鉄剣と山口晃とツタンカーメン。
生きてます。
先週末に体調を崩して寝込んでいました…。
仕事は復帰しましたがお腹の調子がおかしいです。早く白いごはん食べられるようになりたい。ぐぬぬ。
でもそろそろ記事書かないと忘れそうなので書きます。
すでに先々週末のことですけども、
・埼玉県立さきたま史跡の博物館「稲荷山古墳出土「金錯銘鉄剣復元品」特別公開」
・群馬県立館林美術館「山口晃展」
・武州中島紺屋「ツタンカーメンの衣装展」
この3つをはしごしてきました♪
がんばれば車で回れる距離だったので計画立てたんですが、
今思えばこの無茶っぷりが体調崩すきっかけになったかもしれない…。
無理しちゃだめですね。
まずは復元鉄剣を見にしゅっぱつ。
展示会場のさきたま博物館は行田市のさきたま古墳公園内にあります。
今回復元された鉄剣は、ここで保存されている稲荷山古墳から出土したもの。
5世紀に生きていた人の持ち物ですよ~古代ロマン(´▽`)♪

復元された鉄剣です。(撮影可能ですが接写は不可でした)
すごかったーピカピカだったー美しかったーぞわってした!
古代なので日本刀みたいな大きい刀ではなく。小太刀くらいの長さで、直刀&両刃でした。
115個の金文字もはっきり読めました。
5世紀の王様が持っていたときはこんな風に光り輝いていたのでしょう。
この隣に国宝の鉄剣が並んでいます。本物が常設展示されてます。たぎります。古代史のロマン。
稲荷山古墳からは鉄剣のほかに勾玉や鎧、馬具、鏡、はにわなどが出土していまして
それらも展示されています。
ちなみに全部国宝だよ!入館料200円でこんだけ国宝見られるんだよ!みんな見に来ようぜ!!
(でも行田駅から遠いです^^;)

博物館の前にこんな碑が建っていました。
埼玉の名前は、古墳から出土した勾玉の別名が「幸玉(さきたま)」であることからきたっていう
説があるのだよね。
幸玉は幸魂(さきみたま)に通じるので何だか嬉しくなります。
(幸魂は豊かな恵みのしるしで神道の考え方です。古事記にも出てくるよ)
実はこの博物館と古墳公園、小学校のとき遠足で来たことがあるのですが
鉄剣も古墳も碑のこともまったく覚えてなかったので、見るもの全部が新鮮でした。
何となくしか記憶していなかったものも改めて上書きできたし…。
いいUnlearnになりました。
古墳群は今も調査が続いているそうで、今後も何か出てくるのかもしれません。ロマンは果てない。
次に母の実家に寄って、一緒に館林に行きたいと言っていた祖父母を車に乗せて
館林美術館へやって来ました。

初めて来たのですが、広い広い敷地に白が基調のシンプルな美術館。
展示室の入口では山口氏の見返り写真と、氏筆のご家族のラクガキが出迎えてくれました。かわいい。
内容は…内容はですね…もうなんなんだろう…(*´∀`*)。
終始ニコニコ、にやにや、2424しながら見てきました。
山口氏の作品をこれだけまとまって見たのは初めてですけども、
壮大なスケールで哲学的でバカバカしく堂々としていて、何を見ても笑うしかない。
山口氏は絵もそうですが、字が独特ですね。こんなフォントほしい。山口フォント商品化してください。
伝源頼朝像をモデルにした自画像や、東京藝大所属時の作品や習作がまずお出迎え。
そしていきなり深山寺参詣図ですよ!もう、もう、最初からなんなの。とばしすぎ。
わたし山口氏の描くへんに混ざった時代もの絵が大好きでして。
籠で運ばれるお姫様がいるのに車の駐車場があったり、馬の形したバイクにお侍が乗ってたり
着物姿の人の隣に制服警官や女子高校生がいたりする。
江戸時代と現代がすっきり混じっているのですね。
絵本『ウォーリーをさがせ!』シリーズもウォーリーの周囲で色んな人たちが色んなことしてて楽しいけど
そんな感じの作品でした。
マーティン・ハンドフォードと山口晃は群衆図の第一人者だと思う。
當世おばか合戦や山之愚痴明抄も似たような絵で、どっちも横に長~~い絵なのですが
山乃愚痴明抄、最初と最後にマンガ形式で解説が入ってる(笑)。
いや、ほとんど氏の夢想というオチなんですけども。
今様遊楽図は完成品と下図があって、完成品も面白かったのですが下図への書き込みがおかしいです。
「人生に第一も第二もあるのか」「くさいものに蓋」などコメントがたくさん。
作家の思考が読み取れる絵っていうのも面白いです。
携行折畳式喫茶室がおかしい。
プレハブ小屋の中に和風のお茶室があるのですが、これ、解体して持ち運びができたりします。
折り畳み茶室…(笑)。
五武人図、ガイコツ武人や兜がぽきりと折れた武人、両腕のない機械仕掛けの武人など。
ちゃんとそれぞれに花押が描いてあるんですよ。細かい!
5人目の表具の片側だけが上からポキンとこっちへ折れていたんですけど、
あれ、誰も注意しなかったし監視員さんも何も言わなかったからああいう趣向なんだろうか…。
自由研究(柱華道)、いいですね。電柱で華道しちゃおうというスケッチです。
花を飾ったり留め具の間隔や配線を工夫したり、楽しい。
澁澤龍彦『獏園』挿絵に館長と学芸員からストップかかってるの笑った(笑)。
子どもが見るからねえ…ってラクガキ入りでした。でもこういう配慮大事です。
胎内巡り図は土の中を臓器に見立てて大冒険してた。
小学生や高校生時代のお絵かきやスケッチ、この頃から山口フォント炸裂してたのね。やばい。
3歳のお絵かきにすでにメカとガイコツがあってああもうずっと描いてるのねって思った。
高校の文芸誌に寄せたエッセイが哲学的すぎて頭おかしい。
卒業アルバムの表紙も描かれたんですね。
『私と20世紀のクロニクル』『風が強く吹いている』『親鸞』などの小説挿絵も。
親鸞の挿絵はあまりのトリッキーぶりがTwitterで話題になってましたね。
「思い知る他力!世を生きる馬力!」とか笑うしかない(笑)。
とどめは「挿画はイメージです」言っちゃう!それ言っちゃう!!(爆笑)
笑い声が怒ったの挿絵は思ったより小さくてキュートでした。
…で、ここでまさかの落雷現象が。(何)
江戸しぐさの絵があったのですが、あれ、これすごく見覚えあるな、どこだっけ?と記憶をたどって
数年前にテレビで見たCMであることに気がつきました。
覚えていらっしゃる方いますか。江戸しぐさのCM→こちら
うわあああああこのアニメーションの元絵山口氏だったのかああああああ
水とWaterが結びついたヘレン・ケラーのような気分でしたよ。ああびっくりした。
なんか変わった絵のCMだなあとのんきに見ていた当時の自分に
数年後に落雷があるよとタイムマシンで伝えに行きたい。
どんどんいきますよ。横浜トリエンナーレをもじった「山愚痴屋澱エンナーレ」のコーナー。
色々な作家の国際展というコンセプトですが、実は作者は全部山口氏です(笑)。
まず、道路交通標識に勝手にタイトルつけちゃうシリーズ。
山口氏が標識から連想してコメントしてるのですが
自転車及び歩行者専用には「誕生日プレゼント」、
車両侵入禁止には「貯金箱」のタイトル。これ、わたしも思ってた思ってた(笑)。
瓶がひとつ。中には焼いた絵のかけら。
壁のモニターでどうやって作ったかが紹介されています。
花の絵を描いて、ほんとに燃やしてた。。
「絵はこんなに役に立つ」の、モナリザを盾にされて攻撃できない兵士に同情しました。きみはえらい。
数十本の鉛筆を木枠で組んで、いっぺんに同時に数十匹の犬の絵を描く試み。
これ、絵描きなら誰もが一度は考えると思うけどほんとにやっちゃったんだ(笑)すごい(笑)。
壁のモニターで描いた様子が写ってましたが重たそうだった…(;´∀`)。
びっくりするのが「リヒターシステム」。
額縁スケッチの前に「ボタンをおしてください」と書いてあって何気なく押してみたら、ドッキリ!
祖母を呼んで押させてみたら、祖母が「わっ」とびっくりして
後から来た祖父にも押させたら、祖父も「おおっ」とびっくりしました。
興味のある方ぜひ会場でやってみてください。楽しいですよ(笑)←
大きな大きな「日本橋三越」図と「Tokio山水(東京圓2012)」。
三越図は何度も見ましたけど、見るたびに違うものを発見できます。
今回は半分に切断された船が隅田川を行くのを見つけました。
そして日本橋の麒麟像にニヤリ。これ、毎回ニヤリとしちゃう。
Tokio山水図は細筆で東京の俯瞰図を緻密に描いています。
これ、完成はいつになるのかしら。まだまだ描きこむスペースがたくさん残っていました。
墨一色ですが果たして色は塗られるのかどうか。塗り始めたらそれこそ一生かかりそう。
制作中の上毛かるたの一部。群馬の風土や文化、歴史上の人物などが題材になっています。
かるたを山口氏が作るとこうなる。
マンガ形式のすずしろ日記も面白い。オチが「…な風にならないかなあ」。妄想で旅行ですか!(笑)
くるりと後ろを向くと千躰佛造立乃図。
千手観音様をつくる絵です。これ祖母が気に入ってポスカ買ってました。
そしてラストが邸内見立洛中洛外図。広いお屋敷の邸内が京都市内に見立てられています。
水干着た人やポロシャツの人、祇園祭遊びにトイレの順番待ち、門外には観光バスが停まってる。
大名屋敷なのか観光地なのか。最後までくらくらさせてくれました。
うおお楽しかったー!
ぶっとんでて緻密で実験的、遊び心いっぱい。きっと何時間いても飽きない展覧会です。
山口氏は作家と違いますな。絵師ですな。うん。大和絵の人だ。
山愚痴屋諦堂(やまぐちやあきらめどう)って号もあるくらいだし。

美術館でお昼ごはん。祖母におごってもらいました。
続いて、羽生市にある中島紺屋に移動。

エジプトの墓から発掘されたツタンカーメンの衣装が当時どんなものであったかを復元するプロジェクトが
スウェーデン、エジプト、オランダ等の協力で行われまして、
それに藍染の無形文化財技術保持者である中島さんが協力したことがきっかけで
今回の展覧会につながったそうです。
(中島さんが協力したのは、王の衣装の刺繍に使われた糸の藍染だそうです)

復元品が展示されている建物はこちら。室内は写真撮影禁止です。
展示品はツタンカーメンの少年期(8歳)~成人期(18歳)までの衣装と、
ツタンカーメンが神官として着用した衣装、
同じく再現された頭巾や下着、手袋、靴、アクセサリーなど数点。
衣装はすべて麻で織られ、真っ白で神秘的なまでの薄さ。後ろが透けて見えました。
そうだね、エジプトだもんね。風通しのいいもの着てたよね。
しかしこの薄さ一体どうやって織るんだ…いやはや。
襟や袖の部分には赤糸や青糸でたっぷり刺繍が施されています。これを中島氏が染めたのですね。
刺繍の模様は王のしるしであるハヤブサやツタンカーメンの名前、スカラベなど。
スカラベは心臓を守るお守りとしてエジプトでは大切にされてきた生き物ですな。
パピルスに描かれてたのをどこかで見た覚えがあります。
ハヤブサの翼の形をした肩当て(?)みたいなのもあって、たぶんホルス神だと思うのだけど
これも刺繍や金のアクセサリーがいっぱいついてて贅沢な品。
衣装は涼しく、飾りは豪華に。エジプトのおしゃれっていいなー。
この展示は年内いっぱいで、
その後はスウェーデンのテキスタイル博物館に永久保存されるそうです!
エジプト研究のためにも、現代の技術保存のためにも、末永く伝えていってもらいたいですね。
先週末に体調を崩して寝込んでいました…。
仕事は復帰しましたがお腹の調子がおかしいです。早く白いごはん食べられるようになりたい。ぐぬぬ。
でもそろそろ記事書かないと忘れそうなので書きます。
すでに先々週末のことですけども、
・埼玉県立さきたま史跡の博物館「稲荷山古墳出土「金錯銘鉄剣復元品」特別公開」
・群馬県立館林美術館「山口晃展」
・武州中島紺屋「ツタンカーメンの衣装展」
この3つをはしごしてきました♪
がんばれば車で回れる距離だったので計画立てたんですが、
今思えばこの無茶っぷりが体調崩すきっかけになったかもしれない…。
無理しちゃだめですね。
まずは復元鉄剣を見にしゅっぱつ。
展示会場のさきたま博物館は行田市のさきたま古墳公園内にあります。
今回復元された鉄剣は、ここで保存されている稲荷山古墳から出土したもの。
5世紀に生きていた人の持ち物ですよ~古代ロマン(´▽`)♪

復元された鉄剣です。(撮影可能ですが接写は不可でした)
すごかったーピカピカだったー美しかったーぞわってした!
古代なので日本刀みたいな大きい刀ではなく。小太刀くらいの長さで、直刀&両刃でした。
115個の金文字もはっきり読めました。
5世紀の王様が持っていたときはこんな風に光り輝いていたのでしょう。
この隣に国宝の鉄剣が並んでいます。本物が常設展示されてます。たぎります。古代史のロマン。
稲荷山古墳からは鉄剣のほかに勾玉や鎧、馬具、鏡、はにわなどが出土していまして
それらも展示されています。
ちなみに全部国宝だよ!入館料200円でこんだけ国宝見られるんだよ!みんな見に来ようぜ!!
(でも行田駅から遠いです^^;)

