高野山・魔女・比叡山の旅その1。
高野山と比叡山に行ってきました!
高野山開創1200年大法会と、比叡山へのお参りが目的です。
まずは1日目、高野山レポ。
今年は弘法大師空海が密教の修行の場として高野山に伽藍の建立を始めてから
1200年目にあたる節目の年なので、4/2~5/21まで様々な法会が行われています。
全国各地からお坊さんや関係者が集まり、ふだんは非公開のお堂も御開帳されますので
混雑を承知のうえでお参りすることにしました\\ ٩( 'ω' )و //
夜行バスに揺られて行ったのですが、難波に到着する前に目が覚めてしまって
カーテンで仕切られているのをいいことに
母が持たせてくれた炊き込みご飯(採りたてタケノコ入り)のおにぎりを食べていましたら
南海なんば駅に着きました。

窓口で高野山・世界遺産きっぷを買って改札をくぐってこんなの見つけたときの
わたしの気持ちを想像してくださいよ。
不意打ちにも程があるだろ!思わず家族に写メ送ったわ!!
1200年公式キャラクターこうやくんとジバニャン大明神の貴重なツーショット。
(南海電鉄が妖怪ウォッチのキャラクターをプリントした特急を走らせているのだそうです)

南海電車のホームが高野山一色☆
現在、高野山霊宝館にて展示中の八大童子像のポスターが下がっていました。かっこいい。

お山の聖地へ連れて行ってくれる特急りんかん。1200年カラーだ!
わたしが乗ったのは黒で、ほかに赤と紫があるそうです。
橋本駅で急行に乗り換えて極楽橋駅に向かっていると、
春の遠足か何かでしょうか、帽子にジャージ姿の小学生たちが先生に引率されて
わーっと乗ってきたものですから車内がものすごくにぎやかに(;´∀`)。
おしゃべりが関西弁でしたから地元の小学校かもしれないなー。

極楽橋駅からケーブルカーに乗って高野山駅を目指します。
(運転手さんが輪袈裟をつけていたのが、なんか高野山って感じ)
車内はお参りやお遍路の人たちで激混みですが、めげずに颯爽と山の中を走るぜ。
あと、さっきの小学生たちは1本後に乗ったようでした。人数確認もあるしね。

ケーブルカーが動き出すと山の中にこんな看板が。
高野町はさらに上、海抜900mの盆地にあります。スカイツリーより高い。
以下、例によって異様に長いのでたたんであります↓クリックで開閉しますのでどうぞ☆

高野山駅に!着いた!!
うおおおずっとずっと来たかったんだめちゃめちゃうれしいっ夢じゃないっついに来たあああああひゃっほう(はしゃぎすぎ)
屋根の宝珠と、「高野山駅」の白い提灯と、こうやくんの姿がまぶしい!
駅舎は去年に改修工事を終えたばかりでピカピカです。

こうやくんマークのついた南海りんかんバスに乗っていきます。
とにかく駅に人が多くて臨時バスがじゃんじゃん出ていた。

バスに揺られて5分、最初の停留所である女人堂に着きました。
ご本尊は大日如来像で、脇侍は弁財天と役行者。
参拝者も少なくて静寂の中でのお参り。
高野山はつい150年前に女人禁制が解かれるまで女性の入山が禁止されていたために
こうした籠り堂が建てられ、女性たちが宿泊したり修行したり金剛峰寺を遥拝したそうです。
高野山には7つの登山道があり、女性が通る道は女人道と呼ばれて
女人堂もそれぞれ建っていたようですけど現存する建物はこちらのみ。
(ちなみに高野山に限らずそういうお寺は最近まで各地にあり女人堂もたくさん建ってたよ)

女人堂の隣に鎮座されている小杉明神。
江戸時代、亡くした子どもを弔うために高野山にやってきた小杉という女性が
入山できなかったのでお堂を建てて留まり、参詣する女性たちをお世話したそうです。
その小杉さんが女人堂の鎮守明神として祀られています。

女人堂の向かいにあるお竹地蔵。
夫の弔いに高野山へ来たお竹さんという人が、女人堂で参籠中に地蔵尊の夢を見て
こちらに供養したと伝わります。
女人堂の前には「高野山金剛峰寺」と文字が入った石造りの門構えがあって。
昔ここから先に行きたくても行けなかった人たちが大勢いて、わたしは行けるんだなあ、
いっぱい色んなもの見聞きしてこなくちゃと、門をくぐって歩き出しました。
女人堂から街中までは下り坂なので歩くのは特に困りません。
道沿いにお寺や宿坊が何軒も並んでいて、途中で徳川家霊台に寄って拝観しようとしたら。

