2015-06-30 (Tue)
サントリー美術館で開催中の「着想のマエストロ 乾山見参!」を見てきました。
半年前の仁清・乾山展以来の乾山の作品をまとめて見られる機会だったのでwktk、
本阿弥光悦のお蔭で今年は琳派の人たちに関係したイベントや展覧会が全国に目白押しで
大変わたし得な年になっています。光悦ありがとう~。

先日の日曜美術館で取り上げられていましたから混んでるかなと思ったのですが、
お昼時だったせいか有難いことにゆったり鑑賞できてとてもよかったです。
入口で迎えてくれた銹絵山水図四方鉢は山水図に漢詩を入れた四角いお皿で
まるで掛軸や色紙の絵をそっくり貼りつけて焼いたとでもいうような仕上がりで
最初から感動してしまいました。。
藤原定家の和歌集から12首の歌を抜粋して絵をつけた定家十二ヶ月和歌花鳥図角皿が
MOA美術館所蔵のと出光美術館所蔵のと2セット、つまり2ダース全部展示してあって
出光美術館のは半年ぶりの再会でうれしかった~。
わたしの誕生月である12月はおしどりと早梅が描かれています。かわいい(・v・)。
桔梗文盃台はこれどうやって焼いたんだろうか…というか盃を置いても花を活けても
もちろんそのまま飾ってもすごくおもしろい作品だと思う。
能絵皿(10枚)は道成寺や高砂など、能の演目をひとつひとつお皿に描いていまして
制作は18世紀とのことですが、能好きだった兄の光琳はこのお皿を見られたかな…見てたらいいな。
そんな光琳との合作ももちろんあって、
観鷗図角皿って、わたし知らなかったのですけど光琳・乾山合作の基準作といわれるお皿だったのね。
牡丹図角皿の大輪の牡丹の花がすごい自信満々で
光琳のドヤ顔と「兄ちゃんおれが詩を書くスペースが…」って乾山の声が聞こえてくる感じ(笑)。
山水文四方火入も光琳が絵付していますが、まるで雪舟みたいな水墨画タッチで
「青々光琳」と署名がなければ光琳の絵とわからないような気も。
(青々光琳とは光琳が江戸から帰京した1709年以降の署名です)
あとね、びっくりしたのが渡辺始興との合作かもしれないっていう蘭図角皿があったこと!
お皿の裏に「ぼくが疲れて仕事できない時に渡辺素信が絵を描きました」と乾山が書いていて
その素信が始興ではないかという説があるそうです。
「記録が残っていないため立証はできない」とキャプションにあるにも関わらず、
疲れきって縁側でコテンと眠ってしまった乾山の隣で静かに絵を描く始興が頭に浮かんでしまって
さすがわたしの脳はいつでもノンストップだと思った。
てか、始興の氷室節供図(加賀藩が氷を江戸へ献上する道中の図)がお皿の隣にあるんだもん、
妄想するなっていう方が難しいよ!(人のせいにした)

銹絵獅子香炉は半年前も見たのですが、
今回は個人の方が所蔵してらっしゃるのとあわせて2つの香炉が並んでいました!
むり~~かわいすぎる(^◇^)☆(じたばた)
梅波文蓋物、白彩梅花散文蓋物はおもての蓋には光琳の梅があしらってあって
蓋を開けるとそれぞれ波しぶき、梅の模様が描いてあります。
白彩梅花散文蓋物の方は蓋に比べて中の梅が薄色のため、陰陽を表したのではないかとのことで
陶芸って宇宙まで表現できるんだって思った。
金彩芒文蓋物の表面は白と黒が入り乱れて3Dみたいな立体感がありそれだけでもワクワクしますが
表面の金粉はススキに当たる月光と聞いていっぺんに情景が脳内に浮かんじゃった、秀逸。
色絵石垣文皿(5枚)は景徳鎮の氷裂文を参考にしたというカラフルなお皿で
うわあこういうのに琥珀羹とかわらび餅とかシフォンケーキとか乗せて食べたら
至高のおやつタイムじゃないかな…と妄想して5分くらいその場でボーっとしてしまった。
同じように龍田川文透彫反鉢はフルーツポンチ入れたい、
あの器に山ほどフルーツとサイダー入れてシュワシュワさせたい。きっとわくわくする!
菊桐文角向付(5客)のデザインには型紙が使われているそうで、
これは光琳も燕子花図屏風とかでやってますが、彼らの家が呉服商だったことが影響していると思う。
菊図向付(5枚)は菊の花と波模様がデザインされていますが
お皿の形そのものが菊の花みたいな形をしていておもしろい!

そういえば乾山の龍田川文透彫反鉢の隣に鍋島焼の龍田川文皿があったのですが
さすが藩の窯だけあって形もコンパスで描いたような○で絵も狩野派みたいな模範的な美しさで、
のびのびとかわいらしい乾山の龍田川とは正反対でびっくりして
ああそうか、ロイヤルってこういう物だ…などと今更のように思い出したりした。
あと乾山の自由さは織部に通じるような気がする…。
織部は武士なのでわびさび+アバンギャルド+ちょっと驚かせよう的な精神が垣間見えますけど
乾山は自分がおもしろいと思った形や絵を思いつくまま気の向くままに手を動かしたら
こんな風にできちゃったというような自由さというか。
中国やベトナム、オランダなどの陶器を乾山が写して制作したものもありましたが
そのままコピーするのではなく四角い器を五角形に変えたりオリジナルの模様を自分なりに描いたりと
お手本通りに作らないのが乾山だなあと思いました。

陶芸を始めた頃の乾山は四角いお皿や丸いお茶碗など、決まった形のものに絵付をしていたけど
そのうち模様を描き始めて、器も変形し始めて、しまいには器と絵のハーモニーみたいになって
バリエーションや技法がどんどん増えていくのがやっぱり感動します。
小さな双葉だった青葉が、土から水をすって太陽の光を浴びてぐんぐん伸びていくみたいで。
デザインも型紙使ったり和歌を入れたり掛軸を参考にしたりと
文人で読書家で型紙のある生活が当たり前だった様子も伝わってきましたし。
尾形宗謙が息子たちに財産を分配するとき末っ子の乾山に蔵書を託したのは間違ってなかった、
お父さん見る目があったよ…息子はちゃんと活かしましたよ。よかったね。

乾山の師匠・野々村仁清の作品もよかったです☆
輪宝羯磨文香炉は密教法具の輪宝と羯磨を描いた強そうな壺だし
獅子鈕鞠形香炉は牡丹柄の手毬のような香炉にエメラルドグリーンの獅子がいてかわいいし
鶴香合は鶴の首から翼にかけてのなめらかなラインに神秘を感じるし
花輪違文茶碗の前衛的なカラーリングは見習いたいと思った。
手のひらサイズの褐釉四方茶入は真っ茶色ですが、
じーっと見ていると色んな色が混じりあったみたいに見えてくるからふしぎ。
乾山は仁清の器もたくさん写していまして、特に比較展示はなかったけど
今回の展示だけでも優雅な遊び心のある師匠と本気で遊んじゃってる弟子って構図が伝わってくる。
ほんと器で遊ぶことに関しては最強の師弟だよな…。

乾山や光琳が生きた時代の陶器や資料などの展示もありました。
光悦と宗達の合作は和歌集の断簡がありました~この2人はよく和歌集をモチーフに合作するよね^^
楽家三代目の道入の黒楽四方茶碗は去年の仁阿弥道八展にもあったから久々の再会、
漆黒の表面に金色で山の形が太い一筆書きで描いてあります。
(そういえば楽家五代目の宗入は尾形宗謙の弟である三右衛門の息子で
光琳・乾山にとってはいとこにあたるそうだ)
仙洞御所御拝領十二ヶ月の絵巻は当時の公卿たちによる和歌+絵のアンソロジーで
光琳を支援した二条綱平が12月の絵を描いているとのことでしたが、
展示されていたのは1~2月の部分だった(^◇^)ソウイウヒモアル
法蔵禅寺の鳴滝窯跡地から出土したという陶器の破片の数々は
そう遠くない昔の京都に乾山が本当にいて器を焼いていたと証明してくれているわけで、
本人はうっかり割っちゃったとか失敗したとかで捨てたつもりだろうけど
ほんとこのゴミめっちゃいい資料ですありがとうって泣きそうになった。
(発掘調査は1928年に行われて川喜田半泥子が参加していたと聞いて腰が抜けそうになった)

