初秋の広島と京都旅その3。
旅行3日目です。前回記事の続きで今回は京都市内をめぐります。

ホテルで朝ごはんをしっかりいただいてエネルギー充填。
では元気にしゅっぱ~つ。

電車で伏見の石峰寺へ。絵師の伊藤若冲が晩年を過ごしたお寺です。
命日の9月10日には毎年、法要と水墨画展覧会が行われているとのことでやって来ました。
石峰寺は萬福寺の千呆和尚によって1713年に開基、若冲が生まれたのはその3年後で
彼が伏見に引っ越してきたのは73歳のとき大火により家が全焼したのがきっかけといわれています。
(7代目住職だった蜜山和尚と知り合いだったらしい)
そのままお寺の門前に住み絵を描いて奉納したり五百羅漢を作るなどして晩年を過ごし、
85歳で亡くなり石峰寺に土葬されたとのこと。
遺髪だけは相国寺(動植綵絵を奉納したお寺)と宝蔵寺(伊藤家の菩提寺)にも
届けられたといわれています。

入口の竜宮門にあった注意書きを読んでから境内へ。
理由は、当時かなり話題になりましたので気になる方はぐぐってみてね。

植物が鬱蒼と茂っていまして、正面が本堂です。
朝9時でしたが境内はすでに人が多くざわざわしていました。
以下、写真が多いのでたたんであります↓クリックで開きますのでどうぞ☆

本堂左側にある社務所にて拝観と御朱印の受付・物販・水墨画展覧会が行われていました。
展覧会は和室の壁にずらりと掛軸が並べられているのですがなんと、展示ケースがない!
若冲の直筆をガラスなしに、至近距離で見ていいなんて、
しかも今年は若冲生誕300年ということで初公開の作品もあったり
いつもより展示数が少し多めらしくて、石峰寺さん太っ腹!
ニワトリや鶴などの動物から松尾芭蕉や人物図鉢叩きなどの人間まで
ゆったりユーモラスな掛軸を14点、ヒマワリなどの花の版画を6点鑑賞できました。
(版画はあれきっと、去年に公開された信行寺花卉図の花たちだと思う)
4月の若冲展にいた虎図は床の間にでーんと飾ってあった。
展示会は毎年春と秋に開催、展示品は毎年少しずつ変わるそうです。

屋根瓦にいた人。人というか仙人かな?どなただろう。
石峰寺は社務所も本堂も屋根瓦にひとつとして同じものがなくて楽しいです。

社務所内にて見かけたお野菜。並び方に見覚えが^^(詳しくは後述)

御朱印。赤いスタンプで五百羅漢が押してあります^^
真ん中の「高着眼」は黄檗三筆の即非によることばで(石峰寺は黄檗宗のお寺)、
常に高い着眼点を持ちなさいという禅の教え。

本堂の右手から階段を登ると、若冲のお墓があります。
石に刻まれた「斗米庵若冲居士」は絵の依頼料が米一斗(約15kg)だった若冲が名乗ったもので
隣に立つのは幕末の貫名海屋という人が若冲をたたえる碑文をしるした筆塚。

さらに登ると石仏のある裏山への竜宮門。
ここから先はスケッチも写真撮影もできません。
五百羅漢は若冲が下絵を描いて石工が彫ったもので、
当時は1000体以上の石仏があったそうですが現存するのは約500体、
おおむねみんな西を向いて建てられているそうです。
中には若冲本人が彫ったのものもあるらしいですが、どれかは記録がなく不明とのこと。
五百羅漢はそれぞれの立ち位置で釈迦の一生をあらわしているそうです。
入口近くにまず釈迦の生誕ゾーンがあり、小さな釈迦が例の天上天下唯我独尊ポーズで立っていて
周囲を言祝ぐ仏たちが取り囲んでいました。
次に出山の釈迦。十八羅漢たちが釈迦を取り囲んでいます。
説法場では、釈迦は脇侍に文殊と普賢を従え、羅漢たちが周囲で説法を聞いています。
3人あるいは6人連れ添っての托鉢修行ゾーンを経て、やがて涅槃の場所に。
頭を北、顔を西に向けて横向きに寝ている釈迦の周りに死を悼む羅漢たちが並んでいました。
最後に賽の河原。地蔵菩薩の周囲には無数の子ども石仏がたくさん。
お寺か、参拝した人の手によるものかわかりませんが、小石を積んだ山が点在していたので
わたしもいくつか積ませてもらいました。
賽の河原ゾーンから離れて一体だけ、ぽつんと立っている石仏がいました。
若冲本人を模したのではといわれるそうです。

