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2012_04
30
(Mon)23:20

供物はととのいました。

静嘉堂文庫美術館の「東洋絵画の精華①珠玉の日本絵画コレクション」展に行ってきました☆
今年は大河ドラマが『平清盛』であるせいか、
平家に関する展覧会やイベントが各地でたくさん行われていますが
その清盛が活躍した平治の乱を描いた「平治物語絵巻」の現存する3つの巻が
現在、都内に揃って展示されています。
東博で開催中のボストン美術館展に三条殿夜討巻、東博本館に六波羅行幸巻がそれぞれ展示されていて
3つめの信西巻が展示されているのが、この静嘉堂文庫美術館なのです♪
すでに東博の2巻は見たので、せっかくだからコンプリートしたいなぁと思って
GWの朝も早よから田園都市線に揺られて行ってまいりました。
(どうでもいい余談ですが田園都市線の電車って角がとれた感じでかわいらしいと思う。
そして二子玉川駅は初めて降りましたがなんて明るい駅なんだ)

東博で見た2つの巻はわりとモブシーンが多いのが特徴的だなぁと思っていたのですが
信西巻もモブシーンがしっかりありましたね~。
武士たちに囲まれた藤原惟方が、信西の首を検分するという場面が
わりとわさわさした画面構成になっていて、
ひとりひとりの表情までしっかり描いてあるのが印象的でした。
この時代になると、人の顔って平安時代の人たちの顔みたく引き目かぎ鼻には描かれないのですね。
あと、武士たちの頬にピンク色をさしてあるのが3巻すべてに見られる特徴かな…。
かわいい。絵師か注文主の趣味なんだろうか。

他にも仏画とか水墨画とか、江戸時代の絵画の展示があって楽しかったです。
四条河原遊楽図屏風がすごく賑やかで良かった。
(図録パンフの絵だけでは満足しきれなかったのでショップでクリアファイルも買ってしまった)
まだ河原での芝居興業や見せ物が禁止されていない頃の様子を描いたもので
描かれた人たちがみんな生き生きとしていました。
この頃の風俗資料ってほとんどないので、そういう意味でも貴重な屏風だと思う。
江戸時代絵画は一蝶、光琳、抱一、華山、応挙、国貞、其一などもあって
どれも見応えがあるものでした。
応挙の江口君図が超絶綺麗でしばらく絵の前から動けませんでした。
「細っ!たおやかっ!美人~!!」とか、そんなことばっかり考えていました。。
(あれ…奥さんをモデルに描いたのってこの絵だっけ違ったっけ)
抱一の絵手鑑がステキだった~☆
スケッチ集みたいな感じで、動物とか植物とか景色などをさらりと描いた画帖なのですけども
全然描き込みがないのに空間のバランスがすごく良くて絵として充分まとまっているのです。
こういうところが抱一の絵師としての真骨頂だと思います。

午後に辻惟雄氏の講演会が講堂であったので聴いてきました☆
静嘉堂文庫のコレクションについて、今回の企画展を中心にお話がありました。
もともと辻先生の専門は若冲や蕭白なので
レジュメを読んだり言葉につっかえたりしたりと、だいぶ苦労されていましたが(^ ^;)、
文庫のコレクションについてパワポで解説いただいて勉強になりました。
「鉱山と炭坑って意味が同じですね」とか「フェノロサは何でも音楽に例えますね」とか
ものすごく真面目に突っ込みを入れることもあって、会場にちょこちょこ笑いが起きていました。
(研究者の方々が時折こうしてふと漏らす何気ないひとことって
トリビアっぽくてすごく好きだ)
平治物語絵巻「三条殿夜討」の炎の場面と、
抱一の波図屏風が出たときの辻先生のテンションが、明らかに楽しそうで
(どちらも先生の好きな“奇想”っぽいデザインの絵だったのです)
見ていてこちらも楽しくなってくるようでした。
辻先生の笑いって伝染する笑いだと思います。あとなんか愛がこもってる。作品への。

あ、そうそう、帰りに渋谷ヒカリエにも行ってきました!
オープンから間もないのと休日という相乗効果で入場制限がされていて
店内もかなりの混雑ぶりでした。。
先に行った友達が「お手洗いとゴミ箱が、なんかスゴイよ」と言っていたので
なんなんだろうと思って行ってみたら、
お手洗いは化粧台のところが合わせ鏡になっていて、
ゴミ箱はゴミを捨てるとカラフルなライトがぴかぴか光って、ちょっとびっくりでした。
なるほどこれかー。
そして5階の雑貨屋さんオンパレードときたらあれ一体なんなのだ…!!
テンション上がりすぎてあやうく散財するところだったではないですか。
雑貨クラスタにはたまらない空間です。猛烈に買い物したくなる!
京都に本店があるお店でかわいいウサギ柄の和風カードケースを見つけてゲットしてしまった。
あと紅茶とケーキのカフェを見つけてお茶してきました。
オレンジムースのタルトおいしかった(*^ ^*)☆
8階がまるごとアートスペースみたいになっていて、小さな展示がたくさんあって
あれも楽しかったです。
川本喜八郎氏の人形劇三国志ギャラリーのオープンは6月だそうですが待ち遠しいなあ。
それから、市川亀次郎さんの猿之助襲名記念展覧会も開催されていたのですけど
混雑していたので諦めました。
うーんどうしよう、会期まだあるみたいだし、愛すべき我らが亀ちゃまにまた会いにいくべきだろうか。


騒ぐ花。※クリックで大きくなります
起承転結もないまま続いています。歌人シリーズ14。13はこちら
嫌な予感がする貫之が透渡殿を歩いていくと、壺庭の牡丹が満開になっているのが見えました。
花の上で誰かが「つらゆき久し振りー!今年も咲きに来たよー!」とか言いながら
元気に手を振っています。

貫之「(そうだった忘れてた…もうこのうるせぇ花が咲く季節か…)」

ちょっと憂鬱ぎみの貫之@894年の春でした。
ちなみに彼女は、以前にこの記事に描いた子です。出してしまいました☆
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2012_04
28
(Sat)23:54

これが絵師(わたし)の生きる道。

千葉市美術館の「蕭白ショック!!曾我蕭白と京の画家たち」展に行ってきました。

この展覧会が開催されることは半年くらい前から知っていたのですが
美術館のサイトをちょこちょこチェックしていたところ、
わたしの敬愛する小林忠氏の講演会があるとのことで
うおー!めちゃくちゃ聴きたい!!と応募はがきを出してみたら
有難いことに当選通知をいただいて、本日聴いてくることができました♪
講演会は2時間前後、先生の、これでもかという江戸美術への愛に満ち満ちた語り口で
会場をしばしば笑いに包みつつ和やかに行われました。

スライドで蕭白や京都画壇の絵師たちの作品を見ながら解説してくださったのですけど
蕭白には「この絵のある部屋にいたら落ち着けませんねぇ」「気持ち悪いですねぇ」
「夢枕に立ちそうですねぇ」とか、結構ストレートなご指摘。。
蕭白って小林先生をもってしてもコメントに困る絵師なんだな…(^ ^;)。
そして若冲のスライドが出たとたん、パッと顔を輝かせて
「美しいですねぇ」「いい絵の具を使っていますねぇ」というコメントが(笑)。
いやしかし若冲の絵はやっぱりステキだった。
スライドに映された月夜白梅図は今回の展示にもありましたけど、
動植綵絵と一緒に並べても特に違和感なく収まるんじゃないかというくらいクオリティ高かった。
先生によると、当時若冲に絵を注文した場合は米一斗、現代でいう1万円くらいで描いてくれたとか。
(若冲が後年号した斗米庵という名前は画料のことだったわけですね)
逆に大雅はまったくお金に頓着のない人だったらしく、
注文があれば支払いのあるなしに関わらず描く人だったようです。
別になくてもどんどん描いて、たまったら神社に奉納しに行っていたこともあったそうな。
自由人大雅(*´∀`*)。

先輩の辻惟雄氏(蕭白の大ファン!)との長年のお付き合いについてもお話くださったのですが
普段から一緒に調査のための旅行をしたり、遠慮のない会話を交わしているらしくって
何というかもう、お2人がいかにマブダチであるかがじんわり伝わってきて
すごく微笑ましく思いました。
継松寺で蕭白の雪山童子図を見たときの辻先生の驚きたるやただならぬものだったそうですが、
小林先生は「プロレスの赤コーナー青コーナーに見えました」とか(笑)、
かつて池大雅&玉欄夫婦が泊まった部屋に泊まることができてとても嬉しかったなどの
お話を聞いて、
ぎゃー!そのお寺行きたい&お部屋泊まりたい!とかあやうく叫びそうになりました。
歴史上の人物が実際に泊まった部屋が残っているってロマンだよね。ものすごくね。

