博物館に初もうでその10(2)。
前回記事の続き。
東博平成館で「兎にも角にもうさぎ年」を見た後、本館に行って新春の展示を見てきました。

伊勢崎市にある赤堀茶臼山古墳から出土した鶏形埴輪(古墳時代)。
被葬者の魂が宿る家形埴輪のそばに置かれることが多いそうです。
この時代の日本でも鶏って夜明けを告げる鳥とかだったりするんだろうか。

伎楽面酔胡従(奈良時代)。
ペルシアの国王と従者が酒に酔う演目があり、その従者の役で使われるものです。
852年の東大寺の大仏開眼供養会に使用された可能性があるとのこと。

国宝室に展示されていた今月の未来の国宝候補はこちらでした、
伊藤若冲「玄圃瑤華」(江戸時代)の部分。
もう何度も見ていますが見るたびにモノクロームの静かな世界に惚れ惚れします。
そういえば動植綵絵が去年だったか国宝指定されましたけど
玄圃瑤華もいつか指定されるのかなあ。

紺紙金字無量義経(平基親願経)(1178年)の見返し部分。
極彩色で十種供養伝供のうちの童舞を奉納する童子を描いています。
色が部分的に剥離していますが残された色から元の様子が充分に想像できるし今も大変美しい。
お経は無量義経で、金文字で書かれていてこちらも綺麗。
以下、写真が多いのでたたんであります↓クリックで開きますのでどうぞ☆

伝紀貫之「としふれば」(平安時代)。
佐久間直勝が大徳寺内に造った隠居所寸松庵に所蔵していた寸松庵色紙のひとつです。
「としふれば~」から始まる歌は古今和歌集収録の前太政大臣(藤原良房)の
「年ふればよはひは老いぬしかはあれど 花をし見れば物思もなし」でしょうか。

近代の歌人・大口周魚が収集した手鑑月台(奈良~鎌倉時代)から
藤原俊成筆の古今和歌集(顕広切)の一部。
ここに書かれているのは壬生忠岑・御春有輔・在原元方の3首(628~630番)です。
息子の定家ちゃんと筆跡がそっくり。

酒呑童子図扇面(室町~安土桃山時代)の一面で、館の主である酒吞童子が登場したところ。
これ全部で36枚あって一揃い展示されたこともあるんですけど、
その後なかなかそういう機会に恵まれず…一度に全部見てみたいんだよなあ。
今回は物語の始まりから酒吞童子と頼光たちの酒宴までの展示でした。

紺糸威南蛮胴具足(安土桃山時代・重要文化財)。
榊原康政が徳川家康から拝領したと伝わるもので、兜や胴に西欧甲冑の影響がみられます。
後ろにヤクの毛を飾っていて唐頭というそうです。なんだかあったかそう。

三鱗紋兵庫鎖太刀(重要文化財・太刀(号 北条太刀)の拵)。
兵庫用の鎖を使った刀装になっています。
鞘に三鱗文が飾られていることから、北条氏が三嶋大社に奉納したと伝わるものです。

夜着 萌黄縮緬地松竹梅鶴亀模様(江戸時代)。
肩の部分にデザインされたつがいの鶴の口が阿吽になっています。
松竹梅は歳寒三友とされ寒い中でも清くある君子の象徴、鶴亀は長寿の象徴ですね。

唐織 紅縹段松皮菱牡丹鳳凰丸模様(江戸時代)。
上流階級の能装束に用いられたもので、上杉家に伝来。
松皮菱は松の樹皮を意匠化したもので、色とりどりの鳳凰もいますね。

三番叟牙彫根付・線刻銘「友親」(江戸時代)。
根付なのでとても小さいですが、面をつけて衣装もしっかり作られている優品です。
これ支えがなくても立つんじゃなかろうか。

1階の仏像展示室では特別企画「大安寺の仏像」が開催中でした。
日本最初の国立寺院であり、奈良時代に作られた木彫の仏像(いずれも一木造)がたくさん残っています。
(すべては紹介しきれないので、一部をご紹介します)

四天王立像のうち、多聞天立像(奈良時代・重要文化財)。
兜や甲冑に刻まれた模様は唐の影響で、袴の裾が短く足元に動きがみられるところは天平時代の特徴。

背中もかっこいいよ!

手前から広目天、増長天、持国天立像の後ろ姿。
この展示室は360度ぐるぐる鑑賞できてうれしいですね~。

不空羂索観音菩薩立像(奈良時代・重要文化財)。
頭部から台座までを1本の樹から彫り出したとはとても思えないくらい緻密というか、
こんな太い樹が古代にはあったんだなあと。

背中。
衣がひらひらしている様子まで伝わってきます。

弘法大師坐像(江戸時代)。
大安寺は仏教研究の場でもあり、空海も若い頃に学んだ時期があるそうです。

大安寺伽藍縁起并流記資財帳(複製)。原品は紙本墨書で奈良時代のもの。
お寺の縁起や資材などを書き記した文書で、8世紀末頃に書かれた完全な形で残っているそうです。
複製は近代に制作されたもの。

