
・川添昭二監修・重松敏彦編『大宰府古代史年表』 2006.9 吉川弘文館
・石川忠久『王維100選』 2007.5 NHK出版
・東野治之『遣唐使』 2007.11 岩波新書
・朴漢済編著『中国歴史地図』 2009.1 平凡社
・田辺征夫・佐藤信編『平城京の時代』  2010.7 吉川弘文館
・東北歴史博物館編『多賀城・大宰府と古代の都』 2010.9 東北歴史博物館
ほか、雑誌論文、平城京天平祭で撮影した写真など

*遣唐使のイラスト記事一覧はこちらです*


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2011_06
14
(Tue)23:57

いただいちゃいました~!

前回記事にてブロとものkanayanoさんからの素敵プレゼントについてちょっと触れましたが
掲載許可をいただいたので公開しちゃいます!o(^▽^)o♪
クリックして大きくしてご覧くださーい!!↓

大和絵師。
うぎゃーーーっっすてきいぃぃぃ!!!ヽ(≧▽≦)ノ☆
何これ何この色気炸裂春さんは!
い、いや素敵すぎて、もはやうちの春さんだなんて信じられない!!
風になびく髪とか着物とか花びら(だよね?きっと)とか、ふわっふわしてそう!触りたいvvv
うちの春さんの髪型って結構ややこしいのですけど、こんなに忠実に再現してくださってて
リボンのヒラヒラ具合とかも絶妙です。
憂いを帯びた表情とかときめくしかないですね!

し、しかもこれ、わざわざ額入りで持ってきてくださったのです。。。
あぁあ何というお心遣い!こんなにまでしていただいて、これでは部屋に飾るしかないではないか!
ん~でも、飾ると陽に焼けたりしそうだから、やっぱり大事にしまっておくか
わたししか見られないところにこっそり飾っておくかしようと思います。

あと当日は、かわいい黒猫がプリントされた蝦蟇口までいただいてしまいました…(・▽・A;)
も、もったいなくて使えなや…むにゃ、むにゃ。

kanayanoさん重ね重ね本当にありがとうございましたー!両方とも大事にします☆



道中ご無事で。※クリックで大きくなります
「行きて帰りし遣唐使・後日」その14。13はこちら
長安を出発する副使たちを見送る仲くんと王くんの図。
まだ安心はできません。これから副使たちは福州に行き、船を直して日本を目指します。
海を渡る危険は、去年と何ら変わらないのです。

仲麻呂「今度こそ、つつがなく日本へお帰りになれますように…」
王維「だ~いじょ~ぶ。今度こそ帰れるよ」
仲麻呂「うん…。色々ありがとうね、摩詰」
王維「別介意~♪(気にしなくていいよ~)」

次回で、「後日」もラストです。
続きはこちら
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2011_06
12
(Sun)23:42

上野動物園。

昨日、ブロとものkanayanoさんと一緒に上野動物園に行ってきました~!
あそこに行ったのはたぶん小学校の遠足以来です。すごい久し振りで楽しかったぁ☆

1番の目的はやっぱりパンダで、混んでるかなぁと思ったのですが
雨上がりだったせいか15分くらい並んだだけで、スムーズにパンダ舎に入れました。
(彼らが来日したばかりの頃は、確か半日近く並ばないと見られないくらい混んでいたはず)
わさわさ。
↑めっちゃくちゃかわいかったですよ!
わたしたちの方など見向きもせず、もっしゃもっしゃとお食事されていました。
見られ慣れていらっしゃる…??

