わたし自身の価値の体系。

森美術館の「アナザーエナジー展 挑戦し続ける力-世界の女性アーティスト16人」に行ってきました。
1950年代~70年代に活動を始め、今も現役である女性アーティストたちを紹介する展覧会です。
本当は去年開催されるはずだったのですが感染症のため今年に延期になりまして、
見に行けるかどうかもわかりませんでしたが様子を見ながら行ってきました。

参加したアーティストたち。
50年超えのキャリアを誇る70代以上の女性アーティスト16人(71歳~105歳まで)は
出身地や活動拠点もバラバラで作風も多種多様。
おそらく企画者が意識的にカバーしたものと思われます。
ほとんど知らない作家さんばかりでしたが、どの作品もエネルギッシュでおもしろかった。
展示ブースを移動するたびにカラーがガラリと変わって、それぞれの感性に包まれるのが楽しかったです。

感染症対策は入口の検温と手指の消毒、マスク必須。
チケットは日時指定の予約者が優先で、当日券があれば入れるというもの。
朝一や午後は混むだろうなと思ってお昼に行きましたら入口も出口も人が全然いなくて
快適に鑑賞できました。

それぞれの展示ブースには作家のプロフィールやディスコグラフィが文章化され、
作家が自作や世界情勢について語る映像も流れています。
まずはフィリダ・バーロウから。
1944年イギリス生まれ、ロンドン在住。
教師を定年退職した後、セメントや段ボールなどで空間をフルに使った作品を作り続けています。
バーロウは挑戦し続ける理由について、動画の中で
「私の作品の主題を探そうとする経験です。しかし、その主題を説明することはできません。
この「わからない」という状態が、私にとっては制作において
新たな冒険をする動機であり続けました」と言っていました。

「アンダーカバー2」(2020年)。
木材や布、石膏などを使った作品で、写真だと大きさが伝わりにくいですが
下に入れないように白線が引いてあるけどたぶん入っても立てるんじゃないかと思う。
ものすごい強烈な見た目ですがポップなかわいらしさもあって
布の上に乗っているのが石なのかタマゴなのかとか、色々想像してしまうね。
以下、写真が多いのでたたんであります↓クリックで開きますのでどうぞ☆

アンナ・ベラ・ガイケル。
1933年リオデジャネイロ生まれ、在住。
16歳頃から絵画を学び始め、版画やコラージュ、インスタレーションなど多岐にわたるジャンルで活躍中。

「月1」(1974年)。
アポロ11号による月面着陸の翌年、月のクレーターの写真をNASAから取り寄せて制作されたもの。
どの国のものでもない月をモチーフにして、
当時のリオデジャネイロの軍事政権を批判する意味も込められているとか。

「蚕の道」(2017/2020年)。
中国の水墨画に紙製の世界の大陸をコラージュし、シルクロードを表現。
ガイケルの作品は地理や地図に関するものが多いようです。
作品のテーマに周辺国を選ぶことが多いのと、彼女の夫が地理学者であること、
本人が言語学を学んでいたことなどが理由だそうです。
ガイケルは動画で、アートの役割について
「人間はアートを通して教育を得られるのです。なので美術の教師はとても重要な人物になります。
教師は、アートを理解するただひとつの道を教えるのではありません。
教育的であることが主な役割だと思います」と言っていましたが
美術教育だけでなく学んで知識を得ることの大切さも訴えているなと思いました。

「波と子午線のある場所」(2004年)。
真ん中にどこかの神奈川沖の波がありますね(笑)隣に表現されているのは地球上の大陸ですね。
北極点と南極点がおもしろくデザインされています。

ロビン・ホワイト。
1946年ニュージーランド生まれ、マスタートン在住。
大学で絵画を学び、過去に滞在したキリパスで工芸品の手法を作品づくりに取り入れています。

手前が「大通り沿いで目にしたもの」(2015-2016年)。
トンガのタバ(樹皮布)でイスラエルにあるベン=グリオン通りを表現したもの。
タバは現地の女性たちの共同作業で織られるので、ホワイトの作品制作も数人で行われるそうです。
アーティストはひとりじゃなくてもいいのだな。
ホワイトは女性たちと作品作りをすることについて、動画で
「関係性を築き、深め、学ぶことの楽しさを得ました。スキルを学び、リスクをいとわないこと。
そして創造することの楽しみを女性たちと共有することでした」と言っていました。
奥が「夏草」(2001年)。
第二次大戦中に起きたフェザーストン事件の犠牲者に捧げられたもので
タイトルの夏草は松尾芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」からつけられたそうです。
絵の中には日本語の詩が添えられていました。

