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2021_05
30
(Sun)23:51

夢よ覚めないで目をそらさないで。

moderoidN700A1.jpg
買って…しまい…ました…!!!MODEROIDシンカリオンのN700A。
前回記事に生まれて初めてプラモを買ったという話をちょっと書きましたが、これのことです)

グッスマさんは確かねんどろ発音ミクさんを買ったときに登録したままになっていて
それきり特に買い物もしなかったのですが、
2年前にMODEROID E5はやぶさが発売され、その後E6、E7、E3…と次々に発売されて
N700Aが発売されたときも「すごいな~~かっこいいなあ、買おうかなあ、
でもプラモデルなんて作ったことないしわたしには無理だ…」などと思っているうちに予約期間が終了してしまい、
そのままになっていたのですが。
(MODEROIDシンカリオンはその後もH5や500やtypeEVAやブラックシンカリオンなどが発売されています)
今年になってN700Aが再販されることがわかって「うおっ…!」ってなって
どうしようどうしよう再販とかもうないかもしれない、でも作れるのか、でもかっこいいなほしいな…と考えて
予約期間終了間際のギリギリまで悩んで結局買いました!

moderoidN700A2.jpg
オープン! …うわ。

moderoidN700A3.jpg
部品が…いっぱいある…!(プラモ初心者の感想)
取説を開いてはみたもののどこから手をつけてよいか見当もつかないわたしに
このての商品を見慣れている弟くんが「とりあえずパーツの少ない部分から作ってみたら」と
アドバイスしてくれたのでレッツチャレンジ。

moderoidN700A4.jpg
たぶん一番部品の少ない部分はこれ。ロボのお顔です!
アルファベットと番号を見ながら部品を探し出しました。ひいぃ。
(初心者すぎて部品の外し方もわからなかったわたしに
弟くんは「ニッパーで切り離して爪切りで余分な部分を取るんだよ」と教えてくれました。
手取り足取り教えてもらわないとプラモも作れない姉←)

moderoidN700A5.jpg
できた!
というかお顔を作ったら早く胴体作ってあげねばって気持ちになりました。
首だけなのはかわいそうすぎる。(首とか言うな)

moderoidN700A6.jpg
とはいえ胴体は部品が多く、取説の組み立ても何だかややこしそうに見えたので(初心者)、
もうちょっと慣れてから…と思っていたら
弟くんが「テンションのあがる部分から作ってみれば」と頼もしいアドバイスをくれましたので
じゃあドラゴンナックルから作ろう☆と思って部品を探しました。

moderoidN700A7.jpg
時間かかったけどできたよ~~ドラゴンナックルのグーとパー!

moderoidN700A8.jpg
脇にシールを貼るとぐっと本物らしさが増します!すごーい、かっこいい。
グッスマさんの脅威の再現度すばらしいし
これがリアルサイズだったらどんだけ迫力あるだろうと思いました。
この三本爪がドラゴンの青いオーラとともに敵に炸裂するんですよ…はあぁぁかっこいいよな…!!

moderoidN700A9.jpg
というわけで本人に撃ってもらいました。
「ドラゴンナックル!!!」(逢坂良太氏の声でご想像ください)
イエローのパイスー姿でドラゴンナックルとかめっちゃ貴重ですな…。

moderoidN700A10.jpg
タツミくんにもつけてみた。
タツミくんがドラゴンナックル撃ったらどんなだったかな~~かっこよかったろうなあ。

moderoidN700A11.jpg
パッケージの裏にあった運転士欄がアツイ。

部品はまだたくさんあるし組み立ては始まったばかりですが
たったこれだけの作業でひぃひぃ言ってる初心者なのに
実はMODEROID E5×ドクターイエローが来月我が家に届きます!(笑)
4月発売だったのが5月になり、さらに6月に延期されてしまいましたが
オッケーオッケーいつまでも待ちますよ。シンカリオンドクターイエローがうちに来るんだもの!
おうち時間が増えているのでがんばって組み立てよう。


イエローといえば。
Dryellow99.jpg
先週の話ですが…(*´︶`*)。

Dryellow100.jpg
ドクターイエローT5編成のぞみ検測下りに東京駅17番線で会ってきました☆
3月振りです☆

Dryellow101.jpg
密を避けるため18番線側から撮影していたときに
1号車の車体の下の灰色部分に何か書いてあることに今更気づきまして。

Dryellow102.jpg
ズームしたらこんな文字が書いてあった。冷房と振動制御。
イエローだけ?って思って、イエローを見送った後に他の新幹線を見てみたら
当たり前に他の新幹線にも同じ表記がありました。
わたし本当にお顔ばっかり見てて、他の部分を全然見てないな…反省。。

Dryellow103.jpg
他にもあるかなと思って車体をたどってみました。「水タンク」。
お手洗い用の水を溜めておくところ。

Dryellow104.jpg
「BatK Bat」。ぐぐってみたらバッテリ接触器のことらしい。

Dryellow105.jpg
「補助空調」。その下に「空気バネ元コック」「ブレーキシリンダコック」。
空気バネは車体を維持して乗り心地をよくする部品で
ブレーキシリンダは車両がブレーキをかける際に空気を送り込む場所。

と、ここで18番線にN700aが入ってきたので
この日の車体の下の表示撮影はここまでになりました。
7号車まで辿り着けなかったので次に会えたときは撮りたい。

Dryellow107.jpg
行ってらっしゃいませ~博多までお気を付けて。

4月以降は走ってくれるかどうかもわからなかったので続投されて本当にうれしいです。
この前、試運転が始まったN700SのJ15編成に検測機器が設置されていたという情報があって
そういう話題を聞くとイエローの今後が本当に本当に不安になります。
お仕事してるイエローが好きなのでずっとずっと走っていてほしい…可能な限り走り続けてほしい。
また会いたいです。会えるといいな。


nihonbashiguti3.jpg
日本橋口のホワイトボード☆
Z合体する新幹線と在来線が描かれていてウワーッてなりました。うわー!
駅員さんが描いてるそうですが本当にうまい…。

ritatsu10th.jpg
リ鉄10周年の広告と、

tetsuotasenshuken.jpg
先週に放送された鉄オタ選手権の広告も見られました。
再放送は6/19ですので見逃した方はぜひ~。ドクターイエローの車内も紹介されてますよ。


