立石寺と摩周丸の旅その2。
前回記事の続き。北海道新幹線で函館にやってきまして、
シンカリオン15話と劇場版に出てきた青函連絡船記念館の摩周丸を見学します☆

函館駅からスタート☆
正面に新幹線の垂れ幕がある以外は10年前と変わった様子はなさそうです。

旧函館駅所在地の碑。
1902年に海岸町10番地に開業した旧函館駅跡地に建てられた碑ですが
現在は現函館駅に移設されています。

函館朝市!どんぶり横丁さんもお変わりないようで何よりです。

ここだよ~~劇場版シンカリオンでハヤトくんたちが蟹とかいくら丼とか食べ歩きしてたところ☆
右側にセイリュウくんとアズサちゃんが見てた水槽も置いてあるし間違いない^^

摩周丸は市場から歩いてすぐです。潮風を浴びながら向かいます。
以下、写真が多いのでたたんであります↓クリックで開きますのでどうぞ☆

摩周丸の船尾。
昔はここに線路が敷かれて、貨物車を引きこんだり引き出したりしていたのだなあ。

昨夜は暗かったのでわからなかったけど、
船尾のMASHU MARUの後にTOKYOと書いてある。

朝の摩周丸おはよう~~!
大きいので全景を写真におさめるのがなかなか難しい。

摩周丸のある若松ふ頭一帯はふれあいイカ広場と呼ばれています。
右側にある緑色のはイカモニュメントで、3体のイカの群れを表現したものだそう。

というわけで見学に行きますよ!

改造型錨。
1954年の洞爺丸の事故がきっかけで国鉄がJIS型から改造して
桧山丸(1955~1977)に実際に使われていたものだそうです。
現存している改造型はこれだけらしい。貴重なものですな。

昨夜のライトアップでは何だかおごそかなお姿でしたが
朝日に照らされるお姿もかっこいいね^^

ミクさんとパチリ☆

錨。
さっきの改造型ともJIS型とも違う形をしている。

桟橋から函館山をのぞむ。

周辺を散策していたらいつの間にかオープンしていました、行っくぜー!
摩周丸という連絡船は2隻ありまして、初代は1948年に就航し1964年に終航、
1965年に2代目が就航し1988年3月13日の青函連絡船の終了日(青函トンネル開業日)まで運行、
そのまま現在の旧函館第二岸壁に係留されメモリアルシップとして保存・公開されています。
22年間のお仕事で運航された距離は約400万km、地球を100周しちゃうね。お疲れ様でした!
そういえば過去に青森港で八甲田丸を見たけど、見学しなかったんだよな…もったいなかった。。

受付で入館料を払って、いざ。
摩周丸の2階部分にあたる場所から入ります。

入口。
「Memorial Ship MASHUMARU」のモニュメントとイルカたち、
日本機械学会による機械遺産認定証が迎えてくれます。

シンカリオン15話で大宮組が大沼指令長に案内してもらったときもここが映ってました☆
というわけでハヤトくんとパチリ。

入口には補助汽船に実際に使われていた約230kgのJIS型の錨が展示されています。
ちなみに本船(青函連絡船)の錨は約4000kgあるらしい。

Welcomeと迎えてくれたイルカちゃんの階段を登ります。
このイルカちゃん、摩周丸のシンボルマークにもいて船内のあちこちで見かけますが
名前があるわけではないようです。

ひも結び一覧。
なぜこんなところに、と思っていたら
船員の必須技術であるロープワークを体験してみようというコンセプトらしい。

いったん外に出ます。ここからも函館山が見える。

階段を登って。

コンパス甲板へ。この船で最も高い場所です。

マスト。
終航からじわじわ損傷していたそうですが2009年に全国各地からの寄付で修復されたそうです。

目の前には函館山と西部地区、緑の島も函館どつくも弁天台場も見えます。
旧函館区公会堂の黄色い壁もはっきり見えました。いい眺めだな~。

下の甲板を見下ろしてみます。(ここには降りられません)

海面からの高さ約15m、ビルの5階に相当する場所に今いるらしい。
確かに高い。

コンパス甲板を降りて航海甲板へ。

こ、ここは、ここはーー!!

ここだーーーーーー!!!!!
シンカリオン15話で、雪の降りしきるなか袴姿のミクさんが竹刀を振っていた場所ではないか。
というわけで撮ります。竹刀を持ったミクさんと一緒に撮ります!
うわああやっとミクさんをこの場所に連れてこられた…!感無量で泣きそう。

ミクさんを見守るハヤトくん。
大宮組がここへ来てミクさんとお話しましたね…あの頃のミクさんはまだツンツンしてたね。

煙突にJNRの文字。Japanese National Railways(日本国有鉄道)の頭文字ですな。

船尾の方へ歩いていくと可変ピッチプロペラとアンカーチェーン。
どちらも摩周丸で使用していたものです。
プロペラは船の左右に一基ずつつけられていたもののうちのひとつで
操舵室でスクリューの角度を変えて推力や進行方向を操作していたそうです。
アンカーチェーンは錨をつないでいた鎖。

ここからも函館港が見えます。

航海甲板側の扉は閉まっていたけど、こちらは開いていた。

中に入ると復元された普通座席がありました。右舷後部の座席をモデルにしたものです。
椅子席ではなく床に直接座ったり横になりたい人のために用意されていたそうです。
壁には連絡船の運航表や周辺案内図、函館から道内への国鉄時刻表などが貼られていました。
(余談。
うちの両親は青函連絡船世代なのですが、旅行などでこの普通座席を利用したようです。
青森駅で電車を降りると一目散に連絡船に向かって駆けだす人々を見て
なんでだろうと思いながら乗船して普通座席へ来たら四隅に荷物を枕にして横になる人々がいて
なるほど場所取りのためだったか、と合点がいったとのこと。
ちなみにそんな事情を知らずのんびり歩いて乗ったうちの親は真ん中あたりで小さくなっていたそうです。
少しのことにも先達はあらまほしきものなり(By徒然草)。以上、余談おしまい)

ここにもひも結びコーナーがあった。
摩周丸のひも結び推しすごい。。

航海甲板から無線通信室に入りま~す。

当時のまま残っていて、自由に見学できます。
通信士が無線を使い気象情報などの収集・報告を行うほか、
レーダー、FAX、船内電気機器の調整、乗客の電報の取り扱いまでしたそうです。
机の上に実際に使われていたモールス信号機が残っていて、
打鍵すると「ピーッ!」と今でも音が鳴ります。