スザンヌ・レイシー。
1945年カリフォルニア州生まれ、ロサンゼルス在住。
カリフォルニアの芸術学校で教鞭をとりながら、フェミニズムをはじめ社会問題をテーマに制作に取り組んでいます。

「玄関と通りのあいだ」(2013/2020年)。
2013年に365人の活動家がブルックリンの住宅街に集まり開催された、
活動家たちが玄関と通りの間に腰かけて人種や民族、フェミニズムや階級などについて話し合ったパフォーマンス。
彼らの様子を通りすがりながら見ていた市民も参加者としてみなされています。
床の黄色い帯には「暴力に性別は関係ない?」「なぜ女性の収入の方が少ない?」
「介護の仕事は評価されていない?」「あなたの体は政治的に扱われているか?」など
レイシーが当時のパフォーマンスでインスタレーションにした問いを再現。

「インターナショナル・ディナー・パーティー」(リンダ・プロイスとの共作。1979年)。
1979年3月に世界中で同時開催された、女性の文化を祝福するための夕食会のパフォーマンス。
時差があるため24時間をかけて、世界各国の女性たちの功績をたたえたそうです。
日本からも参加者がいて、手紙とサインが展示されていました。

「避けられない連合」(1976年)。
ロサンゼルスのビルトモアホテルで2日間行われた、女性の老いをテーマにしたパフォーマンス。
最初のブースではホテルを女性に例えて「顔の美容整形をするビルトモア」の新聞記事を配り、
次のブースでは整形外科助手が手術について説明し、
最後のブースでは当時31歳のレイシー自身が特殊メイクで高齢者に変身し、
会場に並べられた椅子に座った高齢者たちと老いについて対話をしたもの。
レイシーは年齢やジェンダーについて、動画で
「大学では年老いているほど賢明とされますが、いまだに人々の集まりの中では
年老いた男性とは違う仕方で、年老いた女性は見えなくなるのです」
「なぜ自分が男性の体ではなく、この体に生まれたのかはわかりません。
子どもの頃、私はその区別などしていませんでした。
自分自身を女性として発見したとき、この体のせいである種の状況に対処せねばならなくなり、
私の意識が住まう体は常に自分にとって奇妙なものでありました」と言っていて
そうなんだよなあ…と思いました。
わたしも子どもの頃は自分の体を意識することはあまりなくて(今もですが)、
ある日突然、クラスメイトや大人たちから指摘されて「えっ、そうなの?」と戸惑ったことが多くて…。
高齢男性の意見や言葉は反映されても、高齢女性の言葉は反映されるどころか報道すらされない。
実際は活動している女性たちがたくさんいるのにね。

エテル・アドナン。
1925年レバノン生まれ、パリ在住。
大学で哲学を教えながら新聞社で働き、レバノン内戦をテーマにした小説を発表して脚光を浴び、
絵画も制作しています。

「無題」(2012~2018年)。
パレットナイフで絵の具を厚く塗って制作したものと、折り本に黒インクで木々を表現したもの。
展示品はほぼタイトルがついていなくて、無理につけなくてもいいのだなと思いました。
なぜ自然の絵を描くかということについて、アドナンは動画の中で
「木々は不可思議で、人間たちはそれを恐れていました。
木々はそこに立ち、時々私たちをのぞき込むのです。
私たちは自然の力を再発見する必要があります」と言っていました。

「インク壺 栄光と敗北」(1972-75年)。
レバノンの古代遺跡であるパールベックで開催されていた芸術祭への讃歌と
1975年に始まった内戦の勃発を批判しています。
彼女は詩人でもあるのですが、当時フランス統治下にあったレバノンの公用語はフランス語でしたが
彼女は英語で詩を作りながら、視覚言語という意味で絵画を学び始めたそうです。
絵は言葉がなくても伝わりますものね。

