Once upon a time in 室町その2。

呉座勇一『応仁の乱』が売れているらしいですね。
京都の人がよく「前の戦争」などとおっしゃる11年にもおよぶグダグダな大乱を
約300ページというコンパクトな内容にまとめた新書です。
室町時代って学校の授業とかでも地味な扱いをされがちですけど(わたしも全然詳しくないけど)
たまに少し勉強すると想像以上の出来事や人々が出てきて手におえなくて頭が「えらいこっちゃ」ってなるので
あまり手を付けてこなかったのですが、
今回は書名だけ見て何も考えずに「読んでみよう」と思った本でした。
タイトルがシンプルなところにまず惹かれて、読み終えたら「これはやばい」ってなりました。
中公新書で売れた本の中では『ゾウの時間ネズミの時間』とか『理科系の作文技術』あたりは読みましたけど
あれらは気が付いたら売れていたのと興味があったから読んでみた感じでしたが、
今回の応仁の乱は確かベストセラーになる前から読もうと思っていた…はず。
しかも発売早々に読み始めたにも関わらず、数百人もの人物や出来事が浮上しては消えていくので
脳内処理が追いつかなくて何日もかけて咀嚼しながら読むハメになりました。
こういう読書はひさしぶりでしたなァ…。
ただ、読んでる最中は乱と同じように頭の中がぐちゃぐちゃだけど
読み終えると「こりゃダメだ11年続くの当たり前だわ…」ということがストンと腑に落ちてすっきりしました。
複雑だけどわかりやすい、そんな本です。
有難いのが、文章の後ろに()書きで出典がきちんと明記されていることで
自力で一次資料に当たろうと思ったときとても便利だろうなと思いました。
新書みたいな本はページ数が少ないので割愛される率が高いから…こういうのスタンダードになったらいいですね。

帯にも書いてあったけど、物語風ではなくひたすらリアルでわかりやすい英雄も悪役もいなくて
発生した問題にひとつひとつ対応していく将軍と管領と各地の武士たちの行動を追いかけていく感じで
読み終えても何の爽快感もありませんでした(^ ^;)。
ギリシャや北欧神話を読むときみたいな忍耐力が必要とでもいえばいいのか…
読み始めた当初は、せっかくだからひとつひとつの出来事をちゃんと覚えて
全体像を把握しながら効率的に読み進めよう、などと考えていたのですが
蓋を開けたらとにかく無数の小競り合いの連続で1ページや半ページどころか1行で話題が変わるので
第一章を詠み終えた時点で細かい部分を覚えるのを諦めたよ。。
ゲームに例えると無数のプレイヤーが参加する上、
勝利条件が参加プレイヤーごとに違うので(幕府を牛耳る、この国はおれのもの、あいつ絶許など)
もういっそ草鞋を履いて当時の人々の生活視点まで降りてみて
「どうなるの」「どうすればいいの」「もういい加減に終わらせようよ」とかイライラしながら読むと
すごくリアルに感じられてわかりやすいと思う。

本文は()書きであらゆる史料を提示してくれてるけど
ベースになっているのは当時、興福寺の別当を務めていた経覚と尋尊という2人の僧侶の日記です。
現代では奈良といえば東大寺ですが、当時は大和といえば興福寺のことで
源平合戦で奈良が燃えてから大和には守護大名が置かれず興福寺が実質的に守護を担当していたと。
藤原氏の氏寺ですから主に摂関家の子どもが僧侶として入っていくわけですけど
相続財産の大きさから各地の院跡を掌握することが多く、それが原因でしばしば揉め事があったそうな。
しかも摂関家の当主は京都住まいということもあって
大乱の舞台である京都からは距離があってもかなりの影響を及ぼしていたみたいです。
というかそもそも室町時代の奈良について全然知らなかったので本当に勉強になりました。
第一章のタイトルが「畿内の火薬庫、大和」となってるのからしてもう、すごい。
院跡の国民が荘園をめぐってしばしばケンカして、南北朝時代にはそれぞれ両陣営についてやっぱり揉めて
このとき北朝側にいた畠山氏の影響が応仁の乱勃発の小さな原因のひとつになっていたりしますが
将軍と一緒に各地の一揆を鎮めたり、でも何度も駆り出されるうちにしんどくなって断ったら怒られて
将軍の死後に大和内の武士たちの紛争をなだめたり色んなことをやっている。
お寺の経営でも、荘園の管理を任せた人が急にいなくなったり別の人を任じたら適当にやられたり
困って武士にお願いしたら「その代わりうちの〇〇を取り立ててください、でなきゃ嫌です」とか言われたり、
また大きいお寺なので各地に寺領があってそこから年貢をとるにしても問題が山積みになっていたりして
当時の政治や経済が細かくわかるようにまとめられていました。

