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穂村弘『図書館の外は嵐』を読みました。
書評集なので没頭するとかはなかったんだけど、
穂村さんが要所要所で書き連ねる言葉にうんうんってなったりあれこれ考えたり思い出したりしたことがあって
そういう読書もおもしろいなと思ったので今日はそんな感じで書いてみます。

p.8
「「最近、何かいい本あった?」と会う人ごとに尋ねている。
「えーと」という反応が返ってくることが多いけど、先日、珍しく即答された」
難しい質問。
好きな本はその日の気分や体調とかでコロコロ変わるのでな…。
最近の本でなくてもいいのかな。久し振りに読み返した昔の本とか。

p.18
「『プレイボール』の新作を読める日がくるなんて、
『ポーの一族』の四十年ぶりの新作『春の夢』の刊行と並ぶ、いや、それ以上の驚きだ。
何故なら今も現役で活躍する萩尾望都とちがって、
『プレイボール』の作者であるちばあきおは三十年以上も前に亡くなっているからだ。
その志を継いで「2」を描いてくれたコージィ塩倉に感謝しているのは私だけではないだろう」
こういうのありますねー!
公式アンソロジーとか同人誌とかではいくらでも事例がありますが、
商業作家が書いた作品の続きを別の商業作家が書くというやつ。
エレナ・ポーターが書いた『少女ポリアンナ』の続きを
ポーター亡き後に50冊以上も出している作家たちがアメリカにいますけど
わたしはどれも読んでないんだよな…翻訳されてないっていう理由もありますが。
(そしてポーの一族新作ありがとうございますモー様!!)

p.24 
「解説によると山口誓子の「スケートの紐むすぶ間もはやりつつ」のパロディとのこと」
水鉄砲水入れる間も撃たれつつ(小川春休)の句についての一文ですが
山口誓子だ!小学校の教科書に載ってた俳句だー!ってなった。
それまで俳句というと松尾芭蕉や小林一茶など江戸時代の人ばかり学んでいたので
漢字やひらがなだけを使ってやるものだと思い込んでいたわたしに
「スケート」という言葉を入れていいんだって教えてくれた句でもあるのでよく覚えてます。

p.30
「出会った人に「好きな作家は誰?」と尋ねることがある」
これも難しい質問。
やっぱり、その日の気分や体調、経てきた年月とかでコロコロ変わるので…。

p.36
「現実世界を生きる我々もまたホームズではあり得ず、全員がワトソンではないだろうか。
ホームズがいなければワトソンの人生は平凡なまま完結してしまう。
だから、我々は皆、心のどこかで危険な名探偵との運命的な出逢いを待っている」
これ、わかるようなわからないような。
ワトソンくんがホームズくんと出会わなければどんな人生だったかと思うことはあって
それはそれで良い人生を送ったかもしれなくて。
ホームズくんが一緒にいるとまあ、退屈はしないと思いますが
なかなか経験できないようなことを経験することになって、それもそれでまた人生で。
ワトソンくんが果たして平凡な人生を送りたかったのかどうかは…
たぶんホームズくんと出会ってからの彼はそうは思ってないような気がする。
危険な名探偵と出会ってしまった一般人が振り回されていく物語は確かに楽しいし
それとは別に平凡なまま完結する人生を送ることも、また楽しい。

p.38
「一行目に惹かれた人は、その瞬間に、
物語の世界観を受け入れる心の書類にサインをしたことになるんじゃないか」
本の書き出し部分を読むのはすごく好きだしドキドキする瞬間でもあるし
それを「サイン」とする穂村さんの表現がすばらしい。

p.43
「代表作の直前の輝きというものがあるんじゃないか。(中略)
一人の作家の誰もが認める代表作が魅力的なのは当然として、その直前に生み出された作品には、
それとはまたちがう、完全なピークにはない、別のオーラがあるように思うのだ」
わかる。
デビュー作には作家のエネルギーがものすごく詰まっているといいますが
代表作の前に刊行された本は飛び立つ前というか助走のようなエネルギーを感じる。
あとね、作家の代表作を読むのもいいんですが、気になる作家に既にいくつか作品があった場合は
発表順に読んでいくというのをやると結構おもしろかったりします。
たとえば十二国記を時系列順とかより発表順というか刊行順に読んだ方がこう、
小野主上とかそれをずっと追ってたファンの視点とかを追体験できるのですっと頭に入ってくるんですよね。
前の本でこれが書かれてるから次の本で時代設定がいきなり数百年前とかに戻っても
ああ影響が出てるなーみたいなのも見えてくるし。