のびゃ~っ。
↑このポーズがものすごーーくかわいかったです(*´∀`*)。
「ちょっとひとやすみ」って感じが(笑)。

この後も園内を足の向くままぐるぐる回りました。
カピバラに会いに行ったのですが、お出ましの時間を過ぎていて見られませんでした…orz
でもラマと獏はかわいかった…vvv
エミューのもふもふした羽毛には触りたくてたまりませんでした。
ペンギンは水中をすいすい泳いでいるのがとても気持ちよさそうだった。
コビトカバと大型カバ(笑)の体格の差が軽く3倍以上はあってびっくりでした。
スマトラトラが檻の隅の辺りをずーっとうろうろしていたのは
結局何が目的だったのかよくわからなかったけど、動きが猫そのものでかわいかったvvv
クチバシの幅広いハシビロコウという鳥が、1ミリも動かないので一瞬置物かと思ったら
急にパッとこちらを振り向いたりしてビビリました。あれ、なんなんだろう…。
とにかくたくさん歩いて、久々に健康的な1日でした。

kanayanoさんとのデートも本当に楽しかったです~~~~☆
精養軒でランチをいただいて、スタバでお茶もして、お話もいっぱいしたのですが
kanayanoさんは秀才でオシャレでお美しいうえにとてもスゴイ方でした!!
わたしの絵を見て「これはこういうことを描きたいのね(`ω´)キリッ☆」と
即座に見抜いておしまいになっているのです。
絵の中味やキャラクターに対するゆさの姿勢を的確に言い当てられてひたすら恐縮しまくりました。。。
どんだけわかりやすいの自分…。
kanayanoさんによるとわたしは「鳥山石燕を描くときは常に一歩引いたところから見て描いている」
とのことですが、確かにその通りです。
彼にハマって5年以上になるので、客観的にならないと描けないのです…f(・ω・)。
接近しすぎると納得のいかない絵ばかりになる。
好きすぎているうちは距離をとって描きます。ふふふふ。

そしてそして、何とうちの子を描いて額入りで持ってきてくださったのです!
本当にありがとうございました!末永く大事にさせていただきますvvv
次回記事で紹介したいと思います。フフフフフ(*^▽^*)♪


素早い仕事。※クリックで大きくなります
「行きて帰りし遣唐使・後日」その13。12はこちら
翌日、仲くんが玄宗皇帝に船を直す臨時予算について奏上すると、
「その件はすでに右拾遺(王維)から聞いた。執行せよ」との返答が。
仲くん、びっくりして同僚を見ます。

仲麻呂「摩詰…!」
王維「左補闕だけより、左補闕と右拾遺両方が奏上した方が早いってことだよ、朝衡~♪」

にやにやする王くん。仲くん、ひとつ借りができました(笑)。
ちなみに摩詰というのは王くんの字(あざな)で、朝衡は仲くんの唐名です。
続きはこちら
*遣唐使のイラスト記事一覧はこちらです*
2011_06
10
(Fri)23:57

光の航跡。

近所の川に蛍が舞い始める時期になったので、家族で見に行きました☆
数は少ないのですが、毎年ふよふよと飛んでいるのです(*´∀`*)ほくほく。

水の流れる音しかしない。
↑近所の川。小さな川ですが、わたしよりずっとずっと長生きしています。
フラッシュ焚いたら蛍がどこに写っているのかわからなくなってしまった…。

蛍の航跡。
↑元気に飛んでいた2匹を、シャッター長押しで撮ってみました。
蛍の飛び方って、蝶と蜻蛉を足して2で割ったような感じだなぁと個人的に思っています。
上昇するときは力強いんだけど、おりてくるときはどこか儚げというか。

ふよふよふよん。
↑うまく撮れなかったのですが、この奥の方でも4~5匹飛んでいました。
1匹が飛んでいると、つられて2匹、3匹と飛んできて、闇が賑やかになりますね(*^ ^*)。

「屋外は真ッ闇 闇の闇 夜は劫々と更けまする
落下傘奴のノスタルヂアと ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」
(中原中也「サーカス」)

…ところで蛍と聞くとすぐに『源氏物語』の「蛍」の巻を思い出してしまうのが
古典クラスタの性なわけですけれども。。。
源氏が袖の中に隠していた無数の蛍をパッと放って、玉鬘の姿を照らして見せる場面が好き~。
蛍をあんなに効果的に使った演出って、なかなかないなぁと思うのです。

