文化財のお医者さんその2。
六本木の泉屋博古館分館で「文化財よ、永遠に」展を見てきました。
先日、東博で見た展示と同時開催の展覧会です。
会期ギリギリに駆け込みましたがそんなに混んでなくて見やすかったです。よかった。

六本木一丁目駅を出ようとしたらポスターがでかでかと貼ってある自動ドアを発見。
これなら出口を間違えないですね。

階段を登って登って、博古館に着きました。来るの初めてだよ。

入口にも大きな垂れ幕が。
館内はロビーを挟んで2つの展示室があって、そんなに作品数も多くなかったし
鑑賞者もほどほどだったのでゆったり見られました。
展示されている作品の隣に修理前・修理後の写真や修理の過程をコマ撮りした写真があり、
説明書きも添えられているので読んでいるとあっという間に時間が過ぎていきました。
展示室そんなに広くないのに気づいたら2時間近くいた…修復のウラガワンダーランドはおもしろい。

修理を担当した業者の名前が入っている展示品一覧表なんて初めて見る。
世の中には文化財のお医者さんがたくさんいるのだ。
東博では主に仏像の修復について展示されていましたが、
博古館では主に掛軸や絵巻、油絵などの絵画を中心に展示していました。
栃木県日光山輪王寺の大威徳明王像、修法で使われたために煙と煤で真っ黒になってしまい
横折れもひどかったそうです。修法は絵の前で火も使うからなあ…。
煤を丁寧に取り除き、裏打ちを取って貼りなおして綺麗になったし
絵の裏には1793年に修理したという銘も墨書きされていたことがわかったらしいです。
個人蔵の金剛界曼荼羅図も修理前は横折れがひどく、絵の具が浮いて、亀裂も入っていたそうです。
解体して裏打ち紙を取り換えて、カラフルな色彩を取り戻しています。
また、1534年・1623年・1755年・1834年にそれぞれ修理をした墨書き銘も裏に貼られていて
(それぞれ織田信長が生まれて徳川家光が将軍になってオスカル様が生まれて近藤勇が生まれた年だ)
100年ごとに修理する原則が守られてきたみたい。
でもその銘の紙が折れの原因になっていたそうなので、剥がして別装にしたのだそうな。
山梨県大聖寺の釈迦三尊十六善神像は、織田信長の部下で武田攻めに参加した中川清秀が
戦闘の際に大聖寺の不動明王に助けられて生き延びたという話が伝わっており、
子の秀成が奉納したものだそうです。
掛軸は大切に保管され、1748年に子孫の久貞が修理を行っていますが
そのときに表面の欠損が目立たないように暗い色の裏打ち紙を貼ったらしく、
今回の修理でそれを変更したところ、本来の明るい色彩になったそうです。
子孫が大切に守り伝えてきたものですけど、必ずしも作品にとって良いかどうかは
年月が経たないとわからないのだな…技術の進歩ってすごいね。
1364年から神奈川県称名寺に伝来している十二神将像の掛軸たち。
十二神将は掛軸1枚や巻物にまとめて描かれるパターンが多いのですが
称名寺のは1掛軸に1神将で12幅セットという、なかなか珍しい作品のようです。
まず神将が真ん中に描かれ、女神・天女・童子・男神が周りに描かれ、
上に本地仏と七曜星が描かれているデザインが12幅すべてに統一されています。
1852年に光明院周海による、1929年に古社寺保存法による修理が行われた記録があるそうです。
裏打ち紙が江戸時代に多用されたものだったため、新しく取り換えたところ
色がよく見えるようになったそうな。
大倉集古館所蔵の十六羅漢像も、掛軸にそれぞれ羅漢たちが描かれているものですが
線描が中心で色数が少ないものと極彩色のものがあり、
いくつかは制作時期が異なるのではないかと考えられているそうです。
経年劣化による画面の損傷がひどく、彩色も剥落していたので
旧補絹を取って、新しく貼るものは本来の色と合わせるために古色を使って仕上げてあるとか。
中世の絵巻物。
永青文庫の長谷雄草紙は長年の巻きによる折り癖がひどかったのと
巻物自体の折れがあちこちに見られたようで貼り替えられています。
物語のクライマックスで女性が水になって消えてしまうというドラマチックなシーンの折れの様子が
写真で紹介されていましたけどあれはグロかった…展示品は美しく修復されていて感動しました。
埼玉県慈光寺の法華経一品経は歪みがひどかったそうですが、本紙が薄いので解体は見送って
カビと汚れを除去し、剥落止めと折れ伏せをほどこして補強しています。
同じく慈光寺の無量義経は、天地に金銀箔を散らした豪華な作品なのですが
その金属の腐食が原因で補強紙がバランスを崩し大きな折れが生じてしまったらしい。
解体修理に踏み切り、彩色の剥落を止める液体を塗ったそうです。
金銀…昔の人もキラキラしてたら綺麗だよねって思ってつけただけだと思うんですよね…。
それが後世に腐食するなんて考えなかったろうし、
そもそもこの巻物を数百年も先の未来まで残すつもりがあったかどうかも、今となってはわかりません。
もし未来に伝える気持ちがあったとしても
その作品がいつどんな風に傷むかなんてなかなか想像つかないだろうしなあ…色々考えてしまう。
中国の絵画や水墨画など。
山口県の菊屋家住宅保存会に伝わる草虫図は元時代の掛軸で、牡丹と蝶のおめでたい絵ですが
折れがひどいうえに絵の具が粉状化し、さらに表装の紙の向きが間違ってついていたので
