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2014_05
12
(Mon)23:53

関門海峡と太宰府天満宮の旅その2。

九州旅行の2日目のレポをお届けします。1日目はこちら
今回は福岡市内と太宰府天満宮およびその周辺をぶらぶらします。


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朝の博多駅前。
前日の夜にも見かけましたが、ドラえもんがいっぱい並んでました(^∀^)かわいい!
福岡アジア美術館で開催されている藤子・F・不二雄展のPRのようです。
1体ごとに表情もポーズも、持ってるひみつ道具も全部ちがうんですよ~すごすぎる。
あと、たった1体だけ黄色いドラちゃんがいてうれしかった。

展覧会の会期はまだ残ってるそうですが、ドラちゃんたちは今はもう駅にはいないそうです。
たまたま出会えたんだ~ラッキー☆


以下、写真が多いのでたたんであります↓クリックで開閉しますのでどうぞ☆
 
 
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博多駅から地下鉄に乗って、赤坂駅から歩いて舞鶴公園へ。
公園内にある福岡城址にやって来ました。
福岡城は戦国時代に黒田如水・長政親子が建てた福岡藩主黒田氏の居城であります!
写真は本丸入口。

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築城当時は天守台や無数の櫓がそびえる壮大なお城だったそうですが、
現在はいくつかの櫓と門が保存されている状態で、天守台は展望台になっています。
天気が良かったので福岡市街がよく見渡せて、おお、これが如水や長政が見た景色か…と感慨深く。
(それにしてもやたら城内をグルグル回ったり登ったり下りたりしたので、
展望台へたどり着く頃にはすっかり方向がわからなくなっていました。
さすが築城のレジェンド・如水の建てた城ですな、一筋縄ではいかない)

城址にはたくさんの桜の木が植えられていて、春は一斉にピンク色に染まるそうです♪
今は新緑が鮮やかですよ~。
もうちょっと経つとシャクヤクや牡丹、蓮の花などが咲くとか。

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母里太兵衛邸長屋門。
もともとは天神2丁目に建っていた母里太兵衛の屋敷の門を現在の場所に移築したそうです。

太兵衛は黒田如水・長政に仕えた家臣のひとりで
黒田節(福島正則を訪ねたエピソードが基になった歌)で有名ですからご存知の方も多いかと思います。
長政の使者として福島正則の元を訪ねた太兵衛に、正則がお酒をすすめるのですが
太兵衛は「いえ、仕事中ですから」と断ったところ
正則が「テメー俺の酒が飲めねぇのか、飲んだら何でも好きなモノやるから飲めやゴルァ」とキレると
ふーんそれなら、と太兵衛は巨大な盃を所望してなみなみとお酒を注がせ、一息に飲み干してみせて
「はいこれでいいでしょうか、では、あなたの大事な槍をください」と申し出まして
正則さんはあっけにとられましたが、御褒美をあげると言ってしまいましたので
太兵衛あっぱれと自分の槍「日本号」を持たせて帰してあげたそうです。
…太兵衛すごいね、ザル通り越してワクだね。

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ボタン・シャクヤク園内にある黒田如水が隠居した三ノ丸御鷹屋敷跡碑。
息子の長政に家督を譲って剃髪した後、
キリシタンになってみたり、太宰府天満宮に庵を建ててみたりと悠々自適に過ごしていたそうな。
福岡へ来るまではやたら忙しい人だったのでその反動だろうか。

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福岡城址のそばにある鴻臚館跡展示館。
飛鳥~平安時代あたりまでこの地に建っていた鴻臚館(管轄は太宰府政庁)の遺構や
遺構から発掘された瓦や磁器などを展示しています。
鴻臚館は海外からやってくる船や人々を迎える外交施設で、いわゆる迎賓館のような役割を持ち、
遣唐使たちが中国へ出発したり帰国したりしたときも立ち寄ったそうです。
館内に小ぶりではありますが朱塗りの建物が再現されていてテンションあがりました☆

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展示館前にある鴻臚館の南館跡。建物は残っていません。
ここから堀をはさんで向こう側には北館があったそうですから、ずいぶん大きな施設だったんですね。

