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2021_02
20
(Sat)23:51

小野のよし名乗らずとも。

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京都観世会館の「第六回復曲試演の会(代替公演) 復曲能『篁』」を見てきました。
去年の4月に予定されていましたが今年の2月に延期になり、
こういう状況ですのでまた延期されるかオンライン配信でもないかと待っていましたが
どちらもないということでどうしても見たければ行くしかない…とのことで。
チケットは去年取っていて、行かずに寄付することも考えましたけど
会場の感染症対策を確認したり自分でできる対策を色々考えて、行ってきました。
(そんな風に割と決死の覚悟で行ったら現地で
「3月にEテレで舞台の一部放送があります」「7月に追加公演があります」というお知らせを見て
早く言って!!?!???(゚Д゚)ってなりました…早く、言って(゚Д゚)クワッ)

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新幹線で京都まで行って、岡崎公園で市バスを降りて、平安神宮の大鳥居も久し振りに見ました。
目的地はこの鳥居を背に歩いて3分ほどの場所にあります。

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京都観世会館。初めてだよ~。
お着物のお客さんも何人かいらっしゃいました。

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館内にあった図書コーナー。
謡本や能狂言についての資料、DVDや小説やマンガなど幅広く置いてありました。
『花よりも花の如く』懐かしいな~途中までしか読んでないけど。憲人くん今いくつになったのかな…。
こういう状況でなければ手に取って読めるんですけどね。

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六道珍皇寺さんからお花が届いていました。
去年12月に六道さんで謡奉納があったんですよね…行きたかったなあ六道さんで「篁」を見たかった…。

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館内はロビーが狭くて結構な密だったので、公演が始まるまでは外にいました。
琵琶湖疎水を眺めながらコンビニおにぎりをもりもり。この先に乗船場があるんですよね。
京都近美や京セラ美術館にも行きたかったな…。

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京都観世会館の感染対策は公式サイトからも見ることができますが、
入館前に検温と手指の消毒があり、連絡先を記入して提出し、
館内ではマスクをつけて会話を控えて人と距離を取ること、ロビーでの飲食も控えてほしい、など。
会場内では換気・消毒を徹底、座席は1席ごとに貼り紙があり隣り合って座ることができなくなっていました。
もし何かあれば提出した連絡先に連絡が来ると思いますが今のところ来ていません。

わたしが買ったチケットは自由席で、1階席がかなりの密だったので2階席の最前列に座りました。
左右はひとつずつ開けて人が座っていて、後ろは誰もいませんでした。
1階と比べて2階は人が少なく距離を取って座れまして、マスクつけて会話している人もいましたが
わたしの周囲はおひとり様が多かったのか、静かでした。


上演前に西野春雄氏(法政大学名誉教授)による講演がありました。
能楽・中世文学を専攻されている研究者のかたで、今回の『篁』復活にも関わられて
謡本の校訂や補綴などにも参加されたそうです。
『篁』の作者は不明で、世阿弥だとする資料もあるそうですが確定には至っていないことや
表現も難しく役者や音楽も揃いにくいため廃絶した可能性があることなどお話いただきました。
(室町時代以降は近代に丸岡桂が『古今謡曲解題』(1919年)で触れている程度らしい)
戦後に『篁』を再発見した評論家の堂本正樹氏と西野氏は交流があり、
堂本氏が番外曲中の名作と評した曲を今回復活させた理由についてはもう少し突っ込んで聞きたかったけど
特に質疑応答の時間もなかったのでちょっと残念。
(小野篁が京都の人というのも京都観世会が復活させる理由としては大きいかもしれないね)
長く上演が途絶えていた『篁』を現代に復活させる作業は約2年ほどかかったそうで
もし途絶えずに上演され続けていたらどのように演じられていたかを考えながら台本を決めて
面や衣裳、節や型や囃子をつけていき調整していったそうです。
モデルとなった小野篁についても「調べたけどなかなか魅力的な人物ですね」
「古今集真名序に「風流」とあることに注目しています」などなど、
そうだよねー!(≧▽≦)☆って同意しまくるコメントがあってうれしくなりました。
(ちなみに西野氏は『篁物語』や谷崎潤一郎の短編は「合いませんでした」とのこと)
ほかにも『篁』のストーリーの解説や史実とフィクションについて、型や衣裳についてなど
多方面からお話いただいてとても勉強になりました。
最後に「みなさま、これから誰も見たことのない『篁』が上演されます。
みなさまと立ち会えることをうれしく思います」とおっしゃって締めくくられたので
上演がとても楽しみになりました。素敵な講演をありがとうございました!