「鳴く声も聞こえぬ虫の思ひだに 人の消つには消ゆるものかは」蛍兵部卿宮
「声はせで身をのみ焦がす蛍こそ いふよりまさる思ひなるらめ」玉鬘
(源氏物語第二五帖・蛍より)


残業なう。※クリックで大きくなります
「行きて帰りし遣唐使・後日」その12。11はこちら
夜中までお仕事中の仲くん。
そこへ同僚の王維が通りかかって声をかけました。仲くん、顔もあげずに応じます。
王維「あれ、まだいたの?」
仲麻呂「うん、日程調整がさ…。あなたこそ、まだいたの」
王維「皇帝がやっと休んだんだよ。…聞いたぜ、同胞が戻ってきたんだって」
仲麻呂「うん。しばらくうちで休ませることにしたんだ。たぶん、謁見どころじゃないと思うし。皇帝もそれでいいって言ってくださったから」
王維「そりゃ良かった。みんな疲れてるだろうしね」
仲麻呂「うん」
王維「あんたも無理するなよ。彼ら、あんたを頼って来たんだろう」
仲麻呂「大丈夫、これが終わったら帰るから」
王維「それがいいよ。同胞を助けたい気持ちも、わかるけどね」

しっかりしなくちゃ。※クリックで大きくなります
仲くん、はじめて顔を上げました。
「うん、彼ら、早く帰りたいはずなんだ。任務の真っ最中だもの」

そんなわけでもう一踏ん張り。
今日は今までで一番長い残業になりそうです。でも、一番やりがいのある残業かな…。
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2011_06
08
(Wed)23:57

第1209回「思い出のえかき歌」

こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当ほうじょうです。今日のテーマは「思い出のえかき歌」です。小さいとき、某キャラクターのえかき歌がCMで流れておりすっかりそれに洗脳されたわれわれ子供はそのキャラクターを描きまくっていました。カンタンなので今でも描けると思います今日6月6日は、コックさんの日です...
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一番最初に知ったのはやっぱり「かわいいコックさん」かなぁ。
「♪棒~がいっぽんあったとさ 葉っぱかな 葉っぱじゃないよ カエルだよ
 カエルじゃないよ アヒルだよ 6月6日に雨ざーざー降ってきて
 三角定規にヒビ入って……あっという間にかわいいコックさん!」というやつ。
保育園の友達と一緒に、スケッチブックに何度も飽きずに描きまくっていました。
懐かしいなぁvvv
でも、ずっとおんなじコックさんを描いているだけじゃつまらないから
髪型変えたりとか、胸に星をつけたりとか、いろいろデザインを付け足して
歌詞も適当に足して描いていたこととかあったかも。

『ドラえもん』の「ドラえもん・えかきうた」も小さい頃に歌っていたような。
「♪丸かいてちょん 丸かいてちょん お豆に芽がでて うえきばち うえきばち
 6月6日に UFOが……ひげをつけたら ドラえもん」というやつ。
これも保育園の友達と一緒に描いていた覚えがありますから、
園の先生がカセットかCDで流してくれていたのを自然に覚えたのかもしれない。
藤子作品の絵描き歌は他に、オバケのQちゃんとかパーマンのもあった気がしますが
こちらはドラえもんほどよく覚えてはいないです…f(^_^;)。

あとアニメ『キョロちゃん』のEDだった「キョロちゃん絵描き歌」も好きですね。
「♪天気がいいね 絵でも描きたい 何描こうかな どうしようかな~
 丸描いて 丸描いて 丸描いて 丸描いて 中のふたつを黒くぬり 三角帽子をかぶせたら
 長~い丸でつつみます……あら、これは!」というやつ。
キョロちゃんはなじみのあるキャラクターですが、何も見ずに絵に描こうとすると
そういえば目はどうなってたっけ、クチバシは、足は…とか、あれこれ考え出してしまって
意外と描けなかったりします。
なので、この絵描き歌を聴いたときは「あっこれ素敵!」と思って即座に覚えたのでした(笑)。
(別に描き方を覚えたからどうするというのではなく、
しょっちゅう現物を見なければ描けなかったキョロちゃんが
あっさり描ける方法があるということに感動してしまったわけです。。。)

