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2021_02
27
(Sat)23:59

お取り寄せな日々の過ごしかたその7。

なかなかミュージアムにも行けない中で手のひらサイズのアートを楽しむ日々が続いています。
今月は節分と猫の日があったのでお菓子が豊富です、ほくほく☆

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くらづくりの黄水仙と梅の香。
地元では先週の春の陽気で梅の花が満開になっています。
そろそろ水仙も咲くかな。

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花扇の赤鬼とお多福。
おちょぼ口のお多福さんかわいいし水風船みたいな赤鬼ちゃんもかわいい、
ウエストがないから鬼のパンツがぱつんぱつんですよ!ゴム切れそう。かわいい。
(あとこれを買いに行った日は「イベントで余ったから」とからみ餅をおまけしてもらってしまった…
からみ餅ものすごく久し振りに食べました。大根おろしおいしかったです)

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シャトレーゼの赤鬼太郎と黄鬼ちゃん。節分限定のカップケーキです。
なんだか北風と太陽に見えなくもない…ツンツンの赤鬼さんを太陽属性の黄色ちゃんがほぐしていく的な。

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暦生活さんの和菓子ばこ「冬のおふくわけ」をお取り寄せしました。
2月なのでラインナップは鬼やらい・節分祭・丑年・琥珀・椿餅・お月くんまんじゅうお月くじ。
お菓子は京都のかぎ甚さんが作っていらっしゃるそうです。

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鬼ちゃんかわゆ!!!お菓子と一緒に同封されてきた懐紙に乗せてみました。
椿が描かれているので春の柄ですね。

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お月くんまんじゅうを切ってみました。中味は餡子と黄色餡が半々。
これが全部黄色餡だと「満月」、半々なら「半月」、真っ黒だと「新月」なのだそうです。
中がどうなっているのかは届いて切ってみるまでわからない!
というわけで半月でした。2種類の餡子の味を楽しめて得した気分(*´︶`*)。

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2月22日は猫の日でした。ファミマ限定のすみっコぐらし焼き「ねこ」。
もちもちした皮にカスタードクリームが入っていておいしかった☆

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親戚からもらった珍海堂の「今日のねこもよう」。
も~~箱からしてかわいい。こっち見てる!かわいい(=^ω^=)。

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猫型ショコラサンドクッキーです。トラ猫とブチ猫と三毛猫の3種類。
点線に沿ってうまく食べれば猫の形にくりぬけます。

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亀屋良長さんの「こたつねこ」をお取り寄せ。
Twitterで見かけて即注文しましたがあっという間に完売してしまったらしい、買えてよかった。
和菓子と抹茶プリンと京せんべい一陽来福のセットです。
季節のおたよりや絵はがきも入っていました。

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にゃーん☆ 丸まって寝てる!
表情がなくても眠ってる姿だとわかります。職人さん作るの楽しかったろうなあ(*´︶`*)。
白猫と茶トラはこし餡で、白黒と三毛猫は粒餡でした。おいしかった☆
(薯蕷饅頭でもちもちしていたので冷蔵庫とか入れると固くなってしまうので早めに食べた)

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母にゃんこと白黒。
「こたつねこ」という菓銘ですが猫と暮らしている人間に言わせると猫はこたつの中では丸まって寝ないで
ノビャ~~っと伸びて寝ることが多いです。
が、こたつ布団の上では丸まって寝ます!というわけでパチリ。

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娘にゃんこと三毛猫。
こちらも丸くなって寝ていますので後ろ姿がそっくり。

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食べマスモッチ、ルナとアルテミス。
アルテミスはウィンクしてました~~かわいい☆

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ねこねこ食パン×劇場版セーラームーンのコラボでルナをお取り寄せ。
特製の箱入りでルナとアルテミス柄の紙袋、黄色いチョコペンもついてきました☆
顔はココア味で耳はイチゴ味です。

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黄色いチョコペンで額の月を描いてみました。

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ルナの顔を描いた!
セーラームーンは子どもの頃に見ていたのでルナもさんざんお絵かきしましたが
いざ久し振りに描くとなると自信がなくてぐぐりました。
大きな瞳に大きなハイライト、まつげぱっちり、鼻と口は小さく。
改めてシンプルでかわいくて完璧な造形だと思いました。武内直子氏は絵がうまくて無限に見てしまう。
チョコペンは描いてるうちにすぐ固まってしまうので何度もお湯につけながら描きました、難しかった!
もう1回くらい描きたい。


