
上野の森美術館の「怖い絵」展に行ってきました。
ドイツ文学者の中野京子氏の著書『
怖い絵』をヒントに
絵に込められた物語や時代背景を読み解きながら鑑賞しようというコンセプトの展覧会です。
(中野氏は展覧会の監修も務めキャプションにメッセージを添えておられます)
本は出版された当時に読んでいますが、そのラインナップが来日するのかと思いきや
今回は展覧会のために改めて選ばれた作品が展示されています。
本に載っていた絵もいくつかあったので「おーこれは」などと読書当時を思い出したりもしました。
ベストセラーの企画のため初日から大混雑と聞いて、公式の混雑情報も確認しつつ行ったら
入場までだいぶ待つ羽目になったし会場でも絵の前に常に10人くらい人がたゆたっていたよ…!
こりゃ会期末まで混む一方な気がする。
あと音声ガイドを借りている人が多く、彼らは解説を聞き終えるまで絵の前で不動明王になるので
それも混雑の要因になっている気がします。
いや、せっかくだし解説ゆっくり聞いてもらっていいんですけどね。キャパがね。会場の問題ですね。
幽霊や妖怪、地獄絵、ホラー、グロ絵画など恐怖をテーマにした展覧会はたくさんありますけど
今回は見たままに怖い絵のほかに一見、怖くないと感じる明るい絵や何気ない日常風景の絵も
視点を変えたり歴史や画家の背景を知ると「あれ、もしかして怖い絵だったかも」とか思えてきて
絵画の見方が深くなるようなキュレーションになっています。
いわくつきとはまた別の意味でゾクゾクっとするというか。
テーマがテーマなので悪魔や怪物、犯罪者、戦争、社会問題などの絵が多くて
神々や天使がいたとしても気まぐれに人間を動物に変えたり街を破壊したりするし
人間たちは神々や自然に振り回されたり欲望のままに行動したり争ったりしていて
「えぐい」「こわい」「うえっ」「ひでぶ」「あーあ」とか言いたくなる絵が多かったのも
いつもの鑑賞の雰囲気と違って楽しかったです。
そして見れば見るほど制作の背景や意図を知りたくなるんだ…うまい構成になってますよ。
この見方を応用すれば普段あまり怖いと思ってないモネやルノワールが怖く見えてきそうだし
ムンクやゴヤはもっと怖くなりそうです。楽しい。
作品は6つの章ごとに展示されていて、まずは神話と聖書。
トップバッターで出迎えてくれる「オイディプスの死」は
母と結婚したことに絶望したオイディプスが娘たちに添われて死を迎える場面の絵で
両目をえぐられた顔がこっちを向いてるので「おぶぅ」(ぼのぼのの声で)とか言いたくなりました。
最初からこれか。容赦ないな。。
続いて「オデュッセウスに杯を差し出すキルケー」。
杯を差し出す魔女キルケーの後ろに鏡があり、オデュッセウスと思われる男性が写っていて
キルケーの足元には魔法で豚に変えられたオデュッセウスの部下たちが転がっています。
結構大きくて迫力のある絵ですがやってることめっちゃえげつないすな。。
「オデュッセウスとセイレーン」は、キルケーの島を去った船上でうっかり耳栓し忘れたオデュッセウスが
海の魔女セイレーン(サイレンの語源)たちの歌う歌に惑わされ狂乱させられる絵で
とてもきれいな絵なのですがやってることはやっぱりえげつない。
(ちなみに耳栓をしなさいとアドバイスをくれたのはキルケーなのですが
オデュッセウスは「そんなに美しい歌なら聴きたい」とか思っちゃったらしい…アホの子なのか)
「ソロモンの判決」は1人の子どもを2人の母親が自分の子だと主張するので
ソロモンが「じゃあ子どもを真っ二つにして2人にあげる」と、とんでもないことを言うと
1人は「裂いて」と言い1人は「裂かれるくらいなら彼女に譲る」と言ったので
本物の母親がわかり子どもは返された…という場面の絵画化。
有名なテーマなので別の画家の絵も見たことがありますが、今回のジャン・ラウーは
子どもの足をつかみ剣で裂こうとする男性が中央にいて、ソロモンは右におりました。
「ソロモンすげえ」がテーマなので(実際は神に知恵を借りたんだけど)こういう構図は珍しいな。
口から血を流した「飽食のセイレーン」や首だけになっている「オルフェウスの死」は
割とわかりやすい怖さですけど、
「スザンナと長老たち」のような絵は彼女が無実の罪で告発された人だという背景を知らなければ
いわれのない恐怖におびえる彼女の表情を読み取れないんだな…。
血を流したり骨だったりする視覚的な恐怖のほかに、心が感じる恐怖も絵画にはたくさん描かれてきたよね。
続いて悪魔、地獄、怪物。
人に悪夢を見せ性交する「夢魔」の絵は一時期流行したようで、
フェーズリの夢魔はベッドから落ちそうな態勢で眠る女性の隣にゴブリンのような夢魔がいて
目がギラギラ光っていて、ついでに家具の木馬の眼もギラギラ光ってて怖い。
トニ・ジョアノの夢魔は眠る男性の上にゴルゴンとスフィンクスをミックスした怪物がいて
さらに女性の夢魔が手を伸ばしている。
