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ゆさな日々

猫・本・歴史・アートなど、好きなものやその日考えたことをそこはかとなく書きつくります。つれづれに絵や写真もあり。


初秋の広島と京都旅その1。

  1. 2016/09/11(日) 23:56:08_
  2. 旅行
  3. _ tb:0
  4. _ comment:2
広島と京都に行ってきました!
今回から3回に分けてレポしていきます(ง ˆᴗˆ)ว ⁾⁾

出発はいつものように夜行バスでした。
(バスタ新宿に初めて足を踏み入れました…迷わず辿り着けてよかったです)
広島駅に着く時間がゆっくりだったので、朝ごはんはバスの中でおにぎり食べて
到着して荷物をコインロッカーに預けようとコロコロ引きずって歩いていたら、
hiroshima1.jpg
カラフルなマンホール発見!
平和記念公園にたくさん納められている折り鶴ですね。

ロッカーに荷物を預けた後は、市内を走る路面電車に乗って原爆ドーム駅へ。
hiroshima2.jpg
名前の一部に原爆と入っている駅があることの重さ。
そういえば広電は原爆投下からわずか3日後には、短区間ではあるけど
女学生たちが再び走らせ始めたと前に聞いたことがあります。
(わたしはタイミングがなくて乗れなかったけど被爆電車も3台ほどが現役で走っている)

hiroshima3.jpg
駅からすぐの元安川にかかっている相生橋から。この角度はテレビなどでよく見ますね。
左が原爆ドームで、川を挟んだ反対側が平和記念公園です。

hiroshima4.jpg
歩いて爆心地へ。
当時、原爆は相生橋を目印に投下されたと言われわずかにそれてこの場所の上空で炸裂しています。
空を見上げたら雲の多い青空だった。(台風が過ぎた頃だったのだ)

hiroshima5.jpg
そんなわけで原爆ドーム、もとい広島県物産陳列館を元安川を挟んで公園からのぞむ。
教科書やテレビや旅行雑誌で何度も見てきて、戦後71年目にしてやっと自分の目で見に来ました。
思ったより骨格がしっかり残ってるなあというのが第一印象で、
この後行った資料館で「爆風が上方からほとんど垂直に抜けたため」倒壊しなかったと知りました。
保存も適切にされているんだろうな…。
建物の下まで近づいてみたら当時の(かな?)レンガがそのままごろごろ転がっていた。

わたしは遅い夏休みだったのですが、平日にも関わらずたくさんの人が訪れていまして。
黄色い帽子の小学生たちとか(現地の子たちでしょうか)、修学旅行や社会見学みたいな学生たちとか
団体ツアーの旗も見かけたし色んな国の言葉も端々に聞こえてた。
みなさん騒がず走らず静かでした。

以下、写真が多いのでたたんであります↓クリックで開きますのでどうぞ。
 
 
 
hiroshima6.jpg
原爆ドームのそばにある動員学徒慰霊塔。
戦争で犠牲になった学生たちの学校名が石碑の後ろに刻まれています。
この慰霊塔を含め、公園の敷地内にはたくさんの慰霊塔や慰霊碑が建てられていました。

hiroshima7.jpg
平和の鐘。
ドーム型の屋根は宇宙をあらわし、表面に国境のない世界地図が浮き彫りされています。
通りかかった人はほぼ撞いていってたのでわたしも撞きました。ごーん。

hiroshima8.jpg
平和の鐘の周りはぐるりと池になっていて、蓮の花が咲いていました。

hiroshima9.jpg
原爆供養塔。
戦後に遺骨堂を改築して作られ、身元がわからなく引き取り手のない遺骨も納められていて
氏名がわかっている遺骨については広島市が名前を公開して今も遺族を探しているそうです。

hiroshima10.jpg
韓国人原爆犠牲者慰霊碑。
当時、広島には多くの朝鮮人を含むアジア人やアメリカ人捕虜などがいて彼らも被爆しています。

hiroshima11.jpg
被爆した墓石。
当時ここにあった慈仙寺というお寺の墓石で、広島藩浅野家御年寄のものだそう。
お寺は移転しましたが墓石は被爆の記憶としてこの場に残されています。

