熊野三山と式年遷宮の旅その2。
熊野&伊勢旅行の2日目・3日目のレポをお届けします~。1日目はこちら。
今回は熊野本宮から伊勢神宮外宮までをお送りします。
前日から台風が近畿に接近中ということもあり、波もそれなりに高い朝でしたが
朝食をとった時点ではまだ雨は降っていなかったし、
天気予報でも本格的に上陸するとしたら午後という情報だったので
じゃあ午前中に熊野本宮大社へ行って来よう!と出かけてみることにしました。
まずはホテルから船に乗って、内陸を目指します。

昨日は普通のボートでしたが、今日のお船はこちら。なんともキュート♪
勝手に亀吉と呼んで親しんでいました。

よろしくね。
以下、写真が多いのでたたんであります。クリックで開閉しますのでどうぞ☆↓

桟橋に着いたら八幡神社のスケルトンなのぼりが。
ホテルの駐車場にとめておいたレンタカーに乗って、熊野本宮大社をめざします。
勝浦から那智を経て、新宮市から山道へin。
熊野川をさかのぼる形で道なりに車を走らせていきましたが、
崖崩れや川中の土石流の跡など、去年の台風の爪跡がまだまだ残っていました。
ただ、雨はほとんど降っていなくて
「えっマジ?これいける?熊野古道歩ける?」とか少し期待に胸を膨らませていたら
山道のトンネルをいくつか抜けたあたりからだんだん雨が激しくなり、
本宮に到着した頃にはすっかりどしゃ降りになっていました。。
そううまくはいかないかー。

本宮入口の鳥居に到着。
雨でもたくさんの人出でした。雨合羽を着ている人も。

ものすごい雨。足元に気をつけながら階段を登ります。

階段のたもとにあったのぼり。「熊野詣」の文字入りでした。

本宮・拝殿。
こちらでお参りしてから本殿へ向かいます。

拝殿のとなりに本殿に続く神門があります。

本殿の第一社殿~第四社殿。国の重要文化財に指定されています☆
社殿の屋根葺替え工事と、去年の台風被害のためにシートで覆われていましたが
それぞれ扉だけは開いていてお参りすることができました。
夫須美神・速玉神・家津美御子大神・天照大神が祀られ、
交通安全、大漁満足、家庭円満、夫婦和合、長寿などあらゆる御利益が揃っております。
…ぴぎゃー!パワースポット!
第三殿(證誠殿)前には平重盛の言葉が立札に書かれてありました。
「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず。
南無権現願わくば父の専横が止らざる時は重盛の運命を縮めて来世の苦輪を助け給え」
これ、平家物語にもありますね。
重盛が熊野詣をしたときの祈りの言葉です。
この後、都に帰ってすぐに重盛は亡くなってしまい、平家も転がる石のように転落していくんだよね…。
平家のための最後の祈りは、切ない。

本宮から車で5分のところにある、道の駅・熊野古道ほんぐう。
ここはね、どうしても来たかった場所です♪

なぜならこんなお部屋があるから!(*^▽^*)

お部屋の様子です☆
後鳥羽上皇の熊野御幸に参加した藤原定家が明月記に書き残した記録をもとに、
京都から出発して九十九王子と熊野詣を経て、また京都へ戻るまでの約20日間を
かわいらしいイラストとともに解説しています。
馬や輿、時には徒歩で、寝坊したり川に落ちたり風邪ひいたりとアップダウンの日々を送りながら
それでも定家ちゃんはがんばってお仕事をやり遂げたようです。
公務員はつらいね!
個人的には発心門王子で「やったーあと2時間で本宮だ!」ってテンションだだ上がりした定家が
嬉しさのあまり宿舎のあっちこっちに詩やら歌やら落書きしちゃったんだけど、
実はその宿舎の主人が"地域の落書きを注意して回る人"だったと判明して真っ青になる…ていう
エピソードがすごく好き(笑)。
愛すべきうっかり歌人・定家。