博物館の前にこんな碑が建っていました。
埼玉の名前は、古墳から出土した勾玉の別名が「幸玉(さきたま)」であることからきたっていう
説があるのだよね。
幸玉は幸魂(さきみたま)に通じるので何だか嬉しくなります。
(幸魂は豊かな恵みのしるしで神道の考え方です。古事記にも出てくるよ)
実はこの博物館と古墳公園、小学校のとき遠足で来たことがあるのですが
鉄剣も古墳も碑のこともまったく覚えてなかったので、見るもの全部が新鮮でした。
何となくしか記憶していなかったものも改めて上書きできたし…。
いいUnlearnになりました。
古墳群は今も調査が続いているそうで、今後も何か出てくるのかもしれません。ロマンは果てない。
次に母の実家に寄って、一緒に館林に行きたいと言っていた祖父母を車に乗せて
館林美術館へやって来ました。

初めて来たのですが、広い広い敷地に白が基調のシンプルな美術館。
展示室の入口では山口氏の見返り写真と、氏筆のご家族のラクガキが出迎えてくれました。かわいい。
内容は…内容はですね…もうなんなんだろう…(*´∀`*)。
終始ニコニコ、にやにや、2424しながら見てきました。
山口氏の作品をこれだけまとまって見たのは初めてですけども、
壮大なスケールで哲学的でバカバカしく堂々としていて、何を見ても笑うしかない。
山口氏は絵もそうですが、字が独特ですね。こんなフォントほしい。山口フォント商品化してください。
伝源頼朝像をモデルにした自画像や、東京藝大所属時の作品や習作がまずお出迎え。
そしていきなり深山寺参詣図ですよ!もう、もう、最初からなんなの。とばしすぎ。
わたし山口氏の描くへんに混ざった時代もの絵が大好きでして。
籠で運ばれるお姫様がいるのに車の駐車場があったり、馬の形したバイクにお侍が乗ってたり
着物姿の人の隣に制服警官や女子高校生がいたりする。
江戸時代と現代がすっきり混じっているのですね。
絵本『ウォーリーをさがせ!』シリーズもウォーリーの周囲で色んな人たちが色んなことしてて楽しいけど
そんな感じの作品でした。
マーティン・ハンドフォードと山口晃は群衆図の第一人者だと思う。
當世おばか合戦や山之愚痴明抄も似たような絵で、どっちも横に長~~い絵なのですが
山乃愚痴明抄、最初と最後にマンガ形式で解説が入ってる(笑)。
いや、ほとんど氏の夢想というオチなんですけども。
今様遊楽図は完成品と下図があって、完成品も面白かったのですが下図への書き込みがおかしいです。
「人生に第一も第二もあるのか」「くさいものに蓋」などコメントがたくさん。
作家の思考が読み取れる絵っていうのも面白いです。
携行折畳式喫茶室がおかしい。
プレハブ小屋の中に和風のお茶室があるのですが、これ、解体して持ち運びができたりします。
折り畳み茶室…(笑)。
五武人図、ガイコツ武人や兜がぽきりと折れた武人、両腕のない機械仕掛けの武人など。
ちゃんとそれぞれに花押が描いてあるんですよ。細かい!
5人目の表具の片側だけが上からポキンとこっちへ折れていたんですけど、
あれ、誰も注意しなかったし監視員さんも何も言わなかったからああいう趣向なんだろうか…。
自由研究(柱華道)、いいですね。電柱で華道しちゃおうというスケッチです。
花を飾ったり留め具の間隔や配線を工夫したり、楽しい。
澁澤龍彦『獏園』挿絵に館長と学芸員からストップかかってるの笑った(笑)。
子どもが見るからねえ…ってラクガキ入りでした。でもこういう配慮大事です。
胎内巡り図は土の中を臓器に見立てて大冒険してた。
小学生や高校生時代のお絵かきやスケッチ、この頃から山口フォント炸裂してたのね。やばい。
3歳のお絵かきにすでにメカとガイコツがあってああもうずっと描いてるのねって思った。
高校の文芸誌に寄せたエッセイが哲学的すぎて頭おかしい。
卒業アルバムの表紙も描かれたんですね。
『私と20世紀のクロニクル』『風が強く吹いている』『親鸞』などの小説挿絵も。
親鸞の挿絵はあまりのトリッキーぶりがTwitterで話題になってましたね。
「思い知る他力!世を生きる馬力!」とか笑うしかない(笑)。
とどめは「挿画はイメージです」言っちゃう!それ言っちゃう!!(爆笑)
笑い声が怒ったの挿絵は思ったより小さくてキュートでした。
…で、ここでまさかの落雷現象が。(何)
江戸しぐさの絵があったのですが、あれ、これすごく見覚えあるな、どこだっけ?と記憶をたどって
数年前にテレビで見たCMであることに気がつきました。
覚えていらっしゃる方いますか。江戸しぐさのCM→こちら
うわあああああこのアニメーションの元絵山口氏だったのかああああああ
水とWaterが結びついたヘレン・ケラーのような気分でしたよ。ああびっくりした。
なんか変わった絵のCMだなあとのんきに見ていた当時の自分に
数年後に落雷があるよとタイムマシンで伝えに行きたい。
どんどんいきますよ。横浜トリエンナーレをもじった「山愚痴屋澱エンナーレ」のコーナー。
色々な作家の国際展というコンセプトですが、実は作者は全部山口氏です(笑)。
まず、道路交通標識に勝手にタイトルつけちゃうシリーズ。
山口氏が標識から連想してコメントしてるのですが
自転車及び歩行者専用には「誕生日プレゼント」、
車両侵入禁止には「貯金箱」のタイトル。これ、わたしも思ってた思ってた(笑)。
瓶がひとつ。中には焼いた絵のかけら。
壁のモニターでどうやって作ったかが紹介されています。
花の絵を描いて、ほんとに燃やしてた。。
「絵はこんなに役に立つ」の、モナリザを盾にされて攻撃できない兵士に同情しました。きみはえらい。
数十本の鉛筆を木枠で組んで、いっぺんに同時に数十匹の犬の絵を描く試み。
これ、絵描きなら誰もが一度は考えると思うけどほんとにやっちゃったんだ(笑)すごい(笑)。
壁のモニターで描いた様子が写ってましたが重たそうだった…(;´∀`)。
びっくりするのが「リヒターシステム」。
額縁スケッチの前に「ボタンをおしてください」と書いてあって何気なく押してみたら、ドッキリ!
祖母を呼んで押させてみたら、祖母が「わっ」とびっくりして
後から来た祖父にも押させたら、祖父も「おおっ」とびっくりしました。
興味のある方ぜひ会場でやってみてください。楽しいですよ(笑)←
大きな大きな「日本橋三越」図と「Tokio山水(東京圓2012)」。
三越図は何度も見ましたけど、見るたびに違うものを発見できます。
今回は半分に切断された船が隅田川を行くのを見つけました。
そして日本橋の麒麟像にニヤリ。これ、毎回ニヤリとしちゃう。
Tokio山水図は細筆で東京の俯瞰図を緻密に描いています。
これ、完成はいつになるのかしら。まだまだ描きこむスペースがたくさん残っていました。
墨一色ですが果たして色は塗られるのかどうか。塗り始めたらそれこそ一生かかりそう。
制作中の上毛かるたの一部。群馬の風土や文化、歴史上の人物などが題材になっています。
かるたを山口氏が作るとこうなる。
マンガ形式のすずしろ日記も面白い。オチが「…な風にならないかなあ」。妄想で旅行ですか!(笑)
くるりと後ろを向くと千躰佛造立乃図。
千手観音様をつくる絵です。これ祖母が気に入ってポスカ買ってました。
そしてラストが邸内見立洛中洛外図。広いお屋敷の邸内が京都市内に見立てられています。
水干着た人やポロシャツの人、祇園祭遊びにトイレの順番待ち、門外には観光バスが停まってる。
大名屋敷なのか観光地なのか。最後までくらくらさせてくれました。
うおお楽しかったー!
ぶっとんでて緻密で実験的、遊び心いっぱい。きっと何時間いても飽きない展覧会です。
山口氏は作家と違いますな。絵師ですな。うん。大和絵の人だ。
山愚痴屋諦堂(やまぐちやあきらめどう)って号もあるくらいだし。

美術館でお昼ごはん。祖母におごってもらいました。
続いて、羽生市にある中島紺屋に移動。

エジプトの墓から発掘されたツタンカーメンの衣装が当時どんなものであったかを復元するプロジェクトが
スウェーデン、エジプト、オランダ等の協力で行われまして、
それに藍染の無形文化財技術保持者である中島さんが協力したことがきっかけで
今回の展覧会につながったそうです。
(中島さんが協力したのは、王の衣装の刺繍に使われた糸の藍染だそうです)

復元品が展示されている建物はこちら。室内は写真撮影禁止です。
展示品はツタンカーメンの少年期(8歳)~成人期(18歳)までの衣装と、
ツタンカーメンが神官として着用した衣装、
同じく再現された頭巾や下着、手袋、靴、アクセサリーなど数点。
衣装はすべて麻で織られ、真っ白で神秘的なまでの薄さ。後ろが透けて見えました。
そうだね、エジプトだもんね。風通しのいいもの着てたよね。
しかしこの薄さ一体どうやって織るんだ…いやはや。
襟や袖の部分には赤糸や青糸でたっぷり刺繍が施されています。これを中島氏が染めたのですね。
刺繍の模様は王のしるしであるハヤブサやツタンカーメンの名前、スカラベなど。
スカラベは心臓を守るお守りとしてエジプトでは大切にされてきた生き物ですな。
パピルスに描かれてたのをどこかで見た覚えがあります。
ハヤブサの翼の形をした肩当て(?)みたいなのもあって、たぶんホルス神だと思うのだけど
これも刺繍や金のアクセサリーがいっぱいついてて贅沢な品。
衣装は涼しく、飾りは豪華に。エジプトのおしゃれっていいなー。
この展示は年内いっぱいで、
その後はスウェーデンのテキスタイル博物館に永久保存されるそうです!
エジプト研究のためにも、現代の技術保存のためにも、末永く伝えていってもらいたいですね。
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。 ジャンル : 学問・文化・芸術
魔法の呪文のことを考えて…。
ジークリート・ラウベ『庭師の娘』を読みました。
約250年前のオーストリアを舞台にした、庭師になりたい少女マリーの1年間の物語です。
1768年ということはマリア・テレジアの治世ですな。
ヨーゼフ2世とか、シュタルツァーとか、メスメル博士とか、ルソーとか、
世界史でおなじみのお名前がちらほら。
(ちなみに主人公マリーと同じ名前のマリー・アントワネットはこの2年後にフランスへ行って
ルイ王太子と結婚します)
岩波書店さんの新刊情報で見かけたときまず淡い色の表紙に一目ぼれしまして
(表紙絵の中村悦子さんは茂市久美子さんの「つるばら村シリーズ」でおなじみですね)、
あらすじもすごくわたし好みで、
読む前から何となくドキドキしていたのですけども。
岩波さんとこの児童書だしハードカバーだし大きい本かしらと想像していたのですが、
実際に手に取ったら両手にすっぽりなじむ大きさで
表紙をめくったら紫のパステルカラーの遊び紙で
目次にも春夏秋冬の植物の挿絵がありましてな…。
なんだ、なんだこの装丁フェチのツボを刺激しまくる(当社比)本は。どきどき。
マリーは植物が好きな女の子なのですが、庭師の父親の意向で修道院に通っています。
でも本当は庭の仕事をやりたいので授業中も窓の外の植物が気になるのですね。
シスターに怒られて同級生に笑われるのはよくあるパターン。
帰宅してお手伝いさんのブルジに雑になぐさめられるのもよくあるパターン。
(このブルジがかっこよくて…!彼女の「できる女オーラ」はすごい)
修道院の人たちやパン屋の親方、そして何より父親がかなりの壁になってはいるものの
パン屋の息子と、父親の雇主であるメスメル夫妻と、おチビさんのモーツァルト少年が味方で
マリーも素直になれたりする。
メスメル夫妻がマリーの能力を高くかって信じてくれているのがやさしくてあたたかいです(*´∀`*)。
モーツァルトとの出会いは最悪でしたけども(笑)、
お話の後半には「あの子は天才よ」ってヤーコプに言ってておおっ成長したなあって(笑)。
シュタルツァー夫人にモーツァルトをこきおろされて思わず庇っちゃうところとかね(´ー`)。
(でもその後、夫人とは思わぬ共通点があって何となく打ち解けたりする)
本気で庭師になりたくて植物への興味も人一倍強くて
でも壁を超えるやり方がわからないマリーのもどかしさが時々息苦しいけど、
だからこそ終盤の解放感がたまりません。
たぶんマリーには今後も色んなことがあるだろうけど、きっと未来もすてきだ、と思えました。
人物描写も丁寧でよかったですが、
マリーが庭師を目指す子なので植物の描写がたくさんあるのがいいなあと思います。
授業中や帰り道でマリーが妄想する庭とか、植木屋さんとか、
雑草を抜いたマリーが「草も首のところに寒気がしたろうか?」って地面に戻すのとか
早霜が降りそうな寒い秋の日に、植物が枯れないよう懸命に守るマリー&ヤーコプとか
ほんと細かくてすごい。
(ヤーコプの「僕らは魔法をかけてるんだよ」っていう明るさがいいですね)
メスメル夫妻が庭にいる描写がすごく美しいですよ。
この夫妻、素敵すぎるのでそれだけで絵のように感じられる。
植物の絵が描ける人は無条件で尊敬しますが、植物が美しく描写できる人も尊敬します。
あと、同じ庭でも、修道院の薬草園とメスメル博士の庭の雰囲気が全然違う。
当時のウィーンではフランス式庭園(ベルサイユ宮殿のような庭園)が流行っていて
植物が整然ときっちり並べられる形式なのですが、
マリーがめざしたのは植物をありのままに活かす風景式庭園で
ちょうど同時代にイギリスで流行りだしたものだそうです。
ラストでマリーがメスメル夫妻の庭に植えた植物なんだと思います?庭にかぐや姫がきちゃうよ。
モーツァルト少年はこのお話でも、史実に違わず自由に飛び回っていますが
作曲に詰まったり頑固になったり、時々なにか思い出すように黙ったりと表情がコロコロ変わります。
彼もマリーと似たようなもので、子どもだからとせっかく作ったオペラを上演する機会を奪われていて
(ウィーンではかなり有名な話だそうです)、
「どうにもならなくなっちゃった」ってシュンとしちゃうのかわいい。
本人の出番はそんなになくて、人々が語る描写が多いのですが
シュタルツァー夫人が「メロディを口ずさみながら、ペンにインクをぱちゃぱちゃつけて
あれよあれよと新しいアリアを書いてしまった」って首を横に振るのですが
わたしのイメージするモーツァルト像とぴったりで笑ってしまいました。
たぶん後半のクライマックスの作曲もそうしてたんだろうなあと思う。
メスメル博士…。
世間的にはこういう人を「いっちゃってる」と言うのかもしれないけど、
確かに付き合うには骨が折れそうだけど
それでも彼のような人が「誰かが最初にやらなくてはならない。勇気を出すだけだ。やってみよう」って
世間の壁をヒョイとぶち破ってやってきたことが
歴史の積み重ねなんだなあとつくづく。
いわゆる常識というものから外れた行動をした人は歴史上にいっぱいいる。たぶん小説やドラマ以上に。
若者への不条理に怒りを感じてかつらむしり取っちゃう博士かわいい。
マリーにブルーストッキングについてさらっと語って女性の庭師のグループを作ることを提案して
マリーが「本気ですか?」と聞き返すと「本気だとも。かなりね」と返す博士イケメン。
でも職業はお医者さんです(笑)。
作者のジークリートさんは歴史ものを得意とされる作家さんだそうです。
読みたい…岩波さんもっと紹介してほしい…。
オーストリアの方が書いたエリザベートやモーツァルトの本とか、本場すぎるじゃないか…。
(どっちも日本語未訳)