リリ・デュジュリー。
1941年ベルギー生まれ、ローフェンデゲム在住。粘土や鋼を使った作品を発表しています。

「手の記憶」(2007年)。
粘土をこねたときに残る手の形を表現したもの。
素材は粘土ですがエナメルや陶も使われているので金属に見えます。おもしろい。

「無題(均衡)」(1967年)。
鋼板に鉄の棒が絶妙なバランスで掛けられて、窓からは六本木の風景が見えます。
作品の近くを鑑賞者が歩いたら振動で棒が落ちるのではないかと思うくらい、すごく繊細ですけど
シンプルで力強さも感じました。
デュジュリーはアートの役割について、動画で
「アートは常に何かを伝えようとするものであり、何かに対する応答であり続けました。
それを説明しようとしてもイメージでしか説明できないのです。言葉では無理です」と言っていました。
言葉よりも作品の方が雄弁なときあるよね。

「海辺の日曜」(2009年)。
7つのビデオ・インスタレーションはデュジュリーのアパートから撮影されたもので、
それぞれ24時間あるそうです。
海辺に住んでいるんだなあ…。
会場の時刻に合わせて再生されるので、森美術館では10~22時まで上映しています。

キム・スンギ。
1946年大韓民国生まれ、パリ在住。
大学院で絵画を学び、美術学校で教えながら数々の国際展に参加しています。

「森林詩」(2021年)。
63本のビデオ作品がランダム再生される映像とオンラインの詩の朗読会を組み合わせたインスタレーション。
感染症のなかで考案された作品で、満月の日に上映されるそうです。

森林詩のようす。
参加しているのは詩人やアーティスト、哲学者などだそうですがロボットもいますね。
遠隔操作とかで朗読するんだろうか。
別に感染症でなくてもこういう表現はできますが、感染症の中だからこそ響くものがあるように思う。
動画の中でキムは「創作はそれ自体が批評であり、問いかけであり、参画です。
アクティブに社会参画をしているといえます。
アーティストたちはひたすらに社会やすべての場所に疑問を投げかけます。
彼らは自分たちの好む道を前進し、夢を実現し続けるべきです」と言っていました。

「月」(2003-2005年)。
ピンホールカメラで撮った月の写真シリーズ。
すべて別々の月に別々の場所で撮影されたもので、1年間の月の写真ですね。
ピンボケしているので流れ星のようにも見えます。

アンナ・ボギギアン。
1946年エジプト生まれ、在住。
世界各地を訪れてその国の歴史や文化、社会情勢をもとにダイナミックな作品を発表しています。
動画の中で「アートは人々の心を育みます。何が起きているかを人々に気づかせるのです。
アートはリアルな現実ではありませんが、何がリアルかという問いを提示し
想像と知覚への新しい扉を開くのです」と言っていて、そうだなあと思いました。

「シルクロード」(2021年)。
日本での作品発表は初めてとのことで、日本の絹産業にゆかりのあるシルクロードの作品を制作。
これらの産業の中に女性たちの重労働と豊田佐吉の織り機の開発があったことに着目し、
天井から垂らした無数の絹糸とドローイングで表現しています。

ヌヌンWS。
1948年インドネシア生まれ、ジョグジャカルタ在住。
高校を出る頃にアーティストになることを決め、国内で数々の展覧会に参加しています。

「織物の次元1番」(2019年)ほか。
インドネシアの伝統的な織物からヒントを得て抽象絵画を制作。
どんな色で表現するかを常に考えているそうです。
動画の中で色について語るところがあって、「黒色です。これも私にとってはおもしろい。
ここに私はのめり込んでいます。白と、青と、黒の間に」と、夢中になっている様子がわかりました。
しかし配色のバランスが絶妙で、こんなデザインの織物あったら買って壁にかけたいよなあ…!