舞鶴公園を後にして、また地下鉄と徒歩で福岡市博物館へ向かう途中でこんなものを発見。
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サザエさん発案の地碑☆
作者の長谷川町子さんが子ども時代を過ごしたのが福岡市で、
連載が始まったのも福岡の新聞(夕刊フクニチ)だったことにちなむそうです。
この碑の周辺には「サザエさん通り」という名前がついています。

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福岡市博物館に到着!でかい!
彫刻がたくさんあってスタイリッシュでガラスに空が映っててほわあああ、見とれる建物。

今回の目当ては常設展示の見学。
福岡は古代からアジアとの海上流通や文化交流がさかんだったので、
展示品もそれらをしのばせる発掘品やアジアからもたらされた舶来物が多いです。
遣唐使船の精巧な模型や海の向こうからもたらされた品々の展示の前で大ハッスルして
写真バシャバシャ撮りまくって(館内は一部を除いて写真撮影が可能)、
さすがに声は出さなかったもののあっちこっちウロウロして怪しいヤツっぷり炸裂させてました。
ウッヒョーー遣唐使ーーーっ海ーーーっわたしばくはつしろ!
他にも元寇の様子を描いた絵巻や藩主黒田家の遺品や日本号を始めとする武器、
近代の福岡発展の様子や祇園山笠の山車などもありますよ。

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国宝・金印。博多湾の志賀島で発掘された☆本物☆です。
中国の『後漢書』には光武帝が倭奴国王に印綬を与えたという記述があり、それがこれだと言われます。
ちゃんと漢委奴国王って彫ってある~。
つか、この部屋の展示これだけです!なんてこった個室!そしてピンスポが当たっています!VIP(笑)。
隣の部屋に金印のレプリカがあって、実際に触って(意外と重たくそしてヒンヤリしている)、
押してみることもできて楽しいです。
さわれる博物館っていいよね。

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博物館の後は、隣にある福岡市の総合図書館に行きました。
ここがちょっと想像以上に良かった!
広くて天井高くて本がいっぱいあって、棚の高さもちょうどよい感じで郷土資料も充実してます!
近くに小学校や高校、大学もあるので学生さんの調べ学習とか研究活動にもいいんじゃなかろうか。


というわけで福岡市の歴史と文化を堪能しましたので、
地下鉄で天神駅に戻って、西鉄博多駅まで歩いてそこから快速に乗って太宰府を目指します。
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二日市駅で太宰府行きの電車に乗り換えるのですが、
乗った電車がこんな素敵デザインでした!
奈良時代に大宰府で働いていた大伴旅人の名を冠した「旅人(たびと)」という観光列車だそうです。
かわいい♪

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車内も素敵デザイン。6両あるのですが、1両1両全部内装が違うんですよ!すばらしい!
わたしはせっかくなので梅文様の1両目に乗車。壁もライトも梅の花だらけでした♪
おつむがよくなる御利益ありそう。

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ガタゴト揺られて太宰府駅に到着。

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天満宮表参道です~すてき~レトロ~!初太宰府初太宰府、ハスハス!

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参道沿いにはたくさんの食事処やお土産屋さんがお店を構えています。
写真はもなかで有名な天山さんでゲットした鬼瓦いちご大福。
太宰府天満宮の鬼瓦デザインのもなかにいちご大福がはさまっててすごいボリューム。
注文してから作ってくれるので皮はサクサク、いちごも大きくてとてもおいしかったです☆

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通りかかる人がみんな写真を撮っていくスタバ太宰府天満宮表参道店(笑)。
つきささりそうな斜め上デザインが好評のようです。店内も混んでた。

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参道を歩いて天満宮に到着~。

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鳥居をくぐると御神牛さんが迎えてくださいます。
ご祭神の菅原道真さんが丑年生まれであることや、
道真さんが亡くなったとき棺を牛車で運んでいたらこの場所で牛さんが止まり動かなくなったなど
牛さんとの縁が深い天満宮内には牛像が10頭もいます。
特にこの場所の牛さんは撫でると頭がよくなる御利益があるそうで、
今までたくさん撫でられたのでしょう、頭や鼻がテカテカになってました(笑)。
体のどこかが痛かったり病気なときに、牛さんの同じ部分を撫でると治る御利益もあるとか。