メインの展覧会は蕭白の作品を中心に、雪鼎、若冲、蘆雪、応挙、呉春、蕪村、大雅など
同時期に京都で活躍した絵師たちの作品がずらりと並んでいて眼福でした☆
講演会のある日だというのにそんなに人もいなくて、ゆっくり見られて大満足(*^ ^*)。
蕭白の師匠といわれる高田敬輔の作品は初めて見ましたが
そこかしこに蕭白と似たところがあって(ん?いや違う逆だ、蕭白が敬輔に似てるんだ)
面白かったです。
蕭白は敬輔の筆遣いを学んで、もっと技巧を派手に発展させて描いていたのかなと
2人の絵を見比べてみて思いました。
あと今回、蕭白の絵を青年から晩年まで通して見てみて気がついたのですが
若い頃は人物も動物も景色もとにかく描き込みまくってカラフルに仕上げていて、
年齢を重ねるごとに描き込みが減り、構図が洗練され、黒白化していくのが印象的でした。
(晩年の若冲が動植綵絵のような絵ではなく水墨画を描いていたのと似てると思う)
しかし画面はそうしてすっきりしていきこそすれ、
無骨で硬派なところは一貫して変わらないのだなぁとも思いました。
「おれはこういう絵を描く」という確固たる思いを早くから持っていた人だったのかな…とか。

ひとりの画家の作品を年代順に並べて見ると、年齢ごとの変遷がわかって面白いですね。
その時代を強烈に反映していることもわかるし。
こばちゅー先生も講演会でおっしゃっていたのですが
18世紀中期は東も西も、まるで湯が沸騰するかのように才能がぽこぽこあふれ出た時代で
しかも狩野派や土佐派のようなロイヤルな立場の人たちではなく
武士や町人や農村などの一般市民から輩出されてきたところが面白いのだそうです。
彼らは狩野派と違って後ろ盾が何もないので、ひたすら描いて売って個性を出していたとか。
その手段のひとつとして、蕭白の取った行動が旅だったのではないでしょうか、と
先生がおっしゃっていました。
蕭白が伊勢などに旅をしてお寺に絵を奉納して回っていたことは知っていましたが
あれは営業活動の一環でもあったということなんだろうか。

あらためてあの時代を熱い時代だと再認識したような思いです。江戸美術っていいなぁ!


玄関なう。※クリックで大きくなります
歌人シリーズ13。12はこちら

帰宅した貫之。玄関先で汚れた足を拭いていると、妻の一子(いちこ)がやって来ました。
一子は宮仕えをしているので、たびたび内裏に出かけています。

一子「あら、おかえりなさい」
貫之「今から行くのか。ずいぶん遅いな」
一子「今日は午後からなの。朝餉は、お部屋に用意してありますからね」
貫之「ごち」
一子「あ、それとね」
貫之「ん?」
一子「壺庭の牡丹が咲いたわよ」
貫之「!いつ」
一子「今朝」
貫之「……………壺庭通らずに部屋行けねーかな」
一子「あなた朝餉抜く気なの」
貫之「…だよなぁ」
一子「毎年のことだけど、咲いたら咲いたで、賑やかよ。じゃ、行ってきまーす」

さて牡丹の何が問題なのでしょう…。続きます。
2012_04
26
(Thu)23:48

オーシャン・アニメーション。

アニメ「つり球」が面白いです。
男子高校生の日常(先期やってた)ならぬ、男子高校生の釣りin江ノ島。もうたまりません。
画面の色が、特に背景の空と海がすごく明るくてきらきらしていて
見ていてとても気持ちがいいです。
色彩設計さんの仕事が光ってるなあー!!
天気のいい日に見たくなるアニメだと思います。(もちろん天気じゃないときに見てもいいんだけど)

何か聞き慣れない単語を聞くとすぐスマホで検索するユキくん、現代っ子っぽくていいですなぁ。
初回では自分のイメージ映像の中で溺死しかねないようなコミュ障でしたけれども、
回がすすむごとにハルやナツキに自己主張するようになって、
でもまだ何となく、いきなり降って湧いた環境に慣れきっていなくて
日常と非日常にそれぞれ片足突っ込んでぐらついているのが、彼の魅力ではないかと思います。
ナツキの早口についていくので精一杯だし、
おばあちゃんにどうしても言いたいことが言えなかったりするし(^ ^)いつ言えるのかな。
逢坂良太さんはちはやふるでチラチラ声を聞いていて、今回が初主演らしいです。がんばってほしい。
ハルが底抜けに明るいのがいいなあ~。
入野自由くんは『千と千尋』以来のファンですが今回はパラッパっぽい演技なのですね。
(あ、でもケイトさんと「ありがとう」の話をしていたときはちょっとハク入っててもえた)
ナツキがどんどん親しみのある人になっていっているのが非常に素晴らしいです。
ユキくんの努力が成功に結びついたときに叫びながらダッシュしていたのはびっくりした。
普段はあんなに物静かだけど、こんなに熱いスピリットの持ち主だったのだなぁ。
青春だなあ~~☆
内山さんは『C』で公麿だった人だよね。全然違うタイプの役ですがハマってて素敵。
そしてヤマーダことアキラさんがおもしろすぎる!杉田先輩が遊びすぎてる。
何かというと部下たちと一緒に踊る「DUCK!!!!!」の決めポーズと
ネーミングセンスがツボすぎます。タピオカかわいいな~(*´∀`*)♪
(そういえば主人公4人の名前は春夏秋冬からイメージされている、というのを
とあるところで見かけて目から鱗でした。名前に共通性があるのっていいよね)

監督が中村健治氏で、キャラデザが高橋裕一氏であるところでもはや大満足なのですが
加えて音楽が栗コーダーカルテットなんですよね!!
ああぁぁあのお気楽でのほほんで思わずこちらが励ましたくなる心持ちにかられるリコーダーが
毎週聴けるなんて、うわはははなんという癒し。なんというわたし得。
(興味のある方は「栗コーダーカルテット ダースベイダー」でぐぐってみてください)
サントラ出たら買おうかなあ。

ノイタミナは毎回面白いアニメをやってくれますが、今回も本当に面白いです。

そういえば今月からEテレで「ふしぎの海のナディア」も放送されていますね。
今見てみると、こんなに充実した内容だったのかと感心してしまいます。
ストーリーも作画も音楽も、ぎっしりきっちり描き込まれていてスカスカしてないというか、
ジブリ映画を見ているときみたいな充実感が味わえるというか。
グラタンや戦艦の動かし方とか見ていると作画さんすげぇ楽しそうだなーという気がする。
キャラが走る姿も生き生きしているし。
エンディングでナディアたちがプロペラ飛行機を追いかけながら走っていく映像が大好きです。
主題歌もいいですねー。歌手の方も綺麗な声だと思う。
基本的にはナディア&ジャンを追いかけるグランディス一味という逃げる者追う者スタイルですが
たまに逆転するのがいいですね。
そして最終回のマリーとサンソンは、すごい。

あとサブタイトル表示を見て仰天しました。そういえばこんなテロップだったよね思い出した。。
庵野氏は明朝体がお好きなのだろうか…。
GAINAXはすでにこの頃からGAINAXだったということを再認識したような思いです。
それ以外にもそこかしこにエヴァ臭がするアニメなので、
エヴァを知っている人にはぜひ見てほしいです。エヴァを見たことない人もぜひ!



まだ帰れません。※クリックで大きくなります
宿直が終わってしまったのでこれから何と呼べばいいものか…。そんな歌人シリーズ12。11はこちら

陽がすっかり昇ったころ、3人は貫之の家に着きました。
(3人の中では貫之の家が一番内裏に近い場所にあります)
躬恒はもう少し忠岑と一緒です。が、徹夜のせいでもはやフラフラな忠岑。。

貫之「気をつけて帰れよー」
躬恒「おつかれさまー」
貫之「そいつ、面倒くさかったら鴨川に捨てて魚の餌にしていいぞ」
躬恒「こんなおっきいの食べないよー魚は」
貫之「じゃあ除目だ。ふらついたら除目って言やあ、とりあえずシャキッとするから」
躬恒「うん、そうするー」
忠岑「ゔあ?じもく??」

さっそく効果があったようです。岑ちゃんのアキレス腱(笑)。
2012_04
24
(Tue)23:54

ほんの少し前の人たちその2。

本日のお絵かき↓
近代男子。※クリックで大きくなります
以前に100年前の女の人たちを描いたので、今回は100年前の男の人たちをアップしてみます。
前回と同じく、個人的に気になっている人を筆の向くままザカザカ描いたもの。