追記にシンカリオンな日々です。↓

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2021_02
20
(Sat)23:51

小野のよし名乗らずとも。

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京都観世会館の「第六回復曲試演の会(代替公演) 復曲能『篁』」を見てきました。
去年の4月に予定されていましたが今年の2月に延期になり、
こういう状況ですのでまた延期されるかオンライン配信でもないかと待っていましたが
どちらもないということでどうしても見たければ行くしかない…とのことで。
チケットは去年取っていて、行かずに寄付することも考えましたけど
会場の感染症対策を確認したり自分でできる対策を色々考えて、行ってきました。
(そんな風に割と決死の覚悟で行ったら現地で
「3月にEテレで舞台の一部放送があります」「7月に追加公演があります」というお知らせを見て
早く言って!!?!???(゚Д゚)ってなりました…早く、言って(゚Д゚)クワッ)

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新幹線で京都まで行って、岡崎公園で市バスを降りて、平安神宮の大鳥居も久し振りに見ました。
目的地はこの鳥居を背に歩いて3分ほどの場所にあります。

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京都観世会館。初めてだよ~。
お着物のお客さんも何人かいらっしゃいました。

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館内にあった図書コーナー。
謡本や能狂言についての資料、DVDや小説やマンガなど幅広く置いてありました。
『花よりも花の如く』懐かしいな~途中までしか読んでないけど。憲人くん今いくつになったのかな…。
こういう状況でなければ手に取って読めるんですけどね。

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六道珍皇寺さんからお花が届いていました。
去年12月に六道さんで謡奉納があったんですよね…行きたかったなあ六道さんで「篁」を見たかった…。

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館内はロビーが狭くて結構な密だったので、公演が始まるまでは外にいました。
琵琶湖疎水を眺めながらコンビニおにぎりをもりもり。この先に乗船場があるんですよね。
京都近美や京セラ美術館にも行きたかったな…。

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京都観世会館の感染対策は公式サイトからも見ることができますが、
入館前に検温と手指の消毒があり、連絡先を記入して提出し、
館内ではマスクをつけて会話を控えて人と距離を取ること、ロビーでの飲食も控えてほしい、など。
会場内では換気・消毒を徹底、座席は1席ごとに貼り紙があり隣り合って座ることができなくなっていました。
もし何かあれば提出した連絡先に連絡が来ると思いますが今のところ来ていません。

わたしが買ったチケットは自由席で、1階席がかなりの密だったので2階席の最前列に座りました。
左右はひとつずつ開けて人が座っていて、後ろは誰もいませんでした。
1階と比べて2階は人が少なく距離を取って座れまして、マスクつけて会話している人もいましたが
わたしの周囲はおひとり様が多かったのか、静かでした。


上演前に西野春雄氏(法政大学名誉教授)による講演がありました。
能楽・中世文学を専攻されている研究者のかたで、今回の『篁』復活にも関わられて
謡本の校訂や補綴などにも参加されたそうです。
『篁』の作者は不明で、世阿弥だとする資料もあるそうですが確定には至っていないことや
表現も難しく役者や音楽も揃いにくいため廃絶した可能性があることなどお話いただきました。
(室町時代以降は近代に丸岡桂が『古今謡曲解題』(1919年)で触れている程度らしい)
戦後に『篁』を再発見した評論家の堂本正樹氏と西野氏は交流があり、
堂本氏が番外曲中の名作と評した曲を今回復活させた理由についてはもう少し突っ込んで聞きたかったけど
特に質疑応答の時間もなかったのでちょっと残念。
(小野篁が京都の人というのも京都観世会が復活させる理由としては大きいかもしれないね)
長く上演が途絶えていた『篁』を現代に復活させる作業は約2年ほどかかったそうで
もし途絶えずに上演され続けていたらどのように演じられていたかを考えながら台本を決めて
面や衣裳、節や型や囃子をつけていき調整していったそうです。
モデルとなった小野篁についても「調べたけどなかなか魅力的な人物ですね」
「古今集真名序に「風流」とあることに注目しています」などなど、
そうだよねー!(≧▽≦)☆って同意しまくるコメントがあってうれしくなりました。
(ちなみに西野氏は『篁物語』や谷崎潤一郎の短編は「合いませんでした」とのこと)
ほかにも『篁』のストーリーの解説や史実とフィクションについて、型や衣裳についてなど
多方面からお話いただいてとても勉強になりました。
最後に「みなさま、これから誰も見たことのない『篁』が上演されます。
みなさまと立ち会えることをうれしく思います」とおっしゃって締めくくられたので
上演がとても楽しみになりました。素敵な講演をありがとうございました!