追記にシンカリオンZの7・8話感想です。↓

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2021_05
22
(Sat)23:55

本を読みながら思い出したこと。

穂村弘『図書館の外は嵐』を読みました。
書評集なので没頭するとかはなかったんだけど、
穂村さんが要所要所で書き連ねる言葉にうんうんってなったりあれこれ考えたり思い出したりしたことがあって
そういう読書もおもしろいなと思ったので今日はそんな感じで書いてみます。

p.8
「「最近、何かいい本あった?」と会う人ごとに尋ねている。
「えーと」という反応が返ってくることが多いけど、先日、珍しく即答された」
難しい質問。
好きな本はその日の気分や体調とかでコロコロ変わるのでな…。
最近の本でなくてもいいのかな。久し振りに読み返した昔の本とか。

p.18
「『プレイボール』の新作を読める日がくるなんて、
『ポーの一族』の四十年ぶりの新作『春の夢』の刊行と並ぶ、いや、それ以上の驚きだ。
何故なら今も現役で活躍する萩尾望都とちがって、
『プレイボール』の作者であるちばあきおは三十年以上も前に亡くなっているからだ。
その志を継いで「2」を描いてくれたコージィ塩倉に感謝しているのは私だけではないだろう」
こういうのありますねー!
公式アンソロジーとか同人誌とかではいくらでも事例がありますが、
商業作家が書いた作品の続きを別の商業作家が書くというやつ。
エレナ・ポーターが書いた『少女ポリアンナ』の続きを
ポーター亡き後に50冊以上も出している作家たちがアメリカにいますけど
わたしはどれも読んでないんだよな…翻訳されてないっていう理由もありますが。
(そしてポーの一族新作ありがとうございますモー様!!)

p.24 
「解説によると山口誓子の「スケートの紐むすぶ間もはやりつつ」のパロディとのこと」
水鉄砲水入れる間も撃たれつつ(小川春休)の句についての一文ですが
山口誓子だ!小学校の教科書に載ってた俳句だー!ってなった。
それまで俳句というと松尾芭蕉や小林一茶など江戸時代の人ばかり学んでいたので
漢字やひらがなだけを使ってやるものだと思い込んでいたわたしに
「スケート」という言葉を入れていいんだって教えてくれた句でもあるのでよく覚えてます。

p.30
「出会った人に「好きな作家は誰?」と尋ねることがある」
これも難しい質問。
やっぱり、その日の気分や体調、経てきた年月とかでコロコロ変わるので…。

p.36
「現実世界を生きる我々もまたホームズではあり得ず、全員がワトソンではないだろうか。
ホームズがいなければワトソンの人生は平凡なまま完結してしまう。
だから、我々は皆、心のどこかで危険な名探偵との運命的な出逢いを待っている」
これ、わかるようなわからないような。
ワトソンくんがホームズくんと出会わなければどんな人生だったかと思うことはあって
それはそれで良い人生を送ったかもしれなくて。
ホームズくんが一緒にいるとまあ、退屈はしないと思いますが
なかなか経験できないようなことを経験することになって、それもそれでまた人生で。
ワトソンくんが果たして平凡な人生を送りたかったのかどうかは…
たぶんホームズくんと出会ってからの彼はそうは思ってないような気がする。
危険な名探偵と出会ってしまった一般人が振り回されていく物語は確かに楽しいし
それとは別に平凡なまま完結する人生を送ることも、また楽しい。

p.38
「一行目に惹かれた人は、その瞬間に、
物語の世界観を受け入れる心の書類にサインをしたことになるんじゃないか」
本の書き出し部分を読むのはすごく好きだしドキドキする瞬間でもあるし
それを「サイン」とする穂村さんの表現がすばらしい。

p.43
「代表作の直前の輝きというものがあるんじゃないか。(中略)
一人の作家の誰もが認める代表作が魅力的なのは当然として、その直前に生み出された作品には、
それとはまたちがう、完全なピークにはない、別のオーラがあるように思うのだ」
わかる。
デビュー作には作家のエネルギーがものすごく詰まっているといいますが
代表作の前に刊行された本は飛び立つ前というか助走のようなエネルギーを感じる。
あとね、作家の代表作を読むのもいいんですが、気になる作家に既にいくつか作品があった場合は
発表順に読んでいくというのをやると結構おもしろかったりします。
たとえば十二国記を時系列順とかより発表順というか刊行順に読んだ方がこう、
小野主上とかそれをずっと追ってたファンの視点とかを追体験できるのですっと頭に入ってくるんですよね。
前の本でこれが書かれてるから次の本で時代設定がいきなり数百年前とかに戻っても
ああ影響が出てるなーみたいなのも見えてくるし。

p.48
「その人に関するすべてが「いい感じ」に思える作家がいる。
それは好きな作家というのとも微妙に違っている。(中略)
読まなくてもいいからその魂に触れたい、という奇妙な欲望がある」
物語より作家さんの方がおもしろい場合、ありますね(笑)。
その人の本が自宅の本棚にあるだけで安心してしまうというか。
わたしはこれは、小説の作家さんより研究者による歴史書や論文集の方が多いかも。
信用している研究者の本はとりあえず買って、後日読んで「ああ~やっぱり正解だった!」てなる。

p.58
「日本とシリアでは表現の自由度が違う。作者の置かれた環境では、
書きたい内容をそのまま表現することが許されない。そんなことをしたら「痛烈な平手打ち」を浴びてしまう。
だから、さまざまなメタファーや寓意を駆使して表現することになる」
シリアの作家の小説に対して書かれたものですが、
紛争などの厳しい情勢の中にあって何とか記録や表現を続けようとする人々は昔も今もいて
政治体制に従わざるを得なかった人やギリギリまで表現を試みた人もいて
その中で生み出される表現はそのときにしかできないものですが、
でも紛争なんてない方が絶対によくて
それを学ぶためにも当時どんな表現がされていたかを知る必要があるよね。
そういえばシリアのパルミラ遺跡は暴力で破壊されてしまったし、それは絶対にあってはならなかったことですが
「暴力によって破壊されたということ」もあの遺跡の歴史でもあって。
物事というのは存在し続けている間だけでなく破壊された直後にも記録が始まるのだなと思ったな…。

p.62
「駒込の「BOOKS青いカバ」の棚を眺めていたら」
青いカバだ!穂村さん行ったんだ!!と思ってウッヒャーてなってしまった。
店長さんは池袋リブロで働いていた人で、同店が2017年に閉店した後このお店を開いていて
行こう行こうと思っていつつまだ行けてなかったりします。
三軒茶屋のCat's Meow Booksと同じくらい行きたいお店。

p.72
「ひと夏の物語が好きだ。子どもたちが、大人には見えない不思議な世界をくぐり抜ける冒険をする。
そして、季節の終わりとともに、少しだけ、けれども決定的に以前とは変わった自分に気づく。
そんな物語の系譜がある。どうしてか、その魔法の季節は夏と決まっているようだ」
好き!!
『銀河鉄道の夜』とか『霧のむこうのふしぎな町』とか『帰命寺横丁の夏』とか
『ふるさとは、夏』とか『夏の庭』とか『盆まねき』とか「盆の国」とか「あの花」とか
「ぼくらのウォーゲーム」とか「蛍火の杜へ」とか、シンカリオン31話とかね!!(落ち着いて)
夏には何か冒険できる魔法があると思う。