hiroshima12.jpg
平和の観音像。
かつてこの辺りは中島本町という町で繁華街や商店街などが並ぶ賑やかな地域だったようです。
被爆後は公園の一部になったため生き残った人も転居したということで
亡くなった人々と消えた町への慰霊ということで建てられたみたいです。
中島本町の他にもいくつか移転した町があるそうだ。

hiroshima13.jpg
公園のベンチの背もたれの言葉「守りたい心の平和と世界の平和」。

hiroshima14.jpg
原爆の子の像。原爆で亡くなったすべての子どもたちを慰霊しています。
建立のきっかけになった佐々木禎子さんについては過去に絵本で読んだことあるな…。
(平和記念資料館には禎子さんの生涯と彼女が折り続けた折り鶴も展示されているよ)
内部には銅鐸の形をした鐘に金色の折り鶴がぶら下がり、風が吹くときれいな音が聞こえます。
後ろにあるのは各地から奉納される千羽鶴のブース。

あと写真撮り忘れちゃったけど、像の反対側にレストハウスがあるのですけど
あれも現存する被爆建物のひとつで、元は大正屋呉服店というデパートだったそうです。
戦時中は燃料会館として使われていたそうですが
原爆投下当時、地下の書庫に書類を取りに下りた職員が轟音と揺れを感じて地上へ出ると
変わり果てた景色が広がっていたという話はどこで読んだんだっけな。。
その地下室を見学できると知ったのは帰宅後でした…次回は入ってみたい。

hiroshima15.jpg
折り鶴と少女像は彫刻家の菊池一雄氏の製作だそう。

hiroshima16.jpg
平和の灯。
わたしが見学していたときちょうど、小学生の集団を案内してきたガイドさんが
「世界から核兵器がなくなったら火を消します」と力強く説明していらっしゃった。

hiroshima17.jpg
原爆死没者慰霊碑。毎年、平和記念式典が開かれる場所ですね。
原爆が投下されたとき水を求めた被爆者たちの慰霊のため、池に囲まれています。
中央の石室には亡くなった人々の名前を記した名簿(国内外問わず)が納められていて
現在は100冊を超えているそうで、うち1冊は「氏名不詳者多数」と記されているとか。
わたしが来たときちょうど、どこかの小学校の集団がずらりと並んでガイドさんの説明を聞いており
代表の子が花束をお供えしていました。

hiroshima18.jpg
内部からは平和の灯と原爆ドームがよく見えます。

hiroshima19.jpg
被爆したハマユウ。
爆心地から2kmほどの場所で被爆し、のちにここへ移されたそうです。
葉っぱの中を覗きこんだら折り鶴が1羽ちょこんと置いてあった。どなたかのお供えかな。

hiroshima20.jpg
被爆したアオギリ。
爆心地から1.3km離れた場所で被爆、ここへ移された現在も成長を続けているそうです。

hiroshima21.jpg
峠三吉の詩碑。
余談ですが、過去にこの詩を主題歌にした戦争映画を見たときに
3日くらいその歌が頭の中を回り続けていたことがあります。ちょっと強烈なメロディ。

hiroshima22.jpg
平和記念資料館に来ました。
写真は館内にある地球平和監視時計とローマ法王平和アピール碑。
時計は時刻の後ろに8時15分をさす針のシルエットがあり、
広島への原爆投下からの日数と
最後の核実験からの日数(世界のどこかで実験が行われるとリセットされる)のデジタル表示も。
碑はヨハネ・パウロ二世が来日した際のアピールの一部を刻んだもの。