講演の後は、舞台で上演の準備をなさるスタッフの人々を見ながらドキドキしていました。
(2階席は演者さんからは遠いけど全体が見渡せていいですね)
お能を劇場で見るのが久し振りすぎて、やばいどんなだったっけと思ってましたけど
最初にピ~~ヒャラ…ポン、ポンと、笛太鼓が入ると会場がシーン…と静まり返って
地謡や後見の人たちが舞台に静かに出ていらっしゃって(布マスクをしていらっしゃった)、
鼓が入って「イヨォーーーーー」「ポンッ」と鳴ると、もう一気に能の世界へ。
ああ、この感じ…!とたまらなく懐かしくなりました。やっぱりわたしは能が好きだ。

『篁』の季節は晩春で、時代は鎌倉時代初期という設定。
承久の乱が終わり隠岐の島に流罪となった後鳥羽院を訪ねて、僧侶となった北面の武士(ワキ)が
出雲の千酌の浜にやってくるところから始まります。
ワキが「後鳥羽院に仕え申す者にて候」と自己紹介を終えて舞台の端に下がって
後見さんが舟の作り物(白い枠だけの簡素なもの)を持ってきて舞台に置きますと、
いよいとシテが橋掛かりから登場します。
よっ、篁さん!(心の声)
面は尉、腰に蓑をつけて棹を持っていました。漁師の格好ですね。
僧侶に隠岐に行ってほしいと頼まれて、これは釣舟だと言って断るのですが
隠岐に遅桜を見に行くと言っていた僧侶が実は後鳥羽院に会いに行くため出家したと聞いて
その心意気に感銘を受けて力になろうと海へ漕ぎ出します。
2人のやり取りから物語が動く感じがしてドキドキしたし
地謡の漕ぎ出す舟とか吹き付ける海風とか海に浮かぶ水鳥の描写がとてもかっこよかったです。
日本海に漕ぎ出す小さな舟の情景がありありと想像できました。
シテは島に着いて僧侶を下ろし、名前を聞かれて「さらば名乗り申さん。名字は小野」と力強く答え、
例の「わたの原八十島かけて~」の歌を朗々と歌い上げて去っていく姿が本当にかっこいい…!
なんで千酌にいたのかな。普段は漁師の姿で隠岐に渡る人の覚悟を試しているんだろうか。
説明がないので想像するしかないけど、気になってしまうね。

隠岐に着いた僧侶が後鳥羽院の配所を島の人(アイ)に聞いて
(このあたりは底本になかったけど必要だろうということで
西野氏が出しなさった原案を宝生氏と小笠原氏が修訂したらしい)、
島の人も親切に教えてくれて他に用事があれば承りますよとか言ってくれた。
この能の登場人物いい人ばかりだな…!

僧侶は高台にある屋敷で院と再会します。
(このとき「この島の島守か」「新島守は我なるに」というやり取りがされますが
これは後鳥羽院による『遠島百首』からの引用ですね)
院は都の様子と、僧侶がどうやってここまで来たのかを問います。
僧侶が小野と名乗る翁の舟に乗せてもらったと答えると、
院は「その歌人は小野篁。さる事ありてこの島に流されし」と推察して
隠岐にある篁を祀った塚に詣でて志を弔いましょうということになります。
2人は舞台を一周して、中央に用意されていた篁の塚(竹の骨組に布を巻いて草を乗せた作り物)に到着。
月が夜空に出ている深夜、院と僧侶による手向けがされて
鼓とイヨォーーーーッという一声とともに、塚を覆っていた幕が2人の後見さんにより引き下ろされて
鬼神姿の篁さんが登場!!
真っ黒な長髪、唐冠、金色の狩衣、右手に黒骨扇、左手に金札数枚。そして天神の面。
なんじゃなんじゃまるで神様のいでたちではないですか、
めっちゃ拍手したかった…鼓と謡がすさまじくてとてもそんな雰囲気じゃなかったけど…!
篁さんは院と僧侶にお辞儀をして詣でてくれたことへのお礼を言うと
(篁の方が2人より400歳ほど年上ですが相手は上皇なので敬語を使います)、
院をここに流罪にした人々を閻魔庁へ引き出して奈落の底へ押し入れて(院の)逆鱗を休めるので
「頼もしく思し召されよ」とか言っちゃったよ…!ここほんとシテの独壇場でした。
地謡と鼓に合わせて足で拍子をとりながら笏を振り、時にドン!と足を踏み鳴らし、
笏を放り投げてからは黒骨扇をひろげて(金色でした!)力強く舞台のあちこちを舞って回る姿が
本当に本当に、ほんっっっっっっっとうにかっこよすぎて好きになりそうでした\(^o^)/
足の向きもあちこち変わってあ、次こっち行く、次はあっちだ、とか色々わかってワクワクしたー!
西野先生がさっきの講演で見どころのひとつとおっしゃったけど本当にクライマックスだった、
篁さんかっこよかったよーーーーー!!!

