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2017_11
10
(Fri)23:55

雨がくる虹がたつ。

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丸木美術館に行ってきました。
彩の国民でありながら一度も行った覚えがなく(遠足や課外授業とかでも行ってない気がする)、
ずいぶん時間がかかってしまいましたがようやくの訪問です。

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きっかけはこちら。「丸木スマ展 おばあちゃん画家の夢」を見たくて行きました。

丸木スマは丸木位里の母で、息子たちにすすめられて70歳頃から絵を描き始めていて
特に絵の教育を受けた人ではないけど水彩やクレヨンでたくさんの絵を描いたおばあちゃんだそう。
丸木夫妻は有名ですが、スマさんについては今回の展覧会を知るまで全然知らなくて
絵を見る機会をくださった丸木美術館さんに感謝。
広島に生まれ育ったスマさんは夫とともに船宿と農業をしながら暮らしていたそうです。
70歳の時に被爆し、翌年に夫を亡くして「何もすることがなくなった」とこぼしていたら
既に画家だった位里・俊夫妻が絵を描くことをすすめたのだそう。
73歳のときメバルの絵を家族に褒められたのをきっかけに本格的に絵を始めて
1950年には女流画家協会展にて初入選・特別陳列となり、
「簪」で院展にも初入選しその後3年連続で院展に入選しています。すげえ。

鉛筆による「自画像」が歯を見せてニコ~っと笑った皺だらけの顔でかわいい^^
画風はアンデパンダン的というか、遠近法など何するものぞというような、童画のような素朴さがあって
主に水彩とクレヨンで描かれる故郷広島や自然の風景、動物たち、木や花などの色彩は豊かです。
スマさんが暮らした三滝村の風景は牛のいる農家とか夕暮れの畑にごろごろ並べられた野菜とか
馬喰や柿もぎなどで働く人々の溌剌とした表情もよかったし、
「一粒百万倍」の花いっぱいのバンザイ感が幸せそう~!
四季の花たちも木蓮やツツジ、夏みかん、紫陽花、カンナ、ひまわり、山ごぼう、菊、紅葉、水仙など
カラフルな色遣いで楽しんで描いたんだろうなあというのが伝わってくる。
河童の絵が、手足長くて全身緑色という河童が~!
広島の妖怪はヒバゴンしか知らないけど河童の昔話もあるんだろうか。
仙人の絵も、瓢箪や笠を持ったひげもじゃのおじいちゃんたちがひしめいていて
本当に子どもがスケブに思い切り描いたような奔放さがあった。

動物の多くはつがいや家族などの構成で描かれていて
1枚の絵の中にピンで描くことは少ないみたい。
院展に入選した「簪」は虫や鳥たち、黒猫、ネズミ、蛇たちが咲き乱れる花のなかにいるし
「おんどり」は花の中に鶏たちがひしめいているし
「母猫」は子猫たちに授乳する母猫がじーっとこちらを見つめているし
「めし」は猫だかネズミだかよくわからない生き物が4匹いて同じ釜の飯を食っているし
「菊と猫」は菊の花に黒猫が寄り添っているし
「雀と猿」はまるで猫みたいな造形の猿がおもしろいし
「野」は白いウサギたちがとってもかわいい。
スマさんはよく猫を描いてるけど一緒に暮らしていたんだろうか、
展覧会を紹介する新聞記事には黒猫と一緒に写った写真が載っていました→こちら
(そういえば丸木夫妻もシャム猫を飼っていたけど(よりによってピカ(雌)とドン(雄)という名前をつけてた)、
子猫も生まれてかわいがっていたというのをどこかで読んだ覚えがある…。
松谷みよ子さんの『黒ねこ四代』も俊さんが挿絵を描いていたよね)
最後の最後にあった「丸木スマ個展ポスター」が最高にたぎった!
1952年1月に福屋というお店で6日間だけ開催された個展で
「絵は誰でも描ける 八十のおばあさん」「院展入選作等150点陳列」とかコピーもよかったし
主催はおばあさん画伯を支える会だし後援も中国新聞社とか広島市教育委員会とかしっかりしてて
おばあちゃんすげえよ!ってなった。
というか、わたしが全然知らなかっただけなんですが
スマさんの展覧会って現代でも定期的に開かれてるみたい…おばあちゃんすげえよ。

