雪晴れの京都旅。
京都へ日帰り旅してきました!
例によって六道珍皇寺さんが「寺宝展と特別御朱印やります」とおっしゃったのと
相国寺さんの若冲展に行きたかったのと北野天満宮の宝物殿で久々に鬼切丸を見たくて
タイミングいいじゃん、ヒャッホー☆と夜行バスの予約を取った直後、
週末の西日本は大雪かもしれませんという天気予報が発表されまして(震)。
夜行バスからも「大幅な遅れが予想されます」とアナウンスされて
バスが遅れたら一泊してこようかな…などと呑気に考えて乗ったのですが
「あと5分で京都です」とのアナウンスで目を覚まして時計を見たら(いつになくよく眠れたバスでした)、
きちんと定刻通りに着いてくれました。
外へ出たら寒かったけど空の雲は薄いところと厚いところがあって雪は夜明けに止んでいて
お蔭で傘をささずに移動できてよかった~!(傘さすのがめんどくさい人)

朝ごはんは松原通のSAGANさんで卵かけごはん☆
不定休なのでどうかなあと行ったら開いてた!朝の8時過ぎに!うおお有難かった。

「雪の六道さんが見られるかもしれない…!」という淡い期待は夜明けの粉雪とともに消えました。
というわけでいつもの六道珍皇寺です。
ご本尊の薬師如来像や地蔵菩薩立像、毘沙門天像、十一面観音像などにお参りして
酉年ということで初公開された堂本印象「鷺図」を鑑賞。
印象氏は京都出身の画家で(立命館大学の近くに堂本印象美術館がある)、
お兄様が六道さんの役員を務めておられたことがあるそうで
そのご縁で印象氏も絵画を奉納されたようです。
水面に片足だけでスッと立つ白鷺の美しいこと!ふわっとした色遣いがすばらしかった。

境内にある玉垣の中に印象氏の名前があるのは以前から気づいていたけど
色々関わりがあったんですね。
そういえば印象氏は鳴滝の尾形乾山作陶址の石碑にも揮毫していたような。

お庭もいつも通り。冬の空気はパリッとして心地よい緊張感が漂います。
機会があれば雪のお庭も見てみたいな…。

いただいた限定御朱印。
六道さんは一体いくつ限定を出すつもりなのだ、次回をお待ちしています←
以下、写真が多いのでたたんであります↓クリックで開きますのでどうぞ☆

相国寺へ移動しようとバスで今出川まで行って
冷泉家の前を通りかかって門をふと見上げたら阿吽の玄武がいたのでパチリ、こちらは吽形。

反対側に阿形。
この辺りは何度か通っているはずですが初めて気づきました。
最近は目的地へ行くだけで精一杯になってしまっていて
見落としてる物がいっぱいあるだろうな…天と地を見て生きていきたい。
と、ここで空から白いものがちらほら舞い始めたので慌てて相国寺へ。
(本降りにはなりませんでした)

重要文化財の法堂に挨拶してから、境内の承天閣美術館に移動。

美術館です。
前に来たのが2011年の若冲水墨画の世界展だから、えっ、6年振りだ!
沿道にずらりと植えられている紅葉の葉がすっかり散ってしまっているのとは対照的に
玄関左手の芭蕉は青々と元気だった。
(若冲は芭蕉の絵もよく描いた人ですね)
現在開催中の「生誕300年記念 伊藤若冲」展を鑑賞。
キービジュアルにもなっている鸚鵡牡丹図(初公開)は
牡丹が咲き乱れる中にちょこんととまっている白いオウムちゃんがとってもかわいくて
チラシやポスターより白い羽や牡丹の赤がずっと色鮮やかでした。やはり原画の鑑賞はよい…☆
落款がど真ん中に押されているのも若冲の自負を感じました。
カラフルな2幅の牡丹百合図は花がたくさん咲いていて一見、美しいのですが
いくつかは枯れたりこれから咲く蕾だったりして、こういうとこほんと若冲らしいし
蜘蛛の巣があったり蛙やかたつむりが元気よく見えるのもやっぱり若冲だなと思った。
伏見人形図の「僧侶と牛」は微笑ましいし「遊女と布袋」はカビゴンみたいな布袋のでっぷりお腹がかわいい。
水墨画もたくさんあって流水に昇鯉図、松亀図、菊花図など筋目書きが光りまくってる作品が素敵だし
初公開の岩上鷹図は岩の上にとまる孤高の鷹がかっこいいし
布袋が左手で軍配を振りかざす布袋軍配図もかっこかわいい。
布袋渡河図は荷物を頭から被った布袋という、見たことない図ですけども
顔をすっぽり布で隠してしまった布袋はなんだか無我の境地にも見えた。
群鶏蔬菜図押絵貼屏風も久しぶりに再会して、踊るようなニワトリちゃんたち相変わらずかわいい。
蕪図は仙厓が賛を入れていてビビった!仙厓が若冲の作品を見ている!このコラボつよい。
カラフルな若冲も水墨画の若冲も両方楽しめてよかったです。
第二展示室に常設展示されている鹿苑寺大書院障壁画も久々に鑑賞しまして
年月をおいて見ると味わい深くなってきますね、いいですね。
相国寺の記録にも若冲はたびたび登場します。
祖塔旧過去帳の「斗米庵若冲居士、寛政12年庚申9月動植絵寄進」とあるのも
参暇寮日記の1790年に大病をした若冲に相国寺の僧侶がお見舞いに行ったのも
大火で焼け出された若冲が永大供養の契約料が払えなくなって1791年に解除したのも
1800年10月27日に若冲四十九日の法要が行われたというのも、
みんな若冲の存在を裏付ける資料で胸熱だ…。
若冲と親友だった僧の大典が住持職になったときに徳川家治から手紙が届いていて
それも展示されていました。
館内に展示される若冲作品のいくつかに大典が賛を寄せていたり
1766年に若冲が生前墓を建てるにあたり51歳までの人生の銘文を大典が書いていたり
改めて2人の交流をしのぶこともできました。
(大典は応挙や大雅の作品にも賛を入れた人で、今回はそれらの展示もあった)
テレビとかでよく見る久保田米僊の伊藤若冲肖像は思ってたより小さかった。