やがて舞を終えた篁は妹が亡くなった際の「泣く涙~」の歌を詠じて
院が川=隠岐の海を渡って都へ帰れますように、と慰めて去っていきました。
「これぞ天地を動かし鬼神も感応なるとかや」と締めくくられる台本は歌の力を讃えていました。
和歌讃歌の物語なのだなあ。

はーーーーーーーーーーーーっすごかった…目の前で見られて本当によかったです。
史実のインパクトが強くて説話がまとめられて二次創作までされた小野篁みたいな人が
能になってないわけがない!と、昔から根拠なくずっと思っていたので
この作品の存在を知ったときは「やっぱりあったんだ!!」ってとてもうれしかったし
さらにそれを彼の故郷の京都で見られる日がくるとは。
実在の人物がモデルとはいえ創作色の強い作品で(篁そもそも隠岐で死んでないしね)、
書きだしの流れや登場人物の行動の動機に説得力があり、
クライマックスに霊が出現する必然性もそれが篁である必要性もわかるし
同じ隠岐に流された者同士、歌人同士、相通じる部分で慰め合う構成が非常に巧い。
お能は誰かを慰める芸能ですけど、多くはワキがシテを慰めますけど
『篁』はシテがツレを慰める珍しい構成なのもおもしろかった。
こんなによくできてるのに廃れてしまったのかよもったいない…と思うと同時に
源氏や平家や六歌仙みたいな題材に比べると確かにポイントを押さえるのが難しいというか
小野篁の史実や説話のあれこれ(歌とか流罪とか閻魔とか)も入っていておもしろかったけど
あまり入れすぎても全体としてはコントロールしづらくなるというか
シテは確かに篁ですけどツレの後鳥羽院の存在も大きくて主役どっち?というか
篁の話をやりたいのか後鳥羽院と和歌をやりたいのかわかりにくくなっていて
演者もですが当時の観客にとっても難しかったのかなーという気もします。
細かい要素を入れ込むよりもシンプルに構成した作品の方が残りやすいのかもしれないですね。
去年の4月に日の目を見るはずだった復活能『篁』、やっとお披露目で何となくまだ粗削りですが
これからも上演を重ねれば奥深くなっていくでしょう。

役者さんたちの存在感がすごくて、味方さんの篁は500歳の翁にも見えたし地獄の官吏にも見えたし
片山さんの後鳥羽院の帝王感ハンパなかったし
(味方さんがあくまで院をたてる演技で、でも権力者とは別の計り知れなさを出していたのがすごかった)、
宝生さんの僧侶と小笠原さんのアイの縁の下の力持ち感よ…。
この前おちょやんでもやってましたけど役を生きるとはこういうことかもしれないと思いました。
…あかん~~役者さんの演技を久々にナマで見てかなり当てられてしまった、
やっぱり劇場は大好きな場所です…。
特に今回は、もともと4月に見られるはずだったのが1年近く待ったこともあってかすごく心に沁みて沁みて…。
見に行きたかったけど諦めたたくさんの公演が消えていく中で
今日まで「篁」が見られるかもしれないことがどれだけ心の支えになっていたか。
どうなるかわからない中お守りみたいに残ってくれたチケットでした。ありがとうございました。

あと、今回は『篁』の後に仕舞と『葵上』も上演されることになっていて
そちらもぜひ拝見したかったのですが、
2階席とはいえそれなりに人がいる屋内に長居するのは気が引けましたし
新幹線が混まないうちに帰りたかったので
本当に申し訳ないとは思いましたが「篁」の後はすぐ会館を出て市バスに乗って京都駅に向かいました。
何度も言うけど『篁』は本当にすばらしくて
チケット代はもうこれでじゅうぶん楽しんだと思えたので後はもう寄付のつもりでした。
京都観世会のみなさま、お席をあけてしまい本当に本当にごめんなさい。
そして開催するのも延期や中止にするのもどっちも大変な状況の中本当に本当にありがとうございました。
明日からもがんばれるぞ!!!!!!