平和記念資料館の展示は本館・東館とありますが
東館がリニューアル工事中で見学できなかったので、今回は本館だけ。
それでもとても深い内容と情報量でほんとに入館料200円で見ていいの…?とドキドキ。
学校の授業などで個人的に強く印象に残っていた、8時15分をさしたまま止まった時計と
銀行の入口の石に焼き付いた人の影と、昔に本で読んだ真っ黒なお弁当が全部展示してあって
改めて息をのんだし、
爆心地に近ければ近いほどボロボロになってる衣服とか
黒い雨の跡がついたガラスとか、首だけ残ってる仏像とか、溶けてくっついた茶椀の塊とか
あぶくが出た屋根瓦とか紙くずみたいにくしゃくしゃになったトタン板とか
ひとつひとつが凄まじさを物語るものばかり。
普段見慣れたものが見慣れない姿に変形したのを見ると脳内の処理が追いつかなくなりますね…。
写真も色々あって、投下の3時間後に撮影された病院に並ぶ人たちの様子とか
被爆で大火傷を負った人の背中とか、投下後に現地入りして救護活動を行う医師たちとか
消息を求めて広島に来た人たちとか、消息が書かれた貼り紙なども。
この辺りは最近の震災を思い出す人もいるんじゃないかと思います、要注意。

館内はフラッシュを焚かなければ写真撮影しても大丈夫ですが、とてもカメラを向けられなくて
唯一撮る気になったのがこれ。
hiroshima23.jpg
展示室の最後にあったパネルです。
「75年は草木も生えない」と言われた広島ですが、秋に生えたカンナの花(爆心地から820m)。
この花は今どうしているんだろう。

hiroshima24.jpg
5月に広島を訪れたバラク・オバマ氏による折り鶴とメッセージ。来年1月まで展示されるそうです。
メッセージに添えられた鶴は2羽いて、1羽は長崎の原爆資料館へ貸出中でした。

hiroshima25.jpg
資料館の前に建っている嵐の中の母子像。
第5回原水禁の際に広島へ贈られた石膏像をモデルに、ブロンズ像が建立されたそうです。

hiroshima26.jpg
平和の像「若葉」。
台座の正面には湯川秀樹氏による平和を祈る短歌が刻まれています。

hiroshima27.jpg
原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑。
ここにも千羽鶴がたくさん。

hiroshima28.jpg
平和の門。世界各国の言葉で「平和」の文字が無数に刻まれています。

はあぁ戦争と平和の学習しました…濃密な時間だった…ほんと戦争なんてするもんじゃないな…。
長崎の原爆資料館は過去に修学旅行で訪れましたけど(やっぱり強く覚えてるのは11時2分の時計)、
広島に来るまでずいぶんかかってしまった。
ただきっと、学生時代よりは色々なものに目が向いて見過ごすまいとしているので
そういう意味ではこの年齢になって来たのも何かのタイミングだったかなと思う。
この先また長崎に行くことがあったら平和公園と資料館に寄りたいです…
たぶん当時は見過ごしていたものがたくさん見えてきそうな気がする。

この後は路面電車に乗って移動~。
hiroshima29.jpg
広島市現代美術館に来ました。

電車の駅からここまでは急な坂道を5分ほど登らなくてはならなくて
暑いし台風の余波で湿気すごいしクタクタになっていたら、近くからニャーと聞こえてきたので振り向くと。
hiroshima30.jpg
ねこ様ーー!!ふわーーー!!!*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
びびびっくりした~~かわいいっきれい声めっちゃ高い!
人間は見慣れているのかもしれないけど、近づくとじわじわ離れられてしまったので
遠くから観察させていただきました…すげぇ毛ツヤよかったからどこかの飼い猫さんかしら。
マジで癒されました。ありがとうございました。

hiroshima31.jpg
美術館のカフェでランチ!野菜カレーをいただきました。

hiroshima32.jpg
来館の目的はこちら。
「1945年±5年 戦争と復興:激動の時代に美術家は何を描いたのか」を鑑賞しました。
1940年~1950年までの日本の美術界の表現をたどる展覧会です。
兵庫から広島に巡回していますが、関東に来てくれるかどうかわからなかったし気になるテーマでもあったし
何より戦争画ってなかなか見る機会がないので来てみたのでした。

