
笑顔の絵をたくさん描いている春信でも、たまにはこういうこともあるだろう。
*浮世絵師のイラスト記事一覧はこちらです*
浮世絵師は、絵が残っているばかりで
その人となりについてはほとんどわかっていないことが多いです。
鈴木春信は本名なので、彼の周囲には鈴木姓を持つ人たちが何人かうろついていても
別におかしくはないんだけど、
今のところまったく確認されていないというのも何だか不思議な感じがします。
時代性というやつだろうか。
春信の家族について、歴史学の中では推測しかされていませんが
吾妻錦絵が誕生したときに彼の両親や親類はどこでどうしていたんだろう…とか
考えることが時々あります。
もし健在だったら春信は真っ先にとんでいって「ねえ見て見て!」って
宣伝してそうな気がしなくもないけど、どうだったのかな。
春信が錦絵を始めて一躍人気絵師になった1760年代は彼の晩年にあたるので、
その頃にはすでにいなかったという可能性が高い気もしますけれども。
しかし鈴木という姓があることから見てもそれなりにしっかりしていた家系の可能性もあるから
意外と春信の親類は元気で江戸のどこかに住んでいて、
彼が一人でメシ食えるようになって自立していただけなのかも、という気もします。
(というかわたしの中には、「歴史の中でその存在が明確にはっきり残っていない人は
何でもかんでも『いない扱い』なのも何だかなあ…」という思いがずっとあるので。
もちろん、いない人もたくさんいておかしくないだろうけれど)
春信は長屋の戸主でもありましたし、
周囲には紫石や源内や江漢や南畝や巨川などの個性的な人たちがたくさんいましたから
普段はそんなにさみしさを感じることはなかったかもしれませんが、
もし春信の家族がそこにいたら、きっと彼に輪をかけたように
のんびり朗らかな人たちだったんじゃないかなぁと思っています。
それにしても、春信の描いた絵を見るときはいつも「よく残ってたねぇ」と声をかけてしまいます。
同時に「よく長いこと残し続けてくれましたねぇ」と残してくれた人に対しても感謝したりします。
そういう人たちのお陰で、ものは残っていくので。
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