今回はずっと前にチケットを取っていたし、延期もオンラインもない公演でしたので行きましたけど
見てる間は楽しかったけどやっぱり外出してしまったという後ろめたい気持ちがあったし
混雑を避けたとはいえかなりの距離を移動しながら色々気を遣ってストレスもありましたので
余程のことがない限り遠出は控えます。体調にも注意。
はやく気軽にお出かけできる日々が戻ってきてほしい。


追記にお能とは全然関係ない新幹線トークです。↓

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2021_02
13
(Sat)23:50

シンカリオンな日々出張版その3。

本日は推し活のお話。
さる8日、シンカリオン最推しキャラの清洲リュウジさんのお誕生日を今年も無事にお祝いできました。
おめでとうおめでとう!お祝い絵も描きました~☆→こちら
16歳、16歳かあ…どんどん大きくなりますね…4月には高校2年生ですね…!
今は何をしているのかな。知りたいな。新作アニメに出ないかな。(あ)


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8日は代休を取ったので去年に引き続きコメダ珈琲へみんなで行きました。
モーニングをいただいてから。

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今月始まったコメダとGODIVAのコラボ、クロネージュリッチショコラ!
ベルギーチョコレートのバームクーヘンの上にナッツとチョコをふりかけたソフトクリームが乗って
バームクーヘンの穴には甘酸っぱいベリーの果肉とソースが入っていて
甘いだけじゃないので飽きが来ません。大きさもちょうどよくておいしかった☆
(お客さんは少なかったけど感染症が心配だったので
サーッと食べてお店を出なければならなかったのがちょっと残念)

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おめでとうおめでとう+゚+。:.゚(*´︶`*).:。+゚ +゚
来年もみんなでコメダでお祝いできるといいな。

famimaocha1.jpg
あとこれ、ファミマで買いました。
ファミマと鉄道会社9社のコラボで、ペットボトルにLEDライトつきキーホルダーがついています。
まっしぐらに濃いおーいお茶へ手が伸びたのでちゃんと見なかったけどコーラや午後茶などにもついてたような。

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なぜなら濃い茶は名鉄2000系ミュースカイのキーホルダーがついてるから!
清洲ミユちゃんの名前の由来になったグッズは何としてもお迎えせねばと思いました、
お兄ちゃんたちと一緒にパチリ。

Dryellow82.jpg
あとこれも届きましたよ。
JR東海承認済み、ドクターイエローデビュー20周年記念の懐中時計☆

Dryellow83.jpg
文字盤にイエローの顔、検測灯3つ、フロントガラス部分にT4の文字!
T4編成さん20周年おめでとうございます。いつも新幹線の安全のためにお仕事ありがとうございます。


Dryellow84.jpg
…というわけで。( *´艸`)

Dryellow85.jpg
先週のドクターイエローT4編成のぞみ検測下り!!この日も17番線でした。
いい天気だったので隣のN700Aに黄色い車体が写りこんでいます☆
(イエローのお顔付近は密なので避けるために遠くから撮影しています)

Dryellow87.png
太陽光が当たっているのでわかりにくいけど
この日は検測灯(一番右の小さい〇)がついていませんでした。
最近、T4は検測灯を消して走行していると一部の人たちが指摘してますね…何か理由があるんだろうか。

Dryellow86.jpg
このお仕事日は去年と違って8日ではなかったのですが、
近い日にちで走ってくれたので実質お誕生日祝いです!(力説)
営業車両は毎日走ってるけど検測車両はたまにしか走らないからお誕生日に会えるとは限らないのだよな、
特にT4は先月謎のウヤがあったので…ああいうの聞くと本当に「会えるかどうかは運次第」の車両だなと。

Dryellow88.jpg
天気がいいと観測ドームも明るく見えました。

あとこの日は音鉄になろうと思っていたので
イエロー入線時の駅員さんのアナウンスとか、無意味に長い動画をいっぱい撮りました。
最近の東京駅はイエロー入出のアナウンスを細かくしてくれるので楽しいです。
特に撮りたかったのがT4のタイフォン♪
運転士さんによっては無音で出発されますがこの日は鳴らしてくれました!!→こちら(音が出ます)
タイフォンは個人的に電車の声だと思っているので
イエロー先生の「しゅっぱーつ、進行」の声に聞こえました…運転士さんありがとうございました。