本堂に戻ると、入口にはたくさんの人がつめかけていて
内部はすっかり法要の準備が整っていました。
若冲のお墓にお供えする京野菜の籠と、新しく立てる卒塔婆もずらりと並んでいた。

ゴーン…という鐘の音とともに法要開始。
顕彰会の人は本堂内、一般参列者は外から参加します。
お経が唱えられる中で賽銭箱の手前にお焼香が用意されますので、順番に上げます。

その後、お墓に移動しますとすでに別の野菜籠がお供えされていました!

野菜の並べ方は若冲作「果蔬涅槃図」(釈迦の涅槃図を野菜に置き換えた絵)を模していて
釈迦に見立てた大根が真ん中に寝ていました。
若冲が青物問屋(八百屋)の息子だったことも野菜をお供えする理由のひとつかも。

こちらでもお経が唱えられます。

お墓の前に焼香台を用意していただけますので、こちらでもお焼香を上げました。
これで法要は終わりです。お疲れさまでしたー。

若冲のお墓から見えた景色。青空の下の法要で風も気持ちよかった。
生誕300年の節目の年に参加できたのも何かの縁でしょうか、ありがとうございました。

電車で四条に戻って、宝蔵寺へ。
伊藤若冲生誕300年記念「ドクロスタンプ」が9月~11月はマリーゴールド・トパーズの2色とのことで
先月に引き続きいただいてきました。
若冲忌の日付が入った御朱印が3枚になっちゃった^^

京都BAL地下にある丸善京都内のカフェにて、若冲をしのんで(笑)野菜カレー。
広島でも野菜カレー食べたし何だか野菜に縁がある今回の旅行。

レモンケーキも久しぶりにいただきました☆
相変わらずレモンづくしで、中のレモンムースとレモンゼリーが絶品。

お腹もいっぱいになりましたので京都御苑に来たよ~。
京都御所の内部が一般公開されるのは、これまでは春と秋のみでしたが
先月から通年公開されることになったそうでちょっと見学したくなって来てみたのでした。

百日紅が咲いていた。

ここが本当に相変わらず広い!
4年前に時代祭で訪れたきりですからこの景色も久し振りでした。

えっ本当に清所門が開いてる…!
というわけで、何年振りだろう、全然覚えてないんですが御所に入ってみますー!
(家の中探したら前に見学したときのパンフとかとってあると思うけどどこに仕舞ったか覚えてません)

入口で手荷物検査を済ませると、パンフレットと入門証を受け取ります。
入門証は首から下げて行動しますよ。

御車寄。
昇殿を許された者だけが正式に参内するさいに通ります。つまりここが玄関。
牛車で来る身分の人ということは五位以上じゃないと通れないのかな。

観光客は正式参内ではないので隣の門から入るよー!そわそわ。

入ってすぐ左手にあるのが諸大夫の間。
正式に参内した人たちは御車寄からこちらに通されて待機します。
部屋は3つあり襖絵に虎や桜などが描いてあって、身分により通される部屋も違うそうです。

広いところに出ました。
左は新御車寄で、大正天皇の即位礼に際し建てられた玄関。

月華門から建礼門をたどって、承明門から見える紫宸殿。
こんな風に門越しに大きな建物を見るの大好き、
くぐって建物に何も遮るものがなくなったときの開放感がたまらないのだ。

どーん!紫宸殿。
天皇の即位礼など特に重要な儀式が行われる、御所で最も格式高い正殿です。
正面に左近の桜・右近の橘がありまして
春の一般公開には来たことないけど、綺麗に咲いてるんだろうな。

