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ブロとものあやのさんと調布・板橋をぶらぶらしてきました。
新選組の局長だった近藤勇の史跡巡りと、板橋区立美術館の探幽3兄弟展が目当てです。

わたしは新選組びいきですが、実は西東京の新選組関連の史跡をほとんど回ったことがなく
今回もあやのさんが誘ってくださらなかったら一体いつ行く予定だったのか、
あやのさん感謝です~☆


ふるさと!
西武多摩川線、多磨駅に到着。初・多摩川線で、この駅にも初めて来ました!
4両編成のかわいらしい電車を降りたら、こんなだんだら模様の垂れ幕が迎えてくれましたよ。
町中ものんびりゆったりな雰囲気で商店街もあって、街と田園風景が混在している感じ。
近ちゃんはこんな土地でおおらかに育ったのだな…。

以下、写真が多いので畳んであります↓クリックで開閉しますのでどうぞ~。
 
 
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駅から歩くこと20分。近藤勇生家跡に着きましたよー。
大きなケヤキが目印。

近ちゃんのパパは宮川久次郎さんといって、地元でも有数の裕福な農家だったそうです。
近ちゃんはその三男として生まれ勝五郎と名付けられます。
(よくドラマとかで土方歳三さんが近ちゃんを「勝ちゃん」と呼びますが、
あれは幼名で呼んでるわけです)
近ちゃんが勇の名になるのは彼が通っていた試衛館の近藤周助のもとに養子に入ってからですね。
家督を継いだのは28歳のときですが、その後の7年間のなんと熱い日々か。

説明看板に宮川家の設計図が載っていたのですが
母屋は部屋がたくさんあり庭も広く、蔵屋敷、乾燥納屋、農具納屋や文庫蔵まで持ってるとかすごい。
周囲は欅の木や樫の木をはじめ多くの木々や竹林が茂っていたそうな。
久次郎さんは学識もあったようで、屋敷で寺子屋を開いたり
道場を作って天然理心流を教えるなどしていました。
文武両道ってやつだ。

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近藤勇産湯の井戸。

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近藤神社。有志によって戦前に建てられたもので近ちゃんを祀っています。

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神社に沈丁花が咲いていました。つーんといい香り。

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こんな札が5つもあった(笑)。
わーい猫ちゃんいるの??と周囲を探してみましたが、1匹も会えませんでした。。
生家跡には土や木がたくさんあるし、野上公園も近いので野良にゃんこが多いのかな。


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生家跡から道路を挟んで向かい側に撥雲館があります。
近ちゃんの娘婿で天然理心流5代目を継いだ近藤勇五郎の道場です。
撥雲館の名前は山岡鉄舟がつけたもので看板に揮毫もしたそうな。
鉄舟さんて日本全国どこ行ってもお名前見るな…何人いるんだ…。

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撥雲館道場。近藤家の敷地内にあるので建物には入れません。

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紅白の梅が並んで咲いていた~。


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生家跡から歩いて数分、龍源寺にやって来ました。
近藤家の菩提寺です。
門前には近ちゃんの胸像と天然理心流の碑、新選組百周年の碑が建っています。

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龍源寺本堂。

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近藤家のお墓。
中央に勇五郎さん、その隣に近ちゃんのお墓があります。
新しい卒塔婆がさしてありました。お彼岸で御縁の方がいらしたのかな。

お墓には近ちゃんが詠んだという辞世の漢詩(七言律詩)が2首刻まれた碑がありました。
「孤軍援け絶えて俘囚となる 顧みて君恩を思へば涙更に流る」に涙涙…。
叙情性も技巧もなく、ただただ素直な思いと悔しさを率直にしたためている感じがものすごくリアルで
なんだろうなあ、近ちゃんは最後まで近ちゃんだったんだなと思いました。


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多磨駅の反対側へ歩いて、多磨霊園へやって来ました。
この日はお彼岸だったので駅から霊園への道はお花やお線香を持った人たちがぞろぞろ歩いていて
初めての道でしたが迷わず辿り着くことができました。
いいお天気で良かったですね~。
(そういえば西武多摩川線はお彼岸になると本数がドバっと増えるらしい)

