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ゆさな日々

猫・本・歴史・アートなど、好きなものやその日考えたことをそこはかとなく書きつくります。つれづれに絵や写真もあり。


シルクロードの行き着くところ。

  1. 2019/10/20(日) 23:53:24_
  2. 文化・美術
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2019tohaku_28.jpg
東博で開催中の「正倉院の世界-皇室がまもり伝えた美」展を見てきました。
東大寺の正倉院宝物と法隆寺献納宝物(それぞれ光明皇后と孝謙天皇が奉納した聖武天皇の遺品)が
揃って紹介されている展覧会です。

東博でも過去に何度か正倉院宝物を見る機会はありましたが
展覧会の一部に数点、展示されているというパターンが多くて
まとまって宝物を見るならやっぱり秋の奈良博かな!などと思っていたのですが、
今回は平成館の特別展示室がまるっと正倉院宝物・法隆寺献納宝物で埋まっています!
東博で最後に正倉院の展覧会が開催されたのは1981年だそうですから
それ以来の特別展ということです。ヒエェ…わたし生まれてないよ…gkbr
貴重な機会を作ってくださった関係者の皆様に感謝します。感謝します。

入口で迎えてくれるのは正倉海老錠。
正倉院は歴史上、何度か開封され宝物の点検が行われていまして
今回展示されていたのは1833年の開封の際に新調された、宝物を守る扉の鍵です。
3つの部品に分けて展示されていて、棒状・筒状・くの字に曲がったバネつき金具の3点。
使い方は筒状の金具に棒状の鍵を差し込んで、中で開いているバネを閉じて開錠するそうです。
部品を組み合わせたときの形が海老に似ていることから海老鍵と呼ばれています。
(余談ですがこの鍵、トップに展示されている割には通り過ぎる人が多くて
中には「なんだ鍵か」と去って行く人もいてちょっともったいないなと思った。186年前の鍵ですよ…)
そうして、普段は鍵をかけられた扉の向こうにある宝物たち、
さて最初に何を見られるのかなと進んでみたら、展示してあったのは大きな古櫃!
東大寺阿弥陀堂で使用されていたという同品には承和7年(840年)11月23日の墨書きがあって
たっ…篁が…帰ってきた年っ…!って震えました。。
そうか小野篁が京都に戻ってきた頃に存在していた櫃ですか…そうですか…(しょっぱなから膝から崩れ落ちそう)。

正倉院文書のひとつ、東大寺献物帳(国家珍宝帳)。
756年6月21日付で光明皇后が聖武天皇の遺品を東大寺に奉納した際の目録で、
現在、正倉院に納められている宝物が記述されているものですね。
とても状態のいい文書で、過去に奈良博の正倉院展で一部分だけ開いて展示されているのを見ましたが
今回は長~~~い展示ケースに全文公開されていて
端から端まで宝物の名前や特徴や奉納した人々の名前が細かい字でびっしり書かれています。やべー!
これ大きさ計ったら何メートルくらいあるんだろ…経巻かと思うほどのすさまじい長さでしたよ…。
つまりそれだけの量が当時の正倉院に奉納されたわけですね。
これだけたくさんあるとそれぞれがどういう経緯で奉納されるに至ったのかがとても気になる。
隣には法隆寺献物帳(756年7月8日付)もありました。
孝謙天皇が父の聖武天皇の遺品を法隆寺に献納した際の目録でした。こちらは数点なので短かった。
日名子文書は奈良時代にあった東大寺写経所の様子を記した文書で
担当部署や仕事の進捗などが書かれています。
田辺、茨田、大伴、池田、大原など人名もいろいろ見られる。
仏説宝雨経は740年に光明皇后の発願で写経された一切経のひとつで
官立の写経所で書かれたことがわかっているそうです。