ブラタモリのときの写真があった。見たよ~この回。

通信連絡系統と無線機。
国鉄との連絡のほか気象庁やNHK、保安庁、函館市、他の連絡船、補助汽船、漁船や民間フェリー、
JJY(標準時)に至るまで情報をやり取りしていたようです。
室内には1987年に録音された通信士の声とモールス信号の打鍵音が流れていました。
耳をすますと「こちら摩周丸、こちら摩周丸…」ってかすかに聞こえてドキドキしてしまった。

当時使われていたマニュアルと記録。
ボロボロだったのでそっと取り出してめくってみたら機器の操作方法とか書いてありました。

通信室から操舵室(ブリッジ)に入ります。

左のドアが通信室との通路。
ボタンがいっぱいです。どこをどういじるのかさっぱりわからない。。

右上にあるのは金刀比羅宮の神棚。
青函連絡船は本州で建造していたので
毎年、代表者がこんぴらさんにお参りしてお札をもらってきていたそうです。
そういえばこんぴらさんに行ったとき絵馬殿に青函連絡船の写真もあったの思い出しましたー!
もっとよく見てくればよかった。。

右舷灯。日没から日の出まで、また霧や靄のある昼間に点灯していたもの。

操舵室の内部。

国鉄航路の生まれと廃止一覧。
日本で最初の連絡航路は広島県の宮島~宮島口で現在も唯一運航しているもので
この後関門航路や青函航路など様々な航路が開業しますが現在はすべて廃止or休止になっています。
最初に開通した航路だけが現在も残ってるの、なんかすごい。

国際信号旗。
一字信号といって緊急事態の際に使われます。
「受信した」「本船は健康です」「医療を必要としています」「人が海に落ちました」「危険です」など
様々な意味をもつ旗が通信として使われたようです。

火災警報装置。
船内で火災が発生した場合は警報が鳴り、どこで発生したかがわかるようになっています。
客室火災は消火ホース、甲板火災はスプリンクラー、機関室火災は炭酸ガスと、消火方法も様々。
壁には他にも、仕切り扉を閉める装置や火災専用電話、救命装置一斉投下コックなど
災害に備えた装置がありました。
船内に火災を知らせる汽笛は長音で5回鳴らすそうです。汽笛はサイレンでもあるのだね。

舵輪、プロペラ装置、レーダー、連絡装置などが集中したメインシステム。
摩周丸の運航はここですべて決定されます。

レーダー情報処理装置。
現在は運航当時の、津軽海峡のレーダー画像を再現したものが流れています。
中央が摩周丸で、アンテナが回転すると周囲の船に反射して映像に現れるシステム。

レーダープロッテングテーブル。
レーダーに映る情報を3分ごとにシートに記録し、衝突防止などに備えます。

青函航路の海図。
連絡船は上り便と下り便のコースを分けて運航しており、
通過地点を設けて船の位置や遅延などをチェックしたそうです。

磁気コンパス。磁石を使って「北」を表示させる航海計器です。

出航操船時の船長の定位置。つまり船長ビューです!
責任者の立つ位置ってドキドキするよね。責任重大。いやはや。

上を見ると船角指示計がありました。
左右にはアナログ時計(秒針調整)、風力と風向き、KT(船の速度)を測る機器もあった。

ジャイロ・コンパス(マスコン)。
高速回転するジャイロの軸が一定方向を示す性質を利用して
地球の自転に影響されずにコンパスが真北を指す仕組みになっているそうです。

ジャイロ・レピーター・コンパス。
マスコンからの電気信号を受けてあらゆる指示を出すため様々な方向に向けられます。

可変ピッチプロペラ操舵装置。
さっき甲板で見た、巨大なピッチプロペラはここで動かしていたんですね。
ハンドルに手を添えて握って動かすことで、前進・後退・停止などを操作します。
こちらお触りOKなので手指の消毒などして動かしてみるとガタガタ音がして本物感が味わえます。(本物だよ)

舵輪(ホイール)。
これを動かすことで船尾の舵を動かし、船の進行方向を操作します。
港の出入りやほかの船を避ける際には手動ですが、海へ出ると自動操縦も行ったそうです。
面舵と取舵は舵角15度、面舵一杯・取舵一杯は35度ずつ動かすことをいうらしい。

「赤いボタンを押すと汽笛が鳴ります」。鳴らしてみようじゃないのよ☆
というわけでボタンを押したら「ボオォーーーッ!」と大きな音が鳴りました。
これあれだな、船の外に出てしみじみ聴きたいやつだな^^

左舷灯。こちらは紅色なのですね。

操舵室を出ると国際信号旗と救命具の展示。
三菱電機って書いてあって、そういえば摩周丸を造ったのも三菱重工ですよね。
あと操舵室の機器のあっちこっちにNationalのロゴがあって懐かしかったな…。

旗の柄でアルファベットをあらわし、それぞれに意味があります。
たとえばAの旗は「潜水夫を降ろしているので避けてほしい」というもの。

灯篭と甲種紅灯。
灯篭ばブイの先端につけられたもので、紅灯は船が操縦不能に陥った際に掲げるもの。

階段を降りて3階に行きますと、おーーっ、ここは!

船のしくみ展示室。
過去にグリーン椅子席だった部屋を改装して展示室にしているそうです。
青函連絡船について、実際に使われていた品々や模型やパネルで解説しています。

ここは劇場版シンカリオンでリュウジさんが立っていた展示ケースの前です☆
八甲田丸と十和田丸の模型を見ていたのですね。

ここは15話で大宮組が大沼指令長に案内してもらったときに見ていた場所。

連絡船のエンジンやプロペラについて。
船によって馬力の差はありますがディーゼルエンジンで動いていて、
時速約33kmで青森~函館を約3時間50分で結んでいたようです。
青函連絡船は1964年以前と以後で形が異なり(2代目摩周丸は後者)、
1964年以降は車両甲板を設けるためエンジンを小さくする必要があって
小型のディーゼル主機を4台と2つのプロペラ軸を設けることで
もし運航中に一部が故障しても通常走行できるようにしたそうです。

