妖怪&絵師&戯作者の名残を訪ねる旅 in 浅草界隈。
時々通っているにゃんこブログ様で「11月29日はいい肉球の日」というのを見て
「きゃ~~何て素敵な響きなの!」とすっかり喜んでうちの母にゃんこをつかまえて
もにょもにょ攻撃をしたら「フギャーッ!」と怒られたゆさです、こんばんは。(長い…)
そして29日は昨日です…遅かりし由良之助。
先日の土曜日に、何を思ったか突発お江戸浅草ツアーに行って来ましたので
本日はその模様をお届けしたいと思います。
画像が多いのでたたんであります。よろしければクリックしてどうぞ(^-^)☆↓
※クリックで大きくなります
鈴木春信の周辺事情その23。22はこちら。
焼けてしまった鍛冶町長屋に戻ってきた春さん。井戸に放り込んでおいた物を取り出していると
源さんが飄々とやって来ました。
源内「春ちゃん春ちゃん、白壁町に安い物件見つかったぜ。8畳400文だって」
春信「安っ!ありがと~。すごいじゃん、よく見つけたね」
源内「でっしょー。でね、そこの戸主、あんたに決まったから」
春信「………。えっ戸主って、おれが!?何それ!!」
源内「地主さんがね、引き受けてくれたら安くするよって言うから契約しちゃったー。今回の火事で、前の戸主が逃げちゃったみたいでさぁ。だからおれが推して、届けも出しといた」
春信「でも、戸主とかそんなの、おれ、できないよ源ちゃ~ん」
源内「だーいじょーぶだよ、あんたなら。真っ先にみんなの貴重品集めて、守ってくれたじゃーん。ね!」
春信「マジですかぁ…」
新しい戸主の誕生です…って、これはムチャ振りではないかしら源さん(^ ^;)。
ちなみに、源さんがかじっているのは朝鮮人参です。
源さんや他の本草家たちが幕府の小石川御薬園(現在の小石川植物園)で栽培したもので
体が温まる効能があります。2月とはいえ、春先の風は冷たいですからね。
お話を描きながら資料を見ているうちに、浅草に色んな人の名残が残っていることがわかって
彼らのいた土地に自分も立ちたくて、突発的に書をすてて町へ出てみました。
以下は、気の向くまま、足の向くままに浅草を歩いた記録です。

地下鉄稲荷町駅から徒歩5分のところにある光明寺。
鳥山石燕先生のお墓がこちらにあるので↑お墓参りをしてきました。
石には「画照院月窓石燕居士」という戒名が刻まれていました。
生前住んでいた根津からは、ずいぶん距離のあるところに眠ってらっしゃいます…なんでだ。

光明寺から、道を挟んですぐ隣には聖教寺があって、
葛飾北斎さんのお墓があります。↑屋根つきの立派なものでした。
聖教寺を出て、合羽橋通りへ向かう途中には、源空寺があります。
谷文晁(画家)、伊能忠敬(測量家)、高橋至時(天文学者)、幡随院長兵衛(町奴)のお墓があります。
閉まっていてお墓参りはできなかったのですが、ご紹介まで。

合羽橋通りにある、通称「河童寺」こと曹源寺へ。↑本堂の左下には河童さん達がいます。
河童寺と呼ばれるようになった理由は、今から約180年前、合羽屋喜八という人がいて
雨が降るとすぐ水に浸かりやすかった土地のために、私財を投げ出して掘ざらえを始めたところ
隅田川の河童達が喜八の工事を手伝ったことから、彼らがお寺に祀られ、河童寺となったとか。
何だかほのぼの。。。
西洋の昔話で小人が仕立て屋さんのお仕事を手伝うのと似ていますね(^ ^)。
で、その合羽橋の本通りに辿り着くと、こんな↓モニュメントがありました。

合羽橋通りには、河童さんの像がいーーーっぱいありました!
小さかったり、直立不動だったり、逆立ちしていたり、
上半身だけだったり、壺から顔半分だけ出していたり、色っぽかったりなどなど。
江戸時代に、こんな河童さんたちが隅田川をうろうろしていたのなら
石燕先生も彼らを見たかもしれない…とか考えるとわくわくvvv
合羽橋道具街に出ると、キンキラキンに輝く黄金の河童像もありました(笑)あれは目を惹きます。
(余談ですが、休日だったせいか、道具街はものすごい人で賑わっていました。
とある金物屋さんで、500人分のご飯と1,000人分のお味噌汁が作れるという
キャスターつきの大釜が店頭に出ていてマジびっくり。
何か大変が起きたら役に立つと思いますが、あれを乗っけられる竈を作る方が
もしかしたら大変なんじゃないだろうか…^ ^;)

