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※しばらくブログの更新をゆっくりにします。次回は22日に更新予定です。


埼玉県立歴史と民俗の博物館に行ってきました。
密を避けるために(埼京線に乗る勇気がなかった)初めて大宮まで車で行きました…。
途中休憩しながらがんばれば行けるもんですね。
(あとナビに行きと帰りでぜんぜん違う道を案内されて帰り道にめっちゃ田舎道を通らされて
「わたし帰れる?帰れるの!?」ってすごい不安になった…帰れましたけど。
あれどういう仕組みなんだろう)

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博物館の入口で消毒液で手の消毒を行い、サーモグラフィの検温をすませ、
博物館が用意した消毒済の鉛筆で氏名・連絡先を記入してから入館します。
館内はマスク必須、会話を控えて人と距離を取りながら鑑賞してくださいとのこと。
受付で国芳の鍾馗カードをもらいました。夏の特集展示の期間中、入館者に配布されるそうです。

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館内に本物の展示もありましたよ。(撮影可スペース)
「ミニ展示 疫病退散」というコーナーで、他にも河鍋暁斎の鍾馗、永島春暁の源為朝、
鍾馗図が彫られた印籠、鬼鍾馗が象られた刀の鍔などが展示されていました。
春暁の為朝像は疫病に効果があると信じられていた赤色で摺られていた。

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中止になった特別展「『武蔵国の旗本』を振り返る」と
規模を縮小して開催されることになった「太平記絵巻の修理を終えて」を鑑賞します。
旗本のほうは今年の3月~5月に開催予定でしたが感染症の影響で博物館が5月末まで休館になったため、
中止ということで幻の展覧会になってしまったもの。
各地の博物館や寺社から資料を借りて図録も制作して準備万端だったそうです…惜しい。なんて、惜しい。
借用資料は既に返却されていますが、歴博の所蔵資料を使って
展覧会の一部を振り返る機会を作ってくださっています。

展示室にはわたしを含め2~3人しか鑑賞者がいませんでしたが、距離を取ることは心がけて鑑賞。
水野氏の菩提寺である昌国寺に祀られている徳川家康(東照大権現)の掛軸、
旗本の菩提寺には家康の像がよく祀られていたそうです。
徳川秀忠が佐久間頼照(深谷の人。300石)にあてた知行宛行状は
関ケ原の合戦のときの恩賞だそうで(佐久間氏は徳川方)、
だいたいこの頃に与えられた土地が後々にわたってその一族の土地になっていたりするそうです。
江戸時代後期に制作された関ケ原合戦絵巻は大雑把なタッチでほのぼのしていて
石田三成や大谷刑部らも単純化して描かれていました。かわいい。

続いて武蔵の旗本稲生家と水野氏について、菩提寺とともに資料や遺品から紹介。
稲生家は現在の坂戸市やさいたま市あたりに知行があり、町奉行に勤めた人も輩出しています。
大名や幕府の名鑑である「安政武鑑」には当時の当主である稲生出羽守正興の名前があり、
留守居役として1500石の石高があったと書いてあった。
獅子や麒麟の紋付の母衣や萌黄色の二枚胴具足、獅子が彫られた刀装具、
小刀・目付・毛抜き・はさみ・耳かきの懐中物、竜田川の蒔絵櫛・簪、葵紋付御所人形などを見ると
男性たちの仕事や女性たちの生活、子育てなどの当時の光景が浮かびあがってきます。
縹色の葵紋付熨斗目小袖は礼装の下に着用したもので
将軍に献上されたものが大名家への下賜品になったのではないかとのこと。
こういう部分でも将軍家と旗本は上下関係を結んでいたんだな…。