平螺鈿背円鏡が美しい☆
花々や鳥たちが螺鈿で描かれ、夜光貝や琥珀、トルコ石なども埋め込まれている贅沢な品です。
使うための鏡じゃなさそう…飾って楽しむための贈り物っぽい感じがしました。
鏡ということだけど裏面(鏡面)はどうなってるんだろ…伏せられていたのでわかりませんでした。
直刀(無名)は刀身だけが保存されていたもので、近代に天皇が正倉院から出した際に拵えが作られて
拵えには波と龍の装飾がされたので「水龍剣」の別名もついているそうです。
出しちゃったうえに拵えまで作っちゃったというのがもう、頭を抱えたくなる案件ですが
今となってはそれも歴史の一部なので、何ともかんとも。
鳥毛帖成文書屛風は屏風に揮毫した文字に鳥の羽を埋め込んだもので
雉や山鳥の羽が使われているそうです。
正倉院宝物に鳥毛立女屏風というのがあるけど、当時は鳥の羽を美術品に使うのが流行していたんでしょうか。
あと碁石。撥鏤碁子。小さいスペースに気合いの入った鴨のカラー絵。ただただ悶えるかわいさ。
碁石というと現代は白黒のイメージですが、正倉院宝物は赤と黒なんですね。
使われた跡はあまりないみたいですが、とても素敵な品なので使うのも緊張しそう。

正倉院には布の残欠もたくさんありまして、当時の形が残っているものや
すでにボロボロになってしまっているものまでたくさん展示してありました。
七条織成樹皮色袈裟残欠は国家珍宝帳の冒頭にも記された袈裟で、聖武天皇の遺品です。
名前にもある織成という特殊な織法で制作されているそうです。
雲に乗った菩薩が大きな麻布にのびのびと描かれとてもユニークな墨画仏像は
墨に迷いがないので一気呵成に描き上げたような印象がありました。
下書きの跡がないけど一発描きなのかな…一発描きできる人ほんと尊敬する…。
樹下鳳凰双羊文白綾はアジアンテイストの樹の下に鳳凰と対のヤギが刺繍されているもので
机やテーブルに敷いていたのではないかとのこと。下敷き…?ランチョンマット…?(ちょっと違うか)
他にも、緑地花鳥獣文錦幡足垂端飾残欠にはライオンがいるし、
展示品に描かれたり刺繍されたりしている鳥獣や植物はどれもオリエントなデザインで
海を越えてやってきたのかな、それとも渡来系の職人がデザインしたのかな…などとロマンが広がります。
黄地花葉文夾纈平絹などはあまりに損傷がひどくガラス板に挟まれた状態で展示されていて痛々しかった。
今後修理されるそうです。

黄熟香(蘭奢待)、本物を初めて見ましたけど大きさが想像以上でした。
両手を広げて計ってみたら目測で1メートル以上あったよ…!
香木というと小さいイメージがあるのでパッと見た瞬間「でかっ」て声に出すところでした。
ベトナムかラオスか、東南アジアのどこかから海を越えてやってきた香木なんですよね。
植物の種類としてはジンチョウゲ科ではないかと推測されているそうです。
信長や尊氏が切り取ったことでも有名ですが
記録に残っていないだけで足利義満や義政ほか、何度も切り取られた跡があるそうです。
ガラスケースの向こう側なので香りを楽しめないのが残念でした…!香木なのに。
(ちなみに東大寺の字を含んだ蘭奢待という別名がついたのは足利義満の時代あたりからだそう)
隣には黄熟香を入れるために制作された元禄期収納箱があって
徳川綱吉が1693年8月7日に開封・調査を行った際に寄進したものだと、箱の蓋に裏書がしてありました。
みんな大好きかよ蘭奢待。この箱も移り香とかでいい香りがするのかなあ。
白石火舎はまあるい火鉢を5匹のライオンが足になって支えているデザインでユニークだし
まあるい銀薫炉も鳳凰や獅子が透かし彫りでデザインされていて美しかったです。
模造品も隣に展示されていてギラギラと輝いていました。
なんというかあの、手鞠の中に鈴が入って音がするやつあるじゃないですか、あれみたいに見えました。