表装を取り外して裏打ち紙の向きを正方向にしたそうです。
修理の際に裏彩色がされていたこともわかり、牡丹には白が塗られていたみたい。
博古館所蔵の水月観音像は高麗時代の宮廷画家が描いた作品で
修理前の調査でスキャンしたところ裏彩色の痕跡が見つかったのだそうな。
なのでその彩色を見せるために効果的かつ彩色を損なわないような肌裏紙を選んで貼りなおしたそうです。
永青文庫の富士美保清見寺図は雪舟の筆と伝えられてきたようですが
今は模本である可能性の方が高いらしい。
横折れや亀裂がひどく、本紙が薄くて、でも表装に使われた糊が濃くてガッチリくっついてるので
解体はしないで裏打ちを強くしたそうです。
過去の人は、大きな絵だから壊れないようにと糊をしっかりつけたのかな…。
よかれとやったことが年月が経つと資料の負担になっていくことも多いのだよね。
近世の作品。
神奈川県東慶寺の葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱(キリスト教でパン(キリストの肉にあたる)を収める箱)は
表面の漆が汚れてくすんだのと、紫外線による劣化で螺鈿の剥落がみられたので
接着して元通りにされています。
蓋にイエスズ会の紋章があって、大文字アルファベットの大胆なデザインでおもしろい。
練馬区立美術館の比叡山真景図は池大雅が友人の三上孝軒と比叡山に行って描いた絵で
三上孝軒の詩を書き入れて後日本人に贈っています。
(隅っこに「擬李営丘筆意」と書いてあるのでオリジナルは李営丘のようですね)
過去の修理で折れ伏せのために目印につけた墨が長い年月を経てにじんでしまい、
表面の絵にまで浸透して大きなシミを作ってしまったらしい。
裏打ち紙は取り換えたけど、表面のところは本紙に影響が出るため何もせず残したそうです。
アルカンシェーン美術財団の淀川両岸図巻は円山応挙が応挙と名乗る前に制作したもので
京都から大阪まで川下りをする景色が描かれています。
巻物の真ん中に川を描き、上下の天地際に陸地を描いていますが
上の建物や人々は正位置で描かれているのに対し、下の建物や人々は逆向き(鏡写し)になってる。
欠損や剥落、絵の具の浮きやシミがあったので汚れを除去したそうです。
増上寺の五百羅漢図の100幅セットは狩野一信による作品で
一信が没するまでの10年間は一信が96幅描いて、残り4幅は妻の妙安と弟子が仕上げたものです。
すべてに裏彩色がほどこされたうえに裏箔まであったみたいで
(たとえば月に貼られた裏箔は絹目を通すと発光して見えるという仕掛けまである)、
相当な技術と時間とお金をかけて制作されたであろうことが考えられます。
折れや絵の具の欠損、肌裏紙の剥離、過去の修理で欠損部に当てられた補強の影響まであって
今はすべて修復され美しい彩色を見ることができますが
1幅1幅が大きいうえに絵の具の数も多いから職人さんたち大変だったろうな修理…。
近代の絵画。
東大大学院工学系研究科所蔵の曾川幸彦「弓術之図」は木炭とコンテで描かれた作品で
第2回内国勧業博覧会にも出品されたもの。
洋紙が悪化して折れや破れを生じ、継ぎ目が汚れ、さらに未表装でまくりのままだったので
とにかく劣化がひどかった模様。
食パンを粉砕して画面に置いて、ハケで撫でながら汚れを除去して
同じサイズの吸取紙に水を含ませて吸わせることで汚れを取る方法がとられたそうです。
また修理後に額装したとき、補強を大きくして四隅にマットをつけたのは
後世の修理もやりやすくするためだとか。
黒川古文化研究所の赤松麟「土佐堀川」は堀川の景色を見下ろしたアングルで描いていて
印象派のような雲や霧が全体的にかかっていて光を感じる絵でした。
もともと絵の具の剥落を隠すための過度な加筆がほどこされていたのと
阪神大震災で落下したのとでヘコミや折れが生じてしまい、
汚れを除去して欠損部を補強し、水彩絵の具で補彩もしてあるそうです。
1917年発表の作品ですがキャンバスには1913年の書き込みもあり、再利用ではないかと考えられてもいます。
櫻谷文庫の木島櫻谷「かりくら」は3人の騎馬武者がススキ野原を駆ける様子を描いた作品で
未表装のため裏打ちがなく、シワや破れ、まくり、巻き癖つきと大変な状態になっていたので
吸水によるクリーニングをかけ、紙全体を伸ばしてゆがみを戻して、掛軸に表装したそうです。
修理の際の調査では、光に透かし見ると絵の具を乗せた順番も確認できるので
制作の過程が見えるのだそうな。
当たり前っちゃ当たり前ですけど、作品が一点ものであるなら修理も修復も様々で
ひとつとして同じ作業はないのだな…。
ひとつひとつの事例を調査して、そのとき必要な修理をほどこしていくんですね。
どんな作品も必ず劣化します。それらをどうやって長く伝えていくか知恵をしぼってきた人たちの歴史を
少しですが垣間見ることができてとても勉強になった。
博古館のロビーには国内の他にイギリス、ドイツ、イタリア、ポーランド、アメリカ、
中国、ベトナム、パキスタン、ミャンマー、アフガニスタン、シリア、ウクライナ、エジプトなど
様々な海外助成対象文化財を紹介したパネルもありました。
過去にボストン美術館展で見た英一蝶の涅槃図も住友財団が助成してたんだ…!
あれも修復の様子が展示の際に紹介されていましたよね。