この時代の男の人たちは着物に帽子かぶったり、着物の下にシャツを着たり
日傘をさして歩いたりとかしていてすんごくオシャレで好きです。
時代劇とか見ていても、特に着崩れもなくゆったり着ている俳優さんが多くて
なんだか江戸時代よりもラフで気楽なファッションって感じがする。
洋服も流行り出すけど、まだまだ着物が着られていた時代ですなァ。
金田一京助は洋服姿の写真の方が有名かもしれないですが、
いつだったかちらりと見た、書斎で仕事をしている笑顔の金田一が着物姿で写っている写真が
今でもすごく印象に残っているので、あえて着物を着せたような覚えがあります。
(そういえば今年は金田一京助生誕130周年だ)
柳田国男はどうイメージしても着物姿しか浮かんでこないです。
ってかあの人絶対着物の方が好きだと思う…。
しかも中にシャツとか着ないで、下着から何からきっちり和服な本格派(何それ)って感じ。
新美南吉はもうすっかり洋服なイメージです。日清日露後の生まれなので。
彼の著書では『おじいさんのランプ』と『手袋を買いに』が猛烈に好きです。

そういえばこの間年表を見ていて、宮沢賢治と渋沢敬三が同い年であることに気づいて
思わず「おおぉそうなんだ~!」って声が出ました。
そうでしたそうでした、確か宮本常一が20世紀明けの生まれで
敬三よりも10歳くらい年下だったはずではないですか。
10歳の年の差って何それほとんどお父さんと息子じゃんってモダモダした覚えもあるではないですか。
敬三と常一の仲の良さはたびたび本人たちが語ったり著書に残していたりしますが
それにしても敬三は常一が好きすぎると思う。
常一がちょっとでも咳しようものなら「宮本くん外出はしばらく控えたまえ」的なこと言って
アチックの研究室から出さなかったりするし。パパ心配しすぎです。(パパ言うな)

↑の絵の中で幕末を見知っているのは渋沢栄一だけですかね…。
柳田も年号変わる前に生まれてはいますが確か小学校にはあがっていなかったはず。
栄一の幕末エピで好きなのが新選組とのからみですねぇ。
陸軍奉行の役人だった栄一が、徳川慶喜の付き添いで京都にいたとき
見廻組の中に裏切者がいるらしいから新選組に捕まえてもらおう、みたいなことになって
そのとき栄一も新選組と一緒に行動したらしいのです。
しかも歳さんと会話までしちゃってるんですよー☆
歳さんは幕府関係者である栄一が危険な目に遭わないように、
「自分たちが裏切者を捕まえるまであなたは手出ししないで」って言ったんだけど
栄一は「ちゃんと奉行からの命令を伝えてから逮捕しなきゃ意味がないよ。相手が刀を抜いたら受けて立つ」って言って
歳さんも「よし、そこまで言うなら」って協力してあっという間にお縄にしてしまったそうです。
さして年の変わらない2人が(歳さんの方が栄一より少し年上)気の置けない話をしながら
一緒に仕事をしていたと思うとロマンがありますね。味わい深い。
「土方は話のわかる人間」というのが、後年の栄一の歳三評だそうな。

しかしこうして見るとつくづくわたしは文系人間が好きなのだな…。
しかも何か、理知的だったり達観していたりするというよりも
ただただ自分の情熱や思いをほとばしらせながら書き付ける人たちが好きっぽい。
栄一も実業家な割には論語に熱をあげていたりするし。
あと栄一は渋沢家分家の人だけど、本家の渋沢家からは澁澤龍彦が出ているらしくって
それもなかなか面白い縁ではないかなぁと思っています。

*ブログ内のイラスト記事一覧はこちらです*
2012_04
22
(Sun)23:46

このごろ三都に流行るもの。

府中市美術館の「三都画家くらべ-京・大坂をみて江戸を知る」展に行ってきました。
この美術館は一定の周期で江戸時代の絵画展をやってくれるので
毎回展示スケジュールの発表が楽しみで仕方ありません~。
お客さんが少ないのでゆっくり見られましたが、
かなり内容のいい展覧会なのでもっと混んでもいいような気がする…。
きたれ江戸絵画の波。

展示のトップバッターが西川祐信の「竜田川畔美人図」でした☆
もう遠目からでも祐信の絵ってわかって吸い寄せられてしまう身が悲しいですな。
後期展示にしか出ない彼の絵が見たくて後期を見に来たと言っても過言ではないので
絵の前でしばらく立ち止まってしまいましたとも…。
祐信の絵は2枚ありまして、どちらもカラーの肉筆画でした。
ああ相変わらずなんて高貴な雰囲気なんだ…☆
ひとりの女性が赤い着物を着て、川辺にゆるりと立つ姿が描かれているのですが
筆遣いが細くしなやかなので、立ち姿や仕草が優雅!
なんかドキドキしてしまいますよ。
「紅葉狩之図」は、女性たちが紅葉狩りをしているところに侍が通りかかり、
少女が声をかけているというものでした。
たまたま通りかかった侍を少女が誘ったのか、それとも女性たちと知り合いだったのか
色々想像がかきたてられてこちらもしばらくボーっと見つめてしまいました。

祐信は日本画や浮世絵の他に古典を研究した人でもありましたから、
描く絵はだいたい雅な絵になるのですよね~。
題材も古典とか年中行事とか、いわゆる伝統から得たものが多いような気がします。
しかし先達に学んでいるとはいえ、絵には当時の京都の風俗をうまく混ぜているから
やっぱり日本画というよりは浮世絵ジャンルなのだよなーこの人。
日本画の安定に浮世絵の新しさが組み込まれた祐信クオリティ、さすがです。
もしドラえもんの絵本入りこみ靴がリアル化されて、どこかの絵に入れるとしたら
祐信の絵がいいなと思ってる。

そして祐信の影響ときたらその後の絵師たちにばっちり出ているわけでね…。
応挙が祐信に会いに行った記録はなさそうですが、
応挙の青年期は祐信の晩年だし、同じ京都に住んでいたし、もしかしたら会ってたかもしれない。
雪鼎は確実に祐信の絵を見てるから大坂から会いに行ってたかもしれないし。
そうなると雪鼎と応挙も会ってるかニアミスしてるかもしれないし。
蕭白とか、大雅とか、若冲とか、蘆雪とか、
みんな祐信と微妙に時期かぶってて京都人だからなー会っていたら面白いなあ。
(そういえば蕭白は雪鼎の弟弟子だから、
雪鼎から祐信の話をさんざん聞かされまくってうんざりしていたかもしれない。モダモダ)
年表を見て微妙に寿命や活動時期が重なっていたりするのを発見して
絵師たちの交流やニアミスを妄想するのが以前から好きです。
うおぉ夢が広がるー!

他に今回見ていて気になったのは…
探幽の富士山図の淡い色遣いを見て、あーこの人相変わらずだなって思った。
必要最低限の色で描く人なんだよな…なんでこんな絵描けるんだろうな…。
英一蝶が描いた滝に打たれる不動明王の体が青い色をしていて、ちょっと新鮮でした。
そして国芳の金魚づくし!いつ見てもかわいい~(*´∀`*)
佐藤魚大の閻魔図が、顔かたちはいかめしいのに目がギョロ目というフリーダムさ。
こんな閻魔様なら裁かれてみたい。

応挙の小犬がとにかくかわいくて抱きしめたくなりました。
どう見てもコロコロフワフワでめんこい。あれはもこもこしているに違いない!
雪鼎の「見立牡丹花肖柏図」の遊女が見るからに祐信美人で笑ってしまったのだけれど、
牛を引く童の顔がリアルに描かれていてちょっと面白かった。
若冲の「垣豆群虫図」は動植綵絵に加えてもいいようなクオリティでした。
だいぶ生々しいけど群魚図あたりと一緒に並べれば違和感ないよきっと…。
水墨画のニワトリにも感動したのですが、
ニワトリの頭上に描かれた梅の木にもっと感動した。一筆描き…!枝に見える…!!
蘆雪の龍虎図が、無量寺にある龍虎襖の雰囲気そのまんまだった(笑)。
以前にMIHO美の蘆雪展でその襖を見たのを思い出して何だか懐かしくなりました。
蘆雪・応挙・応震の「楚蓮香図」くらべはすごく良かったなー。
そして蕭白の虎図ひどすぎ(笑)。仙人も美人も動物もみんなこんな感じですねー彼は。

美術は、特に絵は本物を見ると筆跡がわかるので嬉しい&楽しいです。
実際に見比べてみて、江戸の絵師は粋で、京都の絵師は優雅で、大坂の絵師は明るく元気な感じがしました。
この時代の人たちの絵は筆遣いが本当にいいですね。元気で。(蕭白は違う意味でですが…)