美術館の前の梅が咲いていました。まだ早咲き。

かわいい紅梅。

社務所にて御朱印をいただきました。
「無畏堂」は法堂の別名で、畏れずに法を説くようにとの意味が込められているそうです。
流水に昇鯉図からデザインされた若冲生誕300年の御朱印は昨年末で発行が終わって
今は在庫分のみでなくなり次第終了のようです。
去年全然気づかなくて、ギリギリいただけてよかった!
(相国寺の御朱印授与は日祝休みで土曜も変則的なので要確認)

若冲のお墓参りも久しぶりにしました。お変わりなくて何より。
ちなみに隣には足利義政と藤原定家が眠ってますよ^^

バスで北野天満宮へ。
前回の訪問が何年前なのかまったく覚えてません…
酒呑童子を知った頃だから10年以上は前ですね、お久し振りです!

菅原道真が丑年であることにちなみ、境内のあちこちに牛像が建っています。
この牛さんは梅の花に囲まれていました。

道真の東風吹かば~の歌にちなんで梅の木もたくさんあるよ、まだ早咲きでした。
紅梅と白梅のコラボ。

宝物殿。
入口に髭切パネルが立ってます。兄者~!(CV:岡本信彦)
梅苑の公開にあわせて「宝物展VIと鬼神像」展を開催中でした。
数年前に来たときは刀のほかに鎧などの武具や北野天神絵巻などが展示されていましたが
今回は刀剣展といっていいほどまるっと刃物ばかりでした。
35振りもの刀や薙刀がずらりと並ぶ展示室は圧巻!すごい雰囲気だったよ。

入口の受付からすぐのところにピンで展示されていた旧源家所蔵・太刀、銘安綱(号鬼切丸)です!
(スマホ撮影可。カメラは×)
久しぶりに見ましたが何年振りだ?いいや、会えたから。会えたことに感動した。
鬼切丸は平安時代後期の作刀で北野さんに奉納された刀の中で最も古いもの。
酒呑童子退治に用いられ、また一条戻り橋で渡辺綱が鬼の腕を切ったという伝説から鬼切丸と呼ばれていて
その鬼は茨木童子とされているのだよ~!
また、罪人などを試し切りした際に髭まで切ったことから髭切の別名もついていて
とうらぶではそちらの名で登場してるみたいですね。
大河ドラマ「義経」「平清盛」も確かそっちの名前で登場していたように記憶しています。
太刀を納めている箱や近代の伝来記も一緒に展示されていて、
記録によれば江戸時代に最上家に伝来していたのを近代になって北野さんに奉納したようです。
また、鞘に巻かれた紙には当時の文部省が記した「Natioals treasure~」の赤文字が見えて
これはGHQに一度回収されその後返還されたときの記録らしい。
受付のおじさんが「来る方の9割が女性です。男性は女性と一緒に来ますねえ」と笑っていて
わたしが訪れていたときもだいたいそんな感じでした。
ゲームで色んな人に知ってもらえて見てもらえてよかったなあと思う^^
ちなみに「来月は山形に出張するんですよ」とのこと。戦国時代展の巡回でしょうか、忙しいね。
鬼切の他にも多くの刀剣が展示されていたので一部をご紹介。

脇差、銘猫丸。
菅原道真の守刀だったという伝説がありますが、調査では室町時代の作と判明していて
いつ頃から守刀と言われるようになったのかは不明だそうです。
いつの間にか言い伝えがくっついているというのがおもしろいし、天神さんの人徳のような気もする。

短刀、銘大慶直胤のアップ。
道真の姿を肉彫りにして梅もあしらわれています。素敵。

鬼切丸の限定御朱印とクリアファイルもいただきました。
押型の和紙つきなんですよ!かっこいい。

宝物殿を出たら牡丹雪が降って景色が真っ白になってて「え、やばっ」ってリアルに声出た。。
三光門が雪景色にー!わーい!たーのしー!!(けもフレってる場合じゃない)

本殿も雪景色。
豊臣秀頼が1607年に造営した本殿は太宰府天満宮とそっくりです。
(道真の月命日にはライトアップされるらしい)

空が明るいのでそのうち止むだろうとふんで、本殿脇の授与所にて雪宿り。
手前にどーんと立ってるのは渡辺綱が奉納したと伝わる石燈籠でこちらも久々の再会でした。
前は確か柵だけだったと思うのですがいつの間にか屋根ができてる!よかったねえ。

10分ほど待ってたら止んだ~よかったよかった。
というわけで青空の本殿です。雪景色と晴れ景色と両方見られた。

天満宮の周囲は色んなものがあるよ。
写真は秀吉が築いた御土居の一部です。

全国天満宮梅風会による源平咲き分けの梅。
紅と白が植えられていますが、この日はまだほとんど咲いていませんでした。

絵馬掛所の鳥居が伏見稲荷みたいになっててわーおもしろいなって寄ったら
奥の絵馬がすごいことになってた。
湯島天神の絵馬もすごかったけど、総本社もすごいな。。

本殿の真後ろに来ました。御后三柱。
天穂日命(菅原氏の祖先)・菅原清公(道真の祖父)・菅原是善(道真の父)を祀ります。
皆さん学者なのでここでのお参りも学問のご利益があるようです。
清公は最澄・空海とともに遣唐使として海を渡り、是善は小野篁と友達だった人だよ~。

北野さんの境内には摂社や末社もたくさんあって、写真は第一摂社の地主神社。

文子天満宮(この地に道真を祀るようお告げを受けた巫女をまつる)の近くで
梅を堪能していますと、

猫さまだーーー!!猫さま発見!!!+゚+。:.゚(*゚Д゚*).:。+゚ +゚
離れてこっそり追跡しようとしたら足がこむら返りになってしまって
その隙に逃げられてしまいました…写真はかろうじて撮れた1枚。
土足禁止の承天閣と宝物殿でずっと靴下だったので冷えてしまったのかもしれぬ、ぐぬぬ。