美術というのは世の中に影響されるもの、というのは歴史を見ればよくわかりますけども
(わかりやすいのは戦国時代の合戦屏風や幕末の血みどろ浮世絵などでしょうか)、
近代の日本美術は日本画のほかに油絵やパステルなどの西洋美術文化が入ってきて
割と華やかな部分もありますので、
戦前の肖像画や風景画は色数は少なくても静謐な雰囲気をたたえている作品が多いように思います。
中西利雄「帽子をかぶる女」や「黄衣人物」は明るい服の女性の絵だし、
松本竣介「街」とか前田藤四郎「琉球風景」は全体的に青みがかった不思議な印象の風景。
池田永治「国土豊」は霞ケ浦の浜辺がキラキラしてるし、
前田藤四郎「南の国」は沖縄の赤い屋根があざやかです。
小磯良平「斉唱」は黒服で歌う少女たちですが歌声が聞こえてきそうなリアリティがあったね。

戦争が激しくなった1940年代は目に見えて兵士の絵が増えカーキ色も強くなってきます。
山下菊二のスケッチには野戦したり炊事したりする兵士たちの様子が記録されているし
花岡萬舟「弾雨の川を渡る」や「戦友愛」とか、中村研一「シンガポールへの道」は
助けあったり這いつくばって移動する兵士たちの姿が描かれているし
従軍経験のある橘作次郎「杭州湾敵前上陸」は小舟で上陸する際のピリピリした空気まで伝わってくる。
藤田嗣治「シンガポール最後の日(ブキ・テマ高地)」は1942年2月のシンガポール陥落の様子で
奥行きのある大きな画面に兵隊と戦場と噴煙が入り乱れたドラマチックな作品。
藤田の戦争画はものすごく几帳面な描写によって興奮と哀悼に満ち満ちた雰囲気が可能になっていて
見るたびにあれ、この人こんなに複雑なんだなって思う。
作戦記録や文化・宣伝工作のために満州や南方へ派遣された画家たちのスケッチは
現地の風景や人々をさらさらっと描いたものが多くて、
戦闘の絵も少しあったけど悲劇的ではないというか、思想性はそこまで感じなかった。
目の前の光景を淡々と写し取って描く感じですかね…写真撮ってるみたいな絵だった。

逆に思想を感じるのは日本国内向けに制作された作品で
国策だったり画家の想いから神話や楠正成などが取り上げられ次々に絵画化されたようです。
和田三造「興亜曼荼羅」は人々の頂点に倭姫命が立っている構図で
ドラクロワの民衆を導く自由の女神みたいな感じだったよ。。
中山正實「海ゆかば」(下絵)は神武天皇と人々の絵で完成度もすごく高いですが
戦後に破棄されてしまったらしい。
桂ユキ「賀集」のなかの一作品は和小物などのモチーフのコラージュ、
徴兵されて戦死した靉光の「蝶」と「花・変様」はいかにも靉光らしい画面構成と色彩で
モチーフの組み合わせもさりながら本人たちの中にかなり強い思想がないとこうは描けないように思う。
あと靉光は本当に植物に目をよく描きますねえ…。

戦地から内地への郵便手段として軍事郵便というのがあったそうで(軍事機密は書けない)、
戦地から送る場合のみ送料は無料だったそうな。
香月泰男が満州から送り続けた葉書きには家族への思いや、画材の不足から思うように絵が描けないなど
画家としてのプライドみたいなものも垣間見えました。
絵の具が手に入った報告の葉書きからは「これで仕事ができる」「これで絵が描ける」など
様々な思いが伝わってくるような気がした。