定家の肖像画と小さな像。

都を出発して18日目。本宮にたどり着いたときの様子。
定家の喜び方ハンパない(笑)。
「千里の道を越えてついに本宮にお参りできた。涙がとまらない。
咳と打ち身で生きた心地がしない。これから先が心配だ」
そう…この先まだ那智と新宮への参詣が残っている定家ちゃんであった…。
京都への道は遠い。がんばれ定家負けるな定家。
(ちなみに定家はお参り後約10日間くらいかけて京都へ戻ります)

発心門王子へやって来ました。
「発心」とは仏心をおこし修行に入るの意で、鴨長明の『発心集』などで有名ですな。
(わたしが地図の道を間違えて危うく遭難するところでした…あやのさんマジごめんなさい)
都から長い長い旅をして、何日もかけて山道を越えてこの門へ来て
本宮まで残り2時間足らずとわかったときの参詣者たちの気持ちはいかばかりだったか。
クライマーズ・ハイよろしく足取りも軽やかに走り出したんじゃないか。
余談ですが平安時代の貴族さんたちは、どんなに偉い人も徒歩で熊野古道を歩いたのだそうです。
待賢門院璋子は9回、璋子の子後白河天皇は34回、定家がお供をした後鳥羽上皇は29回!
みんな健脚だなあ…わたし絶対無理ですわ…。
間違っても昔の貴族さんをヘタレ呼ばわりしてはいけない。

発心門王子跡の王子社。
本当はここから!2時間かけて!石畳の熊野古道を歩いて!本宮に行ってみたかったの!!
雨がひどかったので断念。orz
道休禅門地蔵とか和泉式部供養塔とか、本宮を初めて目にした人々が伏し拝んだ伏拝王子とか
三軒茶屋跡とか、祓殿王子の潔斎場とか、見たかったです…。
熊野の神様また来なさいってことですか。そうですか。

道の駅ほんぐうに戻ってお昼ご飯。
熊野牛定食をいただきました。ご馳走様でした!

本宮旧社地の中州「大斎原」に建つ、日本一高いといわれる大鳥居。
現在、本宮の社は山にありますが、1889年の熊野川大水害で流されるまでこの中州にあったそうです。
これは社がもともとここにあったことを忘れないために建てられたもの。
ちなみに今年は熊野本宮大社が水害により現地へ遷座してから120年目の節目の年にあたり、
様々なお祭が行われているそうな。

雨がひどくなってきたので、名残惜しいですが山を下ります。

帰り道に新宮市のイオンで適当に夕ご飯を買って、ホテルに戻ってひきこもることに。
真ん中は和歌山名物サンマ寿司!
みんなおいで~今からパーティ始まるよっ☆
夜からは本格的に雨も風も強くなっていました。
温泉にもたっぷり入りましたが、洞窟露天風呂の海側は「悪天候のため」ということで閉鎖。むーん。
テレビで台風情報を見ながら一喜一憂し、カツオ人間に思いを馳せ、
半沢直樹の展開にやっぱり一喜一憂する、そんな夜。
明けて旅行3日目。伊勢への移動日です。

朝から曇りがちでしたが、台風のピークはすぎたようで風はすっかり止んで雨もなく、
亀吉も元気に仕事をしているのでこちらも元気を出してしゅっぱ~つ。
ホテルのみなさま、亀吉、2日間お世話になりました。
さらば熊野、また来ますね!次回は古道を歩きたいよ!!
…で、本当は紀伊勝浦駅から電車に乗って伊勢まで行くはずだったのですが。
駅の切符売場まで来たら「現在全線で運転を見合わせ中です」との看板が…!
窓口で駅員さんに尋ねると、昨日の台風の影響で線路の点検が長引いているらしく
(ゴミ撤去とか路線のチェックとか)、
お昼すぎまで動かないとのこと。
では新宮まで行けば何とかなるかどうか聞いたら、
いや新宮から先もずっと多気(伊勢の手前)まで動いていません…とのことでギョエー!ってなって
もう電車は当てにならないので急遽レンタカー会社に電話をかけて1台用意していただくことに。

無事に借りることができました…!
伊勢に向けて、熊野街道(国道42号)をひたすら北上。
単調な景色が続くので運転手のあやのさんに睡魔を寄せつけないようにと延々しゃべりまくりました。
(議題は主にせんべいの耳について)

