
国立新美術館の「ミュシャ展」に行ってきました。
ミュシャは人気なので毎年だいたいどこかで展示やってるし
4年前の六本木のも行きましたけど
今回はスラヴ叙事詩が来日すると聞いたので!
美術ファンやミュシャファンなど知る人には知られているスラヴ叙事詩、
その大きさと美術的価値ゆえにチェコ国外で展示されることはないと思われていたのが
2年前に突如「円柱に巻きつけて運びます」というパワーフレーズとともに速報が流れたときは
全身が震えたよ。
だってプラハ行かなきゃ見られない(=飛行機に乗れないゆさは一生見る機会がない)と思ってたから!
今までも一部が来日したことはあるみたいだけど全部は初めてだそうで
この企画のために果たしてどれだけの人が全力を尽くしたのか。
本当にお疲れさまでした。ありがとうございました。
もともとあの絵は輸送を考慮して分厚い帆布に描いてあるのだそうで
巨大キャンバスに描かれていると勝手に思い込んでいた自分を正しに行くためにタイムマシンが欲しい。
ミュシャはずっと現実的な考え方の人だったのだ…!
そもそもミュシャはあの作品群を、ズビロフ城というボヘミア地方の城をアトリエにして描いていて(大きいから)、
プラハに寄贈するため城から移動させる手段も見据えてたってことよね。
それでもプラハから日本まで動かす以上リスクはやっぱりあると思うので
様々なハードルの中貸出を許可してくれたプラハ市と権利者の人々に大感謝。ありがとうございます。
展覧会公式Twitterで巻いて運ばれてきたスラヴ叙事詩が展示されるまでの様子がワクワクどきどき、
また
展覧会公式サイトのトップページでは叙事詩の大きさを体感できるアニメーションもあるし
今回の企画がいかに規格外かを色んな人に知ってもらえるのではないかと思う。
天地がひっくり返るスケールの出来事なんだよ!
こんな機会二度とあるかわからないから行ける人は這ってでも行った方がいい。
展示室へ入ったとたんにいきなり巨大な絵の群れがどーん!と視界にとびこんできて
やっばい本当に来てる…!と戦慄。
わたし今まで見た中で一番大きな絵は高野山の血曼荼羅(4m)ですがそれを凌ぐ大きさだよ、ひええ。

言い忘れましたけど今回、一部ですが写真撮影ができます!カメラ必須!!
関係者の尽力に感謝します。最近こういうの増えてきてうれしい(*´︶`*)。
写真は後半の撮影可能ゾーンですが作品と鑑賞者の対比が何となくおわかりいただけるでしょうか、
とにかく巨大でド迫力。
新美の展示室ってこんなに天井高くて広かったんですね…
いつもは小さな作品の展覧会を見てるから気づかなかったよ。
スラヴ叙事詩は全部で20点、6mものキャンバスもあり完成まで17年を要した大作で
神々の時代から第一次世界大戦までのスラヴ民族の歴史が史実と寓話を交えて描かれています。
描き始めた当時ミュシャは50歳、78歳でなくなっていますからほぼ後半生を費やしたんだね。
(その間チェコスロバキアの切手や紙幣や警察官の制服などのデザインもやってて
どんだけ働いてたんだミュシャよ)
4年前の展覧会でも叙事詩の下絵や習作、登場人物のコスプレするミュシャの写真などが紹介されましたが
あれらを経て完成した形がこれらなのだと思うと感動もひとしおで、
展示室を何度も行ったり来たりしながら各作品をまんべんなく鑑賞。
わたしにはチェコの歴史の知識はないけど、
キャンバスでかいし群衆たくさん描かれてるし衣服や建物の装飾も細かくてそれだけでも勉強になる。
近くで見るとそんなに色が多いわけじゃないんだけど遠くから見るとほどよくまとまって見えるので
何というかこう、富士山を眺めるような気分になりました(遠くから見るときれいだけど近くで見ると荒々しいみたいな)。
上部分は照明で光ってる部分もあるのでオペラグラスがあるといいかもしれません。
中でも特に完成度が高い初期の3点「原故郷のスラヴ民族」「ルヤーナ島でのスヴァントヴィート祭」
「スラヴ式典礼の導入」がほんとにかっこいい!