乾山は69歳で江戸の下谷に引っ越して活動し、お墓も巣鴨にあるのですが
酒井抱一が発掘するまでしばらく忘れられていたそうです。
その抱一の乾山顕彰活動の展示がちょっとおもしろかった(笑)。
まずは乾山の紅葉に菊流水図の掛軸が展示してあって
デザイン化された紅葉とリアルな菊がかわいいな~って見ていたら、
キャプションに「抱一が編集した『乾山遺墨』では菊が光琳菊になっている」とあったので
えっと思って隣に並んでいた同書を見たらちょうど菊流水図のページが開かれていて
ほんとに光琳菊でスケッチされちゃってるんですよ、ああもう、抱一!(笑)
(でも隣のページが抱一が建てた乾山の顕彰碑の拓本だったので全わたしが泣いた)
そんなドジっ子抱一の活動のおかげでお江戸にも乾山のデザインが広まったようで
様々な陶芸家が乾山から発想を得て制作に励んだようです。
三浦乾也は明らかに乾山を意識した号だなと思いましたが
展示されていた菊文茶碗が五代目菊五郎の愛用品だったとのことで頭が破裂しかけた。
そしてそして井伊直弼が陶芸やってたの知らなかった!
27歳から焼き始めて、三浦乾也に学びながら「緒方流陶術秘法書」などをまとめたようです。
展示されていた楽焼の2品は武家っぽさを感じさせる力強さがあった。
富本憲吉はバーナード・リーチと交流しているうちに自分が焼き物にハマってしまって
とうとうろくろを回し始めた人と聞いてoh...沼に引きずり込まれたのねって思ってしまった。。
椿模様大飾箱はふたに大きな椿が一輪、大胆にデザインされていてかっこいい。
仁阿弥道八の桜楓文鉢は去年の仁阿弥道八展からの再会でした、いつ見ても大きいなあ☆


torayokan1.jpg
とらやミッドタウン店に寄り道したら、
ギャラリーで「“みらい”の羊羹~わくわくシェアする羊羹~」を開催中でした。
3名のクリエイターがデザインしたカラフルな羊羹が展示されています。
(ちなみにレプリカではなく本物の羊羹が並んでいるそうだ)

torayokan2.jpg
扇みたいなディスプレイの羊羹。一口サイズで食べやすそうでした。
お店でも売られていたので買えるようです(・v・)。

nagoshi.jpg
季節の生菓子も買ってきました。
右は「琥珀饅」。琥珀製で中の白あんが透けて見える夏らしいお菓子です。
左は「白水無月」といって夏越の大祓(半年間の穢れを祓うためのお祭)の日、
つまり本日のためのお菓子です。
とらやさんだけではなくあちこちの和菓子屋さんでも売っていますね。
小豆の赤が邪気払いになるとのことでした。白い外郎もおいしかった~☆


korin9.jpg※クリックで大きくなります
「風神雷神図屏風Rinne」光琳・乾山編その9。8はこちら
二条邸にて素踊りを披露する光琳の図。
風雷は人様のお屋敷など意に介さず、いつものように好き勝手に飛び回っています。

綱平「ほお~宗達の風神雷神ですか」
乾山「たぶん」
綱平「彼らが来て何か、変わりましたか」
乾山「生活は、特に。兄が描くことに火をつけたのは確かですが」
綱平「それはお手柄だ。おかげでわたしは能楽や絵を習えるようになって、庭に窯も開けたのですから。まだまだこれからですが」
乾山「とんでもない、数年でずいぶん上達なさいました」
綱平「先生方には感謝申し上げていますが、彼らにも感謝しなくては。…ところでね」
乾山「はい」
綱平「来月には、いい返事ができそうだよ…」
乾山「…それって」
綱平「うん、法橋の」
乾山「ありがとうございます!兄も喜びます」

なんだか乾山が法橋に叙せられたみたいに見えますが、光琳へのおめでたい話です。

二条家は藤原北家九条流を祖とし、
鎌倉時代の公卿二条良実が二条富小路の邸宅を二条殿と称したのが始まりです。
五摂家(近衛、九条、二条、一条、鷹司)のひとつで、当主はほぼ摂政・関白を務めていました。
幕末まで今出川にあった邸の敷地の一部は現在、同志社女子大学今出川キャンパスになっていて
跡地からは乾山が焼いた陶器なども出土しています。


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2015-06-26 (Fri)
先日ネサフをしていてたまたま、竹下文子さんの『酒天童子』を見つけたのですが
読んでみたら内容があまりにもツボで沼が深すぎて危うく足を滑らせ頭からドボンしかけたくらい
すばらしかったのでその事を書きます。
どこがどうツボって、魅力を語ろうとすると「筆舌に尽くしがたい」という言葉でしか表現できないし
しかも読んだの真夜中だったからおかしなハイテンションが脳天突き抜けて
沼に落ちそうなすんでのところで踏みとどまってどうにかこうにかお風呂入って寝たけど
目覚ましが鳴るまで夢も見ないで爆睡した。
気持ちがバンジージャンプしまくったのと、よほど頭使って疲れたっぽいです^^
実はまだ心が完全に落ち着いていませんので
たぶん今から語るのもまとまりのない話になると思います、ご了承ください(^v^)←

あらすじはリンク先に書いてありますしご存知の方も多いと思いますので割愛しますが
ざっと申し上げると今昔物語集や御伽草子集に載っている一条戻り橋の話、土蜘蛛、鬼同丸、
酒呑童子の説話などを源頼光を主人公にまとめてつなげた連作です。
ゆさは鬼びいきのためあまり頼光側の小説って読まないのですけども
この本は著者が黒猫サンゴロウシリーズの竹下文子さんと聞いたとたんに興味が沸騰して
図書館で借りてきてパラパラめくってみましたら描写がもういろいろツボだらけでしてな。。
たとえば渡辺綱が戻り橋で一悶着あって朝帰りしたときの様子は、

近づいて、顔を見た。口を横一文字にむすび、かたい表情をしている。
髪は乱れ、衣服もあちこち破れている。ふだん身ぎれいな男にしてはめずらしいことだ。
かたわらに、ぼろ布でくるんだ大きな包みがある。「ごらんいただけますか」
綱は、何重にもなった包みをほどいた。ごろりと出てきたのは、なんと一本の腕だった
」(p.16-17)

なんじゃこりゃーー!!(ダァン!!!←床叩)
無口でふだん身ぎれいな部下が乱れた服装でおっかない顔して帰ってきて
何重にも巻いた布から鬼の腕ごろんて出すとかむりむりむりむり怖いかっこいいずるいー!
他にも、

「一条大宮まで使いにいってもらいたい」「承知しました」
なぜかとは決してたずねないのが綱である。4人のうちで自分が呼ばれたということは
内密のだいじな用なのだと、こちらが言わなくてもわかっている
」(p.13)
「おみごとでした」綱がそばに来て、すばやく手綱をつかみ、暴れる馬をなだめた。「おまえもだ、綱」」(p.93)
わたしが17のときから、渡辺綱は、そばにいた。
わたしの影のようにうしろにつき、あるいは盾のように前に立って、
いつも言葉少なく、わたしをまもり、支え、はげまし、ときには叱ってくれたのだ。
わたしの命に従わなかったことはない。呼びかけて答えなかったことはない
」(p.226)
「わたくしがお仕えするのは、頼光さまおひとりです」にこりともせず、さらりと言いきった。
その顔、いつもの綱である
」(p.229)

待って待って待ってもえしぬ待っっっって!!!!!!
なんだこのおまえの気持ち全部わかってるぜな主人と一を聞いて十を知る部下は。
綱が言葉を短く切っても表情だけで言いたいこと読み取る頼光がハイスペックすぎるし
綱も綱で口数少なくて頼光が話しかけなければいつまでも黙ったままとか
しかも12歳で17歳の頼光のもとへ来ておそらく10年以上仕えてる(←ここ重要)という、
まさに最強の萌え要素てんこ盛りの設定がやばすぎて沼落ち5秒前。
頼光やその部下の知識は名前と役職となんとなくの人物史だけで10年くらい更新されてなかったし
あえて誰と聞かれれば綱一筋だったのにまさか頼光&綱にセットで惚れるなんて
わたしが一番びっくりだよ!
今まで好きって思ったこと一度もなかったからこわい。新境地こわい。
他にも空飛ぶ茨木童子から逃れて北野天満宮に落下して屋根は壊れたのに自分は無傷な綱とか
頼光が鬼同丸の目に深い闇を見て「わたしはこの男を救えない」って思う一瞬の交差の妙とか
そういうシチュエーションが大好物なのであれよあれよと物語に引きずり込まれてしまって
冒頭のような有り様になったわけです。

頼光四天王の他の3人が明るくてアホでみんなかわいい。
「姫さまは軽いなあ」っておどけた調子で桜姫を抱えて助け出す坂田公時とか
諏訪明神のお告げひとつで頼光のもとへ押しかけてきちゃった碓井貞光とか
賀茂祭を見に行きたいけど堂々とは行きづらい(当時はまだ武士の身分がとても低かった)から
牛車を牛飼いごと借りてきちゃう卜部季武とか。
(結局、3人とも車酔いでヘロヘロになって綱にめちゃくちゃ怒られるんだけど)
風邪をひいて寝込んだ頼光に薬草をせんじた公時が言った
「苦いけど飲んでください、頼光さまがいなきゃおれたちはどうにもならないんですから」に
どうにもならないのはこっちの台詞だってごちる頼光のモノローグがツボでした。
ここに「この人たちよくわからないなあ…」って思ってそうな藤原保昌と
「この人たちほんとしょうがないですねえ」って思ってそうな安倍晴明が加わっててさらにツボ。
(竹下さんがブログでおっしゃっていますが、
保昌については月岡芳年の月下弄笛図をご覧になったそうで
わたしも大好きな絵なのでとてもうれしかった)

しかし本当にとんでもなかったのはさらにその先、
頼光主従の設定以上にドリームすぎたのが酒呑童子のキャラクターだった…。
廊下に足音と、衣ずれの音がした。あらわれたのは、ひとりの男だ。
色白で、まず美男子といっていい。黒々とした髪を結わずに切りそろえて肩にたらし、
とろりとなめらかな白絹の狩衣に、目のさめるような緋色の袴をつけ、
その長い袴のすそをしゅっしゅっと鳴らしながら足早に歩いてくる。
「山伏か。道に迷ったとな。それはいい」
」(p.169)

かっk…!!!!!!(←かっこいいと言おうとしたけど萌えのあまり声帯が動かなくなった音)

若く、ものごしは尊大だが、けっして粗野ではない。育ちもよく教養もありそうなしゃべり方だ。
体格はがっしりとして胸も厚く、武人のようだが、顔や手は白い。
肩までとどく童髪がひどくちぐはぐで、どこか人形じみた印象をあたえている
」(p.170-171)