ねねね猫ーーー!!うおおお!!!(本日2度目の不意打ち)
思わず駆け寄ってなでこなでこさせてもらいましたが全然動くことなく落ち着いていて
むしろもっとやって、と顎を差し出されるしまつ(笑)。
お寺の人が「館長さんやで。ここで一番偉いの」とおっしゃってて笑ってしまった(´∀`)。
ちなみに誰に対してもこんな猫ちゃんだそうだ…なんて器の広い高野山にゃんこさま。

そんなわけで霊台。徳川家康と秀忠をまつるために家光が建立しました。
元々は大徳院というお寺の境内で、お寺だけがなくなり今は霊台のみ残っているそうです。
扉は開いていませんが、外観の装飾だけでも見応えあります!
四神に龍虎、飛天、象などものすごい緻密な彫刻…極楽が彫られていた。
(あと家康は寅年生まれで秀忠は卯年生まれだから虎や兎の彫刻もあったよ)
帰りにもう一度、入口の眠ったままの猫ちゃんに挨拶してなでさせてもらって思い出したけど
家康をまつる日光東照宮には猫がいるんでした。眠り猫。

バス停のベンチ。こうやくんは仕事を選ばない。

なんやねんと思われるかもですが、高野山の交番です(笑)。
景観を損ねないためにこういう外観をしているそうです。
他にもカフェとかファミマとか、色んな建物がこんな感じに保護色つかってた。
(ちなみにファミマは今年できたばかりだそうです。
喉乾いてペットボトルだけ買いに入ったけど、ふつうに食べ物や事務用品、化粧品も売ってた。
ATMやコピー機もあって、おお、これで写経して徳を積みほうdうわ何をするやめ(ry
千手院橋交差点を過ぎて小田原通りをまっすぐ歩いて下り、
この日お世話になる宿坊へ荷物を預けて(実は女人堂からずっとキャリーバッグ引いてた)、
道を引き返しますと。

苅萱堂があります。
平安時代の僧侶・苅萱道心と子の石動丸が、訳あって親子と名乗り合わずに修行した場所で
ご本尊の地蔵菩薩像は彼らの手によるものと伝わります。
苅萱というのは、前にも書きましたけどお説教や浄瑠璃のタイトルで
現在も語られることが多いとか。

苅萱堂前のお店でちょっと一休み。高野山名物・笹巻あんぷをいただきました。
熊笹の葉のなかみはもっちりした生麩で、あんこが入っています。おいしい~☆
「あんぷ」の名前はあんこを麩で包んだことが由来とか。

金剛峰寺へ向かって歩いていく道にもお寺がいっぱい並んで、中にはこんなのも。
この狛犬とお坊さんのいる摩尼宝塔は日本でも数少ない八角形のお堂で、
ビルマ方面戦没者の供養塔でもあります。
発願者のご住職がビルマ(現ミャンマー)で戦争を経験されたらしい。
チャンテ君はカタカナなので読めますが、お坊さんの札の字が全然読めない。。
あと、お堂の近くの屋根で宮大工さんたちが何やら作業してた。

千手院橋交差点にある食堂「さんぼう」さんでランチ☆
大人気のお店ですぐに行列ができてしまうので早めに入りました。
山菜湯葉ごはんをいただきました。うどんもツルツルしこしこ、ご馳走様でした!

いたるところに高野槙(空海が花の代わりに仏前に供えたもの)が売っている。

総本山金剛峰寺~ついに!来ました!
橋の両脇のしだれ桜が満開でびっくり、四月下旬が見頃なんですって。

まさか桜と金剛峰寺のコラボが撮れるとは。。
今回は花や行事ではなく自分の都合に合わせて来たのですが、すごくいい時期だったと思う。
高野山の海抜を考えるとさもありなんとは思いますな…4月に雪が降る年もあるそうだ。

境内へ。
金剛峰寺は、元々は空海がつけた高野山の総称で
豊臣秀吉が母大政所の菩提をとむらうために建立したお寺が前身で
現在の建物は江戸時代に再建されたもの。
手前には大きな卒塔婆が立ち、金剛線という紐を介して中のご本尊とつながっています。

