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ゆさな日々

猫・本・歴史・アートなど、好きなものやその日考えたことをそこはかとなく書きつくります。つれづれに絵や写真もあり。


少しのことにも先達はあらまほしき事なり。

  1. 2018/02/15(木) 23:53:53_
  2. 歴史
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東博の「仁和寺と御室派のみほとけ-天平と真言密教の名宝」に行ってきました。
そんなに混んでないと聞いていて2時間で足りるかなあと思ったら結構混雑していたし
(たぶんみんなこの日から展示される葛井寺の千手観音像を見に来たんだよな…わたしもだ)、
書に絵巻に仏画に宸翰、そして仏像の群れというラインナップで3時間でも足りなかった。。
写真はラウンジに展示されていた御室流のいけばなです。毎週変わるらしいよ!綺麗。

仁和寺は平安時代初期に光孝天皇が発願し、子の宇多天皇が完成させ初代をつとめたお寺です。
真言宗のお寺なのは宇多天皇が真言宗の僧を戒師として出家したからで、
さらに法皇が住んだ僧坊が御室と呼ばれたので真言宗御室派というようになったのですね。
室町時代に描かれたとされる宇多法皇像は袈裟をまとった立派な姿、
法皇所蔵とされる刺繍袈裟の断片も近くに展示されていました。
宇多法皇以後も主に親王が門跡をつとめておりまして、
6世守覚法親王(後白河天皇の子)が自ら行った祈祷や法要を記録した密要鈔から
孔雀経法則と開白次第が展示されていました。
孔雀経は安産祈願や厄払いの際に唱えられるもので、平徳子の出産の御修法にも使われたそう。
また、歴代天皇の書も仁和寺にはたくさん残されていて
だいたいは門跡に宛てて天皇が書いた手紙や色紙のようです。
(わたしが行ったのは後期なので見られなかったけど、
前期展示には平徳子の出産の際に祈祷を行ったことへの高倉天皇からのお礼の手紙と
兄である守覚法親王の返事の手紙が並んで展示されていたそうな)
どの天皇の書にも龍に囲まれた「仁和寺」の印がでかでかと押されていて
これは高倉天皇の宸翰に押されている印だそうで、
他の宸翰にもいくつかその印が押されている例がみられました。蔵書印みたいな使い方なのかな。
後水尾天皇と後西天皇の和歌懐紙はさすが親子で書体がむちゃくちゃ似てて微笑ましかったし
19歳の霊元天皇が書いたむちゃくちゃ真面目な字もすてき。
光格天皇の薬師経は紺紙に金字で書かれていて、
天皇は制作の途中で亡くなったので後は子の親王が書いて完成させたそうです。
天皇本人によるお経の最初の部分が展示されていて、フォントのような厳格な筆跡に舌を巻いた。

真言密教のお寺のため空海に関する文化財も。
10cmほどの薬師如来坐像は秘仏で、過去にほとんど御開帳されたことがなく(直近は1986年)、
歴代門跡の持念仏であり元々は空海の持ち帰り物と伝えられていたそうですが
平安時代後期の制作で円勢・長円という仏師によるものと今はみられているそうです。
衣に金色が少しだけ残っていてキラキラしていた☆
光背と台座には薬師如来が7人、台座には日光・月光菩薩、十二神将が浮彫で見事に表現されていました。
国宝「三十帖冊子」は空海が遣唐使として唐に渡った際にあらゆる経典を写して持ち帰ったもので
ノートとか手帳サイズなので空海が常に持っていたとされるもの。
展示されていたのは30冊のうち20帖と26帖で、「空」と「海」の字も見つけました。
(後でミュージアムショップを覗いたらその2文字がTシャツやトートバッグなどにあしらわれていました)
唐の写経生の人たちにも書いてもらったらしく、丁寧な楷書が並んでいまして
空海は行書で書いているので印象が全然違っておもしろい。
不空(空海の師である恵果の師)筆と伝わる「尊勝陀羅尼梵字経」の堂々とした梵字もかっこよかった。

