梅終わり桜咲く前の京都旅。
日帰り京都でした!
六道珍皇寺さんの特別公開と、京都文博の北野天満宮展が目当てです。
梅の季節は終わりましたが桜はあまり咲いていなかったので
市内もそこまで混雑はなく動きやすくて助かりました。
たぶん京都の桜の見頃は今週末くらいではないかな。

夜行バスで京都入りしてSAGANさんで朝ごはん!
このお店のお蔭で京都旅の朝ごはんはいつも充実しています。ありがとうございます。

六道さんへ。
休日の間の平日だったせいか人がほとんどいなくて、ゆっくりお参りできました。

春先のお庭。

いただいた限定御朱印。
珍皇寺参詣曼荼羅の図柄を使った金地御朱印と医王殿の紺紙御朱印です。
医王殿は今まで墨書きのみで書き置きになったのは初めてだから
これから若草色や紅葉色が出てくるかもしれないな~こまめにチェックせねば。
六道さんのお参りを終えた後は市バスで移動。涅槃図を公開している真如堂に向かいます。
バス停で降りて「真如堂こっち」的な矢印をたどっていきますと。

おおっ、登り坂だ。
京都もこの辺りにくると坂が増えますよな。
以下、写真が多いのでたたんであります↓クリックで開きますのでどうぞ☆

登り坂の途中に突然現れた階段。
「あと20m!がんばって!」という看板に励まされながら登って行きますと。

着いた~。
あとでわかったのですがこちら、本堂の裏側だったのでした。

黄色い山茱萸の花が満開でした。
薬師堂の前に植えられていたのは薬用として漢方などに使われる植物でもあるからかな。
境内をぐるりと回って入口の方へ向かって歩いていきましたら。

おわーーーっそうだ、確かこの3人の逸話を海北友松展で知ったんだった(゚∀゚)☆
というわけで参拝の前にお墓参りです。

手前が海北友松、奥が斎藤利三のお墓です。
斎藤利三は明智光秀の部下で、本能寺の変後に戦死していますが
彼を真如堂に葬ったのが海北友松と東陽坊長盛なんだよね。

ちょっと離れた場所に東陽坊長盛のお墓もありました。2人のに比べると小っちゃい。
長盛は千利休とも交流があった人で、真如堂の塔頭東陽院の開祖でもあります。
秀吉が催した北野大茶会で彼が建てた茶席「東陽坊」は建仁寺に移築されているらしくて
建仁寺さんはよく通りかかるのに気づかなかったな~見に行ってみたい。

たてかわ桜。
斎藤利三の娘であるお福(春日局)が父親を弔うために植えたものです。
ソメイヨシノより3日ほど早く咲くそうですが、この日はまだ蕾でした。

本堂に行く前に表門へ回ってみました。改めてここから入るよ~。

三重塔。江戸時代の建立です。
修理中のようで工事の足場が組まれていました。

本堂。涅槃図はここで見られますよ~。
真如堂は正式には真正極楽寺といって、平安時代半ばに藤原詮子の別荘神楽岡(吉田山)に
延暦寺の戒算という僧が阿弥陀如来像を安置したのが始まりだそうです。
応仁の乱後に各地を転々として江戸時代に現在の地に再建されています。
3月は涅槃会が行われますので、各地のお寺では涅槃図が公開されますが
真如堂も毎年この時期に涅槃図を公開しています。→こちら
1709年に三井家の女性たちの寄進をもとに僧厭求と海北友賢の工房で制作されたもので
大きさは縦6メートル・幅4メートルあり、絵の具もふんだんに使われていて極彩色の涅槃図では国内最大級とか。
確かに本堂の天井から吊り下げられたあの掛軸は本当に大きかった…!
ずっと上を見上げていたら首が痛くなりました。。
数年前に大規模な修復を行った際、描かれている動物の調査もしたそうですが
四つ足や鳥たち、海の生き物たち、虫たちなど127種もの動植物がいるそうな。
あと、ここの涅槃図をずっと見たかった理由のひとつが猫が描かれているからなのですが
(猫はあまり涅槃図の中には発見されていない動物だったりする)、
ここの涅槃図には猫が2匹いて、そのうち1匹は三尾のようです。
どちらも目がきゅっとして毛がふさふさした猫ちゃんたちでした。かわゆす。

いただいた花供曽と決定往生の印。
花供曽はお正月の鏡餅のおさがりを小さく刻んで黒砂糖をからめたお菓子で
涅槃図公開の時期に参拝者に授与されるものです。
決定往生の印は真如堂に安置されている不動明王像が安倍晴明の念持仏だったことが由来で、
真如堂縁起絵巻には不動明王のとりなしで晴明が地獄からよみがえったとする記述もあるそうで
印はその際に晴明が閻魔大王から授かったとされているとか。
お寺では毎年7月25日の宝物虫払会にてこの決定往生の印を参拝者の額に押すそうですが
ちょっと興味はあるもののさすがに額は遠慮したいと思ってこの時期に書置きだけいただきに来ました。
真っ赤でかっこいい。

