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ゆさな日々

猫・本・歴史・アートなど、好きなものやその日考えたことをそこはかとなく書きつくります。つれづれに絵や写真もあり。


熊野三山と式年遷宮の旅その1。

  1. 2013/09/18(水) 23:49:01_
  2. 旅行
  3. _ tb:0
  4. _ comment:2
9月14日~17日までブロとものあやのさんと熊野・伊勢へ旅行してきました♪
今回から3回に分けてレポ記事を書いていきます。

まずは1日目の様子をお届けします。まるっと熊野です。

ホカホカ。
13日の夜行バスに乗る前、池袋のロクシタンカフェに寄りました。
ハーブティーおいしかったです。おやすみ前のホッと一息。

以下、写真が多いのでたたんであります。クリックで開閉しますのでどうぞ☆↓
 
 
 
紀伊国だ!
とろとろ眠りながらバスに揺られて、14日の朝8時半、紀伊勝浦駅に到着。
みんな起きて!ユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」をめぐる旅の始まりだよ!

黒潮。
まずは特急くろしおに乗ってさらに南の町、串本へ向かいます。

本州最南端。
串本駅に到着。
本州最南端の町だそうで、駅のあっちこっちに「ようこそ本州最南端へ」とか看板が設置されていた。

蘆雪のなごり。
駅から歩いて無量寺へやって来ました。
目当ては境内にある「串本応挙蘆雪館」です☆
やった~~~やっと来られた!!

もともとは港にあったお寺だそうですが、江戸中期の津波で流されてしまい
ここに再建されたそうです。
で、そのとき住職だった愚海さんという和尚さんが京都の円山応挙と親交があり、
再建した無量寺のために応挙が障壁画を描いたのですが
年齢や体力の問題から串本行きを断念せざるを得ず、
代わりに弟子の長沢蘆雪が障壁画を持って、京都からはるばるやって来て
ついでに蘆雪も障壁画や掛軸をいくつか残していった、とのことらしいです。
応挙蘆雪館には応挙と蘆雪を中心に江戸時代の絵画がたくさん展示されていました。
ただし蘆雪の龍虎図は資料保存のため、デジタル再製によるレプリカ展示。
本堂にも応挙と蘆雪の障壁画レプリカが昔のままに配置され、
蘆雪や昔の人がどのような雰囲気の中でその障壁画を見たのかがわかるようになっています。
自然光のあかりで、あるいは蝋燭をともして水墨画を描いたり見たりするってじわじわくる。

師弟の絵。
収蔵庫。
応挙と蘆雪の障壁画の本物はこちらで見ることができます。
すべて重要文化財に指定されているそうですよ!
応挙の葡萄図や波上群仙図も良かったけど、
蘆雪の龍虎図が久しぶりに観られて感無量でした☆
以前に長沢蘆雪展で見た龍虎がまた見られたよ~~!
しかも今回は美術館じゃなく蘆雪がかつて描いた場所で、蘆雪がいたであろう空間で、
蘆雪が感じたであろう空気の中で見られたよ~~!!
もうそれだけでここに来た価値は十分にあります。たまんない。
龍虎の絵は向かい合わせに展示されているので
間に入って思う存分龍虎に見つめられてきました。なんたる贅沢空間。
(ちなみに虎図の裏面には魚の絵が描いてあって、虎図はその魚から見た虎ではないかという説があると
学芸員さんに教えていただいた)

お寺を後にして串本駅へ戻る道中でふと、蘆雪が京都からやって来た史実を思いました。
よくここまで歩いてきたね!
しかも師匠の絵12枚も持って!
当時33歳だし体力はあったろうけど、がんばったんだなあ。蘆雪やればできる子。


再び特急くろしおに乗って紀伊勝浦駅へ戻り、駅でレンタカーを借りて那智駅へ移動。
みちのえき。
那智駅です。この近くのカフェでお昼ご飯にしました。
あと駅前に「中村覚之助生誕の地」碑があって思わずサッカー好きの父親と弟に写メ送ってしまった。

