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2019_11
30
(Sat)23:59

そもそも歌のさま六つなり。唐の歌にもかくぞあるべき。

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六義園の紅葉ライトアップを見てきました☆
週末で混んでいたのと、職場の出張の帰りで遅くなってしまったので
ゆっくり見るわけにはいかなかったのですが、それでもとても楽しめてよかったです。

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正門で300円を払って庭園に入ると、あかりの展示物が迎えてくれました。
和紙に各地の家紋をちりばめているそうです。言われてみればデザイン的な模様だなあと思った。

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宣春亭の門をくぐって入るところからライトアップが始まっていてもうすごい。

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今年は台風が多く気候も不安定だったので、例年より紅葉が遅いみたいで
こんなグラデーション紅葉になっていました。
赤と黄色と緑がこんなに混じっているのも珍しいですね。

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日本家屋の門と紅葉ってすごく合うと思います。きれい。

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紅葉と燈籠の向こうに宣春亭(お茶室)が見える。
こういうデザインされた風景ってとても絵になる。

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庭園内で一番大きな池(大泉水)のあるところに出ました。
右側から池に突きだしている築山は妹山・背山という名前がついています。

六義園は川越藩主で徳川綱吉の側用人だった柳沢吉保が
下屋敷として与えられた駒込の地に1702年に築園した回遊式庭園で、
園内には、古くは和歌に詠まれた景勝から名付けられた場所や
中国の古典にある景観が再現されたところもあるそうです。
(築山や飛び石などには通常入ることができません)
「六義」という名前は、詩経の大序に書かれている詩の6つの分類が日本に輸入された後に
短歌の分類にあてはめられたことに由来するらしく、
(古今和歌集仮名序にも「そもそも歌の様六つなり」と書かれている)、
そえ歌・かぞえ歌・なぞらえ歌・たとえ歌・ただごと歌・いわい歌の六体をさすのだそう。

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なんか奇跡的に撮れた明るい写真☆
別に夜景モードとかにもしてなかったんですが、オートでたまたま撮れました。
池の中にも逆さまの景色がそのまま写っていて、ダブルできれい。

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蓬莱島のあたりの風景。
雪吊りがほどこされた松もライトアップされています。紅葉だけじゃないライトアップ、素敵だ。

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紀ノ川のところ。
六義園には和歌などから名付けられた「六義園八十八境」と呼ばれる88か所の景色があるのですが
それらは和歌山県和歌山市の地名や景観の名前でもあるそうです。
青いライトで水の流れを表現しているとか。

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見上げるとここもグラデーション紅葉です。

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渡月橋にかかる紅葉。
なんだか京都を思い出しますが、そういえば3年前に桂離宮に行ったときも
お庭にこんな橋がかかっていたなあ、などと思い出しました。

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こういう、広重の名所江戸百景に何枚かあるみたいな、真ん中を木の枝がぶった切る構図に
たまにものすごく惹かれる。
今回は手前の枝がシルエットになっておもしろかったので撮ってみました。

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赤も黄色も緑もぐっちゃぐちゃ。入り乱れておもしろい。

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この赤と緑のシンクロ具合があまりにお見事だなあと思ってパチリ。

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堪能しました…!染井門から出てきました。
この門、普段は開いていなくて、こういう特別な時期だけ開いてるそうです。お得感☆

夜の六義園を楽しんだので、次は昼間の六義園に来てみたいなあ…。
景色の説明板も色々ありましたが暗くてよくわからなかったので、それも合わせて楽しみたいので
またゆっくり訪れたいです。
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2019_11
26
(Tue)23:59

Black Black Cat Bread。

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ねこねこ食パンを買ってきました(=・ω・=)ニャー
ココア味(チョコチップとクルミ入り)なのでチョコレート色です。黒猫ちゃんです☆
ただ、これだといまいち猫なのかどうなのかわからないので。

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切ってみましたー!すごーい、めっちゃ猫!!٩( ᐛ )و

このけしからんパンは愛知のオールハーツ・カンパニーさんが最近売り始めた高級食パンで
名古屋と岐阜に店舗があるのは知っていたのですが
最近、東京・千葉・埼玉とたて続けに関東に店舗ができまして、
埼玉は北戸田のイオンの中に今月オープンしたばかりです。
こここれは何としても行かねばならぬ!と予定をむりやり詰めて行ってきました。

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最寄り駅の北戸田駅に到着。
埼京線のホームの隣に太い線路があるなァと思っていたらE4・E3系が走ってきました!
びっくりした~~~この辺りは新幹線と在来線がこんな近くで並走する路線なんだ。

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待っていたら来たE5・E6系!動画も撮りました。→こちら
この日は雨で風も強くて寒かったけどホームで夢中になっている間は全然寒さを感じなくて
はぁ~~楽しかった…ってホームから出口に歩き始めたらさむっ!ってなった。

ちがう、わたしのもくてきはにゃんこぱんをかうことだ。しんかんせんは、ふいうちだ。(言い聞かせる)

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駅から歩いてイオン北戸田1Fのお店に着きました!
ハートブレッドアンティークの中にあって、最初気が付かなくて通り過ぎてました…ちゃんと見ようね。

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猫型パンの食品サンプルと猫のお人形が吊り下がってます。かわいい。

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店内。誰もいない。何もない。

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「ご購入は種類に関わらずおひとり様1斤まで」の看板。
ひとつひとつ焼きながら販売するので大量生産ができないため、購入制限が設けられているみたいです。

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焼き上がり時間が書いてあった。
日によってまちまちだそうですが、だいたい2時間おきを目安に1日4回の販売があるそうです。
販売されるパンの味も時間によって違うみたいで、
プレーン味(普通の白パン)、ココア味(わたしが買ったやつ)、あずき入り、チーズ味など色々あります。
どの時間にどの味が買えるかは、その日行ってみないとわからないそうです。

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わたしが行った日はブラックフライデーセールの日で、
このセールが開催される時期は黒猫をイメージしたココア味を販売しているとのことでした。

わたしがお店に着いたのは2時ちょっと前で、そのとき既に13:40の回は完売だったので
(つまり焼き上がりから5~10分程度で売り切れてしまったということ)、
お店の人に次の焼き上がり時間を聞いたら「15:30くらいで、味はココア味のみです」と教えてもらいました。
(ちなみに13:40の回はチーズ味の販売だったらしい)
というわけでイオンの中で時間をつぶしながら焼き上がりを待つことに。

ランチをいただいてひと休みした後にお店に行ってみたら、
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15:30の焼き上がり時間が表示されていた!
(言い忘れましたがこのパン屋さんの本社が名古屋なので彼を連れてきています)

この日は休日でしたし、さっきの13:40の回の完売の速さから考えても
たぶん販売前にお店の前で待ってなきゃだろうなァと思ったので
その後も適当に他のお店で時間をつぶしつつ、戻ってきては様子を見るというのを繰り返していました。
15時過ぎくらいに戻ってきたらすでに3人並んでいたので、じゃあそろそろ並ぶか、と列の後ろについて
30分ほど待っていましたら、
「お待たせいたしました~」という明るい声とともに店員さんが焼きたてのパンをトレイにいっぱい乗せて
お店に出てきてくれました!
紙袋にひとつひとつ丁寧に入れて手売りしてくださるんですよ~やさしいお店!
受け取ったとたん、パンの温かさと香ばしい匂いとココアの甘さがふわっと香って
焼きたてだー!ってめっちゃテンションあがりました。
焼きたてのパンを買ったのすごく久し振りでしたので…(^^)。

