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2011_06
20
(Mon)23:58

いざ我が行く処は愛宕ぞ。

茨木童子について語って欲しいと何人かの方からリクエストをいただいたので、
ちょこっと(どころじゃないけど)語ってみたいと思います(笑)。

まずは史実…というか、日本の説話の中で茨木童子がどう語られてきたのかを
ざっくりお話してみます。
茨木童子と聞くと、こんな話を連想する方が多いのではないかと思いますが↓

「一条戻り橋or朱雀門or羅城門にて、渡辺綱と対決して片腕を切り落とされて、
7日後に綱の伯母に変装して渡辺家に侵入し、腕を取り返して去っていった」


ここに出てくる鬼は「朱雀門の鬼」や「羅城門の鬼」という名で文献に記されていますけど
実は、渡辺綱と対決した鬼が茨木童子だと断定している文献は
現存する平安・鎌倉時代文学にはひとつもありません。
室町時代後期成立といわれる『御伽草子集』にて、酒呑童子が身の上話をする場面で
初めて「茨木童子はかつて渡辺綱に腕を切られ、その後取り返した」という記述が
出てきます。
ここから、「茨木童子=羅城門または朱雀門の鬼」という認識が
人々に広まっていったのではないかな…。

で、江戸時代になると
「童子は産まれた直後に歩き出して人語をしゃべり、髪も歯も生えていたので
気味悪がった両親が茨木村に捨てたところ、髪結床の主人に拾われて育てられた。
ある日、手違いで客を剃刀で傷つけて血をなめたところ、血の味を覚えてしまい
客を傷つけるようになって主人に家を追い出されて、
とある橋の上で川に映った自分の姿をみて鬼になっていることに気づき出奔、
大江山の酒呑童子の部下になった」

という話が、民話や語り物などで見られるようになります。
これは「髪と歯が生えた赤ん坊=not人間=鬼子」「髪結=江戸時代を起源とする職業」
「血をなめる=ケガレを口にする→鬼になる」「川=水面=あの世とこの世の境」
といった当時の風俗や慣習が、茨木童子の物語が人づてに語られるうちに少しずつくっついて
ひとつの話にまとまっていった結果のようです。
その後、自分を捨てた親が病気に倒れると、看病に戻ってきてきちんと看取ったなどの
小さなエピソードも付随するようになります。
(このあたりは大橋忠雄氏の『茨木童子の素顔に迫る』にものすごく詳しく書いてある)

あと、綱から腕を取り返した鬼は女性の格好をしていたため、
茨木は女性ではないか…と言われるようにもなったようです。
これは「腕を取り返した鬼=茨木童子」という認識がなければ成り立たないので
江戸時代以降に出てきた説なんじゃないかな…。
ちなみに江戸時代、浮世絵師たちの描く茨木童子は、鬼か少女か老婆のどれかでした。
(少女として描いたのはもちろん鈴木春信です・笑)

ついでに言うと綱に切られた腕も、物語や浄瑠璃の中では「腕」としか書かれていないし、
舞台や絵の中でも右だったり左だったりして、特にどっちと決まっているわけではないです。
また、江戸時代は過去からの流布本がいくつも存在しているうえに
劇作家たちがこぞって面白おかしく戯作や絵本に書いたために
茨木の腕のエピソードと大江山征伐の順番も、どっちが先と決まっているわけではありません。
たとえば『御伽草子集』では「腕を取り返す云々→大江山征伐」という流れですが
『謡曲羅生門』では大江山征伐が先で、腕のエピソードはその後になっています。
このことについて馬場あき子氏は『鬼の研究』の中で
「むしろ大江山は完全に殲滅できなかったのであり、
後継者的存在であった茨木童子はその後に生き存えたとする方が
話としては発展性がある」とおっしゃっています。

で、わたしは後者の「大江山征伐→腕エピソード」の設定で日々妄想しているわけです、が。
すみません、ここからちょっと自分設定を語りますので厨二モード発動します。
苦手な方はご注意ください…。そして異常に長いです…。
勇気のある方は追記をクリックしてどうぞ。↓

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