講演の後は、舞台で上演の準備をなさるスタッフの人々を見ながらドキドキしていました。
(2階席は演者さんからは遠いけど全体が見渡せていいですね)
お能を劇場で見るのが久し振りすぎて、やばいどんなだったっけと思ってましたけど
最初にピ~~ヒャラ…ポン、ポンと、笛太鼓が入ると会場がシーン…と静まり返って
地謡や後見の人たちが舞台に静かに出ていらっしゃって(布マスクをしていらっしゃった)、
鼓が入って「イヨォーーーーー」「ポンッ」と鳴ると、もう一気に能の世界へ。
ああ、この感じ…!とたまらなく懐かしくなりました。やっぱりわたしは能が好きだ。

『篁』の季節は晩春で、時代は鎌倉時代初期という設定。
承久の乱が終わり隠岐の島に流罪となった後鳥羽院を訪ねて、僧侶となった北面の武士(ワキ)が
出雲の千酌の浜にやってくるところから始まります。
ワキが「後鳥羽院に仕え申す者にて候」と自己紹介を終えて舞台の端に下がって
後見さんが舟の作り物(白い枠だけの簡素なもの)を持ってきて舞台に置きますと、
いよいとシテが橋掛かりから登場します。
よっ、篁さん!(心の声)
面は尉、腰に蓑をつけて棹を持っていました。漁師の格好ですね。
僧侶に隠岐に行ってほしいと頼まれて、これは釣舟だと言って断るのですが
隠岐に遅桜を見に行くと言っていた僧侶が実は後鳥羽院に会いに行くため出家したと聞いて
その心意気に感銘を受けて力になろうと海へ漕ぎ出します。
2人のやり取りから物語が動く感じがしてドキドキしたし
地謡の漕ぎ出す舟とか吹き付ける海風とか海に浮かぶ水鳥の描写がとてもかっこよかったです。
日本海に漕ぎ出す小さな舟の情景がありありと想像できました。
シテは島に着いて僧侶を下ろし、名前を聞かれて「さらば名乗り申さん。名字は小野」と力強く答え、
例の「わたの原八十島かけて~」の歌を朗々と歌い上げて去っていく姿が本当にかっこいい…!
なんで千酌にいたのかな。普段は漁師の姿で隠岐に渡る人の覚悟を試しているんだろうか。
説明がないので想像するしかないけど、気になってしまうね。

隠岐に着いた僧侶が後鳥羽院の配所を島の人(アイ)に聞いて
(このあたりは底本になかったけど必要だろうということで
西野氏が出しなさった原案を宝生氏と小笠原氏が修訂したらしい)、
島の人も親切に教えてくれて他に用事があれば承ると言ってくれた。
この能の登場人物いい人ばかりだな…。

僧侶は高台にある屋敷で院と再会します。
(このとき「この島の島守か」「新島守は我なるに」というやり取りがされますが
これは後鳥羽院による『遠島百首』からの引用ですね)
院は都の様子と、僧侶がどうやってここまで来たのかを問います。
僧侶が小野と名乗る翁の舟に乗せてもらったと答えると、
院は「その歌人は小野篁。さる事ありてこの島に流されし」と推察して
隠岐にある篁を祀った塚に詣でて志を弔いましょうということになります。
2人は舞台を一周して、中央に用意されていた篁の塚(竹の骨組に布を巻いて草を乗せた作り物)に到着。
月が夜空に出ている深夜、院と僧侶による手向けがされて
鼓とイヨォーーーーッという一声とともに、塚を覆っていた幕が2人の後見さんにより引き下ろされて
鬼神姿の篁さんが登場!!
真っ黒な長髪、唐冠、金色の狩衣、右手に黒骨扇、左手に金札数枚。そして天神の面。
なんじゃなんじゃまるで神様のいでたちではないですか、
めっちゃ拍手したかった…鼓と謡がすさまじくてとてもそんな雰囲気じゃなかったけど…!
篁さんは院と僧侶にお辞儀をして詣でてくれたことへのお礼を言うと
(篁の方が2人より400歳ほど年上ですが相手は上皇なので敬語を使います)、
院をここに流罪にした人々を閻魔庁へ引き出して奈落の底へ押し入れて(院の)逆鱗を休めるので
「頼もしく思し召されよ」とか言っちゃったよ…!ここほんとシテの独壇場でした。
地謡と鼓に合わせて足で拍子をとりながら笏を振り、時にドン!と足を踏み鳴らし、
笏を放り投げてからは黒骨扇をひろげて(金色でした!)力強く舞台のあちこちを舞って回る姿が
本当に本当に、ほんっっっっっっっとうにかっこよすぎて好きになりそうでした\(^o^)/
足の向きもあちこち変わってあ、次こっち行く、次はあっちだ、とか色々わかってワクワクしたー!
西野先生がさっきの講演で見どころのひとつとおっしゃったけど本当にクライマックスだった、
篁さんかっこよかったよーーーーー!!!