そういえば明日はサン・ジョルディの日だ。


春の朝。※クリックで大きくなります
歌人シリーズ11。10はこちら

宿直が終わって帰路につく3人。陽はだいぶ昇り、すっかり明るくなりました。
気持ちのいい朝です。

躬恒「あー晴れた晴れた。いい天気だ」
貫之「やっと春らしくなってきたな」
躬恒「昨日まで寒かったもんね。…山高み雲居に見ゆる桜花心のゆきてをらぬ日ぞなき」
貫之「いいな」
躬恒「えへへー」
忠岑「眠ぃー超眠い。倒れそう」
貫之「仮眠とらずに付き合うからだろ。どうでもいいが、帰ったら寝る前に北の方と仲直りしろよ」
忠岑「うー」

忠岑が持っている包みは、宿直中に食べていた唐菓子の余りです。奥さんへのお土産。
2012_04
20
(Fri)23:34

トラックバックテーマ 第1415回「好きな漢字を教えてください!」

こんにちは!トラックバックテーマ担当の新村です今日のテーマは「好きな漢字を教えてください!」です!好きな漢字といっても、・形がかっこいいから好き・響きがいいから好き・キレイに書けるから好きといろいろあると思います漢字をバランスよく書くことが苦手な新村ですがなぜか「希」という字だけはキレイに書けますなので、?...
トラックバックテーマ 第1415回「好きな漢字を教えてください!」


読書好きという性質が先天的なものか後天的なものか、未だによくわからないのですが
昔から、本と同じくらい漢字が大好きだったりします。
算数や理科の宿題は苦手でしたけども、国語の宿題(音読とか漢字書取りとか)だけは
喜々として取り組んで、それが好きなまま大人になってしまいました。。
もともと小さい頃から本や辞書を読むのが好きだったのと
理系の勉強や運動がまったくできなかったぶん、
こっちはがんばるぞという気持ちもあったんだと思う。

そんなわけで好きな漢字もやっぱりたくさんあるのですけれども。

まずは…なんかふと浮かんできたので「夜」。
ゆさが昼型ではなく夜型であるという個人的性質もあって、この字は好きです。
夜と聞くだけで周囲に静けさが満ちてくる気がする。
「空」も好き。解放感のある字だと思っています。
「雲」という字の「云」の部分が、空に舞う龍を表しているのだと白川静氏の著書で知ったときは
ものすごく感動した。雲すげぇ。そんなにかっこいい字だったのか。
「星」もいいなあ。日の下に生きるって書くのかっこいいです。
「海」は字面も好きですが、「うみ」という響きがあったかくていいなぁと思います。
さしすせそなどの摩擦音は文章を爽やかにしますが、まみむめもの鼻音も包容感があって良し。
「影」は物の影のほかに光を指す場合もあると知ってから好きになった字です。

「鳥」は象形文字だったと思うのですが、見事なまでに見たまんまで面白いです。
鳥の中で好きなのは「鷹」。字面がなんか好き。鋭さとスマートさがあると思ってる。
「翔」も鳥を連想させるからか、好きです。
「猫」…は漢字というより本体が好きなんだと思う(笑)。
「鯨」は本体にぴったりの字だなーと見るたびに思います。

「華」の字の艶っぷりにくらりときたのは小学校で習ったときだったかな…。
同じく「彩」とか「錦」も。なんだこの綺麗な字はって書きながら思いました。
たくさんの色が見えるようで、きらめいているようで、やさしい陽光が感じられて好きです。
「鬼」は猫と同じく本体が好k(ry
「絵」は自分が描く人間だからということもあるけど、画数が多くてわりとごちゃっとした字面で
いかにも絵らしい字だなぁと思っています。
「歌」は旁より部首の方が画数が多いせいかずしっと重たそうに見えるというか、
どうかすると左に傾きそうというか、左右で重力が違うような印象がありまして
アンバランスな字って感じがしているのですが
でも音楽を歌うときって前のめりがちになったりする時があるから別にいいのかな、という気も。
(短歌を詠むときは必ずしもそうならないような気がしますけれども)
「祗」の物々しい感じも好き。『平家物語』で祗王の名前を見たときは雅な字だなぁと思ったっけな…。
「匠」の、凛とした人の姿を連想させる響きがとてもいいと思うことがあります。

「榊」という植物が「賢木」とも書くことがあって神様にお供えするための木だと教えてくれたのは
平岡八幡宮の宮司さんでした。あぁあのお話はすごく勉強になった…!
字面も意味もそのまんまな字ですが、結構好きです。たおやかだけど芯がありそうな字をしているなと。
好きな植物の漢字でパッと出てくるのは「藤」かなあ。豪華な字だと思う。
バランスの良さだったら「蓮」なんですけど…。
そして「橘」の字は美しくて好きなのですが未だにそらで書けません。

「和」が休戦条約そのものを象徴している字だと教えてくれたのは
やっぱり白川静氏だったような…。あの方の著書からは本当に学ぶことがたくさんありましたね。
「篆」はわたしの好きな書体から。
「語」はゴではなくカタリと読む方が好きです。
吾の言と書くところから「語る」の字はその人の言葉そのものなんだなぁという気がします。
吾とつくところを見ても、みんなそれぞれ違って、ひとつとして同じものはないということの象徴のような。

あと、単体ではないのですが
「明鏡止水」と「花鳥風月」という四字熟語がものすごく好きだったりします。
字面も響きも、熟語が象徴するそのものも。

見た目で楽しめて意味で楽しめて指し示す本体でも楽しめて、
漢字は見れば見るほど妄想が広がる文字だと思います。あー深いっ!



夜明け。※クリックで大きくなります
歌人シリーズ10。9はこちら

結局夜通ししゃべったり打ったり食べたり飲んだりしていた3人。
ようやく夜が明けました。
宿直の仕事も終わりなので、貫之は碁盤を片づけ、躬恒は日誌を書きます。

貫之「あー、終わった!眠ぃー」
躬恒「何事もなくて良かったねぇ。さあ帰ろ帰ろ」
忠岑「つーか何で君たちそんなに元気なんさー」

徹夜でも元気な2人と対照的に少々お疲れ気味な忠岑。
ちょっとはしゃぎすぎてしまったようです。
2012_04
18
(Wed)23:58

地上のお花見。

Court Cafe BLOG」のTOM-F様がブロともになってくださいました☆
紹介記事はこちらです。どうぞよろしくお願いいたします~。


ブルーアワー。
宵の明星とうちの庭の桜のツーショット。まだ満開だった数日前に撮ったものです。

「日暮るれば山の端出づる夕づつの 星とは見れどはるけきやなそ」壬生忠岑
(忠岑集六二番)


地面や水に散り敷いた桜の花びらをパチパチ撮ってみました。
猫と桜。
うちの垣根に散り敷いた桜。

散る桜も何気に好きだったりします。
桜は花が枯れる前に散るので、花びらが落ちた跡を見てもとても綺麗だなぁと思う。
ひらひら散る桜には雪が溶けるような儚さを感じるのと、
桜吹雪には鬼気迫るような凄絶さを感じるせいもあるからかな。
(梶井基次郎の「櫻の樹の下には屍體が埋まつてゐる!」ではないですけども)

この色が、いい。
アスファルトを車が通ると、花びらが風にあおられて道端に寄って
薄紅色の川みたいになったりすることもあります。綺麗~。

「ひさかたの光のどけき春の日に 静心なく花の散るらむ」紀友則
(古今和歌集巻二・春歌下八四番)


スパッタリング。
前回記事で目黒雅叙園に行ったと書きましたが、
当日は雨だったので、行人坂や雅叙園の前は雨に濡れた桜の花びらでいっぱいでした。
写真はロータリーにあるお七井戸の近くのアスファルト。
白い絵の具を散らしたみたいって思った。

「桜散る木の下風はさむからで 空に知られぬ雪ぞ散りける」紀貫之
(拾遺和歌集・春六四番)

もしもし、そこで何をしてますか?
垣根の中に紛れ込んでいる花びらもいました。雫が光って綺麗。

何かの模様に見えるんだけど何だったかな…むー思い出せない。
花びらが散った様は何度か絵にした経験はあるものの、
こういう、本物の花たちが実際に創り出す模様を見ていると
見ている分にはものすごく楽しいのですが
いざ描いてみるとなかなか難しいもので、四苦八苦するのと同時に
改めて自然の織りなす模様に憧れを抱く今日この頃です。

