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ゆさな日々

猫・本・歴史・アートなど、好きなものやその日考えたことをそこはかとなく書きつくります。つれづれに絵や写真もあり。


羊羹礼賛。

  1. 2019/11/17(日) 23:56:04_
  2. 歴史
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  4. _ comment:2
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とらや赤坂本店に行ってきました。
去年のリニューアルから早くも1年経ったそうで、そういえば全然行ってないなあと思ったのと。

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虎屋文庫の展示が4年ぶりに再開したということなので!「虎屋文庫の羊羹・YOKAN展」。
タイトルの通り羊羹をテーマにその歴史と文化をひもとく内容です。

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最近、新潮社から出版された『ようかん』の本。展示室にも閲覧用が置いてあって読めました。
文章と多数のカラー口絵で羊羹の歴史を紹介しています。
この本で紹介されている書物や道具、パッケージの実物などを展示室で見られるので
両方チェックするとおもしろいと思う。

羊羹がもともと中国の料理で「羊の羹(羊肉入りの汁物)」というのは
過去の展示でも紹介されていましたけど、今回もそこから始まっていました。
つまりご馳走だったんですね。
そんなご馳走を日本に伝えたのは中世に中国へ留学した禅僧たちだとされていて
『庭訓往来』(14世紀成立)によると法会の際に食べるものとして挙げられており、
小麦粉で作って羊肉に見立てた精進料理のようなものだったと想像されているとか。
そんな汁物だった羊羹ですが、室町時代後期の『食物服用之巻』では
「汁につけて食べる」と書いてあるので、この前後で汁と具が別々になり、
やがて独立した食物として食べられるようになっていった…ということみたいです。
ちなみに羊羹が「お菓子」として食べられたことを示す最古の記録は
茶会記『松屋会記』の1542年4月3日の記事のお菓子の項に
「菓子:
ヤウカン(羊羹)
ヤキクリ(焼き栗)
イモノコ(芋の子)」
と、書かれているものだそう。

そんな風に汁がなくなりお菓子として食べられるようになった羊羹、
戦国~江戸時代にかけて様々な製法で作られるようになっていきます。
・1500年代~形を作るタイプの羊羹
・1500年代末~蒸すだけタイプ
・1700年代~柔らかいタイプ、寒天の水羊羹
・1700年代後半~煉羊羹
ちなみにこれらの製法はとらやにも伝わっていて
林檎形(形タイプ)、栗蒸羊羹(蒸すタイプ)、水羊羹(柔らかいタイプ・寒天タイプ)、夜の梅(煉羊羹)として
現在も販売されているので買えます☆
夜の梅は毎年、干支のパッケージで発売されたりしますよね。
材料ですが主に小豆・小麦粉・葛粉・砂糖で、
現在、羊羹の主流となっている煉羊羹には寒天も混ぜて作られますね。
さらに芋羊羹や琥珀羹など小豆を使わないタイプの羊羹も開発されて
羊羹の定義も広がりつつあるような。
とらやでの製法の展示もありまして、材料を混ぜて煉って、型に流し入れて固めて切って
販売されるまでの流れが調理道具の写真や映像とともに紹介されていました。
煉羊羹を煉る際に使う大きなおしゃもじの名前を「エンマ」というそうですが
語源はわかってないみたいですが閻魔様の杓から名付けられたかも、とのこと。

煉羊羹について。
『北越雪譜』(1837年刊)には寛政年間に江戸日本橋の喜太郎が煉羊羹を創始したと書かれていて
これまではそれが通説だったらしいのですが、
最近、それ以前の茶会記などに煉羊羹の使用例が見つかってきたので今は疑問視されてるらしい。
たとえば『太梁公日記』(加賀藩11代目前田治脩の日記)の1773年10月12日の記事には
「ねりやうかん半分」を食べたと書いてあり、しかも「風味不宜(おいしくない)」だったらしくて
たぶん藩主のお好みの味ではなかったか、製法が確立されていなかったんでしょうね。
また『逾好日記』(播磨姫路藩2代目酒井忠以の日記)には
1787年11月26日の茶会のお菓子に「ねりやうかん」を出したとあるので
少なくとも江戸時代中期には「煉羊羹という食べ物」があったのではないかということみたい。
酒井抱一のお兄ちゃんが羊羹を食べていたならきっと抱一も食べていたはず…とか、
楽しい妄想もできました^^

今は無き羊羹の名店。
お江戸には羊羹のお店がたくさんあり、番付などもあったそうですが
常にその上位にいた4店舗の紹介でした。
船橋屋織江(深川)の『菓子話船橋』では1804年の開店には800~1000棹も売れたと書いてあったり
鈴木越後(日本橋)の羊羹を「天下に鳴る」と紹介している『江戸名物詩』(1836年刊)があったり
金沢丹後(日本橋ほか支店多数)の菓子見本帳には凝ったデザインの羊羹がたくさん書かれていたり
藤村(本郷)は加賀藩御用達で近代には森鷗外や夏目漱石なども食べて小説に紹介してたりと
強すぎるエピソードのお店ばかりですごい。
今はどこも閉店してしまっているそうで、時の流れを感じますなあ。
…ちなみに、とらや(京都)の羊羹ですが。
『院御所様行幸之御菓子通』の、明正天皇が後水尾天皇のもとに行幸した1635年9月16日~20日に
二口屋と分担して538棹もの羊羹を納めたというのが、とらやの羊羹についての最古の記録だそう。
とらやに残されている御菓子絵図(1824年)でも色んなデザインで作っていたことがわかっていて
近代では州浜台に羊羹を積んだりしてギフトみたいな商品もあったみたい。
ギフトといえば昔は羊羹切手というのもあって、商品券のようなもので贈答品に使われたそうです。
お店の名前とともに「一煉羊羹」「壱棹」などと書かれていて、羊羹と交換できたのかな。