柵があって近づけないので、ズームアップして撮った内陣。
中央に高御座や御帳台がチラ見え。

紫宸殿の裏手にある清涼殿。平安時代に天皇の日常生活の場として使われていた建物です。

天皇が過ごした昼御座は一段高くなっています。
休息の場とされた御帳台の手前に小さな狛犬が見える。

小御所。
皇太子の元服や、将軍や諸侯との対面の場所に使われていたそうです。
王政復古の大号令が発せられた1868年1月3日の夜に小御所会議が行われた建物でもあります。

小御所と御学問所に挟まれている蹴鞠の庭。
春と秋の一般公開時には蹴鞠が開催されますね、一度見てみたいな~。

御常御殿。
現在の御所ではもっとも大きな御殿で、
戦国時代以降に天皇の日常生活の場として使われていたそうです。
(清涼殿はその頃はもうほぼ儀式用だったそうだ)

扉が開いていたのでチラっと見えた蹴鞠の杉戸絵。
他にも曲水の宴、雅楽の杉戸絵がついています。

御内庭。御常御殿の庭園です。
ほとんど終わりかけていたけどここにも百日紅が咲いていました。
ずっと前に秋の一般公開に来たときは、建物の扉が開いて屏風や襖絵が展示されていたり
平安装束の人形たちが御所の生活を再現していたり、牛車が外に出ていたりして
割とお祭のような雰囲気だったのですが
通年公開は特に何もなく静かで、本当に建物のみの公開ということなのですね~。
これからは通年公開が一般、春と秋が特別公開みたいな雰囲気になるのだろうか。

見学を終えて入門証を返して、御所を後にしましたが
気になって久しぶりに蛤御門を見に行きました。
蛤御門の変の際についた150年前の弾痕、風雨にさらされているはずですがまだくっきり残っていた…
本当は修理してもいいはずなのに、事件が起きたときと同じ場所にそのまま保存されているのは
すごい英断だなと思う。
この後はバスを乗り継いで西本願寺にほど近い風俗博物館に移動。
日本の風俗や衣装を、当時の資料をもとに立体模型と人形で再現して展示している博物館です。

雅楽器や平安装束の井筒さんが運営していて、建物の5階にあるのですが
エレベーターの扉が開いたとたんにこんな光景が目の前に広がって
思わず「わー」と声出そうになった!

本物の水使ってあるし。
龍頭鷁首の船かっこいいし漕ぎ手の童子も、いやはや…!

中央のこれが一番大きな模型。
源氏物語「御法」の巻から、二條院における紫の上の法華経千部供養のシーンを再現しています。
晩年の紫の上は出家を希望していましたが、源氏が許してくれなかったので
私的な発願として制作していた法華経1000部(1日に35人で書いても完成に3年かかる)を
急いで供養しています。
親王や上達部や7人の僧侶が訪れ、庭では蘭陵王や納曽利が舞われ、
夜の間は読経と鼓を打ち鳴らす盛大なイベントだったようですが
43歳の紫の上はどんどん体調を崩していってしまう…というのが巻の後半で語られます。
(御法は上が亡くなる巻でもある)

光源氏。

奥に座るのが夕霧(源氏と葵の上の子)。

中央には白象に乗った普賢菩薩と、供養する法華経が。

殿上人の持つ散華まで美しいです。

主催者の座となっている西の塗籠の様子。奥にいるのが紫の上です。
お部屋の調度品まで細かく再現されていてため息しか出ない。

かさねの色目。右が蘇芳、左が紅の薄様。
これわざと下から撮っています。正面からだと2人とも顔が隠れるくらいまで御簾が下りている。

こういうポーズ好き^^

死期をさとった紫の上は、法華経供養の3日目に明石御方と歌をやりとりします。
こちらはその場面。

上から御方へ歌のお使いを任された匂宮(源氏の孫)の視線の先には御方が。
匂宮は御方の子ですが紫の上に育てられ、上の死後は二条院を自分の里第にしています。

こちらは花散里。紫の上は彼女とも歌のやりとりをしています。

平安時代の美人は必ず髪をほめられますが、縮れ毛(天パ)の女性はそうもいかなかったようです。
鎌倉時代の男衾三郎絵詞では、天狗鼻に口が大きく縮れ毛の女性は不細工とされています。
絵詞の作者は不明だけど絵師も依頼主もたぶん男かな、男だろうな…。