入船前に摩周丸のお尻(お尻言うな)で見た可動橋の模型。
お~まじで線路が海までつながって貨物車引きこんでる。
貨車は最大48両まで積載でき、船の左右に水のタンクをつけてバランスを取っていたそうです。
連絡船の停泊時間は55分と決められており、もし接続の列車が5分遅れた場合は
50分で準備をしなければならなかったらしい。

安全に津軽海峡を渡るために必要な道具たち。
コンパスに双眼鏡、銅鑼、斧、ほか様々な計測器。

計器の歴史。
昔は船の速度は水圧や音響などで測っており、現在はレーダーで計測します。
実際に使われたロープや動圧測定器、コンパスなどが展示されていました。

1965年までの水圧式の操舵装置に使われていた舵輪。

備え付けられていた救命道具。
救命胴衣に浮き輪、救命いかだとその装備、消防用ロープ、酸素ボンベなど。

青函間交通の歴史について。
津軽海峡は海の難所ですが江戸時代には箱館や松前に航路が開かれており
1891年に上野~青森間に鉄道が開通すると1908年に国鉄青函航路が開業、
以来1日最大30往復を実現したこともあったそうです。

展示室を出るとロビーになっています。

青函連絡船のあゆみをパネルで紹介するコーナーと
グリーン限定椅子席・普通椅子席を再現した場所。

2代目摩周丸(この船)の写真もありました。

さっきの稼働橋がプラレールで再現されていて
貨車はエドワードが引っ張ってました^^

車両甲板はレゴブロックだ。

当時使われていた、船舶位置自動表示装置がそのまま残されています。
船が出航すると赤ランプが点滅し、10分ごとに場所が移動して現在位置を知らせます。
今はタッチパネルとかになってるけど、今もこういうのフェリーとかにあるよね。

椅子席の再現ヤッホー!

みんなで座ってみます。大宮組は大沼指令長に案内してもらってましたね。
スプリングがちょっとギシギシいうけど、座り心地はいい感じでした。

寝台室に置かれていた飾り毛布。
ボーイが季節に合わせて飾っていて10種類くらい折り方があったそうですが
折り返し時間が短縮されてからは取りやめになったそう。
展示ケースの折り方は大輪というそうで、他にもひまわりとか初日の出とか色々あったみたい。

航海の記録やアルバムや洞爺丸台風の記録なども展示されています。

1988年3月13日の運航要項。
「無事終航式をすませました。今後の皆様の御健康をお祈りします」と書いてあってぐっときた。
この記録をもって摩周丸の歴史は幕を閉じています。最終日までお疲れ様でした!
(そういえば摩周丸の地下にある車両甲板(一般人は入れません)には
1988年3月のカレンダーが今も貼られたままになっている、というのを
ブラタモリか何かの番組で見た覚えがあるな…)

2代目摩周丸の模型。

青函連絡船80年のあゆみ。開業から終航までに運航された55隻の船を模型で紹介。
模型の年表みたいで泣けてきちゃうなー。

青函連絡船100年のパネル。
2008年の国鉄連絡船100周年を記念して制作されたもので
開業から輸送力の強化、戦争や洞爺丸事故を経ての復興、最盛期から終航までを
18枚のパネルで紹介しています。

乗組員の制服。
右から船長、甲板係、ガールとボーイ、船長の冬服。
船長の制服は終航日に着用されていたものだそうで、
冬服はものすごい生地が分厚くてモコモコしてるコート。。津軽海峡の冬は寒い。

展望サロンへ。

休憩用のテーブルや図書・映像ライブラリーなどがあります。

ライブラリー「いるか文庫」。

台風15号(洞爺丸台風)についてのパネル。
青函連絡船史上最大の海難である台風15号の被害について紹介したものです。
1954年のこの事故で客船の洞爺丸、貨物船の青函丸、北見丸、十勝丸、日高丸の計5隻が
函館湾に錨を降ろして避舶した状態で遭難・沈没し、乗客や乗組員など1430人が犠牲になっています。
(初代摩周丸は修理のため関東に行っており難を逃れています)
5隻の船が沈没した直接の原因は今もって推測の域を出ないようですが
沈没を避けるために乗組員の人々が懸命に働いていたことと
台風15号がどれだけ凄まじい勢力だったかというのはひしひしと伝わってきた。
沈没して船尾だけを海面に出した状態の洞爺丸の写真めちゃくちゃつらい。

1988年の青函連絡船終航のポスター。
津軽海峡最後の夏のコピーが切なくてかなしい。お疲れ様でした。

遊歩甲板に出ましたら鳩がとまっていた。

自動車を乗せていた場所で、床には駐車場みたいに白いラインが引かれています。
ここからも函館湾が一望できてよい眺めです。

甲板から階段で降りようと通路を歩いていたら窓にこんなパネルが見えたので。

覗き込んでみたら、おお~!グリーン座席がそのまま残されてるんだ。
一般座席よりも広くて、絨毯の質も高級らしいです。

こちらは禁煙席のグリーン座席。
そうかあ昔は全席禁煙ではなかったもんな…今じゃ考えられないけどね。

階段を降りて2階の入口に戻ってきました~。

三菱と函館どつくのプレートがあった。
1965年に三菱重工が摩周丸を造り、1991年に函館どつくが係留展示船としての改造を行ったゆかりで
掲示されているようです。

出航時に鳴らされた号鐘と、

銅鑼。

名残惜しいですが去ります。ありがとうございました。
めちゃくちゃ勉強になったし聖地巡礼できたし有意義な時間でした。ありがとうございました。
シンボルマークのイルカちゃん最高にかわいい。

売店にあった椅子とテーブル。
摩周丸のグリーン船室内にあったサロン海峡のものだそうで、自由に座ってよいそうです。

摩周丸ばいばい。ありがとうございました。
22年間のお仕事お疲れ様でした。これからも係留展示船としてお仕事がんばってください。
実は1時間くらいで見学するつもりだったのですが船内が思いのほか楽しくて
気づいたら2時間以上滞在していました。
時間があれば函館市電で十字街あたりまで乗って帰ってくるだけとかやろうかな~とか思ってたのに
全然時間がなくなってしまった。。
仕方ないよ楽しかったんだから!また来ればいいんだよ。来ようね。
あとこの日のわたしは絶対に絶対に新幹線に乗り遅れるわけにはいかなかったので…
色々思うことはありましたが帰ることにしました。

函館駅の線路の終わり。
今はここで終わってるけど、昔は摩周丸のいるところまで伸びていたんだよね。

函館駅のエスカレーター前でこんな看板を発見。2階に上がってみます。

いるか文庫。
函館市に関する本が読めたり、売店があったり、ギャラリーで絵画の展示があったり。
H5系さんの大きなパネルが床に置いてあって、子どもさんとか喜びそうだなあと思いました。

はこだてライナーで新函館北斗駅に戻ってきました。
Z28話でメーテルさんが見てたずっしーほーきー!(北斗市のゆるキャラ)

郵便ポストの上にもずっしーほーきー。

新函館北斗駅全景。

駅の2階に41°GARDENの窓があるー!!