16世紀のオランダ派による「聖アントニウスの誘惑」は
バベルの塔展で見た同テーマの絵みたいな、
へんな生き物がアントニウスの周りをうろうろしてカラーマンガみたいな雰囲気で
これだけの誘惑を拒絶しなければならない苦労を思うとちょっと笑えてくる。
他にもダンテの『神曲』の地獄とか、「ホップフロッグの復讐」の火あぶりのシーンとか
酔っ払いの乱痴気騒ぎに破壊の天使と悪魔が乱入してさらにハードコアみが増してたりとか
割とわかりやすい作品が多めだったけど、ビアズリーの「サロメ」のための挿絵はぞくっとします…
踊り手の褒美は例のヨカナーンの首を愛でるサロメのシーン、
章末飾りは原作にないサロメの埋葬シーンで黒い棺桶にFINと刻んであって
物語の終わりと同時にサロメの終わりも暗示しているような。
さらにギュスターヴ・モッサの「彼女」もめっちゃ怖かった…。
男性の遺体の山に巨大な女性が座り、彼女の頭にはガイコツが、股間には猫の顔があって
光背に「これがわたしの命令、わたしの意思は理性にとってかわる」とラテン語で書いてあり
たぶん彼女はマン・イーターでお食事中なのではないかという…。
モッサは初めて知った画家ですが少しぐぐるだけで強烈な画像が出てきます。興味ある方はどうぞ。
異界と幻視。
イソップ寓話を題材とした「老人と死」とか、ロープを持つガイコツのいる「母親と死神」など
ガイコツに死を見る表現が多かったなあ。
ムンクの「死と乙女」ではガイコツと生身の女性がキスしているし
ゴヤの「恐怖の妄」には軍人に手を差し伸べる白い亡霊の姿が描かれていました。
ルドンの『エドガー・ポーに』から「目は奇妙な気球のように無限に向かう」はバックベアードみたいな目が、
「仮面は弔いの鐘を鳴らす」は人顔の仮面をつけたガイコツがものすごいインパクト。
マックス・クリンガーの「手袋」はエッチングの連作で
女性の落とした手袋を拾った男性が幻想的な世界に迷い込んでいくストーリーが妙に心地よくて
キリコやダリみたいだと思ったら彼らに影響を与えた人だったのね。道理で。
チャールズ・シムズの「小さな牧神」は子どもと一緒に踊る牧神(山羊の角を生やした半人半馬の神)が
とても微笑ましくて画面の色彩も明るくきれいで、あれは怖いというよりファンタジックな作品だった。
「クリオと子どもたち」も青い空にどこまでも広がる緑の草原と、一見とても明るい絵だし
女神クリオの話を聞く子どもたちもとても楽しそうなのですが
クリオが膝に広げる巻物にはなぜか赤い絵の具がべったりとついていました。
元々は赤くしてなかったそうですが、作者のシムズが第一次大戦で息子を亡くした後に入れたそうです。
それを知ってから見るとこれは悲しみの絵でもあるのだなあと思う。
現実。
ウィリアム・ホガースの「娼婦一代記」は田舎からロンドンに来た少女モル・ハッカバウトが
望まぬまま娼婦となりやがて身を滅ぼしてしまう、当時の社会問題を痛烈なまでに表現した版画連作。
商人の妾となったモルが娼婦になり、逮捕され、出産するも梅毒で亡くなってしまう過程に
倒れる鍋や自分を偽る仮面、魔女を暗示する黒い帽子やほうき、散らかった部屋などが随所に配置され
最後のお葬式のシーンでは誰ひとり涙を流さない中、
棺を覗きこむ白い服の女性(モルの亡霊とされる)だけが悲しげな顔をしている。
なんでこんなになるまで誰も助けなかったんすか…まだ23歳ですよモルちゃん…!
労働者階級の母娘の自殺とか、川に身を投げて引き揚げられた女性の遺体とか
今にも通じる労働問題の作品もあって怖いというより胸が痛む。
ゴヤが1808年の半島戦争をテーマに制作したエッチングも
死体の山を前にして鼻をつぐむ男女とか、切り刻まれた遺体をつるした木とかとにかく残酷で
でもゴヤはきっとこれ以上の地獄を現実に見たんだろうな…他にも戦争絵画をたくさん描いた人だしね。
正体はジャック・ザ・リッパーではないかという説があるウォルター・シッカートの「切り裂きジャックの寝室」は
シッカートが借りたというジャックの部屋を描いた作品なんだそうで
窓だけが異様に明るくて窓辺に立つ人物が真っ黒、今にも振り返りそうでした。ひいぃ。
びっくりしたのがセザンヌの「殺人」。
男女が2人がかりで女性を殺していて色彩もめっちゃ暗くてほんとにセザンヌなのって思った、
林檎や風景画しか知らなかったからファッって声出るとこだったよ…!こんな絵も描いた人なんだね。
セザンヌは成功するまでの下積み時代に本当に本当に苦労したらしくて
ああいう絵でも描かなきゃやってられなかったのかな…人に歴史あり。
崇高の風景。
ターナーの「ドルバダーン城」は荒れ地の崖の向こうに大きな古城がそびえているのですが
躍動感のある夕焼雲に対してお城は荒涼としてまるで廃墟のようでした。
その昔、ウェールズの王族オワインが弟との権力争いに負けて20年以上も幽閉されたのが同城だそうで
何だか怖さもさびしさも感じられる作品でした。