伏籠と吊香炉を使う女房。
火取にお香を焚いて伏籠をかぶせて、その上に衣装を掛けて香りをたきしめる様子です。
練り香は一人一人が自分好みに調合しますので
人によっては香りだけで「あ、○○さんが来た」とわかることもあったとか。

綿入れの様子。
平安時代では毎年10月1日に行われていたそうで、冬に備えて衣装に綿をつめます。
現代でも10月に衣替えをするのはこの名残り。

子どもたちの偏つぎ。
偏つぎは漢字の知識を競う遊びで、偏と旁に分かれた札をつけて漢字を完成させたり
旁の札だけを出してどんな偏がつくか考えたり色々な遊び方があったそうです。
他にも双六や囲碁などが女性たちの遊びとして紹介されていました。

源氏物語「蛍」の巻より、5月の端午の節句の再現。
光源氏が几帳の内へ放った蛍の光により、玉鬘が兵部卿宮に姿を見られてしまって
端午の節句に薬玉と懸想文が贈られてくるシーンです。
夕顔の娘だからと養女に迎えたのに自分も玉鬘を好きになってしまう光源氏は大人げないですな…
想うだけならともかく行動に出すなよと思う。

玉鬘。蛍兵部卿宮から届いた薬玉と懸想文を持っています。
彼女のもとには他の男性たちからもたくさん薬玉が届いています。

女童たちの持っている薬玉の形が全部違って色とりどり。
贈り主の性格や趣味まで見えてきそうな再現ぶりです。雅だな~。

展示室の一角に竹取物語のクライマックスシーンが再現されていた!
源氏物語「絵合」にも「物語の出で来はじめの祖なる竹取の翁」という記述がありますね。

真ん中にいるのがかぐや姫。後ろの方では翁と媼が泣いています。
姫が天人に天の羽衣を着せられて地上での生活の記憶がすべて消えてしまったシーンです。
なんだか衣装が唐風ですが、一説には竹取物語の成立は890年代と言われていて
まだこの頃は唐風文化から国風文化への過渡期でありまして
(菅原道真の建議による遣唐使の停止が894年で、その後は急速に国風化が進みます)、
人々の衣装もまだ、いわゆる十二単っぽくはなかったのではないかといわれますので
こういう再現になったのではないかと。
絵本で見るかぐや姫は垂髪に十二単の姿で描かれることが多いので(ジブリの映画もそうだったね)
見慣れてないと「これかぐや姫?」とか戸惑う人いらっしゃるかもしれない。

月の王。かぐや姫の父親です。
たぶん当時の天皇の風俗をもとに再現されているのだと思う。

奈良時代の衣服令に基づく四位の命婦、つまり女官の礼服の再現。
こちらは大きなマネキンが着てらっしゃった。

紀伊大納言の参勤交代行列人形。
御三家である紀州藩の豪華な行列をたくさんの小さな人形によって再現しています。

こちらが藩主。輿に乗っていますね。
着物や小道具までむちゃくちゃ細かく作られていて相当の手間暇かかってるよな…
寄贈者の名前を見たら鳩居堂とありました。道理で。
この後はバスに乗って京都駅へ戻って、新幹線で帰路につきました。

今回のnikiniki。秋に咲く撫子の花がモチーフだそうです、かわいい(*´︶`*)。
久し振りに2泊3日の旅でした~~たくさん歩いて疲れたけど心は豊かになったよ!
運よく台風に遭わなかったので日差しが強くて暑かったけど、
さすがに8月とは違って広島も京都も日陰にいれば涼しくて過ごしやすかったです。
天気さえ良ければ9月って旅行しやすいですよね。
実は近いうちにまた宮島も京都も行きますのでレポかきますよ~!おたのしみに(笑)