道の駅きのくにで一休み。
ここまでずーっと山道で、ここからもずーっと山道でした。

道の駅紀伊長島まで来たところでお昼休み。
道中の電光掲示板で「雨に注意」「大雨警報」とさんざん脅されてきたのですが
ご覧の通りの快晴で雨粒ひとつ落ちてきません。
熊野速玉さんで買ったナギの葉のお守の御利益でしょうか。有難いことです。

紀勢自動車道にinしてさらに北上。写真は奥伊勢パーキングエリアです。
そして。

伊勢市到着ーーー!!
(あやのさん本当に本当にありがとうございました!><)
4時間の長旅だったにも関わらず雨は一滴も降ってこなかったです。
次の日も快晴でしたので結局雨に降られたのは2日目だけでしたね…ほんとに運が良かったとしか。
ホテルに荷物を置いてレンタカーを返して、まずは伊勢神宮外宮へ向かいます。
頼もしい道しるべ↑。

こんなマンホールとか、

こんな注連縄とか、

こんなかわいい童子と犬に心を奪われながら、

外宮へ到着!
現在、第62回式年遷宮の真っ最中です。
伊勢神宮の内宮外宮では、20年に1度、正宮などの建物すべてを新しく造りかえ、
さらに神宝なども新調して御神体を新しい建物へ遷す式年遷宮が行われます。
いわば神様のお引越しですな。
建物の建て替えそのものは8年前ほどから行われるそうです。長丁場!
(式年遷宮を続ける理由のひとつが宮大工さん等職人さんたちの技術継承だそうだ)

参道の様子。
木がたくさんあって涼しかったです。

正宮。
前回の式年遷宮から20年経って、すっかり味わい深い建物になっています。
祀られているのは豊受大神(食物・穀物を司り、衣食住ほか産業の神様)。
お参りする先には白布がかかっています。あの布の向こうに神様がいるんだな…。

参拝を終えて隣を見ると、新しいお社ができていて宮大工さんたちが作業中。
社殿は唯一神明造という建築方式でお伊勢さん独自のもの。
(何となく出雲大社の大社造と似ている気がしました)
20年前とまったく同じ設計の新しい建物を建てることは生まれ変わりと永遠を象徴するそうです。
来月、あちらにお引越しされるのですな。

多賀宮。豊受大神の荒魂が祀られています。
荒魂は神様の荒ぶる魂です。天変地異をおこしたり、祟ってみたりする魂のこと。あわわ。
今後も静かにおしずまりくださいね…。

土宮。外宮の地主神が祀られています。

風宮。風の神様が祀られています。

お参りを終えて参道を戻る途中で、こんな行進に遭遇。
外宮では日別朝夕大御饌祭(豊受大神にお供えする食事を作るお祭)が、毎日、朝夕に行われるそうです。
この方たちはそのお食事を作る神職さんたち。
(お料理する様子は見ることができません)

外宮一鳥居の前にある清盛楠。
平安時代に平清盛が外宮に参詣したとき(重盛だったとの説もあり)、
この木の枝が冠に触れて激怒ぷんぷんして枝を切らせてしまったという言い伝えがあるそうな。
樹齢は900年以上。がんばって立ち続けているのですな。すごい。

くるりと回れ右すると勾玉池のほとりにせんぐう館があります。
今回の式年遷宮記念に建てられたのでピカピカです。運がいいと神楽や舞楽が見られるらしい。
館内では伊勢神宮の歴史やこれまで行われてきた遷宮の様子、建物を建てるための設計図や道具、
遷宮に際し納められる神宝やその制作風景、映像シアターなどがありました。
入口で出迎えてくれるのは実際に使われていた正殿の扉、でかかった!
ガラスケースに展示されていた巨大すぎる金ピカ錠前もかつて使われていたものだそうです。
1日2回のお料理のメニューもあって、ご飯やお酒、野菜、鯛(尾頭付き)などを
かわらけに乗せてお供えしているのですな。
圧巻は正宮の小型模型と、壁いっぱいにでーんとそびえたっていた原寸大の正殿の模型。
実際に遷宮に携わった宮大工さんがつくったもので
(職人さんは技術を伝えるため建物ばかりではなく建てるための道具から作るそうだ)、
原寸大模型は高さ12.4メートル、総檜、正殿の右側1/4を正殿と同じ工法で再現しているそうです。
ど真ん中に貫かれている棟持柱が太さも高さもかっこよかったな…。

こんな法被を着た案内人さんが!