本堂を出てスリッパを借り、渡り廊下をわたって別の建物に庭園を見に行きます。

瓦の一部。昔の建物に使われていたのかな。

随縁の庭。
2010年に作庭家の重森千青氏により設計されたそうで、
真如堂が三井家の菩提寺であるため三井家の家紋を模しているそうです。
きれいな幾何学的なデザインで見とれてしまいました(*´Д`*)。
ちなみにこの随縁の庭があるお部屋には鈴木松年の松図(撮影禁止)が描かれた襖があります。

燈明寺石燈籠。
鎌倉時代のもので三井家に伝わっていたそうですが、最近になって真如堂に寄贈されたそうです。

1988年に曽根三郎氏によりつくられた涅槃の庭。
涅槃図をモデルに設計されたことからそう名付けられたようです。
真ん中の大きな石が左(北)向きに横たわった釈迦で、周りを弟子や動物たちが囲んでいる様子を
小さな石で表現しています。
背景は東山からの借景で遠近感も絶妙。
誰もいなかったので縁側に腰かけて独り占め気分でボーっと座って眺めてしまった…よい時間でした。

本堂を出たときに見つけた京都映画誕生の碑。
フランスのリュミエール兄弟が発明したシネマトグラフカメラをかたどっていて
このカメラが初めて日本に持ち込まれ上映されたのが京都であり、
マキノ省三が1908年に映画「本能寺合戦」を撮影した場所が真如堂だったことから
ここに建立されたようです。

赤崎弁天のある池。
室町時代に善阿弥という行者が真如堂の勧進のため周防国を訪れ、
赤崎弁財天の前で断食して祈ったところ巨額の勧進を得られたのでこちらに勧請したそうです。
弁財天は水の神様だから、池がよく似合うよね。
この後は市バスで四条河原町に移動しました~。

ランチ!
先斗入ルでいただいた豚しゃぶと京野菜のパスタ。おだし風味でおいしかったです!