帰りの地下鉄の駅で見かけた広告。古今東西の文化ごちゃまぜで楽しい。
真ん中の電車は新幹線なのか特急列車なのかわかりませんが、緑色なのがE5っぽいのと
形がE7っぽいのでデザインした人は東日本の新幹線がお好きなのかな^^
先日、東博で見た展示と同時開催の展覧会です。
会期ギリギリに駆け込みましたがそんなに混んでなくて見やすかったです。よかった。

六本木一丁目駅を出ようとしたらポスターがでかでかと貼ってある自動ドアを発見。
これなら出口を間違えないですね。

階段を登って登って、博古館に着きました。来るの初めてだよ。

入口にも大きな垂れ幕が。
館内はロビーを挟んで2つの展示室があって、そんなに作品数も多くなかったし
鑑賞者もほどほどだったのでゆったり見られました。
展示されている作品の隣に修理前・修理後の写真や修理の過程をコマ撮りした写真があり、
説明書きも添えられているので読んでいるとあっという間に時間が過ぎていきました。
展示室そんなに広くないのに気づいたら2時間近くいた…修復のウラガワンダーランドはおもしろい。

修理を担当した業者の名前が入っている展示品一覧表なんて初めて見る。
世の中には文化財のお医者さんがたくさんいるのだ。
東博では主に仏像の修復について展示されていましたが、
博古館では主に掛軸や絵巻、油絵などの絵画を中心に展示していました。
栃木県日光山輪王寺の大威徳明王像、修法で使われたために煙と煤で真っ黒になってしまい
横折れもひどかったそうです。修法は絵の前で火も使うからなあ…。
煤を丁寧に取り除き、裏打ちを取って貼りなおして綺麗になったし
絵の裏には1793年に修理したという銘も墨書きされていたことがわかったらしいです。
個人蔵の金剛界曼荼羅図も修理前は横折れがひどく、絵の具が浮いて、亀裂も入っていたそうです。
解体して裏打ち紙を取り換えて、カラフルな色彩を取り戻しています。
また、1534年・1623年・1755年・1834年にそれぞれ修理をした墨書き銘も裏に貼られていて
(それぞれ織田信長が生まれて徳川家光が将軍になってオスカル様が生まれて近藤勇が生まれた年だ)
100年ごとに修理する原則が守られてきたみたい。
でもその銘の紙が折れの原因になっていたそうなので、剥がして別装にしたのだそうな。
山梨県大聖寺の釈迦三尊十六善神像は、織田信長の部下で武田攻めに参加した中川清秀が
戦闘の際に大聖寺の不動明王に助けられて生き延びたという話が伝わっており、
子の秀成が奉納したものだそうです。
掛軸は大切に保管され、1748年に子孫の久貞が修理を行っていますが
そのときに表面の欠損が目立たないように暗い色の裏打ち紙を貼ったらしく、
今回の修理でそれを変更したところ、本来の明るい色彩になったそうです。
子孫が大切に守り伝えてきたものですけど、必ずしも作品にとって良いかどうかは
年月が経たないとわからないのだな…技術の進歩ってすごいね。
1364年から神奈川県称名寺に伝来している十二神将像の掛軸たち。
十二神将は掛軸1枚や巻物にまとめて描かれるパターンが多いのですが
称名寺のは1掛軸に1神将で12幅セットという、なかなか珍しい作品のようです。
まず神将が真ん中に描かれ、女神・天女・童子・男神が周りに描かれ、
上に本地仏と七曜星が描かれているデザインが12幅すべてに統一されています。
1852年に光明院周海による、1929年に古社寺保存法による修理が行われた記録があるそうです。
裏打ち紙が江戸時代に多用されたものだったため、新しく取り換えたところ
色がよく見えるようになったそうな。