1階の自動ドアから入ると、目の前に北斗市観光交流センターがありますが。

こんな人がいます☆
マンガ『北斗の拳』の主人公であるケンシロウ氏の銅像「明日への秘孔」です。
2016年の北海道新幹線の開業と同時にこの像の除幕式も行われ、原作者も出席したとか。

劇場版シンカリオンでハヤトくんが一瞬だけケンシロウの顔になるカットがあって
(原画は池添さん)、ご縁を感じたのでハヤトくんとパチリ。

41°GARDEN開いてる~!

どうしようかなあと思ったんですけど、新幹線の時間までまだだいぶあったし
店内には黙食してる人が1人いただけだったので、思い切って食事することに!
お店の一番端っこの席でホッキの3色弁当とスモークサーモン&アボカドのサラダと
りんごジュースをいただきました。
3色弁当はずっしーほーきーの「おいしいホキー!」ってコメントが貼ってあったので食べるしかないなと^^
次に来たときはリュウジさんのいた席に座れるといいなあ。

青森県産のりんごを使ったアップルパイをテイクアウト。
スライスしたリンゴが乗っていて中にカスタードクリームが入っていて
めちゃくちゃおいしかったです!
えっちょっあと5個くらい買ってくればよかった…次はいつ買いに行けるかな。。

ホームに降りてきました。こちらは札幌方面に延伸工事中の線路。
今は新函館北斗が終点ですが、数年後には札幌に新幹線の駅が開業します。
楽しみだね。

H5系はやぶさに乗ります!
H5系に乗るのも現在の始発(新函館北斗)から乗るのも初めてだよ!!
ちゃんとH5系が充当されてるはずの時刻の切符取りましたけど
実際に車両が来るまではわからないのでドッキドキだったよ!!
だから乗り遅れるわけにはいかなかったんだ…間に合ってよかったです。

回送のH5系さん入ってきたー!よかった。ちゃんとH5系さんだった。
来てくれてありがとうございます。

北海道新幹線の駅にE5系とH5系が並んでいる。。泣きそう。。

H3編成さーーーん!よろしくお願いしまーーーーす!!(大声)

ミクさんとパチリ。
ようやく、ようやく新函館北斗でミクさんとH5系の写真が撮れました。。

回送のE5系さん発車していかれました。お疲れ様です。

ミクさんと1号車でパチリ。

超進化速度に到達しそうな角度☆
向こう側が明るかったらやるしかないでしょ^^

新函館北斗駅にH5系がいる、という証拠の写真。
北海道新幹線の駅は駅名表示が壁側にしかないため、
他の駅ならできる「上に駅表示・下に車両」という写真が撮れないのでこうなりました。
ちゃんと撮れたからおっけーだよ!!
(台車を押している後姿の男性はたぶん新幹線貨物輸送の関係者さんです。
2号車にダンボール積んだら出て行ってた)

E5系とH5系は車体の色は同じグリーンですが、帯とロゴ以外にも違いがあります。
こちらは乗客用のドアの内部。E5系は茶色ですがH5系は緑色です。

車内の床。
E5系は線路みたいな模様ですがH5系は雪の結晶模様です。

乗客はわたしのほかにファミリーとおひとり様がいらっしゃったのみ。
平日昼間なせいか少なかったです。
盛岡駅までに半分くらい埋まったかな…満席にはなりませんでした。

全席コンセントつき。
東日本の新幹線で全席にコンセントがついているのはE7/W7系とH5系です。
おととしデビューしたN700Sが全席コンセント装備で話題になりましたが
E7系は2014年に、H5系は2016年に製造された時点でコンセント全部ついてたんですよね。
E7系は新幹線で初めて全席にコンセントを設置した車両ということで話題にもなってたはず。

H5系にみんなで乗って帰りますよーわ~い!!

ギリギリまで楽しむ。
いつだったか、サンライズの個室の窓にぬいぐるみをいっぱい並べている人の写真を見まして
わたしもやってみたくなって^^

新函館北斗駅を出発!
さようなら北海道、さようなら新函館北斗。また来ます。いつかまた来ます。

ブラインドの模様はアイヌ文字をヒントにデザインされているそうです。

通路の扉もガラスが床までぶち抜きになっている。
E5系だと上半分だけガラス張りですよね。

こちらでも青函トンネルに入ると車掌さんによるアナウンスが入りテロップが流れます。
魅惑のワープゾーンの約23分、往復楽しませていただきました。

盛岡駅を発車したところでこんな電車が走っているのが見えたんですが
車体の形と色からしてEast-i EかDじゃないかな…??
遠くてよくわからなかったんですけど、似てるだけかなあ。

仙台駅に到着する前に見えた新幹線車両センター。
車両基地はいつ見てもワクワクしますね。

大宮駅到着前にてっぱく!
屋上に数人の人影を確認しました。たぶん写真撮ってる人たち。

大宮駅に着いて、お見送りをしました。ありがとうございました~。
(盛岡駅でE6系がH5系の後ろに接続していますので、E6系のお尻を見送ることになります)
H5系を堪能しました。ありがとうございました!
H5系は開業時から4編成しかなく東京に来る列車も1日2本しかないので
見るのも乗るのもなかなか難しい車両なのですが、
今年の春にあった福島沖地震で震源地付近を走行していたH2編成が脱線し廃車になってしまって
(一緒に走っていたE6系Z9編成も廃車)、現在は3編成しか走ってないんですよね。。
お仕事増えて大変だと思うけどがんばってほしい。
そしてJR北海道さんは新しい仲間を作ってあげてほしい…H5系H5編成を、どうか…!!
シンカリオン15話と劇場版に出てきた青函連絡船記念館の摩周丸を見学します☆