宝物殿の前に戻ってきました。咲き始めの紅梅。

白梅もきれい。

梅苑入口。
まだ早咲きだったのと寒かったので入りませんでしたが
この先のお庭に紅梅殿に見立てた建物があります。
四条大宮にあった菅原氏の屋敷は紅梅殿と呼ばれていました。
(そういえばまだ仏光寺通の紅梅殿址と白梅殿址の石碑を見に行ってない、行きたい)

三光門の狛犬さんが梅につつまれていたのでパチリ。
バスで四条河原町に戻って来たら再び牡丹雪が降り始めたので
(雪が降りしきる交差点や京都マルイや高島屋もなかなか見られないと思う)、
あわてて京野菜パスタのお店「先斗入ル」に避難。

ランチ!
京のもち豚しゃぶしゃぶ入りのパスタはごまだれ味で野菜もシャキシャキしておいしかった☆
ランチを終えると雪も止んでいたので再びバスで移動開始。

京都大学総合博物館に来ましたよ。
左側の建物がなんか顔(目と鼻)みたいでおもしろい。

開催中の「日本の表装―紙と絹の文化を支える」展を鑑賞。
京都文化博物館との共同開催で会期末に滑り込みセーフ。
展示は3つのパートに分かれていまして、
最初のテーマ「モノは傷む」にはボロボロの柿本人麻呂像(16世紀)や勧喜心院宮像(19世紀)がどーんとあって
心臓にズシンときました。。
紙資料の保存と修復の紹介が中心の展覧会ですが、
まず放置された資料がどうなるかを見せてくれたので説得力がすごい。
これで、こうならないためにどうしてきたか、またどうしていくかを知りたくなります。
パート2は「だから、直す」。
虫食いを補修紙や漉き嵌めで補ったり、折らずに保存するために仮巻にしたり
東寺文書のように桐箪笥に収めたりと(桐は湿度変化しにくい)、
様々な方法がとられています。
漉き嵌めは紙漉きの手法で水を使うので絵の具落ちに注意したり
紙を全体的に当てるため当時の風合いが失われる可能性がありますが、
補修することによって研究者が手に取れたり展覧会に出品することが可能になる利点もあります。
修復方法というのは今後その資料をどう保存・活用していくかを考えて選ばれるのだなあと改めて。
さて、保存方法。
手紙や資料を折本や巻物にしたり掛軸や冊子に仕立て直して保存するなどの方法があります。
掛軸に仕立てられた料紙や色紙はよく見かけますが
補強のために貼られた裏打ち紙が劣化すると汚れてしまうため、
定期的に裏打ち紙の交換が必要になってきます。
素直に剥がれる場合もあるし、ボロボロになってしまったのをひとつひとつ丁寧にはぎ取る場合もあって
どちらにしろ途方に暮れそうな作業ですな…。
裏打ち紙を剥がしたまま修理されず放置された掛軸も展示されていたけど目も当てられない現状で
いかに絹本絵画の裏打ち紙が大切かわかります。
絵師によっては裏打ちまで彩色を施している場合もあって、そういう時は剥がさず補修絹を当てるらしい。
ただ、織田有楽斎の手紙を仕立て直した掛軸は丸めたときに折り目ができてしまうということで
敢えて裏打ちせず本紙の裏を剥がして薄くしていますが
現代ではこうした方法は取られていないとか。
冊子の表紙が虫食いや風化などで劣化して新しく表紙を作り直した事例もあって
展示されていた奈良絵本(16世紀)は表紙をつけなおして西洋のノートみたいな製本がされていました。
ただ、製本しなおすと古い製本方法などがわからなくなってしまうリスクもあるので
慎重に検討したうえで行われるのだろうな…。
悪い見本のような展示もあって、他から転用された補修絹を掛軸に貼ったところ
失われた箇所の形と合っていないうえに折り目の方向も違って
さらに下の軸棒に鉄棒が使われているため重すぎて作品に負荷がかかっているトリプルパンチな掛軸が
もうやめて~ライフはゼロよ!って感じで痛ましい。。
薬品を使って修復したところ数年後に折り目が生じてしまったものもやめたげてえ!ってなったけど
当時はその方法が最善と考えられたのかもしれなくて
簡単に当時の責任者や職人を責めるわけにもいかない。
現代でも採用されている方法が最善とは限らないしねえ…
答えがわかるのは明日か100年後か、途方もない話です。
「1年で絹本彩色の絵画の掛軸を直すには?」みたいなパネルには
1年間の修復スケジュールが書かれていて
準備に2ヶ月、本紙の修理に5ヶ月、再表装に5ヶ月かかるという目安が。
資料を修復する職人である装潢師の階級や内訳などを紹介したパネルもあって
技術者登録してから修行して技術師になり、主任になり、技術長になるまでは
最低でも17年かかるそうで、やはり国家資格は大変だしそれだけの技が求められるのだなあ…。
ちなみに資格保持者は現在130人ほどしかいないらしい、少ない。