多磨駅にあった案内図を見て知ったのですが、多磨霊園は有名人のお墓だらけです!
有島武郎、石井筆子、大岡昇平、岡本一平・かの子・太郎一家、岸田今日子、北原白秋、下村観山、
徳川夢声、中島敦、野村胡堂、平櫛田中、堀辰雄、堀越二郎、三島由紀夫、向田邦子、吉川英治…。
ざっと挙げるだけでも錚々たるメンバー。
他にも政治家、経済家、学者、軍人、アーティストなど様々いらっしゃいます。

霊園はものすごく広くてとても回り切れないので、泣く泣くターゲットを絞ってお墓参りすることに。
しかしここからが試練の始まりであった…(何)。
霊園事務所で案内図をもらったのですが、
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もらってびっくり、おもてにお墓の種類と番号が、
裏に「著名人墓所」と題してアイウエオ順に名前が書いてあるだけで
肝心の有名人のお墓の場所そのものが地図上に記されていない!
な、なんですかこの「愛があれば探し出せるよね健闘を祈ります、さあがんばって」的精神の地図は!
探すけどさ!探すけどさ!!(ギャン泣き)

とりあえずどうしても行きたい人のお墓を案内図裏の索引から探してお参りしてきました。
長谷川町子さんのお墓はすっきりと美しく、
与謝野鉄幹・晶子夫妻のお墓は同じ形・同じ大きさの墓石が仲良く並んでいて萌え。
吉岡荒太・弥生夫妻のお墓はでーんとそびえ立つかのような大きさ。
どれも綺麗にお掃除されて、縁者の方や霊園の人たちが大切にしてくださっているのが伺えます。
はああぁ…皆様お会いできてよかったです。感無量。

碑の字は本人筆。
江戸川乱歩のお墓もありました。
墓誌に「日本探偵作家クラブ初代会長」「日本文芸家協会理事」など書いてあって胸熱!
そして、いかに推理小説が始まったばかりのジャンルかが見て取れるなあ、とも。
わたしが生まれたときはもう乱歩はいなかったので、わたしにとっては歴史上の人ですけども
彼が亡くなってまだ50年経ってないってことは著作権切れてないんだよなあと、改めて。
まあ、来年に切れてパブリック・ドメインになるけど。
(ちなみに探偵作家クラブは日本推理作家協会と名称を変えて現在も続いており、
会が主催する江戸川乱歩賞は推理作家の登竜門といわれていますな)

また行きたいです多磨霊園!!


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電車で板橋駅へ移動。近藤勇墓所へやってきました。
近ちゃんの墓所はご実家のもの、隊士が建てたものなど各地にいくつかありましてこれもそのひとつ。
1868年4月に近ちゃんは板橋の刑場で斬首されまして
新選組二番隊組長だった永倉新八がその供養碑を建てたのがここです。

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近藤勇と土方歳三、ほか新選組隊士がまとめて供養されている塔。
側面には隊士の名前がずらりと彫ってあり、風化もあってあまり読めませんでしたが
隊長格や平隊士のほかに粛清された隊士の名前もありました。
ぜんぶまとめて供養してやるという八つぁんの心意気を感じる。

左に立っているのは永倉新八のお墓。
八つぁんは新選組を脱退後、北海道に移住して医師となりそこで亡くなりますが
死後に分骨されてここにも眠っているそうです。
江戸時代が終わって新選組がだんだん忘れられていく中、隊士の供養をしたり『新選組顛末記』を書いたり
新聞記者の新選組取材に応じたり、合間に孫の手を引いて映画館にキネマを見に行ったり。
八つぁんの人生まじアツイ…!
北海道のお墓もそのうち訪ねてみたいな。
(そういえば来年は永倉新八没後100年でもある)

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近ちゃんが埋められたとき最初に使われた石だそうです。割と小さめ。
八つぁんはこれを不憫に思ったのかもしれないな…。

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新選組の資料が収められたボックスもありました。
ファンの交流ノートが入っていたので、パラパラめくってみたら
京都、奈良、沖縄、福島、全国各地から訪れた人たちからのメッセージがたくさん!
みんな熱いスピリットを抱えてここへ来たんですね。なんか涙出そうだった。

で、この後遅い昼食をいただいて、西高島平駅まで移動して
板橋区立美術館の探幽3兄弟展を見てきたのですが
長くなりますので次回記事で書くことにいたします。
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70000ヒットありがとうございます☆

この世の名残。

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