大倉集古館所蔵の十六羅漢像も、掛軸にそれぞれ羅漢たちが描かれているものですが
線描が中心で色数が少ないものと極彩色のものがあり、
いくつかは制作時期が異なるのではないかと考えられているそうです。
経年劣化による画面の損傷がひどく、彩色も剥落していたので
旧補絹を取って、新しく貼るものは本来の色と合わせるために古色を使って仕上げてあるとか。
中世の絵巻物。
永青文庫の長谷雄草紙は長年の巻きによる折り癖がひどかったのと
巻物自体の折れがあちこちに見られたようで貼り替えられています。
物語のクライマックスで女性が水になって消えてしまうというドラマチックなシーンの折れの様子が
写真で紹介されていましたけどあれはグロかった…展示品は美しく修復されていて感動しました。
埼玉県慈光寺の法華経一品経は歪みがひどかったそうですが、本紙が薄いので解体は見送って
カビと汚れを除去し、剥落止めと折れ伏せをほどこして補強しています。
同じく慈光寺の無量義経は、天地に金銀箔を散らした豪華な作品なのですが
その金属の腐食が原因で補強紙がバランスを崩し大きな折れが生じてしまったらしい。
解体修理に踏み切り、彩色の剥落を止める液体を塗ったそうです。
金銀…昔の人もキラキラしてたら綺麗だよねって思ってつけただけだと思うんですよね…。
それが後世に腐食するなんて考えなかったろうし、
そもそもこの巻物を数百年も先の未来まで残すつもりがあったかどうかも、今となってはわかりません。
もし未来に伝える気持ちがあったとしても
その作品がいつどんな風に傷むかなんてなかなか想像つかないだろうしなあ…色々考えてしまう。
中国の絵画や水墨画など。
山口県の菊屋家住宅保存会に伝わる草虫図は元時代の掛軸で、牡丹と蝶のおめでたい絵ですが
折れがひどいうえに絵の具が粉状化し、さらに表装の紙の向きが間違ってついていたので
表装を取り外して裏打ち紙の向きを正方向にしたそうです。
修理の際に裏彩色がされていたこともわかり、牡丹には白が塗られていたみたい。
博古館所蔵の水月観音像は高麗時代の宮廷画家が描いた作品で
修理前の調査でスキャンしたところ裏彩色の痕跡が見つかったのだそうな。
なのでその彩色を見せるために効果的かつ彩色を損なわないような肌裏紙を選んで貼りなおしたそうです。
永青文庫の富士美保清見寺図は雪舟の筆と伝えられてきたようですが
今は模本である可能性の方が高いらしい。
横折れや亀裂がひどく、本紙が薄くて、でも表装に使われた糊が濃くてガッチリくっついてるので
解体はしないで裏打ちを強くしたそうです。
過去の人は、大きな絵だから壊れないようにと糊をしっかりつけたのかな…。
よかれとやったことが年月が経つと資料の負担になっていくことも多いのだよね。
近世の作品。
神奈川県東慶寺の葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱(キリスト教でパン(キリストの肉にあたる)を収める箱)は
表面の漆が汚れてくすんだのと、紫外線による劣化で螺鈿の剥落がみられたので
接着して元通りにされています。
蓋にイエスズ会の紋章があって、大文字アルファベットの大胆なデザインでおもしろい。
練馬区立美術館の比叡山真景図は池大雅が友人の三上孝軒と比叡山に行って描いた絵で
三上孝軒の詩を書き入れて後日本人に贈っています。
(隅っこに「擬李営丘筆意」と書いてあるのでオリジナルは李営丘のようですね)
過去の修理で折れ伏せのために目印につけた墨が長い年月を経てにじんでしまい、
表面の絵にまで浸透して大きなシミを作ってしまったらしい。
裏打ち紙は取り換えたけど、表面のところは本紙に影響が出るため何もせず残したそうです。