修法のためのお経や仏具。
掛軸の孔雀明王像は孔雀経修法の際に掛けて使われたものなのかしら、
羽の1枚1枚まで細かく描かれていて、何より江戸時代の絵だから色がきれいに残ってる!
孔雀明王同経壇具等相承起請文は覚法法親王(白河天皇の子)によるもので
修法に使う画像や仏具をみだりに持ち出してはいけないという戒めを書いていて
でっかい手形も赤く押してあったんだけどこれ親王の手なんだろうか…。
また覚法法親王は消息にて修法の秘伝を安易に伝授する者を批判したりしていて
なかなか厳しい人だったようです。
国宝の両界曼荼羅は一条天皇から仁和寺へ贈られたもので
紺地に金色の白描で描かれた、壁いっぱいに広がる巨大な曼荼羅であった。
童子経曼荼羅は子どもを守る修法の際に使われるもので
中央に不動明王がいて、乾闥婆・梵天が子どもを守り、
周囲には犬・猫・獅子・牛など子どもに害をなすという15の動物が描かれていました。
こんなこと言ってもしょうがないけど猫は子どもには害じゃないよー!(アレルギーとかは別です)
白描の薬師十二神将画像は干支の神々がそれぞれの動物に乗った姿で描かれているんだけど
寅神が乗っている首長の虎は鳥獣人物戯画の乙巻にいる虎に似ているので
模写されたのではないかという説があるとか。
そうそう、仁和寺には鳥獣戯画もあります!
甲巻のうさぎの弓矢の場面と、丙巻の人間たちの場面が展示されていまして
何らかのタイミングで写されたものが伝わっているのではないかとのこと。高山寺印のない戯画は新鮮です。
古筆手鑑は紀貫之の如意宝集切・小野道風の写経断簡、
藤原行成・源俊頼の和歌断簡のページが開かれていて
貫之が仮名文、道風が漢文、行成と俊頼は仮名交じり文で何だか時代の流れを感じて楽しかった。
後深心院関白記は1375年10月のページが開かれていて
著者の近衛道嗣が後円融天皇に付き添って仁和寺所蔵の御禊行幸絵巻7巻を見たことを記録しています。
蓮華王院宝蔵の絵で云々とのことですが…時代を考えると応仁の乱で焼けてしまった可能性が。。
現存最古とされる日本図は、現代では日本地図ってだいたい東が右で西が左側ですけど
これは近畿が右で遠江が中央で陸奥国が左向きに描かれていました。
文字が縦向きだったのでたぶんこれが正位置だと思うんだけど、びっくりする。

応仁の乱で荒廃した仁和寺を、江戸時代に復興した21世覚深法親王(後陽成天皇の子)の展示も。
徳川家光に許可をもらい伽藍を再興した人だそうです。
このとき御所から移築した清涼殿や紫宸殿、常御殿などが現在の仁和寺の伽藍を形づくっているとか。
(現在の金堂は元紫宸殿だそうだ)
狩野孝信による牡丹図襖や唐人物図屏風はたいへん美しく、
これらは実際に建物の中に配置されていたそうです。

そしてこの頃建てられたのが仁和寺観音堂なのですが
この展覧会ではその堂内が会場に再現されています!
観音堂は修業の道場であるため通常は非公開ですが現在は解体修理中のため、
安置されている仏様たちを東博にお連れしてくださったようです。
しかも展覧会場で唯一写真撮影が許可されているポイントなのだ!最高。
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キエエエエェェェェェエエエエエ( ゚Д゚)
ご本尊の千手観音菩薩立像、脇侍の不動明王立像・降三世明王立像、
さらに二十八部衆像と風神・雷神像!全部で33体が勢揃い!!
なんじゃああなんなのじゃああああああスゲエエェェェエエエエ(゚Д゚;≡;゚Д゚)

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降三世明王側。

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不動明王側。
SNS映えとか言ってる場合じゃない、ひたすら拝んでは撮らせていただきます。
千手観音様も他の仏様もレプリカじゃない全部本物、それがこんなに並んでいるド迫力☆

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風神。
なんかハーフパンツ穿いてるみたいでかわいい…。

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雷神。
三十三間堂こと蓮華王院でも千手観音軍団の両脇を風神雷神が守っていますけども
あの2柱もだいたいこんなポーズしてるんですよね。
俵屋宗達が風神雷神図を描くとき参考にしたのは三十三間堂や北野天神絵巻だけじゃなくて
仁和寺観音堂のお像もなんだろうか…
でも修行場なら当時も非公開だったかもしれないし、さすがに見られなかったかな。
あるいは風神雷神といえばこのポーズ!みたいなのが当時すでにある程度確立されていたとか、かなあ。