p.79 
「ほっとする。夏の終わりには、いつも焦りと切なさに囚われてしまう。
でも、置き去りにされるのは私だけじゃないんだ」
フジコ・ヘミングの8月30日の日記「今年の夏は、しやうと思った事が何一つ出來なかった」という記述への感想で
わかるなあ~~と思いました。
夏の終わりになるとああ、もっと何かできたんじゃないか…という気持ちになります。
たぶん「今年がもう残り少ない」ことに気付くからじゃないかな…。
別に何かを始めるのに、夏も秋も冬も春も関係ないけど。

p.82
「作者の行きつけの店の、しかもお気に入りだった席で、その人の作品を読みたい」
これはやってみたいですねえ…。
近代の文豪がよく通っていたお店とかで、店長さんやその跡取りさんとかが
「あの先生はいつもカウンターでこの飲み物を飲んでいた」とか
「この席に座っていたという話を先代から聞いた」とか教えてくれたりするよね。
芥川龍之介とか宮沢賢治とか平塚らいてうが座ってた席とか座りたいじゃないすか…。
(穂村さんは西荻窪のお蕎麦屋さんで杉浦日向子氏の本を読んだらしい。いいなあ)
現代の作家さんも、インタビューとかで行きつけのお店を教えてくれる人はいますが
どこの席に座っているかまではおっしゃらないもんなあ。

p.84
「『攻殻機動隊』を見ていたら、二〇三〇年あたりの荻窪駅前に焼鳥屋の「鳥もと」が出てきて興奮した。
(中略)その店は2009年にその場所から移転している。アニメの製作時にはまだあったんだろう」
焼鳥屋のシーンなんてあったっけ!??(笑)
攻殻もずいぶん前に見たきりなので覚えてないけど、そうかあ今はそこにないのかそのお店。
アニメに限らず現代を舞台にしたドラマや映画などでも、そういうことはよくあるよね。
撮影されたロケ地にはもうない、とかね…作品ってその当時を記録したアーカイブになるんだよな…。

p.88
「すごく面白い作品に出会うと、その本の世界からいったん顔を上げてきょろきょろする癖があるんだけど、
あれって一体なんなんだろう。わざと寸止めして感動を引き延ばすためか、
それとも本の衝撃によって現実世界の側に何か変化がないか確認しているのだろうか」
あります。
穂村さんもあるんだな~~わたしだけじゃなくて何だか安心しました。
ストーリーへののめり込み度が深ければ深いほど、途中の展開やラストシーンでうわあってなったときとか
その衝撃を受け止めきれなくて「待って待ってNow loading...」ってなったときとか。
最近はあまりないけど、やばかったのはアガサ・クリスティの『カーテン』のラストと
銀英伝8巻のヤン・ウェンリーの例のシーンを読んだときですね…。
リアルにはああぁぁって深呼吸して本を閉じて、キョロキョロどころかしばらく動けなかったです。

p.96
「値段を見ると9000円。うーんと迷いながら、帯に記された文字などを眺める。と云いつつ、本当はもう買う気なのだ。
誰が見ているわけでもないのに、迷っているふうを装いながら、
購入意思を決定的に後押しする「何か」を探している。(中略)…よし買おう。どうせいつかは買うのだ」
これもあります。
ずっと探していた本に出会えたときによくこうなるんですけど、
待って待って今のわたしに本当に必要?他の本で代用できない?高くない?
ヨコレやヤケなどの状態は?転売とかじゃない?とか色々考えますけど、
心のどこかではもう買うことがわかっているというか…。
で、その場にしろ1日後にしろ1週間後にしろ、結局買うんですよね。
わたしは最大で1週間待つ場合があって、それだけ経っても気持ちが持続していたら本当に欲しいんだと思って買います。
(この前、生まれて初めてプラモデルを買いまして、わたしにとっては割と高額だったのですが
その商品を見た瞬間にはポチらなかったんですが自分は絶対これ買うってわかってる感覚あったもんな…。
実際買ったしね)

p.135
「そんなトーアロードを歩いてみたくて神戸に行ったことがある。でも、痕跡は見つけられなかった。
私が憧れたのは鬼才三鬼の魔性の筆が生み出した幻の街だったのだろう」
聖地巡礼ですね穂村さん!(笑)
小説やアニメの舞台を訪ねるとき、わたしは割と「来た!ついに辿り着いたぞ!!」ってなって
痕跡があるかどうかはあまり考えないんですけど、
それを感じさせてしまうほどの筆力は気になるな…西東三鬼…。
(ちょっと違うかもですが、よく旅行とかで「がっかりスポット」と紹介されているところは
旅行者の期待が高くてそうなってしまうのかなあ)

p.136 
「一度も書かれたことのない悪って、どんなものだろう。想像してみようするけど難しい。
では、今までに読んだ小説や見た映画の中で出会った最高の悪ってどれだろう。
うーん、悪人はたくさん出てきたけど(後略)」
川上未映子と永井均の対談にあった「書かれたことのない悪」について穂村さんが考えたことですが
わたしもちょっと思い浮かばないですね。
物語においておもしろい悪役はたくさんいるけど、こいつ最低だなっていうのとはまた別な気がする…。
そういえばるろ剣の作者が「京都編が敵キャラばかりだったので人誅編は全員最低な奴にしたかったけど
うまくいったかわからない」みたいなことをインタビューでおっしゃっていた覚えがあって
(鳥山明や尾田栄一郎は悪を描くのがうまい、とも)、
志々雄真実でさえ悪ではなく敵だったから悪人を描いてみたかったみたいな感じだったと思うんだけど
悪の表現てやっぱり悩むよな…。

p.159
「何度も予想が覆されて先が読めない。心の遠近感を狂わされる楽しさがある。
こういう話は最後の着地が難しいんだけど、本書のラストシーンはとてもいい。
単にめでたしめでたしというのではない。それを超えた何かに繋がっている。
この世界に生身で生きてあること、それ自体の不思議さを甦らせてくれるのだ」
先が読めない読書をしていると、
ハラハラドキドキしたりうわって声が出たり終わりのページに辿り着いたときえっもう終わり?ってなったり
読後に深呼吸したりまだドキドキしてたりすると生きてるって思うことありますね。
自分の呼吸や心臓の鼓動は普段あまり意識しませんけど
とてつもない読書の後は心音がものすごく耳に響いて、ああわたし生きてる…てなる。

p.166 
「極限の現実に圧倒されながらも、一つ一つの声に引きつけられる。
ぎりぎりの言葉の中に説話や詩歌を思わせる力があることを不思議に感じつつ、
それらが本来的には想像を超えた世界を描くものだったことを想起する」
ひめゆり学徒隊のガイドブックを読んだ穂村さんの感想ですが
彼女たちが用いた言葉が現実を表現するために使われると思っていなかった、というのは
これ逆ではないかなという気もする。
現実はすごい力を持っていて想像力など軽々と超えていくもので、
おそらくそういう現実の中から人々は想像上の世界を作り上げていくのだと思う。
だから説話や詩歌の優れた語り手は現実を見つめている人たちなんじゃないかな。