追記に例の件です。
色々と荒ぶっていてお見苦しいので仕舞っています。クリックで開きます。↓

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2021_02
07
(Sun)23:44

メタモルフォーゼの人びと。

石田美紀『アニメと声優のメディア史-なぜ女性が少年を演じるのか』を読みました。
女性の役者が男の子を演じてきた事例を軸にアニメと声の文化の歴史をたどる本です。
現在も続くTVアニメ「サザエさん」(1969年~)のキャラクターである男子小学生の磯野カツオ役は
代々女性の声優さんが務めていますが、
そんな風に女性の声優が男の子のキャラクターを演じるようになった背景と歴史が細かく紹介されていて
とても勉強になりました。
男の子の子役が変声期を迎えるだけが理由ではなかったと初めて知りました。
(子役の声変わりで有名というかわたしが知ってる事例はガッチャマンだなあ、
塩屋翼さんがちょうど声変わりの時期だったので初回と最終話で声が変わったというあれ)

(というか、これも初めて知ったんですが声優という職業の黎明については
森川友義氏と辻谷耕史氏が「声優の誕生とその発展」「声優のプロ誕生」という論文を書いてるんですね…!
辻谷さんて本業や音響だけでなく論文も書ける人だったのか。
リポジトリ等の公開がないので探して読んでみたい)

日本におけるアニメや吹き替えの現場では女性の声優が少年の声を演じていますが
ディズニーをはじめアメリカのアニメでは女性が少年を演じることは慣習ではないそうです。
たとえばディズニーが1940年に公開した映画「ピノキオ」では
キャストとして最初に集められたのは大人の役者たちだったそうですが、
ウォルト・ディズニーが「成人じゃだめ、わたしは本当の少年がほしい」と言って
子どもを集めてオーディションが行われ、ピノキオ役は子どものディッキー・ジョーンズに決まったとか。
また映画「バンビ」(1942年)ではバンビの成長にあわせて役者を交代していて
バンビの子ども時代を演じたドゥニー・ドゥナガン(当時6歳)への演出は
「自分自身であること、自然な子どものままでいいと言われた」だったそうな。
対して、戦後ですが1963年放送開始の「鉄腕アトム」でアトムを演じたのは当時26歳の清水マリさんで
「5年生くらいの男の子のつもりで演じてください」と手塚さんに指示されて演じたけれど
「(アトムの声を)誰がやっているのかわからないことが大事だったらしくて
今はアトムでしたと言うけど、当時はできるだけ隠しておこうと思っていた」と考えてらっしゃったそうな。
アトムのTVアニメの放送は約3年続きましたが
男の子の声を女性が出していると知られるのはまずいという雰囲気が
少なくとも彼女の周囲ではあったのだそうです。これどういうわけなのかな…。

日本における声の役者の歴史について。
太平洋戦争後、日本ではGHQのCIEによるラジオ放送局の再建が行われたのですが
(1946年の文部省とNHKの共同調査によれば空襲や部品不足などのために
各教育機関の半数以上のラジオが放送を受信できない状態にあったらしい)
彼らはラジオ技術の提供と物理的支援と番組制作にも関わっていて(15分を基本単位としたのもこの頃)
日本社会の民主化を推進するメディアとして放送劇の企画をたてていったそうです。
そのときキーにされたのが「より緩やかな手法」で制作すること。
戦後、ある日本のアナウンサーが戦時中の大本営発表などの雄叫び調による放送が
聴取者を受け身にしてしまったことを反省している言説があって、
どうにかしてアナウンサーたちが一方的にならずに聴取者との距離を縮めようと試行錯誤で進んで
その中で出てきたのがラジオドラマだったと。

戦時中もラジオドラマはありましたが主に単発ドラマで、
戦後は制作できる環境が整ってきたのか、連続放送劇が増えていったようです。
1947年に始まった、菊田一夫と東京放送劇団による「鐘の鳴る丘」は戦災孤児の物語で
主人公を中学生が演じたり、他にも小学生など多数の子どもの出演がありましたが
彼らはお芝居を専門にやる子役ではなく、昼は学校へ行き、夕方に放送に出るという生活だったそうです。
(鐘の鳴る丘は放送開始時は生放送で1948年4月以降に録音放送となりました)
制作者の大人たちは「放送劇に出たために成績が落ちては何にもならない」という意識を持ち、
子どもたちの修学を妨げないように土日の夕方など慎重に収録日を選んだり
「鐘の鳴る丘」以外には出演させない、写真記事などでスター扱いしないことも決めていたとのこと。
これには1947年に制定された労働基準法にて
15歳未満の児童の仕事は午後8時までと法律で決められたことが影響したようです。
戦前には、14歳でデビューした田中絹代や5歳で映画に出た高峰秀子など
子どもの頃から俳優としてのキャリアを積んでいた人たちはいるのですが
法律やルールがはっきりしていないせいもあってか、子役たちは大人たちに翻弄され
子役の生活は子どもの保護や権利とは著しく相反するものでした。
そこへ労基法と、同年に制定された児童福祉法の影響もあって
子どもを保護し、権利を守る社会への一歩が踏み出されたということらしい。なるほどなあ。