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御神牛の隣にあった道真さんの歌碑とツツジ。
「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」(拾遺和歌集巻十六雑春・一〇〇六番)

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心字池にかかる太鼓橋をわたって境内をめざします。

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楼門前にある麒麟像と鷽像。江戸時代の奉納だそうです。
麒麟は徳の高い人のもとへ現れて世の中を寿ぐ瑞獣として有名ですね。
鷽は害虫を食べる虫でありその字が學に似ていることから学問の神である天神さんの守り神とされ、
うそを幸運に変える鳥として古くから大切にされているとか。

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天満宮楼門!でーんとそびえています。
橋側と本殿側でデザインが違うという珍しい門。
現在の門は1914年築ですが、先代の門は石田三成が建てたとか!わお。

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本殿!
ぎええええぇぇとうとう来たよ…道真さん…!!
京都の北野天満宮、東京の湯島天神、大阪の露天神社なども訪ねておりますが
やっぱり道真さんが眠っている太宰府にずっと来たかったんです。
はあぁ夢が叶った…おっかさんわたしやったよ…。
本殿を前にするまであまり実感わかなかったんですけど、前に立ったとたん
なんかもう彼の人生が走馬燈のように頭に浮かんでは消えまして。
子どもの頃から詩歌が好きで文章生になったりとか、
讃岐守とか阿衡の紛議とか遣唐使停止とか右大臣とか
詩文集まとめたりとか、「日本三代実録」「類聚国史」つくったりとか
都良香や紀長谷雄や三善清行や宇多天皇と詩を交わしたり着物もらったりとか
パパの是善と友達の小野篁との間にちょこんと座ってたんじゃないか(一部映像に乱れがあります)とか
改めて思ったけど生涯ポエマーな人生だなあ…。
本殿は道真さんのお墓の上に作られているので
ここに挨拶すれば道真さんに挨拶したことになります。はわわわわ(感無量)。

ちなみにこの本殿、最初は醍醐天皇の命で藤原仲平(道真を左遷した時平の弟)が建てましたが
その後何度か焼けたり倒れたりしまして、
現在の本殿は筑前国主だった小早川隆景が再建した戦国時代期のものだとか。
なんだかとても整った形の建物なのは景様が細部まで手を抜かずに建てさせたからでしょうか、
毛利のブレーンすてきすぎる。

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本殿脇にある御神木・飛梅。
道真さんを追って京都から飛んできた梅が根をはり花を咲かせたという雅な伝承のある梅です。
(天満宮の社報のタイトルも「飛梅」だそうだ)
2月~3月には境内の梅の木とともにそれはそれは見事な花を咲かせるそうですね。
今は青々と若葉をつけていてやっぱり綺麗。

太宰府天満宮の境内には梅や桜などの木があり季節ごとに綺麗な花が咲くそうですが
花が終わって5月になると、今度は約80本ものクスの木が新緑の見頃を迎えます。
わたしが行ったときも目にも鮮やかな緑がそこらじゅうに見られました。
本殿そばのクスの樹は天然記念物に指定され樹齢は1500年以上と言われるとか。

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本殿にいた白い狛犬さん。白は神聖な色として神社では縁起がよいとされますね。

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軒下の欄間の透かし彫り、鯉に乗り蓮の花の池を行く道真さんの姿が。登竜門の故事かな。
そういえば心字池にも鯉が泳いでおりました。

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絵馬が風に吹かれてカラカラとよい音で鳴っておりました。
やっぱり受験生や就職活動生のお願い事が多かったですねえ。
こんなにいっぱいあって困惑しつつも若者の学業を応援する道真さんのお姿が目に見えるようだ。
(しかし国語はともかく英語とかわからなくてお困りだろうな…^^;
エイゴ?スウガク?なんだそれはと逆に参拝者に聞きたくてウズウズされてるかもしれない)