函館駅からスタート☆
正面に新幹線の垂れ幕がある以外は10年前と変わった様子はなさそうです。

旧函館駅所在地の碑。
1902年に海岸町10番地に開業した旧函館駅跡地に建てられた碑ですが
現在は現函館駅に移設されています。

函館朝市!どんぶり横丁さんもお変わりないようで何よりです。

ここだよ~~劇場版シンカリオンでハヤトくんたちが蟹とかいくら丼とか食べ歩きしてたところ☆
右側にセイリュウくんとアズサちゃんが見てた水槽も置いてあるし間違いない^^

摩周丸は市場から歩いてすぐです。潮風を浴びながら向かいます。
以下、写真が多いのでたたんであります↓クリックで開きますのでどうぞ☆

摩周丸の船尾。
昔はここに線路が敷かれて、貨物車を引きこんだり引き出したりしていたのだなあ。

昨夜は暗かったのでわからなかったけど、
船尾のMASHU MARUの後にTOKYOと書いてある。

朝の摩周丸おはよう~~!
大きいので全景を写真におさめるのがなかなか難しい。

摩周丸のある若松ふ頭一帯はふれあいイカ広場と呼ばれています。
右側にある緑色のはイカモニュメントで、3体のイカの群れを表現したものだそう。

というわけで見学に行きますよ!

改造型錨。
1954年の洞爺丸の事故がきっかけで国鉄がJIS型から改造して
桧山丸(1955~1977)に実際に使われていたものだそうです。
現存している改造型はこれだけらしい。貴重なものですな。

昨夜のライトアップでは何だかおごそかなお姿でしたが
朝日に照らされるお姿もかっこいいね^^

ミクさんとパチリ☆

錨。
さっきの改造型ともJIS型とも違う形をしている。

桟橋から函館山をのぞむ。

周辺を散策していたらいつの間にかオープンしていました、行っくぜー!
摩周丸という連絡船は2隻ありまして、初代は1948年に就航し1964年に終航、
1965年に2代目が就航し1988年3月13日の青函連絡船の終了日(青函トンネル開業日)まで運行、
そのまま現在の旧函館第二岸壁に係留されメモリアルシップとして保存・公開されています。
22年間のお仕事で運航された距離は約400万km、地球を100周しちゃうね。お疲れ様でした!
そういえば過去に青森港で八甲田丸を見たけど、見学しなかったんだよな…もったいなかった。。

受付で入館料を払って、いざ。
摩周丸の2階部分にあたる場所から入ります。

入口。
「Memorial Ship MASHUMARU」のモニュメントとイルカたち、
日本機械学会による機械遺産認定証が迎えてくれます。

シンカリオン15話で大宮組が大沼指令長に案内してもらったときもここが映ってました☆
というわけでハヤトくんとパチリ。

入口には補助汽船に実際に使われていた約230kgのJIS型の錨が展示されています。
ちなみに本船(青函連絡船)の錨は約4000kgあるらしい。

Welcomeと迎えてくれたイルカちゃんの階段を登ります。
このイルカちゃん、摩周丸のシンボルマークにもいて船内のあちこちで見かけますが
名前があるわけではないようです。

ひも結び一覧。
なぜこんなところに、と思っていたら
船員の必須技術であるロープワークを体験してみようというコンセプトらしい。

いったん外に出ます。ここからも函館山が見える。

階段を登って。

コンパス甲板へ。この船で最も高い場所です。

マスト。
終航からじわじわ損傷していたそうですが2009年に全国各地からの寄付で修復されたそうです。

目の前には函館山と西部地区、緑の島も函館どつくも弁天台場も見えます。
旧函館区公会堂の黄色い壁もはっきり見えました。いい眺めだな~。

下の甲板を見下ろしてみます。(ここには降りられません)

海面からの高さ約15m、ビルの5階に相当する場所に今いるらしい。
確かに高い。

コンパス甲板を降りて航海甲板へ。

こ、ここは、ここはーー!!

ここだーーーーーー!!!!!
シンカリオン15話で、雪の降りしきるなか袴姿のミクさんが竹刀を振っていた場所ではないか。
というわけで撮ります。竹刀を持ったミクさんと一緒に撮ります!
うわああやっとミクさんをこの場所に連れてこられた…!感無量で泣きそう。

ミクさんを見守るハヤトくん。
大宮組がここへ来てミクさんとお話しましたね…あの頃のミクさんはまだツンツンしてたね。

煙突にJNRの文字。Japanese National Railways(日本国有鉄道)の頭文字ですな。

船尾の方へ歩いていくと可変ピッチプロペラとアンカーチェーン。
どちらも摩周丸で使用していたものです。
プロペラは船の左右に一基ずつつけられていたもののうちのひとつで
操舵室でスクリューの角度を変えて推力や進行方向を操作していたそうです。
アンカーチェーンは錨をつないでいた鎖。

ここからも函館港が見えます。

航海甲板側の扉は閉まっていたけど、こちらは開いていた。

中に入ると復元された普通座席がありました。右舷後部の座席をモデルにしたものです。
椅子席ではなく床に直接座ったり横になりたい人のために用意されていたそうです。
壁には連絡船の運航表や周辺案内図、函館から道内への国鉄時刻表などが貼られていました。
(余談。
うちの両親は青函連絡船世代なのですが、旅行などでこの普通座席を利用したようです。
青森駅で電車を降りると一目散に連絡船に向かって駆けだす人々を見て
なんでだろうと思いながら乗船して普通座席へ来たら四隅に荷物を枕にして横になる人々がいて
なるほど場所取りのためだったか、と合点がいったとのこと。
ちなみにそんな事情を知らずのんびり歩いて乗ったうちの親は真ん中あたりで小さくなっていたそうです。
少しのことにも先達はあらまほしきものなり(By徒然草)。以上、余談おしまい)

ここにもひも結びコーナーがあった。
摩周丸のひも結び推しすごい。。

航海甲板から無線通信室に入りま~す。

当時のまま残っていて、自由に見学できます。
通信士が無線を使い気象情報などの収集・報告を行うほか、
レーダー、FAX、船内電気機器の調整、乗客の電報の取り扱いまでしたそうです。
机の上に実際に使われていたモールス信号機が残っていて、
打鍵すると「ピーッ!」と今でも音が鳴ります。