京都文博へてくてく歩いていく途中で、某お店の前で見かけた看板。
京都風「駐車お断り」。

文博に来ました~!表装展以来だから2年ぶりです。相変わらずかっこいい赤レンガ。

特別展「北野天満宮 信仰と名宝-天神さんの源流」を鑑賞します。
菅原道真の人となりから北野天満宮の創立、平安~現代に至るまでの信仰の歴史をたどる展覧会です。
10年以上前に見た北野天神縁起絵巻にまた会いたくて来ました~一部が展示されるそうなので。
まずは北野さんの祭神である菅原道真について。
菅家文章と菅家後集で彼の詩作を、類聚国史で仕事の一部を、
寛平御遺戒で天皇から見た道真の姿を見ることができました。
平安時代初期は漢詩の時代で、道真はその生涯で膨大な数の詩を作っていて
現在残っているのはほんの一部ですがそれでもあの数はやっぱりすごいと思う。
(なおこの後は古今集などが作られ歌の時代になってゆくので漢詩最盛期最後の時代を生きた人ともいえる)
御遺戒は宇多天皇が息子の醍醐天皇のために書き残したもので
道真の人物評のページが開かれていました。
学者で政治に精通しているので登用したところよく諫言を受けた、東宮を立てたとき道真だけと相談した、
譲位するときも時が満ちるまでは賛成してくれなかった、忠臣ではなく功臣になるはずである、などなど
むちゃくちゃデキる部下だよ的な記述が見られます。
宇多ちゃんは藤原時平や紀長谷雄などの臣下についても書いているのですが
道真については他の人に比べてかなりの紙幅を割いているんですよね。
2人がとても仲良しだったことが伝わってくる文章です。
続いて、北野天満宮の創建について。
北野御託宣并記文縁起(室町時代)は現存する最古の創建に関する文章だそうです。
ほとんどの神社がそうであるように北野さんの始まりも託宣からだったとされていて、
始まりは道真の死後に彼の乳母だった多治比文子に右近馬場へ祀れとの託宣があり、
次に近江の神良種の息子太郎丸に道真の霊が降りて自分を祀れという託宣があって
北野さん創建に繋がっていくようです。
(これらは道真の左遷に関わった人々の突然死や清涼殿への落雷の後の出来事らしい)
そんなわけで北野さんの信仰は鎌倉時代あたりにはもうあったのですが、
1302年2月の後宇多上皇の天満宮への御幸記がもうすごい。
天皇が神社へ来た際に行われた儀式の進行を記した本なのですが
神楽を奉納したり漢詩会を開いたりなどたくさんのプログラムがあってすべてを終えるまでに2日間かかり、
3日目の朝にようやく終わったということらしいです。なんじゃそら^^;
みんな天神さんに気合い入れすぎでしょ…終わった後はちゃんと寝たのかなあ。
ここから怒涛の絵巻展示です!
国宝の北野天神縁起絵巻(承久本)は八巻の無間地獄の場面が展示されていて、
犬や大蛇の吐く炎に焼かれて苦しむ人々とその炎の間を平然と歩く獄卒たちの対比がえぐい。
とにかく炎の描写がすさまじく、紙の上下左右が赤い絵の具で埋め尽くされていて
(無間地獄は隙間のない地獄の意)絵師はどんな気持ちで描いていたのかと想像してしまいました。
過去に見た地獄草紙や伴大納言絵巻の炎もすごかったけど北野天神絵巻もすごいよな…。
10年以上前に初めて北野天満宮を訪れたとき、
たまたまですけど宝物館で縁起絵巻の一挙公開をやっていて全編見る機会にめぐまれまして
そのとき以来の再会だったんですけど、
記憶の中の絵巻よりももっとすさまじい力をもった作品だったことを改めて見て気づかされました。
有名な清涼殿落雷の場面も見たかったけど展示替えされてしまっていて会えませんでした、
次はいつ見られるだろうな…死ぬまでにあともう1回くらいは見たいなあ。
(そして10年以上前は他の刀と一緒の展示ケースに展示されていて
「天満宮にたくさんある刀のうちの一振」でしかなかった鬼切丸が、
今や宝物館入口にでーんとピン展示されるまでに出世したことも感慨深いですね)
また、現存する承久本は全8巻で、6巻までは道真の生涯で7・8巻は日蔵上人の地獄めぐりですが
その後も制作される予定だったのか白描の下絵が残っているそうで、今回はその一部も鑑賞できました。
社殿っぽい描写がみられたので境内ができていく様子が描かれるはずだったのでしょうか。
次の絵巻は承久本から約200年後の弘安年間の制作で全3巻、
承久本と同じく道真の生涯から北野さん創建や逸話について書かれたもので
展示されていたのは左遷された道真が太宰府で衣を抱いて泣いている場面。
あれ宇多ちゃんがくれた衣なんだよね…つらい。
さらに時代が下り室町時代後期に土佐光信と光起が制作した縁起絵巻があって
こちらはさすが土佐派というかきれいなやまと絵で、
鎌倉時代の生々しさが消えてすっきりした場面が多く、夢を見ているような印象でした。
松平定信による天満宮御畧伝は、道真900年忌の翌年に制作された絵巻で
制作にあたり色んな人がお金を出したらしいのですがラインナップがすごい、
あとがきを見るだけでも細川・酒井・太田・堀田・真田などの名前が並んでいました。
ちょっと気合い入れて作りすぎじゃない…?本当に定信さんは平安時代が好きだなあ。
北野天満宮の神様の姿について。
道真の姿を描いたものはたくさんあり、姿形も色々ありまして
束帯を着た束帯天神像、中国に渡ったという伝説をもとにした渡唐天神像、
太宰府に向かう途中で寄った須磨にて漁師の綱の円座で休憩した逸話にちなむ綱敷天神像など
様々な姿の道真が展示されていました。
狩野永納が奉納した束帯天神像には十一面観音の梵字「キャ」が入っていて、
これは北野さんが神仏習合だった時代に道真の本地仏を十一面観音としていた名残だとか。
そうだ北野さんも歴史の例に漏れず神仏習合だったんだよね…。
火天・閻魔天図扉絵は境内にかつて存在した多宝塔に使われていたものだそうで
おひげ閻魔さまがなかなかイケメンでした。(多宝塔そのものは神仏分離令のとき解体されたらしい)
他にも、天神講のための式を集めた諸大師講式とか
北野さんが所蔵する法華経があってビビったのですが、
これは北野さんがかつて比叡山の末社で北野宮寺とも言われていた時期があったからだそうで…
その時代は法華三昧とかも行われたらしいです。
あと道真の祖父の清公が吉祥天を家に祀っていたということから
参考として東向観音寺の所蔵する吉祥天立像が展示されていました。
まとう衣から足元の波の動きまで見事な彫刻でした。
室町時代の北野天満宮について。
足利義持下知状と、一色義範遵行状と、酒屋・土倉等請文がセットですごい。
ある日、北野さんに奉仕していた麹座の神人から
最近は酒屋が自分たちで酒麹を作っていてこっちは商売あがったりだから何とかしてほしいと訴えがあり、
酒麹の製造販売を西京神人にのみ許可すると義持が下知状を出したことにより、
京都の酒屋は北野麹座から麹を買うことになったそうです。
それを各地の守護大名が周知のために遵行状を出し(一色氏の遵行状はそのうちの一通)、
さらに京都中の酒屋が「もう麹は作りません」という請文を提出する騒動にまでなっています。
展示されていた請文は52通でしたが、もしかしたらもっとあったかもしれないし
酒屋の中には北野さんの使者の目の前で麹室を破壊した店もあったようで…大変な騒動だったのですな。
いつも思うけど当時の寺社の権力への影響力はすさまじいものがあります。
桃山時代の北野天満宮について。
12歳の豊臣秀頼が奉納した「南無天満大自在天神」の掛軸は本人による手だそうで
ほんとに12歳の字かよと思うほどかっこよく力強かったです。
豊臣秀次が大政所の病気回復を祈り奉納した願文や、豊臣家奉納の金銅釣燈籠などもあって
北野さんが豊臣家とも繋がりが深かったことがうかがい知れます。
さらに豊臣家は境内の改築なども行ったようで、
その際に使われた御神体仮輿(一時的に御神体を遷座させるための箱)などもありました。
秀吉が主催した北野大茶会の高札は江戸時代の復元だそうですが
プログラムがたくさん書いてあり賑やかだったんだろうなと。
狩野孝信が描いた北野遊楽図屏風はその茶会を彷彿とさせるような雰囲気で
右近の馬場で歌い踊る人々が賑やかに描かれていました。
この頃から北野さんは信仰の場所だけではなく茶会や舞踊など文化の交流も担っていくのだな…。
江戸時代の洛外名所遊楽図屏風は現在の上七軒などのお茶屋との関わりを彷彿とさせるし
鎌倉~室町時代の風俗の人々が舞い踊る北野祭礼図絵巻はとても賑やか。
海北友松の奉納した雲龍図屏風に久々に再会しましたが、
相変わらずニヒルな笑みを浮かべた龍がおもしろくてしばらく見入ってしまいました。
かと思えば隣に鬼切丸がいて一気に平安時代に引き戻された(^^;)これはこれで面白し。