p.48
「その人に関するすべてが「いい感じ」に思える作家がいる。
それは好きな作家というのとも微妙に違っている。(中略)
読まなくてもいいからその魂に触れたい、という奇妙な欲望がある」
物語より作家さんの方がおもしろい場合、ありますね(笑)。
その人の本が自宅の本棚にあるだけで安心してしまうというか。
わたしはこれは、小説の作家さんより研究者による歴史書や論文集の方が多いかも。
信用している研究者の本はとりあえず買って、後日読んで「ああ~やっぱり正解だった!」てなる。

p.58
「日本とシリアでは表現の自由度が違う。作者の置かれた環境では、
書きたい内容をそのまま表現することが許されない。そんなことをしたら「痛烈な平手打ち」を浴びてしまう。
だから、さまざまなメタファーや寓意を駆使して表現することになる」
シリアの作家の小説に対して書かれたものですが、
紛争などの厳しい情勢の中にあって何とか記録や表現を続けようとする人々は昔も今もいて
政治体制に従わざるを得なかった人やギリギリまで表現を試みた人もいて
その中で生み出される表現はそのときにしかできないものですが、
でも紛争なんてない方が絶対によくて
それを学ぶためにも当時どんな表現がされていたかを知る必要があるよね。
そういえばシリアのパルミラ遺跡は暴力で破壊されてしまったし、それは絶対にあってはならなかったことですが
「暴力によって破壊されたということ」もあの遺跡の歴史でもあって。
物事というのは存在し続けている間だけでなく破壊された直後にも記録が始まるのだなと思ったな…。

p.62
「駒込の「BOOKS青いカバ」の棚を眺めていたら」
青いカバだ!穂村さん行ったんだ!!と思ってウッヒャーてなってしまった。
店長さんは池袋リブロで働いていた人で、同店が2017年に閉店した後このお店を開いていて
行こう行こうと思っていつつまだ行けてなかったりします。
三軒茶屋のCat's Meow Booksと同じくらい行きたいお店。

p.72
「ひと夏の物語が好きだ。子どもたちが、大人には見えない不思議な世界をくぐり抜ける冒険をする。
そして、季節の終わりとともに、少しだけ、けれども決定的に以前とは変わった自分に気づく。
そんな物語の系譜がある。どうしてか、その魔法の季節は夏と決まっているようだ」
好き!!
『銀河鉄道の夜』とか『霧のむこうのふしぎな町』とか『帰命寺横丁の夏』とか
『ふるさとは、夏』とか『夏の庭』とか『盆まねき』とか「盆の国」とか「あの花」とか
「ぼくらのウォーゲーム」とか「蛍火の杜へ」とか、シンカリオン31話とかね!!(落ち着いて)
夏には何か冒険できる魔法があると思う。

p.79 
「ほっとする。夏の終わりには、いつも焦りと切なさに囚われてしまう。
でも、置き去りにされるのは私だけじゃないんだ」
フジコ・ヘミングの8月30日の日記「今年の夏は、しやうと思った事が何一つ出來なかった」という記述への感想で
わかるなあ~~と思いました。
夏の終わりになるとああ、もっと何かできたんじゃないか…という気持ちになります。
たぶん「今年がもう残り少ない」ことに気付くからじゃないかな…。
別に何かを始めるのに、夏も秋も冬も春も関係ないけど。

p.82
「作者の行きつけの店の、しかもお気に入りだった席で、その人の作品を読みたい」
これはやってみたいですねえ…。
近代の文豪がよく通っていたお店とかで、店長さんやその跡取りさんとかが
「あの先生はいつもカウンターでこの飲み物を飲んでいた」とか
「この席に座っていたという話を先代から聞いた」とか教えてくれたりするよね。
芥川龍之介とか宮沢賢治とか平塚らいてうが座ってた席とか座りたいじゃないすか…。
(穂村さんは西荻窪のお蕎麦屋さんで杉浦日向子氏の本を読んだらしい。いいなあ)
現代の作家さんも、インタビューとかで行きつけのお店を教えてくれる人はいますが
どこの席に座っているかまではおっしゃらないもんなあ。

p.84
「『攻殻機動隊』を見ていたら、二〇三〇年あたりの荻窪駅前に焼鳥屋の「鳥もと」が出てきて興奮した。
(中略)その店は2009年にその場所から移転している。アニメの製作時にはまだあったんだろう」
焼鳥屋のシーンなんてあったっけ!??(笑)
攻殻もずいぶん前に見たきりなので覚えてないけど、そうかあ今はそこにないのかそのお店。
アニメに限らず現代を舞台にしたドラマや映画などでも、そういうことはよくあるよね。
撮影されたロケ地にはもうない、とかね…作品ってその当時を記録したアーカイブになるんだよな…。