チョコボールは小さい頃から大好きですね♪
特にピーナッツが好きで、今もお店で目につくと買って食べています☆
金か銀のエンゼルが出たらいいなぁ~とか考えながら。
(そういえば何年か前に過去缶が当たったことがあるけど、あれどこへやったんだっけか)

それから、一時期『忍たま乱太郎』のEDだった「ヘムヘムのえかき唄」も好きだったなー。
「♪おむすびふたつ ありまして まあるいお山に とんがりおやま
 くねくね道を 歩いたら 大きなとっくり 落ちてたよ
 へっへっへっへっ へっがよっつ……おひげを描いたら ヘムヘムだ」というの。
忍たまで好きなキャラクターは土井先生と利吉さんと食堂のおばちゃんと山本シナ先生ですが
ヘムヘムも好きですね☆
あの何とも表現しがたい鳴き声がたまらんです(*´∀`*)。
小学校時代に男の子たちがよく物真似していたなぁ…上手な子は無条件で尊敬されていたなぁ…。
(そういえば今年公開するらしい実写忍たま映画にはヘムヘムも出るんだろうか)


夕暮れ時の訪問。※クリックで大きくなります
「行きて帰りし遣唐使・後日」その11。10はこちら
2週間後。遣唐副使の中臣名代が、福州から長安の鴻臚寺にやって来ました。
仲くん、すっ飛んで行ってねぎらいます。

仲麻呂「副使…もう、何と申し上げればよいか」
名代「いや、それはほら、遣唐使ですから。覚悟の上ですよ。あなたもそうだったでしょ」
仲麻呂「まぁ、そうですね……」
名代「このたびは色々お手を尽くしていただいたそうで、お礼を申し上げます。怪我人はいますが、みんな元気です。安心してください」
仲麻呂「…ええ。副使、長安に滞在なさるなら、わたしの邸にお泊まりください。手狭ですが、部屋がひとつ空いています」
名代「ありがとうございます。でも、謁見がすんだら福州に戻るつもりです。みんな待っていますから」
仲麻呂「…わかりました。では、その際は太常寺の医師に同行してもらってください。皆様の面倒をみてくれるよう、伝えます」
名代「重ね重ね、お世話になります」
仲麻呂「いいえ。あなたたちがご無事で良かった…それだけです」

(ええと、何かほんと、重い展開ばかりですみませぬ…><;
次回は少しほわわんとなる…はず)
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2011_06
06
(Mon)23:36

高嶺の果実。

夕食後に母がオレンジを切ってくれたので、
お茶淹れてから食べようと思ってテーブルに置いておいたら、
オレンジのお皿の前で母にゃんこが鼻をくんくんさせていたので
大慌てでテーブルから引き離したゆさです。こんばんわ。
オレンジはどうにか無事でした(´∀`A;)。あぁまったくもう油断も隙もない。。。

冷蔵庫でキンキンに冷やしたオレンジは最高にうまうまでした。
親戚の御夫婦が先日お墓参りにみえたときにお土産でくれたのですが
水気たっぷりで甘酸っぱかったです☆
キウイとグレープフルーツとメロンもいただいたので早く食べねば。
あと母が買ってきたアメリカンチェリーもあるので早く食べねばそちらもわるくなってしまう。
日本のサクランボも好きですが、アメリカンチェリーも大好きだったりします。
花も実も日本のサクランボよりビッグで食べごたえがあるところが(笑)。