続いて京都文化博物館にやってきたよ。

「日本の表装―掛軸の歴史と装い」展を鑑賞(京都大学との共同開催)。
こちらも会期末が迫っていました。
先ほどの京大博物館は掛軸の修復と保存がテーマでしたが
こちらは掛軸の仕立て方法から歴史上の扱われ方、芸術性や美意識を紐解く内容です。
普段の展覧会でも掛軸の表装に目がいくことはよくあるけど
表装をひたすら眺めて作品はその後みたいな展覧会は初めてだ~。
多かったのは仏画や手紙の掛軸ですかね。
矢遣名号は「阿弥陀仏」の名前を絹に刺繍して仕立てた掛軸で熊谷蓮生(直実)の裏書きがあり、
表装に散華を散らして雅です。
誓願寺所蔵の松の丸殿の持ち物と伝わる和歌五首の掛軸は
京極家の家紋がでかでかと入っていてプライドみたいなものを感じる。
同じく誓願寺所蔵の織田信長書状は表装に葉っぱの刺繍があったり
伊勢貞宗の書状は藤の家紋が入っていたり
室町時代の宇多法皇像は花円紋や草紋、雲紋など模様に溢れた描表装だったり
見る人が見ればこれはあのおうちの掛軸だって一目でわかるのもあります。
日蓮宗の僧侶・日朗の書状は本阿弥家が紙屋宗二に表装させたもので
軸木に「本阿弥次郎三郎」(光悦の通称)と記名してありました。
そういえば本阿弥家は日蓮宗でしたっけ、小川通の本法寺も鷹峯の光悦寺もそうだったような。
一の台局の辞世があってびっくりしちゃった、瑞泉寺裂ではないですか~!
本人の死後に愛用の小袖で仕立てられたものです…
去年に瑞泉寺で本物を見たばかりだよ、ご無沙汰してます。
石清水八幡宮の仏眼仏母像旧表装(室町時代。絵は別修理中)は摂社若宮社の古櫃から発見されたもので
若宮社にあったため廃仏毀釈の中を残ったのではないかと推測されていて
端が切れてなくなってるけどよく残ったなあと思った。
茨木市で発見されたマリア十五玄義図の掛軸を裏打ちしていた紙は真っ黒。
江戸時代はキリスト教が禁じられていたので表立って職人に修復を依頼できず、
信者が自分たちで裏打ちして何とか保存しようとした悪戦苦闘が見えるようで
モノは歴史を語りますなあ…。
また1877年に天皇が行幸した京都の小学校にて
大橋重之助という8歳の少年がたいへん優秀だったということで表彰されたそうで
その賞状と問題と解答をセットで表装した掛軸があったのにはびっくりしました。
よっぽど名誉だったんだろうなあ…。
近世になると掛軸にも「こんな風に仕立てたい」みたいな美意識が浸透してきます。
古田織部が関わった朝陽図は僧侶が破れ衣を縫う画題のためか渋好みの色だし
墨蹟の依頼を請け負っている織部書状もやっぱり渋好みだし
小堀遠州像には遠州緞子という布を市松模様みたいな配置で色違いで使っているし
後水尾天皇宸翰は菊紋があしらわれている。
13世紀の布袋図が金色の豪華な東山表装で足利義満の時代を彷彿とさせるのと対照的に
足利義植書状を義政の書状と勘違いして保存していた近衛家煕は
表装を何ともいえないかわいらしい花柄に仕立てています。
(近衛家煕は藤原道長の子孫でとても趣味がよく、
定家の和歌詠草を木にとまる鳥の表装でそれは粋に仕上げています)
中国の墨竹図は中廻しに跋文と落款を書いているおもしろい作例で
日本では田能村直入が『南画津梁』の中で紹介しているらしい。
紀梅亭の外法梯子剃図は一文字に中国の金襴緞子で上下に雲母入りの唐紙が貼られて
唐風を意識した表装なのかなあ。
京都らしく織物の掛軸もあって、友禅染で表装された花鳥図は文句なしに華やか。
本紙から表装までを金糸と色糸でおこなう竹屋町織の掛軸は
布のため半透明で向こうが透けて見える、こんな掛軸見たことないよー!
風体と掛緒が一体になってる古いスタイルの実物でしょうね。
雛角力図は江戸時代の子ども相撲の絵ですが
表装に紅白幕や綱が描いてあって土俵に見立てられていた。
伝応挙の幽霊図は風帯が上部に一本だけつけられていて下部にはないのが
幽霊の足とともに消えたみたいな雰囲気でおもしろい。
摂州津田尾京居士の頭蓋骨と卒塔婆を描いた卒塔婆髑髏図は
ひっくり返して裏を見ると表の卒塔婆の位置に作者の落款があって遊び心おもしろい。
昔はシンプルだった表装ですがだんだん豪華さや趣味に満ちていくねえ。
表装に使われる道具や布などの展示もあって、
布は表装切というそうですが無地から胡蝶などの模様入りまで様々で
キルトみたいに普段から布切れをいっぱい集めておくのかな。
高雄曼荼羅修復記(1309年)はかつて空海も関わったという神護寺の曼荼羅を
後宇多法皇が修理させて自ら記録をとったもので、
また1725年の祇園祭関係文書の神前に掛軸や粽やお神酒を供える様子の絵とかも
次世代に伝えるためにちゃんと残しておこうとしたんだなと思う。
仁和寺所蔵の鳥獣戯画模本や、後白河法皇が企画した年中行事絵巻模本などには
現代の形に近い掛軸が描かれています。
江戸時代の座敷飾絵図(床の間の内装や茶道具が置かれた絵)や
山東京伝『骨董集』にも表装された仏画のある挿絵が載っている。
英一蝶の闊達風流図巻に描かれた武士の部屋には山水図の掛軸と書物があって
武士は火縄を構えて庭に舞い降りた鳥を狙っているけど
足元の扇に本が伏せられていて、たぶんさっきまで読書してたんじゃないかな彼は…。
5分くらいの時間の流れを想像できる作品でした。
京大と京文博の表装展はどちらも展示室の一部で開催されていて
すぐ見終わるかなと思っていたのですが、想像以上におもしろくて
終わって時計を見たら合計2時間以上かかってしまっていて
辺りは真っ暗になっていたので慌てて地下鉄で京都駅に戻りました。

飛び乗った新幹線にて。
今月のnikinikiはバレンタインが近いのでJe t'aimeです。ハートのお衣装かわいいよ~。
2月の京都は久し振りで、たまたまですが雪も降ったしやっぱり寒かったです。
そのうちまた節分の時期に来てみたいな…京都の節分行事を堪能したい。
例によって六道珍皇寺さんが「寺宝展と特別御朱印やります」とおっしゃったのと
相国寺さんの若冲展に行きたかったのと北野天満宮の宝物殿で久々に鬼切丸を見たくて
タイミングいいじゃん、ヒャッホー☆と夜行バスの予約を取った直後、
週末の西日本は大雪かもしれませんという天気予報が発表されまして(震)。
夜行バスからも「大幅な遅れが予想されます」とアナウンスされて
バスが遅れたら一泊してこようかな…などと呑気に考えて乗ったのですが
「あと5分で京都です」とのアナウンスで目を覚まして時計を見たら(いつになくよく眠れたバスでした)、
きちんと定刻通りに着いてくれました。
外へ出たら寒かったけど空の雲は薄いところと厚いところがあって雪は夜明けに止んでいて
お蔭で傘をささずに移動できてよかった~!(傘さすのがめんどくさい人)