第二会場に入ると螺鈿紫檀五絃琵琶がピンスポ展示で迎えてくれました!
展示ケースが360度ガラス張りになっていて、表も裏も側面の螺鈿まで
色んな角度から見ることができるので必見です。わたしは5周しました。ぐるぐるぐるぐるぐる。
だって10年以上焦がれてやっと会えたんだもの!!
大学時代にたまたま取った選択科目の講義で初めてこの琵琶の存在を知って
(夢枕獏の陰陽師から今昔物語集の玄象の話になって、その流れで五弦琵琶の話が出た)、
こんなにすばらしいものがこの世にはあるのかと落雷のごとき戦慄を覚えてから
何とかしてこの琵琶に会いたいとずっと思ってきたんです。
一級品のためなかなか展示されず、展示されたとしてもタイミングが合わなくて行けなかったりして
でもようやく会えましたよワッショイ!!!
(正倉院展の存在を知ったのもその講義だし、
正倉院宝物は一度展示されると保護のため10年は展示されないと知ったのもその講義でした。
担当してくれた教授どうしてるかな。今は別の大学に移ったみたいだけどお元気だろうか)
国家珍宝帳記載の宝物で、その美しさから正倉院といえばこの琵琶みたいな代名詞になるくらい有名で
今や世界にひとつしかないともいわれる五弦琵琶~~~!
背面に螺鈿で描かれた宝相華や含綬鳥、飛雲がエキゾチックだし
胴に同じく螺鈿で描かれたラクダと人物、熱帯樹に国際色を感じます。
インド起源と言われる五弦琵琶で、唐式の制作で、残されている場所が日本。インターナショナル宝物。
過去に何度も修復がほどこされているので、制作当時のままってわけじゃないんですけど
たくさんの人の手を経てこうして今まで残されてきてわたしたちが鑑賞できることへの圧倒的感謝。
近くには今年に完成した模造品も展示されていて、
会場には琵琶を奏でた音色もBGMとして流れていました。
専門家の方が五弦譜から推定した壱越調・黄鐘調の音色を再現しているそうです。
昔の音色って残ってないから再現する人も難しかったろうな…。
現在の研究から推定できる「おそらくこういう音」を導きだしていると思いますが
どんな音が正解なのかは誰にもわからないからね。
撥もありまして、真っ赤な地に白線で鳥が描かれている紅牙撥鏤撥は
端の赤色が少し剥がれていることから使用感が認められるそうです。
誰かが実際に使ったんですね。誰でしょうね。ドキドキします☆
伎楽面もありまして、正倉院と法隆寺献物の酔胡王をそれぞれ鑑賞できまして
隣に2004年に復元された模造品の酔胡王も展示されていました。
顔が真っ赤に塗られていて、隣の宝物と見比べると経年でこうなるんだなあという過程がわかります。

瑠璃壺の色鮮やかな青がとても美しい~~西アジアのどこかからやってきたそうです。
青いガラス皿も同じく西アジアの出身、瑠璃壺よりも透き通ったブルー。
黄銅柄香炉は手持ちの部分に獅子の重しがついていてエキゾチックだし
黄銅合子は蓋に相輪がついていて百万塔陀羅尼のよう。
佐波理水瓶は注ぎ口が胡人の顔の形をしていて、頭の栓を抜くと水が出るタイプの瓶。
白石鎮子の表面には唐式デザインの青龍と朱雀が刻まれていて
2匹のバトルが表現されています。
隣に展示されていた動物闘争文帯飾板もそうですが、
当時のアジアでは動物を戦わせるデザインモチーフ(スキタイ文化などによくあるやつ)が流行していたらしい。

宝物を守るための技術と歴史。
東大寺正蔵院天平御道具図は元禄の開封の際に正倉院に納められた道具類を絵にして記録したもので
宝物のスケッチの周りに大きさや素材、キズありなど特徴が書きこまれていました。
碁盤のスケッチに「吉備大臣将来碁盤」と書いてあってまっ…真備…!って震えた(本日2回目)。
正倉院天保四年御開封図は、天保の修理の際に
正倉院の扉を開けて宝物を取り出した際の儀式の様子を描いたもの。
正倉院の周りに束帯姿や袈裟姿の人々がたくさん並んで描かれていました。奉行やお坊さんかな。
壬申検査関連資料の社寺宝物図集は69の拓本(螺鈿紫檀五絃琵琶のもあった)で宝物を写した資料で
正倉院の前で関係者たちを撮影した写真も展示されていました。
正倉院御物修理図は職人さんたちが宝物を修理する様子を絵巻物に描いたもので
剣や巻物を東京で修理する人々が生き生きと描かれています。みなさん笑顔で楽しそう。
甘竹簫(細長い竹を横に組み合わせた楽器)はかつて修理がほどこされた宝物で、
当時は12管と思われていたそうですが
1965年にこの楽器の外側についていたと思しき帯が見つかり12管ではなく18管ではないかとなり、
現在は18管を並べた楽器として復元模型も制作されています。
宝物は修理と同時に調査も行われますから、こういうことがよく起こるんだよね。
だから歴史研究は常に最新の結果を確認しておく必要があるわけですね。
でも今の調査も正しいかどうかは誰にもわからないわけで…正しいことを見つけるのって難しい。