外宮を後にして、別宮・月夜見宮へ向かいます。
ここは参道。宮に祀られているツクヨミが、豊受大神のもとへ通うための道だそうです。
(実際、この道をまっすぐ戻ると外宮北の鳥居にたどり着く)
ツクヨミは食物の神であるウケモチ(保食)を斬り殺したことで知られますが、
同じ食物神である豊受さんには、意外と、やさしい…?(^ ^)

お伊勢にゃんこ!

月夜見宮正宮。ツクヨミと、ツクヨミの荒魂を祀ります。
ここも20年に1度遷宮が行われるようで、隣の敷地が綺麗に整備されていました。
(建物はまだ建っていなかったけど。今年じゃないのかもしれない)

伊勢市駅へやって来ました。
ここの参道をまっすぐ歩いていくと、外宮の一鳥居へ着きます。

駅近くの休憩所でくうや観助餅をいただきました。(あやのさんご馳走様でした)
外側がごはんで中があんこ。お茶も美味。

参道をお散歩していると暗くなってきたので、左のお店で夕ご飯にしました。
伊勢の豚肉料理!

夜の外宮。ライトアップされて綺麗!
橋の手前の門がロープで閉められていて、一の鳥居までは行けないのですが
遠目で見た夜の鳥居は周りも奥も真っ暗で吸い込まれそうでした。どきどき。
この後はホテルまで歩いて帰り、お風呂に入ってあったまって
テレビで台風の状況に一喜一憂して、スマスマ見て寝ました。ヒュー・ジャックマン超いい人…。
次回はえっ伊勢って猫の国??的な、ニャン充だった4日目のレポをお届けします~。
今回は熊野本宮から伊勢神宮外宮までをお送りします。
前日から台風が近畿に接近中ということもあり、波もそれなりに高い朝でしたが
朝食をとった時点ではまだ雨は降っていなかったし、
天気予報でも本格的に上陸するとしたら午後という情報だったので
じゃあ午前中に熊野本宮大社へ行って来よう!と出かけてみることにしました。
まずはホテルから船に乗って、内陸を目指します。

昨日は普通のボートでしたが、今日のお船はこちら。なんともキュート♪
勝手に亀吉と呼んで親しんでいました。

よろしくね。
以下、写真が多いのでたたんであります。クリックで開閉しますのでどうぞ☆↓

桟橋に着いたら八幡神社のスケルトンなのぼりが。
ホテルの駐車場にとめておいたレンタカーに乗って、熊野本宮大社をめざします。
勝浦から那智を経て、新宮市から山道へin。
熊野川をさかのぼる形で道なりに車を走らせていきましたが、
崖崩れや川中の土石流の跡など、去年の台風の爪跡がまだまだ残っていました。
ただ、雨はほとんど降っていなくて
「えっマジ?これいける?熊野古道歩ける?」とか少し期待に胸を膨らませていたら
山道のトンネルをいくつか抜けたあたりからだんだん雨が激しくなり、
本宮に到着した頃にはすっかりどしゃ降りになっていました。。
そううまくはいかないかー。