檜皮葺の屋根の上にある天水桶。
雨水をためておいて、火災のときには梯子で屋根に上りこの桶の水をまくのだそうです。
普段から色んな事を考えておくのは大変大切な事。
窓口で「高野山開創1200年参拝証」を買って(世界遺産きっぷに割引券がついてた)、
大法会中は大広間の持仏が16年ぶりの御開帳!安置されているのは弘法大師像です。
室内の襖は斎藤等室によると伝わりまして
金地に鶴の群れや松の絵が美麗なまま残っててものすごく感動して、
ほとんど日光に当たることなく過ごしてこられたお堂の年月を思うと胸がいっぱいになった。
肝心の本尊は大広間のさらに奥で、扉が開いてても暗くてよく見えませんでしたけど
金剛線が仏間から伸びていて、それを握って空海さんと縁を結べました。
他にも斎藤等室が梅の襖絵を描いた「梅の間」や
山本探斉が襖絵を描いた「柳の間」など、お部屋ごとに著名な絵師の手による作品が。
柳の間は豊臣秀吉の甥・秀次が自害した部屋なので秀次の間とも呼ばれるとか。
(金剛峰寺の近くの光台院には秀次のお墓もあるそうだ)
天井から壁までキンキラキンの書院上段の間(天皇のための応接間)が特に見応えがあって、
格天井の中ってふつうは絵が描いてあるものが多いんですけどここのは浮彫だった!
なにあのリアルな植物の彫刻の数々…。
空海の甥である真然さんをまつった廟が建物のもっとも奥にあって
ここが一番人が多かったけど一番静寂を感じた場所だったな…。
朝夕に僧侶の食事を作る土室(台所)もありまして、一応、煙突穴は天井にあって光も差してましたが
竈で火をおこしますので柱も梁もまっくろくろすけが出そうなくらいススで真っ黒だった。。
竈も食器も、2000人分のごはんを炊ける釜も、釜の上の三宝荒神(台所の神様)も
すべて和歌山県の文化財に指定されているそうです。

蟠龍庭。
左に雄龍・右に雌龍が雲海の中で向かい合う姿が表現されています。
お寺を守りますのポーズ\\٩( 'ω' )و //
石は、空海の出身地である四国の花崗岩だとか。

新別殿にてお茶の接待を受けました。
赤い絨毯の敷かれた広い部屋に大勢の参詣者が集まって、お坊さんの法話を聴きます。
わたしが行ったときは「ありがとう」の言葉を大切に、とのお話を聞くことができました。

金剛峰寺を後にして、壇上伽藍へ向かいます。
すぐ近くにある六時の鐘。福島正則が両親の供養のため1618年に建てました。
今も昼間の偶数時に鳴らしているそうです。

壇上伽藍へ続く蛇腹路。
東西に伸びている高野山の町を、空海が「東西に龍の臥せるがごとく」と形容したことから
「龍」の頭は壇上伽藍で尾は金剛峯寺の蓮花院の辺りとされ、
この道は龍のお腹の部分にあたることから蛇腹路と呼ばれるそうです。
紅もみじと青もみじがきれいだった。

壇上伽藍に着きました。東塔です!
高野山に入ってきた空海が密教の道場として真っ先に整備したのが壇上伽藍です。
金堂を中心に塔をたくさん建てるという壮大な計画で、
なんだか東寺講堂の立体曼荼羅を思わせるといいますか、3次元を追求した人だな…などと。
2次元に満足しない男・空海。

愛染堂の前に、西行が植えたと伝わる桜があります。
空海さんも全国あっちこっち行ってるイメージですが、西行もほんとよく各地行くよね…。
現在の桜は、当時のものではなく新しい花だそうです。

根本大塔☆空海が密教の根本道場としたことが名前の由来です。
かなりの巨大建造物のため完成したのは空海の死後だそうだ。
内陣には胎蔵界曼荼羅の大日如来座像(キラッキラ!)が鎮座され、
周囲の柱には堂本印象氏による極彩色の十六菩薩が描かれ立体曼荼羅を表しています。
えっ今わたし曼荼羅の世界にいる…!?ってテンションが登竜門を登る鯉のようにアップ↑
手前の柱に描かれた金剛愛菩薩さんが弓を持っているのは恋愛を叶えるためで
つまりキューピッドみたいなものです、と
団体さんにガイドさんが説明しておられてへええって思った。
(ちなみに金剛愛菩薩が怒ると愛染明王になるそうです)

真っ白できれいな大塔の鐘。高野四郎とも呼ばれます。
年末のゆく年くる年でテレビに映るのはこの鐘。

三鈷の松。
空海が唐での修行を終えたときに「密教を日本で広めるのにふさわしい場所へ飛んで行け」と
港から三鈷杵(密教の法具)を東の空に向けて投げて帰国すると、
この松の木で杵を見つけたことからそう呼ばれています。
松の葉は基本的に2本なのですが、三鈷の松は3本あるという珍しい松なので
お参りの人たちが根元に落ちていないか探していました。
わたしも探しましたが見つからなかった…話しかけてくださった尼さんによると
「今は1日6000~7000人も来るからほとんど残ってないですね~。
雨の日や台風の後にはよく落ちていますよ」と教えてくれました。いいこと聞いたー!
旅行するならできればお天気の日がいいと思ってましたけど、
高野山は雨や台風の後に松が拾えますよみなさん!(笑)