花といえばちょうど今の時期は、町の街路樹の根本にマーガレットやパンジーなどの花が
たくさん植えられていて、ちょっとした楽しみになっていたりします。
特に帰りの車の中から眺めると疲れた心に沁みます。目の保養。
植物はいつ見ても綺麗ですな(*´∀`*)。
色とりどりのパンジーが固まって咲いていると万華鏡みたいで、何度見ても感動する。

…ところでマーガレットを見るといつも『若草物語』を思い出すのですけれど。
4姉妹の長女であるメグ(Meg)は、本名はマーガレット(Margaret)ですが
彼女が娘を産んだときにやはりマーガレットという名前をつけて
娘はデイジー(Daisy)と呼んで区別している…という描写を見て、
うわぁ英語ってこんなことできるんだって、すごく面白く思えた経験があるからかもしれない。

余談ですがマーガレットはフランス読みでマルグリット(Marguerite)、
イタリア読みでマルゲリータ(Margherita)、
ドイツ読みにするとマルガレーテ(Margarete)で、愛称はグレーテル(Gretel)だそうです。
そうすると、グリム童話の『ヘンゼルとグレーテル』に出てくるグレーテルは
マーガレットの花の名前がついているってことなんだろうか。
(ちなみにヘンゼル(Hansel)はエンジェル(Angel)のドイツ語読みですな)

あと、パンジーの蜜って確か、シェイクスピアの『A Midsummer Night's Dream』では
妖精たちの惚れ薬に使われてたんじゃなかったかな…?
パックよ早くロバの顔の男を元に戻さんかー。
戯曲の最後に彼が述べる「我らはみな影法師~」の口上がすごく好きです。

…ええとつまり何が言いたいかっていうと、食後の果物がとてもおいしいということです。
いやそれもあるけど街路樹の花も…話がずれていく…(^ ^;)。


あれもこれも。※クリックで大きくなります
「行きて帰りし遣唐使・後日」その10。9はこちら
同胞がやってくる!仲くん、頭の中でやるべきことを整理しながら、玄宗皇帝のもとへ走ります。

「まずは医師だ。数が足りなかったら何人か派遣して、全員の容態を診てもらわなくちゃ。あと滞在費も送って、船の修理予算とって…。落ち着け、落ち着け…きちんと整理しなきゃ、皇帝に何も伝えられないじゃないか。食料は福州の国庫で間に合うかなぁ~。副使どのたちはうちで休ませよう。あれ、使える部屋があったかな。えーとそれから…」

めずらしく大慌て。しばらく忙しくなりそうです。
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2011_06
04
(Sat)23:55

世界はつながっている。

目黒区南で開催中の「藤城清治自宅スタジオ展」に行ってきましたvvv
影絵作家の藤城清治さんが、2階建てのご自宅兼アトリエの中に
今までの作品をどっさり展示している展覧会です。もう夢と希望とメルヘンがいっぱいだった!!

小人と猫さん☆
↑入口です☆色んな人からお祝いのお花がたくさん来ていました。

入ってすぐ、フクロウと笑いカワセミと淡水魚とにゃんこ2匹とブルーボタンインコ2羽が
出迎えてくれて、さながら小さな動物園のようでした。
(笑いカワセミのカックンが一定時間ごとに「キャーーーッ!」と鳴いていたのが印象的だった)

藤城さんの影絵は子どもの頃から大好きで、展覧会も何度か行っているのですが
ご自宅を訪ねるのは初めてでした。
(1992年に開催して以来、実に20年ぶりの自宅展覧会だそうです)
過去の作品を見て懐かしがったり、新しい作品に度肝を抜かれたり感動したりの連続でした。
小人・猫・鳥・花・楽器・子鬼・聖書・宮沢賢治・アリス・アンデルセンなどなど
愛くるしくかわいらしいものから神々しく荘厳なものまでたくさんの影絵があって
どれもが息をのむような美しさでした。
(そしてそれらはすべてわたしの大好きなものばかりだったりします。キャーフジシロサーン)

館内の写真撮影がすべてOKとのことなので(フラッシュ焚くのは×です、念のため)、
撮らせていただきつつ鑑賞してきました。
以下、撮ってきた写真の一部をご紹介いたします。

