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ゆさな日々

猫・本・歴史・アートなど、好きなものやその日考えたことをそこはかとなく書きつくります。つれづれに絵や写真もあり。


武蔵の地獄と仏教の歴史。

  1. 2019/04/13(土) 23:51:28_
  2. 歴史
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前回記事の続き。大宮公園でお花見をした後に
同公園内にある埼玉県立歴史と民俗の博物館の「東国の地獄極楽」展に行ってきました。
中世以降の東国(関東)の史料や美術品から地獄極楽についてたどる展覧会です。
桜ミクさんも歴博デビュー☆

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いつもは装束体験で来ている歴博、展示を見るのは久々です。
関東の地獄や極楽の美術って全然知らないので楽しみであります。

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ロビーにあった圓福寺の閻魔王宮八大地獄図(レプリカ)は撮影可。
本物(春日部市指定文化財)は出品されていませんが、由来を記した版木が展示室にありました。
江戸時代の住職だった生善光世が源信の『往生要集』を参考に
2年かけて彫り上げた幅6.6メートルものレリーフです。でかい!

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中央に閻魔大王がいて、左右に八大地獄の様子が彫られています。
閻魔大王以下、登場人物(?)がみんなギョロ目で水木しげるっぽいデザインでおもしろい。
やってることは釜茹で、火の海、切り刻みなどエグいのにキャラクターじみた画面がすごくちぐはぐ、
本物はきっともっと迫力あるんだろうなあ。

展示はまず、地獄極楽は何ぞやということで源信から始まっています。
常光院(熊谷市)の恵心僧都坐像は県内に現存する数少ない源信の画像だそうで
数珠を持ち静かに座る源信がとてもきれいに描かれていました。
そして源信といえば往生要集です!江戸時代のゑ入往生要集(パネル展示)がありました。
極楽の表現として出品されている吉祥院(久喜市)の地蔵菩薩立像の掛軸は
踏割蓮台(台座が2つに分かれているもの)に乗っていました。
地蔵菩薩は地獄絵の隅によく描かれていますよね、地獄に仏というやつですね。
かつて長瀞の博物館に所蔵されていたという阿弥陀如来坐像は顔や体の破損がひどく、
火災に遭ったのではないかとキャプションにありました。おいたわしや。。
阿弥陀如来は極楽図の中心によく描かれる仏様でもあります。

次に、熊谷直実の人生について。
現熊谷市出身の直実は源平合戦の平敦盛とのエピソードが有名ですが
あの戦いの後出家して浄土宗信者となったことはあまり知られていないように思います。
宇治川・一の谷合戦図屏風や吾妻鏡など、当時の戦いを偲ばせる絵や資料がありました。
土佐光信の模写といわれる一の谷合戦絵巻は同じく敦盛と直実の対峙を描いていますが
彼らを描いた絵にしては珍しく海辺などの背景がありません。
未完成なのか想像で補うのか、鑑賞者に問われている気がする。
源平合戦の後、直実は法然に帰依して京都で出家し、蓮生と名乗ります。
信濃の善光寺にある蓮生法師坐像(南北朝時代)の彫刻は手が失われてしまっていますが
蓮生の彫刻は作例があまりないので貴重とのこと。
江戸時代の熊谷蓮生坊絵詞は京都の知恩院が所蔵する法然上人行状絵図を模写した絵巻で
蓮生が予告往生を遂げた様子がパネルで大きく引き伸ばされて展示されていました。
蓮生は上品上生を目指していたらしく、そのことを阿弥陀如来に誓う誓願状をしたためていまして
その誓願状(清凉寺所蔵)も出品されていました。これ自筆らしいですね!貴重だね。
1204年5月13日の日付と署名があり、極楽往生の立願の経緯が細かく書かれていて
ちょこちょこ二重線で消して書きなおしたり小さい文字で付け加えたりしている部分もありました。
蓮生が往生するとき隣に置いていたという迎接曼荼羅(清凉寺)も展示されていて、
中央に阿弥陀如来が坐し、左下に描かれた家屋の中にいる人物が蓮生本人のようです。
これさっきの蓮生坊絵詞の絵を見るとちゃんと蓮生の隣に飾っているのが描かれてるんですよね。
迎接曼荼羅由来はその曼荼羅が熊谷家にどのように伝来してきたかを記した書物で
法然が往生する姿を夢に見て蓮生に与えたということですが、
蓮生がこの曼荼羅を所持していたと思われる1195年ではまだ帰依して日が浅いことから
その辺りは後世の潤色と考えられているそうです。
曼荼羅を受け継ぐには何らかの説話が必要だったということなのかな…権威づけとかハクづけというか。
なんとかして残そう、伝えようとした人たちのご苦労がしのばれます。