太平洋戦争が始まった頃に増えてくるのが少年兵や銃後の女性たちの絵。
仲田菊代「航空兵」や刑部人「少年通信兵」、吉田博「溶鉱炉」、東山魁夷「戦時下の乙女」など
戦時下で働いていた人たちの姿が描かれた絵が並びます。
女流美術家奉公隊(25人のメンバー)による「大東亜戦皇国婦女皆働之図」には
出稼ぎや勤労奉仕や農業や海女など様々な職業の女性たちが描かれていて
「服装と風俗は1943~1944年の確実なる描写」だそうですから取材もされてるわけで
絵画であると同時に当時を知るための資料という面もありますな…。
向井久万「銃後を守る国防婦人会」は和歌山の寺岡さんという女性がモデルで
モンペ姿にたすき掛けだけど顔は正面ではなくわずかに目をそらしていて
これ画家もモデルさんも後で怒られたりしなかったろうか…と少し心配になった。
新海覚雄「貯蓄報国」は何のことかと思ったら個人の貯金を国が借りる制度が当時はあったそうで
その事務作業に追われる銀行員たちの絵でした。ひええ。
小早川秋聲「國之楯」は天覧のために陸軍から依頼された絵で、
寄せ書きの日の丸をかぶって横たわる兵士を画家の息子にモデルになってもらい描いたそうですが
戦死者を描くことは当時タブーとされていたため実現しなかったそうです。
須田国太郎「黄豹」は京都市動物園にいたヒョウを描いた絵で、当時は雄と雌がいたそうですが
空襲で逃げ出してしまうといけないので雄は絞殺され、雌は香川の栗林公園に放たれたとか。
戦争中の上野動物園の話なども有名ですが、影響を受けるのは人間だけではないのだ。

1945年。
水木しげる「トーマ」は御大が南方で捕虜になっていた頃の風景をスケッチしたもので
南の島の様子や人々の暮らしが無骨なタッチで描かれていました。
石井柏亭「山河在」は杜甫の詩からタイトルをつけていて
長野の松本の風景が青空と青い山をバックに描かれた美しい絵です。
山下菊二の敗戦風景シリーズは写真のようなリアリズムがあるし
松本竣介「Y市の橋」は空襲を受けた横浜の廃墟の絵だった。
9月に広島へ入り爆心地周辺をスケッチした高増径草のパステル画は
墨一色の絵でかえってすさまじさを感じました。
(米軍が撮影した広島の風景写真の中にスケッチをする高増の姿が時々写りこんでいるそうです)
朝井清「広島の夕焼け」は8月7日に広島入りしたときに
原爆ドームにかかる夕焼けを見てオレンジ色の画面にしたそう。
広島で救護活動を行った眞島建三の「遍歴」は呉から見えたきのこ雲の絵。

戦争が終わったばかりの頃の絵画はまだ何となく圧力を感じますけど
だんだん解放されていく様子がわかる絵もある。
鶴岡政男「重い手」は作者曰く「外界の圧力に耐えている人間像をモニュメンタルに表現」していて
巨大な手に握られた人間が今にもつぶされそうでもあるし、あるいは力を振り絞って逃げ出しそうでもあって
気分や体調次第で見方が変わりそうな絵だなあと思った。
大森啓助「ダンス(群像)」はダンスホールの復活だし、
赤松俊子(丸木俊)「裸婦(解放されゆく人間性)」は日本国憲法施行の2週間後に描かれた絵で
女性参政権の影響もあると思うし、
「メーデー」のスケッチはズボンやスカートをはいた人々の活動の様子で
スカート履けるようになったんだなあという感慨も。
さっきまでモンペ姿の女性たちばかり見てましたのでね。
高山良策「1948年」には「重力で文化は破壊され」という書きこみがあって気になりました、
後に続く助詞があるとしたら「る」なのか「ない」なのか…。
(高山氏は成田亨氏とともにウルトラQやウルトラマンシリーズで怪獣を制作した人ですな)

前衛の復活コーナーに来たら自分でも思ってもみなかったことが起きまして。
わたし正直言いますと前衛美術は見方がよくわかっていないのですけど
岡本太郎「憂愁」や桂ユキ「春」などを見ていると、やっぱりわからないのですけど
(さっきまで戦争を描いた、言い方あれですけどわかりやすい絵の後に吉原治良の「群像」とか見ちゃうと
すごさよりも「うわぁわかんねー」という感想が出てきてしまう)、
いわゆるわけのわからない絵がこれまで全然出て来なかったのは
やっぱり描けなかったり描くのをためらっていたり未発表だったりしたからなわけで、
戦争が終わって美術家たちの間に遠慮がまったくなくなった解放感みたいなものを感じて
ボロボロ泣けてきてしまったのでした。
描きたいものを描いても検閲されない!前衛にはそういう背景もあったんですな。
(でもやっぱりどう鑑賞したらいいかは今もよくわかってない^^;…単にきれいとかおもしろいとしか)