合羽橋道具街を抜けて、徳本寺へ行きました。
平賀源内さんと親しかった宋紫石さんのお墓↑があります。
てくてく歩いて、浅草花やしきの側にある、江戸下町伝統工芸館へ行きました。
江戸時代から続く職人さんたちの工芸品や道具が、どっさり並べられて展示されています。
あの頃の職人さんたちの進歩はめざましかったみたいですね。
次々と発明された工芸品を見るだけでも、彼らが物作りにかけた力強い思いが伝わってきます。
まさに産業革命って感じ。
続いて浅草寺近くの鎮護堂、通称「おたぬき様」へ行きました。
維新後に浅草寺でいたずらばかりしていた化狸さんを、
鎮守の神様として祀っておとなしくさせた(^ ^;)というのが縁起だそうです。

鎮護堂境内にある銀杏の木↑。東京大空襲のときも倒れずに、本堂を守っていたとか。
何となく鶴岡八幡宮の銀杏の木を思い出しました。あの木の芽は元気にしているだろうか。
浅草寺の周辺には大きな木がたくさん植えてあって、どれも綺麗に紅葉していました。
ちょうど見頃だったのかもしれません。
風が吹くと、落ち葉が一斉にざあっと散るので、人々が歓声をあげていました。
くるくる舞い散る落ち葉はとても美しいです。

浅草寺仲見世通りから一本外れた道にある、河竹黙阿弥の顕彰碑。
彼の住居がこの近くにあったらしいです。

てくてく歩いて花川戸公園へ。
↑は公園内にあった姥ヶ池跡の石碑。割れてしまっています(;_;)なんでやー。
その昔、花川戸には大きな池があり、ほとりには老婆とその娘が住んでいたという伝説があるそうです。
娘が旅人を誘惑して家に泊め、旅人が寝入ったところを母親が石枕で叩き殺して金品を奪っていました。
ところがある日、母親が石枕で殺したのは旅人ではなく、旅人の身代わりとなった娘でした。
母親がひどく自分を責めて池に身投げしたことから、池は「姥ヶ池」と呼ばれるようになったとか。
この伝説がいつの時代のことを語っているのかはわかりませんが、
もし江戸時代だとしたら、石燕先生はどんな思いでこの池を見つめていたのかなぁ。
そんなこんなであちこち歩き回っていたので、橋場2丁目の明治通りにある
平賀源内さんのお墓案内碑に辿り着いたときには、陽がだいぶ西に傾いていました。

旧総泉寺跡地にある源内さんのお墓です。↑
お寺は1928年に板橋区へ引っ越しましたが、彼だけはここで眠っています。
起こさずそっとしておいてくれたのでしょうか。なむなむ…。
終わりにひとこと。
浅草ってPANEEEEEEEEEE!!!
1日歩いただけでもたくさんの人や物に出逢えます。人も歩けば名残に当たる。
時間がなくて行けなかったところも何ヶ所かあるので、また行きたいです、浅草!
「きゃ~~何て素敵な響きなの!」とすっかり喜んでうちの母にゃんこをつかまえて
もにょもにょ攻撃をしたら「フギャーッ!」と怒られたゆさです、こんばんは。(長い…)
そして29日は昨日です…遅かりし由良之助。
先日の土曜日に、何を思ったか突発お江戸浅草ツアーに行って来ましたので
本日はその模様をお届けしたいと思います。
画像が多いのでたたんであります。よろしければクリックしてどうぞ(^-^)☆↓