なんじゃこりゃーー!!(ごろごろごろごろ←床転)
わかるわかるわかるわかる竹下さん、うわーっ*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
まさに!まさにわたしがイメージしていた酒呑童子はこれだ!!
絵本や御伽草子から抜け出てきたままの、世の中へのどうしようもない諦観にさいなまれながらも
好き勝手に生きる気持ちの方がずっとずっと勝っている酒呑童子ー!
長いことこんな鬼小説を探してて見つからなくて、誰も描いてないのかと思ってたけど
諦めずに探してよかった、こんなところにいたんだねえ(*´Д`)。
道理を無視して、気分のままに振る舞う、数百年も生きながらちっとも成長のない童子を
竹下さんが実に生き生きと描いてくれてて泣くシーンじゃないのに涙出ました。
だから後半のバトルシーンで
童子が、ぱちりと目をひらいた。血走った眼玉がぐるりとまわって、
わたし(頼光)に焦点をあわせ、ひどくおどろいたように見つめた。
「だましたな、客人」口が、そう動く。「だましたな」
」(p.209)
涙腺決壊につき自分の涙で溺れかけたアリスのごとく涙の海へ出航いたします!!面舵いっぱい!!!
御伽草子の「鬼神に横道なきものを」のような絶叫ではない、
でも低く低く冷え切った声が聞こえてくるような描写がぐわっとくる。
絵本や御伽草子を読むたびに思うのですが、この本でも思ったので書きますが
鬼で盗賊って時点で常に死と隣り合わせなのは童子も承知の上だったと思うけど、
お酒が入っていたとはいえ寝込みを襲われる可能性を考えなかったのは童子の落ち度だけど
山伏(の姿の頼光)たちを客と疑いもしなかった心根の良さを感じずにはいられないんですよ。
伊吹山に捨てられて山の動物たちに育ててもらったのと
刹那的な性格だけど盗賊の本領発揮したらとてつもないのと
いわゆるはみ出し者のまま社会の影で死んでいくことを考え始めると沼の深さにゾッとする。
…あれ、これ大学時代に小野篁がはみ出し者っぽいことの残酷さについて考えすぎて
気がついたら沼に落ちていた感覚と似て…る…??
あかん思考を停止しろわたし!
これ以上鬼小説沼にはまってみろ、間違いなく仕事も私生活にも支障が出るぞ!!

あと茨木童子もいろいろすばらしくてですね(結局語ります)、
一条戻り橋で綱を誘惑しながら「行く先は愛宕の山ぞ」と凄んで綱に襲いかかるシーンの迫力!
虫の垂れ衣姿の女性の袖からぬっと毛むくじゃらな鬼の腕が出てくるとこ想像してくださいよ、
ちぐはぐな妖しい魅力に拍車がかかって頭がこんがらかりそうになりました。
闘って腕を斬られてしまっても諦めずに取り返しにいって
「綱の顔をみてにたりと笑」って屋根をつきやぶって空を翔けていく。
でも最後の最後で綱に「三度はだまされん」と見破られて戦って負けてしまうけど
顔が綱をだましたときの女性に次々変わってから灰になり消えていくっていうのが、切ないよね。

何だかテンションがおかしいですが、鬼に関しては沼どころかマリアナ海溝に沈んでますので
いつものことです、ご安心ください。
しかしときめきすぎてとても疲れる本ですた…。
竹下さんて、短いけど的確でいきいきと洗練された文章を書きますね。かっこいい。

あ、あと変なテンションついでに語ってしまいますが
サントリー美術館の「酒天童子絵巻」と逸翁美術館の「大江山絵詞」については
これまでにも何度か書いていますが、あえて何度でも力説する!
あの2つはものすごくよくできた絵巻だぞ!
比喩とか誇張でなく本当に、見れば見るほどとにかくすごいって思う。
首だけになった酒呑童子が頼光の兜にくらいついていくクライマックスは狩野元信の筆が踊ってるし
少年姿の童子の美しさたるや土佐派の筆が冴え渡ってるよ!
しかしやはり武士と鬼の戦いを描いた絵巻なので梨汁、じゃなかった血ブシャーな場面もあって
美術館で見るといつも「ギャー怖えええええ!」と心底思うのですが、
大江山絵詞を見た後で酒天童子絵巻を見ると
とても残酷に感じた土佐派の筆致も元信に比べるとまだマイルドで控えめだったんだなと思う。
ほんと殺し合いとかするもんじゃないな…。


korin8.jpg※クリックで大きくなります
「風神雷神図屏風Rinne」光琳・乾山編その8。7はこちら
季節は冬を迎え庭も真っ白のある日、乾山が訪ねてきました。

乾山「にーちゃーん、どこまで進んでますか…って、何その格好」
光琳「さむい」
乾山「北山におしどり見に行かない?」
光琳「いやだ。さむい」
乾山「もー出不精……何描いてるの」
光琳「今月の支払い分」
乾山「……」
多代「細井さんと吉田さんとこ」
乾山「ああ、はい」

こたつに入っているのは妻の多代と、光琳の娘のそねです。

龍安寺は冬になると鴛鴦が飛来したため、鴛鴦寺と呼ばれることもあったそうです。

光琳は生涯で妻と妾が合わせて6人、子どもが7人いて1人は早世、数人を養子に出しました。
細井つねから子の認知をめぐり訴えられた際には屋敷や諸道具、金子を差出しています。
5番目の子寿市郎が養子に入った小西彦五郎(銀座役人)の家に尾形家の遺品が伝わり、
今日において光琳や乾山の生涯を知るための貴重な資料となっています。
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2015-06-22 (Mon)

こんにちは~!FC2ブログトラックバックテーマ担当の森です今日のテーマは「使用してみたい魔法(超能力)は?」です。私はやはり、「時間停止」の能力ですねー。自分以外の皆が止まった世界で、自分だけ動けるという例のアレです...
FC2 トラックバックテーマ:「使用してみたい魔法(超能力)は?」


蝋燭に火をつけるときやガスコンロがうまく着火しないときなどは
ああ、メラが使えればなあ…と思うことがあります。
他にも個人情報の書類とかDMとかパッと燃やせるし、シュレッダーより確実じゃないかなとか。
絵を描いてるときに頭の中にあるイメージをそのまま現実に立体化して
何らかの形で出せる魔法も欲しいですね。3Dプリンターみたいに。
あるいはイメージをそのまま紙に焼き付ける魔法。
脳内イメージと、実際に手で描くのとではイコールになることがほとんどなくて
違う違うって言いながら描いては消し描いては消しているので…。
(でもそうすることで昔より今の方がずっと描けるようになってきている。気がする)
あと、寝癖が直らないときパッと整えられるとか
部屋を片づける、料理の下ごしらえをする、寝ながら本を読むとき宙に浮かせページがめくれる、
図書館の本を一瞬で請求記号順に並べ変えられる魔法とかほしい…。
あと肩こりやドライアイや祖父の認知症が治せる魔法があったらいいな…。
昔からファンタジーやアニメばかり読んだり見たりしてきたので、
こんなときあのキャラの魔法や道具が使えたらなあと思うことは実によくあります。
自己都合ばかりですが^^;

今はそうでもないけど、空が飛びたくて飛びたくて気が狂いそうな思いをしていたのは
魔法使いサリーと魔女の宅急便にハマっていた小学生の頃ですな。
サリーちゃんやキキが飛ぶシーンが風をはらんでとっても気持ちよさそうで
ほうきじゃなくても何でもいいから何かに乗って空を飛びたくてたまらなかった。
特に魔女宅は、当時小学生だったわたしに多大な影響を与えていたりします(笑)。
それまでのわたしは、床の間にお布団敷いて両親と川の字で寝ていたのですけども
映画前半でキキが一人でベッドに寝ている様子を見るやいなや
「ベッドで寝たいベッドで寝たいベッド欲しい~~~!」ってなったから
人生、何がきっかけでどうなるかわかりません…。
で、祖母が使っていたベッドを物置から出してもらって大満足で寝たのを覚えています。
思えばキキがいなかったら子ども部屋でひとりで寝ることも考えなかったかもしれないから
彼女は自立のきっかけをくれたのだと、今では感謝しています。

あと、猫と話せる魔法も欲しいと思ってるのですけど
そのきっかけはキキじゃなくひみつのアッコちゃんですね。
猫に変身したアッコちゃんとシッポナが仲良くお話してるのを見てホワアアァァってなって
魔女宅でキキとジジの会話がツボすぎてピークに達してこじらせて今に至ります。
思えばあの頃からわたしは猫派だったわけだ…。
それに、猫語がわかったらうちの猫様たちがニャーニャー鳴いてるとき何をしてほしいのかわかって
抱っこしたり玄関の扉開けたりMy膝を提供したりお食事やお布団を用意したりするのが
スムーズにできるじゃありませんか。

変身願望はアッコちゃんほか、姫ちゃんのリボンとか魔法の妖精ペルシャの影響で
いっときはありましたけどそんなに長続きしなかったな…。
自分以外のものになるというのがあまり実感が湧かなかったせいかもしれない。
あ、猫になる呪文なら知りたいです(^◇^)。

それから、魔法っていうより超能力ですけど、瞬間移動できる力がほしいです。
あるいはどこでもドアがほしい。
出勤前に寝坊したときや、体調崩してすぐ帰りたいとき(あるいは病院に直行したいとき)、
スーパーで買い忘れたものがあるとき、電車が止まっているor遅れているとき、
出かけようと張り切って駅に来たのにスマホやSUICAを家に忘れてきたことに気づいたときなどは
瞬間移動能力やどこでもドアの必要性を痛感します!
あと旅行とかね…新幹線に乗って移動する楽しさに最近ようやく目覚めてきましたけど
旅先のちょっとした移動などで瞬間移動できたらいいなって思います。
写真撮り忘れたからパッと戻るとか、さっきのお店もう1回見たいからパッと戻るとか。
(余談ですが、ドラえもんの道具で一番欲しいのはどこでもドアです(力説)。
次にほしいのは取寄せバッグで、次が翻訳コンニャクで、その次がテキオー灯。
本物クレヨンとかもおもしろそうと思うんだけど、上手に描ける自信がない)

