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2021_02
07
(Sun)23:44

メタモルフォーゼの人びと。

石田美紀『アニメと声優のメディア史-なぜ女性が少年を演じるのか』を読みました。
女性の役者が男の子を演じてきた事例を軸にアニメと声の文化の歴史をたどる本です。
現在も続くTVアニメ「サザエさん」(1969年~)のキャラクターである男子小学生の磯野カツオ役は
代々女性の声優さんが務めていますが、
そんな風に女性の声優が男の子のキャラクターを演じるようになった背景と歴史が細かく紹介されていて
とても勉強になりました。
男の子の子役が変声期を迎えるだけが理由ではなかったと初めて知りました。
(子役の声変わりで有名というかわたしが知ってる事例はガッチャマンだなあ、
塩屋翼さんがちょうど声変わりの時期だったので初回と最終話で声が変わったというあれ)

(というか、これも初めて知ったんですが声優という職業の黎明については
森川友義氏と辻谷耕史氏が「声優の誕生とその発展」「声優のプロ誕生」という論文を書いてるんですね…!
辻谷さんて本業や音響だけでなく論文も書ける人だったのか。
リポジトリ等の公開がないので探して読んでみたい)

日本におけるアニメや吹き替えの現場では女性の声優が少年の声を演じていますが
ディズニーをはじめアメリカのアニメでは女性が少年を演じることは慣習ではないそうです。
たとえばディズニーが1940年に公開した映画「ピノキオ」では
キャストとして最初に集められたのは大人の役者たちだったそうですが、
ウォルト・ディズニーが「成人じゃだめ、わたしは本当の少年がほしい」と言って
子どもを集めてオーディションが行われ、ピノキオ役は子どものディッキー・ジョーンズに決まったとか。
また映画「バンビ」(1942年)ではバンビの成長にあわせて役者を交代していて
バンビの子ども時代を演じたドゥニー・ドゥナガン(当時6歳)への演出は
「自分自身であること、自然な子どものままでいいと言われた」だったそうな。
対して、戦後ですが1963年放送開始の「鉄腕アトム」でアトムを演じたのは当時26歳の清水マリさんで
「5年生くらいの男の子のつもりで演じてください」と手塚さんに指示されて演じたけれど
「(アトムの声を)誰がやっているのかわからないことが大事だったらしくて
今はアトムでしたと言うけど、当時はできるだけ隠しておこうと思っていた」と考えてらっしゃったそうな。
アトムのTVアニメの放送は約3年続きましたが
男の子の声を女性が出していると知られるのはまずいという雰囲気が
少なくとも彼女の周囲ではあったのだそうです。これどういうわけなのかな…。

日本における声の役者の歴史について。
太平洋戦争後、日本ではGHQのCIEによるラジオ放送局の再建が行われたのですが
(1946年の文部省とNHKの共同調査によれば空襲や部品不足などのために
各教育機関の半数以上のラジオが放送を受信できない状態にあったらしい)
彼らはラジオ技術の提供と物理的支援と番組制作にも関わっていて(15分を基本単位としたのもこの頃)
日本社会の民主化を推進するメディアとして放送劇の企画をたてていったそうです。
そのときキーにされたのが「より緩やかな手法」で制作すること。
戦後、ある日本のアナウンサーが戦時中の大本営発表などの雄叫び調による放送が
聴取者を受け身にしてしまったことを反省している言説があって、
どうにかしてアナウンサーたちが一方的にならずに聴取者との距離を縮めようと試行錯誤で進んで
その中で出てきたのがラジオドラマだったと。

戦時中もラジオドラマはありましたが主に単発ドラマで、
戦後は制作できる環境が整ってきたのか、連続放送劇が増えていったようです。
1947年に始まった、菊田一夫と東京放送劇団による「鐘の鳴る丘」は戦災孤児の物語で
主人公を中学生が演じたり、他にも小学生など多数の子どもの出演がありましたが
彼らはお芝居を専門にやる子役ではなく、昼は学校へ行き、夕方に放送に出るという生活だったそうです。
(鐘の鳴る丘は放送開始時は生放送で1948年4月以降に録音放送となりました)
制作者の大人たちは「放送劇に出たために成績が落ちては何にもならない」という意識を持ち、
子どもたちの修学を妨げないように土日の夕方など慎重に収録日を選んだり
「鐘の鳴る丘」以外には出演させない、写真記事などでスター扱いしないことも決めていたとのこと。
これには1947年に制定された労働基準法にて
15歳未満の児童の仕事は午後8時までと法律で決められたことが影響したようです。
戦前には、14歳でデビューした田中絹代や5歳で映画に出た高峰秀子など
子どもの頃から俳優としてのキャリアを積んでいた人たちはいるのですが
法律やルールがはっきりしていないせいもあってか、子役たちは大人たちに翻弄され
子役の生活は子どもの保護や権利とは著しく相反するものでした。
そこへ労基法と、同年に制定された児童福祉法の影響もあって
子どもを保護し、権利を守る社会への一歩が踏み出されたということらしい。なるほどなあ。