作品名「コスモスは詩う」
↑下に水がためてあって、両脇が鏡になっていてすごく綺麗だなぁと思いました。
コスモスの花畑がどこまでもどこまでも続いているみたいに見えました。
(藤城さんが各地の展覧会でよくやる演出ですな *^ ^*)
少女や猫の躍動感もさることながら、コスモスの美しいこと!しばらく見とれていました。

この作品の向かい側にバーのような飲み場所がありまして、カルピスが冷やしてあって
「ご自由にお飲みください」と書いてありました。もちろんいただきましたとも♪

作品名「竿燈まつり」
↑秋田県の竿燈まつりを題材に描いたもの。ほぼ壁一面の大きな作品です。
提灯の数もすごいけど、ひとつひとつが本物みたいに灯っているように見えるから圧巻です。
どんなライトニング技術なのこれ…。
藤城さんは最近、日本国内各地の伝統行事や風景を影絵で描くことをライフワークにして
全国を旅行するたびにスケッチをされて作品制作をなさっているとか。
他にも桜島、清水寺、軍艦島、室戸岬、足摺岬、広島原爆ドームなどの作品がありました。
どれもものすごく大きくてエネルギッシュでした。

絵本「マボロシの鳥」表紙絵
↑絵本『マボロシの鳥』挿絵の一斉展示もありました。
(爆笑問題太田光さんの同名小説を読んだ藤城さんが
ぜひ絵をつけたいと申し出られ、あっという間に40枚ほど作り上げてしまったのだそう)
鳥の目がブリリアンカットされたダイヤモンドのようにキラキラ光っていて綺麗でした。

作品名「人は皆こびとを一人もっている」
↑賑やかでいいなぁ~と思った一枚。
世界中の人がぎゅっと凝縮されているような感じがしました。
藤城さんの「こびとは一人だけじゃなく、この世の中にいっぱいいると思う。
そして、誰にでも話しかけ、喜びや悲しみを分かち合ってくれる。
みんなこびとくんと仲良しになり、話し合い語り合っていったらどんなに楽しいだろう。
そんなことを願って制作した作品」というキャプションにも感動。

…ところで。
ご自宅での展覧会なので、もしかしたら藤城さんご本人がふらりといらっしゃることとか
あるのかなあ…と思いながら鑑賞して、
2階の奥にあるグッズ販売コーナーに入っ、た、ら。

すぐ左のスペースにご本人座ってたーーーーー!!!Σ(゚▽゚;;/)/

もう我を忘れて一気にテンションがおかしくなって、
わあわあ言いながらその場で買った本にサインいただいて握手もしていただきました!
革製のふかふかアンティークソファにダイブしたかのような、すべてを包み込むような、
すごくすごく柔らかくてあたたかいお手でした…!!
このお手から数々の影絵が生み出されているのだと思うと感無量でした。
せっかくなので色々とお話したかったのですが、緊張のあまりお礼しか言えなかった。アホやー。
(後ろに他の人も並んでいたし)でもお会いできて幸せでした。

まだあと何日か開催されるようですので、興味のある方やお近くの方はぜひ。
素敵なメルヘンの世界に浸れますよ~(*´▽`*)ノ


まさかの報告。※クリックで大きくなります
「行きて帰りし遣唐使・後日」その9。8はこちら
マッキーたちが大和国に到着した735年の3月、
仲くんは唐の長安城でいつものようにお仕事をしていました。
そこへ鴻臚寺(外交担当機関)の官人がやって来ました。何やら切羽詰まった様子です。
官人「左補闕どの、先ほど福州から伝令が参りました。遣唐副使の中臣様という方が、あなた様にお目通り願っているそうです。いかがいたしますか」
仲麻呂「…えっ!?」
官人「副使様の乗った第2船が、嵐で福州に流れ着いたのだそうです。今現在は皆様、都督府に滞在中で、幸い船は多少の破損ですんだとか」
仲麻呂「全員無事なのかな」
官人「ええ。怪我人はいるようですが」
仲麻呂「……わかった。それで、来るのは副使どのだけ?」
官人「従者がお2人、いらっしゃるそうです。2~3週間ほどで到着されるでしょう」
仲麻呂「わかった、ありがとう。皇帝に奏上してくる」