金銅装神輿(桃山~江戸時代の制作)は写真撮影可でした。
天満宮の祭神を乗せるお神輿で、毎年11月の瑞饋祭に使われているものです。

屋根についている鳥の飾りがかわいい。

受付で見かけた冊子がおもしろそうだったので1部いただいてきました。
近代の京都画壇の画家と作品がダイジェストでまとめられていて勉強になります!
無料配布なので興味のある方は受付に声をかけてみてくだされ^^
この後は歩いて四条烏丸へ。
先週オープンしたばかりのSUINA室町(元京都経済センター)に行きます。

1階のきものステーション京都にポケモン着物があった!

乱菊とピカチュウ!かわいい~~すごい。

茶人ピカチュウと振袖ピカチュウ。
なぜこんなにポケモン推しかというと、2階にポケモンセンター京都があるからだったりする。

その2階へ。
入口で迎えてくれた舞妓さんピカチュウが超絶かわいい!!
柄が裏側で見づらいですが傘もモンスターボール柄なんですよ!かわいい。
この舞妓さんピカチュウや、さっきの茶人ピカチュウや振袖ピカチュウのグッズは
ポケセン京都限定販売だそうです。
棚にズラーーっと舞妓さんピカチュウが並ぶ様は壮観であった…すごい風景でした。
あと5月に公開予定の名探偵ピカチュウのフォトスポットがあって
パネルのピカチュウの尻尾のところだけ丸くくりぬかれてフサフサの毛がついていて
スタッフさんが「触っていいですよ!」と言ってくださったので触ったらぬいぐるみみたいにフワフワでした。
おっさん声でしゃべるというのがまったく想像つかないけれども…映画はちょっと、気になる。

SUINA室町ではオープン記念に時代衣装を再現した展覧会もやっていたのですけど
北野天満宮展で時間をかけすぎたせいで帰りの新幹線の時間が迫っていてどうしようと思っていたら
入口で図録を売っていたので迷わず購入。
展示されている衣装の写真はもちろん、再現に使われた材料や参考にした史料なども細かく載っていて
創作やお絵かきに使えるレベル!ありがたい!!
写真だけじゃなく材料や史料が載っている資料ってあまりないので…これだけでも買えてよかったです。
…で。
色々楽しんだのでさあ帰ろうと外へ出て、はたと思い出したことがありまして。
SUINA室町は四条烏丸にあるわけですが、つまりここは四条通なわけで
「あれっ四条通…あれ??」と河原町方面の交差点に行ってみましたらば。

あったーーーみずほ銀行京都支店☆
何やねんと思われるでしょうけどつまりあれです、シンカリオン聖地なんです。。
34話でタカトラくんを探し回っていたハヤトくんとフタバさんがこのお店の前でひと休みしていましたね。
(でもってこの後、ほど近い錦市場にいるのではと思いついて無事に会えるという展開でした)
思い出してよかった~~!
これで思い残すことなく帰れる、と満足して市バスで京都駅に戻ったのですが
今日のシンカリ成分はこれでは終わりませんでした。

新幹線ホームに来たら向かいの下りホームにジョウくんがいたので
「うおわああああ」と心の中で叫んで先頭まで走ってしまいました。
N700系はしょっちゅう見るけど700シリーズは久々に見たかもしれない、うおお。

清州兄弟に乗って帰りますよ~!
楽しかったですまた来ます京都。また来ます新幹線ホーム←

今月のnikinikiは黄色い花と女の子。
黄色い花…イエローフラワー…イエロー…ドクターイエロー…!(落ち着いて)
最後の最後にシンカリオン成分をぶち込まれてしまったので頭がいっぱいいっぱいなのでした。むうぅ。
六道珍皇寺さんの特別公開と、京都文博の北野天満宮展が目当てです。
梅の季節は終わりましたが桜はあまり咲いていなかったので
市内もそこまで混雑はなく動きやすくて助かりました。
たぶん京都の桜の見頃は今週末くらいではないかな。