しかし子役の起用が難しくなっても、番組には「子ども」が登場します。
「鐘の鳴る丘」では途中から登場した大阪の女の子・とき子を演じたのが
男の子も女の子も演じる子役専門の声優としてキャリアを積んでいくようになる
木下喜久子さん(当時19歳)だったそうです。
(同じ頃、彼女は芥川比呂志と共演した「捨吉」(1958年)では少年・捨吉を演じている)
戦後の「ヤン坊ニン坊トン坊」では木下喜久子、黒柳徹子、横山道代が男の子の子ザルを演じています。
子ども役の増加と子役起用の困難さは、女性の役者たちに活躍の場を増やしていったのですね。
木下さんは子どもの声を出すために出勤時には自分を無にして
スタジオに入るときはもう子どもの気持ちになっていることに集中したり、
収録の休憩中は「大人の自分が出るから」とスタジオの外に出て他の役者とは話をしない、
近所の小学校や電車の中で子どもを観察するなど、徹底した役作りを行ったそうです。
「男の子を演じるときはご飯を食べてすぐに演じる。おなかがいっぱいになると声がずっと落ちて重くなる。
女の子の場合はおなかがすいても食べない。声が軽く出る」という発見もしたそうです。へえぇ。

そして、ラジオの次はテレビ放送の時代がやってきます。
テレビの黎明期に海外ドラマの吹き替えが放送されるようになったのですが
最初は字幕だったのが吹き替えの方が音声がつくので視聴者の関心をひきやすいということで
吹き替えの仕事が増えていったのだとか。
(理由は他にも、テレビが小さくて字幕が見にくいことや
当時はテロップが広告枠だったのであまり使用できなかったことなどが挙げられるとか)
この頃、舞台で俳優をしていた野沢雅子さんが洋画の少年役で声優デビューを果たしています。
当時の吹き替えは生放送だったので子役は使いにくく、
安心して任せられる年齢の男性役者では声が太いので女性の野沢さんが呼ばれたそうです。
これどっかで聞いた話だなあ、どんな作品の仕事だったか覚えていないと野沢さんおっしゃっていたような。
他にも子役ではできなかった事例としてフジテレビの「進め!ラビット」(1959年)の紹介があり、
この番組では収録の際に録音スタジオがもっとも安く使える午後9時~午前4時に録音したので
子役は使えなかったとのこと。要するに経費削減で大人が起用されたということですね。
(それにしても芸能界の時間感覚どうなってるんだろう。深夜業とかいうレベルじゃないと思う)
法律の制定と現場の運営方法など様々な事情が続いたために
大人、そして女性の役者の起用はラジオとテレビに適しているということで
占領期が終了しても女性が子どもを演じる文化は残り、定石になっていったわけですね。
なるほどなあ!(^O^)

ちなみに例外もありました。東映動画。
1958年公開の映画「白蛇伝」では森繁久弥さんと宮城まり子さんがすべてのキャラクターを演じていて
宮城さんが少年時代の許仙を演じていることでも有名です。
森繁さんも宮城さんも当時から顔を知られたスター役者だったので
アトム役の清水さんが「誰がやっているのかわからない方がいい」状況は、ここでは存在していません。
1959年の「こねこのスタジオ」でも子役から俳優になった中村メイコさんが出演したりしているので
東映動画の作品に出演した俳優たちはキャラクターの黒子だったわけではないようです。
東映動画は映画会社「東映」の傘下にありましたので児童演劇の研修所を持っていて
そこでは毎週土日に子役の育成と訓練を行っており、
さらに独自の録音スタジオも持っていたので子役のマネジメントが円滑に行えたのだそう。
アニメ「猿飛佐助」や「狼少年ケン」も子役が演じていますし
映画「安寿と厨子王丸」(1961年)では少年時代の厨子王は当時12歳の住田知仁(現・風間杜夫)さん、
青年時代は北大路欣也さん(当時18歳)が演じていて、安寿は佐久間良子さん(当時22歳)です。
ほか山田五十鈴さん、平幹次郎さん、東野英治郎さん、松島トモ子さんなどが出演していて
映画ポスターなどでも堂々と宣伝されていたみたいなので、
役者さんの声を聞きたくて映画館に足を運んだお客さんもいるのではないだろうか…。
ちなみに東映動画の録音作業はプレスコが基本で、作画は録音の後に行っていたそうですが
(俳優は声のほかにライブアクションなど作画に協力もしたと大塚康生さんの証言があるね)、
連続TVアニメシリーズの制作が増えると今度はアフレコへと移行し、
子役の変声期の問題もあって「狼少年ケン」以降は子役がほぼ起用されなくなっていきます。
「鉄腕アトム」以降に連続TVアニメシリーズが制作される状況が続かなければ
大人が子どもを演じる文化が定石になったかどうかもわからなかったってことなのだなあ。