本宮入口の鳥居に到着。
雨でもたくさんの人出でした。雨合羽を着ている人も。

ものすごい雨。足元に気をつけながら階段を登ります。

階段のたもとにあったのぼり。「熊野詣」の文字入りでした。

本宮・拝殿。
こちらでお参りしてから本殿へ向かいます。

拝殿のとなりに本殿に続く神門があります。

本殿の第一社殿~第四社殿。国の重要文化財に指定されています☆
社殿の屋根葺替え工事と、去年の台風被害のためにシートで覆われていましたが
それぞれ扉だけは開いていてお参りすることができました。
夫須美神・速玉神・家津美御子大神・天照大神が祀られ、
交通安全、大漁満足、家庭円満、夫婦和合、長寿などあらゆる御利益が揃っております。
…ぴぎゃー!パワースポット!
第三殿(證誠殿)前には平重盛の言葉が立札に書かれてありました。
「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず。
南無権現願わくば父の専横が止らざる時は重盛の運命を縮めて来世の苦輪を助け給え」
これ、平家物語にもありますね。
重盛が熊野詣をしたときの祈りの言葉です。
この後、都に帰ってすぐに重盛は亡くなってしまい、平家も転がる石のように転落していくんだよね…。
平家のための最後の祈りは、切ない。

本宮から車で5分のところにある、道の駅・熊野古道ほんぐう。
ここはね、どうしても来たかった場所です♪

なぜならこんなお部屋があるから!(*^▽^*)

お部屋の様子です☆
後鳥羽上皇の熊野御幸に参加した藤原定家が明月記に書き残した記録をもとに、
京都から出発して九十九王子と熊野詣を経て、また京都へ戻るまでの約20日間を
かわいらしいイラストとともに解説しています。
馬や輿、時には徒歩で、寝坊したり川に落ちたり風邪ひいたりとアップダウンの日々を送りながら
それでも定家ちゃんはがんばってお仕事をやり遂げたようです。
公務員はつらいね!
個人的には発心門王子で「やったーあと2時間で本宮だ!」ってテンションだだ上がりした定家が
嬉しさのあまり宿舎のあっちこっちに詩やら歌やら落書きしちゃったんだけど、
実はその宿舎の主人が"地域の落書きを注意して回る人"だったと判明して真っ青になる…ていう
エピソードがすごく好き(笑)。
愛すべきうっかり歌人・定家。

定家の肖像画と小さな像。

都を出発して18日目。本宮にたどり着いたときの様子。
定家の喜び方ハンパない(笑)。
「千里の道を越えてついに本宮にお参りできた。涙がとまらない。
咳と打ち身で生きた心地がしない。これから先が心配だ」
そう…この先まだ那智と新宮への参詣が残っている定家ちゃんであった…。
京都への道は遠い。がんばれ定家負けるな定家。
(ちなみに定家はお参り後約10日間くらいかけて京都へ戻ります)

発心門王子へやって来ました。
「発心」とは仏心をおこし修行に入るの意で、鴨長明の『発心集』などで有名ですな。
(わたしが地図の道を間違えて危うく遭難するところでした…あやのさんマジごめんなさい)
都から長い長い旅をして、何日もかけて山道を越えてこの門へ来て
本宮まで残り2時間足らずとわかったときの参詣者たちの気持ちはいかばかりだったか。
クライマーズ・ハイよろしく足取りも軽やかに走り出したんじゃないか。
余談ですが平安時代の貴族さんたちは、どんなに偉い人も徒歩で熊野古道を歩いたのだそうです。
待賢門院璋子は9回、璋子の子後白河天皇は34回、定家がお供をした後鳥羽上皇は29回!
みんな健脚だなあ…わたし絶対無理ですわ…。
間違っても昔の貴族さんをヘタレ呼ばわりしてはいけない。

発心門王子跡の王子社。
本当はここから!2時間かけて!石畳の熊野古道を歩いて!本宮に行ってみたかったの!!
雨がひどかったので断念。orz
道休禅門地蔵とか和泉式部供養塔とか、本宮を初めて目にした人々が伏し拝んだ伏拝王子とか
三軒茶屋跡とか、祓殿王子の潔斎場とか、見たかったです…。
熊野の神様また来なさいってことですか。そうですか。

道の駅ほんぐうに戻ってお昼ご飯。
熊野牛定食をいただきました。ご馳走様でした!