すわ一大事。仲くん、臨時のお仕事ができました。
ちなみに福州とは、今の中国福健省のことです。
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2011_06
02
(Thu)23:54

歩く人が多くなれば、それが道になる。

歴史上において、「その人が子どもだった頃はこういう人が大人で、
その人が大人になった頃にはこういう人たちが生まれてくる」という流れを追いかけるのが
無条件で大好きだったりします。
「そうかぁこの人は子どもの頃にこういう大人を見ているのかぁ。
で、そんな大人を見ながら、いわゆる"歴史上の人物"に育っていくわけだな~」とか
考えているとどうにも止まらなくなってしまう。

たとえば、ゆさが普段リスペクトしている人物を時代順に下ってみると↓

・聖徳太子が大人だったとき、藤原鎌足は子ども
・藤原鎌足が大人だったとき、山上憶良は子ども
・山上憶良が大人だったとき、吉備真備は子ども
・吉備真備が大人だったとき、坂上田村麻呂は子ども
・坂上田村麻呂が大人だったとき、小野篁は子ども
・小野篁が大人だったとき、菅原道真は子ども
・菅原道真が大人だったとき、小野道風は子ども
・小野道風が大人だったとき、藤原実資は子ども
・藤原実資が大人だったとき、紫式部は子ども
・紫式部が大人だったとき、菅原孝標女は子ども
・菅原孝標女が大人だったとき、大江匡房は子ども
・大江匡房が大人だったとき、平忠盛は子ども
・平忠盛が大人だったとき、源頼朝は子ども
・源頼朝が大人だったとき、平六代は子ども
・平六代が大人だったとき、源実朝は子ども
・源実朝が大人だったとき、仙覚律師は子ども

この後も続きますが、きりがないのでこの辺で止めておきます。
(気が向いたら続きをやるかもです)

歴史は大河とよく言いますが、それぞれの時代を生きた人たちを繋げて見るだけでも
本当に色んな人がいて、今現在まで流れてきているのだなぁ…と思えてきます(*^ ^*)。
そんな中で、それぞれの時代に生まれた子どもたちは
同じ時代に生きていた大人たちの生き方に影響を受けることもあったろうな~とか
この大人とこの子どもがどこかでニアミスしていたかもしれないよな~とか考えると
ロマンがぐっと広がりますです。
年の離れた歴史上の人物同士の接触って、何かムズムズする(*´∀`*)。

(そして実際にニアミスどころか顔をあわせていたなんて記録に出会うと、
それだけでその日1日は精神衛生上たいへんよろしく過ごせたりする。
たとえば藤原実資と紫式部は全然違う経緯で好きになって調べていたのですけど
実資の日記に「正月に彰子皇太后を訪問したら為時女(紫式部)が取り次いだ」と
書いてあるのを知った日は、もうテンションの上がり方がおかしくて夜寝るのが大変だった)


手を振るのは…。※クリックで大きくなります
「行きて帰りし遣唐使・後日」その8。7はこちら
いつものように農作業に取りかかろうとした由利ちゃん、家を出たところで立ち止まりました。
誰かが手を振っています。
真備「ゆーりーー!」

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由利「兄上!おかえりなさい兄上!!」
真備「ただいま!苦労かけたね!!」
この後、家から出てきたお母さんともハグすると思います(^ ^)。

唐を出てから約半年、真備はようやく下道の家に帰ってきました。
長い長い旅のゴールです。お疲れさまー!

次回からは、唐に残った仲くんのお話です。よろしければお付き合いくださいませ(´∀`)ノ☆
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