異民族の侵攻から逃げる男女(アダムとイヴといわれる)から神々の戦争の時代を経て
ラテン語の使用からスラヴ語を認めさせるまでの流れはよく考えられてる…。
多神教の祭司や当時の国王が両手を広げてバーンと空に浮かんでるのかっこいいし
(叙事詩の特徴として神や権力者は画面上部に、市民は下部に描かれる傾向があります)、
民族の団結を象徴する少年の姿は凛々しい。
続く「ブルガリア皇帝シメオン1世」はスラヴ文学の創始者といわれるシメオン1世の絵で
ギリシャ聖人の壁画に囲まれた宮廷でシメオンが書記官に口述筆記をさせ、
周囲では学者や司祭たちが夢中で本を読んでいました。
鑑賞前に参考にした
現地の学生さんブログにも
シメオンの時代は「ブルガリア帝国のもっとも栄光に満ちた時代」と書かれていたけど、
書物の表紙やページはもちろん、壁や床や絨毯や若者の腰布の模様まで細かく描きこまれていて
画面のすべてから繁栄がばしばし伝わってきます。
シメオンはビザンチン帝国の書物をスラヴ語に翻訳させ宮廷で学者や司祭に読ませて
ルーマニアやロシアへ広めた人だそうで、
キャプションに「書物はスラヴ人の過去と未来をつなぐ役割を果たしたのです」と解説されていて
首がもげるほど頷いた。
聖書をドイツ語に翻訳して今に伝えてるみたいなロマン…読書は過去の人との再会なのだ。
神話から戦争へ。
「クロムニェジージュのヤン・ミリーチ」「ベツレヘム礼拝堂で説教をするヤン・フス師」「クジーシュキでの集会」は
言葉の魔力といわれる3点シリーズで
それぞれミリーチ、フス、コランダという聖職者の説教とその影響を絵画化しています。
特にフスは、フス派と呼ばれるほどの影響力を持った人(後に裁判にかけられ火刑になった)で
演台から身を乗り出して熱っぽく演説する様子は声が聞こえてきそうなリアリティ。
そんなフスを、横から冷たい目でヤン・ジシュカ(実在の軍人)が見ているし
ジシュカの背後の壁画にはドラゴンと戦う聖ゲオルギウスがいるのも象徴的だと思う。
コランダはフスの後継者で信仰を守るためには武器も必要と説き戦争のきっかけを作った人で
絵はまさにその宣言の場面で今にも戦争が始まろうとする不穏な雰囲気もあり、
赤と白の旗(生と死を象徴)も立てられています。
「ヴォドニャヌイ近郊のペトル・ヘルチツキー」はそうして起こったフス戦争さなかの様子で
人々が悲しみに沈む中、司祭ヘルチツキーが市民の拳を制して聖書の言葉を授ける場面。
「グルンヴァルトの戦いの後」と「ヴィートコフ山の戦いの後」は
戦後に呆然と立ち尽くす軍のトップやフス派による勝利の儀式などを描いています。
「ニコラ・シュビッチ・ズリンスキーによるシゲットの対トルコ防衛」は
1566年のオスマントルコの侵攻をクロアチア総督ズリンスキーがハンガリーで迎撃した事件の絵画化で
派手な戦闘シーンが赤黒い色彩で展開されている。
中央を黒々と分断する黒煙はズリンスキーの妻エヴァが放った松明による爆発で
ズリンスキーが撃たれる姿も描きこまれているのですが、
実際はズリンスキーが亡くなったのはこの後でエヴァは再婚もしているとのことで
かなりミュシャの創作が投影された絵なんだな…。
政治や宗教。
「ボヘミア王プシェミスル・オタカル2世」は王の姪クンフータとハンガリー王子ベーラの政略結婚の場面で
花嫁の姿はないけど階段にかかる装飾と白衣装がすごくきれいだった。
「東ローマ皇帝として戴冠するセルビア皇帝ステファン・ドゥシャン」は
ローマ皇帝を名乗り戴冠式を終えた皇帝のパレードの様子で、
花を持つ少女を先頭に華やかな行列が描かれています。
(実際の東ローマ帝国はギリシャのパレオロゴス家が皇帝だったらしいですけども)
「フス派の王、ポジェブラディとクンシュタートのイジー」はチェコとカトリック諸国の協定を教皇が無効としたので
イジー王が怒って椅子を蹴っ飛ばして立ち上がった、まさにその瞬間の場面で
もしこれを実写映画化したら俳優の演技の見せ所はここみたいな、とてもドラマチックな絵。
手前の少年が持っている本のタイトルに「ローマの終焉」とあるのが意味深。
「ヤン・アーモス・コメンスキーのナールデンでの最後の日々」はボヘミアがカトリック諸国に敗北し、
移住を余儀なくされたプロテスタントの信徒の一人だったコメンスキーの死の場面で
彼は椅子に座って物思いにふけりながら亡くなったとされているそうです。
寂しげなコメンスキーの姿も見事だけど、中央に置かれたランプの表現がすばらしかった!
ミュシャは灯りをすごく灯りらしい色彩で描ける人だと思う。
あとこの絵だけミュシャのサインが入ってます。さがしてね^^
そしていよいよ撮影可能ゾーンです。
以下、撮影可の写真をアップしてあります↓クリックで開きますのでどうぞ☆
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