本宮旧社地の中州「大斎原」に建つ、日本一高いといわれる大鳥居。
現在、本宮の社は山にありますが、1889年の熊野川大水害で流されるまでこの中州にあったそうです。
これは社がもともとここにあったことを忘れないために建てられたもの。
ちなみに今年は熊野本宮大社が水害により現地へ遷座してから120年目の節目の年にあたり、
様々なお祭が行われているそうな。

雨がひどくなってきたので、名残惜しいですが山を下ります。

帰り道に新宮市のイオンで適当に夕ご飯を買って、ホテルに戻ってひきこもることに。
真ん中は和歌山名物サンマ寿司!
みんなおいで~今からパーティ始まるよっ☆
夜からは本格的に雨も風も強くなっていました。
温泉にもたっぷり入りましたが、洞窟露天風呂の海側は「悪天候のため」ということで閉鎖。むーん。
テレビで台風情報を見ながら一喜一憂し、カツオ人間に思いを馳せ、
半沢直樹の展開にやっぱり一喜一憂する、そんな夜。
明けて旅行3日目。伊勢への移動日です。

朝から曇りがちでしたが、台風のピークはすぎたようで風はすっかり止んで雨もなく、
亀吉も元気に仕事をしているのでこちらも元気を出してしゅっぱ~つ。
ホテルのみなさま、亀吉、2日間お世話になりました。
さらば熊野、また来ますね!次回は古道を歩きたいよ!!
…で、本当は紀伊勝浦駅から電車に乗って伊勢まで行くはずだったのですが。
駅の切符売場まで来たら「現在全線で運転を見合わせ中です」との看板が…!
窓口で駅員さんに尋ねると、昨日の台風の影響で線路の点検が長引いているらしく
(ゴミ撤去とか路線のチェックとか)、
お昼すぎまで動かないとのこと。
では新宮まで行けば何とかなるかどうか聞いたら、
いや新宮から先もずっと多気(伊勢の手前)まで動いていません…とのことでギョエー!ってなって
もう電車は当てにならないので急遽レンタカー会社に電話をかけて1台用意していただくことに。

無事に借りることができました…!
伊勢に向けて、熊野街道(国道42号)をひたすら北上。
単調な景色が続くので運転手のあやのさんに睡魔を寄せつけないようにと延々しゃべりまくりました。
(議題は主にせんべいの耳について)

道の駅きのくにで一休み。
ここまでずーっと山道で、ここからもずーっと山道でした。

道の駅紀伊長島まで来たところでお昼休み。
道中の電光掲示板で「雨に注意」「大雨警報」とさんざん脅されてきたのですが
ご覧の通りの快晴で雨粒ひとつ落ちてきません。
熊野速玉さんで買ったナギの葉のお守の御利益でしょうか。有難いことです。

紀勢自動車道にinしてさらに北上。写真は奥伊勢パーキングエリアです。
そして。

伊勢市到着ーーー!!
(あやのさん本当に本当にありがとうございました!><)
4時間の長旅だったにも関わらず雨は一滴も降ってこなかったです。
次の日も快晴でしたので結局雨に降られたのは2日目だけでしたね…ほんとに運が良かったとしか。
ホテルに荷物を置いてレンタカーを返して、まずは伊勢神宮外宮へ向かいます。
頼もしい道しるべ↑。

こんなマンホールとか、

こんな注連縄とか、

こんなかわいい童子と犬に心を奪われながら、

外宮へ到着!
現在、第62回式年遷宮の真っ最中です。
伊勢神宮の内宮外宮では、20年に1度、正宮などの建物すべてを新しく造りかえ、
さらに神宝なども新調して御神体を新しい建物へ遷す式年遷宮が行われます。
いわば神様のお引越しですな。
建物の建て替えそのものは8年前ほどから行われるそうです。長丁場!
(式年遷宮を続ける理由のひとつが宮大工さん等職人さんたちの技術継承だそうだ)

参道の様子。
木がたくさんあって涼しかったです。

正宮。
前回の式年遷宮から20年経って、すっかり味わい深い建物になっています。
祀られているのは豊受大神(食物・穀物を司り、衣食住ほか産業の神様)。
お参りする先には白布がかかっています。あの布の向こうに神様がいるんだな…。