宮本和子。
1942年東京都生まれ、ニューヨーク在住。
渡米後に非営利団体A.I.R.ギャラリーに参加、現在は自身のギャラリーを運営しながら活動中。
A.I.R.ギャラリーでの活動について、動画では
「男性たちは驚いたと思います。女性たちがグループを作り、アートワールドには女性もいるのだと強調したことに。
男性アーティストたちは自分が支配的であるとは普段思っていませんが、
彼女たちはそこに踏み込んだのです。
彼女たちはMoMAに行き、たった2人しか女性作家の作品がないと訴えました」と説明されていました。
しかし「AIRでさえ、白人女性限定でした。いかなる有色人種でもだめだったのです。
私はこの状況を打破したかったのです。黒人女性やヒスパニックのためにも」というわけで
女性であることと有色人種であることの複合差別を抱えながら彼女は活動してきたのだな…。

「黒い芥子」(1979年)。
壁と床に1900本もの釘を打ち、黒い糸をびっしり張っています。
透明感があり、見る角度によって印象が変わるおもしろい作品でした。
糸と釘(針)は女性たちの手仕事、低賃金とみなされてきた労働のオマージュでもあり
その道具でアートを作ることで問題を浮き彫りにしたいという意図もあるようでした。
宮本は動画で「アートを作るのは生活の糧を得るためだけではありません。
自分たちの意見を表明するのです」と、はっきり言っていました。強い。

上が「No No No」(1976年)、下が「End」(1975年)。
Noの文字で八角形を描き、endの文字を並べたもの。
デザイン的な作品で遠くと近くで見たときに印象がガラリと変わるものだな…。

カルメン・ヘレラ。
1915年キューバ生まれ、ニューヨーク在住。
ハバナで建築を、ニューヨークで絵画を学び、個展などを開いて活動中。
細く長く活動してきて、現在105歳の彼女の作品が評価され始めたのは90歳以降だったそうです。
なぜなら1980年代のニューヨークで女性アーティストになることはとても難しいことだったから。
「昔、ローズ・フリードというギャラリーがあって、
誰かが私の作品を彼女に見せて、彼女はそれを大変気に入りました。
そこでギャラリーに行くと、彼女は私に言いました。
うちの男性作家の周りで円を描いてくれてもいいけど、あなたは女だから個展を開くつもりはない。
これが女性から女性への言葉でした」
「誰も私が画家だとは知りませんでした。私は長い間待っていました。
バスを待っていればやがて来る、という言葉がありますが、その通りです。
バスが来るのを1世紀近くも待って、ようやく来たのです!」
101歳のときにホイットニー美術館で行われた大規模な回顧展についてのコメントも
「遅くてもないよりはましです。もう少し早ければよかったのですが」と、だいぶドライです。

「赤い直角」(2017-2018年)。
アルムニウムに赤い塗料をぬって制作された彫刻作品。
奥に並んでいるのは「ビクトリア」という絵画で、
ヘレラは70年以上もこうしたエッジのきいた幾何学模様を追求しているそうです。
真ん中の緑の作品とかTシャツみたいでおもしろいな…と思って近づいてタイトルを見たら
「京都(緑)」(1966/2016年)と書いてあってびっくりしてしまった。そうくるか~。

センガ・ネングディ。
1943年シカゴ生まれ、コロラド州在住。
大学でダンスと彫刻を学び、ブラック・アーツ・ムーブメントの重要なアーティストとして活動中。
60年代のブラック・アヴァンギャルドには後半から参加したそうですが
そこで西洋的な考え方や彫刻などが追い出されるのを目の当たりにし、
でもそれは「私たち自身のための新しい語彙を見つけようとしたのです」という解釈のようでした。
「私はアートを大きな船だと思っています。全員が違う美学を持っているからです。
この船は全員にとって充分大きいのです」とも、動画の中で言っていました。

「ウォーター・コンポジション 3」(1970/2018年)。
着色した水をビニールに入れて展示しています。
発表された当初は、鑑賞者がこの上に寝転がったりすることもできたそうです。
もし乗れたらひんやりして冷たいだろうし、ビニールに沈む体を感じることもできるんだろうな。