年賀状始まってます…今年もこの季節がやってまいりました。
さあお前ら、大晦日というゴールテープへ向かってほふく前進で走ろうぜ…。
今年は江戸時代の女性文学者がテーマです。
約250年前のオーストリアを舞台にした、庭師になりたい少女マリーの1年間の物語です。
1768年ということはマリア・テレジアの治世ですな。
ヨーゼフ2世とか、シュタルツァーとか、メスメル博士とか、ルソーとか、
世界史でおなじみのお名前がちらほら。
(ちなみに主人公マリーと同じ名前のマリー・アントワネットはこの2年後にフランスへ行って
ルイ王太子と結婚します)
岩波書店さんの新刊情報で見かけたときまず淡い色の表紙に一目ぼれしまして
(表紙絵の中村悦子さんは茂市久美子さんの「つるばら村シリーズ」でおなじみですね)、
あらすじもすごくわたし好みで、
読む前から何となくドキドキしていたのですけども。
岩波さんとこの児童書だしハードカバーだし大きい本かしらと想像していたのですが、
実際に手に取ったら両手にすっぽりなじむ大きさで
表紙をめくったら紫のパステルカラーの遊び紙で
目次にも春夏秋冬の植物の挿絵がありましてな…。
なんだ、なんだこの装丁フェチのツボを刺激しまくる(当社比)本は。どきどき。
マリーは植物が好きな女の子なのですが、庭師の父親の意向で修道院に通っています。
でも本当は庭の仕事をやりたいので授業中も窓の外の植物が気になるのですね。
シスターに怒られて同級生に笑われるのはよくあるパターン。
帰宅してお手伝いさんのブルジに雑になぐさめられるのもよくあるパターン。
(このブルジがかっこよくて…!彼女の「できる女オーラ」はすごい)
修道院の人たちやパン屋の親方、そして何より父親がかなりの壁になってはいるものの
パン屋の息子と、父親の雇主であるメスメル夫妻と、おチビさんのモーツァルト少年が味方で
マリーも素直になれたりする。
メスメル夫妻がマリーの能力を高くかって信じてくれているのがやさしくてあたたかいです(*´∀`*)。
モーツァルトとの出会いは最悪でしたけども(笑)、
お話の後半には「あの子は天才よ」ってヤーコプに言ってておおっ成長したなあって(笑)。
シュタルツァー夫人にモーツァルトをこきおろされて思わず庇っちゃうところとかね(´ー`)。
(でもその後、夫人とは思わぬ共通点があって何となく打ち解けたりする)
本気で庭師になりたくて植物への興味も人一倍強くて
でも壁を超えるやり方がわからないマリーのもどかしさが時々息苦しいけど、
だからこそ終盤の解放感がたまりません。
たぶんマリーには今後も色んなことがあるだろうけど、きっと未来もすてきだ、と思えました。
人物描写も丁寧でよかったですが、
マリーが庭師を目指す子なので植物の描写がたくさんあるのがいいなあと思います。
授業中や帰り道でマリーが妄想する庭とか、植木屋さんとか、
雑草を抜いたマリーが「草も首のところに寒気がしたろうか?」って地面に戻すのとか
早霜が降りそうな寒い秋の日に、植物が枯れないよう懸命に守るマリー&ヤーコプとか
ほんと細かくてすごい。
(ヤーコプの「僕らは魔法をかけてるんだよ」っていう明るさがいいですね)
メスメル夫妻が庭にいる描写がすごく美しいですよ。
この夫妻、素敵すぎるのでそれだけで絵のように感じられる。
植物の絵が描ける人は無条件で尊敬しますが、植物が美しく描写できる人も尊敬します。
あと、同じ庭でも、修道院の薬草園とメスメル博士の庭の雰囲気が全然違う。
当時のウィーンではフランス式庭園(ベルサイユ宮殿のような庭園)が流行っていて
植物が整然ときっちり並べられる形式なのですが、
マリーがめざしたのは植物をありのままに活かす風景式庭園で
ちょうど同時代にイギリスで流行りだしたものだそうです。
ラストでマリーがメスメル夫妻の庭に植えた植物なんだと思います?庭にかぐや姫がきちゃうよ。
モーツァルト少年はこのお話でも、史実に違わず自由に飛び回っていますが
作曲に詰まったり頑固になったり、時々なにか思い出すように黙ったりと表情がコロコロ変わります。
彼もマリーと似たようなもので、子どもだからとせっかく作ったオペラを上演する機会を奪われていて
(ウィーンではかなり有名な話だそうです)、
「どうにもならなくなっちゃった」ってシュンとしちゃうのかわいい。
本人の出番はそんなになくて、人々が語る描写が多いのですが
シュタルツァー夫人が「メロディを口ずさみながら、ペンにインクをぱちゃぱちゃつけて
あれよあれよと新しいアリアを書いてしまった」って首を横に振るのですが
わたしのイメージするモーツァルト像とぴったりで笑ってしまいました。
たぶん後半のクライマックスの作曲もそうしてたんだろうなあと思う。
メスメル博士…。
世間的にはこういう人を「いっちゃってる」と言うのかもしれないけど、
確かに付き合うには骨が折れそうだけど
それでも彼のような人が「誰かが最初にやらなくてはならない。勇気を出すだけだ。やってみよう」って
世間の壁をヒョイとぶち破ってやってきたことが
歴史の積み重ねなんだなあとつくづく。
いわゆる常識というものから外れた行動をした人は歴史上にいっぱいいる。たぶん小説やドラマ以上に。
若者への不条理に怒りを感じてかつらむしり取っちゃう博士かわいい。
マリーにブルーストッキングについてさらっと語って女性の庭師のグループを作ることを提案して
マリーが「本気ですか?」と聞き返すと「本気だとも。かなりね」と返す博士イケメン。
でも職業はお医者さんです(笑)。
作者のジークリートさんは歴史ものを得意とされる作家さんだそうです。
読みたい…岩波さんもっと紹介してほしい…。
オーストリアの方が書いたエリザベートやモーツァルトの本とか、本場すぎるじゃないか…。
(どっちも日本語未訳)

年賀状始まってます…今年もこの季節がやってまいりました。
さあお前ら、大晦日というゴールテープへ向かってほふく前進で走ろうぜ…。
今年は江戸時代の女性文学者がテーマです。
江戸の吉祥と味覚とは。

先週末のことになりますが、町田市の国際版画美術館で「縁起もの」展を見てきました☆
江戸時代の出版物や絵画に描かれた、日本古来の縁起ものをまとめて観られる展覧会です。
松竹梅、鶴亀、仙人、七福神、富士山、龍虎、一富士二鷹三茄子。
思えばおめでたい模様ってたくさんあるのですなあ。

入口でチケットをもぎってもらうと、おみくじが1回引けます。
引き主のラッキー作品を運勢と一緒に教えてくれるというもの。
(ちなみに「凶」は縁起がよくないため入ってないそうです・笑)
わたしは「金太郎の豆まき」でした。
鑑賞ポイントに「金太郎の着物姿って見たことありますか?」とあって、みゅ?と受付で尋ねると
係員さんがニコニコと「展示室のどこかにこの絵がありますから探してください」とおっしゃる。
わーこんなの初めて(・∀・)wktkしながら展示室へin。
最初は江戸時代の摺り物がずらり。
絵暦(カレンダー)や扇絵に松竹梅や福寿草、羽根つき、役者、狂歌などが描いてあります。
割と江戸後期の摺り物が多かったかな…。
現代のオシャレでわかりにくいカレンダーを見るたびに「かっこいい、ぐぬぬ」と思うことがあるけど
江戸の大小暦もかなりのセンスです。
13匹の鼠のうち体の色で大月小月閏月を区別したりとか、数字が書いてないのがあった。
ぶっちゃけ当時の人は大月(30日)か小月(29日)かだけわかれば良かったんだよね。うむ。
魚屋北渓の「梅枝と手拭いと鋏」、くるりと巻いた手拭いから梅の枝が出ていてシャレオツ。
長沢蘆雪「松竹梅図」は3幅セット。ごつごつして植物というより岩でしょ(笑)。
よく見るとたらし込みの白禄が幹に入れてあるー細かいーきれいな碧色でした。
江馬細香「四君子図」は梅・竹・蘭・菊をさらりと組み合わせたセンスある絵。
この4つの植物は花の四君子と言われるそうです。
細香の漢詩も添えてありましたよ。彼女は漢詩人でもありますね(´∀`)。
岡本秋暉の「孔雀図」はつがいの1幅。彼らしくカラフルで立派な孔雀がいました。
水仙やタンポポ、松も描かれてゴージャス。めでてえ、めでてえ。
池大雅が「風雨起龍図」の中に描いた龍がどこにいるか全然わからず、
キャプションのネタバレからやっと見つけました。右真ん中あたりにヒョロッとしたのが飛んでた。
「どこにいるか見つけてごらん」とか大雅の声が聴こえてくるよう。
同じく「四睡図」、おおお懐かしい。
中国の仙人である豊干禅師とペットの虎、弟子の寒山拾得が折り重なって寝ているという
禅の境地をあらわす図のため、他にも色んな人が画題にしていますね。
いつだったか曽我蕭白の四睡図を府中かどこかで見ましたな!
しかし大雅が描くと4人とも幸せそうに見える。
国井応文の「百鳥図」は襖絵ですが片方だけの展示。
何種類もの鳥が左右の襖に50羽ずついて、両方で100羽ってことなんですって。
百は長寿の数字ですね(´∀`)。
歌川広重の富士三十六景からもいくつか。
名所江戸百景みたいな、鳥瞰図じゃなく町の一部を切り取ったような構図が多くて
絵というより写真のようでした。
北斎の富岳三十六景より後の出版だし、似たような絵を描いても仕方ないし
何よりスナップ写真みたいな構図がすごく広重!って感じ。もう!もう!!好きっ。
広重は肉筆も展示されてまして、これがまた見事なんだ…。
「旭日 波に鶴」とかタイトルがすでにテライケメンですが、
朝日が照らす海に舞う鶴を、北斎のようにうねる波濤を、主線なしで色だけで描いていて!
特にブルーの使い方に惚れそうになった。
なんだこの透きとおったぼかし。筆でこんなことできるんですね。世界の感動だ。うむ。
酒井抱一の扇面の鹿さんは、後ろ姿でちょっといけず。足ほっそり。
鈴木其一の鍾馗図、すごくかっこいいです。鍾馗様の力強い、大きな体とギョロ目。
勝間龍水の「河豚図」、フグの鱗が雲母摺りですってよ奥さん!
雲母摺りと聞くと無条件で東洲斎写楽を思い出しますが、まああそこまで贅沢に使ってないですが
角度を変えて見ると鱗が照明にキラッキラッと光ってた。おおおお。
黒田稲皐の「鯉図屏風」は大きさもさることながら
鯉の輪郭に白く淡く光が入れてあって、まるで鯉が輝いているように見えました。あれは感動した。
円山応挙「松に猿図」。ふさふさしたお猿さんが松の木で微笑んでいます。
猿は太陽の使いとされることもあって昔から吉祥図画でよく見る動物ですな。
松のごつごつっぷりが弟子の蘆雪を思わせました。
応挙先生は細く糸のような線が特徴ですけども、大胆なときはとことん大胆に描くお人よなあ。
このあたりで入口のおみくじで引いた、菊川英山の「金太郎の豆まき」を発見~。
真っ赤な体に着物を着て、豆まきする金太郎の摺り物でした。
(体が赤い色なのは若者であるしるし)
腹かけ姿はよく見ますが、裃姿の金太郎って初めて見るかも。
袴の裾が長くてなんだか動きにくそうでした(笑)。
七福神図もたくさん。
歌川豊春の浮絵「七福神寿末広催之図」は、七福神が海の見えるお座敷で宴会中。
大黒天が碁を打ち、恵比寿様が鯛をつり、唐子が遊びまわり、海に浮かぶ宝船には宝物がぎっしり!
これちょっとお正月に飾りたい絵ですねえ。
喜多武晴「布袋と唐子」のかわいいこと。
布袋さんが大きな布を広げると中から宝珠と子どもたちがわっと転がり出てくる。明るい絵ですね。
鳥居清長の「大黒を夢に見る美人」図は、読書中に居眠りをしてしまった女性の夢の中に
大黒天があらわれて打出の小槌を振ってくれるという、やっぱり縁起のいい絵でした。
お正月とかに枕の下にこの絵入れて寝たい。
勝川春英の「衝立に富士を描く福禄寿」のかわいさパない。
衝立の前で筆を持って、目を細めて思案顔の福禄寿。かわいい。
「我ながらよく描けたぞよ」とか自画自賛してそうな満足そうな顔。かわいい。
松平定信の絵があってびっくりした!ごってごての花鳥図(笑)。
牡丹の花はどことなく南画っぽかったですが、この人南画も習ってたのだろうか。
司馬江漢の「西王母図」は、中国崑崙山の主・西王母を描いたもの。
側についている童子の顔のデッサンがちょっと気の毒だった。江漢…こりゃないぜ…(笑)。
あと、作者はわからないのですが「花むすび」の絵が好きになりました。
青年が童子に水干を着つけているのですが、水干に大きく翼を広げた鶴が描いてあった。
伊藤若冲の万歳図。太夫さんと才蔵さんの万歳。画題は京都の門付芸だそうな。
与謝蕪村の「慰姥図」。夫婦が松に祈る姿を描いています。能の「高砂」が画題。
二代目黒川亀主の「花下猫児図」が目からウロコ。
猫が描いてあるのですが、漢字の猫と耄(70歳の意)は中国語でどちらも「Mao」と発音することから
猫は長寿のしるしなのだそうです。
そうなんだー初めて知った!!
(猫というと化けて出るか踊るかするイメージしかないゆさであります)
酒井抱一「金亀図」がちょっと面白かったです。
東京の根岸にある永称寺というお寺に、ある日金色の亀が出現したとのことで
亀だけでもめでたいがさらに金とくればこりゃめでたいと抱一が亀の絵を描き、
住職を始め5人が賛を入れたそうです。(抱一の賛も入ってました)
ちっちゃい亀を相手にいい年したおじさん5人がわちゃわちゃ騒ぐのを想像すると、たのしい。
(ちなみに金亀は江戸時代にブームがあったそうで、他にも金亀図を描いた人はいっぱいいるそうな)
展示の大トリは円山応挙大先生でしたよ…。「福禄寿・天保九如図」。3幅の掛軸。
真ん中の掛軸から、巻物を持った福禄寿のやさしい穏やかな顔が、まっすぐこちらを見つめてきます。
ほんのり肌色、ほんのり水色の衣、白髪で、その下に並んだ双眸が限りなくやさしい。
どきどきしてしまいますねえ。
なんだか応挙本人のように見えました…それとも本人だったのかな?
天保九如は中国の「詩経」にある天子の長寿と平安を祈る詩からきているそうで、
よく画題にもなるらしい。