……。
那智駅のすぐ側にある補陀洛山寺。
生きたまま極楽浄土(補陀洛山)をめざし那智の海から小型船で旅立つという「補陀洛渡海」で
知られるお寺です。
補陀洛渡海は日本の各地で行われていた捨身行ですが、
ここでは平安時代から江戸時代中期まで、記録にあるだけで20数回もあったとか…。
わずか200年前までそういう行事が行われていたということや、
当時のご住職や地域の人々の信仰心などたくさん考えさせられました。

海の向こう、約束の場所。
渡海船。人が1人やっと乗れるような小さな船です。
1か月分の食料を積み、外から釘を打ち付けて渡海者が出られないようにして
海の向こうの浄土を目指して那智の海を出発したそうです。
船の中を覗いたら真っ暗だった。

平家のなごり。
補陀洛山寺の裏山を少し登ると、平維盛と平時子の供養塔があります。
一ノ谷の合戦の前後、ここへ逃れてきた平維盛は熊野三山に詣でたのち那智の海で入水したとも、
色川村藤綱の要害にこもりそこで亡くなったともいわれています。
つはもの共が夢の跡。


続いて、レンタカーに乗って熊野那智大社へ移動。
本当は大門坂の駐車場に車をとめて大社まで登ろうかなーと思っていたのですが、
うっかり坂を通り過ぎてしまったので、
那智の滝近くの駐車場まで行って
もし時間があったら大門坂に戻ればいいよね、などとのんきなことを考えながら
いざ参道に来てみたら、
ええと。
なにこれ!!と度肝を抜かれるわたしたち。
「登れないやつは来なくてよろしい」と言わんばかりの容赦のないドヤ顔傾斜だった…。
というか、ここへ来るまでにも車でかなりの距離を登ったのですがさらにその先の道があったとは…。
やばい。世界遺産の山やばい。甘かった。なめてた。

ええと…。
見おろしたらこの傾斜である。

えーとえーと…。
見上げればこんな大木の群れである。

鳥居~。
くじけそうになりながらもがんばって石段を登りつづけましたが、
「大社はこっちです」の矢印が次々に出てくるだけでいっこうに大社が見えてきません。
20~30分近く登ったあたりかな、やっと鳥居が見えたときは歓声あげちゃったよ。

てっぺん!
着 い た ー !!!本殿です。
鮮やかな赤!屋根の美しいライン!頭でっかちな燈籠!丸太のようなジャンボおみくじ!
登り切ったばかりで息も絶え絶えで汗超かいてて頭まともに回らなくて
何もかもすばらしく見えて笑うしかなかった。
ここまでさんざん苦労させといてこの美しさはなんだ。反則だ。
しかも参拝者のために無料のお茶サービスとかまであった。ありがたくいただきました。
このツンデレっぷり…嫌いじゃないぜっ!

熊野詣の流行は平安時代中期からだそうですが、たぶん癖になる人はなると思う。
後白河上皇は生きてる間に34回も御幸したといいますけど、正直信じられなかったんですけど
今ならわかる。彼ならやる。やりかねない。
そんなゴッシーにお供をして、平清盛が何度か熊野詣をしていたりしますね。
熊野は平家の人々ゆかりの地でもあります。社殿を造営したのは清盛の息子の重盛だし。
(ただ、重盛が建てた社殿は戦国時代にノブ様が焼いちゃうんだよね…。
今の社殿は秀吉が再建したものです)

すがすがし。
境内から見おろしたらこんな景色でした。
いい眺め!こんなに登って来たんだなあ。

うねうね。
本殿のそばにある大楠。樹齢約850年。平重盛が参詣した際の手植えと伝えられています。
そっかー重盛もここまで来たのか…大変だったなあ…。
根元には大きな洞があり、護摩木を持って通り抜けると願いが叶うと言われているとか。

他にも、境内には後白河法皇手植えの枝垂れ桜と、
藤原秀衡が熊野参詣の際に奉納した山桜(通称:秀衡桜)があります。
次は花の季節に来てみたいなあ。

三本足の。
ヤタガラス。
神武天皇が熊野へやって来たとき、大和への方角がわからなくて迷子になっていたところへ
このカラスが飛んで来て道案内をしたといいます。
古代の人の、奈良へ行こうとして和歌山に行っちゃう方向音痴っぷりかわいい。