均整唐草文軒平瓦と複弁蓮華文軒丸瓦。
大安寺の前身だった藤原京の大官大寺跡(明日香村)から出土したもので
伽藍の中心に葺くために焼かれたものとのこと。
官寺にふさわしく当時のものとしては最大級らしいです。

小野田光彦「模造・赤糸威鎧」(1937年)。
原品は平安時代に武蔵御嶽神社に奉納された赤糸威鎧で、畠山重忠の奉納とされています。
過去に嵐山町史跡の博物館でも模造品を見たけど、
あれよりは色がくっきりしている印象です。

山崎朝雲「菅公像」(1936年)。
めちゃくちゃかっこよくて威厳もあってザ・天神様という感じ。
作者は高村光雲にも師事した彫刻家です。

海野勝珉「還城楽」(1893年)。
金・銀・銅ほか合金を使って舞楽を表現しています。写実的で美しい。

創立150年記念特集「近世能狂言面名品選 ー「天下一」号を授かった面打」の
展示室に入ってちょっとびっくり、
能面の展示はだいたい斜めの台にかけられることが多いのですが
この2面だけは真っすぐに立てられていました。
「天下一河内」焼印のある小面と十六(江戸時代)。

お陰で裏面も見られましたよ~こうなっているんですね。
能面の裏には制作者の焼印が押されているのですが、
写真が暗くなってしまったのでこれだとわからないので。

こっちの方がわかりやすいかな、河内の焼印。
展示室が暗いのでどうにもこれ以上綺麗な写真が撮れませんでした。。

「天下一角坊」刻銘のある武悪(安土桃山時代)と、
奥の三面が「天下一是閑」焼印のある三日月・邯鄲男・若男(安土桃山時代~江戸時代)。
角坊光盛は秀吉から天下一の称号を授かった最初の職人で、
是閑は秀吉と家康に仕えた職人。

「天下一河内」焼印のある邯鄲男・深井・近江女・般若。
井関河内家重は彩色に特徴があり、柔らかな肌やほつれた髪などの繊細な表現で知られます。
髪が乱れているとリアリティを感じられたりしますね…能面が汗とかかいてそうな。。

近江女の裏面が写真で載っていて、なんか色んな紙が貼ってありました。
あちこちに所蔵されていたのかな。

「天下一近江」焼印のある増女・小面・長霊癋見・顰。
児玉近江満昌は天下一を名乗った最後の職人で、出目という焼印を使いましたが
天下一近江の焼印については天下一号廃止の後のものかはまだ研究途中とのこと。
この後、表慶館に移動して150年後の国宝展も見てきたのですが、
長くなりますので次回記事にて書きます☆
東博平成館で「兎にも角にもうさぎ年」を見た後、本館に行って新春の展示を見てきました。

伊勢崎市にある赤堀茶臼山古墳から出土した鶏形埴輪(古墳時代)。
被葬者の魂が宿る家形埴輪のそばに置かれることが多いそうです。
この時代の日本でも鶏って夜明けを告げる鳥とかだったりするんだろうか。

伎楽面酔胡従(奈良時代)。
ペルシアの国王と従者が酒に酔う演目があり、その従者の役で使われるものです。
852年の東大寺の大仏開眼供養会に使用された可能性があるとのこと。

国宝室に展示されていた今月の未来の国宝候補はこちらでした、
伊藤若冲「玄圃瑤華」(江戸時代)の部分。
もう何度も見ていますが見るたびにモノクロームの静かな世界に惚れ惚れします。
そういえば動植綵絵が去年だったか国宝指定されましたけど
玄圃瑤華もいつか指定されるのかなあ。

紺紙金字無量義経(平基親願経)(1178年)の見返し部分。
極彩色で十種供養伝供のうちの童舞を奉納する童子を描いています。
色が部分的に剥離していますが残された色から元の様子が充分に想像できるし今も大変美しい。
お経は無量義経で、金文字で書かれていてこちらも綺麗。
以下、写真が多いのでたたんであります↓クリックで開きますのでどうぞ☆

伝紀貫之「としふれば」(平安時代)。
佐久間直勝が大徳寺内に造った隠居所寸松庵に所蔵していた寸松庵色紙のひとつです。
「としふれば~」から始まる歌は古今和歌集収録の前太政大臣(藤原良房)の
「年ふればよはひは老いぬしかはあれど 花をし見れば物思もなし」でしょうか。

近代の歌人・大口周魚が収集した手鑑月台(奈良~鎌倉時代)から
藤原俊成筆の古今和歌集(顕広切)の一部。
ここに書かれているのは壬生忠岑・御春有輔・在原元方の3首(628~630番)です。
息子の定家ちゃんと筆跡がそっくり。

酒呑童子図扇面(室町~安土桃山時代)の一面で、館の主である酒吞童子が登場したところ。
これ全部で36枚あって一揃い展示されたこともあるんですけど、
その後なかなかそういう機会に恵まれず…一度に全部見てみたいんだよなあ。
今回は物語の始まりから酒吞童子と頼光たちの酒宴までの展示でした。