朝ごはんは松原通のSAGANさんで卵かけごはん☆
不定休なのでどうかなあと行ったら開いてた!朝の8時過ぎに!うおお有難かった。

「雪の六道さんが見られるかもしれない…!」という淡い期待は夜明けの粉雪とともに消えました。
というわけでいつもの六道珍皇寺です。
ご本尊の薬師如来像や地蔵菩薩立像、毘沙門天像、十一面観音像などにお参りして
酉年ということで初公開された堂本印象「鷺図」を鑑賞。
印象氏は京都出身の画家で(立命館大学の近くに堂本印象美術館がある)、
お兄様が六道さんの役員を務めておられたことがあるそうで
そのご縁で印象氏も絵画を奉納されたようです。
水面に片足だけでスッと立つ白鷺の美しいこと!ふわっとした色遣いがすばらしかった。

境内にある玉垣の中に印象氏の名前があるのは以前から気づいていたけど
色々関わりがあったんですね。
そういえば印象氏は鳴滝の尾形乾山作陶址の石碑にも揮毫していたような。

お庭もいつも通り。冬の空気はパリッとして心地よい緊張感が漂います。
機会があれば雪のお庭も見てみたいな…。

いただいた限定御朱印。
六道さんは一体いくつ限定を出すつもりなのだ、次回をお待ちしています←
以下、写真が多いのでたたんであります↓クリックで開きますのでどうぞ☆

相国寺へ移動しようとバスで今出川まで行って
冷泉家の前を通りかかって門をふと見上げたら阿吽の玄武がいたのでパチリ、こちらは吽形。

反対側に阿形。
この辺りは何度か通っているはずですが初めて気づきました。
最近は目的地へ行くだけで精一杯になってしまっていて
見落としてる物がいっぱいあるだろうな…天と地を見て生きていきたい。
と、ここで空から白いものがちらほら舞い始めたので慌てて相国寺へ。
(本降りにはなりませんでした)

重要文化財の法堂に挨拶してから、境内の承天閣美術館に移動。

美術館です。
前に来たのが2011年の若冲水墨画の世界展だから、えっ、6年振りだ!
沿道にずらりと植えられている紅葉の葉がすっかり散ってしまっているのとは対照的に
玄関左手の芭蕉は青々と元気だった。
(若冲は芭蕉の絵もよく描いた人ですね)
現在開催中の「生誕300年記念 伊藤若冲」展を鑑賞。
キービジュアルにもなっている鸚鵡牡丹図(初公開)は
牡丹が咲き乱れる中にちょこんととまっている白いオウムちゃんがとってもかわいくて
チラシやポスターより白い羽や牡丹の赤がずっと色鮮やかでした。やはり原画の鑑賞はよい…☆
落款がど真ん中に押されているのも若冲の自負を感じました。
カラフルな2幅の牡丹百合図は花がたくさん咲いていて一見、美しいのですが
いくつかは枯れたりこれから咲く蕾だったりして、こういうとこほんと若冲らしいし
蜘蛛の巣があったり蛙やかたつむりが元気よく見えるのもやっぱり若冲だなと思った。
伏見人形図の「僧侶と牛」は微笑ましいし「遊女と布袋」はカビゴンみたいな布袋のでっぷりお腹がかわいい。
水墨画もたくさんあって流水に昇鯉図、松亀図、菊花図など筋目書きが光りまくってる作品が素敵だし
初公開の岩上鷹図は岩の上にとまる孤高の鷹がかっこいいし
布袋が左手で軍配を振りかざす布袋軍配図もかっこかわいい。
布袋渡河図は荷物を頭から被った布袋という、見たことない図ですけども
顔をすっぽり布で隠してしまった布袋はなんだか無我の境地にも見えた。
群鶏蔬菜図押絵貼屏風も久しぶりに再会して、踊るようなニワトリちゃんたち相変わらずかわいい。
蕪図は仙厓が賛を入れていてビビった!仙厓が若冲の作品を見ている!このコラボつよい。
カラフルな若冲も水墨画の若冲も両方楽しめてよかったです。
第二展示室に常設展示されている鹿苑寺大書院障壁画も久々に鑑賞しまして
年月をおいて見ると味わい深くなってきますね、いいですね。
相国寺の記録にも若冲はたびたび登場します。
祖塔旧過去帳の「斗米庵若冲居士、寛政12年庚申9月動植絵寄進」とあるのも
参暇寮日記の1790年に大病をした若冲に相国寺の僧侶がお見舞いに行ったのも
大火で焼け出された若冲が永大供養の契約料が払えなくなって1791年に解除したのも
1800年10月27日に若冲四十九日の法要が行われたというのも、
みんな若冲の存在を裏付ける資料で胸熱だ…。
若冲と親友だった僧の大典が住持職になったときに徳川家治から手紙が届いていて
それも展示されていました。
館内に展示される若冲作品のいくつかに大典が賛を寄せていたり
1766年に若冲が生前墓を建てるにあたり51歳までの人生の銘文を大典が書いていたり
改めて2人の交流をしのぶこともできました。
(大典は応挙や大雅の作品にも賛を入れた人で、今回はそれらの展示もあった)
テレビとかでよく見る久保田米僊の伊藤若冲肖像は思ってたより小さかった。

美術館の前の梅が咲いていました。まだ早咲き。

かわいい紅梅。

社務所にて御朱印をいただきました。
「無畏堂」は法堂の別名で、畏れずに法を説くようにとの意味が込められているそうです。
流水に昇鯉図からデザインされた若冲生誕300年の御朱印は昨年末で発行が終わって
今は在庫分のみでなくなり次第終了のようです。
去年全然気づかなくて、ギリギリいただけてよかった!
(相国寺の御朱印授与は日祝休みで土曜も変則的なので要確認)

若冲のお墓参りも久しぶりにしました。お変わりなくて何より。
ちなみに隣には足利義政と藤原定家が眠ってますよ^^

バスで北野天満宮へ。
前回の訪問が何年前なのかまったく覚えてません…
酒呑童子を知った頃だから10年以上は前ですね、お久し振りです!