晴れた日の桜もいいですが、雨の日の桜も趣があってよし。
花はさかりに月はくまなきを見るものかは。地面を見るのもお花見です。

「いつの間に散り果てぬらむ桜花 面影にのみ色を見せつつ」凡河内躬恒
(後撰和歌集春下・一三二番)
2012_04
16
(Mon)23:39

ドール・ドール・ドール。

前回記事の続き。原宿の太田記念美術館へ行ったあとは
目黒雅叙園の「人形師辻村寿三郎×平清盛」展へ行ってきました。
有形文化財である百段階段に連なる7つの部屋に、
辻村氏制作の平家の人たちの人形が雰囲気たっぷりに展示されています。
人形が1体いるだけでそこに世界がひとつできたみたいな感じがしました。
どれもすごい存在感だった。

辻村氏の作る人形は顔から何からすべて布製であるせいか、柔らかい雰囲気であたたかくて
さわるとすべすべしてそうな印象があります。(さわるの禁止だったけど)
ので、どの人々にも体温や吐息が感じられて見入ってしまいました。
一番多かったのは清盛ですね。お母さんと一緒の子ども時代、なまいきそうな顔をした少年時代、
佐藤義清(西行)と一緒に小さな崇徳天皇をあやす北面の武士時代など
色んな姿の清盛がいました。
(たぶんもう少し年を重ねた姿は後期展示に出てくるのだと思う)
忠盛はしっかりおじさんでしたが、若い頃もありましたよ~。
63歳白河天皇&15歳の忠盛とか…!うおおたぎる。
祗園女御は想像とだいたい同じでしたね~。
水売り女時代の女御が大原の早乙女みたいな格好をしていてかわいかったです☆

「讃岐に流されて怨霊になってしまった崇徳天皇を
懸命に鎮めようとする西行」の人形が何ともドラマチックで見とれた。
そこだけ世界のスケールが周りと全然違いました。人形のエネルギーが爆発してた。
崇徳と西行は仲が良かったと言われているので、こういう場面は切ないですな。。
黒い羽に覆われた姿の崇徳天皇の奥の方に、小さく、人間の格好をした天皇もいました。
良心というやつだろうか。
そう思って西行の顔を何気なく見たら、頬にニス(だよね?きっと)が塗られていて
そこだけ部屋のあかりが当たって光っていることに気がつきました。
たぶん涙じゃないかと思う。

平家の人々の他にも、空海や仏様や遊女や歌舞伎役者などの人形がいました。
お遍路中の空海のかわいさったらハンパないです。目がくりくりしていて金長狸みたいだった(*^ ^*)。
愛染明王の迫力がすごくて、小犬くらいの大きさなのに圧迫感を感じてしまった。。
これはお寺に奉納されても問題ないクオリティだと思う。
桓武天皇とその子どもたちもいました。
特にかわいかったのが神野親王(嵯峨天皇)。
下げ角髪から垂らしたぴんとはねていて、リンゴ色の頬で
すてきな笑顔をしていましたね~惚れてまうやろ。
遊女たちは太夫から禿までいて、文字通り花魁道中のような華やかさでした。
太夫の着物が一番地味に見えましたが、よく見ると一番豪華な布が使われていたような気がします。
一見、派手じゃないけど実は華やかっていうのが太夫ですよな~素敵だ☆
「暫」の団十郎は、ここに来る直前に太田記念美術館で清長の「暫図」を見てきたので
すぐにそれだとわかったのですが
二次元でもすごいインパクトだったのに、三次元になったらさらにインパクトあった。。
もはや起き上がり小坊師どころじゃないよ…これは達磨だよ…!!

ちょっとレトロな時代の着物女性たちと、現代の振袖を着た少女たちの展示もあって楽しかったです。
落ち着いてしっとりした着物と、華やかでゴージャスな着物、どっちもよいですな~。
丸盆に雪うさぎを乗せて持っている振袖の子がかわいかったので
ショップでポストカード買ってしまった☆
あと、すごく勉強になりました。
辻村氏は古着をほどいて人形用に仕立て直して人形たちに着せるそうですが、
模様の位置などにきちんと配慮していて、振袖や小紋や訪問着などの区別がつくように作られているのが
おおおお見習わなければあぁと思いました。。
レトロな女性たちが着ている着物とか、そのままサイズアップすれば着られそうだもの。すてき。

小さい頃から人形やぬいぐるみ遊びが好きだった身としては、
テンションがあがらずにはいられない展覧会でした。
和の人形いいよ!好きっ☆


むしゃむしゃ。※クリックで大きくなります
歌人シリーズ9。8はこちら

夜勤中にひたすら食べて飲む人たち。
(忠岑が帰らないのは、貫之と一緒に物憂い顔の練習をしている間に月が沈んでしまったためです)

躬恒「でもあれだね、岑ちゃんの例もあるし、これからは、とっさのときに詠める力って必要かもしんないねえ」
忠岑「だなー。あーもっと何か読まなきゃなあ」
貫之「万葉集読めよ」
忠岑「でもあれ100年も前のじゃん。今のだよ今の。今様がどんなか知っとかなきゃ」
貫之「だったら、半年前に菅家がまとめたのがあるだろ」
忠岑「ああ、新撰か。あれお上が出し惜しみしてるんだもん、まだ写せてねぇよ」
貫之「友則に頼んでやろうか」
忠岑「ほんと!?ってか、友則さん、持ってんの!なんで!?」
貫之「あいつが大夫のお気に入りだからだよ」
忠岑「すっげー!」
躬恒「今わたしが借りて写してるから、終わったら貸すね。友則さんにはゆっきーから言ってもらお」
忠岑「よっしゃあああ、お礼に書き足して返そ!」
貫之「や・め・ろ」

貫之たちが青年期を過ごした9世紀後半は、文化の主流はほぼ漢詩でしたが
人々が集まって歌を詠み合う「歌合」もしばしば行われるようになった時代でした。
貫之も大学を出たときに歌合デビューを果たしています。

ちなみに…
菅家とは菅原道真のことで、その道真が編纂した歌集が『新撰万葉集』と言われています。
2012_04
14
(Sat)23:52

紙上の錦。

会期が1ヶ月しかないうえに図録もないらしいと聞いたので、
大急ぎで太田記念美術館の「春信・清長・歌麿とその時代」展に行ってきました。
それまで赤や黒しか使われていなかった浮世絵がフルカラー錦絵となって
江戸市民たちに衝撃を与えてから、
錦絵が浮世絵の定番として定着するまでに活躍した3人の絵師たちの絵を中心とした展覧会です。

美術館ホームページの展示作品リストを見る限り、
春信がたくさん見られそうでしたのでうきうきしながら行きました☆
入ってすぐ、絵暦の「鶴乗美人」が出迎えてくれましたよ~。
振り袖を着た少女が鶴に乗っていて、何とも優雅でお正月らしい感じの絵でした。
(絵暦は趣味人たちがお正月の挨拶をするときに交わしたものが最初なので、
年賀状のはしりとも言われています)
あと、錦絵になりたての頃の絵暦には
絵師の他に彫師・摺師・注文主の署名も入っているものが多いのですが、
この「鶴乗美人」にもちゃんと4人の署名があるから、だいぶ初期のものっぽい。
みんなで作りました感があってよいですな~。
「つれびき」の男女が、2人並んで座って一緒に三味線を弾いていて微笑ましかった。
2人の少女が散歩している「春の色」も、春を探しながらキャッキャする様子が
やさしいタッチで描かれていて綺麗だなぁと思いました。
「突風」は、特にキャプションによる説明はなかったのですが
絵を見る限りは、風神が雲の上から風をおこして
地面で手紙を書いていた女性の手元から手紙をかっさらってしまった様子っぽい。
「風流うたひ八景」の中から高砂と紅葉狩の展示もあって、
高砂は神主さんを商家の若旦那風にやつしていて
紅葉狩の鬼は少女の姿をしていました。こんな美鬼いたらぜひお目にかかりたい。
こういう、一見、当世風の人々を描いているから傍目ではわかりにくいんだけど
さり気なく古典を意識した絵に春信らしさを感じます。
古典が大好きだったんだろうな…さすが思古人と号するだけのことはあるな…。
その影響はたぶん師匠の西川祐信から色濃く受けているんだろう。

春信が挿絵を描いた絵本もありまして、こちらは白黒でした。
錦絵ができる前まではこれがデフォルトだったわけで、それがいきなりカラフルになったら
そりゃすごい衝撃だったろうな。
錦絵の発明は市民たちも驚いただろうけど、
発明した人たちにとってもターニングポイントだったんじゃないかという気がしています。個人的に。