しかし子役の起用が難しくなっても、番組には「子ども」が登場します。
「鐘の鳴る丘」では途中から登場した大阪の女の子・とき子を演じたのが
男の子も女の子も演じる子役専門の声優としてキャリアを積んでいくようになる
木下喜久子さん(当時19歳)だったそうです。
(同じ頃、彼女は芥川比呂志と共演した「捨吉」(1958年)では少年・捨吉を演じている)
戦後の「ヤン坊ニン坊トン坊」では木下喜久子、黒柳徹子、横山道代が男の子の子ザルを演じています。
子ども役の増加と子役起用の困難さは、女性の役者たちに活躍の場を増やしていったのですね。
木下さんは子どもの声を出すために出勤時には自分を無にして
スタジオに入るときはもう子どもの気持ちになっていることに集中したり、
収録の休憩中は「大人の自分が出るから」とスタジオの外に出て他の役者とは話をしない、
近所の小学校や電車の中で子どもを観察するなど、徹底した役作りを行ったそうです。
「男の子を演じるときはご飯を食べてすぐに演じる。おなかがいっぱいになると声がずっと落ちて重くなる。
女の子の場合はおなかがすいても食べない。声が軽く出る」という発見もしたそうです。へえぇ。

そして、ラジオの次はテレビ放送の時代がやってきます。
テレビの黎明期に海外ドラマの吹き替えが放送されるようになったのですが
最初は字幕だったのが吹き替えの方が音声がつくので視聴者の関心をひきやすいということで
吹き替えの仕事が増えていったのだとか。
(理由は他にも、テレビが小さくて字幕が見にくいことや
当時はテロップが広告枠だったのであまり使用できなかったことなどが挙げられるとか)
この頃、舞台で俳優をしていた野沢雅子さんが洋画の少年役で声優デビューを果たしています。
当時の吹き替えは生放送だったので子役は使いにくく、
安心して任せられる年齢の男性役者では声が太いので女性の野沢さんが呼ばれたそうです。
これどっかで聞いた話だなあ、どんな作品の仕事だったか覚えていないと野沢さんおっしゃっていたような。
他にも子役ではできなかった事例としてフジテレビの「進め!ラビット」(1959年)の紹介があり、
この番組では収録の際に録音スタジオがもっとも安く使える午後9時~午前4時に録音したので
子役は使えなかったとのこと。要するに経費削減で大人が起用されたということですね。
(それにしても芸能界の時間感覚どうなってるんだろう。深夜業とかいうレベルじゃないと思う)
法律の制定と現場の運営方法など様々な事情が続いたために
大人、そして女性の役者の起用はラジオとテレビに適しているということで
占領期が終了しても女性が子どもを演じる文化は残り、定石になっていったわけですね。
なるほどなあ!(^O^)

ちなみに例外もありました。東映動画。
1958年公開の映画「白蛇伝」では森繁久弥さんと宮城まり子さんがすべてのキャラクターを演じていて
宮城さんが少年時代の許仙を演じていることでも有名です。
森繁さんも宮城さんも当時から顔を知られたスター役者だったので
アトム役の清水さんが「誰がやっているのかわからない方がいい」状況は、ここでは存在していません。
1959年の「こねこのスタジオ」でも子役から俳優になった中村メイコさんが出演したりしているので
東映動画の作品に出演した俳優たちはキャラクターの黒子だったわけではないようです。
東映動画は映画会社「東映」の傘下にありましたので児童演劇の研修所を持っていて
そこでは毎週土日に子役の育成と訓練を行っており、
さらに独自の録音スタジオも持っていたので子役のマネジメントが円滑に行えたのだそう。
アニメ「猿飛佐助」や「狼少年ケン」も子役が演じていますし
映画「安寿と厨子王丸」(1961年)では少年時代の厨子王は当時12歳の住田知仁(現・風間杜夫)さん、
青年時代は北大路欣也さん(当時18歳)が演じていて、安寿は佐久間良子さん(当時22歳)です。
ほか山田五十鈴さん、平幹次郎さん、東野英治郎さん、松島トモ子さんなどが出演していて
映画ポスターなどでも堂々と宣伝されていたみたいなので、
役者さんの声を聞きたくて映画館に足を運んだお客さんもいるのではないだろうか…。
ちなみに東映動画の録音作業はプレスコが基本で、作画は録音の後に行っていたそうですが
(俳優は声のほかにライブアクションなど作画に協力もしたと大塚康生さんの証言があるね)、
連続TVアニメシリーズの制作が増えると今度はアフレコへと移行し、
子役の変声期の問題もあって「狼少年ケン」以降は子役がほぼ起用されなくなっていきます。
「鉄腕アトム」以降に連続TVアニメシリーズが制作される状況が続かなければ
大人が子どもを演じる文化が定石になったかどうかもわからなかったってことなのだなあ。