レジでお会計をして、パンを抱えてほくほくしながら振り返ったら
わたしの後ろにもかなりの人数が並んでいたことがわかりました。。
あの人たち全員無事にココア味を買えたんだろうか…買えてるといいなあ。

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お店の中では名古屋の小倉あんも売っていました。
名古屋といえば小倉トーストだもんね!
次に買いに行けたときはプレーン味をゲットして、あんこも買って
にゃんこ小倉トーストを作りたいです。

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チョコペンも売ってた。白い食パンが買えたら猫の顔を描いて楽しめますね☆
(隣に置いてあった小倉トーストの食品サンプルがめっちゃおいしそうで一瞬、本物かと思った)

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駅からイオンに来るときは徒歩でしたが、
帰りはパンを濡らさないようにシャトルバス(無料)に乗って駅まで戻りました。
平日は1時間に1本、休日は30分ごとに1本出ているのでご入用の方はどうぞ。

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帰宅したらさっそく猫さまが寄ってきました。
ほ~ら黒猫さんだよ~~いい匂いだよ。

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みてみてそっくり!!!(笑)
この後くんくんと匂いを嗅いでいらっしゃいましたが特に興味はなかったようです。

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名古屋が本社のお店で、北海道産の小麦粉を使っていて、大宮の近く(無理矢理)で買えるパンなので
彼らに進呈。
君たちと比べると結構大きいですね。

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黒猫さんだよ。

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店員さんが保存用袋もつけてくれました。
賞味期限は2日程度、買ってきた日はそのまま、次の日からはトースター等で加熱するとおいしいと聞いて
ちょっとずつ食べることに。
買ってきた日は夕ごはんに添えてサラダを乗っけていただきました。ふかふか&もちもちで美味でした☆

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どうかなあと試してみたとろけるチーズ乗せ、食べたらめっちゃおいしかった!
ココア味とチーズ、合いますね。
ココア味だけどパンがちゃんとパンの味のままで甘くも苦くもないから
甘いの乗っけてもしょっぱいの乗っけてもおいしいのかも。
こうなるとますますプレーン味が食べたくなるし、チーズ味も気になるしあずき入り味はもっと気になる!!
また買いに行く予定をたてねばです^^
2019_11
22
(Fri)23:56

第2078回「日々の小さな癒しはなんですか?」

こんにちは!FC2トラックバックテーマ担当の若槻です
今日のテーマは「日々の小さな癒しはなんですか?」です
束の間の「ホッ」とする時間って、楽しく過ごすために必要ですよね...
FC2 トラックバックテーマ:「日々の小さな癒しはなんですか?」


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にゃんこ様のお腹をモフることです☆ (モフっているのは弟の手)

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モフられて気持ちよくなってこのまま寝てしまいそうにお目々がとろんとしてます。風邪ひくよ。。
最近急に冷えてきて、こたつに入っていることが多くなった娘にゃんこですが
お腹をモフモフしてもらいたがるのは相変わらずです。

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晴れている日には出窓で日向ぼっこするのも彼女の秋冬の日課。
器用にカーテンをめくって少しでも日光を摂取する努力も怠りません。

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むにゃむにゃ。

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本日の娘にゃんこ。「お膝ちょーだいっ!」なお顔。
こたつでぬくぬくして、ご飯を食べにいって、戻ってきたら人の膝で暖を取ります。猫生活を満喫。
今日は11月22日(いいにゃんにゃんの日)ですからね☆

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既に膝の上でおつくろぎモードの母にゃんこ。

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「にゃんこは、あたらしい、はこを、みつけた!」
父が仕事先から荷物を持ち帰ってきた箱なんですが、さっそく入っていました。
母にゃんこは箱マスターなので新しい箱が来るとまずは入り心地を確かめるのです。

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目がらんらん。
箱の中にいるときはこんな風にものすごい目をしながら周囲を見回していたり
渋い顔をしながら賢者タイムに入っていたり、うずくまってじっとしていたりします。
もっと暖かい季節だったらクターッと寝転がってお腹見せてたりするんですけどね。
ほんとに箱が好きなんだよね~。


「好き」といえばですね。
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先日やっと電車の中で映画シンカリオンの中吊り広告見つけたんですよ!
先週から展開されてるんですがわたしの乗る車両には全然見かけなくて
どこにいるの…ほんとにいるの…都市伝説とかだったりするの…??などとしょんぼりしていた矢先、
急いでいてたまたま駆け込んだ車両で顔を上げたらこれが下がっていたっていうね。
やっぱりこういうのは狙って探すもんじゃないのかも。

shinkakokoku2.jpg※クリックで大きくなります
このメッセージはぜひ読んでほしいのでサムネイルで載せます。
映画のネタバレちょっと入ってますので気になる方はお気をつけください。

追記にシンカリオンな日々です。↓

続きを読む »

2019_11
17
(Sun)23:56

羊羹礼賛。

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とらや赤坂本店に行ってきました。
去年のリニューアルから早くも1年経ったそうで、そういえば全然行ってないなあと思ったのと。

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虎屋文庫の展示が4年ぶりに再開したということなので!「虎屋文庫の羊羹・YOKAN展」。
タイトルの通り羊羹をテーマにその歴史と文化をひもとく内容です。

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最近、新潮社から出版された『ようかん』の本。展示室にも閲覧用が置いてあって読めました。
文章と多数のカラー口絵で羊羹の歴史を紹介しています。
この本で紹介されている書物や道具、パッケージの実物などを展示室で見られるので
両方チェックするとおもしろいと思う。

羊羹がもともと中国の料理で「羊の羹(羊肉入りの汁物)」というのは
過去の展示でも紹介されていましたけど、今回もそこから始まっていました。
つまりご馳走だったんですね。
そんなご馳走を日本に伝えたのは中世に中国へ留学した禅僧たちだとされていて
『庭訓往来』(14世紀成立)によると法会の際に食べるものとして挙げられており、
小麦粉で作って羊肉に見立てた精進料理のようなものだったと想像されているとか。
そんな汁物だった羊羹ですが、室町時代後期の『食物服用之巻』では
「汁につけて食べる」と書いてあるので、この前後で汁と具が別々になり、
やがて独立した食物として食べられるようになっていった…ということみたいです。
ちなみに羊羹が「お菓子」として食べられたことを示す最古の記録は
茶会記『松屋会記』の1542年4月3日の記事のお菓子の項に
「菓子:
ヤウカン(羊羹)
ヤキクリ(焼き栗)
イモノコ(芋の子)」
と、書かれているものだそう。