ブラタモリのときの写真があった。見たよ~この回。

通信連絡系統と無線機。
国鉄との連絡のほか気象庁やNHK、保安庁、函館市、他の連絡船、補助汽船、漁船や民間フェリー、
JJY(標準時)に至るまで情報をやり取りしていたようです。
室内には1987年に録音された通信士の声とモールス信号の打鍵音が流れていました。
耳をすますと「こちら摩周丸、こちら摩周丸…」ってかすかに聞こえてドキドキしてしまった。

当時使われていたマニュアルと記録。
ボロボロだったのでそっと取り出してめくってみたら機器の操作方法とか書いてありました。

通信室から操舵室(ブリッジ)に入ります。

左のドアが通信室との通路。
ボタンがいっぱいです。どこをどういじるのかさっぱりわからない。。

右上にあるのは金刀比羅宮の神棚。
青函連絡船は本州で建造していたので
毎年、代表者がこんぴらさんにお参りしてお札をもらってきていたそうです。
そういえばこんぴらさんに行ったとき絵馬殿に青函連絡船の写真もあったの思い出しましたー!
もっとよく見てくればよかった。。

右舷灯。日没から日の出まで、また霧や靄のある昼間に点灯していたもの。

操舵室の内部。

国鉄航路の生まれと廃止一覧。
日本で最初の連絡航路は広島県の宮島~宮島口で現在も唯一運航しているもので
この後関門航路や青函航路など様々な航路が開業しますが現在はすべて廃止or休止になっています。
最初に開通した航路だけが現在も残ってるの、なんかすごい。

国際信号旗。
一字信号といって緊急事態の際に使われます。
「受信した」「本船は健康です」「医療を必要としています」「人が海に落ちました」「危険です」など
様々な意味をもつ旗が通信として使われたようです。

火災警報装置。
船内で火災が発生した場合は警報が鳴り、どこで発生したかがわかるようになっています。
客室火災は消火ホース、甲板火災はスプリンクラー、機関室火災は炭酸ガスと、消火方法も様々。
壁には他にも、仕切り扉を閉める装置や火災専用電話、救命装置一斉投下コックなど
災害に備えた装置がありました。
船内に火災を知らせる汽笛は長音で5回鳴らすそうです。汽笛はサイレンでもあるのだね。

舵輪、プロペラ装置、レーダー、連絡装置などが集中したメインシステム。
摩周丸の運航はここですべて決定されます。

レーダー情報処理装置。
現在は運航当時の、津軽海峡のレーダー画像を再現したものが流れています。
中央が摩周丸で、アンテナが回転すると周囲の船に反射して映像に現れるシステム。

レーダープロッテングテーブル。
レーダーに映る情報を3分ごとにシートに記録し、衝突防止などに備えます。

青函航路の海図。
連絡船は上り便と下り便のコースを分けて運航しており、
通過地点を設けて船の位置や遅延などをチェックしたそうです。

磁気コンパス。磁石を使って「北」を表示させる航海計器です。

出航操船時の船長の定位置。つまり船長ビューです!
責任者の立つ位置ってドキドキするよね。責任重大。いやはや。

上を見ると船角指示計がありました。
左右にはアナログ時計(秒針調整)、風力と風向き、KT(船の速度)を測る機器もあった。

ジャイロ・コンパス(マスコン)。
高速回転するジャイロの軸が一定方向を示す性質を利用して
地球の自転に影響されずにコンパスが真北を指す仕組みになっているそうです。

ジャイロ・レピーター・コンパス。
マスコンからの電気信号を受けてあらゆる指示を出すため様々な方向に向けられます。

可変ピッチプロペラ操舵装置。
さっき甲板で見た、巨大なピッチプロペラはここで動かしていたんですね。
ハンドルに手を添えて握って動かすことで、前進・後退・停止などを操作します。
こちらお触りOKなので手指の消毒などして動かしてみるとガタガタ音がして本物感が味わえます。(本物だよ)

舵輪(ホイール)。
これを動かすことで船尾の舵を動かし、船の進行方向を操作します。
港の出入りやほかの船を避ける際には手動ですが、海へ出ると自動操縦も行ったそうです。
面舵と取舵は舵角15度、面舵一杯・取舵一杯は35度ずつ動かすことをいうらしい。

「赤いボタンを押すと汽笛が鳴ります」。鳴らしてみようじゃないのよ☆
というわけでボタンを押したら「ボオォーーーッ!」と大きな音が鳴りました。
これあれだな、船の外に出てしみじみ聴きたいやつだな^^

左舷灯。こちらは紅色なのですね。

操舵室を出ると国際信号旗と救命具の展示。
三菱電機って書いてあって、そういえば摩周丸を造ったのも三菱重工ですよね。
あと操舵室の機器のあっちこっちにNationalのロゴがあって懐かしかったな…。

旗の柄でアルファベットをあらわし、それぞれに意味があります。
たとえばAの旗は「潜水夫を降ろしているので避けてほしい」というもの。

灯篭と甲種紅灯。
灯篭ばブイの先端につけられたもので、紅灯は船が操縦不能に陥った際に掲げるもの。

階段を降りて3階に行きますと、おーーっ、ここは!

船のしくみ展示室。
過去にグリーン椅子席だった部屋を改装して展示室にしているそうです。
青函連絡船について、実際に使われていた品々や模型やパネルで解説しています。

ここは劇場版シンカリオンでリュウジさんが立っていた展示ケースの前です☆
八甲田丸と十和田丸の模型を見ていたのですね。

ここは15話で大宮組が大沼指令長に案内してもらったときに見ていた場所。

連絡船のエンジンやプロペラについて。
船によって馬力の差はありますがディーゼルエンジンで動いていて、
時速約33kmで青森~函館を約3時間50分で結んでいたようです。
青函連絡船は1964年以前と以後で形が異なり(2代目摩周丸は後者)、
1964年以降は車両甲板を設けるためエンジンを小さくする必要があって
小型のディーゼル主機を4台と2つのプロペラ軸を設けることで
もし運航中に一部が故障しても通常走行できるようにしたそうです。