ジョン・マーティンの「ベルシャザールの饗宴」はバビロンのベルシャザールで宴会の最中に
空中に手があらわれて古代建築の壁に文字が書かれる奇跡についての絵で
壁の文字がピカーッと輝いてるのも、空に光る雷もすごくきれいだったし
驚き様々な表情をする人々も生き生きとしていました。
ギュスターヴ・モローの「ソドムの天使」はソドムを滅ぼした天使(白)と街(黒)のコントラストの対比がすごい、
あと天使は必ずしも人間の味方ではないという事実を思い出せました。
彼らは神の命令とあれば人を救うし試練を与えるしジェノサイドもする。つよい。
フォード・ブラウンの「ユングフラウのマンフレッド」は男性が山頂で自殺しかけたのを猟師に止められる絵で
自然の脅威というか畏怖というか、惑わされてしまう人間がテーマなのかな。
自然といえばジョージ・スタッブスの「ライオンに怯える馬」という絵もあったけど
ライオンと白馬は一対一で、ええと、だったらライオンは馬を襲わずに立ち去るんじゃないかな…
とか…そんな野暮なことを言ってはいけないね…;;;
そんな中ムンクの「森へ」は異彩を放っていた。
深い森の中へ向かう裸体の男女は自分たちのなりゆきを全て自然に任せているような印象でした。
ムンクの絵は強烈ですが不思議とまた見たくなるよね…
前にも書いたけど。
歴史。
ゲルマン・ボーンの「クレオパトラの死」は裸で毒蛇に噛ませて自殺したというエピソードの絵画化で
まあよくある内容ですが(そして史実ではないですが)
さすが女王で衣装もめっちゃ豪華だし、寝台にエジプト風絵画が描いてあったりした。
ジャック=ルイ・ダヴィッドの「セネカの死」は皇帝ネロの師であるセネカが
血を流し、毒をあおり、風呂に入れられ、発汗室で熱風をぶっかけられ亡くなったという話の絵で
なぜそんな目にあわされてしまったのかセネカさん…ネロあいつほんとやべぇな…!
ジャン=ポール・ローランスの「フォルモススの審判」は亡くなって埋葬された前教皇フォルモススを
現教皇ステファヌスがお墓から引きずり出し裁判にかけ有罪にしたという史実を絵画化していて
正装した死体が椅子に座らさせている図が何ともシュールでした。足元に置かれた香炉が悪臭を物語っている…。
(ちなみにステファヌスはその後民衆による反動で捕らえられ殺されたそうです)
同じくローランスの「ボルジアの犠牲者」は教皇の息子が一族を邪魔者とみなし次々に殺害させた事件で
絵はいましも仕事を終えた暗殺者が立ち去る場面を描いていて
部屋に倒れた人物のおびただしい血を見てなぜか
アガサ・クリスティのポアロのクリスマスを思い出しました…あれもめっちゃ血のある事件だったね。
オラース・ヴェルネの「死せるナポレオン」はオリーブの冠を被って横たわるナポレオンの顔のアップで
目が落ちくぼんでるわ頬はげっそりしてるわ。
フランス派の「マリー・アントワネットの肖像」は対照的にまだ少女だった頃のマリーが微笑んでいました。
フレデリック・グッドールの「チャールズ1世の幸福だった日々」は
チャールズ1世とその家族たちが川で舟遊びを楽しんでいる絵で
とても優雅な国王一家の休日という感じですけど、岸には武器を携えた人々が待っていて
この後に国王が清教徒革命で斬首される運命も表現しているのですな。
国王の手に蝶番付きの本があって、本が好きな人だったのかなあとか考えてしまいました。
そして、今回の目玉作品でキービジュアルにもなっている「レディ・ジェーン・グレイの処刑」は
思ってたより大きかったということもあって、現場に居合わせているかのようなリアリティがありました。
印刷を見ていた限りでは、目隠しされたジェーンの表情からは理性も感情も感じなかったけど
実際に本物を見ると彼女の表情から様々な情報がわっと押し寄せてきて一瞬、混乱してしまった…
なんていうのかな、何も考えていないようで、でもここに来るまで色んなこと考えてそうというか
これから自分の身に起こることが本当の意味ではわかっていないような、でも半ば諦めてもいるような。
展覧会のコピーにありますが「どうして」こんなことになったのかと問う声が聞こえる気もします。
その日の気分や体調や季節でまったく違う感情を抱きそうな絵だと思いました。あと額縁が超豪華。
作者のポール・ドラローシュはリアリティのある歴史画を多く残した人ですけども
(ドラローシュがナポレオンのアルプス越えを理想的にではなく
現実的に描いた絵とかあるし)、
実際のジェーンは黒いドレスに屋外で公開処刑されたのでこれは画家の作ったドラマなのですな。
周囲が真っ黒だし光の当たってるジェーンに真っ先に視線がいきます。計算されている絵だ。
(あと、この絵はパリのサロンに出品されたのちロシアに渡り、テート・ギャラリーでは洪水に遭い、
一度ルーブルに移されたのちナショナル・ギャラリーが買って今に至るそうです。
展示室でこの絵の前だけ床がすり減るくらいの人気作なのだそうな。めでたい)