そんな風に汁がなくなりお菓子として食べられるようになった羊羹、
戦国~江戸時代にかけて様々な製法で作られるようになっていきます。
・1500年代~形を作るタイプの羊羹
・1500年代末~蒸すだけタイプ
・1700年代~柔らかいタイプ、寒天の水羊羹
・1700年代後半~煉羊羹
ちなみにこれらの製法はとらやにも伝わっていて
林檎形(形タイプ)、栗蒸羊羹(蒸すタイプ)、水羊羹(柔らかいタイプ・寒天タイプ)、夜の梅(煉羊羹)として
現在も販売されているので買えます☆
夜の梅は毎年、干支のパッケージで発売されたりしますよね。
材料ですが主に小豆・小麦粉・葛粉・砂糖で、
現在、羊羹の主流となっている煉羊羹には寒天も混ぜて作られますね。
さらに芋羊羹や琥珀羹など小豆を使わないタイプの羊羹も開発されて
羊羹の定義も広がりつつあるような。
とらやでの製法の展示もありまして、材料を混ぜて煉って、型に流し入れて固めて切って
販売されるまでの流れが調理道具の写真や映像とともに紹介されていました。
煉羊羹を煉る際に使う大きなおしゃもじの名前を「エンマ」というそうですが
語源はわかってないみたいですが閻魔様の杓から名付けられたかも、とのこと。

煉羊羹について。
『北越雪譜』(1837年刊)には寛政年間に江戸日本橋の喜太郎が煉羊羹を創始したと書かれていて
これまではそれが通説だったらしいのですが、
最近、それ以前の茶会記などに煉羊羹の使用例が見つかってきたので今は疑問視されてるらしい。
たとえば『太梁公日記』(加賀藩11代目前田治脩の日記)の1773年10月12日の記事には
「ねりやうかん半分」を食べたと書いてあり、しかも「風味不宜(おいしくない)」だったらしくて
たぶん藩主のお好みの味ではなかったか、製法が確立されていなかったんでしょうね。
また『逾好日記』(播磨姫路藩2代目酒井忠以の日記)には
1787年11月26日の茶会のお菓子に「ねりやうかん」を出したとあるので
少なくとも江戸時代中期には「煉羊羹という食べ物」があったのではないかということみたい。
酒井抱一のお兄ちゃんが羊羹を食べていたならきっと抱一も食べていたはず…とか、
楽しい妄想もできました^^

今は無き羊羹の名店。
お江戸には羊羹のお店がたくさんあり、番付などもあったそうですが
常にその上位にいた4店舗の紹介でした。
船橋屋織江(深川)の『菓子話船橋』では1804年の開店には800~1000棹も売れたと書いてあったり
鈴木越後(日本橋)の羊羹を「天下に鳴る」と紹介している『江戸名物詩』(1836年刊)があったり
金沢丹後(日本橋ほか支店多数)の菓子見本帳には凝ったデザインの羊羹がたくさん書かれていたり
藤村(本郷)は加賀藩御用達で近代には森鷗外や夏目漱石なども食べて小説に紹介してたりと
強すぎるエピソードのお店ばかりですごい。
今はどこも閉店してしまっているそうで、時の流れを感じますなあ。
…ちなみに、とらや(京都)の羊羹ですが。
『院御所様行幸之御菓子通』の、明正天皇が後水尾天皇のもとに行幸した1635年9月16日~20日に
二口屋と分担して538棹もの羊羹を納めたというのが、とらやの羊羹についての最古の記録だそう。
とらやに残されている御菓子絵図(1824年)でも色んなデザインで作っていたことがわかっていて
近代では州浜台に羊羹を積んだりしてギフトみたいな商品もあったみたい。
ギフトといえば昔は羊羹切手というのもあって、商品券のようなもので贈答品に使われたそうです。
お店の名前とともに「一煉羊羹」「壱棹」などと書かれていて、羊羹と交換できたのかな。

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近代の羊羹の商標・包み紙いろいろ。(ここだけ撮影可)
鉄道の発達などもあり各地へ旅行する人々が増えて、
地域の特産品を使った羊羹がお土産として販売されるようになり、そのパッケージを集めた展示です。

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浮世絵みたいできれいだなと思った、山梨の葡萄羊羹のパッケージ。
そういえば羊羹は、近代以降は紙やアルミ箔に包まれて販売されますが
その前は缶詰だったそうです。
(エドワード・モースが凮月堂のブリキ缶入り羊羹をアメリカに持ち帰ったりしているそうだ)
さらにその前の江戸時代では竹の皮にくるんだりしていたらしい。
『諸方御用留帳』1702年3月10日の記事に「やうかん六棹かわにつつみ入」という記録があります。
竹皮で販売していた主な理由は大きなサイズでしか販売していなかったからなのですが
紙のパッケージが可能になったあたりから小さいサイズでの販売も始まり、
現代でも販売されているサイズがこの頃ほぼ決まったみたい。
小型羊羹のパッケージも色々展示されていて、南座限定やニューヨーク店限定パッケージなど
(言い忘れたけどとらやは1980年にパリ店、1993年にニューヨーク店を出している)、
日本語のみならず外国語でデザインされたものもありました。
パリ店の「エッフェル塔の夕暮れ」羊羹めっちゃきれいですな…!
ニューヨーク店のカフェで出されたらしい羊羹サンドイッチに思わずシベリアを連想しましたけど
あれはカステラでしたね…ちょっと違う…。
さっきチラッと書いた夜の梅の干支パッケージも展示されてましたよ~。
夜の梅はとらやの歴史でも古くから製造されていて、1776年には蒸羊羹、1862年には煉羊羹になって
現在も販売されていますね。
「夜の梅に鼠」と題した掛軸を金島桂華が制作していて
子年にちなんで羊羹の箱の上にちょこんと乗ったネズミを描いた絵がありました。
衛生面が心配になりますが、絵としてはとてもかわいい。

羊羹トリビア。
歌川広重の「太平喜餅酒多多買」という、お菓子と酒が戦うというトンデモモチーフの錦絵に
「船橋入道ようかん」という、顔が羊羹になっているキャラクターが描かれています。
絵が展示されていたけど確かに顔が羊羹で体は人間でした。
『名代干菓子山殿』(お菓子の擬人化ストーリー)という黄表紙には
「かす寺(カステラ)の羊羹和尚」という、頭に羊羹の切り身を乗せた和尚様が登場します。
たぶん羊羹が精進料理だった時代の名残でお寺の人がキャラクター化されたのかな…。
またアニメ「それいけ!アンパンマン」にはヨーカンマダムというキャラクターがいて
顔が四角い羊羹で礼儀作法に厳しい人らしい。
谷崎潤一郎『陰翳礼讃』には「羊羹の色あいも、あれを塗り物の菓子器に入れて、
肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる」という記述がありますが
何とそれを再現したスペース(!)がありまして、
ぼうっと灯された行燈の隣にある机のお皿の上に羊羹が置かれていましたが暗くて全然見えなくて…
わたしはまだまだ文豪の境地には至れていないなと思いました。
秩父宮さんはとらやの缶詰羊羹(1.5kgもあるやつ)をリュックに入れてマッターホルンへ登頂し、
山頂で茶会を開いたというつわものだそうですが
そのときの1.5kg羊羹入りリュックのレプリカが置いてあって持ち上げられました。重たかったです。
戦争が始まって空襲が激しくなると、とらやの工場も焼けてしまったそうで
溶けて商品化できなくなった羊羹は人々に無料で配られたのだそうな。
(新田潤の妻もバケツで持ち帰ったという記録がある)
また戦争中に海軍に納めた「海の勲」という小型羊羹、実物が1本だけ残っているそうで
それが今回展示されていました。
第一次南極観測隊への寄付もしていたようで、
1957年の観測船船長の日記には「赤道を通過し極寒の地で開けても変質なし」と書かれていたそう。
最近では野口聡一さんが国際宇宙ステーションで開催した宇宙茶会で
クルーとともに山崎製パンの羊羹を食べたのだそうで、そのときの写真もありました。
(ちなみに宇宙食にするにあたり特に改良などはなく合格してそのまま持っていかれたそうな)