鈴木春信の周辺事情その23。22はこちら。
焼けてしまった鍛冶町長屋に戻ってきた春さん。井戸に放り込んでおいた物を取り出していると
源さんが飄々とやって来ました。
源内「春ちゃん春ちゃん、白壁町に安い物件見つかったぜ。8畳400文だって」
春信「安っ!ありがと~。すごいじゃん、よく見つけたね」
源内「でっしょー。でね、そこの戸主、あんたに決まったから」
春信「………。えっ戸主って、おれが!?何それ!!」
源内「地主さんがね、引き受けてくれたら安くするよって言うから契約しちゃったー。今回の火事で、前の戸主が逃げちゃったみたいでさぁ。だからおれが推して、届けも出しといた」
春信「でも、戸主とかそんなの、おれ、できないよ源ちゃ~ん」
源内「だーいじょーぶだよ、あんたなら。真っ先にみんなの貴重品集めて、守ってくれたじゃーん。ね!」
春信「マジですかぁ…」
新しい戸主の誕生です…って、これはムチャ振りではないかしら源さん(^ ^;)。
ちなみに、源さんがかじっているのは朝鮮人参です。
源さんや他の本草家たちが幕府の小石川御薬園(現在の小石川植物園)で栽培したもので
体が温まる効能があります。2月とはいえ、春先の風は冷たいですからね。
お話を描きながら資料を見ているうちに、浅草に色んな人の名残が残っていることがわかって
彼らのいた土地に自分も立ちたくて、突発的に書をすてて町へ出てみました。
以下は、気の向くまま、足の向くままに浅草を歩いた記録です。

地下鉄稲荷町駅から徒歩5分のところにある光明寺。
鳥山石燕先生のお墓がこちらにあるので↑お墓参りをしてきました。
石には「画照院月窓石燕居士」という戒名が刻まれていました。
生前住んでいた根津からは、ずいぶん距離のあるところに眠ってらっしゃいます…なんでだ。

光明寺から、道を挟んですぐ隣には聖教寺があって、
葛飾北斎さんのお墓があります。↑屋根つきの立派なものでした。
聖教寺を出て、合羽橋通りへ向かう途中には、源空寺があります。
谷文晁(画家)、伊能忠敬(測量家)、高橋至時(天文学者)、幡随院長兵衛(町奴)のお墓があります。
閉まっていてお墓参りはできなかったのですが、ご紹介まで。

合羽橋通りにある、通称「河童寺」こと曹源寺へ。↑本堂の左下には河童さん達がいます。
河童寺と呼ばれるようになった理由は、今から約180年前、合羽屋喜八という人がいて
雨が降るとすぐ水に浸かりやすかった土地のために、私財を投げ出して掘ざらえを始めたところ
隅田川の河童達が喜八の工事を手伝ったことから、彼らがお寺に祀られ、河童寺となったとか。
何だかほのぼの。。。
西洋の昔話で小人が仕立て屋さんのお仕事を手伝うのと似ていますね(^ ^)。
で、その合羽橋の本通りに辿り着くと、こんな↓モニュメントがありました。

合羽橋通りには、河童さんの像がいーーーっぱいありました!
小さかったり、直立不動だったり、逆立ちしていたり、
上半身だけだったり、壺から顔半分だけ出していたり、色っぽかったりなどなど。
江戸時代に、こんな河童さんたちが隅田川をうろうろしていたのなら
石燕先生も彼らを見たかもしれない…とか考えるとわくわくvvv
合羽橋道具街に出ると、キンキラキンに輝く黄金の河童像もありました(笑)あれは目を惹きます。
(余談ですが、休日だったせいか、道具街はものすごい人で賑わっていました。
とある金物屋さんで、500人分のご飯と1,000人分のお味噌汁が作れるという
キャスターつきの大釜が店頭に出ていてマジびっくり。
何か大変が起きたら役に立つと思いますが、あれを乗っけられる竈を作る方が
もしかしたら大変なんじゃないだろうか…^ ^;)

合羽橋道具街を抜けて、徳本寺へ行きました。
平賀源内さんと親しかった宋紫石さんのお墓↑があります。
てくてく歩いて、浅草花やしきの側にある、江戸下町伝統工芸館へ行きました。
江戸時代から続く職人さんたちの工芸品や道具が、どっさり並べられて展示されています。
あの頃の職人さんたちの進歩はめざましかったみたいですね。
次々と発明された工芸品を見るだけでも、彼らが物作りにかけた力強い思いが伝わってきます。
まさに産業革命って感じ。
続いて浅草寺近くの鎮護堂、通称「おたぬき様」へ行きました。
維新後に浅草寺でいたずらばかりしていた化狸さんを、
鎮守の神様として祀っておとなしくさせた(^ ^;)というのが縁起だそうです。

鎮護堂境内にある銀杏の木↑。東京大空襲のときも倒れずに、本堂を守っていたとか。
何となく鶴岡八幡宮の銀杏の木を思い出しました。あの木の芽は元気にしているだろうか。
浅草寺の周辺には大きな木がたくさん植えてあって、どれも綺麗に紅葉していました。
ちょうど見頃だったのかもしれません。
風が吹くと、落ち葉が一斉にざあっと散るので、人々が歓声をあげていました。
くるくる舞い散る落ち葉はとても美しいです。