菅原道真が丑年であることにちなみ、境内のあちこちに牛像が建っています。
この牛さんは梅の花に囲まれていました。

道真の東風吹かば~の歌にちなんで梅の木もたくさんあるよ、まだ早咲きでした。
紅梅と白梅のコラボ。

宝物殿。
入口に髭切パネルが立ってます。兄者~!(CV:岡本信彦)
梅苑の公開にあわせて「宝物展VIと鬼神像」展を開催中でした。
数年前に来たときは刀のほかに鎧などの武具や北野天神絵巻などが展示されていましたが
今回は刀剣展といっていいほどまるっと刃物ばかりでした。
35振りもの刀や薙刀がずらりと並ぶ展示室は圧巻!すごい雰囲気だったよ。

入口の受付からすぐのところにピンで展示されていた旧源家所蔵・太刀、銘安綱(号鬼切丸)です!
(スマホ撮影可。カメラは×)
久しぶりに見ましたが何年振りだ?いいや、会えたから。会えたことに感動した。
鬼切丸は平安時代後期の作刀で北野さんに奉納された刀の中で最も古いもの。
酒呑童子退治に用いられ、また一条戻り橋で渡辺綱が鬼の腕を切ったという伝説から鬼切丸と呼ばれていて
その鬼は茨木童子とされているのだよ~!
また、罪人などを試し切りした際に髭まで切ったことから髭切の別名もついていて
とうらぶではそちらの名で登場してるみたいですね。
大河ドラマ「義経」「平清盛」も確かそっちの名前で登場していたように記憶しています。
太刀を納めている箱や近代の伝来記も一緒に展示されていて、
記録によれば江戸時代に最上家に伝来していたのを近代になって北野さんに奉納したようです。
また、鞘に巻かれた紙には当時の文部省が記した「Natioals treasure~」の赤文字が見えて
これはGHQに一度回収されその後返還されたときの記録らしい。
受付のおじさんが「来る方の9割が女性です。男性は女性と一緒に来ますねえ」と笑っていて
わたしが訪れていたときもだいたいそんな感じでした。
ゲームで色んな人に知ってもらえて見てもらえてよかったなあと思う^^
ちなみに「来月は山形に出張するんですよ」とのこと。戦国時代展の巡回でしょうか、忙しいね。
鬼切の他にも多くの刀剣が展示されていたので一部をご紹介。

脇差、銘猫丸。
菅原道真の守刀だったという伝説がありますが、調査では室町時代の作と判明していて
いつ頃から守刀と言われるようになったのかは不明だそうです。
いつの間にか言い伝えがくっついているというのがおもしろいし、天神さんの人徳のような気もする。

短刀、銘大慶直胤のアップ。
道真の姿を肉彫りにして梅もあしらわれています。素敵。

鬼切丸の限定御朱印とクリアファイルもいただきました。
押型の和紙つきなんですよ!かっこいい。

宝物殿を出たら牡丹雪が降って景色が真っ白になってて「え、やばっ」ってリアルに声出た。。
三光門が雪景色にー!わーい!たーのしー!!(けもフレってる場合じゃない)

本殿も雪景色。
豊臣秀頼が1607年に造営した本殿は太宰府天満宮とそっくりです。
(道真の月命日にはライトアップされるらしい)

空が明るいのでそのうち止むだろうとふんで、本殿脇の授与所にて雪宿り。
手前にどーんと立ってるのは渡辺綱が奉納したと伝わる石燈籠でこちらも久々の再会でした。
前は確か柵だけだったと思うのですがいつの間にか屋根ができてる!よかったねえ。

10分ほど待ってたら止んだ~よかったよかった。
というわけで青空の本殿です。雪景色と晴れ景色と両方見られた。

天満宮の周囲は色んなものがあるよ。
写真は秀吉が築いた御土居の一部です。

全国天満宮梅風会による源平咲き分けの梅。
紅と白が植えられていますが、この日はまだほとんど咲いていませんでした。

絵馬掛所の鳥居が伏見稲荷みたいになっててわーおもしろいなって寄ったら
奥の絵馬がすごいことになってた。
湯島天神の絵馬もすごかったけど、総本社もすごいな。。

本殿の真後ろに来ました。御后三柱。
天穂日命(菅原氏の祖先)・菅原清公(道真の祖父)・菅原是善(道真の父)を祀ります。
皆さん学者なのでここでのお参りも学問のご利益があるようです。
清公は最澄・空海とともに遣唐使として海を渡り、是善は小野篁と友達だった人だよ~。

北野さんの境内には摂社や末社もたくさんあって、写真は第一摂社の地主神社。

文子天満宮(この地に道真を祀るようお告げを受けた巫女をまつる)の近くで
梅を堪能していますと、

猫さまだーーー!!猫さま発見!!!+゚+。:.゚(*゚Д゚*).:。+゚ +゚
離れてこっそり追跡しようとしたら足がこむら返りになってしまって
その隙に逃げられてしまいました…写真はかろうじて撮れた1枚。
土足禁止の承天閣と宝物殿でずっと靴下だったので冷えてしまったのかもしれぬ、ぐぬぬ。

宝物殿の前に戻ってきました。咲き始めの紅梅。

白梅もきれい。

梅苑入口。
まだ早咲きだったのと寒かったので入りませんでしたが
この先のお庭に紅梅殿に見立てた建物があります。
四条大宮にあった菅原氏の屋敷は紅梅殿と呼ばれていました。
(そういえばまだ仏光寺通の紅梅殿址と白梅殿址の石碑を見に行ってない、行きたい)

三光門の狛犬さんが梅につつまれていたのでパチリ。
バスで四条河原町に戻って来たら再び牡丹雪が降り始めたので
(雪が降りしきる交差点や京都マルイや高島屋もなかなか見られないと思う)、
あわてて京野菜パスタのお店「先斗入ル」に避難。