暗い展示室の壁に書いてあって「ん?」と思ったので入ってみた。

「ワープ・トランス」(2007年)。
ジャガード織物に使うパンチカードを通して映像が投影されるビデオ作品です。
映像と音声は地元の織物工場で撮影されたもので、織り機が上下する様子や
パタンパタンという音が流れていました。
一定のリズムが刻まれる織り機はまるでネングディの表現方法であるダンスを踊っているかのよう。

映像でつくられる壁の模様に手をかざしたら、手にも模様ができます。
こういうの大好き☆

ミリアム・カーン。
1949年スイス生まれ、ブレガリア在住。
専門学校で美術を学び、数々の国際的な展覧会に参加しています。

展示風景。
カーンは活動初期から裸体の男女の絵を描いているそうで、
今回出品された作品も様々な裸体が描かれていました。
手を取りあう絵もあれば強烈な暴力が描かれている絵もあり、
これらは現代も続くジェンダー不平等へのメタファーのようです。

「美しいブルー」(2017年5月13日)。
タイトルのとおり美しい青だなどうやって描いたんだろ、でも何か不安定だな…と思ってキャプション見たら
この絵は2015年のシリアをはじめとする難民問題をテーマにしており、
両手を上げた人物は地中海に沈む難民を表現していると書いてありました。
カーンは湾岸戦争やユーゴスラビア紛争などを目の当たりにしてから
戦争や難民などの問題に関する作品を発表し続けているそうです。
地中海の青とテーマの重たさで風邪をひきそうでした。

ベアトリス・ゴンザレス。
1932年コロンビア生まれ、ボゴタ在住。
大学で建築と美術を学び、アーティストのほかにキュレータ-や美術史家の仕事もしています。

「縁の下の嘆き―携帯電話を持って嘆く」「縁の下の嘆き―ハンカチを持って嘆く」(2018年)。
コロンビアの内戦の犠牲者を悼む市民の姿をポスターにしたものです。

「追放された壁紙」(2017年)。
2010年代から政情が不安定になったベネズエラから
国境を越えてコロンビアへの入国をめざす人々を表現していますが
シルエットで描かれているのでどこの国の人とも読める。
右下にあるのは「悲嘆に直面して」(2019年)。
鏡台の鏡の部分にはハンカチで顔を覆って泣く女性が描かれていて、
コロンビアの内戦による犠牲者を悼む遺族たちを表現しているそうです。

「無名のオーラ」(2007-2009年)。
2003年に再開発で取り壊しが決まった墓地(中味は移送済)を、市民との記憶を共有するために
ゴンザレスがドリス・サルセドと共同でおこなったプロジェクトの一環。
ひとつひとつのお墓にシルクスクリーンで人影を刷ることで
死者の鎮魂と社会から忘れられていく痕跡を記憶しようと試みたもの。
ゴンザレスは動画の中で「アートは社会で多くの役割がありますが、不可欠なのは"記憶"の役割です。
アート作品は少しばかり社会をカプセルに入れて、道を示すべきです」と言っていました。

アルピタ・シン。
1937年インド、ニューデリー在住。
大学でアートを、織物工房でテキスタイルを学んで、国内外の展覧会で活躍しています。

「私のロリポップ・シティ:双子の出現」(2005年)。(部分)
中央の双子の周りに飛行機が飛び自動車が走り、神話のイメージのようなものが描かれ、
56人の男性と12人の女性(残りは失敗し、焼かれ、消された)の文字が添えられています。
17人の女性たちが地面に埋められているのは、政府への権力批判が込められているそうです。

「破れた紙、紙片、ラベルの中でシーターを探す」(2015年)。
シータはインドの神話ラーマーヤナに出てくる、悪魔に攫われるヒロインの名前です。
若い女性たちの誘拐や性暴力事件が絶えないインドへの批判が込められているそうです。
破いた紙を貼りつけて表現された川には「ORIGAMI RIVER」と赤文字で描かれていて
これは日本の千羽鶴からヒントを得たそうです。
こんな構図どうやって思いつくんだろうな…と思いましたけど
作品のインスピレーションについて、シンは動画で
「いつも制作している人にとってインスピレーションを待つことはナンセンスです。
次の日にまた取り掛かり作り続けます。人生が続いていくように作品もまた続いていくのです」と
言っていて、あっハイそうですね…ってなりました。