夜行バスで京都入りしてSAGANさんで朝ごはん!
このお店のお蔭で京都旅の朝ごはんはいつも充実しています。ありがとうございます。

六道さんへ。
休日の間の平日だったせいか人がほとんどいなくて、ゆっくりお参りできました。

春先のお庭。

いただいた限定御朱印。
珍皇寺参詣曼荼羅の図柄を使った金地御朱印と医王殿の紺紙御朱印です。
医王殿は今まで墨書きのみで書き置きになったのは初めてだから
これから若草色や紅葉色が出てくるかもしれないな~こまめにチェックせねば。
六道さんのお参りを終えた後は市バスで移動。涅槃図を公開している真如堂に向かいます。
バス停で降りて「真如堂こっち」的な矢印をたどっていきますと。

おおっ、登り坂だ。
京都もこの辺りにくると坂が増えますよな。
以下、写真が多いのでたたんであります↓クリックで開きますのでどうぞ☆

登り坂の途中に突然現れた階段。
「あと20m!がんばって!」という看板に励まされながら登って行きますと。

着いた~。
あとでわかったのですがこちら、本堂の裏側だったのでした。

黄色い山茱萸の花が満開でした。
薬師堂の前に植えられていたのは薬用として漢方などに使われる植物でもあるからかな。
境内をぐるりと回って入口の方へ向かって歩いていきましたら。

おわーーーっそうだ、確かこの3人の逸話を海北友松展で知ったんだった(゚∀゚)☆
というわけで参拝の前にお墓参りです。

手前が海北友松、奥が斎藤利三のお墓です。
斎藤利三は明智光秀の部下で、本能寺の変後に戦死していますが
彼を真如堂に葬ったのが海北友松と東陽坊長盛なんだよね。

ちょっと離れた場所に東陽坊長盛のお墓もありました。2人のに比べると小っちゃい。
長盛は千利休とも交流があった人で、真如堂の塔頭東陽院の開祖でもあります。
秀吉が催した北野大茶会で彼が建てた茶席「東陽坊」は建仁寺に移築されているらしくて
建仁寺さんはよく通りかかるのに気づかなかったな~見に行ってみたい。

たてかわ桜。
斎藤利三の娘であるお福(春日局)が父親を弔うために植えたものです。
ソメイヨシノより3日ほど早く咲くそうですが、この日はまだ蕾でした。

本堂に行く前に表門へ回ってみました。改めてここから入るよ~。

三重塔。江戸時代の建立です。
修理中のようで工事の足場が組まれていました。

本堂。涅槃図はここで見られますよ~。
真如堂は正式には真正極楽寺といって、平安時代半ばに藤原詮子の別荘神楽岡(吉田山)に
延暦寺の戒算という僧が阿弥陀如来像を安置したのが始まりだそうです。
応仁の乱後に各地を転々として江戸時代に現在の地に再建されています。
3月は涅槃会が行われますので、各地のお寺では涅槃図が公開されますが
真如堂も毎年この時期に涅槃図を公開しています。→こちら
1709年に三井家の女性たちの寄進をもとに僧厭求と海北友賢の工房で制作されたもので
大きさは縦6メートル・幅4メートルあり、絵の具もふんだんに使われていて極彩色の涅槃図では国内最大級とか。
確かに本堂の天井から吊り下げられたあの掛軸は本当に大きかった…!
ずっと上を見上げていたら首が痛くなりました。。
数年前に大規模な修復を行った際、描かれている動物の調査もしたそうですが
四つ足や鳥たち、海の生き物たち、虫たちなど127種もの動植物がいるそうな。
あと、ここの涅槃図をずっと見たかった理由のひとつが猫が描かれているからなのですが
(猫はあまり涅槃図の中には発見されていない動物だったりする)、
ここの涅槃図には猫が2匹いて、そのうち1匹は三尾のようです。
どちらも目がきゅっとして毛がふさふさした猫ちゃんたちでした。かわゆす。

いただいた花供曽と決定往生の印。
花供曽はお正月の鏡餅のおさがりを小さく刻んで黒砂糖をからめたお菓子で
涅槃図公開の時期に参拝者に授与されるものです。
決定往生の印は真如堂に安置されている不動明王像が安倍晴明の念持仏だったことが由来で、
真如堂縁起絵巻には不動明王のとりなしで晴明が地獄からよみがえったとする記述もあるそうで
印はその際に晴明が閻魔大王から授かったとされているとか。
お寺では毎年7月25日の宝物虫払会にてこの決定往生の印を参拝者の額に押すそうですが
ちょっと興味はあるもののさすがに額は遠慮したいと思ってこの時期に書置きだけいただきに来ました。
真っ赤でかっこいい。

本堂を出てスリッパを借り、渡り廊下をわたって別の建物に庭園を見に行きます。

瓦の一部。昔の建物に使われていたのかな。

随縁の庭。
2010年に作庭家の重森千青氏により設計されたそうで、
真如堂が三井家の菩提寺であるため三井家の家紋を模しているそうです。
きれいな幾何学的なデザインで見とれてしまいました(*´Д`*)。
ちなみにこの随縁の庭があるお部屋には鈴木松年の松図(撮影禁止)が描かれた襖があります。