ランチ!
京のもち豚しゃぶしゃぶ入りのパスタはごまだれ味で野菜もシャキシャキしておいしかった☆
ランチを終えると雪も止んでいたので再びバスで移動開始。

京都大学総合博物館に来ましたよ。
左側の建物がなんか顔(目と鼻)みたいでおもしろい。

開催中の「日本の表装―紙と絹の文化を支える」展を鑑賞。
京都文化博物館との共同開催で会期末に滑り込みセーフ。
展示は3つのパートに分かれていまして、
最初のテーマ「モノは傷む」にはボロボロの柿本人麻呂像(16世紀)や勧喜心院宮像(19世紀)がどーんとあって
心臓にズシンときました。。
紙資料の保存と修復の紹介が中心の展覧会ですが、
まず放置された資料がどうなるかを見せてくれたので説得力がすごい。
これで、こうならないためにどうしてきたか、またどうしていくかを知りたくなります。
パート2は「だから、直す」。
虫食いを補修紙や漉き嵌めで補ったり、折らずに保存するために仮巻にしたり
東寺文書のように桐箪笥に収めたりと(桐は湿度変化しにくい)、
様々な方法がとられています。
漉き嵌めは紙漉きの手法で水を使うので絵の具落ちに注意したり
紙を全体的に当てるため当時の風合いが失われる可能性がありますが、
補修することによって研究者が手に取れたり展覧会に出品することが可能になる利点もあります。
修復方法というのは今後その資料をどう保存・活用していくかを考えて選ばれるのだなあと改めて。
さて、保存方法。
手紙や資料を折本や巻物にしたり掛軸や冊子に仕立て直して保存するなどの方法があります。
掛軸に仕立てられた料紙や色紙はよく見かけますが
補強のために貼られた裏打ち紙が劣化すると汚れてしまうため、
定期的に裏打ち紙の交換が必要になってきます。
素直に剥がれる場合もあるし、ボロボロになってしまったのをひとつひとつ丁寧にはぎ取る場合もあって
どちらにしろ途方に暮れそうな作業ですな…。
裏打ち紙を剥がしたまま修理されず放置された掛軸も展示されていたけど目も当てられない現状で
いかに絹本絵画の裏打ち紙が大切かわかります。
絵師によっては裏打ちまで彩色を施している場合もあって、そういう時は剥がさず補修絹を当てるらしい。
ただ、織田有楽斎の手紙を仕立て直した掛軸は丸めたときに折り目ができてしまうということで
敢えて裏打ちせず本紙の裏を剥がして薄くしていますが
現代ではこうした方法は取られていないとか。
冊子の表紙が虫食いや風化などで劣化して新しく表紙を作り直した事例もあって
展示されていた奈良絵本(16世紀)は表紙をつけなおして西洋のノートみたいな製本がされていました。
ただ、製本しなおすと古い製本方法などがわからなくなってしまうリスクもあるので
慎重に検討したうえで行われるのだろうな…。
悪い見本のような展示もあって、他から転用された補修絹を掛軸に貼ったところ
失われた箇所の形と合っていないうえに折り目の方向も違って
さらに下の軸棒に鉄棒が使われているため重すぎて作品に負荷がかかっているトリプルパンチな掛軸が
もうやめて~ライフはゼロよ!って感じで痛ましい。。
薬品を使って修復したところ数年後に折り目が生じてしまったものもやめたげてえ!ってなったけど
当時はその方法が最善と考えられたのかもしれなくて
簡単に当時の責任者や職人を責めるわけにもいかない。
現代でも採用されている方法が最善とは限らないしねえ…
答えがわかるのは明日か100年後か、途方もない話です。
「1年で絹本彩色の絵画の掛軸を直すには?」みたいなパネルには
1年間の修復スケジュールが書かれていて
準備に2ヶ月、本紙の修理に5ヶ月、再表装に5ヶ月かかるという目安が。
資料を修復する職人である装潢師の階級や内訳などを紹介したパネルもあって
技術者登録してから修行して技術師になり、主任になり、技術長になるまでは
最低でも17年かかるそうで、やはり国家資格は大変だしそれだけの技が求められるのだなあ…。
ちなみに資格保持者は現在130人ほどしかいないらしい、少ない。