美術館のカフェ「けやき」でいただいた薬膳カレー。
さわやかな辛さでおいしかったです☆
版画美術館を出ると、雨がポツポツ降り始めましたが気にせず電車で移動。
東京家政学院大学の生活文化博物館へ向かいます。

駅からバスに乗って町田キャンパスへやって来たら、出店がいっぱいでカラオケステージとかあった!
ちょうど学校祭の日だったみたいです。
いいなあー学祭楽しそうだなあー。青春してるなあ(笑)。

気を取り直して校舎へin。生活文化博物館は地下1階にありました。
黄色いのぼりが本気すぎてかっこいい(笑)。

会場内はこんな感じ。(スタッフさんに許可を得て撮影しました)
家政学院図書館の「大江文庫」が所蔵する江戸時代のレシピ本のメニューを
なんと食品サンプル(!)で再現した展覧会です。
おおお御膳とか汁物とかお寿司とかいっぱいある…!
豆腐料理と、大根料理のレシピの豊富さに全わたしが泣いた。
ぜ、全部食べたい…!(←豆腐と大根大好き
江戸時代には『豆腐百選』なんて本があったらしい…なにそれ超読みたい…。

季節のお料理もあって、お花見や紅葉狩などを連想するものも。
タコの足をスライスして酢飯にちりばめた「さくら散らし寿司」が本当においしそうでした。
タコの足を桜の花びらに見立ててあるんですよ!うおー!食べたい!!
あと、いわゆる「本物のすき焼き」がありました。農具の鋤で焼いて食べるというやつ。
鋤の上で焼くのを実際に見ると、鉄板焼きみたいですな。
食品サンプルの制作過程も映像が流れていて感動しました。関係者のみなさま…お疲れ様でしたっ!
最近、江戸時代を求めて史跡や展覧会をうろついて幸せになるのを江戸充と呼んでるのですが
本日の江戸充は文字に違わずたいへん充実していました(*´∀`*)。
おめでたい物にお料理、しあわせ要素萬斎、じゃない満載。
壮大な屏風絵や襖絵も大好きですが、生活に密着した芸術って人間くさくて大好きです。
縁起もの展では「めでてえ、めでてえ」ってとりあえず有難がる江戸人が見えたし
料理展では無言でもりもり食べる江戸人が見えた。
飾らない、ありのままの姿がそこにあるような気がしました。
ちょっと今回の楽しさは今までになかった類のものですね。
「楽しいー!」ってテンション高いんじゃなく、じわじわくる楽しさ。終始2424していました。
こういう展覧会おもしろいからまたやって欲しい!
クリックで拍手お返事。↓
遅くなってすみませんでした。皆様いつもありがとうございます(^-^)/☆
テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。 ジャンル : 学問・文化・芸術
あかるいアート。
歌舞伎座で忠臣蔵を見た後、東京国立博物館の夜間開館とプロジェクションマッピングが見たくて
5時過ぎの上野公園にやって来ましたら
夕方にも関わらず公園内は溢れんばかりの人出で、テントとか張られててなんぞ?と思ったら。

おおおおおお!!!明るい!!!噴水広場のまわりに色とりどりの光の群れが。
三連休中は「創エネ・あかりパーク2013」というライトアップイベントが
公園内で開催中だったのでした。
照明デザイナーの石井幹子さんプロデュースだとか。うおお大好きなデザイナーさんです石井さん!
奥に見えるのは東博。

きれいーーきれいーー*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
赤や青や黄色のテントも、水に映る光も全部きれい☆

噴水広場と東博の間のスペースにあった作品。
美濃市あかりアート展と、長野灯明まつりからの出品です。
花、蝶、土星、白鳥など様々な灯りが和紙で作られているのですよ~和紙アート!たぎる。
以下、イベントの写真をいくつか載せてあります↓クリックで開閉しますのでどうぞ☆
(拍手お返事は次回記事にさせていただきます。もうしばらくお待ちください)
5時過ぎの上野公園にやって来ましたら
夕方にも関わらず公園内は溢れんばかりの人出で、テントとか張られててなんぞ?と思ったら。

おおおおおお!!!明るい!!!噴水広場のまわりに色とりどりの光の群れが。
三連休中は「創エネ・あかりパーク2013」というライトアップイベントが
公園内で開催中だったのでした。
照明デザイナーの石井幹子さんプロデュースだとか。うおお大好きなデザイナーさんです石井さん!
奥に見えるのは東博。

きれいーーきれいーー*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
赤や青や黄色のテントも、水に映る光も全部きれい☆