あと、うたう大竜宮城の乙姫が弾くハープでけんかを仲裁したり雷呼んだりとか
魔法が起きるのがすごい好きだったな…。
特撮少女シリーズはセーラームーンと合わせて小学生のわたしのバイブルでございます。
ポワトリンはわたしがポワトリンのステッキを、妹がプティットのステッキをそれぞれ買ってもらって
弟が特警ウィンスペクターの手帳を持ってたのもあって大喜びで遊んでいた覚えがあるし
(ウィンスペクターからそのままポワトリンを見るのが当時の日曜朝の過ごし方でした)、
トトメスはイブンバトゥータ・スカラベルージュの呪文の響きがとても好きで
ステッキ買ってもらったときは唱えまくってた気がする。
あと個人的に不幸のドン底の正体がすごいびっくりしましたね…。
名前が名前ですからてっきり物理的なものではなく精神破壊系だと思っていたのですが
なんか中盤でいきなり「不幸のドン底」の立札が立っている巨大な穴が出現したんで(笑)、
えええええ!!!!!ってご飯食べる手が止まったの覚えてる。
しかも主人公が落ちちゃうんだけど、穴の底では確か地上行きのバスが運行してて
切符買って乗ったら普通に帰ってこれたような…。
良くも悪くもシュールな特撮ドラマでした。今もだいすき。

人生で一番最初に唱えた呪文てなんだろう、
臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前か、テクマクマヤコンか、マハリクマハリタかな…。
そもそも「呪文」という言葉と漢字そのものも神秘的で好きなので
夜に勝手口からちょっと外へ行くときは「ルーモス、光よ」って唱えたくなるし
重い物が持ち上がらないときは「チンプイ」って唱えたくなるし
テーブルに膝をぶつけたときは「癒しの風」って唱えたくなる。
どうでもいいけど海モモのパラリル・パラリル・ドリリンパ~とか
リナ・インバースの黄昏よりも暗きもの~とかの長い詠唱呪文は
クラスで暗記できている子が無条件でヒーロー扱いされていたのを思い出します。
特に何が起こるわけでもないけど、ああいうのを全暗記するのって英単語暗記よりずっと熱が入るし
つっかえずに言えたときはよっしゃあ!ってガッツポーズしたくなる。


話は変わりますが、昨日、緒方恵美さんのツイートで気づいたのですが
今日は碇シンジ君がエヴァ初号機に初めて搭乗して使徒サキエルを撃退した日なのですね…。
とうとう現実が追いつきましたか。
ただ、これは公式設定というわけではなく
ファンや研究者が劇中から考察して2015年5月、6月、8月説などを導き出していて
割と多く支持されているのが今日の日付で、いわゆる「諸説あります」というやつらしい。
まあでも、第3新東京市の広報アカウントさんが箱根に来る人気をつけてツイート
サキエルさん襲来から撃退までの実況をしてたり、
緒方さんがバイクで本当に箱根を訪問されていたりと、なかなか血沸き肉躍る1日でありました。
綾波さん無事でよかった…→こちら

あとラインハルト・フォン・ローエングラム皇帝の即位&戴冠式の日でもあるそうだ。ジークカイザー。
個人的にはご即位前の方が好き。というよりキルヒアイスとキャッキャしてるのが好き。(そこか)
夏至の日にフィクションの出来事が重なっているのはなかなか感慨深いものがあります(*'ω'*)
ハウルの誕生日でもあるよね。


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「風神雷神図屏風Rinne」光琳・乾山編その7。6はこちら
1699年8月、乾山は御室へ茶碗を献上した帰りに二代目野々村仁清の家に寄りました。
初代の作陶法を収めた陶法伝書を受け取るためです。

乾山「どうも、このたびは過分なものを」
仁清「お気になさらず、こちらが望んだことですから。ところで深さん、窯の許可が出たというじゃありませんか」
乾山「はい、お知らせが遅くなりまして。来月には火入れしたいのですが」
仁清「わかりました、それまでには参ります。…そちらは?」
乾山「…えっと」
仁清「風神と雷神ですか、宗達の」
乾山「知ってるんですか」
仁清「昔、父から聞きました。宗達の周りには風と雷がいると」
乾山「へええ」
仁清「今はあなたが?」
乾山「普段は兄の家にいて、今日はわたしについてきたんです」
仁清「ほお」
乾山「綺麗なものを見るのが、好きみたいで」
仁清「それは…うれしいですね」

深さん(深省)とは乾山の本名です。

乾山の師・初代野々村仁清は江戸時代初期に丹後で生まれ、本名を清右衛門といいます。
金森宗和によって都に招かれ仁和寺の前に御室窯を開いて
仁和寺と清右衛門の頭文字を取り仁清と名乗り作陶を行い、
公家衆を始め大いにもてはやされたことから「京焼の祖」と呼ばれています。

初代没後は息子が二代目を継ぎ仁和寺にも納品していましたが、
次第に立ち行かなくなったため乾山が陶法伝書を譲り受けて
一緒に鳴滝で作陶することになりました。
こののち開かれる鳴滝窯には、仁清ほか押小路焼の孫兵衛などが参加しています。
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2015-06-18 (Thu)
幸田文さんの『きもの』を読みました。
何の気なしに図書館の棚を眺めていて背表紙が目に留まりまして
中身をざっと見て借りて帰って本能のままに一気読みしてしまった。はぁお腹いっぱい。
(* ̄ω ̄*)=3

こちら著者の自伝的小説だそうで
(お父さんのモデルは幸田露伴でお母さんは早くに亡くなられたお母様だと思う)、
舞台が戦前ということもあって読んでるとエーッてなったり
「いやいやいやいやないわ」ってドン引きする部分もたくさんあったけど、
着物描写や生活の知恵のくだりがおもしろくて目からウロコの連続で
へーへーそうなんだ!って何度口走りそうになったかわかりませんでした。
今までなんとなく覚えていた物事に裏付けをしてもらったというか。
このブログをお読みの方はすでにお察しかと存じますが、
わたし生活史とか風俗史とか文化史といったものに果てしないときめきを覚えることが多くて
この本はまさにそんな知識が満載でMy好奇心をパンパンに満たしてくれたわけです。
その物がそうあるのは何のためか、
この時に使うのがこれじゃなくそれなのはなぜかといった事例を
できるだけ多く知りたいといつも思っています。
事例って人それぞれで同じものいっこもないもんね。

着物は着心地!見た目じゃないわ!がモットーのるつ子に心から共感しまくりました。
綿がぎっしり詰まった胴着は肩のところで袖がつまって腕がまっすぐ上に上げられないから嫌い、
よそ行きの着物は重たいし裾長で足にからみついてくるから嫌い、
手拭ゆかたの洗いざらしは軽く、しなやかで自分の思うままになるから好き、
紋羽二重の羽織は着ているか着ていないかわからないほど軽くて好き、
「柄や模様より気持ちのいいのが第一」というるつ子の心情は
なんかもう、わかりすぎるくらいよくわかる…。
わたしも、サイズや着心地の合わない服を着てるとその日1日ブルーですが
ぴったりの服だと自然と元気になるから不思議。
見た目ももちろん大切なので趣味に合ったのを選んで着ているわけですけども、
着ていて気持ちのいい服は人の機嫌も世界の見え方も変えると思っているので
服を買うときは見た目でピンときたら素材を確認して触ってみることにしています。
(あとクリーニングじゃなく洗濯機で洗えるかどうかが大事)
メリンス(毛織物)で肌がかぶれたり、お寺の和尚さんの着物にこっそり手を通してみたり
薬屋さんの掛軸にいる神農像の着物が何でできているか気になったり
結婚して家を出たお姉さんが里帰りに着ている派手な服に目をひそめたり
お葬式のバックヤードで動き回るときも薄汚れた物ではなくこざっぱりした銘仙に割烹着を着たり
震災で崩れた街から帰って来たお父さんの洋服姿に節度を見たり
結婚することになって染めの着物に身を包んだ時になって気づいてしまったことがあったり
様々な場面での様々な服を見たるつ子のファーストインプレッションと思考が
時にさっぱり、時に丁寧につづられるのを追いかけるのが楽しかったです。

るつ子とおばあさんが病気のお母さんのために縮緬の布団を作るときの描写がとってもわくわく。
お古の子ども用の縮緬着物を使って作るのですが、
柄が大柄すぎやしないかと思案するるつ子に、おばあさんが
・布団てものは、大柄な方が上品に見える
・作るのは敷布団だから、どうせ敷布で柄は見えなくなる
・大事なのは寝心地、縮緬の柔らかさがあればすべてよし
というわけで、かつてない派手な布団が出来上がっていくのはとても楽しく感じます。
「布団を新しくするのは嬉しいものだよ」と言うおばあさんのセリフにも首肯。
というか、おばあさんが折にふれて語る着物や家事の知恵のひとつひとつが
経験に基づいて理にかなっているからするりと納得がいきます。
着物についても木綿、毛織、銘仙、絹、いつどの素材を着るか、また何故その着物なのかが
的確に語られるのがとても勉強になって
今後着物着るときはるつ子のおばあさんの知恵を全面的に師匠にしようと思ったくらい!
そしてそれは関東大震災の描写でもっとも顕著にあらわれていたな…。
揺れが収まって真っ先にるつ子へ出した指示が「足袋をお履き」っていうのが
びっくりするくらい説得力あるし、
2人で避難するときお米とドロップを2つの包みに分けるのも
はぐれたときのことを考えているっていうのがもう、リアリティあるなあと思いました。
たくましいおばあさんかっこよす。
(あ。ひとつだけ共感できなかったのはるつ子が痴漢に遭ったときのコメントね。
当時の社会を考えるとそう言うしかなかったんだろうけど、そういうことじゃないって突っ込んでしまった)