浅草寺仲見世通りから一本外れた道にある、河竹黙阿弥の顕彰碑。
彼の住居がこの近くにあったらしいです。

てくてく歩いて花川戸公園へ。
↑は公園内にあった姥ヶ池跡の石碑。割れてしまっています(;_;)なんでやー。
その昔、花川戸には大きな池があり、ほとりには老婆とその娘が住んでいたという伝説があるそうです。
娘が旅人を誘惑して家に泊め、旅人が寝入ったところを母親が石枕で叩き殺して金品を奪っていました。
ところがある日、母親が石枕で殺したのは旅人ではなく、旅人の身代わりとなった娘でした。
母親がひどく自分を責めて池に身投げしたことから、池は「姥ヶ池」と呼ばれるようになったとか。
この伝説がいつの時代のことを語っているのかはわかりませんが、
もし江戸時代だとしたら、石燕先生はどんな思いでこの池を見つめていたのかなぁ。
そんなこんなであちこち歩き回っていたので、橋場2丁目の明治通りにある
平賀源内さんのお墓案内碑に辿り着いたときには、陽がだいぶ西に傾いていました。

旧総泉寺跡地にある源内さんのお墓です。↑
お寺は1928年に板橋区へ引っ越しましたが、彼だけはここで眠っています。
起こさずそっとしておいてくれたのでしょうか。なむなむ…。
終わりにひとこと。
浅草ってPANEEEEEEEEEE!!!
1日歩いただけでもたくさんの人や物に出逢えます。人も歩けば名残に当たる。
時間がなくて行けなかったところも何ヶ所かあるので、また行きたいです、浅草!
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テーマ : 歴史・文化にふれる旅 ジャンル : 旅行
- 2010/12/02(木) 00:19:20 |
- URL |
- 春
- [ 編集 ]
お墓とか、●●碑とか目の前で見ると、なんだか「続いてる感」をちょっと感じますよね……!
それにしても、源さんなに食ってるのかと思ったら、ちゃんとすぐ答えが書いてあって嬉しかったです。
まんず目が行ってしまっていたので、気になっていました☆笑
Re: タイトルなし
- 2010/12/02(木) 23:17:48 |
- URL |
- ゆさ
- [ 編集 ]
こんばんは!コメントありがとうございます☆
> 実は私も来週浅草へ行く予定です。
わっ、本当ですか?
浅草はお店も見る場所もいっぱいあって、いいところですよ。
楽しんできてくださ~いvvv
Re: 浅草お江戸
- 2010/12/02(木) 23:21:14 |
- URL |
- ゆさ
- [ 編集 ]
浅草はとってもよいところですね~vvv
結構、長く住んでいる人が多いみたいで
江戸っ子情緒が長く続いているのもそのせいかなぁと思います。
狭い範囲に有名人のお墓がいーーっぱいあるので
お墓巡りをするだけでも楽しめますよ。
> 「桜餅」の老舗
知らなかったですー!もったいないなぁ行けば良かった。
機会がありましたら行きたいと思います。
Re: タイトルなし
- 2010/12/02(木) 23:23:44 |
- URL |
- ゆさ
- [ 編集 ]
初めまして!ご来訪ありがとうございます☆
わたしも浅草って、浅草寺しか行ったことなかったです(^ ^;)。
最近の調べものの対象が江戸でなかったら、たぶんこんなに色んな場所は行かなかっただろうなぁと思います。
昔々の人々の息吹が感じられる場所は、大事にしていきたいですよねvvv
コメントありがとうございました~!
Re: タイトルなし
- 2010/12/02(木) 23:27:10 |
- URL |
- ゆさ
- [ 編集 ]
マジPANEEっす!!(笑)反応ありがとうございます。
今回一番言いたかったことは、むしろそれかもしれないです(^ ^;)。
> 続いてる感
感じますねーー!!その人が本当にいたんだっていうのと、今もここにいるんだなぁって思えます。
> 源さん
わっ、朝鮮人参に気付いてくださって嬉しいです(≧▽≦)ノ
密かにこの絵のミソなので。。。
本来は白湯に煎じて飲むのが正しいらしいですが、
源さんの胃腸ならかじっても大丈夫かなぁと思ってます(爆笑)。
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