水野氏は現在の寄居町・小川町あたりに800石(のちに2000石)の知行があった旗本。
寄居町に昌国寺というお寺がありますが、ここは家康のいとこだった水野長勝の屋敷跡で
家康から40石をもらったという朱印状も展示されていて、
さらにその取次ぎをして「OKで~す」と書いた内田正次(全阿弥)の書状もありました。
家中分限帳によると長勝の子である忠貞の時代には150石の大久保氏を始め51人の家臣団がいたらしい。
忠貞像の掛軸には本人の筆で「世のうきめ見えぬ山ぢへ入らむには 思ふ人こそほだしなりけれ」(物部吉名)と
古今和歌集の歌が書きこまれていました。直筆かあ…!
忠貞の子・忠顕の書状もあって、元禄10年の大火では水野家の江戸屋敷の近くまで燃えたとあって
江戸は火事の多い街でしたから旗本たちも色々と苦労したんだろうなあ、などと。
水野家が昌国寺へ寄進した物の一覧を記した納物帳もあって、
当主が亡くなった際には衣装や仏具、位牌などを奉納していたそうです。
(そうして昌国寺に集められた遺品や資料群が現在、歴博に寄託されていて、今回の展示もその資料の一部です)
歓祥院様御葬送御行列書には221人もの参列者の名前があり、
棺を川越街道から先に回して、などと注意書きもあるので当主のお葬式の様子がわかります。
水野貞利の表白文は初代長勝の200回忌に際して追善願文を出したというもので
「源貞利」という署名にドキドキしました。こういうときは本姓を書くんですね。
謙信流軍学伝授之書物(全24巻の皆伝目録)やシャコ貝の盃、
使用済みの長袴や鎧・鞍、子ども用の御召御麻裃、6代目政勝の薙刀(加州住藤原光国)など
生活がわかるものも展示されていました。

あと参考展示として、山岡鉄舟が「鴻澤霑民庶」(1880年9月)と揮毫した白鳥神社の幟(模造)があったのですが
巨大すぎて展示室の床から天井に折り曲げる形で張り付けてあったので見上げてきました。
首が痛いことになったけど、全長8m93cmもあったらこうなるよな…!
博物館の屋外の壁に張る予定だったそうです。展示風景を見たかった。

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こちらは撮影可能スペース。
会場の順路や展示品の配置、展示物の一部がパネルで紹介されていました。

縮小展示でもとても勉強になりました。開催できていたらなあ…!本当に惜しいです。
展示の最後に使われなかった200枚以上のパネルの山があって心をえぐられた…。
160件220点余りの資料(うち借用資料125点)を展示予定で
200枚以上の解説キャプションやパネルを作成したものの日の目を見られず…。
今回の特集展示で一部が再利用されているとはいえ、学芸員さんの無念を思うと胸が苦しくなりました。
永楽通宝紋の鞍とか稲生正興出羽守宣旨とか、徳林寺の涅槃図(御絵所宗貞)とか見たかったよーー!!
(1688年に小笠原氏が奉納して1748年に狭山の甲田重蔵が修復したやつ)

そして、同じ展示室内に特集展示「太平記絵巻の修理を終えて」もありました。
太平記絵巻は海北友雪によって江戸時代に制作されたものと推定されていて、
後醍醐天皇の即位から南北朝時代を経て足利義満の時代に至るまでを全12巻で描いています。
1・2・5・6・10巻を歴博が所蔵しており埼玉県指定有形文化財になっています。
(ちなみに7・11・12巻は民博、3・8巻はニューヨーク公共図書館が所蔵。
4巻・9巻は行方不明ですがボストン美術館と東博に模造品があります)
2017~2018年にかけて6巻と10巻の修復を行い、
「太平記絵巻の世界」展として一挙公開の予定でしたが感染症の影響で縮小。
綺麗になった6巻と10巻が3期間に分けて展示されます。
わたしが行った日は、6巻は楠木正成の首が足利尊氏によって故郷へ返された場面から始まっていて
比叡山攻めで最澄の木が焼かれてしまわないように稚児に降りた日吉権現が猿に鐘を突かせて守る場面や
東寺合戦で高重茂が狂歌を詠んだり新田義貞が日吉大宮権現に鬼切を奉納したりする場面などを
見ることができました。
新田軍が越前の冬を越すところで弓矢を薪にしてあたたまっていたのちょっとかわいかった。
10巻は観応の擾乱の終わりの頃までが描かれていて、
新田軍に駆け入る佐々木秀綱の場面や石清水八幡宮で足利直冬が託宣を受ける場面などが開いてあった。
神南山の戦いにて那須与一の母衣(オレンジ色)をかけて戦う奈須五郎(与一の子孫)がかっこよかった…!
また10巻には笛吹峠の戦いの様子も描かれているそうですがわたしが見に行った日は別の場面でした。
友雪は人物描写がとにかく細かくて、鎧や着物だけでなく人々の表情まで全部描き分けていて
人物の顔の特徴や人格をきちんと考えて作っていると思う。
合戦の場面は広々と構図をとっていて、人間だけでなく馬も躍動感がありました。