あと最近の羊羹の食べ方としてヨーグルトとのマリアージュとか
お酒と合わせてみるとか、羊羹パンなるローカルフードとか
色んな方法で食べてみる人たちがいるんだなァとおもしろく拝見。
作り手の想像を消費者が超えていくこともありますよね。これからも意外な食べ方が出てきそうです。

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名代干菓子山殿には挿絵もあって、羊羹和尚も描かれているので
こんな撮影スポットが再現されていました(笑)。
羊羹和尚はかわいいな~。
2019_11
13
(Wed)23:53

図書館は進化する。

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今年も図書館総合展に行ってきました。
図書館界の過去と現状と進化について本気出して考える3日間ですよ。

今年は出展側だったのでブース巡りはバタバタでしたけど、
例年どおりキハラさんやとしょけっとのブースをまず最初に見てから
ポスターセッションのブースを覗きに行きましたらば。
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びっくりした…!顔じゃなくて鼻から顔を出す顔はめパネル。
これ人の顔が入ったらたいへんカオスな画像ができあがるぞ…。(入れている人は見ませんでした)

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びっくりしたものその2。本のヒーロー「ダクシオン」。
貸出冊数と利用者数を増やし、予算減・職員減から図書館を救う「本のヒーロー」。(公式サイトの説明文まんま)
目は開いた本、ボディは本棚、読み聞かせもする、武器は図書券ソード!!(懐かしい)
依頼するとその図書館のために宣伝とかしてくれるらしいです。
職場に帰ってこんなヒーローいたんですよ~って報告したら
先輩の職員さんに「わたし中の人と仲良しだよ」って言われました。
い、行く前に知りたかった…!ヒーローの中の人と知り合いってすごいな。。

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びっくりしたものその3。イトーキがエヴァンゲリオンとコラボした椅子。
もともとは白い椅子として販売していたものをエヴァカラーにしたみたいです。
展示されていたのは初号機と弐号機の2台ですが綾波スーツ仕様とネルフ仕様の椅子もあるそうです。→こちら
座ってみたら体にフィットしてうっかり寝そうになった。

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ナカバヤシのミニチュア図書館がグレードアップしてた☆
去年は一部屋だったけど今年は二部屋になりました。かわいいよー!
本やテーブルが増えたり新聞のデジタル版が見られるPCが置かれていたり
小物がちょこちょこ増えていて工夫が感じられます。

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司書さん、今年もお元気そうですね。来年もお会い出来たらいいですね。

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児童室が広くなった!
分厚い辞書が置かれたり(ブックエンドまである)英字新聞があったり、椅子も増えましたね。
来年はもっと広くなるのかな。楽しみです。

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偕成社ブースのノンタン今年もいました☆

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おや、この背中は…!

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ミーちゃんだ!
猫ピッチャーは背番号も222なのですね。

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帝京大学の共読ライブラリーは年々毒々しくなっている。(誉め言葉です)
今年は目玉のおやじさんの他にアトムも立っていました。

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アートミュージアム ・ アンヌアーレにあった工芸ピクニックの展示。
お気に入りの工芸品(陶磁器、漆器、銅器、ガラスなど)とお料理と飲み物を持ち寄って
野点のようなピクニックを楽しむ企画だそうです。
ピクニックというとどうしても壊れないようにと持ち運びやすさからプラスチックや紙コップを持っていきがちですが
あえて自分好みの器でジュースとか麦茶とか飲んでみるのもいいかもしれない。
お茶道具を持って行けば野点もできますしね。
工芸ピクニックの心得」によるとホストはいなくて全員が参加者、とあって
なんだかコミケみたいだなと思った。

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今年から始まった図書館川柳コンテスト。
「家よりもなぜか落ち着く本の中」「読み切れず目指せ読破とまた借りる」など
図書館や本にまつわる川柳を一般公募したものです。
めっちゃわかるわ~と思ったのが「わあショック真犯人を囲う丸」。わかるわ~!

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今回は災害アーカイブのフォーラムに参加したので
企画した防災科学技術研究所のブースにも行きました。
全国の災害図書館・図書室・情報センターの概要やパンフレットが並んでいました。
東京の防災専門図書館、神戸の震災文庫、名古屋の伊勢湾台風資料室、長岡の災害復興文庫、
岩手・宮城・福島の東日本大震災文庫などなど。
日本は災害の国だから色んな専門図書館がありますね。
フォーラムの登壇者から今年の台風の話題も出て水害アーカイブを充実させなきゃって意見も出たから
今後も増えていくのだろうと思います。

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防災リュック「ももちゃん」。
子ども用の防災グッズと非常食が詰まったクマのリュックで、
普通のリュックではだだをこねるお子さんに親御さんが「ももちゃんと一緒に逃げよう」と言いやすくなるとか
普段からももちゃんと一緒に過ごすことで「避難には何が必要かな」という話もしやすくなるのではないか、と
企画されたそうです。

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フォーラムでもらったクリップライト。鞄や持ち物につけておけそうです。
LEDなので小さくても明るいからいざというとき頼りになりそう。

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地域資料のデジタルアーカイブについてのフォーラムで
ブラタモリ京都回に出演した梅林さんが「図書館にスキャナ置いてほしい!ネットで画像公開してほしい!
高精細画像でダウンロードしたい!活用して地域に活かしたい!SNSと相性がいいと思う!」とひたすら叫んで
元京都の図書館員で現東大准教授の福島さんが「やりたい職員はいっぱいいる。しかし手段がない。予算もない。
そんな中こんな風に工夫してがんばっている図書館があります」とひたすらフォローする90分。
個人としてのわたしは梅林さんの気持ちがとてもわかるし
司書としてのわたしは福島さんの気持ちがとてもわかるし
おふたりのセッションの間ずっと自分の中で矛盾と葛藤がせめぎあって胸が破裂しそうでした。
わたしたちは資料をちゃんと提供できているんだろうか、活用してもらえてるんだろうか。ぐるぐるぐるぐる。
この仕事に携わる限り考えていかねばです。

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帰りにみなとみらい駅のクリスマスツリーをパチリ。毎年楽しみなんですよね。
今年はツリー中央のパイプオルガンを適当に弾くとメロディが流れて
ツリーのイルミネーションがそれに合わせて変化する仕掛けになっていました。

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星の王子様クリスマスツリーもあった!
2019_11
09
(Sat)23:54