お次は清長。
春信の可憐な絵から一転、8頭身以上のプロポーションを持つ女性たち(男性たちもだけど)を
描きまくったことで有名な人です。
いやーしかし頭身が高くなると絵が派手になりますね!
春信を見てきた後なので一気に重厚感が増した気がしました。
「浄瑠璃姫」の主役がピンクの花柄の着物を着ていてとてもかわいかった☆
あとこの絵、紫が使われているのですがきちんと色が紫のまま残っていることに感動…!
紫って色あせやすいのであまり残っていないことが多いのですが
この絵はしっかり紫でした。大事に保存してくれているのですな。
「三代目瀬川菊之丞~」などの役者絵の中に、
ふだんはあまり描かれないお囃子の人たちが描かれているのも珍しかったです。
「暫」図は、ふだん清長の8頭身美女を見慣れていると
えっこれ本当に清長…?と一瞬思ってしまうような肉筆絵ですが、
描かれた団十郎の顔を見るとやっぱりいつもの清長が感じられて
かえってそれが微笑ましいような気もしました。
わたしは舞台の「暫」を見たことはないのですが、ちょっと興味が湧きました。
だってこの団十郎ったらまるで起き上がり小坊師…(^ ^;)。。

歌麿は文句なしに美しかったですねぇ。
女性の全身を描いた絵もいいですが、やっぱり大首絵が一番きれいです。
歌麿の描く女性たちはわりと目が大きかったり、つるりとした顔をしていたり
良さげなところからほつれ髪が出ていたり襟元が緩かったりして、本当に色っぽい!
なんかドキドキしちゃうねえ。
今回の展示は、遊女や町娘の名前を直接は書かずに判じ絵にしているものばかりでしたけど
お上のおふれが厳しくなってきた頃の作品が多かったということなのかな…。
歌麿はちょうど、錦絵の華やかさに影が出始めた頃に活躍していたから
ものすごい色んなことに注意しながら絵を描いていた人じゃないかと思っています。
出版統制に気を配ってあれだけの数の作品を描き続けていたところを見ると
たぶん頭は相当良かっただろうと思うんだけど。
(そういえば水谷豊氏主演の歌麿ドラマの続編がそのうちやるそうですね。楽しみです)

同時代に活躍したライバルたちの作品もいくつか展示されていました。
鈴木春重時代の司馬江漢の肉筆とか、磯田湖龍斎(春信私淑)とか北尾重政(歌麿の育ての親)とか。
鳥文斎栄之の描く浮世絵は狩野派の影響もあってか、ちょっと四角四面な部分があるような感じが。
肉筆もありまして、画題が胡蝶の夢であるところも漢籍の知識を感じさせます。
本人が武士であることも関係しているんだろうな。
勝川春章の描く女形たちはみんな、頭の後ろに垂らした2房の髪が
くるんと巻いているのが特徴的だと思います。かわいいー♪

錦絵、もとい浮世絵は見れば見るほど作り手たちの工夫が見えてきて燃えて萌えてたまらん。
もし江戸時代に生まれていたら買い占めていたと思います。主に春信を。

そしてこの後、目黒雅叙園の「辻村寿三郎×平清盛」展も見てきたのですが
長くなりますので次回にしようと思います。


そんな時期もありました。※クリックで大きくなります
オチもないまま続いています…歌人たちの宿直はつらいよシリーズ8。7はこちら
躬恒が淹れてきた白湯を飲みながらおしゃべりです。

躬恒「そういやさー、聞いたよ、岑ちゃんの武勇伝」
忠岑「ん?」
躬恒「この間、酔っぱらった大将が春宮大夫のところに押し掛けたとき、岑ちゃんがとっさに一首詠んで取りなしたって」
忠岑「ああ、あれ」
貫之「オレも聞いた。“かささぎの渡せる橋に霜の上を 夜半に踏みわけことさらにこそ”だっけ」
躬恒「すごいよ、大夫に絶賛されたんでしょ。よく詠めたよねぇ」
忠岑「だーろー?見た目だけじゃないんだよ」
貫之「よく言うよ。出だしは家持だろうが」
忠岑「おおっ、バレたか。家持は歌い出しがうまいから、真似したくなるんだよなあ」
躬恒「従者も大変だね。…そういえば似たようなことゆっきーもやってたよね」
貫之「内教坊時代にな」
忠岑「マジ?」
貫之「おねえさまたちの使いっぱしりだよ。物言いだの恋文だの、しこたま運んだ」
忠岑「へえぇ」
貫之「あんたもだろ、躬恒」
躬恒「ヒマだった頃にね。代作をしただけだよ」
忠岑「へえぇ!誰の」
躬恒「えへへ~、秘密」
忠岑「けちー」

歌人悲喜交々。

ちなみに…
大将は忠岑が当時仕えていた藤原定国(右近衛大将)のことで、春宮大夫は藤原時平のことです。
*ブログ内のイラスト記事一覧はこちらです*
2012_04
12
(Thu)23:43

花はさかりに。

ぱんぱかぱーん☆
昨日、家の庭の桜が満開になりました!ので、出勤前にパチリしてみました。
おばあちゃん今年も咲いたよ~。

こんもり。
まだ咲いたばかりで花びらが一枚も散っていないので、枝という枝が花でいっぱいです。
雪が積もったみたいだなーといつも思う。

「み吉野の山辺に咲ける桜花 雪かとのみぞあやまたれける」紀友則
(古今和歌集巻一・春歌上六〇番)

空に筏ぷかぷか。
アップ。
雲ひとつない青空をバックにすると、水に浮かぶ花筏みたいに見えるから不思議ですな。

職場近くの川沿いの桜並木が満開になった頃かなぁと思ったので
お昼休みにドライブに行きました、ら、ば。。

黄色とピンク。
菜の花畑の向こうに満開の桜並木!

お花見日和。
木の下まで来てみました。頭上が花でいっぱいですげええぇ~~もはや芸術。

周囲にはお散歩している人や、カメラを持った人、花を愛でつつお弁当を食べる人、
キャンバスにスケッチする人もいて賑やかでした。
皆さん思い思いのお花見を楽しんでいましたね。

「春はなほ我にて知りぬ花盛り 心のどけき人はあらじな」壬生忠岑
(拾遺和歌集・春四三番)

花束。
アップ。花びら全部ついてる~~うふふふふ満開っていいなあ。

ちらほら。
もっさり咲いた花もいいけれど、枝の先にさらりと咲いている花も趣があっていいと思うの。

「桜花のどかにも見ん吹く風を 先に立てても春は行かなん」凡河内躬恒
(躬恒集・二一二番)

剛健さと儚さ。
幹のあたりにカメラをつっこんでみたら撮れた写真。
鳥やリスや猫はきっとこんな視点で桜を眺めているんだろう。

桜も菜の花も綺麗だし、風もなくのどかで過ごしやすい陽気だし、何より春だから眠いしで
職場に戻りたくなくなりました。。。戻って仕事したけど。
週末までもつかなーもったらまた散歩しに行きたい。


「桜花咲きにけらしなあしひきの 山の峡より見ゆる白雲」紀貫之
(古今和歌集巻一・春歌上五九番)

ところで先ほど、記事を書くために古今和歌集をぱらぱらめくっていたのですが
この歌集は食べ物に例えるとスルメみたいだな…という気が個人的にはしています。
噛めば噛むほど味がするというか、読めば読むほど深みにハマっていくというか。
なんか、ひとつひとつの歌が語彙や文法や用例に溢れていて
内容がすごく豊か!!
この言葉使ったら面白いんじゃないかとか、せっかく詠むんだから一工夫しようとか、
これ歌えたオレすげぇんじゃね?とか、この間見たあれが素敵だったから読み込んでみようとか
歌人たちが心の底から作歌を楽しんでいるのが伝わってくるのですよ~。
万葉集からたった100年の間に一体何があったというのだ…これはもはや歌の辞書!!