で、さっきの畠山くんですよ…関東管領の長男に生まれた畠山義就が叔父に家督を奪われたのでぷっつんして
将軍の命令も聞かずに京都で爆ぜてしまって(そして11年居座る)、
おそらくこれがきっかけになった大乱についても、文字通り「どうしてこうなった」のかが順を追って書かれています。
とても全部は説明できませんが、幕府の体制が守護大名の在京制だった頃に
義教の暗殺後に勃発した細川・畠山管領家の争いを鎮めるために山名が飛び込んで
それが収まると山名・細川で揉めてにっちもさっちもいかなくなったみたい。
誰もが納得できる落としどころを見つけられないまま意図しない大乱に発展したような印象を受けました。
最初の武力衝突は畠山義就+山名・斯波軍と畠山政長+赤松・六角軍+細川・京極ですが
中立性を保った義政がストップをかけて数日で終わったと思いきや義政が細川に味方して
畠山や山名をなんとかしないといけなくなって細川も義視もこのままじゃ終われねえ状態で
止めるタイミングをなくしてしまったりしている。
しかも東軍西軍とも武将たちの結束が長年の信頼ではなく急な寄せ集め状態なので
各地から他の大名や家臣たちを呼んで次々に参戦させたり、お蔭で補給が追いつかなくなったり
戦争の長期化でそれに見合う報酬を大名も幕府も用意できなくなっていく。
誰もが大乱の収束を図っているはずなのにどうしても取りこぼしが出て
山名・細川がいなくなっても別の大名や武将たちが挙兵して思いも寄らぬ方向からまた火種が爆発したり
もうしっちゃかめっちゃか。
後半戦では兵隊が戦闘そのものに疲れて毬杖で遊んでたらしいしな…(そのせいで余計に士気ガタ落ち)。
戦争が相手を制圧して終わりではないことは歴史を学ぶうちに知りましたけど
こんなことになっていたとは思いませんでした。
義政も色々やってるんだけど命令が朝令暮改だったり優柔不断だったりするし
義尚に将軍職を譲った後も何かと口出したり誰かが義政に求めた意見が幕府に持ち込まれちゃったりして
さらに義尚がすねる、みたいな悪循環が。あわわ。
(義尚についてもわたしほとんど知らないんですけどちゃんと将軍してたんやね…そりゃそうですね…
義政の子だからといってえまきもの読みたいマンってだけじゃなかったんだ。うむ)
あと富子が諸悪の根源みたいな書き方してる本が未だにたくさんあるけどそれもばっさり払拭してくれて、
でも後から考えるとさらに長引く要因になった面も書かれているので
歴史ってほんとに一面的ではないなと思います…
誰かのせいって場合もありますが、それだってそうなった要因があるし。