噴水広場と東博の間のスペースにあった作品。
美濃市あかりアート展と、長野灯明まつりからの出品です。
花、蝶、土星、白鳥など様々な灯りが和紙で作られているのですよ~和紙アート!たぎる。
以下、イベントの写真をいくつか載せてあります↓クリックで開閉しますのでどうぞ☆
(拍手お返事は次回記事にさせていただきます。もうしばらくお待ちください)
花よりもなほ。
三連休の中日に、歌舞伎座で仮名手本忠臣蔵・昼の部を観てきました☆
歌舞伎座では今月・来月と忠臣蔵を序幕から大詰めまでぶっ通しで上演してくれています。
なんという心意気。胸熱。
最初から最後まで通しで観ればストーリーがすんなりわかっていいのかもしれませんが
1日中ずっと歌舞伎座の椅子に座っているのはキツイので
今月に昼の部(松の廊下から勘平の道中まで)、来月に夜の部(勘平切腹から吉良邸討入り)を
観ることにしました。
結果的にはそうしてとても良かったと思います。
昼の部だけでも見せ場と伏線と人情てんこ盛りでお腹いっぱい、くたくたでしたので。。
忠臣蔵のストーリーは説明すると長くなりますのでリンクを貼っておきます→こちら
もう有名ですので皆さんご存知ですよね(笑)。
わたしが観た昼の部は事の発端・松の廊下・内匠頭切腹・赤穂城明渡し・勘平お軽の道中まででした。
他にも、時間がなくて端折られた幕があるそうな。
(年明けにはその一部が単品で上演されるらしいです)
公演そのものはちょっと、ひとことで言い表せないんですけど
そしていつものことですけど、すごかったです!
200年前から上演されてきただけあって完成しちゃってる…名作ですわ…これはみんな観るわ…。
江戸時代の芝居小屋で「客の入りが悪ければ忠臣蔵上演しとけ」って言葉があったのも
もっともだと思う。
赤穂事件の知識とかなくても、劇そのものの妙といいますかね、
何十回、何百回、上演しつくされた演目なのにちっとも古くないんですよ。
もちろん、史実を知る人には「おおあのエピソードだ」「そうか、こうきたか」とか
いろいろ比較できて楽しいと思いますけども。
あと、松の廊下や赤穂城の件などは独立したエピソードとして知ってはいますが
何がどうなって討入りとなるのか、全部つながるとこうなるんだってちゃんと見せてもらって
それも良かったと思う理由のひとつですね。
幕が開く前に、裃をかわいらしく着た口上人形ちゃんが幕をくぐって出てきて
出演する役者さんを紹介してくれたんですが
役者名を言う前にいちいち「エヘンエヘン、エーーッヘン!」ってもったいぶって咳払いします(笑)。
客席大爆笑。
そうでしたそうでした、仮名手本忠臣蔵って初演は上方の人形浄瑠璃だった。その名残なんですね。
菊五郎や吉右衛門など、千両役者の紹介は「なァかむら吉右衛門、なァかむら吉右衛門」と2回コール。
拍手も大きかったです。
「ゆるゆるゆるゆるご見物のほどを」と首をくるくると一回転させる人形らしい演出での引っ込みも。
こんな幕開け初めて見たよ。わくわくした~(^▽^)。
四十七士にちなんで太鼓が47回打ち鳴らされる中、しずしずと幕が開いていきます。
幕のスピードも面白くて、ゆっくりゆっくり、次第に早く、
しかしだんだん見えてくる舞台に釘づけになって、あれ、いつの間に開ききったの…みたいな
不思議な感じの幕開け。
そして舞台上には鶴岡八幡宮のセットが。
おお…大銀杏が…大銀杏が立っておる…黄色い葉をつけておる…!!(泣きそう)
銀杏の下には役者さんがズラーーッと座って、全員うつむいて目を閉じてのご登場。
ちょっと荘厳な眺めです。
浄瑠璃が登場人物の名前を呼ぶと、ひとりひとり目を開けて動きはじめます。
わー!これって、これって、すてき!!
少しずつ何かが始まっていくような演出おもしろいです。
さっきも言いましたがもともと忠臣蔵は人形浄瑠璃だったので、
人形に魂が入る前という意味でこんな登場なのだとイヤホンガイドの人が教えてくれました。
ちなみに赤穂事件を最初に浄瑠璃化したのは近松門左衛門です。
タイトルは『碁盤太平記』。
太平記21段には高師直が塩冶判官の妻に横恋慕して、判官に謀反の兆しとか適当なこと言って
最終的には塩谷一族を皆殺しにしてしまう話があるのですが
これが忠臣蔵のストーリーにあてはめられています。
(よく見つけたよなあ近松…)
討入りからわずか4年後の上演で大当たりしたそうですが、幕府にダメ出しくらったらしい。
江戸時代、赤穂事件は忠臣蔵以外にもたくさん劇化されていますが
(討入りの翌年にはもう曾我物の建前で上演されている)、
幕府をはばかって事実として上演されることはなく、
碁盤太平記や仮名手本忠臣蔵の時代設定は太平記の時代(室町時代)とされていて
あくまで架空の物語として作られています。
吉良上野介→高師直、浅野内匠頭→塩谷判官、大石内蔵助→大星由良之助、
ほか赤穂浪士たちも名前の一部が変えられていたりしますが
赤穂事件であることは江戸の人なら一目瞭然だったわけで
これらはお上に言い訳するための民衆の知恵ですね。
別の時代を舞台に、でも(当時の)現代性をもたせているという。
あと、イヤホンガイドさんが熱く語っていたのが「14」と「47」の数について。
・赤穂浪士は47人
・『仮名手本忠臣蔵』が竹本座で初演されたのは討入りから「47年後」
・6段目の本文に「金」の文字が47個入ってる
・内匠頭の命日は3月14日
・赤穂浪士の討入りは12月14日
・『仮名手本忠臣蔵』は1748年8月14日が初日
まったくもう!!(笑)
ちなみに仮名手本の脚本は竹田出雲・三好松洛・並木千柳3人の合作だそうです。
今回の高師直(吉良上野介)は左団次さん。えげつなくいやらしい悪役を見事に演じていました。
兜改めの場で登場した顔世ちゃん(判官の妻)と2人きりになる状況をつくって
あれこれアタックするんですが顔世はなしのつぶて。
しまいには恋文とか渡して、でも顔世はぽいって捨てちゃうんですけど、師直はめげずに拾って
「あなたの触れたものなら丁重に扱います」とかストーカーじゃねぇか。。
そこへ梅玉さん扮する若狭之助が出てきて助けてくれて、
しかしそれで師直はカチンときて若狭之助をガン無視。
若狭之助が右側から挨拶すると左を向き、左からでは右を向き、正面からでは上を向いちゃう。
ああ、かわいそうな梅玉さん…(´Д`)。
しかしツーンとする左団次さんかわいい…(*´Д`)。
カチンときた若狭之助が刀を抜こうとすると、今度は菊五郎扮する塩谷判官(浅野内匠頭)が
待て待てここは神社ですよと説得してその場を収めました。
菊五郎さん、背を伸ばして高い声、若者っぽさが気持ちいいですなあ~☆
あとね!兜改めの場にいた七之助の足利直義がね!!もう!かわいさ大爆発!!!
将軍ですから豪奢な衣装で、でも真っ白お顔にちょっと口紅つけて艶っぽさ120%、あれはいかん。
お七は声も高いから放っといても色気あるよね。
直義の格好した七之助人形どこかに売ってませんか。うちにお迎えしたい。
鶴岡八幡宮での一件を聞いた若狭之助の家老、偉い人に刀抜こうとしたうちの殿に何かあったら大変と
師直に賄賂をおくるの巻。
ここは笑いの場面ですね(笑)。
師直の部下の伴内は最初、家老が師直を殺しにきたと勘違いして
家来たちに「自分がエヘンと言ったらバッサリ殺れ」と命令して練習までするのですが
タイミングが速すぎたり遅すぎたり、ズッコケたり、見事なまでに息があってない(笑)。
松之助さん、いい芝居してます(´▽`)。
結局は袖の下やらいっぱいもらって、家老が殺されることはないのですが
勘違いだとわかってからの伴内もなかなか自分の非を認めようとしなかったりして楽しい。
場面転換でセットが回転して、キターーーーー!松の廊下!!
金のふすまでお城っぽさが前面に出てます。
ここ、面白いのがですね、大道具さんが目の前で舞台セットしてくれるんです!
畳敷撒きというのが見事で、抱えていた畳の巻物をほいっと投げると
コロコロと舞台を転がってきれいに広がってセッティング完成!
客席中で大喜びでした。
大道具さんの見せ場もあるなんてすごい演目じゃないか。
昔は「大道具!」の大向こうもかかったとイヤホンガイドさんが教えてくれました。わー☆
家老が賄賂を渡したことも知らず、まだぷりぷり怒っている若狭之助ですが
師直が態度を一変させて刀まで放り出して平謝りするので
振り上げた拳の下ろす先がなくなってしまい、ますますイライラして
「バカなやつ!」って怒鳴りつけて出て行ってしまいます。
梅玉さん清々しいまでの怒りっぷり。清らかでした。二枚目って感じ。
そこへ塩谷判官が遅刻してやって来まして、顔世からの返事を師直に渡すのですが
内容は師直をこてんぱんに振る歌でして(そりゃそうだ)。
イラッときた師直たん、今度は判官をいびり始めます。
懲りないなあもう~。
で、空気読めない判官、なんで自分がいびられてるのか全然わからなくて
でも聞いてるうちに田舎者とか、妻が貞女とか、おまえはフナだ、フナが着物着てるとか
がんがん言葉攻めされたうえに「今日の役目は若狭殿にする」とか言われてプッツンして
「師直、待て!」「まだ何ぞ用か」「その用は!」の応酬のすえに
シャッと抜刀しあっという間に斬りかかって師直に一太刀浴びせたところを
師直の家来たちに押さえつけられてしまいました。
うーわー…。
この間、ほんの一瞬。
気を抜いたら見過ごしていたと思います。
まだかまだかとガン見していたのでばっちり見ちゃった…ひいい…。
押さえられて「離せよ!」と言わんばかりの判官のキッとした表情がすごい。菊五郎さん熱演。
対して左団次さんはすっかり情けない顔で退場していきました。これも役者魂。

お弁当タイム♪
今回は割と食欲ありました。ホッ。
…と思ったらこの後切腹シーン見せられてぴぎゃーってなりましたけど。
で、切腹。塩谷家の家紋入りの銀の襖セット。
ここから大星由良之助(大石内蔵助)が登場するまでのシーンが長くて緊張感ありました。
(確か由良之助が来るまで客席の出入りが禁止されてた)
幕府の使いが2人、蟄居中の判官のもとへやって来ますが
おや、片方のお使いはさっきまで師直だった左団次さんですな(笑)。
悪役から義理人情役へと衣装も様変わり。かっこいい。
切腹の命令を粛々と聞いた判官、着物を脱いで白装束の裃姿になります。覚悟の現れ。
さすが菊五郎さんで、かなりやり慣れていらっしゃるのでしょう、
切腹までの作法は流れるようでした。
しかし判官、気がかりがあります。国元の赤穂に飛脚を出したのに、待てど暮らせど来ない由良之助。
「由良之助は」と何度も尋ねる判官も、「未だ」と悲しく首を振る大星力弥(大石主税)も
切なすぎて涙なみだ。
幕府の役人も見てるし、もはやこれ以上待てないと判官が左腹に刀を刺した瞬間、
ようやく由良之助登場!吉右衛門さーん!!(*´Д`)
ああ…これが本当の「遅かりし由良之助」か…。
そして…史実では会えなかった2人を浄瑠璃で会わせてあげたのか…近松いい人…。
大河ドラマとかでもたまに、本当は会えなかった人たちを会わせる演出があるけど
やっぱりこういうのは人情ですね。
報われなかった人にフィクションでやさしくするのは好き。
切腹しきった判官は息も絶え絶えに「この刀を、おまえに、形見に…仇に…」
ん?と客席が思ったタイミングでぱったり倒れます。あー。
ここで、若侍たち(たぶん堀部安兵衛たち)がわっと駆け寄ります。あー…。
浅野内匠頭は切腹前に「風誘ふ花よりもなほ我はまた 春の名残をいかにとやせん」と
辞世を残したといいますが、その場面はなかったですねー。
それをやっちゃうと赤穂事件のことだって幕府にわかっちゃうからね。
(いや、やらなくてもわかっていたと思いますけど、幕府も)
城を枕に討死すると息巻く安兵衛たちを、由良之助がまあまあとなだめて
城の財産を分配して館は明け渡すと言うと
家老の1人が「いくじなし!」みたいなセリフを吐いて去って行ってしまいます。
由良之助をバカにされて怒った安兵衛たちが後を追おうとすると
由良之助はそれも止めて、機会をうかがっていずれ師直を討つことを伝え、
城は明け渡されます。
ここでの吉右衛門さんはとにかく抑えた演技。感情を表に出すことなく淡々と演じていらっしゃいました。
このときはわからなかったけど、これが最後の最後で強烈に作用するんだ…。
終幕。判官の館の表門セット。
城を明け渡した由良之助たちがぞろぞろ出てくると、門の内側から役人たちの哄笑が。
このときも若侍たちは「バカヤロー幕府と戦って討死する覚悟だ首洗って待ってろ」的なセリフ吐いて
花道をぞろぞろ去っていきます。
舞台には由良之助がぽつんと残ってスポットライトが当たりました。
ここからが由良之助の見せ場。
判官の形見の短刀を懐から取り出して、何をするのかと思ったら、刀についた血をなめた!
ちょっと想像してなくてびっくりしました。こんなシーンがあったのか。
血命といって、命をかけて主君を裏切らないしるしですね。
ゆっくりと由良之助が館を後にしますと、幕がゆるゆると閉まってきて花道だけが残りました。
由良之助花道の引っ込みでは立ちポーズの三味線で情感あふれるBGM。
セットがじわじわ遠ざかって遠近感を出す演出も。
ここで、今まで一度も泣かなかった由良之助が拳をかたく握りしめて涙を流します…。
こらえてもこらえても溢れ出す涙。
泣きたくないのに勝手に流れてくる涙。
うああああ由良之助ーーーーーーーー!!!。 。゚(゚´Д`゚)゜。
吉右衛門さんのこういう演技わたし3回くらい観たことありますけども
この方はこらえてこらえて、限界までこらえてから悲しみを爆発させる演技が猛烈にうまいです。
つられて泣きそうになりました。
そんな重い場面から一転、早野勘平とお軽の道行は明るく華やかです☆
梅玉さんの勘平は目元涼やかなイケメンですな。
時蔵さんのお軽はキュートな美人。絶品。
舞踊劇なので全体的に舞と謡が多めですね。
判官の大事にそばにいられなかったと悔いた勘平の切腹をお軽が止めて
説得するのも舞踊。
思い直した勘平の返事も舞踊。
師直の家臣伴内が勘平を追いかけてきますが、舞踊劇のためバトルも舞踊風。
刀が桜の木だったりします。なんて華やかなバトル。
追手を打ちのめして、花道に引っ込もうとする勘平&お軽を伴内が追おうとすると
なんと無情にも幕が閉まってきまして(笑)。
ぐんぐん閉まる幕にしがみついて追いかけようとしますが、結局は引きずられて退場。
観客は大爆笑ですよ(笑)。
勘平とお軽の引っ込み。これから由良之助が隠棲する京都へ向かうのですな~。
討入りへの道は始まったばかりです。
今回はここまで!
この裏で四谷怪談が進行していたと考えると胸熱…。
そういえば由良之助が安兵衛たちを叱責するシーンでぐらっときて、
最初地震じゃなくて吉右衛門さんの大音声で揺れてるのかと思った。
新右衛門役の坂東亀三郎さんは幕後に「全然気づかなかったよ~」とツイートされてました。
集中力って。。
あの日の地震はじっと座ってたせいか地鳴りが聞こえましたな…。
別に超常的なものじゃなくてほんとに聞こえた。ごごごごご、みたいな音。