言葉に枯渇した人や言葉遊びが好きな人は古今集を読むといいと思います。たぎりますよ。
2012_04
10
(Tue)23:51

笑顔になれないとき。

少し前の記事で「わたしの頭に一番最初に浮かぶ小野好古の表情は笑顔だ」
というような事を書きましたけれども。
逆に「怒っているイメージが強い人」って例えば誰だろう…とふと思ったので書いてみることにします。

まずは、いつものことですが小野篁(笑)。
暇なときによく彼を落描きしますけど、描いている割に笑顔の絵がかなり少ないと思います。
別に笑顔の篁を想像しようと思えば違和感なく想像できるし、
本や論文を読んでいて「このとき彼は笑顔なんだろう」と思う部分もたくさんあるのですが。
その割になぜか、わたしの頭にパッと浮かぶ篁のデフォルト表情は怒っているか、
何かを睨んでいるような顔であることが多い気がします。
たぶんあれだ。藤原常嗣とケンカして朝廷に風刺詩をたたきつけたイメージが強烈にあるから
それにつられて怒ったイメージが出てきやすいのだと思う。

紫式部もパッと思い浮かべたときに出てくる顔は笑顔ではないな…。
ムスッとしてるか、きりっとしているかのどちらかであることが多いような。
別に彼女の笑う姿が想像できないとかではなくて
篁と同じように「ああこのときは笑顔なんだろうな」と思うところもあるのですけども。
(『紫式部日記』にある彰子の出産の日の記述を見る限りでは
あのときの式部はきっととびきりの笑顔だったに違いないと思えるし)
紫式部は清少納言のように「仕事を楽しむ方法を知っていた人」ではなかったので
(彰子のことは大好きだったと思うけど)
職場での立ち回り方や人間関係についてあれこれ悩んで日記に書いているから
笑顔で浮かんでこないのもさもありなんという気がしなくもない。

あと、怒っているのとはちょっと違うけど、難しい顔ばかりが浮かんでくるのは藤原定家。
日記である『明月記』に、「疲れた。寝る」とか「めんどくさい」とか
「もうイヤこんな生活」とか「オレには関係ねぇ」とか、
そんな記述がわりと多く散見されるところからくるイメージかもしれません。
ある意味紫式部よりもはるかに赤裸々なことを書き残してしまった人だと思う。
しかし源氏物語を書き写すときとか、新古今和歌集や百人一首の編集には
喜々として取り組んでいたらしいのだけど。

あとは…あ、曾我蕭白がそうですね。
この人が笑うときってどんなときかな、お酒飲んでるときくらいじゃないかな…と勝手に思っています。
彼の描く絵からくる荒々しいイメージと、応挙に対する強烈なまでのライバル心が
あまり笑顔の人というイメージをさせてくれないのかもしれないです。
絵を描き上げたときには笑うかもしれないけど、
それはきっと「ニコッ」ではなく「ニヤッ」とか「ニヤリ」みたいな、
そういう種類の笑いじゃないかという気がするし。
池大雅と一緒にいるときは無条件で笑顔なんだろうというのはあっさり思い浮かぶので
やっぱり絵と性格のせいだろうか。

それから、滝沢馬琴。
八犬伝を読むだけでも思うのですが、たぶん彼の四角四面な性格が笑顔を連想させないのだと思います。
特に挿絵に関しては絶対に妥協しない人だったので、
自分のイメージ通りの絵がつかないのが我慢ならなくて、版元や葛飾北斎ともケンカしまくってるし。
でも意外とすぐけろりと許してまた一緒に仕事していたり、北斎のいないところで北斎の絵を誉めていたりする。
お江戸のツンデレですなー。
(ちなみに、北斎に対してはそんなでしたが、同時代の歌川国貞のことは高く評価していて
「彼だけはおれが指示したように描いてくれる♪」と言ってご満悦だったのだそうな)

他にも「この人の表情デフォルトは笑顔じゃないな…」という歴史上の人物は何人かいますが
きりがないのでそろそろやめにしようと思います。


意外と難しい。※クリックで大きくなります
前回から本当に物憂い顔の練習をやりだした忠岑。。。
適当に言ったはずの貫之も、見ているうちにだんだん助言と言う名のツッコミを入れ始めました。
忠岑「………」
貫之「もっと目細めて」
忠岑「こう?」
貫之「もっと切なげに」
忠岑「こうか?」
貫之「ちーがーうー。まじめにやれ、それでも近衛番長か」
忠岑「えー」
貫之「もういい、おれがやってみせるから真似しろ」

忠岑より熱中ぎみの貫之(むしろ邪魔)。

そんな光景を、唐菓子をぽりぽりやりながらマイペースに見ているギャラリー。
躬恒「(どんなことにも全力投球なのがゆっきーの偉いとこだよなぁ)」
2012_04
08
(Sun)23:32

白の戴冠。

リアルつみネコが9匹目を突破して少々、いやかなり興奮ぎみのゆさです、こんばんわ。
あまりに感動したので、先週から泊まり込みで職場の研修に行っている妹の携帯に
「ほらみろ!おねえちゃんはやったぞ!!」とか画像付きメールを送る、そんな春の休日。
桜前線はもうすぐ到達しそうです。
(ちなみに妹の返信は「早く我が家のにゃん共に会いたい」でした)


昨日は友人の結婚式でディズニーランドのホテルに行って来ました!!
今まで一度も泊まったことがないのですが、まさかパーティで行くことになるとは…びっくりでした。
お昼すぎに美容室に行って髪を結い上げられうわ何をするやめr
そして結婚式はめちゃめちゃ楽しかったです(*´∀`*)☆
新郎はイケメンで新婦は美人、という何とも目にやさしいイベントでありました。
チャペルの結婚式を終えたあと披露宴になったのですが、
テーブルごとに「ミッキー」とか「ドナルド」とかの呼び名がついていて
わたしはアリス席でした~。うおおアリスアリス!好きっ(←落ち着け)
ミッキーの顔の形にたたまれたナプキンに超感動した。あれどうやって折ってるんだろ。

登場☆
ミッキーとミニーがお祝いに来てくれて会場中が大はしゃぎでした。もちろんわたしも。

BGMも最初から最後までディズニーしてました。
入場がエレクトリカルパレードで、ケーキ入刀がホール・ニュー・ワールドで
お色直し後の登場がCan you feel the love tonight…テンションあがるよね。
(ちなみに新婦、最初は『美女と野獣』のベルのドレスをお召しになっていて
お色直ししたらシンデレラになって帰ってきましたよ。マジで美しかった)

食べられません。
デザートに出てきたミッキーのケーキ♪

お食事もとてもおいしかったです。
ミッキー形のパンとか、スープのクルトンとか、メインディッシュに添えられた付け合わせとか
必ずお皿のどこかにミッキーがいて見るだけでも楽しめました。
白雪姫とかシンデレラをイメージしたカクテルがあったのですが、
ノンアルコールだったのでいっぱいいただいてしまった。嬉しい配慮。

新婦手作りの無駄に力の入ったビデオ映像にうっかりわたしが映っていてひゃああってなった。
あの頃みんな若かったね!!


本日は図書館に行きまして、その帰りにたまたまファミマに寄って
それでスイーツコーナーの新商品タグがが見えないわけないですよね。
チョコクリームもっさりのワッフル。その名もチョコワッフル。買ってきました。
1袋2個入りでもちろん2つとも食べる気だったのですけど、
1個食べたらお腹いっぱいになってしまったので(^ ^;)弟に食べてもらいました。
お店が近くにあるせいで、最近はミスドかファミマスイーツがおやつです。たぶん太るけど。でもうまい。


ながらしりとり。※クリックで大きくなります
前回記事からしりとりが続いています。

忠岑「錦」
貫之「紀貫之」
躬恒「羇旅」
忠岑「吉野」
貫之「野宮」
躬恒「八重桜」
忠岑「羅漢…あっ」
貫之「はいありがとうございました~」
忠岑「ちえ」
躬恒「岑ちゃん、気になるなら帰った方がいいよ。まだ月も出てるし」
忠岑「むー」
貫之「気まずいなら物憂い顔して帰りゃいいだろ。下手な面よりましな話ができるさ」
忠岑「…いいな、それ」
貫之「?」
*ブログ内のイラスト記事一覧はこちらです*
2012_04
06
(Fri)23:49

こねこねこのここのねここねこ。

リアルつみネコが楽しいです。
妹が研究室から持って帰ってきたので暇つぶしに始めてみたら、これがかなり面白くてハマってます。
最近は1日につき1リアルつみネコ、みたいなことになってしまったし。
集中したいときとか、考えが煮詰まったときなどにやるといい気分転換になったりします。

元ネタはiPhoneのアプリだそうで、ゲームでは何百匹と積めるらしいのですが
さすがにリアルだとそこまでは積めません(^ ^;)。

積み積み。
7匹まで積めた!