御利益は学業成就のほかに至誠・病気平癒・厄除けなど各種揃ってますよ。

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本殿の後ろにある菅公歴史館。
道真さんの人生が博多人形のジオラマで展示されていました。
全部で16場面、ひとつひとつのお人形さんの表情やポーズ、舞台セットにも感動。
道真が雨乞いをする場面で雨をテグスか何かで表現してたのはおそれいった。

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天満宮宝物殿。天満宮の歴史・文化や道真さんに関する資料が展示されていたり
道真さんの生涯を映像で上映していたりします。
(入口で真っ白な御牛さんが迎えてくれて撫でそうになった)

黒田長政が奉納した天神縁起絵巻(北野天満宮蔵の北野天神絵巻(土佐光信筆)の模写)は
ちょうど都に雷が落ちるシーンが開いてありまして、
雷神のポーズが俵屋宗達の雷神と完全に一致(笑)。
この頃から雷神といえばこのポーズなんですね。
狩野元信の「渡唐天神像」、中国の官服を着て梅の枝を持つ道真さんを描いたもので
室町時代には禅宗の僧侶たちの天神信仰からこうした天神像がたくさん描かれたそうですが、
これにくっついてる伝説がすごい。
「道真さんが一夜にして杭州の径山に飛んで行って禅の奥義を会得して飛んで帰国し、
京都の東福寺の開祖の枕元に立った姿を描きました」というもので
もう人間の域を超えててあかん。いや、神様だからいいのか。
他にも黒田家が奉納した鎧兜や、幕末の七卿落ちで福岡へやって来た三条実美が奉納した鎧や水杓、
道真所有と伝わる毛抜形太刀などがありました~。

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宝物殿の隣にあった黒田如水の井戸。
如水がここに庵を立てて住んでいたときに使ったそうです。
道真さんを近くに感じながら隠居生活とか数奇者ですな、如水さん。

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井戸のそば、蓮池の近くに九州国立博物館へのトンネルがあります。
入口脇には大伴旅人の歌碑も立っています。
「わか苑に梅の花散る久方の天(あめ)より雪の流れくるかも(万葉集巻五・八二二番)」

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中に入るとエスカレーターがあって、その先は動く歩道になっています。
歩道の中は7色の光に照らされどんどん色が変わります。レインボー!

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天満宮からものの5分で九州国立博物館に到着。
壁が一面ガラスです!
福岡市博物館もそうだったけど福岡の人はミュージアムにガラスの壁を使うのが好きなのかな。

目的は遣唐使関連の展示のある文化交流展示室です。
もっと細かく言うと展示室の「遣唐使船再現展示」部屋です(笑)。
もう~~~すっっっごく良かったですよ!
飛鳥~平安時代初期にかけて遣唐使たちが旅をした船の上の様子を展示室の中に再現してありまして、
床に船がペイントされ、壁には海がペイントされ、帆は立ってるわ波の音&海鳥の鳴き声BGMはするわ
何より遣唐使たちが持ち帰って来た舶来の品々がどっさり置かれていて
しかも触れるし香りも嗅げるという!
まさに「遣唐使船上」をリアルに感じられる展示方法で!
絹織物も貝匙も綿も生糸も香木も薬草も経典も遣唐使の衣装もガラスの盃もあって!
しかもご丁寧に唐櫃に収められた状態で雰囲気づくりもバッチシで!
あげくこれ全部さわれるっていう!!(大事なことなので2回言いました)
あああああああああああああああああああああああああああああ(夕陽の博多湾をダッシュ)
いかん学芸員さんグッジョブすぎる。
おかげでここだけで30分はいたわ!狭い展示室だし人もそんなにいなかったし、
ぜったい監視員のスタッフさんにこいつまだいるよとか思われてたと思うけど!
嬉しかったので勘弁してください。
あの展示室は九博の至宝ですわ、末永く続けていってもらいたい。
いやー今思い出しても幸せな空間です…遣唐使ばんざい。海を渡る男たちばんざい。大海原ばんざい。
(なんだかテンションがおかしいですがわたしにとってそれ程の展示だったということです。
もうあの部屋だけメリメリって引っこ抜いて展示品ごと持って帰ってうちに飾りたかった。
家に帰れば遣唐使船部屋が待ってるとかなにそのアツイ日々→以下自主規制)