紺糸威南蛮胴具足(安土桃山時代・重要文化財)。
榊原康政が徳川家康から拝領したと伝わるもので、兜や胴に西欧甲冑の影響がみられます。
後ろにヤクの毛を飾っていて唐頭というそうです。なんだかあったかそう。

三鱗紋兵庫鎖太刀(重要文化財・太刀(号 北条太刀)の拵)。
兵庫用の鎖を使った刀装になっています。
鞘に三鱗文が飾られていることから、北条氏が三嶋大社に奉納したと伝わるものです。

夜着 萌黄縮緬地松竹梅鶴亀模様(江戸時代)。
肩の部分にデザインされたつがいの鶴の口が阿吽になっています。
松竹梅は歳寒三友とされ寒い中でも清くある君子の象徴、鶴亀は長寿の象徴ですね。

唐織 紅縹段松皮菱牡丹鳳凰丸模様(江戸時代)。
上流階級の能装束に用いられたもので、上杉家に伝来。
松皮菱は松の樹皮を意匠化したもので、色とりどりの鳳凰もいますね。

三番叟牙彫根付・線刻銘「友親」(江戸時代)。
根付なのでとても小さいですが、面をつけて衣装もしっかり作られている優品です。
これ支えがなくても立つんじゃなかろうか。

1階の仏像展示室では特別企画「大安寺の仏像」が開催中でした。
日本最初の国立寺院であり、奈良時代に作られた木彫の仏像(いずれも一木造)がたくさん残っています。
(すべては紹介しきれないので、一部をご紹介します)

四天王立像のうち、多聞天立像(奈良時代・重要文化財)。
兜や甲冑に刻まれた模様は唐の影響で、袴の裾が短く足元に動きがみられるところは天平時代の特徴。

背中もかっこいいよ!

手前から広目天、増長天、持国天立像の後ろ姿。
この展示室は360度ぐるぐる鑑賞できてうれしいですね~。

不空羂索観音菩薩立像(奈良時代・重要文化財)。
頭部から台座までを1本の樹から彫り出したとはとても思えないくらい緻密というか、
こんな太い樹が古代にはあったんだなあと。

背中。
衣がひらひらしている様子まで伝わってきます。

弘法大師坐像(江戸時代)。
大安寺は仏教研究の場でもあり、空海も若い頃に学んだ時期があるそうです。

大安寺伽藍縁起并流記資財帳(複製)。原品は紙本墨書で奈良時代のもの。
お寺の縁起や資材などを書き記した文書で、8世紀末頃に書かれた完全な形で残っているそうです。
複製は近代に制作されたもの。

均整唐草文軒平瓦と複弁蓮華文軒丸瓦。
大安寺の前身だった藤原京の大官大寺跡(明日香村)から出土したもので
伽藍の中心に葺くために焼かれたものとのこと。
官寺にふさわしく当時のものとしては最大級らしいです。

小野田光彦「模造・赤糸威鎧」(1937年)。
原品は平安時代に武蔵御嶽神社に奉納された赤糸威鎧で、畠山重忠の奉納とされています。
過去に嵐山町史跡の博物館でも模造品を見たけど、
あれよりは色がくっきりしている印象です。

山崎朝雲「菅公像」(1936年)。
めちゃくちゃかっこよくて威厳もあってザ・天神様という感じ。
作者は高村光雲にも師事した彫刻家です。

海野勝珉「還城楽」(1893年)。
金・銀・銅ほか合金を使って舞楽を表現しています。写実的で美しい。

創立150年記念特集「近世能狂言面名品選 ー「天下一」号を授かった面打」の
展示室に入ってちょっとびっくり、
能面の展示はだいたい斜めの台にかけられることが多いのですが
この2面だけは真っすぐに立てられていました。
「天下一河内」焼印のある小面と十六(江戸時代)。

お陰で裏面も見られましたよ~こうなっているんですね。
能面の裏には制作者の焼印が押されているのですが、
写真が暗くなってしまったのでこれだとわからないので。

こっちの方がわかりやすいかな、河内の焼印。
展示室が暗いのでどうにもこれ以上綺麗な写真が撮れませんでした。。

「天下一角坊」刻銘のある武悪(安土桃山時代)と、
奥の三面が「天下一是閑」焼印のある三日月・邯鄲男・若男(安土桃山時代~江戸時代)。
角坊光盛は秀吉から天下一の称号を授かった最初の職人で、
是閑は秀吉と家康に仕えた職人。

「天下一河内」焼印のある邯鄲男・深井・近江女・般若。
井関河内家重は彩色に特徴があり、柔らかな肌やほつれた髪などの繊細な表現で知られます。
髪が乱れているとリアリティを感じられたりしますね…能面が汗とかかいてそうな。。

近江女の裏面が写真で載っていて、なんか色んな紙が貼ってありました。
あちこちに所蔵されていたのかな。

「天下一近江」焼印のある増女・小面・長霊癋見・顰。
児玉近江満昌は天下一を名乗った最後の職人で、出目という焼印を使いましたが
天下一近江の焼印については天下一号廃止の後のものかはまだ研究途中とのこと。
この後、表慶館に移動して150年後の国宝展も見てきたのですが、
長くなりますので次回記事にて書きます☆
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