三島喜美代。
1932年大阪府生まれ、同地および岐阜県在住。
高校卒業後に絵画制作を始め、独立美術協会に出品し、現在は国内外の展覧会で活躍中。
陶器を使う理由について、「お茶碗がガチャンと割れた時にあ、これだなと思った」とおっしゃっていて
邪道だと言われたこともあったそうですが、邪道でも何でもいいということ続けていらっしゃるとか。

「作品 21-A」(2021年)。
陶にシルクスクリーンでプリントした新聞がくしゃくしゃになって転がっています。

「作品 92-N」(1990-1992年)。
うず高く積まれた紙類に見えますが、陶にシルクスクリーンでプリントした作品です。
電話帳や新聞、マンガ雑誌などが積み上げられる様子は情報化社会への批評だそうです。

「ヴィーナスの変貌 V」(1967年)。
絵画と海外の新聞のコラージュに、ヴィーナスの誕生のヴィーナスがネガポジ反転されて
シルクスクリーンで複製されています。

「作品 21-G」(2021年)。
どうも見覚えのある作品だな…と思ったら、直島に旅行したときにこれと似た作品を見たのを思い出しました。
そうだったそうだった、あれも三島さんのアートだったね。
あと原美術館でもくしゃくしゃになった新聞の作品を見ましたなあ。
50年以上も現役で作品を作り続けているおばあちゃんたちのパワーをしこたま浴びました…。
どの作家も学んだ知識や故郷の文化や歴史に根差したモチーフを使って表現活動を行い、
自らの思想や現代社会の問題を提示してみせてくれていました。
これだから現代アートはおもしろいのだ。
女性アーティストがいないものと見なされ隠されてきたこと、それに抵抗してきた作家たち、
彼女たちの地道な行動によって近年やっと再発見されてきている流れも改めて感じました。
キャプションに「〇〇を表現している、〇〇を批判している」といった断定が多いのが気になって
まあ適度に解釈を提示することは鑑賞の道しるべにもなるのですが
結果の不親切さ(例えば鑑賞者の発見を不用意に否認するとか)を引き起こす場合があるのですよね。
作家の動画も流れているので制作者という絶対的な強者による解釈も提示されてしまっているし…。
ただまあ、この件に関してはミリアム・カーンが動画でおもしろいことを言っていました。
「(作家の意図と異なる解釈をした人について。)
それが何なのかを知らずにアートを見ることが可能であるべきです。
アートはすべての人にとって言語を介さず理解されるべきです。
彼女は2つの事柄を見ることができたと言えないでしょうか?だからこそアートはおもしろくなるのです。
彼女が始めに抱いた感想にしがみつけるという事実は絵を前にして持つべき自発性であり、すばらしいことです。
そして人々が自分を笑いものにせずにそれを表現できれば良い。
彼女の心に何かを引き起こしたいと願っています。
彼女が最初の反応に加えて別の感想も並行して持てるようにです」
アートは人間が制作するものなので必ずその時代を反映しますし
意図的にテーマを発信する場合もあれば気づいたら込められていた場合もあるだろうし
カーンの作品はおそらく前者で、そしてそれらは彼女の作品を見れば読み取れることもあるのですが
こういう考えを持ってくれている作家は信用できるし、頼もしいなあと思いました。
明確なテーマを持って作品を提示しつつ鑑賞者の第一印象や感想を尊重することはとても大切で
ただただ、そのときその瞬間その人が感じたことは真実で誰も否定することはできません。
鑑賞とは作家と鑑賞者の意識のせめぎ合いで、それがかっちり一致すると幸せになれるかもしれませんが
一致しなくても間違ってないし誰も不幸にはならないと思いました。
残念だね、とかはあるかもしれないけど…。
最後に記事タイトルにも引用した、スザンヌ・レイシーの言葉を動画から引用します。
「私の作品は多くが社会的課題に関わりますが、すべてがそうではありません。
これは私自身の価値の体系だと考えています。
考えるべきは、どのような価値観を表現しているかなのです」
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。 ジャンル : 学問・文化・芸術
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