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博物館西側に大伴旅人の歌碑がありました。
「ここにありて筑紫や何處白雲のたなびく山の方にしあるらし(万葉集巻四・五七四番)」

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博物館のガラス面にいるフクロウ。実はお人形さんだったりします。
ガラスに映った空を本物と間違えて野鳥がぶつかってくるのを避けるために置かれているとか。
2羽いますが、あえて場所は言いません。気になる方は探してみてください☆


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太宰府参道に戻って、喫茶「風見鶏」でお昼ごはん。
Twitterでフォロワーさんに教えてもらったのですが、とっても素敵なお店でした!
店内は大正ロマン漂うレトロな雰囲気で、店員さんもロングメイド服や着物+袴をお召しになって
お給仕してくださるたびにじーっと見つめそうになるのを堪えてチラ見していました。。
大きな古時計のチクタク音とか、オルゴールの音色とか、他のお客さんの話し声もするのに
しいん、とした雰囲気のとても居心地のいいお店だった…。
内装も小物もひどく懐かしくてあたたかさも感じました。
たまごサンドと紅茶をいただいたら、伝票の裏にタレーランの言葉とか書いてあって面白かった☆

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お腹がいっぱいになったので、今度はバスに乗って太宰府市内まで移動。
さいふまいりの道を歩きます。

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太宰府市役所前にある山上憶良の歌碑。
「春さればまづ咲く宿の梅の花獨見つつやはる日暮さむ(万葉集巻五・八一八番)」

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市役所から歩いて観世音寺へ。
開基は天智天皇で、創建当時は五重塔などもありかなりの大寺院だったようですが
現在は講堂や宝物館などわずかな建物が残るのみです。

ここはわたしの大好きな奈良時代の僧玄昉が別当として勤めたお寺なので
ずっと来たかったのですが
(彼が着任した翌年にお寺の伽藍が完成したので落慶法要も行っているらしい)、
境内から本堂を見たとたんに真っ先に思ったのが「奈良って遠いな!」でした。
玄昉は遣唐学問僧として唐へ渡ったこともある僧ですが、色々あって(ほんとに色々あって)
当時の都だった奈良から大宰府に左遷されてくるのですけども、
奈良からここまではあまりに遠すぎやしませんか…。
だって菅原道真が太宰権帥とされて京都を出発したのが901年の2月で、
宇佐の奉幣使藤原清貫が太宰府の道真の様子を視察して京都に戻って報告したのが同年7月ですから
少なくとも近畿~九州間の移動は数ヶ月はかかったわけよね。
玄昉はそれだけの距離を移動してきたのだと、この場所に立って初めてものすごく実感が湧いて
鳥肌がざわわわわ!って立って泣きそうになった。
玄ちゃんつらかったろうな、悔しかったろうな、でも弟子たちとの日々は楽しかったろうな…とか
頭の中でぐちゃぐちゃ考えました。
来て良かったです、来なかったら一生実感わかなかったと思う。

玄ちゃんの左遷から150年ほど後、道真さんが大宰府へ来るわけですけど
そのとき「都府楼はわずかに瓦の色を看る 観音寺はただ鐘の声を聴く」と詩を詠んでいますが
この観音寺は観世音寺のことですね。
大宰権帥という役職があったにも関わらず、道真さんは府の政庁にまったく出勤せず
左遷先の館(榎社)から一歩も出ることなく詩や歌を詠んでたのよね。
政庁内でも道真さんの配置についてずいぶん意見が出たらしく、
当時、大宰大弐だった小野葛絃や政庁職員たちが口々に
「おかしくね」「不当じゃね」「処遇も全然ふさわしくないと思いますけど」みたいな批判を
藤原清貫に訴えていたりします。
道真さん本人はもはやこれまで、みたいな感じで受け入れているようではあったそうですが…。