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観音堂再現の周囲をぐるりと囲んでいる壁画は
同じく仁和寺観音堂の壁画を高精細デジタルスキャナで取得したものだそうです。
(京都大学の研究室によるデジタル化→保存するプロジェクトだそう)
オリジナルは木村徳応という絵師による作品で上部に仏画、下部に六道絵という
仏教の世界観を表現した内容になっています。
(木村徳応は江戸時代前期に活躍した絵師で、主に寺社の仏画や肖像画を手掛けていたそうな)

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上から仏様に見下ろされてひたすら恐縮し、下の地獄絵を眺めて楽しくなる時間。
観音堂は長い年月の間に雨漏りとかもあったらしくそういう傷みの痕も見受けられますが
これだけ色が残っているというのは普段から非公開であることも理由のひとつだろうな…
光に当てなければ絵は傷みにくいのでね。
建物が修復されれば雨漏りの心配もなくなるし、これからも大切に保存されていってほしい。

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六道絵の一部、畜生道。
たぶん犬追物をした人が死後に落ちて犬になった様子なのかなと思います。
(ちなみに隣に描かれていたのは修羅道)
江戸時代に描かれた絵だからか、モチーフや世界観がほぼ完成された地獄絵のような気もします。
室町以前の地獄絵によくある「これなんだろう?」っていうのが、あまりない。

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風神雷神がいます!正面には龍神。

後半は怒涛の御室派仏像ラッシュ。
ほとんどの仏様が360度、お背中まで見せていただけるのがすごくうれしかったです。
平安時代の制作のものが多く、蓮光院の大日如来坐像とか屋島寺の千手観音菩薩像とか
一木造が多いのもこの時代の特徴だなと思った。
仁和寺創建時の本尊である阿弥陀如来坐像および両脇侍坐像(国宝)は
光孝天皇の一周忌、つまり仁和寺創建供養に制作されたもので
そんなに大きくはないけどふくよかでゆったりしたお姿が優美。
平安時代の吉祥天像は唐風のお姿というか、和様のお姿を見慣れているので新鮮でした。
帽子にリボンついてるみたいな飾りがかわいい。
悉達太子像(釈迦の王子時代)は少年の姿に小さな角髪を結ってかわいらしい。
金剛寺の五智如来坐像は密教で5つの知恵を仏にあてはめたもので
大日如来を中心に金剛界の五人の仏様が鎮座していらっしゃいました。
平安末期の優美なお姿だけど玉眼が入ってるんだよね。時代の移り変わり。
明通寺の降三世明王立像・深沙大将立像はおふたりとも2.5mもの阿吽像で
ものすごい迫力ですが筋肉はすっきりした一木造で、鎌倉時代との差を感じます。
深沙大将は磐座に乗っておられて、降三世明王はシヴァとパールヴァティを踏んでいました。
中山寺の馬頭観音菩薩坐像は33年に一度しか御開帳されない有難い仏様、
3面8臂の勇ましいお姿は慶派仏師によるものだそうです。
長勝寺の八幡神本地仏坐像は頭部がそれぞれ如来・菩薩・僧で体は神像という3体。
八幡神は阿弥陀如来や釈迦牟尼仏を本地仏としますが(八幡大菩薩というやつ)、
僧はなんだろ、空海かな。香川のお寺なのでね。
雲辺寺の千手観音菩薩坐像・毘沙門天像・不動明王像は秘仏だそうです!
42本手の千手観音像はぴったり合掌しておられて
目を閉じているのかと思いきやよく見るとうっすら開けておられた。
像内の胸のあたりに「目アヘラカニナシタマエ」という墨書があるそうで眼病に効く仏様とのこと、
施主は「女大施主中原氏」という女性と伝わっているそうですが目がお悪かったのかな…。
神呪寺の如意輪観音菩薩坐像はひとつの頭に6本腕、足を降ろさず組んでいる珍しいお姿ですが
ゆったりした雰囲気が伝わってくるのは他の如意輪観音にも通じるなあと思います。
お寺が兵庫県の甲山山麓にあるため「100万ドルの夜景を見下ろす仏像」とキャッチコピーがあって笑った。
大聖院の不動明王像は宮島に行ったとき階段の途中にあった霊宝館にいらした不動様だー!
かつて仁和寺真乗院にいらしたのを宮島の弥山に移されたんですよね。
巻髪ではなく総髪のお不動様は真言宗御室派の特徴だそうです。
道明寺の十一面観音菩薩立像は秘仏で、
道明寺は菅原氏の先祖にあたる土師氏の氏寺であることから菅原道真の制作と伝わるそうです。
(どうでもいいけど道明寺と聞くと桜餅を思い出してしまう)
中山寺の馬頭観音菩薩坐像も33年に1度の秘仏で
くわっと口を開けたお姿がとてもかっこよかった。