p.173
「『疫神』(川崎草志 角川文庫)を再読した。単行本が2013年に刊行された作品だが、
新種の感染症との架空の戦いが描かれているのだ。
新型コロナウィルスに脅かされている今読まなくてもと思ったが、吸い寄せられるように手に取ってしまった。
やはり初読の時とは臨場感がまったく違う」
これと同じ感覚を、去年、ドラマ「アンナチュラル」第1話に感じたんですよね。
感染症の話だったというのを見返して初めて気づきました…
放送当時はSARSの流行もあったのに、実感がないと都合よく忘れてしまっているものです。
あと槇えびし『魔女をまもる』もそうだなあ…。
2017年に連載が始まったマンガで、当初から読んでいましたが
去年単行本が3冊一気に発売されたので最初から読み返してみたらものすごい臨場感でした。
16世紀のドイツに実在した精神医学の先駆者ヨーハン・ヴァイヤーの物語で
当時地球を覆っていた小氷河期と流行したペストの恐怖が魔女や人狼を生み出す環境に繋がっていて
魔女の存在や魔女狩りの正当性を信じて疑わない当時の趨勢を変えようとする主人公という構図が
まさに現代社会を想起させるし、物語として完成度がとても高いです。
無知から来る怖れが生む迫害と差別は女性史の講義で魔女狩りの勉強をしたときにも出てきたな…。
とはいえ主人公のヴァイヤーも当時の人間なので魔術も悪魔も否定はしていないけど。
(原因は血の巡りや閉経からくるメランコリーや精神病で、そこに悪魔が入り込むと考えていた)
「無知は恐れを呼ぶ、だから知れ、つらくても知るんだよ」
ゲルハルトー!彼にもどうか救いを…。

p.178
「読みたい読まなきゃと思いながら、ずっと手が出せないままの作家が何人かいる。
内田百閒はその一人だ。理由の一つには、どれから読んだらいいのかわからないということがある」
わたしも百閒はどこから読んだらいいのかわからなかったけど
わたしと彼には猫好きという共通点があったので『ノラや』から読んだな…。
多作な作家は本当にどこから読んだらいいか迷いますよね~。
そういうときに「代表作」や作家との共通点があると、そこが良い取っ掛かりになるのかもしれない。

p.182
「意味のわからない言葉の中で、もっとも強力かつ印象的なのは、私の知る限りでは「クラムボン」だ」
で、ででで出た~~!!クラムボンが出たぞ~~~((((((゚Д゚))))))
クラムボンと並んでわたしが意味わからんと思っているのはジャバウォックです。
ルイス・キャロルは意味のわからない言葉を生み出すのがうまい…スナーク狩りとか全然わからんし…。

p.186
「図書館の外は嵐。嘘。いや本当だ。いつの間に。本に夢中でぜんぜん気づかなかった。どうしよう。怖い。(中略)
でも、平気。だって、私はここにいる。体は暖かい図書館に。心は本の世界の中に。ここからはもう出られないんだ」
あとがきにしてはメリバっぽい締めくくりですが、
穂村さんが必ずしもそう思ってないところにロマンを感じました。
出られないと言いながら何だか楽しそうなので。


toshokannosoto.jpg
ヒグチユウコさんの装画がとてもいい。
じっと見ていると、彼女の居るこの部屋の外はものすごい嵐なんじゃないかという気がしてきます。
激しい雨と風と雷で家中の窓がガタガタ鳴ってカーテンが揺れて…。
でも読書に没頭している彼女にとってはきっとどうでもいいことなのだろうな。
2021_05
16
(Sun)15:45

第2157回「どこでもドア、使える回数は往復3回まで!どこに行きたい?」

こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当の一ノ瀬です
今日のテーマは「どこでもドア、使える回数は往復3回まで!どこに行きたい?」です
日本に住んでいる方なら一度は観たことがある某猫型ロボットと少年のアニメで登場する
憧れの大人気アイテムの一つ「どこでもドア」ですが、
もし使用できる回数が往復3回までに制限されていたら...
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北極点と南極点。あと、月。
というかわたしはどこでもドアをもっとカジュアルに使いたいんですよ…。
職場と家の往復とか(朝ギリギリまで寝ていたいので)、病院や買い物の往復とか(荷物が増えるので)、
友達の家の往復とか(会いたいので)、近場の図書館美術館映画館劇場寺社への往復とか。
あと交差点の横断歩道とかで信号待ちしてるときにあ~どこでもドアで向こう側行きたいなって思うし
駅の乗り換えで地下鉄に降りていくとか六本木ヒルズ森タワー52階みたいな上下の移動とかでも
どこでもドアだったら一瞬だよな…て思ったりする。

国内旅行は乗り物で移動しますのでどこでもドアじゃなくていいです(^O^)。
新幹線や船やバスに乗って移動するのも旅の醍醐味なので。
(緊急で移動しなきゃならないときはあった方がいいけど)
飛行機以外は基本的に乗り物酔いしないので乗り物に乗るのは好きなんです。
特に新幹線と船はマジでテンション上がるだけで全然酔わないんだよな…。

というかわたし、飛行機は離着陸の揺れがダメなだけで飛んでるときはまったく問題ないので
たぶん「乗っているものが激しく揺れる」のがダメなんだと思う…。
乗用車も平らな道路はまったく酔いませんが山道のカーブとか長く続くとつらいし
船も小型ボートよりはフェリーや遊覧船の方が好きだし
飛行機も乱気流とかで揺れたらダメだしジェットコースターみたいな絶叫マシンが苦手なのもたぶんそれが理由。
乗り物は乗り物として安全で安定していてほしいというか…スリルを味わいたいわけではないのでね。
あと乗り物とは違うけど、劇場で見る3D映画とかも画面や座席が揺れると気持ち悪くなってしまう。
たぶん三半規管が弱いんだろうな…。


新幹線で思い出したんですけどこの前やらかした大ポカの話をしていいですか。
先日、映画『名探偵コナン 緋色の弾丸』を劇場で見てきたんですが(後述します)、
その帰りにE4系Maxときを撮影しようと思って熊谷駅の新幹線ホームに行ったんですよ。
(E4系は今年の秋に引退してしまうのでお仕事する姿をなるべく撮っておきたいと思っている)

apuriscreene.png
階段を上がってJR東日本アプリでE4系がこちらに向かってくるのを確認して
(画像はアプリの画面です。新幹線アイコンがものすごいかわいくて好き)、
遠くから通過の新幹線が走って来るのが見えて、誰かな~E7さんかな?って呑気に思ったんですが
アプリを見ても表示されてないんですよ。
停車する車両も通過するも車両もアプリには表示があるはずなのに何もない、
そんなことある?って思って遠くへじーーーっと目を凝らして見ていたらEast-iだとわかって
iちゃん!iちゃんだ!!+゚+。:.゚(*゚Д゚*).:。+゚ +゚ ってテンションがだだだっと上がって
慌ててスマホを構えてカメラ起動した時点ではまだ米粒くらいの大きさしか見えてなくて
よっしゃーーーーーiちゃん撮れる!って思ってたんですよ。