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近代の羊羹の商標・包み紙いろいろ。(ここだけ撮影可)
鉄道の発達などもあり各地へ旅行する人々が増えて、
地域の特産品を使った羊羹がお土産として販売されるようになり、そのパッケージを集めた展示です。

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浮世絵みたいできれいだなと思った、山梨の葡萄羊羹のパッケージ。
そういえば羊羹は、近代以降は紙やアルミ箔に包まれて販売されますが
その前は缶詰だったそうです。
(エドワード・モースが凮月堂のブリキ缶入り羊羹をアメリカに持ち帰ったりしているそうだ)
さらにその前の江戸時代では竹の皮にくるんだりしていたらしい。
『諸方御用留帳』1702年3月10日の記事に「やうかん六棹かわにつつみ入」という記録があります。
竹皮で販売していた主な理由は大きなサイズでしか販売していなかったからなのですが
紙のパッケージが可能になったあたりから小さいサイズでの販売も始まり、
現代でも販売されているサイズがこの頃ほぼ決まったみたい。
小型羊羹のパッケージも色々展示されていて、南座限定やニューヨーク店限定パッケージなど
(言い忘れたけどとらやは1980年にパリ店、1993年にニューヨーク店を出している)、
日本語のみならず外国語でデザインされたものもありました。
パリ店の「エッフェル塔の夕暮れ」羊羹めっちゃきれいですな…!
ニューヨーク店のカフェで出されたらしい羊羹サンドイッチに思わずシベリアを連想しましたけど
あれはカステラでしたね…ちょっと違う…。
さっきチラッと書いた夜の梅の干支パッケージも展示されてましたよ~。
夜の梅はとらやの歴史でも古くから製造されていて、1776年には蒸羊羹、1862年には煉羊羹になって
現在も販売されていますね。
「夜の梅に鼠」と題した掛軸を金島桂華が制作していて
子年にちなんで羊羹の箱の上にちょこんと乗ったネズミを描いた絵がありました。
衛生面が心配になりますが、絵としてはとてもかわいい。

羊羹トリビア。
歌川広重の「太平喜餅酒多多買」という、お菓子と酒が戦うというトンデモモチーフの錦絵に
「船橋入道ようかん」という、顔が羊羹になっているキャラクターが描かれています。
絵が展示されていたけど確かに顔が羊羹で体は人間でした。
『名代干菓子山殿』(お菓子の擬人化ストーリー)という黄表紙には
「かす寺(カステラ)の羊羹和尚」という、頭に羊羹の切り身を乗せた和尚様が登場します。
たぶん羊羹が精進料理だった時代の名残でお寺の人がキャラクター化されたのかな…。
またアニメ「それいけ!アンパンマン」にはヨーカンマダムというキャラクターがいて
顔が四角い羊羹で礼儀作法に厳しい人らしい。
谷崎潤一郎『陰翳礼讃』には「羊羹の色あいも、あれを塗り物の菓子器に入れて、
肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる」という記述がありますが
何とそれを再現したスペース(!)がありまして、
ぼうっと灯された行燈の隣にある机のお皿の上に羊羹が置かれていましたが暗くて全然見えなくて…
わたしはまだまだ文豪の境地には至れていないなと思いました。
秩父宮さんはとらやの缶詰羊羹(1.5kgもあるやつ)をリュックに入れてマッターホルンへ登頂し、
山頂で茶会を開いたというつわものだそうですが
そのときの1.5kg羊羹入りリュックのレプリカが置いてあって持ち上げられました。重たかったです。
戦争が始まって空襲が激しくなると、とらやの工場も焼けてしまったそうで
溶けて商品化できなくなった羊羹は人々に無料で配られたのだそうな。
(新田潤の妻もバケツで持ち帰ったという記録がある)
また戦争中に海軍に納めた「海の勲」という小型羊羹、実物が1本だけ残っているそうで
それが今回展示されていました。
第一次南極観測隊への寄付もしていたようで、
1957年の観測船船長の日記には「赤道を通過し極寒の地で開けても変質なし」と書かれていたそう。
最近では野口聡一さんが国際宇宙ステーションで開催した宇宙茶会で
クルーとともに山崎製パンの羊羹を食べたのだそうで、そのときの写真もありました。
(ちなみに宇宙食にするにあたり特に改良などはなく合格してそのまま持っていかれたそうな)

あと最近の羊羹の食べ方としてヨーグルトとのマリアージュとか
お酒と合わせてみるとか、羊羹パンなるローカルフードとか
色んな方法で食べてみる人たちがいるんだなァとおもしろく拝見。
作り手の想像を消費者が超えていくこともありますよね。これからも意外な食べ方が出てきそうです。

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名代干菓子山殿には挿絵もあって、羊羹和尚も描かれているので
こんな撮影スポットが再現されていました(笑)。
羊羹和尚はかわいいな~。
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