p.88
「すごく面白い作品に出会うと、その本の世界からいったん顔を上げてきょろきょろする癖があるんだけど、
あれって一体なんなんだろう。わざと寸止めして感動を引き延ばすためか、
それとも本の衝撃によって現実世界の側に何か変化がないか確認しているのだろうか」
あります。
穂村さんもあるんだな~~わたしだけじゃなくて何だか安心しました。
ストーリーへののめり込み度が深ければ深いほど、途中の展開やラストシーンでうわあってなったときとか
その衝撃を受け止めきれなくて「待って待ってNow loading...」ってなったときとか。
最近はあまりないけど、やばかったのはアガサ・クリスティの『カーテン』のラストと
銀英伝8巻のヤン・ウェンリーの例のシーンを読んだときですね…。
リアルにはああぁぁって深呼吸して本を閉じて、キョロキョロどころかしばらく動けなかったです。

p.96
「値段を見ると9000円。うーんと迷いながら、帯に記された文字などを眺める。と云いつつ、本当はもう買う気なのだ。
誰が見ているわけでもないのに、迷っているふうを装いながら、
購入意思を決定的に後押しする「何か」を探している。(中略)…よし買おう。どうせいつかは買うのだ」
これもあります。
ずっと探していた本に出会えたときによくこうなるんですけど、
待って待って今のわたしに本当に必要?他の本で代用できない?高くない?
ヨコレやヤケなどの状態は?転売とかじゃない?とか色々考えますけど、
心のどこかではもう買うことがわかっているというか…。
で、その場にしろ1日後にしろ1週間後にしろ、結局買うんですよね。
わたしは最大で1週間待つ場合があって、それだけ経っても気持ちが持続していたら本当に欲しいんだと思って買います。
(この前、生まれて初めてプラモデルを買いまして、わたしにとっては割と高額だったのですが
その商品を見た瞬間にはポチらなかったんですが自分は絶対これ買うってわかってる感覚あったもんな…。
実際買ったしね)

p.135
「そんなトーアロードを歩いてみたくて神戸に行ったことがある。でも、痕跡は見つけられなかった。
私が憧れたのは鬼才三鬼の魔性の筆が生み出した幻の街だったのだろう」
聖地巡礼ですね穂村さん!(笑)
小説やアニメの舞台を訪ねるとき、わたしは割と「来た!ついに辿り着いたぞ!!」ってなって
痕跡があるかどうかはあまり考えないんですけど、
それを感じさせてしまうほどの筆力は気になるな…西東三鬼…。
(ちょっと違うかもですが、よく旅行とかで「がっかりスポット」と紹介されているところは
旅行者の期待が高くてそうなってしまうのかなあ)

p.136 
「一度も書かれたことのない悪って、どんなものだろう。想像してみようするけど難しい。
では、今までに読んだ小説や見た映画の中で出会った最高の悪ってどれだろう。
うーん、悪人はたくさん出てきたけど(後略)」
川上未映子と永井均の対談にあった「書かれたことのない悪」について穂村さんが考えたことですが
わたしもちょっと思い浮かばないですね。
物語においておもしろい悪役はたくさんいるけど、こいつ最低だなっていうのとはまた別な気がする…。
そういえばるろ剣の作者が「京都編が敵キャラばかりだったので人誅編は全員最低な奴にしたかったけど
うまくいったかわからない」みたいなことをインタビューでおっしゃっていた覚えがあって
(鳥山明や尾田栄一郎は悪を描くのがうまい、とも)、
志々雄真実でさえ悪ではなく敵だったから悪人を描いてみたかったみたいな感じだったと思うんだけど
悪の表現てやっぱり悩むよな…。

p.159
「何度も予想が覆されて先が読めない。心の遠近感を狂わされる楽しさがある。
こういう話は最後の着地が難しいんだけど、本書のラストシーンはとてもいい。
単にめでたしめでたしというのではない。それを超えた何かに繋がっている。
この世界に生身で生きてあること、それ自体の不思議さを甦らせてくれるのだ」
先が読めない読書をしていると、
ハラハラドキドキしたりうわって声が出たり終わりのページに辿り着いたときえっもう終わり?ってなったり
読後に深呼吸したりまだドキドキしてたりすると生きてるって思うことありますね。
自分の呼吸や心臓の鼓動は普段あまり意識しませんけど
とてつもない読書の後は心音がものすごく耳に響いて、ああわたし生きてる…てなる。