ホテルで朝ごはんをしっかりいただいてエネルギー充填。
では元気にしゅっぱ~つ。

電車で伏見の石峰寺へ。絵師の伊藤若冲が晩年を過ごしたお寺です。
命日の9月10日には毎年、法要と水墨画展覧会が行われているとのことでやって来ました。
石峰寺は萬福寺の千呆和尚によって1713年に開基、若冲が生まれたのはその3年後で
彼が伏見に引っ越してきたのは73歳のとき大火により家が全焼したのがきっかけといわれています。
(7代目住職だった蜜山和尚と知り合いだったらしい)
そのままお寺の門前に住み絵を描いて奉納したり五百羅漢を作るなどして晩年を過ごし、
85歳で亡くなり石峰寺に土葬されたとのこと。
遺髪だけは相国寺(動植綵絵を奉納したお寺)と宝蔵寺(伊藤家の菩提寺)にも
届けられたといわれています。

入口の竜宮門にあった注意書きを読んでから境内へ。
理由は、当時かなり話題になりましたので気になる方はぐぐってみてね。

植物が鬱蒼と茂っていまして、正面が本堂です。
朝9時でしたが境内はすでに人が多くざわざわしていました。
以下、写真が多いのでたたんであります↓クリックで開きますのでどうぞ☆

本堂左側にある社務所にて拝観と御朱印の受付・物販・水墨画展覧会が行われていました。
展覧会は和室の壁にずらりと掛軸が並べられているのですがなんと、展示ケースがない!
若冲の直筆をガラスなしに、至近距離で見ていいなんて、
しかも今年は若冲生誕300年ということで初公開の作品もあったり
いつもより展示数が少し多めらしくて、石峰寺さん太っ腹!
ニワトリや鶴などの動物から松尾芭蕉や人物図鉢叩きなどの人間まで
ゆったりユーモラスな掛軸を14点、ヒマワリなどの花の版画を6点鑑賞できました。
(版画はあれきっと、去年に公開された信行寺花卉図の花たちだと思う)
4月の若冲展にいた虎図は床の間にでーんと飾ってあった。
展示会は毎年春と秋に開催、展示品は毎年少しずつ変わるそうです。

屋根瓦にいた人。人というか仙人かな?どなただろう。
石峰寺は社務所も本堂も屋根瓦にひとつとして同じものがなくて楽しいです。

社務所内にて見かけたお野菜。並び方に見覚えが^^(詳しくは後述)

御朱印。赤いスタンプで五百羅漢が押してあります^^
真ん中の「高着眼」は黄檗三筆の即非によることばで(石峰寺は黄檗宗のお寺)、
常に高い着眼点を持ちなさいという禅の教え。

本堂の右手から階段を登ると、若冲のお墓があります。
石に刻まれた「斗米庵若冲居士」は絵の依頼料が米一斗(約15kg)だった若冲が名乗ったもので
隣に立つのは幕末の貫名海屋という人が若冲をたたえる碑文をしるした筆塚。

さらに登ると石仏のある裏山への竜宮門。
ここから先はスケッチも写真撮影もできません。
五百羅漢は若冲が下絵を描いて石工が彫ったもので、
当時は1000体以上の石仏があったそうですが現存するのは約500体、
おおむねみんな西を向いて建てられているそうです。
中には若冲本人が彫ったのものもあるらしいですが、どれかは記録がなく不明とのこと。
五百羅漢はそれぞれの立ち位置で釈迦の一生をあらわしているそうです。
入口近くにまず釈迦の生誕ゾーンがあり、小さな釈迦が例の天上天下唯我独尊ポーズで立っていて
周囲を言祝ぐ仏たちが取り囲んでいました。
次に出山の釈迦。十八羅漢たちが釈迦を取り囲んでいます。
説法場では、釈迦は脇侍に文殊と普賢を従え、羅漢たちが周囲で説法を聞いています。
3人あるいは6人連れ添っての托鉢修行ゾーンを経て、やがて涅槃の場所に。
頭を北、顔を西に向けて横向きに寝ている釈迦の周りに死を悼む羅漢たちが並んでいました。
最後に賽の河原。地蔵菩薩の周囲には無数の子ども石仏がたくさん。
お寺か、参拝した人の手によるものかわかりませんが、小石を積んだ山が点在していたので
わたしもいくつか積ませてもらいました。
賽の河原ゾーンから離れて一体だけ、ぽつんと立っている石仏がいました。
若冲本人を模したのではといわれるそうです。