参拝を終えて隣を見ると、新しいお社ができていて宮大工さんたちが作業中。
社殿は唯一神明造という建築方式でお伊勢さん独自のもの。
(何となく出雲大社の大社造と似ている気がしました)
20年前とまったく同じ設計の新しい建物を建てることは生まれ変わりと永遠を象徴するそうです。
来月、あちらにお引越しされるのですな。

多賀宮。豊受大神の荒魂が祀られています。
荒魂は神様の荒ぶる魂です。天変地異をおこしたり、祟ってみたりする魂のこと。あわわ。
今後も静かにおしずまりくださいね…。

土宮。外宮の地主神が祀られています。

風宮。風の神様が祀られています。

お参りを終えて参道を戻る途中で、こんな行進に遭遇。
外宮では日別朝夕大御饌祭(豊受大神にお供えする食事を作るお祭)が、毎日、朝夕に行われるそうです。
この方たちはそのお食事を作る神職さんたち。
(お料理する様子は見ることができません)

外宮一鳥居の前にある清盛楠。
平安時代に平清盛が外宮に参詣したとき(重盛だったとの説もあり)、
この木の枝が冠に触れて激怒ぷんぷんして枝を切らせてしまったという言い伝えがあるそうな。
樹齢は900年以上。がんばって立ち続けているのですな。すごい。

くるりと回れ右すると勾玉池のほとりにせんぐう館があります。
今回の式年遷宮記念に建てられたのでピカピカです。運がいいと神楽や舞楽が見られるらしい。
館内では伊勢神宮の歴史やこれまで行われてきた遷宮の様子、建物を建てるための設計図や道具、
遷宮に際し納められる神宝やその制作風景、映像シアターなどがありました。
入口で出迎えてくれるのは実際に使われていた正殿の扉、でかかった!
ガラスケースに展示されていた巨大すぎる金ピカ錠前もかつて使われていたものだそうです。
1日2回のお料理のメニューもあって、ご飯やお酒、野菜、鯛(尾頭付き)などを
かわらけに乗せてお供えしているのですな。
圧巻は正宮の小型模型と、壁いっぱいにでーんとそびえたっていた原寸大の正殿の模型。
実際に遷宮に携わった宮大工さんがつくったもので
(職人さんは技術を伝えるため建物ばかりではなく建てるための道具から作るそうだ)、
原寸大模型は高さ12.4メートル、総檜、正殿の右側1/4を正殿と同じ工法で再現しているそうです。
ど真ん中に貫かれている棟持柱が太さも高さもかっこよかったな…。

こんな法被を着た案内人さんが!

外宮を後にして、別宮・月夜見宮へ向かいます。
ここは参道。宮に祀られているツクヨミが、豊受大神のもとへ通うための道だそうです。
(実際、この道をまっすぐ戻ると外宮北の鳥居にたどり着く)
ツクヨミは食物の神であるウケモチ(保食)を斬り殺したことで知られますが、
同じ食物神である豊受さんには、意外と、やさしい…?(^ ^)

お伊勢にゃんこ!

月夜見宮正宮。ツクヨミと、ツクヨミの荒魂を祀ります。
ここも20年に1度遷宮が行われるようで、隣の敷地が綺麗に整備されていました。
(建物はまだ建っていなかったけど。今年じゃないのかもしれない)

伊勢市駅へやって来ました。
ここの参道をまっすぐ歩いていくと、外宮の一鳥居へ着きます。

駅近くの休憩所でくうや観助餅をいただきました。(あやのさんご馳走様でした)
外側がごはんで中があんこ。お茶も美味。

参道をお散歩していると暗くなってきたので、左のお店で夕ご飯にしました。
伊勢の豚肉料理!

夜の外宮。ライトアップされて綺麗!
橋の手前の門がロープで閉められていて、一の鳥居までは行けないのですが
遠目で見た夜の鳥居は周りも奥も真っ暗で吸い込まれそうでした。どきどき。
この後はホテルまで歩いて帰り、お風呂に入ってあったまって
テレビで台風の状況に一喜一憂して、スマスマ見て寝ました。ヒュー・ジャックマン超いい人…。
次回はえっ伊勢って猫の国??的な、ニャン充だった4日目のレポをお届けします~。
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