今回のいでたち。秋に桜柄を着る。
余談ですがわたしの席の隣に座っていたのがこじゃれた江戸小紋を召したおじさまでして
羽織を丁寧にたたんで膝に置いて、時折扇子など出してハタハタとあおいでいらっしゃった。
これだから芝居見物はやめられないぜ。←
あと、わたしが出かける前に慌てていたのがいけないんですけど
おはしょりがWow yeahなことになっていたのを、又隣の席のマダムが気づいて直してくださった。
「ご自分で着たんでしょう。いいわねえ」と言っていただいて、ありがとうございます~!
これだから着物ライフはやめられないぜ。
来月は夜の部を観に行って、浅野さんと四十七士のお墓参りも行きたいなあ。
本日のお絵かき↓
※クリックで大きくなります
浅野内匠頭長矩。
若者っぽく青で統一して、菊五郎さんが劇中で持っていた九寸五分の短刀を持たせてみました。
享年35歳ってことは藤原頼長や土方歳三、芥川龍之介、モーツァルト、hideと同じなんですね。
*ブログ内のイラスト記事一覧はこちらです*
来月に夜の部、つまり討入りを観に行ったら大石内蔵助を描こうと思います☆
クリックで拍手お返事。↓
皆様いつもありがとうございます(^-^)/☆
歌舞伎座では今月・来月と忠臣蔵を序幕から大詰めまでぶっ通しで上演してくれています。
なんという心意気。胸熱。
最初から最後まで通しで観ればストーリーがすんなりわかっていいのかもしれませんが
1日中ずっと歌舞伎座の椅子に座っているのはキツイので
今月に昼の部(松の廊下から勘平の道中まで)、来月に夜の部(勘平切腹から吉良邸討入り)を
観ることにしました。
結果的にはそうしてとても良かったと思います。
昼の部だけでも見せ場と伏線と人情てんこ盛りでお腹いっぱい、くたくたでしたので。。
忠臣蔵のストーリーは説明すると長くなりますのでリンクを貼っておきます→こちら
もう有名ですので皆さんご存知ですよね(笑)。
わたしが観た昼の部は事の発端・松の廊下・内匠頭切腹・赤穂城明渡し・勘平お軽の道中まででした。
他にも、時間がなくて端折られた幕があるそうな。
(年明けにはその一部が単品で上演されるらしいです)
公演そのものはちょっと、ひとことで言い表せないんですけど
そしていつものことですけど、すごかったです!
200年前から上演されてきただけあって完成しちゃってる…名作ですわ…これはみんな観るわ…。
江戸時代の芝居小屋で「客の入りが悪ければ忠臣蔵上演しとけ」って言葉があったのも
もっともだと思う。
赤穂事件の知識とかなくても、劇そのものの妙といいますかね、
何十回、何百回、上演しつくされた演目なのにちっとも古くないんですよ。
もちろん、史実を知る人には「おおあのエピソードだ」「そうか、こうきたか」とか
いろいろ比較できて楽しいと思いますけども。
あと、松の廊下や赤穂城の件などは独立したエピソードとして知ってはいますが
何がどうなって討入りとなるのか、全部つながるとこうなるんだってちゃんと見せてもらって
それも良かったと思う理由のひとつですね。
幕が開く前に、裃をかわいらしく着た口上人形ちゃんが幕をくぐって出てきて
出演する役者さんを紹介してくれたんですが
役者名を言う前にいちいち「エヘンエヘン、エーーッヘン!」ってもったいぶって咳払いします(笑)。
客席大爆笑。
そうでしたそうでした、仮名手本忠臣蔵って初演は上方の人形浄瑠璃だった。その名残なんですね。
菊五郎や吉右衛門など、千両役者の紹介は「なァかむら吉右衛門、なァかむら吉右衛門」と2回コール。
拍手も大きかったです。
「ゆるゆるゆるゆるご見物のほどを」と首をくるくると一回転させる人形らしい演出での引っ込みも。
こんな幕開け初めて見たよ。わくわくした~(^▽^)。
四十七士にちなんで太鼓が47回打ち鳴らされる中、しずしずと幕が開いていきます。
幕のスピードも面白くて、ゆっくりゆっくり、次第に早く、
しかしだんだん見えてくる舞台に釘づけになって、あれ、いつの間に開ききったの…みたいな
不思議な感じの幕開け。
そして舞台上には鶴岡八幡宮のセットが。
おお…大銀杏が…大銀杏が立っておる…黄色い葉をつけておる…!!(泣きそう)
銀杏の下には役者さんがズラーーッと座って、全員うつむいて目を閉じてのご登場。
ちょっと荘厳な眺めです。
浄瑠璃が登場人物の名前を呼ぶと、ひとりひとり目を開けて動きはじめます。
わー!これって、これって、すてき!!
少しずつ何かが始まっていくような演出おもしろいです。
さっきも言いましたがもともと忠臣蔵は人形浄瑠璃だったので、
人形に魂が入る前という意味でこんな登場なのだとイヤホンガイドの人が教えてくれました。
ちなみに赤穂事件を最初に浄瑠璃化したのは近松門左衛門です。
タイトルは『碁盤太平記』。
太平記21段には高師直が塩冶判官の妻に横恋慕して、判官に謀反の兆しとか適当なこと言って
最終的には塩谷一族を皆殺しにしてしまう話があるのですが
これが忠臣蔵のストーリーにあてはめられています。
(よく見つけたよなあ近松…)
討入りからわずか4年後の上演で大当たりしたそうですが、幕府にダメ出しくらったらしい。
江戸時代、赤穂事件は忠臣蔵以外にもたくさん劇化されていますが
(討入りの翌年にはもう曾我物の建前で上演されている)、
幕府をはばかって事実として上演されることはなく、
碁盤太平記や仮名手本忠臣蔵の時代設定は太平記の時代(室町時代)とされていて
あくまで架空の物語として作られています。
吉良上野介→高師直、浅野内匠頭→塩谷判官、大石内蔵助→大星由良之助、
ほか赤穂浪士たちも名前の一部が変えられていたりしますが
赤穂事件であることは江戸の人なら一目瞭然だったわけで
これらはお上に言い訳するための民衆の知恵ですね。
別の時代を舞台に、でも(当時の)現代性をもたせているという。
あと、イヤホンガイドさんが熱く語っていたのが「14」と「47」の数について。
・赤穂浪士は47人
・『仮名手本忠臣蔵』が竹本座で初演されたのは討入りから「47年後」
・6段目の本文に「金」の文字が47個入ってる
・内匠頭の命日は3月14日
・赤穂浪士の討入りは12月14日
・『仮名手本忠臣蔵』は1748年8月14日が初日
まったくもう!!(笑)
ちなみに仮名手本の脚本は竹田出雲・三好松洛・並木千柳3人の合作だそうです。
今回の高師直(吉良上野介)は左団次さん。えげつなくいやらしい悪役を見事に演じていました。
兜改めの場で登場した顔世ちゃん(判官の妻)と2人きりになる状況をつくって
あれこれアタックするんですが顔世はなしのつぶて。
しまいには恋文とか渡して、でも顔世はぽいって捨てちゃうんですけど、師直はめげずに拾って
「あなたの触れたものなら丁重に扱います」とかストーカーじゃねぇか。。
そこへ梅玉さん扮する若狭之助が出てきて助けてくれて、
しかしそれで師直はカチンときて若狭之助をガン無視。
若狭之助が右側から挨拶すると左を向き、左からでは右を向き、正面からでは上を向いちゃう。
ああ、かわいそうな梅玉さん…(´Д`)。
しかしツーンとする左団次さんかわいい…(*´Д`)。
カチンときた若狭之助が刀を抜こうとすると、今度は菊五郎扮する塩谷判官(浅野内匠頭)が
待て待てここは神社ですよと説得してその場を収めました。
菊五郎さん、背を伸ばして高い声、若者っぽさが気持ちいいですなあ~☆
あとね!兜改めの場にいた七之助の足利直義がね!!もう!かわいさ大爆発!!!
将軍ですから豪奢な衣装で、でも真っ白お顔にちょっと口紅つけて艶っぽさ120%、あれはいかん。
お七は声も高いから放っといても色気あるよね。
直義の格好した七之助人形どこかに売ってませんか。うちにお迎えしたい。
鶴岡八幡宮での一件を聞いた若狭之助の家老、偉い人に刀抜こうとしたうちの殿に何かあったら大変と
師直に賄賂をおくるの巻。
ここは笑いの場面ですね(笑)。
師直の部下の伴内は最初、家老が師直を殺しにきたと勘違いして
家来たちに「自分がエヘンと言ったらバッサリ殺れ」と命令して練習までするのですが
タイミングが速すぎたり遅すぎたり、ズッコケたり、見事なまでに息があってない(笑)。
松之助さん、いい芝居してます(´▽`)。
結局は袖の下やらいっぱいもらって、家老が殺されることはないのですが
勘違いだとわかってからの伴内もなかなか自分の非を認めようとしなかったりして楽しい。
場面転換でセットが回転して、キターーーーー!松の廊下!!
金のふすまでお城っぽさが前面に出てます。
ここ、面白いのがですね、大道具さんが目の前で舞台セットしてくれるんです!
畳敷撒きというのが見事で、抱えていた畳の巻物をほいっと投げると
コロコロと舞台を転がってきれいに広がってセッティング完成!
客席中で大喜びでした。
大道具さんの見せ場もあるなんてすごい演目じゃないか。
昔は「大道具!」の大向こうもかかったとイヤホンガイドさんが教えてくれました。わー☆
家老が賄賂を渡したことも知らず、まだぷりぷり怒っている若狭之助ですが
師直が態度を一変させて刀まで放り出して平謝りするので
振り上げた拳の下ろす先がなくなってしまい、ますますイライラして
「バカなやつ!」って怒鳴りつけて出て行ってしまいます。
梅玉さん清々しいまでの怒りっぷり。清らかでした。二枚目って感じ。
そこへ塩谷判官が遅刻してやって来まして、顔世からの返事を師直に渡すのですが
内容は師直をこてんぱんに振る歌でして(そりゃそうだ)。
イラッときた師直たん、今度は判官をいびり始めます。
懲りないなあもう~。
で、空気読めない判官、なんで自分がいびられてるのか全然わからなくて
でも聞いてるうちに田舎者とか、妻が貞女とか、おまえはフナだ、フナが着物着てるとか
がんがん言葉攻めされたうえに「今日の役目は若狭殿にする」とか言われてプッツンして
「師直、待て!」「まだ何ぞ用か」「その用は!」の応酬のすえに
シャッと抜刀しあっという間に斬りかかって師直に一太刀浴びせたところを
師直の家来たちに押さえつけられてしまいました。
うーわー…。
この間、ほんの一瞬。
気を抜いたら見過ごしていたと思います。
まだかまだかとガン見していたのでばっちり見ちゃった…ひいい…。
押さえられて「離せよ!」と言わんばかりの判官のキッとした表情がすごい。菊五郎さん熱演。
対して左団次さんはすっかり情けない顔で退場していきました。これも役者魂。

お弁当タイム♪
今回は割と食欲ありました。ホッ。
…と思ったらこの後切腹シーン見せられてぴぎゃーってなりましたけど。
で、切腹。塩谷家の家紋入りの銀の襖セット。
ここから大星由良之助(大石内蔵助)が登場するまでのシーンが長くて緊張感ありました。
(確か由良之助が来るまで客席の出入りが禁止されてた)
幕府の使いが2人、蟄居中の判官のもとへやって来ますが
おや、片方のお使いはさっきまで師直だった左団次さんですな(笑)。
悪役から義理人情役へと衣装も様変わり。かっこいい。
切腹の命令を粛々と聞いた判官、着物を脱いで白装束の裃姿になります。覚悟の現れ。
さすが菊五郎さんで、かなりやり慣れていらっしゃるのでしょう、
切腹までの作法は流れるようでした。
しかし判官、気がかりがあります。国元の赤穂に飛脚を出したのに、待てど暮らせど来ない由良之助。
「由良之助は」と何度も尋ねる判官も、「未だ」と悲しく首を振る大星力弥(大石主税)も
切なすぎて涙なみだ。
幕府の役人も見てるし、もはやこれ以上待てないと判官が左腹に刀を刺した瞬間、
ようやく由良之助登場!吉右衛門さーん!!(*´Д`)
ああ…これが本当の「遅かりし由良之助」か…。
そして…史実では会えなかった2人を浄瑠璃で会わせてあげたのか…近松いい人…。
大河ドラマとかでもたまに、本当は会えなかった人たちを会わせる演出があるけど
やっぱりこういうのは人情ですね。
報われなかった人にフィクションでやさしくするのは好き。
切腹しきった判官は息も絶え絶えに「この刀を、おまえに、形見に…仇に…」
ん?と客席が思ったタイミングでぱったり倒れます。あー。
ここで、若侍たち(たぶん堀部安兵衛たち)がわっと駆け寄ります。あー…。
浅野内匠頭は切腹前に「風誘ふ花よりもなほ我はまた 春の名残をいかにとやせん」と
辞世を残したといいますが、その場面はなかったですねー。
それをやっちゃうと赤穂事件のことだって幕府にわかっちゃうからね。
(いや、やらなくてもわかっていたと思いますけど、幕府も)
城を枕に討死すると息巻く安兵衛たちを、由良之助がまあまあとなだめて
城の財産を分配して館は明け渡すと言うと
家老の1人が「いくじなし!」みたいなセリフを吐いて去って行ってしまいます。
由良之助をバカにされて怒った安兵衛たちが後を追おうとすると
由良之助はそれも止めて、機会をうかがっていずれ師直を討つことを伝え、
城は明け渡されます。
ここでの吉右衛門さんはとにかく抑えた演技。感情を表に出すことなく淡々と演じていらっしゃいました。
このときはわからなかったけど、これが最後の最後で強烈に作用するんだ…。
終幕。判官の館の表門セット。
城を明け渡した由良之助たちがぞろぞろ出てくると、門の内側から役人たちの哄笑が。
このときも若侍たちは「バカヤロー幕府と戦って討死する覚悟だ首洗って待ってろ」的なセリフ吐いて
花道をぞろぞろ去っていきます。
舞台には由良之助がぽつんと残ってスポットライトが当たりました。
ここからが由良之助の見せ場。
判官の形見の短刀を懐から取り出して、何をするのかと思ったら、刀についた血をなめた!
ちょっと想像してなくてびっくりしました。こんなシーンがあったのか。
血命といって、命をかけて主君を裏切らないしるしですね。
ゆっくりと由良之助が館を後にしますと、幕がゆるゆると閉まってきて花道だけが残りました。
由良之助花道の引っ込みでは立ちポーズの三味線で情感あふれるBGM。
セットがじわじわ遠ざかって遠近感を出す演出も。
ここで、今まで一度も泣かなかった由良之助が拳をかたく握りしめて涙を流します…。
こらえてもこらえても溢れ出す涙。
泣きたくないのに勝手に流れてくる涙。
うああああ由良之助ーーーーーーーー!!!。 。゚(゚´Д`゚)゜。
吉右衛門さんのこういう演技わたし3回くらい観たことありますけども
この方はこらえてこらえて、限界までこらえてから悲しみを爆発させる演技が猛烈にうまいです。
つられて泣きそうになりました。
そんな重い場面から一転、早野勘平とお軽の道行は明るく華やかです☆
梅玉さんの勘平は目元涼やかなイケメンですな。
時蔵さんのお軽はキュートな美人。絶品。
舞踊劇なので全体的に舞と謡が多めですね。
判官の大事にそばにいられなかったと悔いた勘平の切腹をお軽が止めて
説得するのも舞踊。
思い直した勘平の返事も舞踊。
師直の家臣伴内が勘平を追いかけてきますが、舞踊劇のためバトルも舞踊風。
刀が桜の木だったりします。なんて華やかなバトル。
追手を打ちのめして、花道に引っ込もうとする勘平&お軽を伴内が追おうとすると
なんと無情にも幕が閉まってきまして(笑)。
ぐんぐん閉まる幕にしがみついて追いかけようとしますが、結局は引きずられて退場。
観客は大爆笑ですよ(笑)。
勘平とお軽の引っ込み。これから由良之助が隠棲する京都へ向かうのですな~。
討入りへの道は始まったばかりです。
今回はここまで!
この裏で四谷怪談が進行していたと考えると胸熱…。
そういえば由良之助が安兵衛たちを叱責するシーンでぐらっときて、
最初地震じゃなくて吉右衛門さんの大音声で揺れてるのかと思った。
新右衛門役の坂東亀三郎さんは幕後に「全然気づかなかったよ~」とツイートされてました。
集中力って。。
あの日の地震はじっと座ってたせいか地鳴りが聞こえましたな…。
別に超常的なものじゃなくてほんとに聞こえた。ごごごごご、みたいな音。

