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ゆさな日々

猫・本・歴史・アートなど、好きなものやその日考えたことをそこはかとなく書きつくります。つれづれに絵や写真もあり。


Think different。

  1. 2014/08/24(日) 23:48:10_
  2. 文化・美術
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boston2.jpg
世田谷美術館の「ボストン美術館 華麗なるジャポニスム展」に行ってきました☆
タイトル通り、19~20世紀にかけて西洋で流行したジャポニスムの紹介ということで
ボストン美術館所蔵の西洋の画家たちの作品(主に印象派)と、日本の浮世絵や工芸作品が
仲良く並んでたくさん展示されていましたよ。
写真は会場の特設ショップで衝動買いしたリラックマちゃんです♪
見てくださいよラ・ジャポネーズの衣装を着て扇子を持って意味ありげにこちらを向いて
ラ・ジャポネーズのポーズしてるのですよ!買うしかなかった。

江戸時代にも長崎を通じて日本の工芸品や美術品は海外にぽつぽつ輸出されていたわけですが
江戸時代が終わって近代日本から美術品やカルチャーがドバっと輸出されるようになると
それを手にした西洋の芸術家たちがこぞって自分たちの作品に取り入れる
ジャポネズリーというのが流行ったそうで、
まずはどの芸術の始まりもそうであるように模倣の作品が多かったようです。
葛飾北斎「冨嶽三十六景 武州千住」や七代目平田就亮の「虫図七宝鍔」(蝶々と玉虫!)の後に
ブシュロン社のインクスタンドを見るとフワー!って感動します。
東洋の植物をあしらった台の上に箱根細工を思わせる模様のインク壺が重ねられて
真ん中に立つペン立てには遊女が、インク壺の側面には武州千住の男たちが描かれ
インク壺の一番上の蓋には昆虫、吸い取り紙入れの蓋には狛犬のフィギュア(違)がくっついてて
ペーパーを入れる引き出しを開けると釣りをする江戸人が彫られていて
しかも台座の四隅を4匹の亀が支えている!
インドのアクパーラとか、中国の鼇のイメージを想起させるようなデザインではないか~。
東洋の美術これでもかとてんこ盛りにしてドヤ顔のポール・ルグラン。最強。
他にもウエッジウッド社のクイーンズウェアプレート2枚のまん真ん中には
歌川国貞の役者絵がプリントされてるし、
ティファニー工房のレターラックやペンや写真立てのフレームには
京都の着物工房の型紙模様が金属であしらわれていたりして
当時の西洋の人たちよっぽど気に入っちゃったんだろうな~。
わたしも浮世絵や型紙初めて見たとき「かかかっこいいー!うおー!」ってなって模写してたから
気持ちすごいわかります(´∀`)。

で、模倣の後はそれぞれの画風やデザインとして昇華していくわけで
ここからジャポニスムが始まっていくわけですね。
メアリー・カサット「湯あみ」と喜多川歌麿「母子図たらい遊」が並んでて
どちらも子どもを抱いた母親がたらいの前でしゃがんでいるというモチーフだったり
ヘレン・ハイド「赤子を背負う母と男児」と磯田湖龍斎「雪中美人」が並んでて
どちらも子どもを背負う母親を描いた柱絵だったり
(ヘレン・ハイドは狩野友信に師事して日本画を学んだ人でもある)、
似てる!って思える絵同士を見比べることができておもしろいです(´∀`)。
大衆の日常風景を描いた作品はフェルメールの頃からありますけども
フランスではやっぱり革命以後、印象派の時代にぐっとフラットに描く人たちが増えたように思う。
ベルト・モリゾの「揺りかご」とか、母子を描くにも聖母子じゃなく市井の母子を描くっていうね。
(それにしても歌麿の「瀧川」の紫色がくっきり残っていて感動しました。
ボストン美術館の保存技術すばらしすぎてほんとありがとうだな…)

歌麿の「潮干のつと」とアンソールの「貝殻のある静物」は
歌麿が雲母摺で貝をキラキラさせているのに対して
アンソールは絵の具でしっかり輝きを表現していました。さりげなく置かれた扇子がニクイ。
広重の「神田明神曙之景」とムンク「夏の夜の夢」に関しては
広重が画面の真ん中に木を持ってきてるのをムンクが…というキャプションの説明がありまして、
先日、岩合さんのネコ歩きで猫のいるノルウェーの森を見ましたが
普通にムンクの描く森っぽい感じだったのを思い出して
二倍おもしろく思えました!(ムンクはノルウェー出身)
広重の「愛宕下藪小路」とピサロの「雪に映える朝日」は雪景色で
どちらも人物を小さく、風景を大きく描いている点がそっくりでしたね。
(ピサロは「広重はすばらしい印象主義者」という言葉を残したことでも有名です)
広重の「百猫画譜」とマネの「猫の逢引」、国貞の「虎」とランソンの「密林の虎」が
ニャンニャンと並んでるのは誰得かと!わたし得かと!!ああぁもえしぬ。
国貞とランソンの虎は左右対称みたいにそっくりでした。くねくねポーズ☆
歌川国貞と広重の合作「当盛十花撰 夏菊」とゴッホ「ルーラン夫人」は
こうして並べると完全にゴッホが影響受けてるのわかりますね…。
ゴッホの浮世絵好きは「タンギー爺さん」みたいに背景にズラーーッと浮世絵を描いちゃうことでも
有名ですけど(自分の持ち物の浮世絵を描きまくったらしい)、
ほんと彼は好きになったらとことん一途なんだなあと思った。ゴッホさんいとしい。