1970年代後半にはアニメ雑誌の創刊が相次ぎまして
アニメージュ創刊号(1979年)は宇宙戦艦ヤマトを特集し、
アンコールアニメで「太陽の王子ホルスの大冒険」を取り上げるなどしています。
(当時編集部員だった鈴木敏夫氏がホルスのコメントをもらおうとして高畑勲氏に電話をかけて
宮崎駿氏とも運命的な出会いを果たすのは有名な話ですが、それはまた別の話)
その創刊号で「声優訪問 神谷明」というコーナーがありまして
当時から売れっ子だった神谷氏を特集しています。
この頃から雑誌に声優の記事や顔写真が掲載されるようになってキャラクター人気投票なども行われ、
現代でも続く声優のスター化が始まっていくのですが
1987年に発売されたOVA「風と木の詩」の話が耳が痛かった…。
小原乃梨子さんがセルジュ、佐々木優子さんがジルベール、
榊原良子さんがロスマリネを演じているのですが(女性が少年を演じる文化の継承ですね)、
小原さんはドラえもんののび太くんの声優として有名になっていたので
女性ファンから「のび太くんの人がセルジュ(16歳以上)を演じるのはどうなのか」という意見が出ていたとか…あわ、あわ。
これはもう個人の好みの問題というか、制作側の都合もあるのでどうにもならない部分というか
わたしも経験があることなので何とも言えない気持ちになりました。
声優がスター化してきたことでイメージが定着してしまうという。。
しかし著者は「男性声優がセルジュを演じていたらファンは納得したのか?」という問いもたてていて
さらに「女性ファンは何を期待していたか?」ということで
BLに特化した雑誌「JUNE」(1978年創刊)の作品の音声ドラマ化の事例をあげています。
この音声ドラマ化シリーズで演じているのは主に男性声優だったので、
BL作品は男性に演じてほしいファンがいたということかな。
ほか、1990年代のBLドラマCDや2000年以降のシチュエーションCDなどの影響もあって
最近、少年漫画がアニメ化される際には主演に女性ではなく
男性の声優が選ばれやすくなってきた理由のひとつではないかとのこと。

他にもマクロス以降の歌を歌う声優の登場、新人女性声優の起用ブーム、
女性声優が演じるキャラクターへ萌えや緒方恵美さんの演技、ファンとの交流についての章もおもしろかったです。
蔵馬に始まり天王はるかやスターライツなど性規範を攪乱するキャラクターについて、
BLと百合、女性声優はどこまで性を越境できるかなどのテーマがありましたが
この辺りは過去に読んだことがある声優論のような感じだったかな。
歌手デビューやアイドル化だけではなく2.5次元などますますコンテンツが千差万別していくなかで
女性の声優はどこまで行けるだろう。
あと個人的におもしろかったのがアフレコ台本にある「、」「…」の演技についてや
1960年代に発生したアテレコ論争について。
1962年2月の東京新聞に東野英治郎が「声の役者に危険手当を出してほしい、
俳優の演技は十人十色で他人がつくったものへ声だけを合わせるのは納得がゆかない」と意見を出していて
その後声優の永井一郎さんが考察を発表しているもの。
永井さんは「自分自身が画面の人物の行動をやっているとイメージすると
意識的に細胞に何かが起こる感じを作り出せるようになり、仕事はうまくいく」と考えたようです。
声優さんの演技論はいつ聞いてもおもしろくて楽しいですが
永井さんのインタビューや論文はいつも平易なことばでスッとのみこめる印象があります。
伝える力のある人でしたね。

seiyubon.jpg
p.29より、第1章の扉部分。
フォントがトーキー映画の字幕みたいだなと思いました。シネキャプションとかニューシネマとか。
8ミリフィルムの回る音が聞こえてきそうな、レトロな雰囲気。
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C.O.M.M.E.N.T

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