入船前に摩周丸のお尻(お尻言うな)で見た可動橋の模型。
お~まじで線路が海までつながって貨物車引きこんでる。
貨車は最大48両まで積載でき、船の左右に水のタンクをつけてバランスを取っていたそうです。
連絡船の停泊時間は55分と決められており、もし接続の列車が5分遅れた場合は
50分で準備をしなければならなかったらしい。

安全に津軽海峡を渡るために必要な道具たち。
コンパスに双眼鏡、銅鑼、斧、ほか様々な計測器。

計器の歴史。
昔は船の速度は水圧や音響などで測っており、現在はレーダーで計測します。
実際に使われたロープや動圧測定器、コンパスなどが展示されていました。

1965年までの水圧式の操舵装置に使われていた舵輪。

備え付けられていた救命道具。
救命胴衣に浮き輪、救命いかだとその装備、消防用ロープ、酸素ボンベなど。

青函間交通の歴史について。
津軽海峡は海の難所ですが江戸時代には箱館や松前に航路が開かれており
1891年に上野~青森間に鉄道が開通すると1908年に国鉄青函航路が開業、
以来1日最大30往復を実現したこともあったそうです。

展示室を出るとロビーになっています。

青函連絡船のあゆみをパネルで紹介するコーナーと
グリーン限定椅子席・普通椅子席を再現した場所。

2代目摩周丸(この船)の写真もありました。

さっきの稼働橋がプラレールで再現されていて
貨車はエドワードが引っ張ってました^^

車両甲板はレゴブロックだ。

当時使われていた、船舶位置自動表示装置がそのまま残されています。
船が出航すると赤ランプが点滅し、10分ごとに場所が移動して現在位置を知らせます。
今はタッチパネルとかになってるけど、今もこういうのフェリーとかにあるよね。

椅子席の再現ヤッホー!

みんなで座ってみます。大宮組は大沼指令長に案内してもらってましたね。
スプリングがちょっとギシギシいうけど、座り心地はいい感じでした。

寝台室に置かれていた飾り毛布。
ボーイが季節に合わせて飾っていて10種類くらい折り方があったそうですが
折り返し時間が短縮されてからは取りやめになったそう。
展示ケースの折り方は大輪というそうで、他にもひまわりとか初日の出とか色々あったみたい。

航海の記録やアルバムや洞爺丸台風の記録なども展示されています。

1988年3月13日の運航要項。
「無事終航式をすませました。今後の皆様の御健康をお祈りします」と書いてあってぐっときた。
この記録をもって摩周丸の歴史は幕を閉じています。最終日までお疲れ様でした!
(そういえば摩周丸の地下にある車両甲板(一般人は入れません)には
1988年3月のカレンダーが今も貼られたままになっている、というのを
ブラタモリか何かの番組で見た覚えがあるな…)

2代目摩周丸の模型。

青函連絡船80年のあゆみ。開業から終航までに運航された55隻の船を模型で紹介。
模型の年表みたいで泣けてきちゃうなー。

青函連絡船100年のパネル。
2008年の国鉄連絡船100周年を記念して制作されたもので
開業から輸送力の強化、戦争や洞爺丸事故を経ての復興、最盛期から終航までを
18枚のパネルで紹介しています。

乗組員の制服。
右から船長、甲板係、ガールとボーイ、船長の冬服。
船長の制服は終航日に着用されていたものだそうで、
冬服はものすごい生地が分厚くてモコモコしてるコート。。津軽海峡の冬は寒い。

展望サロンへ。

休憩用のテーブルや図書・映像ライブラリーなどがあります。

ライブラリー「いるか文庫」。

台風15号(洞爺丸台風)についてのパネル。
青函連絡船史上最大の海難である台風15号の被害について紹介したものです。
1954年のこの事故で客船の洞爺丸、貨物船の青函丸、北見丸、十勝丸、日高丸の計5隻が
函館湾に錨を降ろして避舶した状態で遭難・沈没し、乗客や乗組員など1430人が犠牲になっています。
(初代摩周丸は修理のため関東に行っており難を逃れています)
5隻の船が沈没した直接の原因は今もって推測の域を出ないようですが
沈没を避けるために乗組員の人々が懸命に働いていたことと
台風15号がどれだけ凄まじい勢力だったかというのはひしひしと伝わってきた。
沈没して船尾だけを海面に出した状態の洞爺丸の写真めちゃくちゃつらい。

1988年の青函連絡船終航のポスター。
津軽海峡最後の夏のコピーが切なくてかなしい。お疲れ様でした。

遊歩甲板に出ましたら鳩がとまっていた。

自動車を乗せていた場所で、床には駐車場みたいに白いラインが引かれています。
ここからも函館湾が一望できてよい眺めです。

甲板から階段で降りようと通路を歩いていたら窓にこんなパネルが見えたので。

覗き込んでみたら、おお~!グリーン座席がそのまま残されてるんだ。
一般座席よりも広くて、絨毯の質も高級らしいです。

こちらは禁煙席のグリーン座席。
そうかあ昔は全席禁煙ではなかったもんな…今じゃ考えられないけどね。

階段を降りて2階の入口に戻ってきました~。

三菱と函館どつくのプレートがあった。
1965年に三菱重工が摩周丸を造り、1991年に函館どつくが係留展示船としての改造を行ったゆかりで
掲示されているようです。

出航時に鳴らされた号鐘と、

銅鑼。

名残惜しいですが去ります。ありがとうございました。
めちゃくちゃ勉強になったし聖地巡礼できたし有意義な時間でした。ありがとうございました。
シンボルマークのイルカちゃん最高にかわいい。

売店にあった椅子とテーブル。
摩周丸のグリーン船室内にあったサロン海峡のものだそうで、自由に座ってよいそうです。

摩周丸ばいばい。ありがとうございました。
22年間のお仕事お疲れ様でした。これからも係留展示船としてお仕事がんばってください。
実は1時間くらいで見学するつもりだったのですが船内が思いのほか楽しくて
気づいたら2時間以上滞在していました。
時間があれば函館市電で十字街あたりまで乗って帰ってくるだけとかやろうかな~とか思ってたのに
全然時間がなくなってしまった。。
仕方ないよ楽しかったんだから!また来ればいいんだよ。来ようね。
あとこの日のわたしは絶対に絶対に新幹線に乗り遅れるわけにはいかなかったので…
色々思うことはありましたが帰ることにしました。

函館駅の線路の終わり。
今はここで終わってるけど、昔は摩周丸のいるところまで伸びていたんだよね。

函館駅のエスカレーター前でこんな看板を発見。2階に上がってみます。

いるか文庫。
函館市に関する本が読めたり、売店があったり、ギャラリーで絵画の展示があったり。
H5系さんの大きなパネルが床に置いてあって、子どもさんとか喜びそうだなあと思いました。

はこだてライナーで新函館北斗駅に戻ってきました。
Z28話でメーテルさんが見てたずっしーほーきー!(北斗市のゆるキャラ)

郵便ポストの上にもずっしーほーきー。

新函館北斗駅全景。

駅の2階に41°GARDENの窓があるー!!