戦争が終わって数年経つと、だんだん当時を振り返る作品が制作されるようになって
それらのほとんどはリアリズムというよりは悲惨さを訴える内容が多いようで
現場をそのまま切り取った写真のような絵は息をひそめていきます。
丸木夫妻の「原爆の図」(再制作版)はともかくとしても、
被爆者である福井芳郎「ヒロシマ原爆」は赤茶けた画面の広島だし
浜田知明「聖馬」は馬がキリストみたいに磔になってるし
古沢岩美「憑曲」は空から科学が降ってくるみたいな絵で、戦争が完全にイメージ化されてる。
山本敬輔「ヒロシマ」は一瞬、ゲルニカかと思ったくらいピカソと作風が似てるんだけど
よく見たらゲルニカよりごちゃっとしてるし右端にきのこ雲らしいものが描いてあったりした。
戦前戦後の断絶の始まり。

戦争がテーマの展覧会ですが「その年に描かれたもの」が展示されていますので
芸術と政治体制の関係も人々の精神史もたどれるようになっていると思います。
絶望のなかの希望とか、突っ走る情熱とか、嫌でも受けた影響とか、こう描かざるを得ないとか
何がなんでもこう描きたいとか、言われた通り描くふりをして実は全然違う意味を込めてみたとか
多くの表現者のあらゆる行動や気持ちがビビットにダイレクトに感じられて色んなこと考えました。
もちろん展示されているのは当時のほんの一部にすぎないけれども、
戦争のときに芸術がどういう立場におかれるかの事例やヒントがいっぱいあるし
画家の人生についての解説が少ないので作品そのものと向き合えるのもよかったです。
学芸員の渾身を見た気がする。
会期まだありますので行ける方はぜひどうぞ~。

hiroshima33.jpg
美術館に行く坂の途中にあった山陽文徳殿。頼山陽没後100年の1934年に建てられたものです。
被爆建物ですが(爆心地から1.8km)爆風を耐え抜いて今も残されているとか。
建物の前に生えているソメイヨシノも被爆樹木。

hiroshima34.jpg
山陽文徳殿の隣にある多聞院。
江戸時代初期の建物は原爆で破壊されましたが、その後建てなおされています。
頼山陽の父春水が広島の出身であることから、頼一族のお墓も墓地の一角にあります。

hiroshima35.jpg
境内にある鐘楼も被爆していますが奇跡的に倒壊を免れたとか。

現代美術館周辺は高台になっているので広島市内の景色がよく見えますが
そういえばここは爆心地から2kmもないのだなあと思うと背筋が冷えたし
同じ距離にあっても残った建物と吹き飛ばされた建物があるのはタイミングなのか運なのか…。
この日はずっと、広島駅や記念公園や路面電車の中や美術館などどこにいても
「今爆心地からどのくらいの距離に自分はいるのか」を考えていた気がする。
たぶんわたしが通りすがりだからかもしれませんが。

hiroshima36.jpg
そんなわけで路面電車に乗って広島駅へ戻りま~す。

hiroshima37.jpg
広島駅からJRで宮島口駅に到着、フェリーに乗るため海の乗り場へ。
ヒャッホー宮島だ、宮島へ行くぞ!(海なし県民のため無駄にテンション高いです)

hiroshima38.jpg
フェリーに乗ったよ!お船に乗るの久し振り!うおおお宮島へ行くぞ!!(落ち着け)
(そして船内のテレビで水戸黄門が放送中だったので宮島観光中はたびたびテーマ曲に脳内を支配された)

hiroshima39.jpg
着 い た ー !!
来ましたよ日本三景、宮島☆
松島と天橋立は訪問済みですから今回でやっと制覇できたことになります。やっほー!
思えば長い道のりでありました…。(突然の小説調)