続いて、関東における浄土宗信仰について。
法然の孫弟子にあたる第三祖良忠と、良忠の3人の弟子による関東三派の布教活動を通して
関東における浄土宗の始まりと教線の広がりを紹介しています。
キャプションでとても丁寧に、関東三派の詳細な説明がされていたのですが
なじみがないので正直言って難解でした。。
鎮西派として九州からやってきた良忠は鎌倉に光明寺を開山し、関東での布教活動を始めます。
江戸時代の良忠上人坐像は赤と金の美しい袈裟をまとったやさしそうなおじいちゃん像。
このお像は鴻巣の勝願寺が所蔵しているのですが
勝願寺は良忠が北条氏から土地を寄進され建てたお寺なのだそうです。ほお~。
同じく勝願寺の阿弥陀廿五菩薩来迎図は多くの菩薩が坐して迎えに来ているという珍しい作例でした。
良忠は89歳まで長生きした人で、観経疏伝通記など多くの仕事を残しているのですが
1272年に良忠が息子の良暁に宛てた譲状では鳩井(現川口市)の土地を譲るとしていて
その良暁が後継ぎに指名され奥義を伝授されています。
良暁は父の死後、相模国白旗郷に移って活動したので白旗派と呼ばれるようになり、
光明寺の所蔵する附法状には浄土法門の流れが良忠→良暁→良榮であると書いていたり
述聞制文には鎮西流の法門を相伝される経緯を記しているので
良忠に続く正統であるという強い自負があったように感じられました。
寂恵良暁坐像は椅子に座った状態の良暁の彫刻で
ふっくらとした顔に大きな目がつき、払子を持ち背筋をぴっと伸ばした力強い作品でした。
また、良忠の弟子にあたる性心も活動の幅を広げていて
武蔵の藤田(現寄居町)に居住していたことから彼の信者は藤田派と呼ばれるようになります。
東北の藤田派の拠点にあたる高厳寺(福島県)が所蔵していたという阿弥陀二十五菩薩来迎図や
善導寺開祖の良心が創建した蓮光寺(寄居町)の当麻曼荼羅図などが展示されていましたが、
江戸時代の幡随意上人行記(川越の蓮馨寺に学んだ僧)によると
その頃には多くの信者が白旗派に転派して藤田派は消滅してしまったとか。
さらに、同じく良忠の弟子である良弁も鎌倉の名越谷で布教したため
名越派と呼ばれるようになっています。
秘伝を集めた聖教を収めた箱「月形函」について書かれた重書宝函事(門外不可出と書いてある)や
浄土鎮西義名越派代々印璽脈譜(開祖良弁の赤い手形つき)などが展示されていました。
また名越派は善光寺と縁があったようで、善光寺式の仏像がズラリ☆
善光寺式は善光寺の本尊を模した一光三尊形式(阿弥陀(光背つき)・観音・勢至)で作られた仏像のことで
展示品はどれもさほど大きくはない仏像でしたが綺麗な良品ばかりでした。
良榮が持っていたという阿弥陀如来及両脇侍立像、
いわき市に草庵を結んだ真戒(尼僧)の阿弥陀如来及両脇侍立像は小さなサイズでした。
東博の阿弥陀如来及両脇侍立像が一番保存状態が良かったな…さすがです。
ほかにも関東で活躍した僧侶ということで法臺寺(新座市)の観智国師坐像が紹介されていて、
観智は法臺寺で受戒した後、浄土宗を学び増上寺12世となり徳川家康とも仲良しだったそうです。
圓福寺の阿弥陀如来立像及両脇侍像は中尊の体のみ鎌倉時代、ほかは江戸時代の補作だそうですが
観音は膝をかがめて合掌し、勢至は坐しているというやっぱり珍しいポーズでした。