るつ子の家がずっとお世話になっていた呉服屋さんがある日大盤振る舞いをして
数日後に店をたたんでいなくなってしまって、
お姉さんが「固いお得意さんだけを呼んでこっそり安売りしたのね」ってぽつりと言ったときに
お店の人にもうちの買い物がいくらか足しになったろうか…と
自分ではどうにもならない理不尽について考えるるつ子がとてもよかったな。
あと、震災で避難しているときにおばあさんをどこかで休ませようと思ったるつ子が
山の手の大きなお屋敷の人へ声をかけたときに
突然、自分は少しだけどお金を持っていた、お金で堂々と交渉する手段があったのだと
元気が出るシーンもあって、それもよかったです。
(ちなみにお屋敷の人はお金を受け取らずに休ませてくれた)
あと、るつ子のお兄さんが震災で炊き出しのおにぎりをこしらえるとき
いちいち手に塩をつけるのが面倒だからと、釜の中へ塩をまいてかき混ぜて
お茶碗で型抜きして作ったというのが頭いいなあと思った。

ラストがちょっと唐突なのですが、巻末の解説によるとこれは連載が止まったためだそうで
できればもっと続きを読んでみたかったです。
まあ、なんとなく想像はできますけど…。


幸田さんは着物エッセイも書いていたと知って『幸田文 きもの帖』を読んでみたら
冒頭から「夏は絶対に洋服へ軍配を挙げます」「洋装に越したことはありません」と書いてあって
うおおおおおこの人本物だ!って思わず両手の拳握った。
こういうことを率先して言ってくださると着物クラスタとしてホッとします、選ぶ自由がある気がして。
続きに「若い和服がいいのはやはり雪と花と紅葉でしょうか」ってあるのも
首が折れるほどうなずきましたよ。
何より「雪と花と紅葉」って言い回しがさ…最高ですね…!
冬と春と秋じゃないんだよ!雪と花と紅葉だよ!!
(ゆさはしゃべり言葉フェチでもあります)
とはいえ、夏に着物をお召しにならない著者では、もちろんありません。
ゆかたを「正装でないことは常識である」としながらも
・糊気を置いて着れば肌を離れて風を入れてくれる
・糊気を落として着れば高原の冷やつく夜気を庇い、肌に添って冷えを防いでくれる
ということから「情けのある着物である」と情緒たっぷりに語っていらっしゃって
こんな風に着物をそばに感じて着こなせたらなあ…とは思うのですが
いざ自分がやってみるとなかなか難しいもので四苦八苦すると同時に
改めて幸田さんのような方への憧れを抱いたりする今日この頃です。

また、幸田さんの娘の青木玉さんも、お母さんの着物の本を書いてらっしゃって
『幸田文の箪笥の引き出し』とかを読んでみると
親子でお着物ライフを楽しんでおられたのが伝わってきます。
(幸田さんは生涯、着物で過ごした方でした)
様々な着物を着た幸田さんの写真も載っていて、飼い猫を抱いた写真がとても素敵だったのだけど
名前が「阪急」といったらしくて、なんか笑ってしまった。


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「風神雷神図屏風Rinne」光琳・乾山編その6。5はこちら
家を売って引越しを終えた光琳、乾山の焼き物に絵付をする仕事から始めることにしました。
下絵のアイディアをひねっていると中村内蔵助が訪ねてきます。

内蔵助「こんにちは」
光琳「おや、こんにちは」
内蔵助「二条様の使いで参りました。お庭に窯を開きたいとのことでおふたりとお話されたいそうです」
光琳「へ?窯??」
内蔵助「絵やお能も引き続きご所望だそうですが、さしあたっては窯をと」
光琳「そりゃまた」
乾山「良かったね兄ちゃん、仕事になるしお招きいただけるじゃない、法橋の話もしやすくなるよ」
光琳「………いいな、それ」
乾山「でしょ」

ものは考えよう、な光琳と乾山なのでした。借金で苦労している身には大切なことです(キリッ

乾山が著した『陶磁製方』には「最初之絵ハ皆々光琳自筆」とあり、
焼き物を始めた頃は光琳が絵をつけていたようです。
その後、乾山が作陶と画賛を入れて仕上げていました。

中村内蔵助は京都の銀座役人で、公私にわたり光琳を援助してくれている人です。
また、二条家は藤原摂関家の公卿で
当主の綱平は東福門院の孫の栄子内親王と結婚したことから尾形家とも交流がありました。
光琳は綱平の絵の師となり能や舞も披露し、2人の交流は長く続きました。
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2015-06-14 (Sun)
女性画家の展覧会をはしごしてきました☆
山種美術館と実践女子学園香雪記念資料館の連携企画が渋谷・恵比寿で開催中なのです。
最近はこういう企画がだんだん増えてきてうれしい。

まずは渋谷の実践女子大学へ。「華麗なる江戸の女性画家たち」展を開催中でした。
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入口の警備室に声をかけて、入場許可証をお借りして中に入りますと
1階に香雪記念資料館があり展示室になっています。
この資料館、前は日野キャンパスの方にあってわたしも数年前に訪れたことがあるのですが
現在は渋谷キャンパスに移転したそうです。
去年開館したばかりとのことで、とてもきれいでした。
何より無料で鑑賞できるのがうれしい+゚+。:.゚(*‘∀‘*).:。+゚ +゚

展示室は1フロアのみでそんなに広くないですが、内容は充実していましたぞ(^ω^)。
入ってすぐに、林丘寺宮光子内親王が描いたと伝わる「関帝図」が迎えてくれて
めっちゃくちゃカラフルで関羽そのものも貫録十分の風貌でした。美髯公かっこよす!
関帝という画題は日本では18世紀前半くらいから流行し始めますが、
この絵は17世紀後半に描かれた可能性があるらしく早い時期の絵なのですね。
平田玉蘊の「美人図」に寄ったら砂粒のような何かがキラッと照明に光って
なんだろうとよく見たら全体に雲母が散らしてあってすごくきれい。
清原雪信・春信親子は前から大好きな画家でして、
今回は親子それぞれの花鳥図屏風が並べて展示されていて見比べることもできました。
お母さんは松をどっしり描いた落ち着いた雰囲気で鳥や雪の輪郭をぼかし、
娘は植物も鳥も輪郭をしっかり描いてましたね~あと落款がペンで書いたみたいに細かった。
雪信は他にも、菊慈童図は雲に隠れた松の根元でゆったり座る菊慈童が優美だし
紫式部図は水を打ったような静けさが感じられて均整がとれている。
あの格調高さと優雅さは、師匠の狩野探幽の影響もあるだろうけど
何よりも本人の技術と意識の高さだろうな…。
ほんとこんな絵を描く人がかつて存在していたなんて奇跡のようだ、見とれた。

織田瑟々は初めて知った画家ですが、須磨桜真図の鮮やかなピンク色の桜がとても美しくて
この人の絵をもっと見たくなりました。
ぐぐってみたら桜の絵をたくさん描いた人らしいです。好きな花だったのかな^^
池玉瀾の遊び心が楽しい~。
風竹図扇面は風にそよぐ竹林の間に、漁楽図は松の葉っぱの中に
それぞれ「松風(玉瀾の別号)」の遊印が隠れているという趣向がおもしろいです。
まるで印が生きていて隠れんぼしてるみたいに見えるのが玉瀾の人柄をしのばせるようで、
何だかほのぼの(´ω`)。
亀井少琹の墨竹図は掛軸のど真ん中に黒く細く生える竹が1本、手慣れたタッチで描かれて
奥に灰色がかった竹を薄墨で表現していて奥行きがあって
どこまでもどこまでも竹林が続いていくような印象。
特に手前の竹は、想像ですけど一気に線を引いたようなタッチ。彼女かなりの手練れですぞ…!
江馬細香は、雪中生筍図が國枝氏という一家の繁栄を竹と筍になぞらえて描いていて
四君子巻が細香の小品をまとめたもので本人による画力を戒める詩もついてるのですが
それぞれ細香が71歳と72歳の作品とキャプションにあって腰が抜けそうになった。あなた何者。

梁川紅蘭の秋卉舞蝶図は友人のために紅蘭が絵を描き、夫の星巌が賛を入れています。
中央の秋海棠がきれいな赤紫で、まわりに舞う蝶はとても写実的な細かさ。
紅蘭は蝶を描くのが得意だったようです。さもありなん。
(余談ですが秋海棠と聞くといつもぼく地球を思い出してしまう^^;)
林幹々の雪景楊柳図は、水辺に浮かぶ島も背景の山も雪が積もった真っ白な景色を描いていて
柳がしどけなく下がっているのが静けさを感じさせました。
夫の谷文晁による江村晩晴図も並んでいますが、文晁が島の木々を点描でごつごつ描くのに対し
幹々はきっちり縁取りしているのが対照的。
さらに隣に並んでいた文晁の妹・舜英の山水図は文晁そっくりのタッチだから
彼女はきっとお兄ちゃんから絵を習ったのだろうな…。

展示室の隣の部屋には下田歌子記念室があって、
こちらにも女性画家の作品がいくつか展示されていました。
下田氏は学校を開くのとほぼ同時に女性芸術家の作品を集めて研究もしていたそうです。
(ご本人が岐阜出身ということで、同郷の江馬細香と梁川紅蘭を特に研究されたらしい)
野口小蘋の海棠小禽図は、花が満開に咲いた海棠の枝にシロガシラがとまっている
大変きれいな絵です。
菊が描かれた扇を手にした下田氏の写真が展示されていたのですが
扇に「小蘋女史画」と署名があり、学校との交流をしのばせますね。
甲斐虎山・和里子夫妻の豆画帳、つまり豆本サイズのスケッチブックが超かわいかった☆
教員をやめて旅行をした際に描きとめた本だそうで全部で4冊、
松島、日光など景色のほかに眠り猫や蕨など小さなものも。
角がちょっとこすれてるのが、鞄に入れて持ち歩いた痕跡のようで微笑ましい。
この本は旅をしたんだなあ。