録画ボタンを押し忘れました。(わあ)


通過した瞬間に押し忘れたと気づいて心臓が飛びあがって、慌ててシャッターを押して
遠くに行ってしまったiちゃんの姿がかろうじて写っている画像がこれ。
easticiisai.jpg
あ~~~~~~~~~っばかばかばかばかわたしの指のばか!!!!!!。゚(゚´Д`゚)゚。

もう呆然としてしまって、その後やってきたE4系Max(アプリに表示されてた)を撮るので
いっぱいいっぱいでした。
検測1日目だったのかよ。知らなかったよ。もっとちゃんと調べてホーム行けよ自分。
検測車両じゃそりゃアプリには出ないよね…公式発表されてないダイヤだもんね一応…。

いや10日に1回くらいしか走らないEast-i先生に会えたんだからラッキー!って話なんですけどね!
とりあえず写真に収めて会えたという記録はできたので、それはいいんですけどね。
「自分の目でEast-iだと確認できて、スマホカメラもちゃんと準備できて動画撮影できる状況だったのに
肝心の動作ができなかった自分」にものすごくがっかりしてしまったわけです。。
ただまあ…せっかく会えたのでがっかりした気持ちで帰りたくないと思って
Max撮ったあとは決意の時間にしました。
次は絶対に録画ボタンを忘れまいぞ!ゆさ!!(点子ちゃんとアントン風に)

Maxはちゃんと録画ボタンを押したので無事に撮影できました。→こちら
はぁ~~~~~走っている新幹線はいいね…!!

というかわたしはドクターイエローとこういう出会いをしたいんですよ…。
その日たまたま新幹線ホームにいて、「回送列車が通過します」みたいなアナウンスにふーんてなって
ヒュー―っと通過していった新幹線の色がいつもと違って
「今の新幹線黄色くなかった?」みたいな出会いをしたいと!昔からずーーーっと思ってるんです!!(゚Д゚)クワッ
今回思いがけずi先生でそれができたので、イエロー先生ともやりたいな…。
(走行予測されていることを知ってしまった今はなかなか難しいけど)



そうそう、緋色の弾丸おもしろかったです☆
(平日午後のど真ん中に行ったせいか、座席はガラガラでした)
名古屋に始まり東京で終わる映画ですよ盛り上がらないわけがない、
施設パニックと復讐ミステリと最後に巨大物がぶっ壊れるいつものコナン文法でした。
あとクエンチを覚えました。コナンを見てると雑学知識が増えていく。

赤井ファミリーとFBIががんばる話で、哀ちゃんがいつも以上にものっそい有能で
園子さんが子どもたちにやさしい良い人でした~~。
わたしもしかしてFBIの愉快な仲間たち好きかもしれない…うん好き…。
あとおっちゃんがお味噌汁こぼして蘭ちゃんに謝ったのよかったですね。人間だったと思う。
蘭ちゃんは今回見守る役でランネー・チャンの出番はなかったけど
かわりに世良ちゃんが暴れてましたね。
コナンくんのスケボーテクのインフレが止まらなくて笑いました。飛べない空はない。
クライマックスはリニアと車体が青い(?)N700Sでした!!とっても青かった…。
並走した車両から隣の車内の出来事が窓越しに見えるっていうの好きです。(パディントン発4時50分脳)
リニアの線路で射撃する赤井さんに危ない危ない危ない!って気持ちと
いいなあーーリニアの線路降りてみたい!!って気持ちと両方あったし
東京で犯人を追い詰めたジョディ先生の後ろで在来線がめっちゃいい仕事して鳥肌が立ちました、
ああいう電車の使い方はずるい。
コナンで電車の名シーンというと摩天楼の環状線ですけど(亡くなった古内さんが書いたやつ)、
あれは警察と指令室がめっちゃがんばって無事故で終わらせるエピソードですけど、
まあ今回はリニアが主役なので最後かわいそうなことになっちゃうんですが
ラストでリニアがつっこんだ場所…今の世の中考えるとスカッとしてしまった自分がいました。

あとこの作品、公開は去年の予定でしたが感染症の影響で1年延期になりまして
その間に作画を盛ったのかわかりませんがめっちゃもりもりでした。キャラクターがみんなかっこよかった。
トムスとクローバーワークスがっつり作画やったみたいでしたね。
あと今回は背景を見るのが楽しくて楽しくて…(^ω^)。
名古屋国際空港以外はほぼ聖地巡礼済みで我ながらウケたし様々な意味で味わい深くなってしまった、
名古屋の街や名古屋城や名駅、ひつまぶし、市役所駅7番出口の@NAGOYA!
リニアが出るのにリ鉄が映らなかったのは残念でしたが
世良ちゃんと赤井さんが被害者を乗せた車を追いかけていたとき名古屋港のプラントが映りましたね!
そういえば今回は赤井さんはいたけど安室さんがいなかったのでガンダムではなかった、
ラストにあった来年の映画予告を聞いた限りでは来年のほうがガンダムかもしれない。
あと鹿の王の予告編もやってました、楽しみ☆

追記にシンカリオンZの5・6話感想です。↓

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2021_05
09
(Sun)23:59

勢ひは青天を衝き臂を攘ひて躋る。

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埼玉歴博の特別展「青天を衝け~渋沢栄一のまなざし~」に行ってきました。
放送中の大河ドラマ「青天を衝け」の主人公渋沢栄一について、資料からたどる展覧会です。
歴博所蔵品をはじめかなりの点数が展示されていてとても勉強になりましたが、
これでも彼の仕事のうちのほんの一部なんですよね…。
91年の生涯であらゆる業種を支援しまくり関わった数は500を超えるともいわれますが
もはや正確な数はわからないとか…この人の人生いつ見ても何なんだろうってなります。いやはや。

行くか行かないか、行くならいつか、迷って考えて、できる対策をとって行きました。
博物館の感染症対策は過去記事に書いたこととほぼ変わっていなかったので割愛。
平日だったせいか人もほとんどいませんでしたが距離をとることは心がけて鑑賞しました。

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大河ドラマのキャストさんたちのパネルがありました。撮影スポットですね~。
展示会場にはタイトルの元になった「勢衝青天攘臂躋」の一節がある
「内山峡之詩」の拓本を大きく引き伸ばしたものも展示されていました。