後半は、関東の地獄極楽に関する仏教美術の紹介。
清浄院(越谷市)の閻魔王坐像は真っ赤な肌に口をかっと開け、たくましく髭を生やしていて
いかにもザ☆閻魔って感じ。
唐風の衣装にあぐらをかいて、沓の裏がチラリと見えていました。大きくてかっこいい像だった!
明光寺(狭山市)の地蔵十王図は全13面にそれぞれ十王と賽の河原と奪衣婆が描かれていて
リアルというよりもコミカルでちょっと親しみやすい表現でした。
江戸時代の作らしいのでそうだね、あの時代は美術もデザインもかわいくなっていくからね…。
三学院(蕨市)の地獄図は閻魔王と地獄の責め苦が画面いっぱいに描かれていますが
隅っこに阿弥陀如来がいて救いがある絵でした。
最勝寺(越生町)の十王地獄図もところどころに地蔵菩薩が描かれて救いがあるけど
阿鼻地獄に堕ちる人々をつつむ炎の描写は容赦のない赤ですさまじかったです。ダイナミック地獄堕ち。。
松山(現東松山市)出身の絵師江野楳雪による十界図と六道図は
ど真ん中に阿弥陀如来が、その下に閻魔が描かれる世界の絵で
十界図は曹源寺(江野家の菩提寺)が所蔵しているそうです。
観音寺(八潮市)が所蔵する阿弥陀如来立像は来迎形の姿で、厨子に入っているのですが
厨子の内側にカラフルな菩薩たちが描かれていました。
如来が三次元で菩薩が二次元!こんな来迎図もあるのだなあ。
小さいサイズの当麻曼荼羅も展示されていたのですが、
江戸時代になるとこうした持ち運びしやすい曼荼羅が多く作られるようになったとのことで
思想と流通の広がりについて考えるなどしました。ネットワークが広がるとこういうものが必要になってくるんですね。

最後に。
東善寺(熊谷市)の阿弥陀如来立像が展示されていたのですが
この仏像、最近の調査で快慶の作ではないかとニュースになったものですね。
丸顔で唇が小さく、衣の流れるような紋などに特徴がみられるそうです。
もし快慶作であれば関東で3例目、埼玉県内では初の発見になるとのことで
まあ確かに展示物の仲では垢抜けた作りだなあという印象でした。
大きさは70cmほどで、快慶がよく作っていた三尺阿弥陀より小さく、欠損も多く状態もあまりよくないけど
補修された形跡がないので造像当初の姿に近いのではないかと考えられているそうです。
習作だったのか制作途中だったのかどこかの阿弥陀如来のプロトタイプあるいは胎内仏なのか…
可能性は無限大なのでこれから研究が進んで色んなことが明らかになっていくでしょう。楽しみです。

それにしても埼玉にあんなに江戸時代の地獄絵の事例があったとは思いませんでした…!
だいたい過去に見た地獄絵と似たような表現が多かったけど、
江戸や京都と同じような内容で伝えられていたんだなと。
あと関東三派については本当に勉強になりました。
中世の武蔵における仏教ってほとんど知らなかったので…これを機に理解を深めてゆきたい。

展示で色々勉強した後は野田線で大宮駅に戻ったのですが。
oteppaku_102.jpg
ちがう、帰り道はそっちじゃない。
(埼京線が正しい帰り道なのですが最近大宮に来るとフラフラとこっちへ行きそうになります)
(今週はシンカリオンが運休なので悲しみ)

kawagoetokkyu.jpg
帰りに川越特急とニアミス。
3月から運行している特急列車で川越~池袋間は朝霞台のみ止まります。
残念ながらアートトレインではなかった~いつ走ってるんだろう。1回くらいは見たいなあ。
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