観音様。
那智大社の隣にある青岸渡寺。
補陀洛山寺とおなじく裸形上人の開基だそうです。

神社とお寺が隣同士で並んでいるとか面白いですね(´▽`)。

ベストスポット。
青岸渡寺の横の広場にて、三重塔と那智の滝をバックに。

赤い。
その三重塔。
最近になって再建された塔だそうでぴかぴかです。

貫之!
塔の近くにあった「吾道一以貫之」の揮毫。
紀貫之の名前の由来になった論語の言葉ですが、こんなところで出会うとは(´▽`)。

階段。
大社からの山道を下りて、駐車場へ戻って、今度は那智の滝へ。
駐車場からさらに下りていきます。

どー。
滝だー!
花山法皇や文覚上人も修行したと伝わる滝だー!うおおお!!
落差133メートルで下の方はほとんど霧になっていました。それだけ高いんですね。
文覚さんはわざわざ真ん中あたりに行って打たれていたというし…豪傑だな、惚れっちまう。
たぶん花山さんが同じことしたらたちまち全身痛めちゃいそう。
都からかわいそうな追い出され方をした人ですが、ここでは心安らかに過ごせたのだろうか。

ちなみにこの滝の手前には飛瀧神社があり、滝は神社のご神体なのだそうです。
自然信仰かーなるほど。

熊野への道。
続いて熊野街道(国道42号)をレンタカーで北上。新宮市へ向かいます。

新宮。
熊野速玉大社に到着。
門には出雲大社ばりの巨大な注連縄が!

こんにちは。
本殿です。ここにも大きな注連縄。

梛。
天然記念物のナギの御神木。那智大社の大楠と同じく平重盛の手植えと伝わります。
ナギは「凪」あるいは「薙ぎ払う」に通じることからこの土地の人々が大切にしてきたそうです。
社務所で旅行の安全を祈るナギの葉のお守が売っていたのでゲットしました。
(あとで思ったけどこのお守の効力すごかったな)

わたしがお守を買っている隣で、研究者さんなのかな、しきりに巫女さんに尋ねている方がいました。
神社の由緒とか神様のこととか、ナギの樹とか三山の関係性とか
去年の台風で熊野川が溢れて陸の孤島になったとか、うっかり聞こえてきました。
熊野に歴史あり。

あれっ。
宝物殿の前には弁慶さんがいました。
(弁慶の出身地説のひとつに速玉大社に仕えていた鈴木一族というのがあるそうです)
なんか、首外れてない?(笑)

くろしおの海。
再び熊野街道を北上。熊野市へ向かう途中で七里御浜をパチリ。
熊野街道は海岸沿いを走るのでずーっとこんな感じの景色が続きます。わーい海だ海~!
浜の向こうに広がるのは熊野灘。

この写真だとちょっとわかりにくいのですが、手前の浜の水は鮮やかな碧色、
水平線の海の水は黒っぽい青色をしています。
くろしおだ!

海の町にガオー。
熊野市駅近くにある獅子岩へ到着。
地盤の隆起と海による浸蝕でこんな形の岩ができたそうです。
ほんとに獅子が吠えているように見えるね!昔はここまで海だったのかもしれない。

鬼の城。
獅子岩から車でトンネルをくぐると、すぐ右に鬼ヶ城があります。

岩城。
どこまでもどこまでも岩。鍾乳洞の天井をとっぱらったみたいな感じがしました。
ここも獅子岩と同じで、地盤が海水に削られてこうなったらしい。

巌。
とにかくめちゃめちゃ広くて大きくて、進もうと思えばまだ先に進めたのですがこの辺りで断念。
また来られたら余裕を持って見学しようと思います。
どこまで続いていたのかなあ…。

3点セット。
岩と熊野灘と雲。

熊野の夕焼け。
花の窟神社に来てお山を見上げたらこの夕焼けでした。マジックアワー。

黄泉の国への入口。
花の窟神社の入口。
火の神カグツチを出産して亡くなったイザナミノミコトがここに埋葬されたとき、
人々が花をそなえて祀ったのが始まりらしい。

ここは黄泉の国?
境内。とても狭く、社殿はなく、この巨大な磐座がご神体です。
イザナミがいるということはここは彼女が隠った黄泉の国でもあるんだな…。
そういえば熊野は「隠国(こもりく)」がなまった地名という説もあるんだった。