燈明寺石燈籠。
鎌倉時代のもので三井家に伝わっていたそうですが、最近になって真如堂に寄贈されたそうです。

1988年に曽根三郎氏によりつくられた涅槃の庭。
涅槃図をモデルに設計されたことからそう名付けられたようです。
真ん中の大きな石が左(北)向きに横たわった釈迦で、周りを弟子や動物たちが囲んでいる様子を
小さな石で表現しています。
背景は東山からの借景で遠近感も絶妙。
誰もいなかったので縁側に腰かけて独り占め気分でボーっと座って眺めてしまった…よい時間でした。

本堂を出たときに見つけた京都映画誕生の碑。
フランスのリュミエール兄弟が発明したシネマトグラフカメラをかたどっていて
このカメラが初めて日本に持ち込まれ上映されたのが京都であり、
マキノ省三が1908年に映画「本能寺合戦」を撮影した場所が真如堂だったことから
ここに建立されたようです。

赤崎弁天のある池。
室町時代に善阿弥という行者が真如堂の勧進のため周防国を訪れ、
赤崎弁財天の前で断食して祈ったところ巨額の勧進を得られたのでこちらに勧請したそうです。
弁財天は水の神様だから、池がよく似合うよね。
この後は市バスで四条河原町に移動しました~。

ランチ!
先斗入ルでいただいた豚しゃぶと京野菜のパスタ。おだし風味でおいしかったです!