まずは、渋沢栄一という人について。
展示室に入って目の前にあったのが力石(103kg)。
藍をたたく道具なのですが、栄一が行商先の紺屋で持ち上げてみせたというエピソードがあるそうな。
103kgって米俵より重いよ!?Σ(゚Д゚) 若い頃の話でしょうね。
武州自慢鑑藍玉力競は、1862年11月に22歳の栄一が作った藍玉職人たちのランキングで
行司に栄一と渋沢喜作、勧進元に市郎右衛門(栄一の父親)の名前がありました。
市郎右衛門は農家を経営する教養人だったので、
彼が所蔵していた往来物や詠んだ俳句は栄一が『晩香遺薫』という書物にまとめて1930年に出版しています。
そんな父や従兄の尾高惇忠から漢籍や学問を学んでいるので
「百尋桜郭」(78歳で真田親子を詠んだ詩)と「楽亭壁書」(90歳で松平定信を詠んだ詩)からはその影響が見られました。
渋沢栄一書簡(江戸時代)には、上田で再会した紺屋の老女が
かつて若い頃に取引をした人だったとわかったという内容で、藍商売の裏付けですね。
有爵者大礼服(男爵になったときの礼服)やシルクハット、杖などの遺品もあり、
子爵陞爵位記や勲一等瑞宝章(民間人初の受賞)なども展示されていました。
男爵になった際に深谷の血洗島諏訪神社社で撮影された写真(1914年10月10日)もありまして
展示されていた大礼服と勲章を身に付けていました。こういうの見ると「ほんとに着たんだなあ」って思う☆
遺品のトランクには「B・E・S」(バロン・エイイチ・シブサワ)とあったので男爵になったときのものかな。
栄一の妻兼子さんの着物の展示もありまして、
袖と裾に蓬莱山が表現され渋沢家の家紋も染められていて、透けていたので夏用かな?
定家文庫やオペラバッグ、金銀でできた化粧道具なども展示されていて
おしゃれな人だったことがわかります。

幕末の栄一について。
尾高惇忠書「神託」(1863年)。これこのまえドラマで見たやつだ!ってテンションあがりました(笑)。
栄一たちが計画をやめた後燃やされてたね…ちゃんと小道具スタッフさんが作ってらっしゃるんですね。
その後、平岡円四郎をたよって京都に行き一橋慶喜に仕えることになりますが
徳川慶喜書「博施於民」は栄一が慶喜からもらった書で、信頼関係が見て取れます。
京都で栄一が身に付けていたであろう陣笠や脇差(銘備前国住)や、
袴を着た20代の栄一の写真も展示されていました。
剣の流派は無念流や北辰一刀流を学んでいたらしい…本当に幕末を生きていたんだなあ…。
京都での主な仕事は兵力を調達するため領内を回って農民を集めることで
「渋沢篤太夫歩兵人選廻村につき御達」(1865年)には徴募に成功したことが書かれていました。
また事務的な仕事もしていて「硝石製造御用につき廻状」(1865年)には勘定組頭としての仕事が、
「一橋領知備中国荏原産物会所銀札」(1865年)では一橋家の所領で手形を発行したことがわかります。
備中って岡山じゃん!なんでもやったんですね…。
(ちなみに備中には興譲館という郷校があったのですが、館長の阪谷素という学者と仲良くなって
のちに栄一の娘琴子と阪谷素の息子の芳郎が結婚した縁で
芳郎が手紙(1911年)を出して興譲館の扁額を依頼されて作成している(1912年)。)
慶喜の将軍就任にともない幕臣となった後は、慶喜の弟の徳川昭武がパリ万博に出席するため
昭武に随行してパリにわたりますが、
この頃に妻の千代さんに手紙(1867年)を送って千代さんの弟の平九郎を見立養子にしています。
平九郎は江戸にいましたが上野戦争で彰義隊に参加し、飯能戦争で戦死しています。
彼が兄の成一郎とともに参加した振武軍の廻文と軍旗や、
彼が越生で自刃したときに所持していた陣笠と刀が展示されていました。
栄一は彼の死を帰国後に知って、お墓を作ったり自刃の地を詣でたりしたそうです。

近代の栄一。
将軍を退いた慶喜が静岡に引っ越したので栄一もしばらくは静岡にいたようですが、
新政府からの招状が届いて民部省に就職(1869年)し、
のちに大蔵省にて『官版立会略則』(1971年。会社や銀行設立のマニュアル)などを作成しますが
予算編成をめぐって大久保利通や大隈重信らと意見が合わず、1873年に退職しています。
ちょうどこの頃、富岡製糸場が稼働し始めていまして(館長は尾高惇忠)事務主任の仕事を始めています。
尾高惇忠による「富岡製糸場落成詩」(1873年)や深谷で作られたレンガの展示もありました。

大蔵省を退職してからはひたすら会社や施設をつくりまくります☆
まずは設立に参加した第一国立銀行(現・みずほ銀行)の総監役になりました。
(前島密にあてた手紙は中央に「第一国立銀行」と書かれた原稿用紙を使っている)
二代歌川国輝「東京府下海運橋兜町第一国立銀行五階造真図」に第一銀行も描かれていて
(看板に「バンク」と書かれている)、
井上探景「憲法発布式大祭之図 江戸橋ヨリ鎧橋遠景」にも銀行と海運橋が描かれていました。
銀行が20周年の営業満期を迎えたときの記念朱塗盃(1896年)は今もみずほ銀行に所蔵されてるんですね…!
五代友厚にあてた手紙(1872年)で「三井と小野の協力がないと大変だけど大隈(重信)も忙しいしなあ」などと綴っていて
銀行の経営についてや2人の親しい仲も想像されます。
1878年に出した手紙には五代が関わった大阪株式取引所のオープンをお祝いしていて、
1879年の五代からの手紙には取引所が順調であるという返事がきていました。

次に抄紙会社(王子製紙)。
『創立記事』(1873年)からはアメリカから輸入する抄紙器械の交渉にあたったことがわかり、
『回議録』(1874年)からはイギリスに発注した器械や製紙技師の到着までを専決していたことがわかり、
『抄紙会社記事』第二(1875年)からは東京日日新聞(現・毎日新聞)に洋紙を納入する相談をしていたことがわかります。
新聞が発行される世の中になったので洋紙が必要なんですね~。
(ちなみに『取締役会議事録』第貳(1898年)からは経営が三井に移ったため辞任していることがわかる)
鉄斉菅真郷筆「武陽王子飛鳥山真景」(1888年)には抄紙会社や大蔵省印刷局抄紙部の建物や
飛鳥山の渋沢栄一別邸が描かれていました。
あ、抄紙会社や第一銀行の建物は清水建設が建てているそうです。
第一銀行の鋳造模型(1930年)や王子製紙会社新工場写真(1889年)などがありました。
(清水建設は他にも、日本女子大学校図書館(1909年)や澁澤倉庫(1915年)なども担当している)
また栄一は生涯で家を6軒建てていますが、うち4軒を清水建設が建てていて
王子や深川の自邸などの設計図もありました。
(ちなみに王子の渋沢邸は現存します!史料館になっているよ)