「ピカーゆうれい」と「原爆の図デッサン」はこれスマさん自身の経験が元になってるのかな…
原爆の図デッサンはこれまでずっと横向きに展示されていたようですが
ピカドンが発見されたことで縦向きだったとわかり今回から初めて縦向きに展示されるそうです。
横に寝ていると思われていたのかな?展示されている様子はこちらに画像があります。
最近発見された「ピカドン」は広島市三滝町にある丸木家の親族宅にあったそうです。
中央に橋がかかり川が流れていて(三滝橋と太田川でしょうか)、
ピカーゆうれいと原爆の図デッサンによく似た人たちも描きこまれています。
8月6日に自宅で被爆したスマさんは三滝の川の下へ逃げたということなので
その情景なのではと考えられているそうです。
「カニの図」は3匹のカニが波打ち際にたたずんでいる絵で吉川英治氏の旧蔵品だったらしい。
関係者によると吉川氏の秘書の1955年11月の業務日誌に
「赤松俊子(丸木俊)氏来訪、(中略)その折丸木スマ女史筆のカニの図贈らる」とあるそうです。
長らく行方がわからなくなっていましたが3年前に吉川氏の旧宅から発見されて今回が初公開とのこと。


あと、展示室をうろうろしていたとき一角に「小高文庫↑」と書かれた館内表示を見かけて
みしみしと音を立ててきしむ階段を登っていきましたら。
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2階に丸木夫妻のアトリエがありました。

もともとこの美術館の建物は武州松山本陣小高家の書庫だったらしく、
丸木美術館に寄贈された際に1階を展示室にして、2階をアトリエとして夫妻が使っていたようです。
室内には夫妻の遺品である机や画材、画集や絵本、関連資料などが展示されています。
大きな窓からは都幾川が見え、夫妻もこの景色を眺めたんだろうなァとしみじみしました。


そして2階の別室には丸木位里・俊夫妻による「原爆の図」の展示室があります。
原爆の図は第1部~第15部までの連作になっていて
最初は「幽霊」(1950年)1作だけの予定だったそうですが後に3部作の構想となり、
その後も夫妻が折に触れて描き進め、およそ32年をかけて15部のシリーズになったそうです。
丸木美術館ではそのうち1~14部を鑑賞できます。(第15部「長崎」は長崎の原爆資料館が所蔵)

夫妻による原爆関連の作品に関しては、学生時代に修学旅行で長崎へ行った際に「長崎」を見たのと
広島旅行で見た再制作版や、絵本『ひろしまのピカ』などで触れている程度ですし
原爆の図も社会科の資料集とかでは見たことありましたけど本物を鑑賞するのは今回が初めて。
きちんと鑑賞できるかな…という不安もあって長らく先延ばしにしていましたが
スマさんがきっかけをくれたと思って展示室に入りました。
四曲一双の屏風がズラリと並んで、すべてが主に白と黒で表現され、時々赤やオレンジが入っていて
たぶん位里さんが水墨画家なのでああいう表現になったのかな…などと。
わたしが展示室にいた時間にたまたま学芸員さんのギャラリートークがあったので聞いたのですが
「この絵にはきのこ雲や原爆ドームが描かれていない。雲の下にいる人たちがどうなったかを描いている。
屏風は縦1.8m×横7.2mだがこれは人間や動物を等身大に見せるためです」という説明が印象深かった。

丸木夫妻は戦時中は関東に住んでいて、原爆投下3日後には広島に入り救援活動を行っています。
5年後に発表された原爆の図第1部「幽霊」は原爆投下直後の様子を描いていて
あれは夫妻の経験が元になっていそう。
あと資料集とかで見ていたときはまったく気づかなかったのですが人の足元に猫の死体が描かれていた…
とてもつらかったけど気づけてよかったとも思いました。
全体的にデッサンがしっかりしていてぐにゃりと曲がった人間も骨格や肉付きがよくわかったし
表情とか手とかも筋肉を意識して描いてるように見えて余計に生々しさを感じました。
画風はキュビスムやフォーヴィスムとか近代日本画とかの影響がありそうに思う…
あまりはっきり影がついてなくて奥行きもないし、どちらかというとのっぺりとしたタッチでしたね。
すべての屏風が印象深かったけど特に強く残ったのはやっぱり色がついてる絵かもしれない、
第4部「虹」はきのこ雲が湧いた後に黒い雨が降って虹が出たという話が元になっていて
黒い空の片隅に赤と青のすじがすっと引かれているのとか。
第12部「とうろう流し」の、鎮魂のため燈籠を流す人々が抱える燈籠の色彩がきれいで
人の顔や骨が描いてあるのは何となくわかる気がするんですが猫が入った燈籠もあってやっぱりつらかった。
第9部「焼津」や第10部「署名」は人々の強い表情から目が離せなかった…
焼津の絵の隣には和光市中学校の生徒が制作した第五福竜丸の模型(2007年寄贈)が展示されていて
焼津の絵に亡霊のように描かれている同船と対比しているように見えた。
(他にも美術館には鶴ヶ島市の高校による平和記念公園の模型や
松山女子高校の旅行班による広島市産業奨励館(原爆ドーム)の模型、
朝霞市の中学生による千羽鶴と手を繋ぐ男女の絵などが寄贈され展示されています)

