この展覧会が開催されることは半年くらい前から知っていたのですが
美術館のサイトをちょこちょこチェックしていたところ、
わたしの敬愛する小林忠氏の講演会があるとのことで
うおー!めちゃくちゃ聴きたい!!と応募はがきを出してみたら
有難いことに当選通知をいただいて、本日聴いてくることができました♪
講演会は2時間前後、先生の、これでもかという江戸美術への愛に満ち満ちた語り口で
会場をしばしば笑いに包みつつ和やかに行われました。
スライドで蕭白や京都画壇の絵師たちの作品を見ながら解説してくださったのですけど
蕭白には「この絵のある部屋にいたら落ち着けませんねぇ」「気持ち悪いですねぇ」
「夢枕に立ちそうですねぇ」とか、結構ストレートなご指摘。。
蕭白って小林先生をもってしてもコメントに困る絵師なんだな…(^ ^;)。
そして若冲のスライドが出たとたん、パッと顔を輝かせて
「美しいですねぇ」「いい絵の具を使っていますねぇ」というコメントが(笑)。
いやしかし若冲の絵はやっぱりステキだった。
スライドに映された月夜白梅図は今回の展示にもありましたけど、
動植綵絵と一緒に並べても特に違和感なく収まるんじゃないかというくらいクオリティ高かった。
先生によると、当時若冲に絵を注文した場合は米一斗、現代でいう1万円くらいで描いてくれたとか。
(若冲が後年号した斗米庵という名前は画料のことだったわけですね)
逆に大雅はまったくお金に頓着のない人だったらしく、
注文があれば支払いのあるなしに関わらず描く人だったようです。
別になくてもどんどん描いて、たまったら神社に奉納しに行っていたこともあったそうな。
自由人大雅(*´∀`*)。
先輩の辻惟雄氏(蕭白の大ファン!)との長年のお付き合いについてもお話くださったのですが
普段から一緒に調査のための旅行をしたり、遠慮のない会話を交わしているらしくって
何というかもう、お2人がいかにマブダチであるかがじんわり伝わってきて
すごく微笑ましく思いました。
継松寺で蕭白の雪山童子図を見たときの辻先生の驚きたるやただならぬものだったそうですが、
小林先生は「プロレスの赤コーナー青コーナーに見えました」とか(笑)、
かつて池大雅&玉欄夫婦が泊まった部屋に泊まることができてとても嬉しかったなどの
お話を聞いて、
ぎゃー!そのお寺行きたい&お部屋泊まりたい!とかあやうく叫びそうになりました。
歴史上の人物が実際に泊まった部屋が残っているってロマンだよね。ものすごくね。
メインの展覧会は蕭白の作品を中心に、雪鼎、若冲、蘆雪、応挙、呉春、蕪村、大雅など
同時期に京都で活躍した絵師たちの作品がずらりと並んでいて眼福でした☆
講演会のある日だというのにそんなに人もいなくて、ゆっくり見られて大満足(*^ ^*)。
蕭白の師匠といわれる高田敬輔の作品は初めて見ましたが
そこかしこに蕭白と似たところがあって(ん?いや違う逆だ、蕭白が敬輔に似てるんだ)
面白かったです。
蕭白は敬輔の筆遣いを学んで、もっと技巧を派手に発展させて描いていたのかなと
2人の絵を見比べてみて思いました。
あと今回、蕭白の絵を青年から晩年まで通して見てみて気がついたのですが
若い頃は人物も動物も景色もとにかく描き込みまくってカラフルに仕上げていて、
年齢を重ねるごとに描き込みが減り、構図が洗練され、黒白化していくのが印象的でした。
(晩年の若冲が動植綵絵のような絵ではなく水墨画を描いていたのと似てると思う)
しかし画面はそうしてすっきりしていきこそすれ、
無骨で硬派なところは一貫して変わらないのだなぁとも思いました。
「おれはこういう絵を描く」という確固たる思いを早くから持っていた人だったのかな…とか。
ひとりの画家の作品を年代順に並べて見ると、年齢ごとの変遷がわかって面白いですね。
その時代を強烈に反映していることもわかるし。
こばちゅー先生も講演会でおっしゃっていたのですが
18世紀中期は東も西も、まるで湯が沸騰するかのように才能がぽこぽこあふれ出た時代で
しかも狩野派や土佐派のようなロイヤルな立場の人たちではなく
武士や町人や農村などの一般市民から輩出されてきたところが面白いのだそうです。
彼らは狩野派と違って後ろ盾が何もないので、ひたすら描いて売って個性を出していたとか。
その手段のひとつとして、蕭白の取った行動が旅だったのではないでしょうか、と
先生がおっしゃっていました。
蕭白が伊勢などに旅をしてお寺に絵を奉納して回っていたことは知っていましたが
あれは営業活動の一環でもあったということなんだろうか。
あらためてあの時代を熱い時代だと再認識したような思いです。江戸美術っていいなぁ!

歌人シリーズ13。12はこちら。
帰宅した貫之。玄関先で汚れた足を拭いていると、妻の一子(いちこ)がやって来ました。
一子は宮仕えをしているので、たびたび内裏に出かけています。
一子「あら、おかえりなさい」
貫之「今から行くのか。ずいぶん遅いな」
一子「今日は午後からなの。朝餉は、お部屋に用意してありますからね」
貫之「ごち」
一子「あ、それとね」
貫之「ん?」
一子「壺庭の牡丹が咲いたわよ」
貫之「!いつ」
一子「今朝」
貫之「……………壺庭通らずに部屋行けねーかな」
一子「あなた朝餉抜く気なの」
貫之「…だよなぁ」
一子「毎年のことだけど、咲いたら咲いたで、賑やかよ。じゃ、行ってきまーす」
さて牡丹の何が問題なのでしょう…。続きます。
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