続いて京都文化博物館にやってきたよ。

「日本の表装―掛軸の歴史と装い」展を鑑賞(京都大学との共同開催)。
こちらも会期末が迫っていました。
先ほどの京大博物館は掛軸の修復と保存がテーマでしたが
こちらは掛軸の仕立て方法から歴史上の扱われ方、芸術性や美意識を紐解く内容です。
普段の展覧会でも掛軸の表装に目がいくことはよくあるけど
表装をひたすら眺めて作品はその後みたいな展覧会は初めてだ~。
多かったのは仏画や手紙の掛軸ですかね。
矢遣名号は「阿弥陀仏」の名前を絹に刺繍して仕立てた掛軸で熊谷蓮生(直実)の裏書きがあり、
表装に散華を散らして雅です。
誓願寺所蔵の松の丸殿の持ち物と伝わる和歌五首の掛軸は
京極家の家紋がでかでかと入っていてプライドみたいなものを感じる。
同じく誓願寺所蔵の織田信長書状は表装に葉っぱの刺繍があったり
伊勢貞宗の書状は藤の家紋が入っていたり
室町時代の宇多法皇像は花円紋や草紋、雲紋など模様に溢れた描表装だったり
見る人が見ればこれはあのおうちの掛軸だって一目でわかるのもあります。
日蓮宗の僧侶・日朗の書状は本阿弥家が紙屋宗二に表装させたもので
軸木に「本阿弥次郎三郎」(光悦の通称)と記名してありました。
そういえば本阿弥家は日蓮宗でしたっけ、小川通の本法寺も鷹峯の光悦寺もそうだったような。
一の台局の辞世があってびっくりしちゃった、瑞泉寺裂ではないですか~!
本人の死後に愛用の小袖で仕立てられたものです…
去年に瑞泉寺で本物を見たばかりだよ、ご無沙汰してます。
石清水八幡宮の仏眼仏母像旧表装(室町時代。絵は別修理中)は摂社若宮社の古櫃から発見されたもので
若宮社にあったため廃仏毀釈の中を残ったのではないかと推測されていて
端が切れてなくなってるけどよく残ったなあと思った。
茨木市で発見されたマリア十五玄義図の掛軸を裏打ちしていた紙は真っ黒。
江戸時代はキリスト教が禁じられていたので表立って職人に修復を依頼できず、
信者が自分たちで裏打ちして何とか保存しようとした悪戦苦闘が見えるようで
モノは歴史を語りますなあ…。
また1877年に天皇が行幸した京都の小学校にて
大橋重之助という8歳の少年がたいへん優秀だったということで表彰されたそうで
その賞状と問題と解答をセットで表装した掛軸があったのにはびっくりしました。
よっぽど名誉だったんだろうなあ…。
近世になると掛軸にも「こんな風に仕立てたい」みたいな美意識が浸透してきます。
古田織部が関わった朝陽図は僧侶が破れ衣を縫う画題のためか渋好みの色だし
墨蹟の依頼を請け負っている織部書状もやっぱり渋好みだし
小堀遠州像には遠州緞子という布を市松模様みたいな配置で色違いで使っているし
後水尾天皇宸翰は菊紋があしらわれている。
13世紀の布袋図が金色の豪華な東山表装で足利義満の時代を彷彿とさせるのと対照的に
足利義植書状を義政の書状と勘違いして保存していた近衛家煕は
表装を何ともいえないかわいらしい花柄に仕立てています。
(近衛家煕は藤原道長の子孫でとても趣味がよく、
定家の和歌詠草を木にとまる鳥の表装でそれは粋に仕上げています)
中国の墨竹図は中廻しに跋文と落款を書いているおもしろい作例で
日本では田能村直入が『南画津梁』の中で紹介しているらしい。
紀梅亭の外法梯子剃図は一文字に中国の金襴緞子で上下に雲母入りの唐紙が貼られて
唐風を意識した表装なのかなあ。
京都らしく織物の掛軸もあって、友禅染で表装された花鳥図は文句なしに華やか。
本紙から表装までを金糸と色糸でおこなう竹屋町織の掛軸は
布のため半透明で向こうが透けて見える、こんな掛軸見たことないよー!
風体と掛緒が一体になってる古いスタイルの実物でしょうね。
雛角力図は江戸時代の子ども相撲の絵ですが
表装に紅白幕や綱が描いてあって土俵に見立てられていた。
伝応挙の幽霊図は風帯が上部に一本だけつけられていて下部にはないのが
幽霊の足とともに消えたみたいな雰囲気でおもしろい。
摂州津田尾京居士の頭蓋骨と卒塔婆を描いた卒塔婆髑髏図は
ひっくり返して裏を見ると表の卒塔婆の位置に作者の落款があって遊び心おもしろい。
昔はシンプルだった表装ですがだんだん豪華さや趣味に満ちていくねえ。
表装に使われる道具や布などの展示もあって、
布は表装切というそうですが無地から胡蝶などの模様入りまで様々で
キルトみたいに普段から布切れをいっぱい集めておくのかな。
高雄曼荼羅修復記(1309年)はかつて空海も関わったという神護寺の曼荼羅を
後宇多法皇が修理させて自ら記録をとったもので、
また1725年の祇園祭関係文書の神前に掛軸や粽やお神酒を供える様子の絵とかも
次世代に伝えるためにちゃんと残しておこうとしたんだなと思う。
仁和寺所蔵の鳥獣戯画模本や、後白河法皇が企画した年中行事絵巻模本などには
現代の形に近い掛軸が描かれています。
江戸時代の座敷飾絵図(床の間の内装や茶道具が置かれた絵)や
山東京伝『骨董集』にも表装された仏画のある挿絵が載っている。
英一蝶の闊達風流図巻に描かれた武士の部屋には山水図の掛軸と書物があって
武士は火縄を構えて庭に舞い降りた鳥を狙っているけど
足元の扇に本が伏せられていて、たぶんさっきまで読書してたんじゃないかな彼は…。
5分くらいの時間の流れを想像できる作品でした。
京大と京文博の表装展はどちらも展示室の一部で開催されていて
すぐ見終わるかなと思っていたのですが、想像以上におもしろくて
終わって時計を見たら合計2時間以上かかってしまっていて
辺りは真っ暗になっていたので慌てて地下鉄で京都駅に戻りました。

飛び乗った新幹線にて。
今月のnikinikiはバレンタインが近いのでJe t'aimeです。ハートのお衣装かわいいよ~。
2月の京都は久し振りで、たまたまですが雪も降ったしやっぱり寒かったです。
そのうちまた節分の時期に来てみたいな…京都の節分行事を堪能したい。
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No title
- 2017/02/14(火) 00:33:59 |
- URL |
- 橘右近大夫
- [ 編集 ]
京都は寒かつたですね。實は僕も京都に居ました。御所の中で三光門のやうな光景を見てゐました。
>ちなみに隣には足利義政と藤原定家が眠ってますよ^^
おゝ、行かうと思ひ、冷泉家時雨亭前までは行つたのでほんのすぐそこまでしたが、降り頻る雪と歩き過ぎた足の疲れで思はず断念してしまひました。(腹も減つてゐたし)
六道珍皇寺もなんですよね、祇園までは行つたのですが・・・。次こそは再び六道珍皇寺にお参りしたいと思つた冬の京都旅となりました。
Re: No title
- 2017/02/15(水) 21:19:17 |
- URL |
- ゆさ
- [ 編集 ]
> 實は僕も京都に居ました
わ~そうでしたか!
寒かったですよね、御所の雪景色もきれいだったでしょうね。
> 冷泉家時雨亭前までは行つたので
御所から冷泉家まで行くのも大変だったのでは。。
雪が降るとワクワクしますが、足元がどうしても鈍くなりますね。
あの日はわたしも断念した寺社がいくつかあるので次回こそです~。
六道さんは3月にまた特別拝観があるそうです!
そのうち詳細が発表されると思います。楽しみですね☆
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