美術館の入口にあった看板。
ちょっとわかりにくいけど雨が降っていて、雫がジェーンの顔を濡らしてまるで泣いているようにも見えました。
自然と絵画のコラボアート。

上野エキュート内にあった紙兎ロペとのコラボ。撮影スポットになっていました。
ロペとアキラ先輩と一緒に上野のパンダが震えております。かわいい。
あと、この日は両国まで足を延ばして
先週、山口晃氏が行った大ダルマパフォーマンスの絵を見にYKK60ビルまで行きました。

ビル1階アトリウム、ガラス張りの明るいホールに達磨が!いた!!
ちょっと想像以上にでかかったので「うおお」って声出るところでした…寸止めしたけど。
係の人に伺ったら撮影OKとのことでパチリ☆
右のモニターでは山口氏が大ダルマを描いたときの動画が、短く編集され上映されていました。
1817年に葛飾北斎が名古屋で行った、120畳もの紙に達磨を描くライブパフォーマンスを
200年の時を超えて山口氏が行うとは…!
すみだ北斎美術館さんも思い切ったことを企画なさったし、受けて立つ氏もすごい。
動画を見ると葛野流太鼓方による三番叟の演奏に合わせて
山口氏が3人の補助の方とともに巨大な筆を縦横無尽に走らせながら
約2時間ほどかけて描きあげたとのことでした。
描く様子を見学したかったけど(公開パフォーマンスでした)行けなかったのでせめて絵をと見に来たけど
絵だけでもナマで見られてよかったです。
墨のかすれ具合とかボカシとか、本物は迫力が違いますのでね^^

2階の通路からも見学できました~真正面から見る大ダルマはさらに迫力倍増。
北斎が描いた達磨は微笑んでいたみたいだけど、山口氏の達磨は前方をにらんでいますね。

山愚痴屋のサイン。
大ダルマは22日まで展示されているので気になる方行って見てくださいね~。

YKKビルに行く途中で見かけた看板ズ。
左が「河竹黙阿弥終焉の地」でビルの道路を挟んで斜め前にあって、
右が「三遊亭圓朝住居跡」で道を1本入ったところの児童公園にありました。

帰りに寄った上野アトレのHOKUOにて黒にゃんこパンをゲット☆
ハロウィンまでの限定のパンだそうです~~最後の1個だった!よかった寄ってよかった。
で。
そのまま帰る予定でしたが何となく近くの上野のものに寄ってご当地ものを眺めていたら。

桔梗信玄餅クレープだーーーーークレープ発見!!!
えっ何そんな冷凍コーナーにごそっと入って売られてるんですか、買うに決まってるじゃないすか!!
というわけで保冷剤入れてもらって2本お持ち帰りしました。
あ~びっくりした……まさか出会うと思ってなかったから。寄ってよかった(本日2回目)。
これからはわざわざ
SAやPAで探さなくてもよくなる!ぞ!!\\ ٩( 'ω' )و //