次に、日本煉瓦製造株式会社。
会社の設立願(1887年)を東京府知事あてに出して本社を東京に置き、
煉瓦製造所設立願(1887年)を埼玉県知事あてに出して深谷に工場を建設しています。
ここで作られたレンガを使って東京駅や万世橋高架橋、日本銀行、赤坂離宮、東京大学、
信越本線碓氷峠の鉄道施設などが建設されたのは有名な話☆
さらにそのレンガを運搬するために鉄道が必要ということで
深谷(現在の高崎線深谷駅)から利根川近くの上敷免までの鉄道布設願(1894年)を出して
専用鉄道もつくります。
鉄道に使われていた蹄鉄やレール、犬釘などの展示があり、
当時の工場で作られた上敷免刻の印入りレンガやたたき板の展示がありました。

渡米実業団。
1909年に経済外交として日本各地の実業家や若手たちがアメリカの主要都市を回ることになり、
栄一が団長を務めています。
(エジソン電気会社への訪問とエジソン夫妻との交流もこのとき行われたそうな)
「渡米実業団記章」(1909年)はそのとき団員が身に付けていたものです。
帰国後に栄一が「渡米実業団感謝文草稿」(1910年)を書いて
それをもとに実際に作られた渡米実業団西陣織感謝状(1910年)は高島屋に依頼したそうで
西陣織で囲み額装されている豪華なものでした。
実業団に参加した51人の名前も添えられていまして、
たぶん実業界では有名になっている人たちばかりなのだろうと思いますが
わたしにわかったのは巌谷小波と根津嘉一郎、松方幸次郎だけであった…勉強不足…。
外交といえばアメリカ大統領だったユリシーズ・グラントが来日した際に
栄一が総代のひとりとして新橋駅まで迎えに行くのですが
グラントを迎えるにあたり栄一が書いた指示書(1879年)が展示されていました。
また、大久保作治郎による聖徳記念絵画館壁画下図「グラント将軍と御対話」(1930年)の制作時に
栄一は当時陪席した唯一の生き残りとして参加しています。

社会事業について。
成瀬仁蔵が日本女子大学校を設立するにあたり、栄一は5000円の寄付をしていて
寄付金名簿(1914年)には大隈重信や西園寺公望らとともに名前が並んでいました。
日本女子大学校創立事務所日誌(1899年)には栄一が大学創立計画の講演をしていたこともわかります。
また松平定信を尊敬していた栄一は、
定信が江戸時代に行っていた七分積金制度で養育院が運営されていたことに倣って
当時菅谷村(現・嵐山町)にあった埼玉育児院(現・川越市)に支援をしています。
埼玉育児院感謝状(1925年)を見ると名誉顧問にもなっていたみたい。
また埼玉県出身の学生を援助するため、本多静六とともに発起人になって埼玉学生誘掖会をつくります。
出資依頼の書状と出資引受證(1903年)が並んで展示されていました☆
清水良雄筆「渋沢栄一肖像」(1930年)は会員の学生たちの寄付で描かれた作品だそうです。
また埼玉出身の塙保己一を顕彰するために、保己一のひ孫の塙忠雄とともに温故学会をつくったことが
設立登記申請書・定款(1922年)からわかります。
活動としては学会のために温故知新の額(1927年)を書いたり、
保己一の徳育教育について依頼する文書(1928年)を出していたりします。
この頃建てられた温故学会の建物は関東大震災で倒壊していますが、
震災後に鉄筋コンクリートで再建されたことが(清水建設だよ)1925年の図面の展示でわかりました。
あとわたし知らなかったんですが旧埼玉会館の銘板の元字も栄一が書いてたんですね!
本物(1926年)が展示されていました。彼が中心になって寄付を募ったんですね。
旧会館がオープンしたときの記念式典(1926年11月6日)のニュース映像が上映されていまして、
礼服を着た栄一もちょっとだけ映っていました。映像が残ってるんだなあ…!

そして、友好人形交流事業。
横浜人形の家の記事にも少し書きましたが、
1924年の排日移民法のために日米関係が悪化した際に
アメリカの宣教師シドニー・ギューリック氏が全米から人形を集めて日本に送るプロジェクトを実行。
このとき人形の受け取りの事務を行ったのが渋沢栄一が会長を務める日本国際児童親善会で
雛祭りに間に合うよう贈られた人形は文部省を通して日本各地の小学校や幼稚園に寄贈されたことが
各県別・各船舶別人形配布割当表(1927年)からわかります。
さらにお礼としてクリスマスまでにアメリカに答礼人形を贈るプロジェクトが計画され、
日本各地の地名を名字にもつ市松人形58体が11月に日本を出発、アメリカに贈られています。
(人形交流は太平洋戦争でいったん途絶えましたが、戦後に復活しまして
現在もギューリック氏の子孫の方が続けていらっしゃるそうです)
今回は渋沢栄一の展覧会ということもあり、出身地である埼玉県内に現存する12体の青い目の人形が
すべて展示されていました。
当時、埼玉県にやってきた人形は合計178体だそうですが
現存するのは秩父や横瀬、本庄、熊谷、長瀞、東秩父、越谷、所沢、杉戸、久喜で
戦争中に行方がわからなくなっていたのが学校の倉庫から発見されるなどして保存されているとか。
お人形だけが保存されている場合が多いようですが、
旧大滝村(秩父)や杉戸町など、人形が届けられた際の歓迎式典や写真が残っている地域もあります。
田宮尋常高等小学校日誌(1927年)には人形歓迎会の記述があったり
大滝小学校青い目の人形関係資料(1927年)は式典案内状や式次第、人形を迎える歌(!)などもあったそうです。
青い目の人形を抱く少女写真(1927年)には久喜の江面小学校の女の子が人形を抱く姿が写っていました。
(彼女は写真を撮ることが決まったとき校長先生に言われてお昼休みにいったん家に戻り、
袴姿に着替えてまた学校に来たそうです。えらいこっちゃ)
また、クリスマスにアメリカに贈られた58体の答礼市松人形ですが
アメリカのチャールストン博物館をはじめ数体が現存しているそうです。
答礼人形ノ名称(1927年)には1体1体に名前がつけられたことがわかっています。
日本代表の倭日出子をはじめ新潟雪子、山梨富士子、沖縄球子などご当地が連想されるお名前が並んでました。
埼玉県代表は秩父嶺玉子といい、栄一が名付け親です。
彼女の現存先はわかっていないらしく(チャールストン博物館で名前の台座が取り違えられてしまったそうな)、
去年、人形師さんにより身長80cmの姿が復元されました。→こちら
え~~~~っかわいい~~~~~っ!!!+゚+。:.゚(*゚Д゚*).:。+゚ +゚
緑色の着物の袖には蝶が、裾には御所車と花が染められて真っ赤な帯がすごく似合ってる!
いやはや…大事業だったんだなあ…!