そしてこの日からお出ましの葛井寺の千手観音菩薩坐像が!すごかった!!
この展覧会、本当は混まないうちに来たかったけどこのお像が展示されるのは会期半ばからで
どうしても会いたくて展示初日まで我慢して、当日は案の定混雑してたわけですが
ご本人はかなり大きな仏様だったのでどこからでもよく見えたのがよかったです。
通常、千手観音像は手が40~42本で制作されることが多いのですが
この観音菩薩様の手は両方で1043本あります!
そもそも千手観音の「千手」は「多い」的な比喩であることがほとんどなのに
ガチで1000本以上の手をつけてしまった注文主と職人の狂気を感じる。
物理的に1000本の手を持つ千手観音像は現在このお像しか確認されていないそうです。
無数の脇手は左右4つのパーツに分けられ支持柱や環に釘止めされており、
飛び出している大手は38本ありすべてに持ち物が持たされています。(後世に付けられたらしい)
持ち物をひとつひとつ眺めながらお像の周囲をグルグル回っていたら
向かって右の何も持たれていない大手に目が描かれていてびっくりした。
さらに他の脇手にも目が描かれた手がちらほら…どれも細いけど少しずつ開き方が違っておもしろい。
改めて正面から見ると羽を広げた孔雀のような仏様で、でもどこかで見たことある造形だなと思っていたら
どこからか「宝塚の背負い羽根みたい…」と聞こえてそれなー!って思いました。
この千手観音像はリアルに手が千本ある、まさにトップスターなのだ。すごい。

葛井寺は過去に一度訪れていますが、ご本尊の御開帳日ではなかったので(毎月18日だそう)
今回はお会いできて本当によかったです。
合掌しておられる手が少しだけずれているのが興福寺阿修羅像を思い出しました。
そういえばあの阿修羅もこの千手観音も奈良時代の乾漆造だ。

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会場の特設ショップで限定御朱印がいただけると聞いて!
とても雅なパッケージに書き置きの御朱印を入れていただけました。
ただこの御朱印、日付が入っていないのであれー?と思っていたところ、、

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決まった時間になると仁和寺のお坊様がラウンジで日付を入れてくださるというので駆けつけました!
ちょっと並んだけど無事に書いていただけました。よかった!

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「仁和寺」の印は例の高倉天皇宸翰の印を復元しているそうです。
普段仁和寺でいただける御朱印には押されないそうなので、気になる方はこの機会にぜひ。


そうそう、仁和寺は徒然草の「仁和寺にある法師」や「これも仁和寺の法師」などが有名ですが
(仁和寺近くの双ヶ丘長泉寺に兼好法師舊跡の碑があるよね)
わたしにとって仁和寺といえば野々村仁清だったりします。
江戸時代前期に仁和寺の門前に御室窯を開き、弟子に尾形乾山がいたことでも有名。
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本館に展示されていましたよ~仁清の「色絵牡丹図水指」。
唐風の形の器に和様の牡丹が丁寧に描かれた作品です。きれいだ。

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こちらも仁清、「色絵梅花文茶碗」。
金と赤のきれいな梅の絵。

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東博のレストラン「ゆりの木」のフォンダンショコラ。自分へのバレンタインです。
ここ、デザートのお皿がハート型なんですよね^^
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