内親王や町絵師、趣味としてたしなんだ人まで様々な女性が絵を描いていた江戸時代。
特に町人女性の作品は残りにくいので、こうして残してくれた人たちにも感謝です。

香雪資料館から山種美術館へは徒歩10分くらいなので歩いていったのですが
國學院大学の前で渋谷氷川神社を見つけたので寄り道~。
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なんかムキムキの狛犬さんがいました。浮き出たあばら骨がリアル。
(金剛力士は武器を使わず、鍛え抜いた肉体と素手のみで仏敵を追い払うと聞きますが
狛犬にも格闘タイプっていたりするのだろうか)


さて、山種美術館では「上村松園と華麗なる女性画家たち」を開催中でした。
さっきは江戸時代の画家たちでしたが、こちらは近代の画家たちの絵が展示されています。

今年は上村松園の生誕140年ということで、
今回の展覧会では山種コレクションの松園18点が一挙公開されています^^
簾の間から蛍をながめ、傘をさして雪の中を歩き、歌を詠み本を読み、針に糸を通す姿まで
様々な女性たちが見られますぞおおお最高にハイってやつだアアァァァアアΣd(//∀//d)オウイエッ
「蛍」「新蛍」など蛍と女性を描いた大きな絵が入口で迎えてくれて、
最初に展示されていたのはたまたまかもしれないけど初夏の展覧会って感じ。
肌や着物が簾の向こうに透ける図は松園さんの真骨頂ですな!
息子の上村松篁さんによると、京都の上村宅の近くには蛍が生息していて
家に入ってくることもあったとキャプションにありました。
簾や蚊帳にとまる蛍を松園さんは何度もご覧になって絵にされたのでしょうか^^
謡曲を題材にした「」のすっくり立つ女性の緑の着物がきれいで
裾から覗く柄入りの着物が派手な赤色で目を引きます。前にも見たけどやっぱり名作。
詠哥」は歌を、「つれづれ」は本を読む女性の絵で
つれづれの女性の本の表紙は見えないんですけどタイトルから徒然草かなと想像したり。
「杜鵑を聴く」は折から聴こえた鳥の鳴き声にふと耳をすます何気ないしぐさが優美で
絵の中から本当にケッキョキョケキョキョと聞こえてきそうだった。
春のよそをひ」「夕照」あたりはなんだか歌麿や清長の錦絵を思い出させて
松園さんこんな絵も描くんだなあ…。
「盆踊り」は正方形の紙に踊りに興じる2人の人物を描いていて
立兵庫の女性と傘を被った男性が楽しそうで、
こちらも松園さんにしては珍しく文人画のようなタッチで動きが感じられておもしろい。
隣には上村家から山崎種二氏(初代山種美術館長)に送られたハガキがありまして
(山崎氏は同時代の芸術家の作品を積極的に購入し応援した人です)、
一通は事務的な挨拶状、もう一通は東上之節への招待のお礼状とのことでした。
両方とも達筆すぎて全然読めなかった(≧∀≦)画家の字って書家とは違う意味でアートだと思う。

風景画もすごい。
奥原晴湖の「文人寄書」は本人を含む5人の画家による合作で、
机と文房具を晴湖が描き、野菜や仏鉢などを男性(の知り合い?弟子?)が描いていて
水墨画で静物画?なおもしろい絵です。
ラグーザ玉の「蘭図」は油彩画で色鮮やか。
河邊青蘭の「態濃意遠図」がすごい、掛軸いっぱいに無数の女性たちがいーっぱい!!
お茶飲んだり囲碁打ったり舟やブランコに乗ったりと、みんなこけしみたいなかわいさです。
紅白冨貴図」も「松陰楼観図」も岩がすごい青色と緑色。
わたしこの画家初めて知ったんですけどいっぺんにファンになってしまった…かっこいいわ…!
野口小蘋の「上巳雛祭図」が、遊びに興じるのは子どもたちだけではなく
人形たちだって遊ぶんだなあと微笑ましく鑑賞。
「芙蓉夏鴨」はつがいの鴨を描いていて雄の美しさやばい、緑色の頭も紫色の羽もきれいだった。
箱根真景図」は六曲一双の屏風で箱根権現から富士山をのぞみ、
手前に大きく芦ノ湖が広がっている雄大な屏風です。
そのうちここに第3新東京市が埋まるのだとつい考えてしまってわたしはもうだめだ。

そういえば1890年から帝室技芸員制度が始まり79人が任命されていますがほぼ男性で、
女性は1904年に57歳の野口小蘋が、1944年に69歳の上村松園が任じられていますね。
(技芸員制度は戦後に廃止されている)
女性で初めて文化勲章を受章したのは松園で、小倉遊亀、片岡球子も受章していたはず。

人物画もすごい。
河鍋暁翠の「紫式部図」は石山寺の月を見上げて物語を着想するよくあるテーマですが
上の着物が下の着物に透けていたり式部のすうっと細い目が美しくてひきつけられた。
伊藤小坡の「鶴ヶ岡の静」は小さな掛軸ですけども
よーく見ると静の憔悴しきった表情や乱れた髪や透ける緑色の着物、
静の周囲に咲き乱れる藤の花が細か~~く描きこまれていてゾクゾクってした。
「虫売り」は虫を売る行商を描いていて、喜んで遊ぶ子どもたちの隣で
虫かごに虫を入れる女性の黒い着物のグラデーションが美しすぎて倒れるかと思いました。。
しかも紫色の頬かむりをしたその人はうつむいてて表情が見えないときているから
さっきよりももっとゾクゾクってしたよね…。
小坡は伊勢の猿田彦神社に生まれ育ちお祖父さんや伯父さんと一緒に絵を楽しんでいたそうで、
京都の上村松園とも交流があり2人が画材を挟んで向かい合う写真も展示されていました。
まじめな松園さんと、ちょっと微笑んだ小坡がステキ。
生田花朝の「遣唐使」は○く切り抜いた紙に渡唐中の遣唐使船を生き生きと描いてて
画面は明るいし遣唐使はお酒飲んでるし結構、呑気なのがいいなあ。
花朝は郷土芸術家で、この絵の船も出身地である大阪・難波津から進発した設定だそうですね。
片岡球子の「北斎の娘お栄」が、煙管を立ててポーズ決めてて超かっこよすぎた、
先日に映画『百日紅』を見たばかりでしたからうれしかった~^^
そして北沢映月の「想(樋口一葉)」が!教科書や資料集で何度も見たあの絵があった!!
一度も本物を見たことなくて、しかもまさかあるとは思わなくて素でびっくりしてしまった、
「十三夜」のお関、「にごりえ」のお力、「たけくらべ」の美登利の3人をバックに
こちらをキリッと見据える一葉…かっこいいよ一葉…。

小倉遊亀の「舞う」は芸者と舞妓の舞踊姿が大きな絵にされています。
実際に先斗町の女性たちに取材したそうで、
画家と芸者さんたちが一緒に映った写真も展示されていました。
芸妓の留袖をきゅっとしめたポーズ、舞妓の振袖がふわっとしてる動きすばらしい~☆
遊亀は「こんな立派な人物画がうじゃうじゃある時代って悲劇にも程があるけど
でもだからこそ描きたくなる」的な内容の文章を書き残しているとキャプションにあって
うおおわかるわ~~~って壁ダァン!て叩きそうになった。。
今まで見てきた展覧会やテレビ番組や本や、雑誌の表紙やCDジャケットやお店の看板やスマホの中に
すばらしい絵やデザインがあふれていてどうしたってかないっこないのに
なぜか描きたくなっちゃうんですよね…。
わたしもやってみたい、こんな絵描いてみたい、もっと違う絵描きたい、みたいな。絵描きスピリット。

帝室技芸員や職業画家、アーティストとして描く女性が次々に輩出された近代。
社会史から見ると暗黒の時代ですがこんなに美しく力強く絵を描く人たちがいて
描ける環境があったことも(努力して作り出した人もいたでしょう)本当によかったと思います。
そういうとこも感動しまくって数たくさん見て脳内タイムスリップしたり胸キュンしたりしたから
展示室を出たときは頭パンパンでチベットスナギツネみたいな顔になったよね。
日曜美術館のアートシーンでも放送されたみたいだし、午後に訪れたせいもあって
会場はかなりの混雑で絵の前に出るのが大変でしたが、この内容じゃ混むよなあ…。
何より美しい着物がたくさん見られるってことで来館を即決した人の数が
一瞬にして跳ね上がったんじゃないだろうか。
というのは、わたしもその1人だからね。
(そういえばそろそろ着物の衿とうなじの相乗効果について考えねばならぬ季節の到来だ)

yamatanejo.jpg
山種さん恒例、展覧会オリジナル和菓子をカフェでゲット。
両方とも上村松園の絵をイメージしたお菓子で、左は「ぼたん雪」で傘に積もる雪を、
右は「初ほたる」で団扇と簾と蛍だそうです。
ほたるのお菓子は切ったらグリーンの柚子あんが入ってました!美味(´▽`)。

ebisulunch.jpg
この日のランチ。恵比寿駅近くにあるピザ屋さんでいただきました。
レタスたっぷりの野菜ピザで結構大きいのに500円ですよ500円!ワンコインピザ!
しかも目の前にある大きな石窯で焼いてくださるんです~~~ギガウマス(゚∀゚)☆
他にも色んなトッピングがあったので、また行きたいと思います。


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「風神雷神図屏風Rinne」光琳・乾山編その5。4はこちら
鳴滝の乾山宅近くにある妙光寺に、宗達の風神雷神図を見に来た光琳。
ゆっくり見るつもりでしたが、風雷がさっさと陣取ってしまい離れてくれません。
乾山「ずっと見てるね」
光琳「んー」
乾山「うれしそうだね」
光琳「自分らだと思ってるんじゃねぇの。よーし、描くぞ」
乾山「今から!?」
光琳「もっと腕を上げてから」
乾山「…びっ…くりした」
光琳「なんだよ、それ」