この世界の果ての誓い守りとおす。

小野不由美『白銀の墟 玄の月』全4巻を読み終えました。
十二国記シリーズの最新刊で、番外編が中心の短編集を除くと18年ぶりの本編新作で
18年も待ったので期待しすぎかなと思いつつ読んだらとんでもありませんでした。
1・2巻が先月に発売されて、3・4巻が今日発売だったのですけど
先月に1・2巻を読んだら長い長い状況説明ばかりで何も話が進まないまま終わってしまって
待って待ってこんな状態であと1ヶ月待つの、マジで??ってなりまして
でも発売日まで待つしかなくてあまりの苦行に耐えきれなくて今日手に入れて一気に読みました。
1・2巻と同じくまったく話が進まなくて、ページが残り少なくなっていくのに解決の兆しがまるで見えなくて
残りのページ量を何度も確認しながら大丈夫だろうか一区切りするだろうかと不安になって
何度も最後のページをめくりそうになってそのたびに必死に耐えて
でも残り100ページくらいからそんなことも気にならないくらい一気に話が進んで
「わー!」「わー!!」「うわーー!!!」とか叫びそうになりながら読んでました。
これは18年かかるわ…1・2巻の伏線も過去シリーズに繰り返し描かれてきた設定も
全部全部活かされ回収されていく様が鮮やかすぎて見事でした。
小野主上お疲れさまでした。本当にありがとうございました。

とにかく胸がいっぱいなので以下、ネタバレを含む感想を遠慮なく書いています。
未読の方はご注意ください。
(あと、近いうちにまた読み返す予定なので加筆するかもしれません)



これでもかというくらい多くの人があっけなく去っていくし、何度も何度も絶望にたたき落とされるし
もうダメかも、という底から一転、ラストまで一気になだれ込む怒濤のような展開。
読み終えてしばらくはボーっとしてしまって、これまでのシリーズのこととか思い出してしまったし
さみしいけどこれからやっと戴の歴史が始まるのだという期待と
おそらくまだ全部描かれてはいないだろう摂理のあれこれが気になってしまう感。
小野主上は波のインタビューで「すべての王と麒麟を書くつもりはない」とおっしゃっていたので
世界観についても同じかもなあ、とは思っています。
(というかあのインタビューすごかったな…小野主上が自作を語るの久々に見たし
相変わらずこれでもかとストイックな物語作りをなさっているのがビシバシ伝わってきました。
泰麒が川端訳のセドリックというのは初めて聞いた気がします!
ナルニアの影響というのは楽俊のモデルがリーピチープであるとの話だろうか、
荻原規子氏がどこかのインタビューでおっしゃっていたやつ)

18年も時間があったのと、既刊における世界観の説明と、十二国記における人物の描かれ方から考えて
阿選が謀反を起こした理由は想像できたし、3巻で気持ちを吐露する描写を見ても想像の範囲を超えていなくて
「やっぱりね」と思いましたけど、でもだからこその地獄感がありました。
驍宗と姓がおなじで、年も地位も近くて、馴れあうつもりはなくてライバルとして見ていて
一緒に戴のために働くはずだったのにいつの間にか驍宗より先に手柄をたてることを考えてしまって
驍宗がそうじゃないとわかったときの、自分の独り相撲だったのかと思ってしまう気持ち。
昇山で選ばれなかったとき自分がどうなってしまうかわかるから行かなかったけど
でも選ばれたのは驍宗で、それでも驍宗のことは嫌いになれなくて
代わりに泰麒を憎んでしまったりする気持ち。
驍宗の生死が不明なうちは国をほったらかしてボーっとしてたのに
生きているとわかったとたんにああまたこれで競い合えるって排除しようとする気持ち。
めちゃくちゃ人間味のある人でした。でもだからって国民を巻き込むな。そういうところが「王」ではないんだな…。
同じ姓の王が二代続くことはない問題も、琅燦に言われなくても知っていて
(これ前に楽俊も言ってたけどあまり知られていない慣例でしたっけ?)、
だから泰麒に王だと指名されても信じずに、むしろそれを利用して
泰麒が絶望する顔が見たいって思ってしまう気持ちもなあ…。
鈴が『風の万里~』で言ってた「本人について考えてもみないで勝手に絶望していく」のセリフとか
思い出してしまったし、
かつてアニメ化で昇紘や斡由がめちゃくちゃ手ごわい悪役になったみたいに
阿選もアニメ化したらそんな風になりそうな気がします。脚本次第ではあるけど。

個人的に一番気になっていた琅燦が生きていてくれてホッとしたのと、
彼女の好奇心が阿選に謀反を起こさせるきっかけのひとつであることもわかって
戴の混乱の原因は彼女にもあるよなあ、と思いました。
阿選が謀反を起こしたのは小さなきっかけの積み重ねだったと思うけど
彼女のひとことも確実にそのうちのひとつではあると思う。口調もいちいち挑発的だし。
クライマックスで泰麒を「やっぱり化物だ」と評したのは武者震いというか、
事例採取のために典型やセオリーを集めていたら例外を目にしてしまった研究者の目線であって
驍宗と泰麒が戻ってきたことを喜んでるばかりじゃないよね。
あのセリフを聞いて思ったのは琅燦は観察する人だということでした。自分の興味だけで動く人。
泰麒は、琅燦は敵ではないと最後まで思っていたけど、確かにその通りですけど
たぶん彼女は自分の知識欲を満たすために必要な人物の側にいようとしているだけなんだな。
冬官長の地位もそのために必要だったんだろうし。マッドな学者め!好き。
耶利の主人が琅燦かどうかは今後明かされることはあるのかな…?
泰麒が問いかけても耶利は答えなかったからわかりませんけど、琅燦じゃなくても黄朱の誰かとか
あとさらにバックに更夜の影を見た気がしました。
想像の余地を残して明言しないのがこのシリーズの良さでもある。

泰麒強くなったねー!
まさか18年ぶりに帰ってきた彼が不屈の精神と知略と政治力と名言と大人びた雰囲気と
人々をあざむく知恵と王のために暴力をふるう決断力を引っさげて登場するとは思わなかったよ。
いや、『黄昏~』の後半で李斎と話してるときの口ぶりから聡明なのは伝わってきてたけど
今回、自分の状況と戴のトップを利用して国民を救おうとするえげつない成長の仕方してたじゃないですか、
1巻から知略がフルスロットルですごかったよ。
特に後半、驍宗が生きていると判明してからの泰麒は陽子が覚醒したときのような凄みがあって
元々そういう素質があったかはわからないけど、確実に育った環境と逆境が影響していて
しかもそれらが「今の」泰麒にとっての武器になっているのがもう、しんどい。
泰麒が3巻で「先生」と呟くのたまらなかったし、
阿選にむりやり叩頭しようとしたときはやめてやめてダメだよ~~って泣きそうになった。。
額に杭を打ち込まれるような苦痛とか…おま…おまえ…頭割れたらどうするつもりだったんや…。
4巻クライマックスは『風の海~』のクライマックスを彷彿とさせるのでぜひ映像で見たいな!
黒麒麟であることが移動手段としては他の麒麟よりも簡単だけど
政治の場においては金髪でないことで不利になってしまう状況を考えて
だったら王と麒麟がいなくなるほか戴が前に進む方法がないという考えに至ってしまって
そのために人を殺してまで処刑台の驍宗のもとへ駆けつける泰麒の姿はとても衝撃的でした。
「何が起こったんだ」ほんとこのセリフのまんまですよ。
あれは前例ないよな…「使令を使うのではなく自ら手を下」した麒麟は彼が初めてじゃないのかな。
「すべての麒麟は人を殺した経験がある。本人の代わりに使令がやるから自覚がないだけ」も
確かにそうだなあと思うし、
思えば泰麒は蓬莱でずっと彼らに守られながら殺戮を繰り返していて、そのことも深く受け止めていて
すべてを引き受けていくと決めたんですな…。
傲濫も汕子もいない中で(結局最後まで出てこなかったよね)自分で剣を取って走って
王と麒麟を守るために饕餮が敵を蹴散らすような展開にはならず最後まで彼らがいない状態で戦った。
牢に閉じ込められている正頼に会うために夜中に忍び込んで牢屋番を殴ったりしましたけど
(項梁がとどめ刺したけど)(「甘い。ためらうな」めっちゃしびれました)、
あれも躊躇しながらの行動で、その後の処刑台での行動ももちろんものすごい苦しみの中だったろうけど
驍宗も動揺するどころか「耐え忍ぶに不屈、行動するに果敢」であっさり片付けちゃってて、そういうとこだよこの主従。。
なぜ血を流してまでその人でなければだめなのか、というのはもはや仁ではなく感情だと思うので
泰麒は獣としての性より人としての感情を優先することができたということでしょうか。
転変して国民の前で驍宗とともにある姿を見せるシーンは本当にドラマチックだし
背に驍宗を乗せるという、『風の万里~』の陽子と景麒のようなこともしてくれて
もうこっち(読者)は頭がいっぱい。
すごいところまで来たなあ泰麒…回復して角も元に戻ったようでよかったです。