晩年。
NHKの大正15年度昭和元年度事業報告(1926年)には栄一がNHK顧問としてラジオ講演をしたことが書いてあり、
講演「道徳経済合一説」レコード(1923年)や373型ダブルボタンマイクなども展示されていました。
映像も残ってて肉声も残っている…近代人だ…!本当に最近の人なんだなあと改めて思いました。
最晩年の資料としてはNHKで書いたという「順理則裕 従慾惟危」(1930年)。
91歳のときの書で揮毫したときの写真も残っているものです。ずっとお仕事してたんですねえ。
1926年に86歳で自筆した論語も残っていて展示されてましたし。
大宮に住んでいた漫画家の北沢楽天による「渋沢栄一肖像」(1928年)では
色紙の中で88歳の栄一おじいちゃんがニコニコと笑っていました。

また、常設展示室には栄一旧蔵の美術品が数点、展示されていました。
和田英作「渋沢栄一肖像」(1914年)は礼服を着た栄一を描いた油絵。
第一銀行が創立五十周年を迎えた時の記念扇子(1923年)。
松平定信書「水鏡集」(江戸時代)は定信が日本各地の名水で墨をといて歌を詠んだもの。
下村観山「富士」「城外の雨」(1914年)、栄一は観山を支援するために観山会をつくっているのですが
頒布会や旅行などの活動があったそうです。
橋本雅邦「松下郭子儀梅竹鶴図」「江楼圍棋」(1900年)は飛鳥山にあった栄一の自邸で
実際に掛軸や襖絵として飾られていたそうです。(写真もありました)
また、松平定信を顕彰するために福島の白河に南湖神社(1922年鎮座)を建てようと奔走し、
橋本永邦に「桜図」を、下村観山に「楓図」を依頼していて、今回はそれも展示されていました。
(普段は神社の宝物館にあるそうですが、神社外で展示されるのは初めてだそうです)
推しのために神社を建てるファン…!(ちょっと違うか)
あと定信の没後100年だった1929年の6月に楽翁公百年展を開催し、
そのとき展示されたという楽翁公銅像などがありました。手で持てるくらいの小さい像だった。

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展示の最後にあった、青年期と壮年期の渋沢栄一さん等身大パネル。
思ったより小さかったですね…身長150cmくらいかな?

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こちらは撮影可コーナーにあったものです。渋沢栄一編纂『徳川慶喜公伝』(1918年)
慶喜の存命中は刊行しないという約束をしていて、没後に刊行されたもの。

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渋沢栄一編纂『楽翁公伝』(1931年)
楽翁公遺徳顕彰会の事業の一環で編纂したもの。松平定信の伝記ですね。

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渋沢青淵(栄一)筆『大学』および『前赤壁賦』(1929年)。
湯島聖堂を維持管理する斯文会が栄一の米寿を祝して詩を贈ったところ、
その返礼として栄一から会に贈られたもの。

あと、写真を撮ったつもりで帰宅したらちゃんと撮れてなかったんですが
渋沢栄一伝記資料(全68巻)もこちらのコーナーにありました。
栄一の孫の渋沢敬三が中心になって編纂されたものです。
敬三さんについては過去記事にもちょこちょこ書いていますけど
正直わたしは栄一おじいちゃんより彼の方が好きだったりします(笑)。
必ずしもおじいちゃん子じゃなかったところとかアチック作ってた頃の準備室の話とかおもしろいのですよ~。
わたしが好きな敬三さんの言葉はこれ↓
「如何なる微細な事でも、又一見つまらぬ様な事でも、ありのまゝに出来得る限り集めて置かねばならぬ。
そして後に伝記を書く人に自由に使用させねばならぬと斯様考へて居ります」
(『渋沢栄一伝記資料』第57巻p.708)
アーカイブとオープンアクセスですよ皆さん!!(゚Д゚)クワッ(落ち着け)←職業病


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あと、これも。
年明けに開催予定だった「銘仙」展の図録です。
緊急事態宣言のため博物館が休館となりましたので、開催されずに終了しました。
本当に本当に見たかった展覧会だったので、せめて図録だけでもと思ってゲット。
また何らかの形で開催されますように…。
2021_05
01
(Sat)23:50

お取り寄せな日々の過ごしかたその9。

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くらづくりの春の輝きと水面の桜。
見たとたんに着物の柄みたいだなと思いました!華やかな赤と静謐な青。

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花扇の花籠と月夜桜。
お菓子を買うといつも何かおまけをつけてくださる店長さんが
この日は甘納豆をおまけしてくださったうえに「おたくの顔見るとホッとするのよ」って
お店の前の自販機で午後茶を買ってくださいました!!
いやっもうほんと…たかだか数百円払っただけでこんなにしていただいていいんだろうか…!
一生通います。

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菓匠花見の水ぬるむと桜花。
水温むはたぶん、氷が溶けたところに花びらが落ちてる表現なんだろうけど
氷って塊が溶けるときこんな形になったりするよね…職人さんの観察力と再現力すごい。

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JR東海が各地の特産品を販売しているいいもの探訪のサイトで紹介されていた
ミサキドーナツの期間限定商品「新幹線ドーナツ」☆
クール便で新幹線(N700S)がプリントされた箱で届きましたー!

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オープン。
ドーナツは10個入りでチョコレートやイチゴ、レモン、アールグレイなどの味があったのですが。

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この3個は東海道新幹線がモチーフです!!
0系(バタフライピー)、N700系の青(バタフライピーとミルクチョコ)、ドクターイエロー(オレンジとクリームチーズ)。
0系さんの鼻はクッキーでできていてサクサクしてました。

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みんなでパチリ。
新幹線がドーナツのデザインになる日が来ましたよー!楽しいね。

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出発進行!(笑)
お人形さんたちが全員入ってもスペースが余るので他に何を入れようかな。

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Newdaysさんがお~いお茶にOJICOのペットボトルカバーをつける時期になりました(何だそれは)。
デザインはE4、E5、E7、ALFA-Xの4種類です。

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E5のこのデザインが気に入ったのでゲット。
パズルのピースが散らばっていくの素敵だなあ☆

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ファミマが販売しているパイの実みたいなデニッシュがすごく気に入って買いまくっています☆
本物のパイの実の17倍の大きさだそうですが生地はサクサクではなくしっとりしたデニッシュ。
デニッシュやクロワッサンみたいな生地のパンて時々猛烈に食べたくなるんですよね~。

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六道珍皇寺さんが御朱印の郵送を続けてくださっています。
こちらは冬の拝観に行けなかったので送っていただきました。
春の拝観は感染症のため中止だそうです…そろそろ御朱印の郵送受付が始まるので申し込まねば~。


追記にシンカリオンZの3・4話感想です。↓

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