本堂に戻ると、入口にはたくさんの人がつめかけていて
内部はすっかり法要の準備が整っていました。
若冲のお墓にお供えする京野菜の籠と、新しく立てる卒塔婆もずらりと並んでいた。

ゴーン…という鐘の音とともに法要開始。
顕彰会の人は本堂内、一般参列者は外から参加します。
お経が唱えられる中で賽銭箱の手前にお焼香が用意されますので、順番に上げます。

その後、お墓に移動しますとすでに別の野菜籠がお供えされていました!

野菜の並べ方は若冲作「果蔬涅槃図」(釈迦の涅槃図を野菜に置き換えた絵)を模していて
釈迦に見立てた大根が真ん中に寝ていました。
若冲が青物問屋(八百屋)の息子だったことも野菜をお供えする理由のひとつかも。

こちらでもお経が唱えられます。

お墓の前に焼香台を用意していただけますので、こちらでもお焼香を上げました。
これで法要は終わりです。お疲れさまでしたー。

若冲のお墓から見えた景色。青空の下の法要で風も気持ちよかった。
生誕300年の節目の年に参加できたのも何かの縁でしょうか、ありがとうございました。

電車で四条に戻って、宝蔵寺へ。
伊藤若冲生誕300年記念「ドクロスタンプ」が9月~11月はマリーゴールド・トパーズの2色とのことで
先月に引き続きいただいてきました。
若冲忌の日付が入った御朱印が3枚になっちゃった^^

京都BAL地下にある丸善京都内のカフェにて、若冲をしのんで(笑)野菜カレー。
広島でも野菜カレー食べたし何だか野菜に縁がある今回の旅行。

レモンケーキも久しぶりにいただきました☆
相変わらずレモンづくしで、中のレモンムースとレモンゼリーが絶品。

お腹もいっぱいになりましたので京都御苑に来たよ~。
京都御所の内部が一般公開されるのは、これまでは春と秋のみでしたが
先月から通年公開されることになったそうでちょっと見学したくなって来てみたのでした。

百日紅が咲いていた。

ここが本当に相変わらず広い!
4年前に時代祭で訪れたきりですからこの景色も久し振りでした。

えっ本当に清所門が開いてる…!
というわけで、何年振りだろう、全然覚えてないんですが御所に入ってみますー!
(家の中探したら前に見学したときのパンフとかとってあると思うけどどこに仕舞ったか覚えてません)

入口で手荷物検査を済ませると、パンフレットと入門証を受け取ります。
入門証は首から下げて行動しますよ。

御車寄。
昇殿を許された者だけが正式に参内するさいに通ります。つまりここが玄関。
牛車で来る身分の人ということは五位以上じゃないと通れないのかな。

観光客は正式参内ではないので隣の門から入るよー!そわそわ。

入ってすぐ左手にあるのが諸大夫の間。
正式に参内した人たちは御車寄からこちらに通されて待機します。
部屋は3つあり襖絵に虎や桜などが描いてあって、身分により通される部屋も違うそうです。

広いところに出ました。
左は新御車寄で、大正天皇の即位礼に際し建てられた玄関。

月華門から建礼門をたどって、承明門から見える紫宸殿。
こんな風に門越しに大きな建物を見るの大好き、
くぐって建物に何も遮るものがなくなったときの開放感がたまらないのだ。

どーん!紫宸殿。
天皇の即位礼など特に重要な儀式が行われる、御所で最も格式高い正殿です。
正面に左近の桜・右近の橘がありまして
春の一般公開には来たことないけど、綺麗に咲いてるんだろうな。