p.166 
「極限の現実に圧倒されながらも、一つ一つの声に引きつけられる。
ぎりぎりの言葉の中に説話や詩歌を思わせる力があることを不思議に感じつつ、
それらが本来的には想像を超えた世界を描くものだったことを想起する」
ひめゆり学徒隊のガイドブックを読んだ穂村さんの感想ですが
彼女たちが用いた言葉が現実を表現するために使われると思っていなかった、というのは
これ逆ではないかなという気もする。
現実はすごい力を持っていて想像力など軽々と超えていくもので、
おそらくそういう現実の中から人々は想像上の世界を作り上げていくのだと思う。
だから説話や詩歌の優れた語り手は現実を見つめている人たちなんじゃないかな。

p.173
「『疫神』(川崎草志 角川文庫)を再読した。単行本が2013年に刊行された作品だが、
新種の感染症との架空の戦いが描かれているのだ。
新型コロナウィルスに脅かされている今読まなくてもと思ったが、吸い寄せられるように手に取ってしまった。
やはり初読の時とは臨場感がまったく違う」
これと同じ感覚を、去年、ドラマ「アンナチュラル」第1話に感じたんですよね。
感染症の話だったというのを見返して初めて気づきました…
放送当時はSARSの流行もあったのに、実感がないと都合よく忘れてしまっているものです。
あと槇えびし『魔女をまもる』もそうだなあ…。
2017年に連載が始まったマンガで、当初から読んでいましたが
去年単行本が3冊一気に発売されたので最初から読み返してみたらものすごい臨場感でした。
16世紀のドイツに実在した精神医学の先駆者ヨーハン・ヴァイヤーの物語で
当時地球を覆っていた小氷河期と流行したペストの恐怖が魔女や人狼を生み出す環境に繋がっていて
魔女の存在や魔女狩りの正当性を信じて疑わない当時の趨勢を変えようとする主人公という構図が
まさに現代社会を想起させるし、物語として完成度がとても高いです。
無知から来る怖れが生む迫害と差別は女性史の講義で魔女狩りの勉強をしたときにも出てきたな…。
とはいえ主人公のヴァイヤーも当時の人間なので魔術も悪魔も否定はしていないけど。
(原因は血の巡りや閉経からくるメランコリーや精神病で、そこに悪魔が入り込むと考えていた)
「無知は恐れを呼ぶ、だから知れ、つらくても知るんだよ」
ゲルハルトー!彼にもどうか救いを…。

p.178
「読みたい読まなきゃと思いながら、ずっと手が出せないままの作家が何人かいる。
内田百閒はその一人だ。理由の一つには、どれから読んだらいいのかわからないということがある」
わたしも百閒はどこから読んだらいいのかわからなかったけど
わたしと彼には猫好きという共通点があったので『ノラや』から読んだな…。
多作な作家は本当にどこから読んだらいいか迷いますよね~。
そういうときに「代表作」や作家との共通点があると、そこが良い取っ掛かりになるのかもしれない。

p.182
「意味のわからない言葉の中で、もっとも強力かつ印象的なのは、私の知る限りでは「クラムボン」だ」
で、ででで出た~~!!クラムボンが出たぞ~~~((((((゚Д゚))))))
クラムボンと並んでわたしが意味わからんと思っているのはジャバウォックです。
ルイス・キャロルは意味のわからない言葉を生み出すのがうまい…スナーク狩りとか全然わからんし…。

p.186
「図書館の外は嵐。嘘。いや本当だ。いつの間に。本に夢中でぜんぜん気づかなかった。どうしよう。怖い。(中略)
でも、平気。だって、私はここにいる。体は暖かい図書館に。心は本の世界の中に。ここからはもう出られないんだ」
あとがきにしてはメリバっぽい締めくくりですが、
穂村さんが必ずしもそう思ってないところにロマンを感じました。
出られないと言いながら何だか楽しそうなので。


toshokannosoto.jpg
ヒグチユウコさんの装画がとてもいい。
じっと見ていると、彼女の居るこの部屋の外はものすごい嵐なんじゃないかという気がしてきます。
激しい雨と風と雷で家中の窓がガタガタ鳴ってカーテンが揺れて…。
でも読書に没頭している彼女にとってはきっとどうでもいいことなのだろうな。
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