風雷がなぜニコニコしているのか、2人にはわかりませんでした。

妙光寺は鎌倉時代の公卿・花山院藤原師継が亡くなった息子を弔うために
禅寺を建立したのが始まりです。(妙光は息子の幼名)
応仁の乱で一時荒廃しますが、建仁寺派となり1639年に再興されました。
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2015-06-10 (Wed)
ranneko1.jpg
梅雨入りでジメジメしているので、5月に撮影したさわやかニャンコ写真を載せてみます。
庭に紫蘭が咲いていたときたまたま黄昏ていた母にゃんこをパチリ。
彼女は時々、「こんなに美しいわたしの写真を撮らないハズがない」というポーズをとることがあり
いつも雰囲気に負けてシャッターを切ってしまう。

ranneko2.jpg
にゃんこ目線に降りていくと割と世界はごちゃごちゃしていることに気づきます。
自分より背の高い花に囲まれるのはどんな気分でしょう?とお尋ねしたら
ニャオ、ひとことだけ返事をくださいました。
猫は居心地の悪い場所には行かない生き物なので、悪くないのかもしれません。

rannneko3.jpg
紫蘭はハッとするような紫色がほんとに好き。

karumia.jpg
ついでにカルミア。
木の下にいた母にゃんこの視点から撮りました。どこまでも空に続く花。


そういえば最近めっきり語ってませんが、ねこあつめは順調です。
rinpaatsu1.png
琳派あつめ。
この順番に並ぶまでひたすらニボシ受け取りまくりました。お蔭で金ニボシ300個くらい買えた。

rinpaatsu2.png
琳派あつめその2。光琳と乾山が並びました☆
他にも色々並べてみたい。

ねこあつめは今月中旬にバージョンアップがあるそうです。
前回のアップから約3か月、ユーザーがマンネリ化してきたのを見計らったかのようなタイミング。
猫さんもグッズも増えるのかな!楽しみだ!
そして着々と関連グッズや本やCDが発売されるとのことでわたしのお財布が火を噴くぜ、
とりあえず今月刊行される「ねこあつめ日和」と「ねこだらけ図鑑」はチェックしました。
目次を見たら前者がデータファイルブックで後者がキャラクターブックのような感じだった、
どこがどう違うって感じですがどっちも猫様たちの本ですから2冊とも買うと思います。
あれだよきっと、メルカトルとモルワイデみたいな違いだよ!(適当)
あと人をダメにするまんぞくさんクッションをどなたか企画してください。買って埋もれたい。


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「風神雷神図屏風Rinne」光琳・乾山編その4。3はこちら
風雷が現れてから数日後。光琳は今後の生活の計画を立てたようです。
光琳「手始めにここ(家)売るぜ」
乾山「おお」
光琳「画材が要るし、おまえに金返さにゃならんし」
乾山「足りそう?」
光琳「買い手がついた。何とかなる」
乾山「よかった。次の家は?」
光琳「上御霊中町。すげぇちっちぇんだよな…」
乾山「何言ってんの、次から次へと質生活で。おれと藤兄に借金返して、せめて光悦の硯箱だけでも取り戻さなきゃね」
光琳「ええくそ」

みんなで食べているのはとらやのお菓子です。
とらやは室町時代後期に京都で創業、現在も上京区烏丸で営業しています。

尾形家には宗達、光悦を始め美術品がたくさんありましたが
光琳は生活のためにいくつも手放したり質に入れるなどしていました。

実は宗達・光悦編にいた尾形宗伯は光琳・乾山の祖父なのです☆(乾山の茶髪はじいちゃん譲り)
尾形家に光悦や宗達の作品が伝わるのはそのためで、
光琳たちの代までは鷹峯の本阿弥家とも交流がありました。
(本阿弥家は1697年に鷹峯を引き払って江戸に移住しています)
宗謙も光悦から書の手ほどきを受けましたので、光琳たちも自然と光悦流を学んで育ちました。
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2015-06-06 (Sat)
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とらや赤坂本店の「虎屋文庫のお菓子な展示77」に行ってきました。
お菓子の資料室・虎屋文庫(1948年に開館)がとらや本社ビル建替えのために
3年間休室することになったそうで、
これまでに開催された77回の展覧会を年代順にダイジェストで紹介してくれています。
創業時の記録に注文用カタログに商売道具、パッケージ、ポスター、映像資料ほか
展示されているお菓子は職人さんが実際に再現された本物なのです!
しかも入場料無料です、無料なんです!お菓子好きな方ぜひ行くべきー!!

とらやの資料をお客さんに見てもらおうと1948年に始めたらしい資料展覧会は
最初は古文書が中心だったそうですが、やがてお菓子を展示するようになり(第3回)、
とらやの歴代店主を務めた黒川家や歴史上の人物のお菓子にスポットを当てたり
パリ店がオープンした年には西洋のお菓子を紹介したり(第14回)、
和菓子の歴史に注目する内容が増えたり(第18回)、
そうした取り組みが実を結んで来場者数が1,000人を超えたり(第27回)、
展覧会限定お菓子の販売(第29回)や映像展示を始めたり(第35回)、
大河ドラマ関連展示をしたり(第45回)、香り体験や辻占クッキー配布を行ったり
タマちゃんブームでフィーバーしたり新型インフルエンザであわや中止!?になりかけたり
スタンプラリーやトークイベントが行われるようになったり(第73回~)などなど
時代と平行しながら行われてきた展示の悲喜交々がつづられていました。
記念すべき第1回展(1973年)は「富岡鉄斎と虎屋展」で、
幕末~近代にかけてとらやの京都店支配人と親しかった鉄斎が取り上げられたようです。
現在もとらやで使われている「竹に虎」の掛紙は鉄斎の筆によるものだそうです。知らなかった。

歴史上の人物とお菓子の企画がwktkでしたっ( ̄∀ ̄)
第4回展で取り上げられた光格天皇はお菓子が大好きだったようで、
とらやのお菓子に何度か名前をつけているそうです。
そのうち「下染」「村紅葉」の2つが再現され展示されていました。きれいだった!
第13回展は和宮御用関係の展示で、成人祝いのでっかい月見饅頭がおもしろかった。
お饅頭の中心に穴をあけて、夜空にかざして月を覗き見る風習があったそうで
そのためにすごく大きく作ったのだそうです。ちょっとやってみたい…p(◎qд ̄)
第45回展で紹介された、1705年に尾形光琳が中村内蔵助に贈ったお菓子は
10種類を重箱につめた豪華なものだったようです☆
うち「色木の実」「友千鳥」が再現され展示されていまして、
とらやで発行されていた御菓子之書図というお菓子カタログは絵入りで品物の説明がされていて
光琳が見たのはこんな冊子だったのかなあとワクワク。
(歴史上の人物と和菓子についてはとらやのサイトでも連載されています→こちら
来年には本になるそうだ!楽しみ!)

やっぱり一番テンションがあがったのはお菓子の再現ですかね!(o゜▽゜)o
重箱にお菓子が敷き詰められた百味菓子(第6回)、
伊勢神宮の神使である鶏の2羽を表現した「みもすそ川」というお菓子(第19回)、
源氏物語の夕顔の扇子や、若紫の伏せ籠をイメージしたお菓子(第30回)に
唐菓子(第50回)に干菓子の模型(第56回)に宝来袋(第64回)!
あああああ全部食べたいいぃぃぃいいいい(*´Д`*)hshs
第14回の、パリ店で出しているガレット・ディロワは餡子入りのパイで
中にフェーブと呼ばれる陶器製の小物を入れたそうです。
パイを切ってみんなで食べて、小物が入っていた人はその日1日王様になれるという
西洋の風習を取り入れたものですね。
第58回の、鳥籠サイズの三角形の籠にハマグリお菓子をどっさり入れたのが最高でした☆
こ、これ…もう籠抱え上げてそのまま口にドバドバ放り込みたい←
第69回の、枕草子に出てきた削り氷の再現度が高すぎてやばい、
甘葛たっぷりかけて食べたくてたまりませんでした。
第75回にはお菓子で作った七福神を宝船に乗せた展示があったのですが
制作した職人さんが「マニュアルもなく試行錯誤。きれいに飾れた時はうれしかった」との
コメントを寄せられていまして、
「ふの字尽くしの宝船だー前に見たーー!」とテンション上がりました☆あれは良かった…。
生菓子だけではなく、お菓子の模型もあって
第67回に展示された木製のお菓子は、中にマグネットが入っていてパカッと割れます。
丸みを帯びているからお子様のおもちゃとかに喜ばれそうだなと思いました。

お菓子についての豆知識もおもしろくて、
ようかんを「羊羹」と書きますが、字の「羊」は小さい羊を、「羹」は大きい羊を意味するそうで
羊羹の字には羊が3頭いるんですね、気がつきませんでした。
(ちなみに羊羹とは、もともとは羊の羹(あつもの)ということでスープのようなものだったらしい)
金平糖の語源がポルトガル語のコンフェイトではないかという話はどこかで聞いたけど
茶巾餅が砂金袋をイメージしてるのは初耳でした!漂うズッシリ感…。
第77回展の桜餅大調査は都道府県の桜餅の材料をお客さんから調査したパネルで、
埼玉は道明寺が73・長明寺が175だったそうです。うん、確かにうちは長命寺を食べます…。
(ちなみに京都を見たら110・4でやっぱり道明寺が多いようですな)
戦時中のお菓子を紹介した映像ではお菓子の写真とレシピが次々に映し出されて
いかに当時の人が工夫しておやつを作っていたかが克明に。
寒天でみかんの汁を固めるとか、小麦粉とイモにりんごを混ぜて鹿の子とは!勉強になりました。
材料は小麦粉や砂糖、イモ、卵が多かったような印象があるな…。