1970年代後半にはアニメ雑誌の創刊が相次ぎまして
アニメージュ創刊号(1979年)は宇宙戦艦ヤマトを特集し、
アンコールアニメで「太陽の王子ホルスの大冒険」を取り上げるなどしています。
(当時編集部員だった鈴木敏夫氏がホルスのコメントをもらおうとして高畑勲氏に電話をかけて
宮崎駿氏とも運命的な出会いを果たすのは有名な話ですが、それはまた別の話)
その創刊号で「声優訪問 神谷明」というコーナーがありまして
当時から売れっ子だった神谷氏を特集しています。
この頃から雑誌に声優の記事や顔写真が掲載されるようになってキャラクター人気投票なども行われ、
現代でも続く声優のスター化が始まっていくのですが
1987年に発売されたOVA「風と木の詩」の話が耳が痛かった…。
小原乃梨子さんがセルジュ、佐々木優子さんがジルベール、
榊原良子さんがロスマリネを演じているのですが(女性が少年を演じる文化の継承ですね)、
小原さんはドラえもんののび太くんの声優として有名になっていたので
女性ファンから「のび太くんの人がセルジュ(16歳以上)を演じるのはどうなのか」という意見が出ていたとか…あわ、あわ。
これはもう個人の好みの問題というか、制作側の都合もあるのでどうにもならない部分というか
わたしも経験があることなので何とも言えない気持ちになりました。
声優がスター化してきたことでイメージが定着してしまうという。。
しかし著者は「男性声優がセルジュを演じていたらファンは納得したのか?」という問いもたてていて
さらに「女性ファンは何を期待していたか?」ということで
BLに特化した雑誌「JUNE」(1978年創刊)の作品の音声ドラマ化の事例をあげています。
この音声ドラマ化シリーズで演じているのは主に男性声優だったので、
BL作品は男性に演じてほしいファンがいたということかな。
ほか、1990年代のBLドラマCDや2000年以降のシチュエーションCDなどの影響もあって
最近、少年漫画がアニメ化される際には主演に女性ではなく
男性の声優が選ばれやすくなってきた理由のひとつではないかとのこと。

他にもマクロス以降の歌を歌う声優の登場、新人女性声優の起用ブーム、
女性声優が演じるキャラクターへ萌えや緒方恵美さんの演技、ファンとの交流についての章もおもしろかったです。
蔵馬に始まり天王はるかやスターライツなど性規範を攪乱するキャラクターについて、
BLと百合、女性声優はどこまで性を越境できるかなどのテーマがありましたが
この辺りは過去に読んだことがある声優論のような感じだったかな。
歌手デビューやアイドル化だけではなく2.5次元などますますコンテンツが千差万別していくなかで
女性の声優はどこまで行けるだろう。
あと個人的におもしろかったのがアフレコ台本にある「、」「…」の演技についてや
1960年代に発生したアテレコ論争について。
1962年2月の東京新聞に東野英治郎が「声の役者に危険手当を出してほしい、
俳優の演技は十人十色で他人がつくったものへ声だけを合わせるのは納得がゆかない」と意見を出していて
その後声優の永井一郎さんが考察を発表しているもの。
永井さんは「自分自身が画面の人物の行動をやっているとイメージすると
意識的に細胞に何かが起こる感じを作り出せるようになり、仕事はうまくいく」と考えたようです。
声優さんの演技論はいつ聞いてもおもしろくて楽しいですが
永井さんのインタビューや論文はいつも平易なことばでスッとのみこめる印象があります。
伝える力のある人でしたね。

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p.29より、第1章の扉部分。
フォントがトーキー映画の字幕みたいだなと思いました。シネキャプションとかニューシネマとか。
8ミリフィルムの回る音が聞こえてきそうな、レトロな雰囲気。