燃やせ絵描き魂。
熊谷市のアルス画房のイラストコンペ&投票に行ってきました(^▽^)☆
(イラストコンペについては↑の期間限定トップ記事をご覧ください)
イラストボードの搬入後、店舗に展示してくださるのはお店のスタッフさんなので
どんな風に飾られているのかわからないまま、期待しつつ行ってみたら
お店の1階の、陽当たりのよい、外からも見えるガラス張りの場所にズラーッと飾られていて
ちょっとドキドキしました。。。
総勢49名の方々の渾身のアナログイラストと、もはやプロ並の手作り小物やグッズを
間近で見ることができてとても楽しかったです。
わたしは基本的にひとりでイラストを描いているので
ともすると描き方がパターン化したり、そのせいで手が止まったりしかねないのですが
こういったギャラリーや展示会で素敵な作品を見ると
創作欲がムクムク湧いてきて「うおおこんなの描きてえぇぇ!!」と
あさっての方向に向かって叫び出したくなります。描魂がたぎる!
特にアナログで描かれたイラストは、普段から自分でもアナログで描く身としては
穴が空くほど眺めないわけにはいかないです。。。
描き手の筆のタッチやペン先のかすれ具合や、
ホワイトの飛ばし方や色の重ね塗りまできっちり見えるというのは
アナログ技法のいいところでもあり欠点でもあるなぁと思います。
あぁこうやって線を引くと色を塗ったときに引き締まって見えるんだなぁとか
ひょっとしてここうっかりはみ出して一生懸命直したのかしら…とか、
そういうのが一目でわかるので。
(別に粗探しをしているわけではなく、うっかり予定外の線を引いたり色を落としてしまったときに
そこからいかにして元々の完成イメージに近い(もしくはドンピシャな)絵まで
持っていくことができるか、極端な言い方をすればその絵をそのまま生かすか殺すかという
選択を迫られる瞬間というのはわたしもよくあることなので
そのジレンマと戦いまくった跡が見て取れる絵にはものすごく親近感を感じるわけです。
どうしてもうっかりの跡が消せない絵は描き直しますけどね)
それでもやっぱり、オリジナルをナマで見るというのは幸せな気持ちになれます。
原画や原稿などのいわゆる一次資料には
描き手もしくは創り手の熱意が一番こもっていますので。
プロの画家の作品や文豪と呼ばれる作家の直筆原稿を見るときの気分と同じですね。
あと、アナログはデジタルと違って、戻るボタンやレイヤー結合ボタンを押すことができないので
一筆一筆がとても大切になってくるわけですが、
そういう緊張感もひっくるめて大好きな技法だったりします。
思いついて考えて苦労して楽しんでちょっとヒヤッとして「よしこい!」と発奮して
描いた絵が完成した瞬間は、言葉では表現できないくらい清々しくて気持ちよくて
どうにも癖になる。
本日のお絵かき↓
※クリックで大きくなります
左から小野岑守、藤原三守、菅原清公。平安時代前期に活躍した文人官僚トリオです。
もともと彼らについては以前から気になってはいたのですけど、
先日『嵯峨天皇と文人官僚』という本を読んだら、久々に平安前期に燃えて萌えて
妄想が止まらなくなったので描きました。
(彼らの人物伝や評伝ってそんなに数があるわけではないので、あれ貴重な本だと思う)
この3人が現役だった頃って、大小の天災はあれど反乱や政権争いのような人災が一切なくて
彼らがいなくなった後にだだっと起こっていることが多いので
歴史的に特に華々しい活躍はしていなくても、彼らがいるだけで時代がおとなしくしてしまう、とか
そんな人たちだったんじゃないかと思う。
ちなみに。
岑守の息子の篁と三守の三番目の娘は結婚していて、
清公の孫の道真と岑守の孫の葛絃は大宰府で一緒にお仕事していた時期があったりしますね。
子孫の代でも仲良しです。
*ブログ内のイラスト記事一覧はこちらです*
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イラストボードの搬入後、店舗に展示してくださるのはお店のスタッフさんなので
どんな風に飾られているのかわからないまま、期待しつつ行ってみたら
お店の1階の、陽当たりのよい、外からも見えるガラス張りの場所にズラーッと飾られていて
ちょっとドキドキしました。。。
総勢49名の方々の渾身のアナログイラストと、もはやプロ並の手作り小物やグッズを
間近で見ることができてとても楽しかったです。
わたしは基本的にひとりでイラストを描いているので
ともすると描き方がパターン化したり、そのせいで手が止まったりしかねないのですが
こういったギャラリーや展示会で素敵な作品を見ると
創作欲がムクムク湧いてきて「うおおこんなの描きてえぇぇ!!」と
あさっての方向に向かって叫び出したくなります。描魂がたぎる!
特にアナログで描かれたイラストは、普段から自分でもアナログで描く身としては
穴が空くほど眺めないわけにはいかないです。。。
描き手の筆のタッチやペン先のかすれ具合や、
ホワイトの飛ばし方や色の重ね塗りまできっちり見えるというのは
アナログ技法のいいところでもあり欠点でもあるなぁと思います。
あぁこうやって線を引くと色を塗ったときに引き締まって見えるんだなぁとか
ひょっとしてここうっかりはみ出して一生懸命直したのかしら…とか、
そういうのが一目でわかるので。
(別に粗探しをしているわけではなく、うっかり予定外の線を引いたり色を落としてしまったときに
そこからいかにして元々の完成イメージに近い(もしくはドンピシャな)絵まで
持っていくことができるか、極端な言い方をすればその絵をそのまま生かすか殺すかという
選択を迫られる瞬間というのはわたしもよくあることなので
そのジレンマと戦いまくった跡が見て取れる絵にはものすごく親近感を感じるわけです。
どうしてもうっかりの跡が消せない絵は描き直しますけどね)
それでもやっぱり、オリジナルをナマで見るというのは幸せな気持ちになれます。
原画や原稿などのいわゆる一次資料には
描き手もしくは創り手の熱意が一番こもっていますので。
プロの画家の作品や文豪と呼ばれる作家の直筆原稿を見るときの気分と同じですね。
あと、アナログはデジタルと違って、戻るボタンやレイヤー結合ボタンを押すことができないので
一筆一筆がとても大切になってくるわけですが、
そういう緊張感もひっくるめて大好きな技法だったりします。
思いついて考えて苦労して楽しんでちょっとヒヤッとして「よしこい!」と発奮して
描いた絵が完成した瞬間は、言葉では表現できないくらい清々しくて気持ちよくて
どうにも癖になる。
本日のお絵かき↓

左から小野岑守、藤原三守、菅原清公。平安時代前期に活躍した文人官僚トリオです。
もともと彼らについては以前から気になってはいたのですけど、
先日『嵯峨天皇と文人官僚』という本を読んだら、久々に平安前期に燃えて萌えて
妄想が止まらなくなったので描きました。
(彼らの人物伝や評伝ってそんなに数があるわけではないので、あれ貴重な本だと思う)
この3人が現役だった頃って、大小の天災はあれど反乱や政権争いのような人災が一切なくて
彼らがいなくなった後にだだっと起こっていることが多いので
歴史的に特に華々しい活躍はしていなくても、彼らがいるだけで時代がおとなしくしてしまう、とか
そんな人たちだったんじゃないかと思う。
ちなみに。
岑守の息子の篁と三守の三番目の娘は結婚していて、
清公の孫の道真と岑守の孫の葛絃は大宰府で一緒にお仕事していた時期があったりしますね。
子孫の代でも仲良しです。
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