海と夜景。
勝浦まで車で戻ってきたらすっかり暗くなってしまったのでホテルへ行くことに。
お世話になるホテルへは桟橋からボートで向かいます。

ボート!
この船に乗ります。
わーい!船でホテル行くなんて初めて(^▽^)ノ

着いた。
5分ほど揺られて到着。

ぐるぐる。
ロビーへ入ったとたん、こんな素敵な催しが!
勝浦音頭を踊る女の子さんたちです。かわいい!衣装も華やか!

獅子舞。
獅子まで出てきた。
鈴を振ったりくるくる回ったり、何ともひょうきんな舞でありました。おみごと!
お蔭でチェックインの時間がすっかり遅くなってしまった。

ツイン。
広くてかわいいお部屋!

サラダ。
夕ご飯はホテルの居酒屋さんでいただきました。
あわゆき豆腐のサラダにマグロのお茶漬け。おいしかった☆
店主さんから桃酒とゆず酒を一杯ずつごちそうになりました(*´∀`*)体ホカホカ♪

「乙姫さまのご馳走に、鯛やヒラメの舞い踊り。ただ珍しくおもしろく、月日のたつのも夢のうち」
(唱歌「浦島太郎」)

そんなわけで観光だけでなく、ホテルに着いてからもテンション高かったのですが
お風呂に行ってみたら更にびっくり。
今日行った獅子岩や鬼ヶ城みたいな大洞窟の中に露天風呂があったのですよ!
鬼ヶ城の中に檜風呂を設置しちゃったと思っていただければ…むむ、うまく表現できない。
しかしお風呂はあったかくて気持ち良くて、
徳川家の人が「帰りたくない」って言ったお風呂もあるとかないとか…。
勝浦温泉すげぇ。

次回はドキッ!台風に一喜一憂☆だった波乱の2日目と3日目のレポをお届けします~。
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テーマ : 世界遺産・遺跡・名所    ジャンル : 旅行

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comment

No title

  1. 2013/09/20(金) 16:34:13 |
  2. URL |
  3. TOM-F
  4. [ 編集 ]
おおっ、旅行記、お待ちしてましたよ。
というか、台風、心配してましたよ。ご無事そうでなにより……って、波乱、あったんですね。

那智の滝から那智大社まで、歩いて登られた、と?!
そ、それはすごい。私なんぞは、あの石段を登るだけでもイヤだったので、西岸渡寺横の駐車場までクルマで上がっちゃいましたよ。楽々参拝でしたよ。ああ、不信心者(笑)

ゆささん、やはりアクティブですね。かなりあちこちに行かれたようで、感心しました。
お、このホテルは、アレですね。私もこのホテルは大好きなんですよ。あの洞窟風呂、たまりませんねぇ。私が利用したのは日昇館という、太平洋側の建物だったんですが、日の出が壮観でした。

続きを楽しみにしています。

Re: No title

  1. 2013/09/22(日) 15:09:22 |
  2. URL |
  3. ゆさ
  4. [ 編集 ]
> TOM-F様

ただいまです~☆
台風の件でご心配おかけしました。わたしは元気です。

> 那智の滝から那智大社まで
歩きました(笑)。知ってたらもっと上の駐車場に行ったかも。知らないってこわい。
おかげで昔の人の気持ちが少し理解できました…こんなに、いやそれ以上に大変だったんだ!みたいな。
昔の人ってパワフルですね。

> アクティブ
次の日の天気がどうなるかわからなかったので、
1日目に回れるだけ回ろう!と動きまくった結果です。そして結果オーライでした(笑)。

あのホテル、TOMさんも宿泊されたのですね♪
そうそう洞窟のお風呂がすごいインパクトでした。波がすぐそばまでザッパーンて来て。
日昇館いいなあ!わたしたちは本館で、内陸側でしたが海がよく見えました(^▽^)。
 
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