で、このネコたち、首が回せるというので顔を互い違いにしてみた↓
かくかく。

しかじか。
正面から。

5匹目までは難なく積めるのですけど、6匹目あたりからネコを置く手がプルプルしてしまって
7匹目までは何とかなるものの、8匹目がどうしても積めません~。


積むおもちゃというのが好きです。積み木とかレゴとかジェンガとか。
作業そのものが単純なため集中しやすいし、工夫次第でいくらでも面白くなるし、
ひとりで遊んでも大勢で遊んでも盛り上がるし。
子どもの頃に、ハンバーガーをひたすら積み上げていくおもちゃを買ってもらったこともあります。
あれはもはや苦行。
あと、積むというのとはちょっと違いますけどだるま落としも好きですね。
うまく外せたときの快感がたまりません。

そういえばトランプタワーにハマっていた時期もあったなぁ…。
友達と一緒にさんざん作りまくっていました。
土台を作るのはすぐできても、カードを積み上げるとなると話は別で
なかなか上まで積みきれなかったのを覚えています。
最終目標はデスノのニアが作っていたトランプタワーでしたが、
さすがにもう、あそこまで作ろうとする勇気はないかなぁ。



寝ころんで。※クリックで大きくなります
どこへ行くのかわからないまま続いています。歌人たちの宿直はつらいよシリーズ5。4はこちら
碁に飽きた3人。寝ころんで月を眺めながらおしゃべりです。

忠岑「あーマジすっげぇヒマだなー何か起きねーかなー」
躬恒「物騒なこと言わないの。何も起きない方がいいに決まってるでしょ」
忠岑「何も起きてねーけど警鐘鳴らしたくなるときってあるじゃん」
貫之「あんたそれ本当にやったら次の除目来ねぇってわかって言ってるか?」
忠岑「こんないい月夜にヤなこと言うなよ」
貫之「除目」
忠岑「だーかーらー」
貫之「ちがう、しりとりだ。除目」
忠岑「しりとり?…えーと、くー、くー…」
躬恒「雲隠れ」
忠岑「うお。…連歌」
貫之「かささぎ」
躬恒「行水」

何故かしりとりが始まりました。続きます。
2012_04
04
(Wed)23:58

サークル・オブ・ライフ。

「極上美の饗宴」の中宮寺の仏像特集に2424した後で、
何か面白いものやってないかなーと思ってチャンネルを回していたら
「ライオン・キング」をやっていたので、途中からではありましたが見始めたら
やっぱりすごく面白くて最後まで見てしまいました。
ティモンとプンバァがジャングルで寝ているライオンの歌を歌うシーンと、
ラフィキじいさんが風に乗って飛んできた花をつかまえてシンバの生存を知るシーンが好きだ。

ライオン・キングは高校生の頃に初めて見てハマって
ディズニー好きの友達と一緒に「ハクナマタタ」を歌いながら学校の廊下を練り歩いたり、
(今もそうですが、あの頃は歌うティモンに惚れていました。やつは歌がうまい)
カラオケで「愛を感じて」をデュエットしたりしていたっけな…。
「サークル・オブ・ライフ」の楽譜を友達が持っていたのでコピーしてもらって、
家でピアノで弾いてみたこともありました。今も持ってます。
あー何だか久し振りにピアノが弾きたくなってきた。。

映画のストーリーそのものは単純明快で、いわゆる王道ではあるのですが
それでもやっぱり終盤の大乱闘とラストの咆吼にはじーんときてしまいます。
呼応する雌ライオンたちもかっこいいし。
(宮崎駿氏もそうですが、ディズニーは最後にみんなで集まってというのが好きですな)
雨の中でずぶ濡れになりながらの咆吼というのも、
完全無欠なヒーローというわけではなく地べた這いつくばって帰ってきて
色んな人の手を借りてやっとあそこに立てたという感じがして
ある意味とてもシンバらしいなという気もします。
そう考えると、あの雨はムファサからのお祝いなのかもしれないし、シンバの涙なのかもしれない。
(劇団四季のミュージカルではさすがに雨は降ってなかったしな…あれは映画ならではの良さですな)

あと、非常に余談になりますけども。
この映画がジャングル大帝の影響を受けているのはわりと有名な話だと思うのですが
そのことを指摘されても手塚家の人々は特に何も言わなかったのだそうな。
どころか、「手塚はディズニーのアニメを見てアニメを作りたいと思ったのだから、
そのディズニーが手塚の漫画を読んでこういう映画を作ったと知ったら
むしろ喜ぶと思います」みたいなコメントをご家族が出しているらしいことを
以前に図書館学の授業で聞いて、ああうんそれはあり得るかも…などと思ったことを覚えています。
筋金入りですからのぅ、手塚氏のディズニーへの愛は…(´艸`*)。

ライオン・キングの他にわたしがディズニー映画の中で好きなのは
「不思議の国のアリス」「リトルマーメイド」「アラジン」の3作です。
特にアリスは何回見たかわかりません。
ストーリーは原作の『不思議の国~』と『鏡の国~』がミックスされてできている感じ。
時計ウサギとか、ドードーとか、双子のディーとか、チェシャ猫がおちゃめでかわいいです。
マッドティーパーティーは原作と比べて少々ぶっとんでいる感はあるのですが
ネムリネズミはわたしのイメージそのまんまでした。好き。
日本語吹き替えだとものすごい眠たそうな声でしゃべっていて、いつ見ても吹き出してしまう。
リトルマーメイドはアンデルセンの原作とは全然違う話になっていますけれども
アリエルの歌声がオリジナルも日本語吹き替えも美しくて大好き~♪
アラジンはもう文句なしに面白くてたまらん。


碁のつづき。※クリックで大きくなります
4枚目。3枚目はこちら
そろそろカメラを引いた感じの絵が描きたくなりました。

貫之「……」
忠岑「……」
貫之「(パチ)」
忠岑「待った」
貫之「待たない」
忠岑「けち」
躬恒「なんか微妙だねぇ。どっちが勝ってるの」
貫之「オレ」
忠岑「つーか腹へったー。貫之、夜食もらってこいよ」
貫之「やだ。どうせその隙に盤の向き逆にする気だろ」

すっかりサボっている3人。
マイペース宿直づとめの夜は更けていきます。
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2012_04
02
(Mon)23:39

見るもの映すもの。

ブログを始めてからカラーイラストを描く機会が増えましたけれども、
色指定をするときに決まって「どうしたもんかなぁ」と思うのが
キャラクターの目の色だったりします。
見方によってはその人の核とも言える色になるのではないかなぁという考えが勝手にあるので、
目の色を決めるときはだいたい作業を中断して一考してから決めるようにしています。
ビジュアルのイメージからパッと塗ってしまうときもあるけれど。

わたしが好んで描く人たちはだいたい日本に生まれて住んでいることが多いので
本来なら茶色で塗るのがいいのかなと思って以前はそうしていたんですが、
最近は、せっかくカラーで描いているのにそれも何だかなぁという思いもムクリと湧いてきたので
すっかり自由な色で塗るようになりました。
あと「昔々だったら渡来系の人の血が目の色に出ることだってあるかもしれないじゃん!」と
開き直ってるところもあるからかもしれない。
とか何とか言いつつ遣唐使たちは全員茶色で塗ってしまったのですけども。。

たいていの場合は、絵的に色がまとまるため、
そのキャラの服の色と同系色にしていることが多いかな…。
たとえば今描いている歌人たちはほとんど、官服の色より少し薄めの色をつけています。
貫之は赤い官服なので桃色、躬恒は緑なので黄緑、忠岑は橙なのでオレンジ、みたいな。
同系色による薄い色と濃い色の取り合わせはわりと好きだったりします。
あれだ!平安時代だからかさねの色目のイメージがあったんだきっと。←今考えた設定

絵師たちも着物の色と同じ色を目に塗っていましたね~。
春信は青で源内は緑だった。
江漢は橙の目ですが、あれは赤紫色の着物にちょっとアクセントが欲しかったので
そうしたように記憶しています。
石燕と祐信が紫色目なのは、何となく彼らの目は色指定をする前から紫色に見えていたからでした。
理由は単に、「紫色の目=思慮深くてミステリアス」という固定観念がわたしの中にあるせいです。
石燕は妖怪と交流するところから、祐信は春信の師匠というところから
何となく紫色をイメージしたような覚えがあります。

大江山の鬼たちには全員、無条件で金色をつけていますが
これも「猫のような、猛禽のような」というイメージが先行してそうなりました。
彼らが何かをキッと見据えるときのそれは「鷹のよう」と形容したくなる雰囲気なのではないかな、
みたいな想像が何となくありまして。
でも鬼たちの目は別に「きれい」とかいう雰囲気じゃないと思う…。
よく漫画などで主人公が、退役寸前のベテラン軍人とか老賢者とかに
「いい目をしているな」と言われることがあるけど、そんな類の目ではあるかもしれない。

まとめると、「絵のバランス」「お国柄」「この人はこんな色っぽいイメージ」
「服の色とは違う色がどこかに欲しい」「色に人格を込めたい」
とか、そんなようなことを思慮に入れつつケースバイケースで決めている、というのが
今のわたしのやり方のようです。


tsurayuki2.jpg※クリックで大きくなります
前々回記事からさらに続いております…紀貫之の宿直はつらいよシリーズ←
のんびり碁を打っていた貫之と躬恒のところへ、ひょっこり忠岑がやって来ました。

忠岑「よっ、おふたりさん」
貫之「げ」
躬恒「あっれぇ、どーしたの」
忠岑「妻とケンカしちまってさー。帰るの気まずいから、泊めて」
貫之「仕事中。むり」
忠岑「えー、つめてーな、即答かよ」

セリフの割にはあんまりこたえてない忠岑。。
そしてこんな夜更けまでどこをうろついていたのという些細な疑問は胸にしまっておいてください。
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