京都文博へてくてく歩いていく途中で、某お店の前で見かけた看板。
京都風「駐車お断り」。

文博に来ました~!表装展以来だから2年ぶりです。相変わらずかっこいい赤レンガ。

特別展「北野天満宮 信仰と名宝-天神さんの源流」を鑑賞します。
菅原道真の人となりから北野天満宮の創立、平安~現代に至るまでの信仰の歴史をたどる展覧会です。
10年以上前に見た北野天神縁起絵巻にまた会いたくて来ました~一部が展示されるそうなので。
まずは北野さんの祭神である菅原道真について。
菅家文章と菅家後集で彼の詩作を、類聚国史で仕事の一部を、
寛平御遺戒で天皇から見た道真の姿を見ることができました。
平安時代初期は漢詩の時代で、道真はその生涯で膨大な数の詩を作っていて
現在残っているのはほんの一部ですがそれでもあの数はやっぱりすごいと思う。
(なおこの後は古今集などが作られ歌の時代になってゆくので漢詩最盛期最後の時代を生きた人ともいえる)
御遺戒は宇多天皇が息子の醍醐天皇のために書き残したもので
道真の人物評のページが開かれていました。
学者で政治に精通しているので登用したところよく諫言を受けた、東宮を立てたとき道真だけと相談した、
譲位するときも時が満ちるまでは賛成してくれなかった、忠臣ではなく功臣になるはずである、などなど
むちゃくちゃデキる部下だよ的な記述が見られます。
宇多ちゃんは藤原時平や紀長谷雄などの臣下についても書いているのですが
道真については他の人に比べてかなりの紙幅を割いているんですよね。
2人がとても仲良しだったことが伝わってくる文章です。
続いて、北野天満宮の創建について。
北野御託宣并記文縁起(室町時代)は現存する最古の創建に関する文章だそうです。
ほとんどの神社がそうであるように北野さんの始まりも託宣からだったとされていて、
始まりは道真の死後に彼の乳母だった多治比文子に右近馬場へ祀れとの託宣があり、
次に近江の神良種の息子太郎丸に道真の霊が降りて自分を祀れという託宣があって
北野さん創建に繋がっていくようです。
(これらは道真の左遷に関わった人々の突然死や清涼殿への落雷の後の出来事らしい)
そんなわけで北野さんの信仰は鎌倉時代あたりにはもうあったのですが、
1302年2月の後宇多上皇の天満宮への御幸記がもうすごい。
天皇が神社へ来た際に行われた儀式の進行を記した本なのですが
神楽を奉納したり漢詩会を開いたりなどたくさんのプログラムがあってすべてを終えるまでに2日間かかり、
3日目の朝にようやく終わったということらしいです。なんじゃそら^^;
みんな天神さんに気合い入れすぎでしょ…終わった後はちゃんと寝たのかなあ。
ここから怒涛の絵巻展示です!
国宝の北野天神縁起絵巻(承久本)は八巻の無間地獄の場面が展示されていて、
犬や大蛇の吐く炎に焼かれて苦しむ人々とその炎の間を平然と歩く獄卒たちの対比がえぐい。
とにかく炎の描写がすさまじく、紙の上下左右が赤い絵の具で埋め尽くされていて
(無間地獄は隙間のない地獄の意)絵師はどんな気持ちで描いていたのかと想像してしまいました。
過去に見た地獄草紙や伴大納言絵巻の炎もすごかったけど北野天神絵巻もすごいよな…。
10年以上前に初めて北野天満宮を訪れたとき、
たまたまですけど宝物館で縁起絵巻の一挙公開をやっていて全編見る機会にめぐまれまして
そのとき以来の再会だったんですけど、
記憶の中の絵巻よりももっとすさまじい力をもった作品だったことを改めて見て気づかされました。
有名な清涼殿落雷の場面も見たかったけど展示替えされてしまっていて会えませんでした、
次はいつ見られるだろうな…死ぬまでにあともう1回くらいは見たいなあ。
(そして10年以上前は他の刀と一緒の展示ケースに展示されていて
「天満宮にたくさんある刀のうちの一振」でしかなかった鬼切丸が、
今や宝物館入口にでーんとピン展示されるまでに出世したことも感慨深いですね)
また、現存する承久本は全8巻で、6巻までは道真の生涯で7・8巻は日蔵上人の地獄めぐりですが
その後も制作される予定だったのか白描の下絵が残っているそうで、今回はその一部も鑑賞できました。
社殿っぽい描写がみられたので境内ができていく様子が描かれるはずだったのでしょうか。
次の絵巻は承久本から約200年後の弘安年間の制作で全3巻、
承久本と同じく道真の生涯から北野さん創建や逸話について書かれたもので
展示されていたのは左遷された道真が太宰府で衣を抱いて泣いている場面。
あれ宇多ちゃんがくれた衣なんだよね…つらい。
さらに時代が下り室町時代後期に土佐光信と光起が制作した縁起絵巻があって
こちらはさすが土佐派というかきれいなやまと絵で、
鎌倉時代の生々しさが消えてすっきりした場面が多く、夢を見ているような印象でした。
松平定信による天満宮御畧伝は、道真900年忌の翌年に制作された絵巻で
制作にあたり色んな人がお金を出したらしいのですがラインナップがすごい、
あとがきを見るだけでも細川・酒井・太田・堀田・真田などの名前が並んでいました。
ちょっと気合い入れて作りすぎじゃない…?本当に定信さんは平安時代が好きだなあ。
北野天満宮の神様の姿について。
道真の姿を描いたものはたくさんあり、姿形も色々ありまして
束帯を着た束帯天神像、中国に渡ったという伝説をもとにした渡唐天神像、
太宰府に向かう途中で寄った須磨にて漁師の綱の円座で休憩した逸話にちなむ綱敷天神像など
様々な姿の道真が展示されていました。
狩野永納が奉納した束帯天神像には十一面観音の梵字「キャ」が入っていて、
これは北野さんが神仏習合だった時代に道真の本地仏を十一面観音としていた名残だとか。
そうだ北野さんも歴史の例に漏れず神仏習合だったんだよね…。
火天・閻魔天図扉絵は境内にかつて存在した多宝塔に使われていたものだそうで
おひげ閻魔さまがなかなかイケメンでした。(多宝塔そのものは神仏分離令のとき解体されたらしい)
他にも、天神講のための式を集めた諸大師講式とか
北野さんが所蔵する法華経があってビビったのですが、
これは北野さんがかつて比叡山の末社で北野宮寺とも言われていた時期があったからだそうで…
その時代は法華三昧とかも行われたらしいです。
あと道真の祖父の清公が吉祥天を家に祀っていたということから
参考として東向観音寺の所蔵する吉祥天立像が展示されていました。
まとう衣から足元の波の動きまで見事な彫刻でした。
室町時代の北野天満宮について。
足利義持下知状と、一色義範遵行状と、酒屋・土倉等請文がセットですごい。
ある日、北野さんに奉仕していた麹座の神人から
最近は酒屋が自分たちで酒麹を作っていてこっちは商売あがったりだから何とかしてほしいと訴えがあり、
酒麹の製造販売を西京神人にのみ許可すると義持が下知状を出したことにより、
京都の酒屋は北野麹座から麹を買うことになったそうです。
それを各地の守護大名が周知のために遵行状を出し(一色氏の遵行状はそのうちの一通)、
さらに京都中の酒屋が「もう麹は作りません」という請文を提出する騒動にまでなっています。
展示されていた請文は52通でしたが、もしかしたらもっとあったかもしれないし
酒屋の中には北野さんの使者の目の前で麹室を破壊した店もあったようで…大変な騒動だったのですな。
いつも思うけど当時の寺社の権力への影響力はすさまじいものがあります。
桃山時代の北野天満宮について。
12歳の豊臣秀頼が奉納した「南無天満大自在天神」の掛軸は本人による手だそうで
ほんとに12歳の字かよと思うほどかっこよく力強かったです。
豊臣秀次が大政所の病気回復を祈り奉納した願文や、豊臣家奉納の金銅釣燈籠などもあって
北野さんが豊臣家とも繋がりが深かったことがうかがい知れます。
さらに豊臣家は境内の改築なども行ったようで、
その際に使われた御神体仮輿(一時的に御神体を遷座させるための箱)などもありました。
秀吉が主催した北野大茶会の高札は江戸時代の復元だそうですが
プログラムがたくさん書いてあり賑やかだったんだろうなと。
狩野孝信が描いた北野遊楽図屏風はその茶会を彷彿とさせるような雰囲気で
右近の馬場で歌い踊る人々が賑やかに描かれていました。
この頃から北野さんは信仰の場所だけではなく茶会や舞踊など文化の交流も担っていくのだな…。
江戸時代の洛外名所遊楽図屏風は現在の上七軒などのお茶屋との関わりを彷彿とさせるし
鎌倉~室町時代の風俗の人々が舞い踊る北野祭礼図絵巻はとても賑やか。
海北友松の奉納した雲龍図屏風に久々に再会しましたが、
相変わらずニヒルな笑みを浮かべた龍がおもしろくてしばらく見入ってしまいました。
かと思えば隣に鬼切丸がいて一気に平安時代に引き戻された(^^;)これはこれで面白し。