さらに、展覧会が長ければハプニングにも事欠かないわけで
合間にちょこちょこ貼ってあるここだけの話っぽいパネルがおもしろい。
第33回展の、和菓子を入れるためのお通箱「井籠」(立派な造り!)についてのエピソードは
広告にお菓子と井籠が紹介されたせいで「この籠に入れて届けて欲しい」と
実際にお客さんから注文があったとか、
第36回展で全国のご当地羊羹を展示したら
展示ケースが斜めに傾いたタイプだったので床に落ちてしまうこともあったとか、
亥の子餅の展示で「猪の小弥太萩餅」なる回転パネルを作って
表に小弥太の絵を、裏に絵についての説明をつけて置こうとしたら
「お客様の手をわずらわせるのはいかがなものか」と社内から意見が出たとか(結局採用)、
たくさんのこぼれ話を拝見できました。
今は触ったり香りをかいだりするような参加型展示は全国的に溢れておりますが
昔は見るだけというのが基本でしたからね…。
そう考えると時代って進んできたんだなあと思います。
第71回展で昔の子どものお祝い用に作られたという大きな鏡餅のレプリカを置いて
裏に重さの答えを書いて「持ち上げてね」って書いておいたけど
皆さん持ち上げるだけであまりひっくり返してくれなかったこともあったようでした^^;
で、「今回はご覧ください!」とパネルにあったのでお言葉に甘えて持ち上げてみたら
結構、ずっしりと手にきましてびっくり。
お餅の下に「ありがとうございます!重さは2kgです」と喜びいっぱいに書かれてて笑ってしまった^^

いやあ楽しかったです。3年後にビルができたら次はどんな展示をしてくれるのかな。

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とらやの5月の生菓子唐衣(左)と更衣(右)。
唐衣は1694年に発売されたお菓子で、伊勢物語八つ橋の「唐衣きつつなれにし~」の歌を
イメージしているそうです。初夏を感じますな(´▽`)
更衣は1770年発売の、涼やかな夏の衣をイメージした衣替えのお菓子だそうで
毎年5/30~6/1の3日間限定販売です!
ずっと買いたくてタイミングを逃していて、やっと買えました。もっちりした食感でおいしかった☆

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とらやさんの隣のビル中2階に小さなお稲荷さんがございましたのでお参り。
美喜井稲荷神社というそうです。
比叡山から降りてこられた徳の高い神様を祀っていると看板にありましたが
神様の名前は書いてなくて、
代わりに「この神様にお願いする方は蛸を召し上がらぬこと」と謎の一文が^^;
そういえば最近食べてないな、蛸…。

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猫ちゃんの彫刻があった☆ 左は鳥と戯れていますが、右は魂と戯れてます。
むむ、ここはお稲荷様のはずですが…謎神社^^;


あと、この日は東博にも寄りました。
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特別展入口にはこんなディスプレイが。すごい、絵巻の一場面がリアルに再現されている…!

現在、東博では去年に京博で開催された鳥獣戯画展が巡回中でして、
京都旅行でも大混雑の様子をレポしましたが東京展はさらに大変な混雑&長蛇の列だそうで
(公式アカウント@choju_uenoでは開館前に800人以上が並び日中は入館まで2時間待ち、
甲巻まで2~3時間待ちという収拾のつかなすぎる状態が連日ツイートされている)、
まあ京都で見たので今回は展示そのものは鑑賞しなかったのですが
撮影スポットには並ばなくても入れるとの情報を得てやって来ました。

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撮影スポットにいた子犬ちゃん^^
鳥獣戯画を所蔵する高山寺の祖・明恵上人が愛玩したと伝わる子犬像のレプリカです。
かわいい~かわいすぎる~~~(*´∀`*)。
京都の展示にもいて、ちょこんと座る姿にたくさんの方が見入っていたのを覚えています。大人気。

ミュージアムショップでグッズ見ようかとも思いましたけど、レジに大行列ができていたので諦めました。
いやはやなぜこんなに人気が出てしまったのか鳥獣人物戯画、
2007年のサントリー美術館の全巻展示はかなりすいてて前期後期ゆっくり見られたというのに…。
もともとの人気と東博・京博のネームバリューと、美術番組と京騒戯画と
ここ数年で関連グッズが爆発的に売られるようになったせいかな~。
あと綺麗になったしな、修復効果。

東博本館では特別展の関連展示として「鳥獣戯画と高山寺の近代」展を開催中でした。
1872年に町田久成(東博初代館長)らによって行われた高山寺の宝物調査の記録や
絵巻の模本、絵巻を撮影した写真資料などが展示されていて
100年以上前の学芸員たちがどんな風に文化財調査をしていたかがわかるようになっています。
調査は、主に高山寺の仁王門や茶室や明恵上人坐像の撮影や
鳥獣人物戯画(当時は「鳥羽僧正筆画巻物4巻」と記録されているらしい)を含む文化財の状態を
調べるのが目的だったようです。
(ちなみに調査の10年後に戯画の修復が行われている)
こういう「誰が、いつ、どんな風に」調査したかっていう「調査方法の記録」を
残しておくことも大切だよなあ…。
物と違って「やり方」には形がないので、その人がいなくなったらわからなくなってしまうのだから。
(というか研究者の皆さん積極的にハウツー残しましょう後世のためにも…メイキング大事)

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1888年に岡倉天心やフェノロサらが行った調査で撮影された写真。
鳥獣人物戯画乙巻の一部です。

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山崎董詮が模写した甲巻はすべての場面が公開されていました!

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壁に本物を写したパネルがあって、

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下に絵師の写した絵があって見比べられるようになっていました。
模写方法の説明が特になかったのですが、並べて描いたのか紙を重ねて写したのか…
パッと見だけだとたぶん前者のような気がする。

わたしもやってみたいなあ戯画の模写…和紙買ってきて筆ペンとかでできるかな。
しかし動物かわいく描ける自信ないうえに甲乙丙丁で全長約12mあるから折れない心も必要だ。

そんなこんなで展示を堪能しましたので、この日東博に来た最大の目的を果たしに
東洋館横のホテルオークラのレストラン「ゆりの木」へ向かいまして。
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じゃーん!鳥獣戯画ケーキを注文しました☆
特別展は見られなくてもこれだけは食べたかったんだ!

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白うさぎのマカロンを外すとこんな感じ。
よもぎシフォンスポンジの上に黒糖ババロア、ゆずわらび餅がズンと乗っかってて
苺とオレンジがぎっしり積まれています。この世の天国…ホレボレ(*´з`)
シフォンとババロアの柔らかさと、わらび餅のぷるぷる食感と、フルーツの甘酢っぱさが口の中でミックスして
しあわせすぎて訳がわからなくなりました。
うわああ鳥獣人物戯画ずっと大好きだー!

あ、うさぎマカロンといえば。
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4月に日本橋三越に期間限定オープンしていた鳥獣戯画ショップでゲットしたマカロンの写真を
載せようと思っていてすっかり忘れていたので、この機会にアップ。
戯画のうさぎとカエルが描いてあって、もっちもち食感でしたよ~また販売してほしい。


korin4.jpg※クリックで大きくなります
「風神雷神図屏風Rinne」光琳・乾山編その3。2はこちら
乾山、外へ出した方がいいのかなあと障子を開けてみましたが
へんな生き物たちは部屋の中で勝手に遊び始めてしまいました。
光琳「虫じゃねえよな…」
乾山「うん、風と雷出してる」
光琳「………」
乾山「………」
2人「「風神雷神図」」
光琳「だよな」
乾山「だよね」
光琳「どこにあったっけ」
乾山「妙光寺」
光琳「………」
乾山「どうしたの」
光琳「決めた、おれ絵描くわ」
乾山「はい?」
光琳「まだ質に入れてない品が手本になるし、親父の型紙も売るほどあるし。腕を上げて、宗達の屏風を写す」
乾山「本気なの」
光琳「本気」

目は確かに本気っぽいけど寝ながら言われてもなあ…と、乾山は半信半疑です。

光琳が本格的に絵を描き始めたのは40歳前後になってからといわれます。
父親の遺産を使い果たし兄弟からも借金の督促を受けるようになって、
何とかしなくてはと真剣に考え始めたのかもしれません。

宗達の風神雷神図はもともとは妙光寺(京都市右京区北部)にあったという説があるそうです。
妙光寺は乾山が住んだ鳴滝窯の近くにあり、乾山が陶法を学んだ野々村仁清の墓所もあります。
その後屏風は何らかの理由で江戸時代後期に建仁寺へ移されたそうです。
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2015-06-02 (Tue)
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地元の映画館で配給してないうえに都内もそろそろ終了しそうな雰囲気だったので
大急ぎで先週末に映画『百日紅』を見てきました。
今まで一度も映像化されてないのに杉浦日向子さん没後10年の今年にまさか映画になるとは…!
お栄ちゃんや北斎爺ほか個性豊かな人々が自由に動いてましたよ~大画面で観てよかった。

こちらで冒頭6分だけ本編が見られますので興味のある方どうぞ。

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この日のランチです。京都のおばんざい。
ほうじ茶ご飯って初めていただきましたけどおいしい(^∀^)。


あと、観た日が5月29日でゴフク(呉服)の日だったので
本当は着物で映画館に行きたかったのですが、当日は雨が降っていたので洋服で行きました。
でもせっかくだし、と帰宅してから着たのがこちら↓
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袷なので今の時期着ると暑いですけど、
白地に模様入りなのが映画のお栄っぽかったからこれにしました。
帯も映画にあわせて紫色☆

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写真だとわかりにくいですが、
実はおはしょりを作らず紐で裾をたくし上げて帯を適当に結んでます(笑)。
お蔭で襟と裾がぐちゃぐちゃ、江戸の人たちはこんな着付で生活していたのかな…。
外は歩けそうにないなあ、慣れてないし着崩れまくりそう(;´∀`)。


そんなわけで以下、まとまりのない所感書き。ネタバレを含みますので未見の方はご注意ください。
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