驍宗さま函養山にいたんですね。
恩を覚えていて食糧や鈴や玉を流す轍囲の民と、それと知らずに受け取る驍宗の構図が奇跡のようでした。
落盤ってことは今も山から出られてない?仙とはいえ7年も飲まず食わずとか無理じゃね??って思ったけど
瀕死の状況から数々の出来事が重なった結果命をつなぐことができて本当によかったです。
『風の海~』で驍宗が昇山に失敗したから将軍もやめて戴にも戻らないみたいなことを言い出したとき、
意地っ張りな人だなあと思ったのですが、今回、阿選も同じ気持ちだったと知って
そうか驍宗がそうしようとしたのは国民のためだったんだなって思いました。
自分は恥をかくことに慣れていないとわかっているから、このまま戴に戻ったら自分が何をするか想像つくから、
国民を傷つけないために、暴走した自分から国民を守るために戻らないという選択をしようとした。
驍宗は阿選とライバルでいるのも楽しかったろうけど、何より自分が戴の将軍であることをわきまえていて
阿選は驍宗を見つめるあまりそれができなくなった人だった。
轍囲の話でも思いましたが、その道を選べるか選べないかが驍宗と阿選の違いなんだろうなと。
驕王の命令に背いて出奔しても、あてもなくさまよっていたわけではなくて
黄海で才国の昇山を見かけたり朱旌の人々から騶虞の捕まえ方を教わったりと
どこに行っても経験を積むことを忘れない人ですなあ。
暗闇で黒い騶虞を捕まえて麒麟を思い出すの『風の海~』のときみたいで素敵でした。
饕餮の傲濫が赤犬くんなら騶虞の羅睺は黒猫ちゃんだ!
李斎と驍宗が再会するまでの数ページが心臓バクバクで早く、早くあと少しじゃん…!てページめっちゃめくって
「…驚いた。李斎か」ってなったときいよっしゃあああ!!!ってなったよね☆
思いっきり膝ついた霜元も、7年間生きていると信じて探し続けた李斎も本当にお疲れ様でした…。
そして泰麒との再会の「蒿里か」「大きくなったな」にも泣いた…。
子どもの姿の記憶しかなくてもあの状況で自分のもとへ来てくれたのが誰なのかすぐわかるんだなあ。

王旗と麒麟旗の並びで泣きそうに。
とりあえず希望の持てる結末ではありましたが、たくさんの仲間が…あまりにも多くの人が…。
虎嘯や夕暉がそうなれたように朽桟も癸魯も余沢も夕麗もこれからの戴のために必要な人だったのに…。
(いつだったか小野主上が言ってた「書かれていないところでたくさんの人が死んでいる」がこんな形で出てくるとは)
項梁と去思が生きててよかったです…項梁ほんと大変だったな泰麒のそばにいても、離れていても…!
去思もよくがんばりました。よく無事で雁にたどり着いた。
機会があるならたくさんのものを失ってしまった戴がこれから復興していく物語も読みたいです。
泰麒や戴のその後、陽子たちのその後、天の摂理。気になることは山積み。
最後の戴史乍書の「十月鴻基において阿選を討つ」一文ですませているところがいいですね。
十二国記の史書は相変わらずいい仕事をします。
『月の影~』でも「偽王舒栄を討たしむ」で終わってて、直接の描写はないですしね。
(アニメ版ドラマCDではやったけどね)

延主従が来てくれたときの安心感がすごい!毎回いいところで登場しますなあ。
ト書きに「延国からの使者」ってあったけどこれ絶対本人たち来ちゃってるでしょってなったら当たったもんね、
あの2人は本当に本当にほんっっっとうに、部下を遣わさないで自分たちで行っちゃうよね!好き!!
(海を挟んですぐのご近所さん同士なので行きやすくはあるんだろうけど
王様と麒麟がお出かけするって結構なハードルなのに
それをヒョイッとやっちゃうのがあの2人らしさだなあと思います)
尚隆の「引き受けた」のひとことでああもう大丈夫だって心の底から思えたし
『黄昏~』で六太が李斎と泰麒にとらを貸して見送ってくれたこととかも思い出しちゃったし
それを頼んだのは陽子だし、もうもう、みんなで支えてがんばってここまで来た感がありましたわ…。
泰麒も元気になったら姿を見せてあげてほしい。六太に。陽子と景麒に。

李斎で思い出した!飛燕~~初登場からずっと好きでしたしこれからもずっと好きですよ飛燕…。
せめて、せめてあと一度でいいから泰麒に撫でられてからお別れしてほしかった。。

落穂拾いのような短編集が来年に出るということですが、
今回の4冊で出てこなかった人たちが数人、登場する予定とのことで楽しみです。
今度はどんな人々が見た戴が描かれるのかな。
十二国記は群像劇なので視点がコロコロ変わりながら物語が進むのが少し読みにくい時もあるのですけど
今回は戴国の様々な立場の人々の視点で描かれていて、様々な思考や計略や思い込みや勘違いがわかって
そりゃこれだけ多くの人がいたらこうなるよねって思いました。
みんな色々考えて行動するからこじれるんだよね…。
よかれと思ってやったこと、熟慮の末にやったこと、動転してふとやってしまったこと、自分の身かわいさにやること。
あらゆる人々の行動が物事を複雑化し、そしてあっけなく結末を迎えたりするんだな。