境内は観光客もあまりいなくて静かです。

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観世音寺の隣にある戒壇院。
唐僧鑑真が戒律を授けるために建てたものです。
境内には鑑真の供養塔があり、堂内には盧舎那仏像とともに鑑真像も納められています。

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観世音寺から少し歩いたところにひっそりとある、玄昉のお墓。
彼は745年に観世音寺に左遷されてきますが、亡くなったのは翌年です。
高齢だったせいもあるかもしれませんが、それにしても…。
周りの原っぱには菜の花が満開で、ボーっと佇んでいたら虫にさされました。

ちなみに道真さんの左遷はさっきも言いましたが901年で、亡くなったのは2年後の903年。
相当気落ちしていたとしか思えない…。

榎社にひきこもって毎日ミーミー泣いてる道真さんを左遷の先輩(?)の玄昉の幽霊が
「よしよし、わかるよ、おまえの気持ちスゲーわかるよめっちゃわかるよ」って
なぐさめてたらいいのに。(妄想です)
玄昉のお墓から道真の榎社まで歩いて15分くらいなんですよ…
玄ちゃん絶対道真さんに興味あると思うのよ…
道真さんがひきこもってるなら玄ちゃんが会いにいけばいいよ、ねえ(黙ろう)

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大宰府政庁跡地へ歩いていく途中、公民館前にあった山上憶良の歌碑です。
「瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ
いづくより来りしものそまなかひにもとなかかりて安眠しなさぬ(万葉集巻五・八〇二番)」
「銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも(万葉集巻五・八〇三番)」

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歌碑の隣には太宰府学校院跡地がありました。

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しばらく歩いて政庁跡前に到着~。
ここにも大伴旅人の歌碑がありました。
「やすみししわご大君の食国は倭も此処も同じとそ思ふ(万葉集巻六・九五六番)」

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大宰府政庁跡!
ここにかつて「遠の朝廷(とおのみかど)」と呼ばれた巨大な行政機関があったのですな…。
藤原広嗣、吉備真備、大伴旅人、小野老、小野岑守、小野葛絃、菅原道真、藤原伊周など
錚々たる人々が眺めたり仕事したりしてた景色ですね…。
今は磁石など遺構が残るばかりで建物は何もありません。

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正殿跡。

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正殿跡から南門跡方面を見てみました。遠い。

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政庁内にある小野老の歌碑。
「あをによし寧楽の京師は咲く花の 薫ふがごとく今さかりなり(万葉集巻三・三二八番)」
奈良から遠く離れた土地で迎えた春に、奈良の都を想って詠んだだけに切ない。

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大宰府展示館。
奈良時代の政庁の遺構や復元模型、博多人形で再現された梅花の宴の様子や食事なども見ることができます。
観世音寺の復元模型もあって泣きそうになりました。
南門も五重塔もあるよ…玄ちゃんが見たお寺はこんなに大きかったんですねえ。

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バスで太宰府駅に戻って、参道にあるかさの家さんで梅ヶ枝餅をゲット~。
太宰府に来たらこれ食べなくちゃね。
名前からてっきり梅の花や実が入ってるのかと思ってましたが、割ってみたらほかほかあんこが出てきました。
焼きたてでたいへんおいしゅうございました。

いやー歩いた歩いた、太宰府充しました!
電車やバスも使いましたが、やっぱり自分の足で歩くと距離感もわかるし
ご当地の風も感じるからいいね!
歩いて目的地にたどり着いたときの感慨がハンパじゃない。
奈良や京都からの距離を感じられたのが一番の収穫でした。新幹線だと気づかないけど、歩くと気づける。

この後は、陽も落ちてきたので電車に乗って博多駅へ戻りました。

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ホテルの近くで夕ごはん。
デザートにいただいたシフォンケーキが天使のやわらかさ。クリームもアイスも絶品でした!

次回記事では下関周辺と、そこで出くわした海峡まつりについてレポします☆
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