モネが妻のカミーユをモデルに描き、このほど1年をかけて修復された「ラ・ジャポネーズ」は
想像以上に大きな絵で、額装すると3メートルにもなるそうです。
散らばる団扇、目尻に紅をさしたカミーユ、見返り美人図のようなポーズ、トリコロールカラーの扇、
綿入れのような着物、赤地に紅葉の刺繍と武者のアップリケ。
どこまでも細かく細かく描きこまれて立体感がパない、かっこいい。極上。
着物のモチーフは能の「紅葉狩」からきているとする説があるそうな。
月岡芳年が絵を描いた『新形三十六怪撰』に「平惟茂戸隠山に悪鬼を退治す図」というのがありますが
題材といい武者が刀を抜こうとしているポーズといい、そっくりということらしい。
(余談ですが芳年の浮世絵を紹介したパネルの前でお子さんを連れた親御さんが
「この女の人は鬼が変身したんだよ、プリキュアの変身とおんなじだよ」って説明してて
同じく近くにいたカップルが「すごい」って呟くのを聞いてしまってわたしの脳が100%覚醒した)
この絵より10年前の1866年に描かれた「緑衣の女性」と対にしたとモネ本人が書き残していますが
当時の画家の例に漏れず影を黒々と塗りたくった「緑衣の女性」からの「ラ・ジャポネーズ」の
この、この、明るさ!!
どこが対やねんとツッコミを入れたくなるほどの差がたまらんですね。
第1回印象派展が1874年でラ・ジャポネーズの発表は第2回印象派展の1876年だから
緑衣~からジャポネーズに至る10年間でモネは明るい画風へと舵を思いきり切ったわけで
こりゃ色んな意味で当時のフランス人にとって衝撃だったんだなと…。
印象派と呼ばれる人たちの画風がいかに明るいかは
緑衣~とジャポネーズを見比べると一目瞭然ですね。

モネは晩年に積みわらや睡蓮のような絵を描いているので、
ラ・ジャポネーズみたいに細かく描きこむような絵は珍しいのですが
いわさきちひろがそうだったように、ああいう絵を描ける人は基礎がしっかりしているというか
対象を立体的に描ける画力を持っているんだな…。
十八代目勘三郎さんの「なにごとも基本が大事。型があるから型破りなの。なかったら形無し」という
お言葉を思い出した。

他にもモネの絵が来ていて、広重の「四日市三重川」とモネ「トルーヴィルの海岸」が、
同じく広重「鞠子 名物茶屋」とモネ「積みわら」が並んでいました。
三重川の木とトルーヴィルの木、茶屋の画面配置と積みわらの画面配置がそっくりで
広重からモチーフや構図のヒントだけいただいて後は自分の絵として取り入れて描いた感じ。
(構図をいただくのは浮世絵の絵師たちもやってますね。ついでに人物もまるっと写したりね・笑)
そして、睡蓮の絵が2点。
「睡蓮の池」はモネの庭の池に太鼓橋がかかっているのはわかるのですが
周りの植物から池の照り返しから、すべて色が反射してきているというか
なんだろう、物に色がついてるのではなく物の色が光っていてそれを目にしているというのか…
しかも黒がひとつもないというところに感動すら覚える。
「睡蓮」は点々と睡蓮の花が浮かんだ池に穏やかさや静謐さが感じられて美しいです。
マンガならしいん、とオノマトペを入れる絵だなあと思う。
(余談ですがマンガに初めて「しーん」というオノマトペを描いたのは手塚治虫氏だそうだ)

あと、四台元素を北斎の波っぽいデザインで表現したディートリッヒ社のポストカードとか
北斎の波みたいにグルンとしたフェルデールの「波」とか
広重の「水道橋駿河台」を意識したっぽいデュムーランの「京都の鯉のぼり」とか
応挙の「浜飛雁図」とそっくりのベンソン「早朝」とか
和紙に現像されたヘルツォークの写真「アンジェラ」とか
(和紙に作品を印刷するのはレンブラントの頃から西洋でも行われているよね)、
あちらこちらにジャポニスムを感じる作品があって
あー北斎や国芳や江漢が西洋の絵画や版画に影響を受けたのと同じで
西洋の画家たちも北斎や広重にめちゃくちゃ影響受けたんだなって、
美しいものや面白いものを見て自分で表現してみたいと思うのは
どの時代のどこに住む人たちも同じなんだなって、とてもしあわせな気持ちになりました。
面白さに国境なし。

boston1.jpg
セタビカフェでいただいたランチプレート。
実は山田章博展で景麒のケーキを食べた後ここへ来まして
あまりお腹がすいてなかったので少なめに。
ふかふかのパンとワインゼリーがおいしかった~ご馳走様でした(´▽`)。


sotatsu5.jpg※クリックで大きくなります
「風神雷神図屏風Rinne」宗達・光悦編その5。4はこちら
五条河原にかぶき踊りを見に来た宗達と光悦+生きものたち。
軽やかなお囃子が楽しくなってしまったのか、風雷がふわふわと2人の頭上を舞います。
光悦「おや」
宗達「おお」

出雲大社の巫女といわれるお国の一座が河原でかぶき踊りを踊ったのは
1603年8月のことでした。
演目は茶屋へ遊びに出向いた男が女と戯れるというもので
主役の傾き者をお国が、お供の奴を猿若が、
傾き者が遊びに行く茶屋の女は女装した狂言師が演じました。
また、北野天満宮でも興行を行い(当時の天満宮の周辺は歓楽街でした)、
徳川家康が将軍宣下を受けた際は伏見城に招かれて芸を披露しています。
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猫に熱烈な愛をそそぐ本の蟲
歴史やアートも溺愛中
最近は新幹線とシンカリオンも熱い
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