hiroshima40.jpg
ホテルにチェックインして荷物を預けて、レッツ夕暮れの宮島観光☆
海風さわやか波の音ゆったり、浜辺を歩くだけでワクワクします。
遠方に弥山と五重塔と大鳥居が全部見える。

hiroshima41.jpg
厳島神社の大鳥居まで来た~~\(^o^)/
と思ったら足が1本工事中だった!なんというタイミング!しかしシルエットも海も美しいから許す。

hiroshima42.jpg
振り向くと厳島神社の社殿が。
もうすぐ干潮という時間帯だったので潮がだいぶ引いていました。
ビーチサンダルで下へおりて膝下まで浸かりながら水の中を歩いている人もいましたね。

hiroshima43.jpg
神社の入口に行ってみたらちょうど閉門する間際で誰もいなかったので
せっかくなので入ってみることにしました。
詳細なレポは満潮時の次回記事にするとして、今回は神社の雰囲気をどうぞ。

hiroshima44.jpg
ひいぃ回廊に誰もいない!貸切状態!最高。

hiroshima45.jpg
あ、これだけレポさせてください。干潮のときだけ見られる鏡の池です!
手鏡のような形をしていることからそう呼ばれるそうで、
満潮時には海水に満たされてしまうため見られません。
ちなみに水は海水ではなく、宮島の弥山に降った雨の地下水が湧きだしているので真水だよ。
(鏡の池は3つあって客神社の隣、卒塔婆石の隣、天神社の奥にあります)

hiroshima46.jpg
厳島神社は一方通行で、反対側の岸に出口があります。
写真は出口から見えた大鳥居。

hiroshima47.jpg
夕焼けきれいだし、船も通るし、鳥居かっこいいし、素敵すぎる景色。
チェックインのとき「神社の入口からだけじゃなく出口から見る鳥居もおすすめですよ」と教えてくださった
ホテルの受付のお姉さんに心からお礼を言いたい。
これで工事の足場さえなければ…!いやはや。

hiroshima48.jpg
宮島は夕方にはほとんどのお店が閉まってしまうと聞いて
夜まで開いているお店をネットで調べたら出てきた「まめたぬき」さんで夕ごはん。
広島牛のお茶漬けと宮島プリン(ブルーベリーソースかけ)をいただいた!
プリンが想像以上に濃厚でおいしかったのでまた食べに来たいです。

hiroshima49.jpg
ごはんの後は再び大鳥居へ。ライトアップされると聞きましたのでね。

hiroshima50.jpg
闇に浮かび上がる鳥居むっちゃかっこいいすな…!

hiroshima51.jpg
この日の夜は小潮だったので鳥居の下までは歩けませんでしたが
厳島神社の下へは問題なく行けました。
闇に浮かび上がる本殿はとても厳かな雰囲気。

hiroshima52.jpg
は~かっこいいよう。

この後はホテルに戻って休みました~。
広島市内では色んなことぐるぐる考えて脳みそがヘロヘロでしたけど
厳島神社を見たら少し回復できた気がする、わたしはやっぱりこういう場所が好きなんだな。

次回記事では宮島観光+αをお届けします☆
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テーマ : 国内旅行    ジャンル : 旅行

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comment

  1. 2016/10/06(木) 21:35:43 |
  2. URL |
  3. アキバ
  4. [ 編集 ]
宮島行きたぁぁあい!!
厳島神社、超キレイーー‼️
あの、赤色が素敵すぎる✨✨✨
実際に見たら、もっと、感動するんだろぅなぁ❤️❤️❤️

Re: タイトルなし

  1. 2016/10/09(日) 22:17:33 |
  2. URL |
  3. ゆさ
  4. [ 編集 ]
> アキバ様

宮島行ってくださ~~い(≧▽≦)
厳島神社も他のお寺もすっごくきれいですし、食べ物おいしいですから!
社殿の赤も綺麗でしたっ☆
 
 管理者にだけ表示を許可する
 

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