山田画伯の絵もすばらしく冴えわたっていて、ページをめくって挿絵が現れるたびにドキドキしていました。
2巻で琅燦がピンで描かれたのすごくうれしかったし、
4巻最初の、驍宗が羅睺を調伏するときの挿絵は国芳の水滸伝を思い出すような大迫力だったし
驍宗のもとへ駆けつける泰麒と耶利の冷徹なまでの凄まじい表情と動きには凍りつきました。
小野主上の原稿を読んで画伯が筆をふるい、主上もまた画伯の描くキャラを見て別のお話に登場させたりするそうで
おふたりあっての十二国記だなあと、改めて。
そういえば十二国記画集は第二弾も計画中という話はどうなったのかな…。
過去に開催された原画展で確かそんな噂を聞いたのですが。
本編同様、いつまでも待ちますので発売してくだされ新潮社さん~。
2019_11
05
(Tue)23:50

名古屋でカラヴァッジョでシンカリオンな旅。

九州旅行記事のラストで予告しましたが、先日、日帰りで名古屋に行ってきました。
この時期に名古屋に行くのは某理由(後述します)により去年から決めていて、
ドハマリしているシンカリオン熱も冷めるどころか上がる一方だし、食べたいものも色々あるし
よしあちこち回ってこよう~ということにしたわけです。

2019nagoya_1.jpg
夜行バスで降ろされた時間が夜明け前でめっちゃ寒かったのですが(上着持って行ってよかった)、
お蔭で名古屋の夜明けを堪能できました。
ここはどこかといいますと、Zepp Nagoyaというライブハウスと
ストリングスホテル名古屋という宿泊施設の間の道路でして。

2019nagoya_2.jpg
一番列車キタ~~~!パチリ。
そうですここはシンカリオン74話で
ドクターイエローが沿道の人々から手を振ってもらった場所なのです!!

2019nagoya_3.jpg
1本来たらどんどん来る。すごい。東海さんの本数すごい。

本当はイエローが走る日にここに来てイエローを撮影したかったのですが
走行予測によると先生は今月は平日しかお仕事しないのだそうで…。
そしてうちの職場は繁忙期のため平日休みが取れないわけで…。
くそ~いつかイエローをここで撮影するのだ!そして手を振るのだ。

2019nagoya_4.jpg
歩いて名古屋駅に移動。
アニメで名古屋駅が紹介されるときのアングルがここですね^^
道路の真ん中にあるぐるぐるは伊井伸さん設計の「飛翔」というモニュメントだそうです。

2019nagoya_5.jpg
みんなで名古屋にきたよ☆
リュウジさんの地元で、ハヤトくんは何度か来ていて、ミクさんはTVシリーズ終盤で来ましたね。

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カフェジャンシアーヌJR名古屋駅店で小倉トーストのモーニング。
ゆで卵とドリンクがついてきます。

<2019nagoya_7.jpg
みんなで小倉トースト☆

甘くておいしい燃料を補給した後は電車で移動します。
kiyosujo_1.jpg
清洲駅に着いた!
はっきり言ってこのツーショットが撮りたくて来たようなものです(笑)。
いやでもこの後の行程もちゃんと楽しかったですよ。

以下、写真が多いのでたたんであります↓クリックで開きますのでどうぞ☆

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2019_11
01
(Fri)21:59

文化財のお医者さんその2。

六本木の泉屋博古館分館で「文化財よ、永遠に」展を見てきました。
先日、東博で見た展示と同時開催の展覧会です。
会期ギリギリに駆け込みましたがそんなに混んでなくて見やすかったです。よかった。

senokuhakuko1.jpg
六本木一丁目駅を出ようとしたらポスターがでかでかと貼ってある自動ドアを発見。
これなら出口を間違えないですね。

senokuhakuko2.jpg
階段を登って登って、博古館に着きました。来るの初めてだよ。

senokuhakuko3.jpg
入口にも大きな垂れ幕が。

館内はロビーを挟んで2つの展示室があって、そんなに作品数も多くなかったし
鑑賞者もほどほどだったのでゆったり見られました。
展示されている作品の隣に修理前・修理後の写真や修理の過程をコマ撮りした写真があり、
説明書きも添えられているので読んでいるとあっという間に時間が過ぎていきました。
展示室そんなに広くないのに気づいたら2時間近くいた…修復のウラガワンダーランドはおもしろい。

senokuhakuko4.jpg
修理を担当した業者の名前が入っている展示品一覧表なんて初めて見る。
世の中には文化財のお医者さんがたくさんいるのだ。

東博では主に仏像の修復について展示されていましたが、
博古館では主に掛軸や絵巻、油絵などの絵画を中心に展示していました。
栃木県日光山輪王寺の大威徳明王像、修法で使われたために煙と煤で真っ黒になってしまい
横折れもひどかったそうです。修法は絵の前で火も使うからなあ…。
煤を丁寧に取り除き、裏打ちを取って貼りなおして綺麗になったし
絵の裏には1793年に修理したという銘も墨書きされていたことがわかったらしいです。
個人蔵の金剛界曼荼羅図も修理前は横折れがひどく、絵の具が浮いて、亀裂も入っていたそうです。
解体して裏打ち紙を取り換えて、カラフルな色彩を取り戻しています。
また、1534年・1623年・1755年・1834年にそれぞれ修理をした墨書き銘も裏に貼られていて
(それぞれ織田信長が生まれて徳川家光が将軍になってオスカル様が生まれて近藤勇が生まれた年だ)
100年ごとに修理する原則が守られてきたみたい。
でもその銘の紙が折れの原因になっていたそうなので、剥がして別装にしたのだそうな。
山梨県大聖寺の釈迦三尊十六善神像は、織田信長の部下で武田攻めに参加した中川清秀が
戦闘の際に大聖寺の不動明王に助けられて生き延びたという話が伝わっており、
子の秀成が奉納したものだそうです。
掛軸は大切に保管され、1748年に子孫の久貞が修理を行っていますが
そのときに表面の欠損が目立たないように暗い色の裏打ち紙を貼ったらしく、
今回の修理でそれを変更したところ、本来の明るい色彩になったそうです。
子孫が大切に守り伝えてきたものですけど、必ずしも作品にとって良いかどうかは
年月が経たないとわからないのだな…技術の進歩ってすごいね。

1364年から神奈川県称名寺に伝来している十二神将像の掛軸たち。
十二神将は掛軸1枚や巻物にまとめて描かれるパターンが多いのですが
称名寺のは1掛軸に1神将で12幅セットという、なかなか珍しい作品のようです。
まず神将が真ん中に描かれ、女神・天女・童子・男神が周りに描かれ、
上に本地仏と七曜星が描かれているデザインが12幅すべてに統一されています。
1852年に光明院周海による、1929年に古社寺保存法による修理が行われた記録があるそうです。
裏打ち紙が江戸時代に多用されたものだったため、新しく取り換えたところ
色がよく見えるようになったそうな。
大倉集古館所蔵の十六羅漢像も、掛軸にそれぞれ羅漢たちが描かれているものですが
線描が中心で色数が少ないものと極彩色のものがあり、
いくつかは制作時期が異なるのではないかと考えられているそうです。
経年劣化による画面の損傷がひどく、彩色も剥落していたので
旧補絹を取って、新しく貼るものは本来の色と合わせるために古色を使って仕上げてあるとか。

