百面相。
今日はまるで「夏至!」といわんばかりの暑さでしたね…(- -;;)。
出先でめっちゃ汗かいて、化粧落ちまくりで大変でした。なんかどっと疲れた。
(Google先生のカイカイキキな夏至ロゴはかわいかったけどvvv)
しかし帰ってきて歴史秘話ヒストリアの平賀源内特集を観たら
疲れはすっかり吹っ飛びました(笑)。
うは~~~やっぱりこの人楽しいよぅ(^▽^)☆
事業の成功うんぬん以前に、源内の八面六臂ぶりは見ていて爽快ですらあります。
御神酒天神の制作とか(白石伝次郎時代ですね)、湯島の物産展とか
秩父での火浣布制作とか鉱山の発掘とか
あらゆるシャレを盛り込んだ戯作を書いたりとか
羊を買い込んで「国倫織」を作ろうとしたりとか、油絵描いてみたりとか
壊れたエレキテルを直してみたりとか
『解体新書』の挿絵をどうしようか困っていた杉田玄白に小田野直武を紹介したりとか
鈴木春信の錦絵制作にちょこっとアイディア出したりとか(←これ最重要・笑)。
でも本人の性格ゆえか、当時の時代背景ゆえか、
せっかく新しい事業を起こしたりキャッチコピーを作ったりして注目されても
どれも一過性で終わってしまった…というのは、いつ聞いても切ないなと思ってしまいます。
やりたいことがありすぎて、本当はどれを真剣にやりたいのか
本人もわかっていなかったのではないかな…。
新しいものを見るたびにアイディアが次から次へと湧いていたんだろうけど
でも実行するだけの人脈と財力に恵まれなかっただけのような気も。
以前にここで「頭は相当良かった」と書きましたけど、その印象は今も変わっていません。
源内が借金まみれだった理由について、
番組では「フリーの身で多くの事業に手を出したから」だとしていましたけど
彼は何も好きでフリーでいたわけではなく、彼の出身地である高松藩の松平頼恭藩主から
「他へ士官の儀は御構い遊ばされ候」と釘をさされていたのです。
(江戸に出たくて脱藩した源内の罪を許す代わりに、ということらしいです)
構いをかけられる、つまり他の藩に仕官できない身だったので
裸一貫で江戸に出た源内は、どこの藩主の力を借りることもできずに
ひとりで事業を起こしていくしかなかったのです。
戯作を書いたり物産展を開くなどして、江戸の町や本草学界では有名になりますが
身分は浪人、どこかの藩へ仕官しようとすると構いをかけられる、それなら幕府へ売り込もう!と
とにかく何でもかんでも思いついたことをやってみた…という感じではないかなと
わたしは勝手に思っています。
少し前に浅草の源内さんのお墓へ行ったのですが、
番組を見てまた行ってみたくなりました。
お墓の隣の碑に刻まれている「あゝ非常の人~(by杉田玄白)」のことばがすごく切なかった。
本日のお絵かき↓
※クリックで大きくなります
カラヴァッジョ。イタリアの画家で、源内さんより150歳ほど年上です。
先日テレビで彼の特集をやっていたのを見て描きたくなりました。
源内さんはその生涯でかなりの旅をしましたが、カラヴァッジョもたくさん旅をしました。
彼が旅先のトスカーナで亡くなったとき、いつも持ち歩いていた鞄に入っていたという
絶筆の3作がものすごく好きだ。
*ブログ内のイラスト記事一覧はこちらです*
出先でめっちゃ汗かいて、化粧落ちまくりで大変でした。なんかどっと疲れた。
(Google先生のカイカイキキな夏至ロゴはかわいかったけどvvv)
しかし帰ってきて歴史秘話ヒストリアの平賀源内特集を観たら
疲れはすっかり吹っ飛びました(笑)。
うは~~~やっぱりこの人楽しいよぅ(^▽^)☆
事業の成功うんぬん以前に、源内の八面六臂ぶりは見ていて爽快ですらあります。
御神酒天神の制作とか(白石伝次郎時代ですね)、湯島の物産展とか
秩父での火浣布制作とか鉱山の発掘とか
あらゆるシャレを盛り込んだ戯作を書いたりとか
羊を買い込んで「国倫織」を作ろうとしたりとか、油絵描いてみたりとか
壊れたエレキテルを直してみたりとか
『解体新書』の挿絵をどうしようか困っていた杉田玄白に小田野直武を紹介したりとか
鈴木春信の錦絵制作にちょこっとアイディア出したりとか(←これ最重要・笑)。
でも本人の性格ゆえか、当時の時代背景ゆえか、
せっかく新しい事業を起こしたりキャッチコピーを作ったりして注目されても
どれも一過性で終わってしまった…というのは、いつ聞いても切ないなと思ってしまいます。
やりたいことがありすぎて、本当はどれを真剣にやりたいのか
本人もわかっていなかったのではないかな…。
新しいものを見るたびにアイディアが次から次へと湧いていたんだろうけど
でも実行するだけの人脈と財力に恵まれなかっただけのような気も。
以前にここで「頭は相当良かった」と書きましたけど、その印象は今も変わっていません。
源内が借金まみれだった理由について、
番組では「フリーの身で多くの事業に手を出したから」だとしていましたけど
彼は何も好きでフリーでいたわけではなく、彼の出身地である高松藩の松平頼恭藩主から
「他へ士官の儀は御構い遊ばされ候」と釘をさされていたのです。
(江戸に出たくて脱藩した源内の罪を許す代わりに、ということらしいです)
構いをかけられる、つまり他の藩に仕官できない身だったので
裸一貫で江戸に出た源内は、どこの藩主の力を借りることもできずに
ひとりで事業を起こしていくしかなかったのです。
戯作を書いたり物産展を開くなどして、江戸の町や本草学界では有名になりますが
身分は浪人、どこかの藩へ仕官しようとすると構いをかけられる、それなら幕府へ売り込もう!と
とにかく何でもかんでも思いついたことをやってみた…という感じではないかなと
わたしは勝手に思っています。
少し前に浅草の源内さんのお墓へ行ったのですが、
番組を見てまた行ってみたくなりました。
お墓の隣の碑に刻まれている「あゝ非常の人~(by杉田玄白)」のことばがすごく切なかった。
本日のお絵かき↓

カラヴァッジョ。イタリアの画家で、源内さんより150歳ほど年上です。
先日テレビで彼の特集をやっていたのを見て描きたくなりました。
源内さんはその生涯でかなりの旅をしましたが、カラヴァッジョもたくさん旅をしました。
彼が旅先のトスカーナで亡くなったとき、いつも持ち歩いていた鞄に入っていたという
絶筆の3作がものすごく好きだ。
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