こんなのもあるんだ、と思ったのが西陣織で制作された原爆の図。
大阪の実業家の福西さんという人が広島に知り合いが多く、供養のため緞帳を作りたいということで
夫妻に下絵を注文したらしい。
西陣織は2年間かけ制作され1978年に完成・寄贈されていまして
福西さんの希望できのこ雲や原爆ドームが描かれているのが特徴でしょうか。
また、別室の展示室には「水俣の図」(1980年制作)や「南京大虐殺」(1975年)、
「アウシュビッツの図」(1977年)などもありました。
キャプションは夫妻が絵に寄せた言葉が書かれていたのですが
「水俣・原発・三里塚」の絵に「成田空港は半分ほどできましたが」とあって
おお、この絵が描かれた当初は成田はまだ完成してなかったのか…と歴史を垣間見た思いがした。

あと、夫妻は別に原爆の絵ばかり描いていたわけではなく他のテーマの絵も見られました。
俊さんの「鳩笛」(1960年)はとてもよかった!
鳩笛を吹く着物姿の女性の絵で、アヤメの花が添えられていて素敵でした。
位里さんの妹・大道あやさんの絵もあって(越生に住んだ人で美術館もあるよね)、
「解放」(1980年)は梅の花が画面いっぱいに咲いた中を鶏や犬が走り回っている絵で
画風もテーマも明らかにスマさんの影響がある作品でした。
彼女は生前「犬や猫がいていっぱい花が咲いてる絵を見たらみんな『平和がええのう』と思うじゃろ」と話していたそうな。


2階の展示室の一部はアートスペースとなっていて「富丘太美子展 鋳物工場」が開催中でした。
富丘さんは仕事を定年退職してから油絵を描き始めたそうで
亡くなった夫の三郎さんが描いていた鋳物工場や、そこで働く鋳物師に惹かれ描き続けているとか。
圧倒されたのが光の表現で、工場の内部に飛び散る光と背景のコントラストとか
天井から降り注ぐ陽の光とか、光の当たらない工場奥の青さとか。
溶湯の赤やオレンジの色彩がとても強烈で、工場にいるわけでもないのに熱さを感じました。
100号作品が多いせいか余計にそう思えたような…大きい作品は臨場感があるよね。


そういえば吉永小百合さんが今年5月に丸木美術館にいらっしゃったらしく、
直筆の色紙がミュージアムショップに飾られていました。
「今、私達にできることは丸木夫妻の絵をしっかりと受け止め、次の世代に伝えていくことです」という
力強い一文が文末に記されていました。
あと高畑勲氏も9月にいらっしゃったとかで感想を語ってらっしゃいます→こちら

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美術館の向かいに立つ原爆観音のお堂。
左奥にあるのは流々庵といって夫妻が晩年にアトリエとして使った建物で
今は来館者の休憩所になっています。

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石でできた観音像。
スマさんの「ピカは人が落とさにゃ落ちてこん」という言葉の色紙も飾られていた。

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建物の外観には鳩や魚、貝殻などのレリーフが飾られています。
原爆の図の「とうろう流し」や「署名」などにも鳩が描かれていたっけな…。

「翔べ 翔べ 鳩よ 高くあこがれながら
翔べ 翔べ 白い鳩よ 明日は虹色の空へ」
(ダ・カーポ『鳩の詩』)より
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C.O.M.M.E.N.T

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