1階の自動ドアから入ると、目の前に北斗市観光交流センターがありますが。

こんな人がいます☆
マンガ『北斗の拳』の主人公であるケンシロウ氏の銅像「明日への秘孔」です。
2016年の北海道新幹線の開業と同時にこの像の除幕式も行われ、原作者も出席したとか。

劇場版シンカリオンでハヤトくんが一瞬だけケンシロウの顔になるカットがあって
(原画は池添さん)、ご縁を感じたのでハヤトくんとパチリ。

41°GARDEN開いてる~!

どうしようかなあと思ったんですけど、新幹線の時間までまだだいぶあったし
店内には黙食してる人が1人いただけだったので、思い切って食事することに!
お店の一番端っこの席でホッキの3色弁当とスモークサーモン&アボカドのサラダと
りんごジュースをいただきました。
3色弁当はずっしーほーきーの「おいしいホキー!」ってコメントが貼ってあったので食べるしかないなと^^
次に来たときはリュウジさんのいた席に座れるといいなあ。

青森県産のりんごを使ったアップルパイをテイクアウト。
スライスしたリンゴが乗っていて中にカスタードクリームが入っていて
めちゃくちゃおいしかったです!
えっちょっあと5個くらい買ってくればよかった…次はいつ買いに行けるかな。。

ホームに降りてきました。こちらは札幌方面に延伸工事中の線路。
今は新函館北斗が終点ですが、数年後には札幌に新幹線の駅が開業します。
楽しみだね。

H5系はやぶさに乗ります!
H5系に乗るのも現在の始発(新函館北斗)から乗るのも初めてだよ!!
ちゃんとH5系が充当されてるはずの時刻の切符取りましたけど
実際に車両が来るまではわからないのでドッキドキだったよ!!
だから乗り遅れるわけにはいかなかったんだ…間に合ってよかったです。

回送のH5系さん入ってきたー!よかった。ちゃんとH5系さんだった。
来てくれてありがとうございます。

北海道新幹線の駅にE5系とH5系が並んでいる。。泣きそう。。

H3編成さーーーん!よろしくお願いしまーーーーす!!(大声)

ミクさんとパチリ。
ようやく、ようやく新函館北斗でミクさんとH5系の写真が撮れました。。

回送のE5系さん発車していかれました。お疲れ様です。

ミクさんと1号車でパチリ。

超進化速度に到達しそうな角度☆
向こう側が明るかったらやるしかないでしょ^^

新函館北斗駅にH5系がいる、という証拠の写真。
北海道新幹線の駅は駅名表示が壁側にしかないため、
他の駅ならできる「上に駅表示・下に車両」という写真が撮れないのでこうなりました。
ちゃんと撮れたからおっけーだよ!!
(台車を押している後姿の男性はたぶん新幹線貨物輸送の関係者さんです。
2号車にダンボール積んだら出て行ってた)

E5系とH5系は車体の色は同じグリーンですが、帯とロゴ以外にも違いがあります。
こちらは乗客用のドアの内部。E5系は茶色ですがH5系は緑色です。

車内の床。
E5系は線路みたいな模様ですがH5系は雪の結晶模様です。

乗客はわたしのほかにファミリーとおひとり様がいらっしゃったのみ。
平日昼間なせいか少なかったです。
盛岡駅までに半分くらい埋まったかな…満席にはなりませんでした。

全席コンセントつき。
東日本の新幹線で全席にコンセントがついているのはE7/W7系とH5系です。
おととしデビューしたN700Sが全席コンセント装備で話題になりましたが
E7系は2014年に、H5系は2016年に製造された時点でコンセント全部ついてたんですよね。
E7系は新幹線で初めて全席にコンセントを設置した車両ということで話題にもなってたはず。

H5系にみんなで乗って帰りますよーわ~い!!

ギリギリまで楽しむ。
いつだったか、サンライズの個室の窓にぬいぐるみをいっぱい並べている人の写真を見まして
わたしもやってみたくなって^^

新函館北斗駅を出発!
さようなら北海道、さようなら新函館北斗。また来ます。いつかまた来ます。

ブラインドの模様はアイヌ文字をヒントにデザインされているそうです。

通路の扉もガラスが床までぶち抜きになっている。
E5系だと上半分だけガラス張りですよね。

こちらでも青函トンネルに入ると車掌さんによるアナウンスが入りテロップが流れます。
魅惑のワープゾーンの約23分、往復楽しませていただきました。

盛岡駅を発車したところでこんな電車が走っているのが見えたんですが
車体の形と色からしてEast-i EかDじゃないかな…??
遠くてよくわからなかったんですけど、似てるだけかなあ。

仙台駅に到着する前に見えた新幹線車両センター。
車両基地はいつ見てもワクワクしますね。

大宮駅到着前にてっぱく!
屋上に数人の人影を確認しました。たぶん写真撮ってる人たち。

大宮駅に着いて、お見送りをしました。ありがとうございました~。
(盛岡駅でE6系がH5系の後ろに接続していますので、E6系のお尻を見送ることになります)
H5系を堪能しました。ありがとうございました!
H5系は開業時から4編成しかなく東京に来る列車も1日2本しかないので
見るのも乗るのもなかなか難しい車両なのですが、
今年の春にあった福島沖地震で震源地付近を走行していたH2編成が脱線し廃車になってしまって
(一緒に走っていたE6系Z9編成も廃車)、現在は3編成しか走ってないんですよね。。
お仕事増えて大変だと思うけどがんばってほしい。
そしてJR北海道さんは新しい仲間を作ってあげてほしい…H5系H5編成を、どうか…!!
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