最後にあった「塵芥」の展示。
正倉院の中にあった描絵や麻布、冠の残欠、ビーズ、刺繍糸、金属の破片などが小さな透明ケースに納められていました。
つまり奈良時代の塵。今となってはめっちゃ貴重なゴミですね。
しかもこれら、使い道がないというわけでは決してなくて
この中からひとつひとつ破片をすくいあげて、素材や模様を手掛かりに復元された宝物もあるそうなのです。
ゴミだからと捨ててはいけないのだ…その破片が宝物のどれかのピースかもしれないのだ…。
何より展示品一覧表にもしっかり「正倉院宝物 塵芥」と書いてありましたからね!
奈良博の正倉院展でも残欠(鳥とか花とかある程度形が残っていてポキッて折れただろう部品みたいなの)はあったけど
もはや元の形が何だったかわからないレベルまで細かくなってしまったものは展示されたことあるんですかね。

そしてここからは写真撮影可能ゾーン(フラッシュ×)。
2019tohaku_29.jpg
塵芥の向かい側に再現されている正倉院南倉の原寸大展示ー!
塵芥の展示にため息をついて振り返ったとたんこの校倉作りの建物が目に飛び込んできて
何事!??ってなりました。

2019tohaku_30.jpg
東大寺にある本物の建物は遠くからしか見学できないけど、それでも大きいと思うくらいですけど
再現とはいえこんなに近くでスケールを感じられるのはおもしろいです。
こんなに大きかったんだ。

2019tohaku_31.jpg
海老鍵もついてる。
最初の展示室に江戸時代の本物が展示されていましたが、そのうちのひとつですね。
実際にロックされている状態はこんな感じなんだ。

2019tohaku_32.jpg
南倉再現の下には中倉の原寸再現も。

2019tohaku_33.jpg
こちらにも江戸時代の海老鍵がついています。
レプリカではなく本物をつけてくれるのすごいよね。展示だけどリアリティあるよね。

2019tohaku_34.jpg
さっきグルグル回って見てきた、螺鈿紫檀五絃琵琶の模造品。1899年の制作です。
柱の間の装飾がなかったり文様にも異なる部分はあるものの、
原品をなるべく忠実に再現しようと試みています。
あと螺鈿の部分は原品のほうがくっきりしてる。

2019tohaku_35.jpg
原品は360度方向から見られましたが、模造品は後ろに回れませんでした。ぐぬぬ。
これが横から撮影する精いっぱい。

2019tohaku_36.jpg
螺鈿紫檀阮咸の模造品(1899年)もありました。(原品の展示はありません)
模造品とはいえ写真に撮れるのが本当にうれしい。

奈良博の正倉院展は毎年やってるから「正倉院がどんなものかみんなもう知ってるよね」的な感じがあるけど
今回の東博の展示は有名な宝物や宝物に関する歴史に焦点を当てていて
「正倉院てこういうものだよ!」と、改めて紹介されたような感じがしました。
シルクロードを伝いアジアからここまでもたらされたもの、あるいはそれらをお手本に制作されたものが
持ち主の供養のためにお寺に奉納されて、度重なる災害や平家の焼討ちや松永久秀の戦にも耐え抜いて
(出蔵したまま戻されず行方不明なものも多いし壊れたものを修復した事例も多いので
国家珍宝帳が最初に書かれた頃の目録と現在の中味が一致してるわけではないにしても)、
現代まで大切に守り伝えられてきたものが過ごしてきた途方もない時間。
それらの品々がこの国の歴史にどれだけの影響を与えたことか。
文化や歴史を学ぶたびに感じることですが
この国の成り立ちにはそうしたアジアとの交流が強く影響していると思います。
法隆寺の仏像が渡来系仏師によるものだったり正倉院宝物に唐や新羅、ペルシャ伝来のものがあったり。
また展示品の中に麻布やガラス製品などの日用品があふれていることも印象深いです。
宝物が宝物でなかった時代の、ありふれた品として市場で取引されていたであろう時代で
日常生活の中で人々が求めたものや交流のために制作された一級品などを見ていると
そうした歴史の息吹を理念ではなくかつて実存したものとしてひしひしと感じる。
人間の物づくりの理由って大まかな部分は変わってないなァ…衣食住と、誰かへのプレゼント。

この後、本館で開催中の「文化財よ、永遠に」展も見てきたのですが
長くなりますので次回記事にて書きたいと思います。


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