金銅装神輿(桃山~江戸時代の制作)は写真撮影可でした。
天満宮の祭神を乗せるお神輿で、毎年11月の瑞饋祭に使われているものです。

屋根についている鳥の飾りがかわいい。

受付で見かけた冊子がおもしろそうだったので1部いただいてきました。
近代の京都画壇の画家と作品がダイジェストでまとめられていて勉強になります!
無料配布なので興味のある方は受付に声をかけてみてくだされ^^
この後は歩いて四条烏丸へ。
先週オープンしたばかりのSUINA室町(元京都経済センター)に行きます。

1階のきものステーション京都にポケモン着物があった!

乱菊とピカチュウ!かわいい~~すごい。

茶人ピカチュウと振袖ピカチュウ。
なぜこんなにポケモン推しかというと、2階にポケモンセンター京都があるからだったりする。

その2階へ。
入口で迎えてくれた舞妓さんピカチュウが超絶かわいい!!
柄が裏側で見づらいですが傘もモンスターボール柄なんですよ!かわいい。
この舞妓さんピカチュウや、さっきの茶人ピカチュウや振袖ピカチュウのグッズは
ポケセン京都限定販売だそうです。
棚にズラーーっと舞妓さんピカチュウが並ぶ様は壮観であった…すごい風景でした。
あと5月に公開予定の名探偵ピカチュウのフォトスポットがあって
パネルのピカチュウの尻尾のところだけ丸くくりぬかれてフサフサの毛がついていて
スタッフさんが「触っていいですよ!」と言ってくださったので触ったらぬいぐるみみたいにフワフワでした。
おっさん声でしゃべるというのがまったく想像つかないけれども…映画はちょっと、気になる。

SUINA室町ではオープン記念に時代衣装を再現した展覧会もやっていたのですけど
北野天満宮展で時間をかけすぎたせいで帰りの新幹線の時間が迫っていてどうしようと思っていたら
入口で図録を売っていたので迷わず購入。
展示されている衣装の写真はもちろん、再現に使われた材料や参考にした史料なども細かく載っていて
創作やお絵かきに使えるレベル!ありがたい!!
写真だけじゃなく材料や史料が載っている資料ってあまりないので…これだけでも買えてよかったです。
…で。
色々楽しんだのでさあ帰ろうと外へ出て、はたと思い出したことがありまして。
SUINA室町は四条烏丸にあるわけですが、つまりここは四条通なわけで
「あれっ四条通…あれ??」と河原町方面の交差点に行ってみましたらば。

あったーーーみずほ銀行京都支店☆
何やねんと思われるでしょうけどつまりあれです、シンカリオン聖地なんです。。
34話でタカトラくんを探し回っていたハヤトくんとフタバさんがこのお店の前でひと休みしていましたね。
(でもってこの後、ほど近い錦市場にいるのではと思いついて無事に会えるという展開でした)
思い出してよかった~~!
これで思い残すことなく帰れる、と満足して市バスで京都駅に戻ったのですが
今日のシンカリ成分はこれでは終わりませんでした。

新幹線ホームに来たら向かいの下りホームにジョウくんがいたので
「うおわああああ」と心の中で叫んで先頭まで走ってしまいました。
N700系はしょっちゅう見るけど700シリーズは久々に見たかもしれない、うおお。

清州兄弟に乗って帰りますよ~!
楽しかったですまた来ます京都。また来ます新幹線ホーム←

今月のnikinikiは黄色い花と女の子。
黄色い花…イエローフラワー…イエロー…ドクターイエロー…!(落ち着いて)
最後の最後にシンカリオン成分をぶち込まれてしまったので頭がいっぱいいっぱいなのでした。むうぅ。
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涅槃図
- 2019/03/27(水) 22:28:27 |
- URL |
- 橘右近大夫
- [ 編集 ]
真如堂の涅槃図、見に行つたことあります。猫、居ましたね。
映画誕生の碑は良く覚えてゐるのですが、斉藤利三の墓所があるのは知りませんでした。あゝ、後悔先に立たずですね。
もうすぐ、桜ですね。今年はどこに行かうかなと思案中です。
Re: 涅槃図
- 2019/03/28(木) 21:51:34 |
- URL |
- ゆさ
- [ 編集 ]
橘様も真如堂行かれましたか~!
涅槃図に猫、いましたね!ふっさふさのお毛々でかわいかったです。
お墓はわたしもまったく知らずに行ったのでちょっと得した気分でした。
歴史が長かったり大きなお寺は有名人のお墓が多くて、
わたしも何度か気づかずに帰ってしまって後悔したことが何度もあります。
最近はお寺に行ったらお墓をチェックするようになりましたね。
関東もいつの間にか桜が満開ですね。お花見に行きたいです☆
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