あと、修復の様子も写真で紹介されていました。(業者さんは株式会社修美さん)
紙の汚れや折れ、シワ、顔料の剥落などが目立ち、なかなか大変な状態だったとのことで
一度すべてを解体したところ、6巻は過去に2度修復をしていたことが判明したり
紙の継ぎ目に数字(順番をあらわすもの?)が書かれていたこともわかったそうです。
裏打ち紙を取り換えて本紙を綺麗にして、記録を取って報告書にまとめ、保存用の桐箱を新調し、
修復後は状態を安定させるため1年間休ませたそうです。
こんなに大変な修復を終えて、特別展として紹介されるはずだった太平記絵巻…。
絵巻だけでも公開されてよかったです…見ることができてよかった。


特別展示室を見たあとは常設展示室にも行きました☆
写真撮影が一部を除いて可能になったということで、パチパチ撮ってきましたよ。
(鑑賞者はわたししかいなくて貸切状態でした)
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コラム展示のスペースに「和菓子づくりの世界」として、かわいらしい和菓子の木型がたくさんありました。
祝儀の松竹梅や鯛やハマグリ、不祝儀の蓮や菊の花など、工芸品のような木型の素朴な美しさがたまらん。
家紋の木型や葬式まんじゅうの焼き印、木型の図案集などもありました。

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いがまんじゅう!!
普段お店とかで販売されているものが博物史料として展示されているのびっくりしてしまうな…!
いやそれが博物館の役割ですけども。
(埼玉には「朝まんじゅうに昼うどん」という言葉があるほどに香川に次ぐうどんの消費量を誇り、
わたしの地元である北埼玉にはハレの日にうどんを、お葬式におまんじゅうを出す風習があったりします)

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県内各地の古墳や遺跡から出土した土偶、土器など。
製作された時代や使用目的の違いもあると思いますが形も大きさも様々ですね。
みみずく土偶ちゃんもいくつか見つかっているんですな。

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斎藤別当実盛の像。
埼玉、もとい武蔵国で中古・中世あたりの有名人といえば
だいたいこの人と平将門と熊谷直実と畠山重忠だと思う。

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国友の鉄砲。
武州鉢形に住んでいた国友という職人が制作したものだそうです。
鉢形城下には鉄砲職人たちの生活圏があったそうで、そこに住んでいた人が作ったのかな…。
国友というとかつて長浜にあった国友村が鉄砲の生産地として有名ですが(鉄砲ミュージアムがあるとこ)、
寄居にも国友を名乗る人たちがいたということだろうか。

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大宮氷川神社が和宮御立退御殿にあてられたときの看板。
和宮が徳川家茂と結婚するために江戸へやって来たときのルートが中山道だったのですが
万一の事態に備えて氷川神社が避難所にあてられたのだそうです。
中山道からすぐのところにあるからね。
(ちなみに彼女の持ち物は東海道を下ってきている)

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蒸気機関車1290形式、通称「善光号」の模型です。かわいい!
1882年にイギリスからやって来て隅田川から川口の善光寺付近で陸揚げされたので「善光」号。
鉄道博物館で本物を見たなあ~懐かしいな。もう1年半前になるんですね。

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東北新幹線が開業したときの写真。1982年に大宮~盛岡駅間が開通しています。
翌年に上越新幹線(大宮~新潟駅)も開業したんだよね。

とりあえず気になったものだけご紹介させていただきましたが、
常設展、ものすごく久し振りに見たので内容をほとんど忘れていて
土偶から新幹線までこんなに細かく埼玉の歴史がわかる展示になっているのだと改めて思えました。
また勉強しに行きたい。


この後は車で自宅まで帰ったのですが、
実は歴博のすぐ近くに大宮の鉄道博物館がありましてね…。
てっぱくは東北新幹線と高崎線の線路に挟まれて建っていますけども
その2つの線路とてっぱくの下を県道がくぐっていまして、その道路を通って大宮公園の歴博に向かうのですが
道路をくぐる直前に、本館~南館に屋外展示されているE1系と特急あずさ号が見えるんですよ…!
余所見運転になってしまうのでガン見はしませんでしたが、チラっとでも見られて本当に幸せでした。
てっぱくも今は予約制になっていますが…行こうと思えば行けますけど
でも他所のミュージアムよりお子さん多いと思うので今は我慢…!
次にわたしが行くまで待っててくれてっぱく、わたしもがんばるよ!
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夏の出来事。

この夏の展示室。

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