中世の絵巻物。
永青文庫の長谷雄草紙は長年の巻きによる折り癖がひどかったのと
巻物自体の折れがあちこちに見られたようで貼り替えられています。
物語のクライマックスで女性が水になって消えてしまうというドラマチックなシーンの折れの様子が
写真で紹介されていましたけどあれはグロかった…展示品は美しく修復されていて感動しました。
埼玉県慈光寺の法華経一品経は歪みがひどかったそうですが、本紙が薄いので解体は見送って
カビと汚れを除去し、剥落止めと折れ伏せをほどこして補強しています。
同じく慈光寺の無量義経は、天地に金銀箔を散らした豪華な作品なのですが
その金属の腐食が原因で補強紙がバランスを崩し大きな折れが生じてしまったらしい。
解体修理に踏み切り、彩色の剥落を止める液体を塗ったそうです。
金銀…昔の人もキラキラしてたら綺麗だよねって思ってつけただけだと思うんですよね…。
それが後世に腐食するなんて考えなかったろうし、
そもそもこの巻物を数百年も先の未来まで残すつもりがあったかどうかも、今となってはわかりません。
もし未来に伝える気持ちがあったとしても
その作品がいつどんな風に傷むかなんてなかなか想像つかないだろうしなあ…色々考えてしまう。

中国の絵画や水墨画など。
山口県の菊屋家住宅保存会に伝わる草虫図は元時代の掛軸で、牡丹と蝶のおめでたい絵ですが
折れがひどいうえに絵の具が粉状化し、さらに表装の紙の向きが間違ってついていたので
表装を取り外して裏打ち紙の向きを正方向にしたそうです。
修理の際に裏彩色がされていたこともわかり、牡丹には白が塗られていたみたい。
博古館所蔵の水月観音像は高麗時代の宮廷画家が描いた作品で
修理前の調査でスキャンしたところ裏彩色の痕跡が見つかったのだそうな。
なのでその彩色を見せるために効果的かつ彩色を損なわないような肌裏紙を選んで貼りなおしたそうです。
永青文庫の富士美保清見寺図は雪舟の筆と伝えられてきたようですが
今は模本である可能性の方が高いらしい。
横折れや亀裂がひどく、本紙が薄くて、でも表装に使われた糊が濃くてガッチリくっついてるので
解体はしないで裏打ちを強くしたそうです。
過去の人は、大きな絵だから壊れないようにと糊をしっかりつけたのかな…。
よかれとやったことが年月が経つと資料の負担になっていくことも多いのだよね。

近世の作品。
神奈川県東慶寺の葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱(キリスト教でパン(キリストの肉にあたる)を収める箱)は
表面の漆が汚れてくすんだのと、紫外線による劣化で螺鈿の剥落がみられたので
接着して元通りにされています。
蓋にイエスズ会の紋章があって、大文字アルファベットの大胆なデザインでおもしろい。
練馬区立美術館の比叡山真景図は池大雅が友人の三上孝軒と比叡山に行って描いた絵で
三上孝軒の詩を書き入れて後日本人に贈っています。
(隅っこに「擬李営丘筆意」と書いてあるのでオリジナルは李営丘のようですね)
過去の修理で折れ伏せのために目印につけた墨が長い年月を経てにじんでしまい、
表面の絵にまで浸透して大きなシミを作ってしまったらしい。
裏打ち紙は取り換えたけど、表面のところは本紙に影響が出るため何もせず残したそうです。
アルカンシェーン美術財団の淀川両岸図巻は円山応挙が応挙と名乗る前に制作したもので
京都から大阪まで川下りをする景色が描かれています。
巻物の真ん中に川を描き、上下の天地際に陸地を描いていますが
上の建物や人々は正位置で描かれているのに対し、下の建物や人々は逆向き(鏡写し)になってる。
欠損や剥落、絵の具の浮きやシミがあったので汚れを除去したそうです。
増上寺の五百羅漢図の100幅セットは狩野一信による作品で
一信が没するまでの10年間は一信が96幅描いて、残り4幅は妻の妙安と弟子が仕上げたものです。
すべてに裏彩色がほどこされたうえに裏箔まであったみたいで
(たとえば月に貼られた裏箔は絹目を通すと発光して見えるという仕掛けまである)、
相当な技術と時間とお金をかけて制作されたであろうことが考えられます。
折れや絵の具の欠損、肌裏紙の剥離、過去の修理で欠損部に当てられた補強の影響まであって
今はすべて修復され美しい彩色を見ることができますが
1幅1幅が大きいうえに絵の具の数も多いから職人さんたち大変だったろうな修理…。

近代の絵画。
東大大学院工学系研究科所蔵の曾川幸彦「弓術之図」は木炭とコンテで描かれた作品で
第2回内国勧業博覧会にも出品されたもの。
洋紙が悪化して折れや破れを生じ、継ぎ目が汚れ、さらに未表装でまくりのままだったので
とにかく劣化がひどかった模様。
食パンを粉砕して画面に置いて、ハケで撫でながら汚れを除去して
同じサイズの吸取紙に水を含ませて吸わせることで汚れを取る方法がとられたそうです。
また修理後に額装したとき、補強を大きくして四隅にマットをつけたのは
後世の修理もやりやすくするためだとか。
黒川古文化研究所の赤松麟「土佐堀川」は堀川の景色を見下ろしたアングルで描いていて
印象派のような雲や霧が全体的にかかっていて光を感じる絵でした。
もともと絵の具の剥落を隠すための過度な加筆がほどこされていたのと
阪神大震災で落下したのとでヘコミや折れが生じてしまい、
汚れを除去して欠損部を補強し、水彩絵の具で補彩もしてあるそうです。
1917年発表の作品ですがキャンバスには1913年の書き込みもあり、再利用ではないかと考えられてもいます。
櫻谷文庫の木島櫻谷「かりくら」は3人の騎馬武者がススキ野原を駆ける様子を描いた作品で
未表装のため裏打ちがなく、シワや破れ、まくり、巻き癖つきと大変な状態になっていたので
吸水によるクリーニングをかけ、紙全体を伸ばしてゆがみを戻して、掛軸に表装したそうです。
修理の際の調査では、光に透かし見ると絵の具を乗せた順番も確認できるので
制作の過程が見えるのだそうな。


当たり前っちゃ当たり前ですけど、作品が一点ものであるなら修理も修復も様々で
ひとつとして同じ作業はないのだな…。
ひとつひとつの事例を調査して、そのとき必要な修理をほどこしていくんですね。
どんな作品も必ず劣化します。それらをどうやって長く伝えていくか知恵をしぼってきた人たちの歴史を
少しですが垣間見ることができてとても勉強になった。
博古館のロビーには国内の他にイギリス、ドイツ、イタリア、ポーランド、アメリカ、
中国、ベトナム、パキスタン、ミャンマー、アフガニスタン、シリア、ウクライナ、エジプトなど
様々な海外助成対象文化財を紹介したパネルもありました。
過去にボストン美術館展で見た英一蝶の涅槃図も住友財団が助成してたんだ…!
あれも修復の様子が展示の際に紹介されていましたよね。


chikakoukoku.jpg
帰りの地下鉄の駅で見かけた広告。古今東西の文化ごちゃまぜで楽しい。
真ん中の電車は新幹線なのか特急列車なのかわかりませんが、緑色なのがE5っぽいのと
形がE7っぽいのでデザインした人は東日本の新幹線がお好きなのかな^^