この後、今川を筆頭に北条や朝倉や織田など戦国大名と呼ばれる人々がばんばん出てくるわけですが
これだけ京都がぐっちゃぐっちゃになっていたらそら自分たちで条例作って自治区しますってなるわな…
今川仮名目録は氏親パッパの最高傑作ですけども
あれの成立の過渡に応仁の乱があったと考えるとすごく納得がいく。
終章「応仁の乱が残したもの」のひとつとして京都文化の地方伝播についても語られていますが
言われてみれば奈良や京都の文化が東に北に伝わったのは伝えた人がいたからで
何故そうなったんだっけと考えたときに、
武士が地元に帰る←明応の政変←都壊れる←大乱←大名たちのごたごた←義教暗殺←幕府軍派遣でもめる←大和内のごたごた←興福寺の大和守護←源平合戦
というのが頭の中をドバっと駆け抜けて「わー!うわーー!!」って声出ました。
こうやって流れが繋がる瞬間がものすごい好きなんですよ…歴史を学ぶ醍醐味。
そういえば大乱の火事で洛中の文化財もすごい被害を被って建築も絵巻物とかも焼失してしまったので
後土御門天皇が三条西実隆に命じて大和に残る絵巻物の模写を土佐派にさせたって
高岸輝氏が『天皇の美術史』に書いてたっけ。
春日権現絵とか長谷寺縁起とか明恵上人絵とか…興福寺周辺のお寺が色々持ってたらしいのですね。

そういえば呉座氏が前に書かれた『戦争の日本中世史』の中で
元寇で竹崎季長が突撃した事例に「『さすが季長、おれたちができないことを平然とやってのける。
そこにシビれる!あこがれるゥ!』と賞賛したいところだが」とか唐突にぶっ込まれてて面食らったのですが、
今回の本にも「終わらぬ、大乱」という見出しの章があったなあ。
びっくりしましたよ中世史の本でこういうネタに遭遇するって…。
もしかしてと思って奥付のプロフィールを確認したら呉座氏は1980年生まれでした。どんぴしゃですな。


そういえば時代はちょっと下りますが、先日『江戸の蔵書家たち』という本を読んでいたら
学者たちの裏話を収録した『しりうごと』(1832年刊)という本が紹介されていまして。
その中の一節に、国学者の岸本由豆流が古今集に注釈を加えようとあれこれ書き散らしているところへ
なんと紀貫之が現れ(!)、『土佐日記』の由豆流の考証に対してひと通り文句を言ったあげく
「一体その方が考証はただ書ぬきを並べ立て見る人宜しきに従えなどといふのみ、
肝心の祭文のおもしろきところをば考証もせず只校合ばかりしたるは何の用にもたたぬことなり。
岸もとにさける𣑊うべしこそ実の一つだになき学びなれ」
みたいな皮肉まみれの言葉と歌を残して去ったとか書かれているらしいんですが、
これ要するに貫之が草葉の陰で泣いてますよみたいなことを言いたいんだろうけど
過去の人物の口を借りて当世人を批評したり揶揄したりする文法が、何だかちょっとおもしろい。
創作物じゃなく随想でなされるという何でもあり感がまた、現代に通じる気もします。


あと最近見つけた『日本の歴史人物事典 美麗イラストで楽しむ!』(成美堂出版)の目次に
小野氏の人々が3人(妹子・篁・小町)いたので読んだんですけど
この本、人物の見出しがいちいちおもしろいです(笑)。
しかも戦国時代や江戸時代は「猛将」「マルチな天才」とか割とありきたりな見出しなのに
古代~中古は「手紙を届けたら怒られた(特技:花を生ける)」小野妹子とか「実は尽くすタイプ」な藤原鎌足とか
「怒ると怖い学問の神」菅原道真とか「新皇におれはなる!」の平将門とか遊びまくってる!
ちなみに小野篁は「冥界でバイトした型破りな異才」「ひねくれ者の天才児」でした。まあ予想の範囲内だ。
そして各位歴史本におかれましてはそろそろそういう評価から脱してほしいような気もする。

あとこれ、たまに思うことなんですけど
なんで篁の夜の仕事は「バイト」と表記されることが多いのかな、単純に「昼は朝廷、夜は冥府でお仕事」じゃだめなのかな?
昼の公務員=正規で夜=非正規っていう意味なのかもしれないけどその根拠はどこなのかっていうか、
昼と夜で雇用形態が異なる(という認識が多い)理由は何だろう。
閻魔の補助を現代に照らし合わせたらバイトと認識して執筆・編集する人が多いってことだろうけども
昼が本業で夜が副業と考えたとしても、副業=非正規とは限らない気がするけど…(よく知らないでしゃべってます)。
どなたか検証してないだろうか。
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