やがて舞を終えた篁は妹が亡くなった際の「泣く涙~」の歌を詠じて
院が川=隠岐の海を渡って都へ帰れますように、と慰めて去っていきました。
「これぞ天地を動かし鬼神も感応なるとかや」と締めくくられる台本は歌の力を讃えていました。
和歌讃歌の物語なのだなあ。

はーーーーーーーーーーーーっすごかった…目の前で見られて本当によかったです。
史実のインパクトが強くて説話がまとめられて二次創作までされた小野篁みたいな人が
能になってないわけがない!と、昔から根拠なくずっと思っていたので
この作品の存在を知ったときは「やっぱりあったんだ!!」ってとてもうれしくかったし
さらにそれを彼の故郷の京都で見られる日がくるとは。。
実在の人物がモデルとはいえ創作色の強い作品で(篁そもそも隠岐で死んでないしね)、
書きだしの流れや登場人物の行動の動機に説得力があり、
クライマックスに霊が出現する必然性もそれが篁である必要性もわかるし
同じ隠岐に流された者同士、歌人同士、相通じる部分で慰め合う構成が非常に巧い。
お能は誰かを慰める芸能ですけど、多くはワキがシテを慰めますけど
『篁』はシテがツレを慰める珍しい構成なのもおもしろかった。
こんなによくできてるのに廃れてしまったのかよもったいない…と思うと同時に
源氏や平家や六歌仙みたいな題材に比べると確かにポイントを押さえるのが難しいというか
小野篁の史実や説話のあれこれ(歌とか流罪とか閻魔とか)も入っていておもしろかったけど
あまり入れすぎても全体としてはコントロールしづらくなるというか
シテは確かに篁ですけどツレの後鳥羽院の存在も大きくて主役どっち?というか
篁の話をやりたいのか後鳥羽院と和歌をやりたいのかわかりにくくなっていて
演者もですが当時の観客にとっても難しかったのかなーという気もします。
細かい要素を入れ込むよりもシンプルに構成した作品の方が残りやすいのかもしれないですね。
去年の4月に日の目を見るはずだった復活能『篁』、やっとお披露目で何となくまだ粗削りですが
これからも上演を重ねれば奥深くなっていくでしょう。
役者さんたちの存在感がすごくて、味方さんの篁は500歳の翁にも見えたし地獄の官吏にも見えたし
片山さんの後鳥羽院の帝王感ハンパなかったし
(味方さんがあくまで院をたてる演技で、でも権力者とは別の計り知れなさを出していたのすごかった)、
宝生さんの僧侶と小笠原さんのアイの縁の下の力持ち感よ…。
この前おちょやんでもやってましたけど役を生きるとはこういうことかもしれないと思いました。
…やばい。役者さんの演技を久々にナマで見てかなり当てられてしまった、
これだから劇場通いはやめられないのだ。


あと、今回は『篁』の後に仕舞と『葵上』も上演されることになっていて
そちらもぜひ拝見したかったのですが、
2階席とはいえそれなりに人がいる屋内に長居するのは気が引けましたし
新幹線が混まないうちに帰りたかったので
本当に申し訳ないとは思いましたが「篁」の後はすぐ会館を出て
市バスに乗って京都駅に向かいました。
何度も言うけど『篁』は本当にすばらしくて
チケット代はもうこれでじゅうぶん楽しんだと思えたので後はもう寄付のつもりでした。
京都観世会のみなさま、お席をあけてしまい本当に本当にごめんなさい。

今回はずっと前にチケットを取っていたし、延期もオンラインもない公演でしたので行きましたけど
見てる間は楽しかったけどやっぱり後ろめたい気持ちがあったし
混雑を避けたとはいえかなりの距離を移動しながら色々気を遣ってストレスもありましたので
余程のことがない限り遠出は控えます。体調にも注意。
はやく気軽にお出かけできる日々が戻ってきてほしい。


追記にお能とは全然関係ない新幹線トークです。↓

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