今回のいでたち。秋に桜柄を着る。
余談ですがわたしの席の隣に座っていたのがこじゃれた江戸小紋を召したおじさまでして
羽織を丁寧にたたんで膝に置いて、時折扇子など出してハタハタとあおいでいらっしゃった。
これだから芝居見物はやめられないぜ。←
あと、わたしが出かける前に慌てていたのがいけないんですけど
おはしょりがWow yeahなことになっていたのを、又隣の席のマダムが気づいて直してくださった。
「ご自分で着たんでしょう。いいわねえ」と言っていただいて、ありがとうございます~!
これだから着物ライフはやめられないぜ。
来月は夜の部を観に行って、浅野さんと四十七士のお墓参りも行きたいなあ。
本日のお絵かき↓

浅野内匠頭長矩。
若者っぽく青で統一して、菊五郎さんが劇中で持っていた九寸五分の短刀を持たせてみました。
享年35歳ってことは藤原頼長や土方歳三、芥川龍之介、モーツァルト、hideと同じなんですね。
*ブログ内のイラスト記事一覧はこちらです*
来月に夜の部、つまり討入りを観に行ったら大石内蔵助を描こうと思います☆
クリックで拍手お返事。↓
皆様いつもありがとうございます(^-^)/☆
むかしむかしの都には。

三連休の初日に大倉集古館へ行ってきました。
建物がもうすごい雰囲気。石積と鉄筋コンクリート。中国風というか東洋建築。かっこいい。
ちなみにまわれ右するとホテルオークラがあります。
開催されているのは「描かれた都-開封・杭州・京都・江戸」展。
日本・中国の絵画の中から都市の景観や風俗などを画いた作品を展示しています。
まずは中国の都の絵。蘇州の風景を描いた清明上河図が3点。
蘇州といえば日本の遣唐使が渡唐して最初に降り立つ場所ですな!←
長江が近かったこともあって歴史的にも栄えてきた都市です。
(ちなみにお隣は上海です)
今回は、明代と清代の蘇州の様子を描いた巻物の展示。
川沿いの人々の生活や商売、橋の上の賑わい、市の活発さ、荘厳な王宮と
都市の階層がほぼ網羅されて細かく描かれています。
人物の表情がみんな違うのすごい!
清代の方が、そんなに年月も経っていないから綺麗でしたね。
去年に東博で宋代の清明上河図を見ましたが、今回出品の3点があれよりずっと画面が明るいのは
描かれた時代のせいなのかもしれません。
次に、日本の都の絵。
狩野永徳の洛外名所遊楽図は嵯峨から嵐山を描いています。
この屏風って確か、何年か前に永徳筆と確認されたばかりじゃなかったっけ。
メリハリのあるタッチとか建物の屋根の青緑とか永徳らしさが随所にみられ、
上杉本の洛中洛外図屏風を縮小したような印象でした。
狩野松栄(永徳のパパ)の釈迦堂春景図は清凉寺を中心に渡月橋や二尊院の桜が描かれてますが
ため息が出るほどきれい。
色遣いがとても明るくて光が差しているように見えました。
息子ははっきりくっきりした色が好きみたいだけど、パパはほんわかふんわかなのですね。
林和靖を描いた作品が3つ。
林さんは俗世を離れ梅と鶴を愛でながら暮らした宋代の詩人で、よく画題になるそうです。
盛懋の林和靖図は真ん中に林、隣に童子、梅の木の根元に鶴がいて
人物がでーんとして正統派って感じ。
隣に狩野探幽の縮図(スケッチ帳)がありました。
探幽がさらさらとした筆遣いで描きためた人物や花鳥風月、風景などに混じって
林和靖のスケッチもあります。
探幽のも人物がメインで、どちらかといえば正統派。
しかしそれが、曽我蕭白の手にかかるとたちまちひどいことに(笑)。
小ぶりの掛軸いっぱいに中国山水の風景が描かれ、さて林和靖はどこと探してみると
左下にものすごくちっちゃく描かれていたりします。マッチ棒みたいに。
一応、梅や鶴も描かれているので林和靖図とかろうじてわかるのですが
虎渓三笑図といい、この絵といい、もう~蕭白ってどうしてこうなの、大好き(笑)。
池大雅の西湖勝覧図、中国へのあこがれが伝わってきますなあ。
大雅の絵は広がりがあって圧迫感がまったくなくて、やさしくて伸び伸びとしていて
無数の点描でさえ楽しんで描いたような気がしてくる。

2階に来てみました。中国チックなテラス。
2階にも展示室があります。
葛飾北斎の蔦屋さんち見るの何度目だろう。何度見ても広告の「山東京伝」にニヤリとする( ̄▽ ̄)。
宮川長亀の桜図と納涼図の屏風、どちらも人々の宴会で賑やかです。
しかし遊女は歌麿大先生を見慣れているせいで、長亀さんのは全然色っぽく見えないね!困った。
歌川広重の肉筆画3幅。
隅田川の月・飛鳥山の花・佃島の雪で雪月花を表現しています。
描きこみが最小限までそぎ落とされていて美しいです。広重は引き算の絵がうまいなー。
両国橋や隅田川を描いた鍬形蕙斎「東都繁昌図巻」と、鶴岡蘆水の「両岸一覧」。
お江戸の絵師は隅田川っていうと必ず花火描きますね(笑)。
隅田川の花火大会は今も有名ですが、お江戸の頃からずっと「隅田川=花火」のイメージなのですね。
(ちなみに隅田川花火大会は徳川吉宗が享保の飢饉の犠牲者を弔うため水神祭を行ったときに
余興として両国の料亭・鍵屋が花火を打ち上げたのが始まり)
山口晃の「東京圖 六本木昼図」と「東京圖 広尾-六本木」。
現代アートの洛中洛外図。
色彩もパーツもごちゃまぜですけど見ていて飽きない。むしろ楽しくなってきます。
ところどころにキンキラキンの雲がかかってるんですけど、その下には何があるんだろうとか思う。
雲よどけ。わたしは下が見たい。
山口氏は出品にあたりコメントを寄せてくださったらしく、
「ある一時期のものを描くとき、それが普遍性をもっているように描くのが大事。
その普遍性が描かれた時点で現代性を表しているのも大切」
「締切ではなく納期、というと緊張感が違う」「昔の絵師が屏風に雲を描いた理由がわかったかも」的な
言葉がキャプションにあって
あーそれすごいわかる!!ってガラスの前でうんうんうなずいてた。
細かい絵って描いてて楽しいけど、雲を描かないと画面が埋まらないときがあるんだよね。
(山口氏といえば先日のほぼ日のインタビューがとても良かったです。→こちら
あのお顔から「びかびかーっ!」って言葉がとび出すと思うと、たまらない)
久隅守景の賀茂競馬図。現代も行われている上賀茂神社の競馬を描いた屏風です。
広々とした境内を疾走する馬と、馬を乗りこなしながら的を射る騎手。かっこいい!
神社の周りには茶摘みの様子も描かれていてのどかな風景。
静と動が同時に存在するのが狩野派の真骨頂ですね。(守景は狩野探幽の弟子)
伊藤若冲の乗興舟も何度も見たけど、版画の漆黒が好き。惚れ惚れします。
現代の職人にこの黒を出せる人がいるのかどうか。そもそも過去の職人もどうやって出したのか。
肉筆も版画も、若冲の絵は再現できるレベルじゃないような気がします。
美術充したので大倉集古館を後にして、神谷町方面に坂を下りますと。

榮閑院があります。
江戸時代の蘭方医・杉田玄白のお墓があるので会いに来ました☆
今年は玄白の生誕280年にあたります。

境内の猿塚。
昔、この辺りで猿回しが芸を披露したことから榮閑院には猿寺の異名があるそうです。
本堂の前には阿吽のお猿さん像がいます。狛犬代わり?(笑)

玄白のお墓はこちら。
後ろの卒塔婆にも「玄白居士」って書いてあるよ!間違いないね!フオオォォウ
横には正四位の文字が刻まれています。1907年に贈られたもの。没後90年記念ですかね。
そして自然と考えてしまうのは平賀源内さんとの関係なわけで。
2人の親友ぶりは玄白の著書とか、玄白が源内の墓標に贈った送辞から伺えます。
源内が獄死したのは52歳ですが、玄白は84歳まで生きていますので
お空の上で再会したときには親子くらいの年の差になってるのですね。
友達と久々に再会したら32歳差ってなんだ、浦島太郎じゃあるまいし。
(しかも生前は玄白の方が年下だったし)
どうせ源内はシュンとしてるだろうから玄白はなぐさめてるに違いないね。
源内はあの性根だから「なんだよーおまえおれより年取りやがってこのやろう」とか突っ張るけど
玄白はそれすら懐かしくて「そんなこと言うなよ」ってカラカラ笑うんだろうね。
で、一足先にお空に来ていた前野良沢とか中川淳庵とか小田野直武とも再会して
蘭学や解体新書のこととかいっぱい語り合うんだろう。
で、さらに源内がすねる。かわいい。
で、しょうがないからみんなで酒盛りして盛り上がってつぶれる。かわいい。
とか、とか、どうでもいい徒然妄想を脳内で繰り広げていたらしゃがんでいた足がしびれました。
で、神谷町から地下鉄に乗って。

神保町ブックフェスティバルにやって来ました!
神保町交差点を中心に、今年も歩道にずらっと青空ワゴン棚が並んでいましたよ。
人出は多いけどこの熱気が楽しくて毎年来ています。
みんな本を求めてやってくるんですねえ。いいねいいね☆

解体中の小学館ビル。
よく見ると、8月の落書きがところどころに残っていました。名残惜しいなあ。バイバイ。
しばらく物色していたのですが、あいにく途中から雨がぱらついてだんだん本降りになってしまって
すずらん通りの青空ワゴン棚も次々に「雨のため中止します」と引き上げていってしまったので
カフェを探して休憩することに。