柵があって近づけないので、ズームアップして撮った内陣。
中央に高御座や御帳台がチラ見え。

紫宸殿の裏手にある清涼殿。平安時代に天皇の日常生活の場として使われていた建物です。

天皇が過ごした昼御座は一段高くなっています。
休息の場とされた御帳台の手前に小さな狛犬が見える。

小御所。
皇太子の元服や、将軍や諸侯との対面の場所に使われていたそうです。
王政復古の大号令が発せられた1868年1月3日の夜に小御所会議が行われた建物でもあります。

小御所と御学問所に挟まれている蹴鞠の庭。
春と秋の一般公開時には蹴鞠が開催されますね、一度見てみたいな~。

御常御殿。
現在の御所ではもっとも大きな御殿で、
戦国時代以降に天皇の日常生活の場として使われていたそうです。
(清涼殿はその頃はもうほぼ儀式用だったそうだ)

扉が開いていたのでチラっと見えた蹴鞠の杉戸絵。
他にも曲水の宴、雅楽の杉戸絵がついています。

御内庭。御常御殿の庭園です。
ほとんど終わりかけていたけどここにも百日紅が咲いていました。
ずっと前に秋の一般公開に来たときは、建物の扉が開いて屏風や襖絵が展示されていたり
平安装束の人形たちが御所の生活を再現していたり、牛車が外に出ていたりして
割とお祭のような雰囲気だったのですが
通年公開は特に何もなく静かで、本当に建物のみの公開ということなのですね~。
これからは通年公開が一般、春と秋が特別公開みたいな雰囲気になるのだろうか。

見学を終えて入門証を返して、御所を後にしましたが
気になって久しぶりに蛤御門を見に行きました。
蛤御門の変の際についた150年前の弾痕、風雨にさらされているはずですがまだくっきり残っていた…
本当は修理してもいいはずなのに、事件が起きたときと同じ場所にそのまま保存されているのは
すごい英断だなと思う。
この後はバスを乗り継いで西本願寺にほど近い風俗博物館に移動。
日本の風俗や衣装を、当時の資料をもとに立体模型と人形で再現して展示している博物館です。

雅楽器や平安装束の井筒さんが運営していて、建物の5階にあるのですが
エレベーターの扉が開いたとたんにこんな光景が目の前に広がって
思わず「わー」と声出そうになった!

本物の水使ってあるし。
龍頭鷁首の船かっこいいし漕ぎ手の童子も、いやはや…!

中央のこれが一番大きな模型。
源氏物語「御法」の巻から、二條院における紫の上の法華経千部供養のシーンを再現しています。
晩年の紫の上は出家を希望していましたが、源氏が許してくれなかったので
私的な発願として制作していた法華経1000部(1日に35人で書いても完成に3年かかる)を
急いで供養しています。
親王や上達部や7人の僧侶が訪れ、庭では蘭陵王や納曽利が舞われ、
夜の間は読経と鼓を打ち鳴らす盛大なイベントだったようですが
43歳の紫の上はどんどん体調を崩していってしまう…というのが巻の後半で語られます。
(御法は上が亡くなる巻でもある)

光源氏。

奥に座るのが夕霧(源氏と葵の上の子)。

中央には白象に乗った普賢菩薩と、供養する法華経が。

殿上人の持つ散華まで美しいです。

主催者の座となっている西の塗籠の様子。奥にいるのが紫の上です。
お部屋の調度品まで細かく再現されていてため息しか出ない。

かさねの色目。右が蘇芳、左が紅の薄様。
これわざと下から撮っています。正面からだと2人とも顔が隠れるくらいまで御簾が下りている。

こういうポーズ好き^^

死期をさとった紫の上は、法華経供養の3日目に明石御方と歌をやりとりします。
こちらはその場面。

上から御方へ歌のお使いを任された匂宮(源氏の孫)の視線の先には御方が。
匂宮は御方の子ですが紫の上に育てられ、上の死後は二条院を自分の里第にしています。

こちらは花散里。紫の上は彼女とも歌のやりとりをしています。

平安時代の美人は必ず髪をほめられますが、縮れ毛(天パ)の女性はそうもいかなかったようです。
鎌倉時代の男衾三郎絵詞では、天狗鼻に口が大きく縮れ毛の女性は不細工とされています。
絵詞の作者は不明だけど絵師も依頼主もたぶん男かな、男だろうな…。