アルカンシェーン美術財団の淀川両岸図巻は円山応挙が応挙と名乗る前に制作したもので
京都から大阪まで川下りをする景色が描かれています。
巻物の真ん中に川を描き、上下の天地際に陸地を描いていますが
上の建物や人々は正位置で描かれているのに対し、下の建物や人々は逆向き(鏡写し)になってる。
欠損や剥落、絵の具の浮きやシミがあったので汚れを除去したそうです。
増上寺の五百羅漢図の100幅セットは狩野一信による作品で
一信が没するまでの10年間は一信が96幅描いて、残り4幅は妻の妙安と弟子が仕上げたものです。
すべてに裏彩色がほどこされたうえに裏箔まであったみたいで
(たとえば月に貼られた裏箔は絹目を通すと発光して見えるという仕掛けまである)、
相当な技術と時間とお金をかけて制作されたであろうことが考えられます。
折れや絵の具の欠損、肌裏紙の剥離、過去の修理で欠損部に当てられた補強の影響まであって
今はすべて修復され美しい彩色を見ることができますが
1幅1幅が大きいうえに絵の具の数も多いから職人さんたち大変だったろうな修理…。
近代の絵画。
東大大学院工学系研究科所蔵の曾川幸彦「弓術之図」は木炭とコンテで描かれた作品で
第2回内国勧業博覧会にも出品されたもの。
洋紙が悪化して折れや破れを生じ、継ぎ目が汚れ、さらに未表装でまくりのままだったので
とにかく劣化がひどかった模様。
食パンを粉砕して画面に置いて、ハケで撫でながら汚れを除去して
同じサイズの吸取紙に水を含ませて吸わせることで汚れを取る方法がとられたそうです。
また修理後に額装したとき、補強を大きくして四隅にマットをつけたのは
後世の修理もやりやすくするためだとか。
黒川古文化研究所の赤松麟「土佐堀川」は堀川の景色を見下ろしたアングルで描いていて
印象派のような雲や霧が全体的にかかっていて光を感じる絵でした。
もともと絵の具の剥落を隠すための過度な加筆がほどこされていたのと
阪神大震災で落下したのとでヘコミや折れが生じてしまい、
汚れを除去して欠損部を補強し、水彩絵の具で補彩もしてあるそうです。
1917年発表の作品ですがキャンバスには1913年の書き込みもあり、再利用ではないかと考えられてもいます。
櫻谷文庫の木島櫻谷「かりくら」は3人の騎馬武者がススキ野原を駆ける様子を描いた作品で
未表装のため裏打ちがなく、シワや破れ、まくり、巻き癖つきと大変な状態になっていたので
吸水によるクリーニングをかけ、紙全体を伸ばしてゆがみを戻して、掛軸に表装したそうです。
修理の際の調査では、光に透かし見ると絵の具を乗せた順番も確認できるので
制作の過程が見えるのだそうな。
当たり前っちゃ当たり前ですけど、作品が一点ものであるなら修理も修復も様々で
ひとつとして同じ作業はないのだな…。
ひとつひとつの事例を調査して、そのとき必要な修理をほどこしていくんですね。
どんな作品も必ず劣化します。それらをどうやって長く伝えていくか知恵をしぼってきた人たちの歴史を
少しですが垣間見ることができてとても勉強になった。
博古館のロビーには国内の他にイギリス、ドイツ、イタリア、ポーランド、アメリカ、
中国、ベトナム、パキスタン、ミャンマー、アフガニスタン、シリア、ウクライナ、エジプトなど
様々な海外助成対象文化財を紹介したパネルもありました。
過去にボストン美術館展で見た英一蝶の涅槃図も住友財団が助成してたんだ…!
あれも修復の様子が展示の際に紹介されていましたよね。

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