東京堂書店さんのカフェに初めて入りました!
東京堂カレー。
青空古本市は残念でしたけど、古書店は開いていてセールなど続けてくださったので
ぼちぼち収穫がありました♪
前は抱えきれないくらい買い込んで宅急便で送ったりしていましたが、
今は考えつつ厳選して買うようになりました。少しは大人になれたか( ˘ω˘ )。
テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。 ジャンル : 学問・文化・芸術
この辺りに若紫や。
今日は古典の日だったので、Twitterで色んな人たちが色んな古典を語っていて
TLに次々流れてくる書名や作品名を見てわくわくしていたゆさです、こんばんは。
皆さんそれぞれ思い入れがあっていいですなあ。古典ばんざい。
古典の日とは。
『紫式部日記』1008年11月1日の記述に、貴族たちの宴会に参加した紫式部が
酔っぱらった藤原公任の「この辺りに若紫はいらっしゃいませんか」というつぶやきを聞いて
「光源氏のような人もいらっしゃらないのに、あのお方がいるものですか」と思った…と
書き記しているのですが、
これが、源氏物語の日本史上における最初の記録だったりします。
で、それから1000年後の2008年に源氏物語千年紀委員会が
日本の古典文学を顕彰する日として11月1日を「古典の日」と宣言し、
祝日にはなっていませんが、記念日として2012年に法律で定められ今に至ります。
このブログにも応援リンクを貼っていますが、詳細はこちら→「古典の日宣言」
人生で一番初めに触れた古典てなんだろうと思い返すと、やっぱり竹取物語だと思います。
子どもの頃読んでいたのは「かぐや姫」のタイトルですけども。
(5人の貴公子たちの魅力がまったくわからなくてズルはダメでしょうと思ったりとか
かぐや姫が翁たちと別れて月に帰ってしまうのがものすごく悲しくて泣いたこともありました)
中学校の古典の授業で最初に勉強したのも、確か竹取物語でした。
「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。野山にまじりて竹を取りつつ
よろづのことに使ひけり。名をば、さぬきの造となむいひける…」
まだ暗唱できますねえ(´ー`)。
翁の「さぬきの造」の名前がかっこいいとクラスで妙に人気だったのを覚えてます。
成立時期は平安初期で日本最古の物語文学と言われていて、
紫式部が源氏物語の中で「物語の出で来はじめの祖」と源氏に言わせています。
確かに今読んでみると起承転結のはっきりしたテンプレのような物語だと思う。
竹取物語と古今和歌集の完成時期は被っているという説があるらしくって
竹取の作者の候補の1人に紀貫之の名前が挙がってるそうですが
個人的には、貫之の人物や歌や土佐日記と竹取物語を見比べると
ちょっと違うような気はしているんですけども。
古今和歌集は先日までブログ連載していたお話を描いているうえで何度も読みましたが
なんだかなあ、月並みな表現ですが宝石を並べて埋め込んだような歌集だと思います。
読み手の個性がここまで強烈に出ている歌集もないような。
ちなみに万葉集は玉(ぎょく)、新古今和歌集は植物が並べて埋め込まれてるイメージ。
日本霊異記、今昔物語集、平家物語、十訓抄、御伽草子はどこから読んでも面白い。
霊異記は著者が僧侶で、勧善懲悪な短編集って感じです。
奇跡や怪異についての話がほとんどで、鬼や幽霊、極楽や地獄とか出てきますが
大丈夫、ちゃんと一般人の話もあるよ!(でもだいたい役人か盗人です^ ^;)
今昔でよく読むのは「本朝付霊鬼」の巻。
これにも鬼に悪人に幽霊、妖怪、オバケ、精霊、神様など変なものがいっぱいいるんです!!
それらがみんな自然に当たり前に存在する話が多くて
まあ人間とうまくいったりいかなかったりするんですけど、
どの話もちょっと教訓が入っててワサビが効いたような読後感があって癖になる。
平家物語はなんでこのカテゴリかっていうと、まあ鵺とか牛頭馬頭とか出てくるし、
ぶっちゃけると白河院がもののけだし、清盛はその子どもって説があるし
後白河院は大天狗だし崇徳院は怨霊だし、ほらみて!妖怪カテゴリ!!(笑)
御伽草子は、紫式部の言い方を借りるなら「現代の昔話絵本の祖」。
一寸法師、ものぐさ太郎、鉢かづき姫、酒呑童子、浦島太郎などが
現代の絵本とはすこし違う形で記されています。
どこがどういう風に違うのか読み比べると楽しいかもしれません。わたしは楽しかった(*´∀`*)。
(ちなみに瘤取じいさんの話が収められているのは宇治拾遺物語だ)
語り物だと江談抄が好きで、やっぱり幽霊やオバケがたまに出てくるんですが
あれはオバケよりも人間たちのキャラが濃くて楽しいです。
平安時代人って生への執着が尋常じゃない、こいつらちょっとやそっとじゃ死なないなって思う(笑)。
大鏡の平安ぶっとび狂騒曲ぶりもなかなかですけど、
語り部が200歳近く生きてる設定っていう時点で
日本ってこの頃から攻めてるなあと思ったりもします。
わたしはこの本で花山天皇の出家にまつわるエピソードを知って背筋が凍りついた。
大和物語や堤中納言物語もいいなあ。
大和は平安初期の歌物語で、短編ごとに歌が1首くっついています。
(伊勢物語もこの形式ですね)
主に宇多天皇の周辺にいる人たちの日常や悲哀を描く、じわりとくる一品。
堤中納言は虫めづる姫君(風の谷のナウシカのモデルになった話)の近辺しか読んでないですが
あれだけ読んでも楽しいです。姫君が生き生きしていますよ~。
物語も好きですが随筆や日記文学も好き~。
枕草子、紫式部日記、更級日記、方丈記、徒然草、奥の細道、大好きです。
個人的に読んでて一番楽しいのは枕草子かな!
いつも、うんうん、わかるわかるってうなずきながら読みます。
好きなもの、きれいなもの、苦手なものについてなんでそう思うかとか、
オフィスあるあるというか、働く人にとってすごく普遍的なこととか書いてある。
そして半分以上が中宮定子への敬愛で埋め尽くされている。Everyday定子様。定子様は世界の天使。
紫式部日記は人間関係に多く筆が割かれて
悩み多き人だった式部の人柄をしのばせます。
いくら漢字を書くことがためらわれる職場環境だったからって、
「一」も書けないふりをするとか涙ぐましいよあなた…!!
更級の作者の、源氏物語へのフィーバーっぷりに脱帽ですが
これ回想してるときの作者は晩年なので
「あのときの自分ちょっとイタイ」とか書いてるあたり本人にとっては黒歴史なのかもなあ、とも思う。
方丈記と徒然草は大学で学んで好きになったのですが、
鴨長明と卜部兼好の人間性が正反対なのでどっちも読んでて楽しい。
あとね、2人とも世を捨てているようで全然捨てきれなくて気になってしょーがないっぽいのが
文章の端々からうかがえて微笑ましいです。
おまえら絶対俗世のこと好きだろって(笑)。
奥の細道はまだ半分くらいしか読んでませんが
行く先々で「芭蕉さまいらっしゃいませ☆」ってもてなされる芭蕉がすごい。
どんだけ名前知られてるんだよ…。
あと、これ読んで白河の関がいかに難攻不落かというのが身にしみてわかったので
幕末史を勉強しているとき白河の戦いのところで情景がありありと想像できてウボアーってなった。
世阿弥の風姿花伝は最初読んだときさっぱりわからなかったですが
馬場あき子さんの解説つき本を読んだらするする頭に入ってきて
今では心の書のひとつになりました。
それでも世阿弥の言葉はすごく遠くにある感じで未だに掴みきれずにいます。
有名な「秘すれば花なり」のくだりとか、まだ完全には理解できてないだろうな自分…。
なんでもないときにふと予想外の感動が押し寄せてくるのはわたしも経験がありますが
そういう絵を描きたいってずっと思っていたりします。
思ってるだけ。思うだけならタダ。←
それ以前にわたしはデッサンをやれ。ぐぬぬ。
よく写真家さんが「いい1枚は明日撮れるんです」とかおっしゃるけど
絵もおなじで常に描きたい絵や憧れの絵はあってもゴールはないっていうのが
描き続けることなのかもしれませんね。
ゆるくいこう。
本日のお絵かき↓
※クリックで大きくなります
運慶&快慶。
紫式部が源氏物語について日記に書いてから約200年後に
この2人をリーダーとする仏師集団が東大寺の金剛力士像を制作した記録が
『東大寺別当次第』に書かれます。
身長8メートルもある阿吽像ですが、わずか2ヶ月ほどで作り上げたとされているそうな。
熱い現場だったんだろうなあ。
金剛力士像の落慶供養が10月3日(新暦11月8日)なので本当は10月に描くはずでしたが
うっかりしてしまったのでせめて新暦に間に合うようにと思って描いた次第です。
*ブログ内のイラスト記事一覧はこちらです*
TLに次々流れてくる書名や作品名を見てわくわくしていたゆさです、こんばんは。
皆さんそれぞれ思い入れがあっていいですなあ。古典ばんざい。
古典の日とは。
『紫式部日記』1008年11月1日の記述に、貴族たちの宴会に参加した紫式部が
酔っぱらった藤原公任の「この辺りに若紫はいらっしゃいませんか」というつぶやきを聞いて
「光源氏のような人もいらっしゃらないのに、あのお方がいるものですか」と思った…と
書き記しているのですが、
これが、源氏物語の日本史上における最初の記録だったりします。
で、それから1000年後の2008年に源氏物語千年紀委員会が
日本の古典文学を顕彰する日として11月1日を「古典の日」と宣言し、
祝日にはなっていませんが、記念日として2012年に法律で定められ今に至ります。
このブログにも応援リンクを貼っていますが、詳細はこちら→「古典の日宣言」
人生で一番初めに触れた古典てなんだろうと思い返すと、やっぱり竹取物語だと思います。
子どもの頃読んでいたのは「かぐや姫」のタイトルですけども。
(5人の貴公子たちの魅力がまったくわからなくてズルはダメでしょうと思ったりとか
かぐや姫が翁たちと別れて月に帰ってしまうのがものすごく悲しくて泣いたこともありました)
中学校の古典の授業で最初に勉強したのも、確か竹取物語でした。
「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。野山にまじりて竹を取りつつ
よろづのことに使ひけり。名をば、さぬきの造となむいひける…」
まだ暗唱できますねえ(´ー`)。
翁の「さぬきの造」の名前がかっこいいとクラスで妙に人気だったのを覚えてます。
成立時期は平安初期で日本最古の物語文学と言われていて、
紫式部が源氏物語の中で「物語の出で来はじめの祖」と源氏に言わせています。
確かに今読んでみると起承転結のはっきりしたテンプレのような物語だと思う。
竹取物語と古今和歌集の完成時期は被っているという説があるらしくって
竹取の作者の候補の1人に紀貫之の名前が挙がってるそうですが
個人的には、貫之の人物や歌や土佐日記と竹取物語を見比べると
ちょっと違うような気はしているんですけども。
古今和歌集は先日までブログ連載していたお話を描いているうえで何度も読みましたが
なんだかなあ、月並みな表現ですが宝石を並べて埋め込んだような歌集だと思います。
読み手の個性がここまで強烈に出ている歌集もないような。
ちなみに万葉集は玉(ぎょく)、新古今和歌集は植物が並べて埋め込まれてるイメージ。
日本霊異記、今昔物語集、平家物語、十訓抄、御伽草子はどこから読んでも面白い。
霊異記は著者が僧侶で、勧善懲悪な短編集って感じです。
奇跡や怪異についての話がほとんどで、鬼や幽霊、極楽や地獄とか出てきますが
大丈夫、ちゃんと一般人の話もあるよ!(でもだいたい役人か盗人です^ ^;)
今昔でよく読むのは「本朝付霊鬼」の巻。
これにも鬼に悪人に幽霊、妖怪、オバケ、精霊、神様など変なものがいっぱいいるんです!!
それらがみんな自然に当たり前に存在する話が多くて
まあ人間とうまくいったりいかなかったりするんですけど、
どの話もちょっと教訓が入っててワサビが効いたような読後感があって癖になる。
平家物語はなんでこのカテゴリかっていうと、まあ鵺とか牛頭馬頭とか出てくるし、
ぶっちゃけると白河院がもののけだし、清盛はその子どもって説があるし
後白河院は大天狗だし崇徳院は怨霊だし、ほらみて!妖怪カテゴリ!!(笑)
御伽草子は、紫式部の言い方を借りるなら「現代の昔話絵本の祖」。
一寸法師、ものぐさ太郎、鉢かづき姫、酒呑童子、浦島太郎などが
現代の絵本とはすこし違う形で記されています。
どこがどういう風に違うのか読み比べると楽しいかもしれません。わたしは楽しかった(*´∀`*)。
(ちなみに瘤取じいさんの話が収められているのは宇治拾遺物語だ)
語り物だと江談抄が好きで、やっぱり幽霊やオバケがたまに出てくるんですが
あれはオバケよりも人間たちのキャラが濃くて楽しいです。
平安時代人って生への執着が尋常じゃない、こいつらちょっとやそっとじゃ死なないなって思う(笑)。
大鏡の平安ぶっとび狂騒曲ぶりもなかなかですけど、
語り部が200歳近く生きてる設定っていう時点で
日本ってこの頃から攻めてるなあと思ったりもします。
わたしはこの本で花山天皇の出家にまつわるエピソードを知って背筋が凍りついた。
大和物語や堤中納言物語もいいなあ。
大和は平安初期の歌物語で、短編ごとに歌が1首くっついています。
(伊勢物語もこの形式ですね)
主に宇多天皇の周辺にいる人たちの日常や悲哀を描く、じわりとくる一品。
堤中納言は虫めづる姫君(風の谷のナウシカのモデルになった話)の近辺しか読んでないですが
あれだけ読んでも楽しいです。姫君が生き生きしていますよ~。
物語も好きですが随筆や日記文学も好き~。
枕草子、紫式部日記、更級日記、方丈記、徒然草、奥の細道、大好きです。
個人的に読んでて一番楽しいのは枕草子かな!
いつも、うんうん、わかるわかるってうなずきながら読みます。
好きなもの、きれいなもの、苦手なものについてなんでそう思うかとか、
オフィスあるあるというか、働く人にとってすごく普遍的なこととか書いてある。
そして半分以上が中宮定子への敬愛で埋め尽くされている。Everyday定子様。定子様は世界の天使。
紫式部日記は人間関係に多く筆が割かれて
悩み多き人だった式部の人柄をしのばせます。
いくら漢字を書くことがためらわれる職場環境だったからって、
「一」も書けないふりをするとか涙ぐましいよあなた…!!
更級の作者の、源氏物語へのフィーバーっぷりに脱帽ですが
これ回想してるときの作者は晩年なので
「あのときの自分ちょっとイタイ」とか書いてるあたり本人にとっては黒歴史なのかもなあ、とも思う。
方丈記と徒然草は大学で学んで好きになったのですが、
鴨長明と卜部兼好の人間性が正反対なのでどっちも読んでて楽しい。
あとね、2人とも世を捨てているようで全然捨てきれなくて気になってしょーがないっぽいのが
文章の端々からうかがえて微笑ましいです。
おまえら絶対俗世のこと好きだろって(笑)。
奥の細道はまだ半分くらいしか読んでませんが
行く先々で「芭蕉さまいらっしゃいませ☆」ってもてなされる芭蕉がすごい。
どんだけ名前知られてるんだよ…。
あと、これ読んで白河の関がいかに難攻不落かというのが身にしみてわかったので
幕末史を勉強しているとき白河の戦いのところで情景がありありと想像できてウボアーってなった。
世阿弥の風姿花伝は最初読んだときさっぱりわからなかったですが
馬場あき子さんの解説つき本を読んだらするする頭に入ってきて
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それでも世阿弥の言葉はすごく遠くにある感じで未だに掴みきれずにいます。
有名な「秘すれば花なり」のくだりとか、まだ完全には理解できてないだろうな自分…。
なんでもないときにふと予想外の感動が押し寄せてくるのはわたしも経験がありますが
そういう絵を描きたいってずっと思っていたりします。
思ってるだけ。思うだけならタダ。←
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