伏籠と吊香炉を使う女房。
火取にお香を焚いて伏籠をかぶせて、その上に衣装を掛けて香りをたきしめる様子です。
練り香は一人一人が自分好みに調合しますので
人によっては香りだけで「あ、○○さんが来た」とわかることもあったとか。

綿入れの様子。
平安時代では毎年10月1日に行われていたそうで、冬に備えて衣装に綿をつめます。
現代でも10月に衣替えをするのはこの名残り。

子どもたちの偏つぎ。
偏つぎは漢字の知識を競う遊びで、偏と旁に分かれた札をつけて漢字を完成させたり
旁の札だけを出してどんな偏がつくか考えたり色々な遊び方があったそうです。
他にも双六や囲碁などが女性たちの遊びとして紹介されていました。

源氏物語「蛍」の巻より、5月の端午の節句の再現。
光源氏が几帳の内へ放った蛍の光により、玉鬘が兵部卿宮に姿を見られてしまって
端午の節句に薬玉と懸想文が贈られてくるシーンです。
夕顔の娘だからと養女に迎えたのに自分も玉鬘を好きになってしまう光源氏は大人げないですな…
想うだけならともかく行動に出すなよと思う。

玉鬘。蛍兵部卿宮から届いた薬玉と懸想文を持っています。
彼女のもとには他の男性たちからもたくさん薬玉が届いています。

女童たちの持っている薬玉の形が全部違って色とりどり。
贈り主の性格や趣味まで見えてきそうな再現ぶりです。雅だな~。

展示室の一角に竹取物語のクライマックスシーンが再現されていた!
源氏物語「絵合」にも「物語の出で来はじめの祖なる竹取の翁」という記述がありますね。

真ん中にいるのがかぐや姫。後ろの方では翁と媼が泣いています。
姫が天人に天の羽衣を着せられて地上での生活の記憶がすべて消えてしまったシーンです。
なんだか衣装が唐風ですが、一説には竹取物語の成立は890年代と言われていて
まだこの頃は唐風文化から国風文化への過渡期でありまして
(菅原道真の建議による遣唐使の停止が894年で、その後は急速に国風化が進みます)、
人々の衣装もまだ、いわゆる十二単っぽくはなかったのではないかといわれますので
こういう再現になったのではないかと。
絵本で見るかぐや姫は垂髪に十二単の姿で描かれることが多いので(ジブリの映画もそうだったね)
見慣れてないと「これかぐや姫?」とか戸惑う人いらっしゃるかもしれない。

月の王。かぐや姫の父親です。
たぶん当時の天皇の風俗をもとに再現されているのだと思う。

奈良時代の衣服令に基づく四位の命婦、つまり女官の礼服の再現。
こちらは大きなマネキンが着てらっしゃった。

紀伊大納言の参勤交代行列人形。
御三家である紀州藩の豪華な行列をたくさんの小さな人形によって再現しています。

こちらが藩主。輿に乗っていますね。
着物や小道具までむちゃくちゃ細かく作られていて相当の手間暇かかってるよな…
寄贈者の名前を見たら鳩居堂とありました。道理で。
この後はバスに乗って京都駅へ戻って、新幹線で帰路につきました。

今回のnikiniki。秋に咲く撫子の花がモチーフだそうです、かわいい(*´︶`*)。
久し振りに2泊3日の旅でした~~たくさん歩いて疲れたけど心は豊かになったよ!
運よく台風に遭わなかったので日差しが強くて暑かったけど、
さすがに8月とは違って広島も京都も日陰にいれば涼しくて過ごしやすかったです。
天気さえ良ければ9月って旅行しやすいですよね。
実は近いうちにまた宮島も京都も行きますのでレポかきますよ~!おたのしみに(笑)
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