西塔。
根本大塔とは違って白木造ですが、大塔と対になっている建物だそうです。
近くに大きな切株があって芽が出ていました。この塔を建てるために使われたそうな。

御社。土地神様で高野山の守護神です。
空海は高野山を開くとき、もともと住んでいた神様に土地をくださいとお願いをしまして
それが丹生都比売明神(天照大神の妹)と狩場明神(丹生都比売の子)です。
この御社はそのお二柱を勧請したもの。
高野山で修行をした人は四度加行の後、晴れてお坊さんになったら護摩札を作って
丹生都比売明神にお参りするのが慣例になっているそうです。

境内をぐるぐる回ってやっと伽藍のメイン建物・金堂に着きました。
大法会の期間中はご本尊(秘仏!)の薬師如来坐像が御開帳されていて
入口で手に塗香をつけてからお参りいたします。
堂内はとても広く天井も高く、ご本尊まで結構距離があるので目を一生懸命こらして拝観。
真っ白な体に金の光背を背負った美しいお姿でござった…。
脇侍は普賢延命菩薩像、降三世明王像、金剛王菩薩像、金剛薩タ像、虚空蔵菩薩像、不動明王像で
ご本尊が白なのに対し脇侍はどなたもカラフルで見応えがありました。
薬師如来像は当時78歳だった高村光雲の制作で、氏は年齢を理由に一度断られたそうですが
お坊さんたちから「彫刻を終るまでは高野山で祈祷をしてお前を死なせない」と
たいへん頼もしい申し出があったとかで(笑)お引き受けになったそうです。
ほかにも灌頂を受けたり高野山の桧材を使うことなど条件がいくつかあったようですが
ご本人の意気込みと御祈祷の甲斐あってか1931年に無事完成、翌年に安置されています。
高村氏が亡くなったのはその2年後(享年82歳)ですからほんとにギリギリだったね…。

金堂の前の卒塔婆。今回の大法会のために立てられたもの。

卒塔婆には金剛線が下がっていて、さっきの金剛峰寺の弘法大師像と同じく
この線を握ることでご縁が結べます。
よく見たら五色(青(緑)・赤・黄・白・黒)なんですねえ。
せっかくなのでぎゅっと握って拝んできました。仏様との握手。

金堂と中門の間にある対面桜。
落雷で焼失した根本大塔を平清盛が建て直したとき、ここに空海が現れて
「次は厳島神社を直してあげてね☆」と勧めたのだとか。
空海さんグッジョブ!お蔭で厳島神社は当時のハイテク死ぬほど積んだから現代も健在だ!
清盛は金堂に納めるための曼荼羅(清盛本人の血を混ぜた絵の具を使った)も寄進してるし、
何かと高野山には縁がありますね。

中門。伽藍の正門にあたります。
1200年大法会に合わせて172年ぶりに再建されたばかり、すべて高野檜による門です。
朱色がまぶしい!
また、門には四天王像が安置されていますが
こちらも毘沙門天・多聞天だけだったのを新たに広目天・増長天が制作されて
めでたく四人揃ったとのことでした。

蓮池の善女龍王祠。
こんな風に朱色の橋がかかっている眺めは大好き。

町石1番石。
町石は、根本大塔への道標として1町(約109メートル)ごとに置かれる石柱で
麓の慈尊院から大塔まで180基、大塔から奥の院まで36基あって
1番ですのでここが目的地ということになります。
昔は参拝者がひとつひとつに手を合わせながら参詣したそうです。

高野山大学へ向かって歩いていたらこんな石像が。気持ちよさそうに眠ってます(´∀`)。

高野山開創1200年参拝センター。

センターの入口にいた石のこうやくん。

出版社もあった。

高野山大学のキャンパスに入って奥の方にある図書館です!
石造りのとても立派な建物で、重要文化財にも指定されているのでぜひ見学したかったけど
GW中は休館ということで扉が閉まっていました。
残念~次は絶対に開いてる日に来よう。

歩いて塔頭寺院の金剛三昧院に。
北条政子が夫・源頼朝の菩提をとむらうために建てたお寺です。
左奥の本堂には運慶作の愛染明王像が安置されていて、
頼朝の等身大だそうで…なんというか、かわいらしいサイズだった^^

経蔵。経典や版木などを保管するための建物です。
この中には経典高野版や金剛三昧院の版木が500枚以上保管されているとか。
建てられたのは鎌倉時代。おお、鎌倉アーカイブセンター!(笑)

境内の天然記念物・石楠花と一緒に多宝塔をパチリ。
多宝塔(国宝)は、大法会期間中は運慶作の五智如来像(重要文化財)を公開しています。
石楠花は5月が見頃だそうで、わたしが訪れたときは咲き始めでしたので
たぶん今頃は綺麗に咲いてるだろうなあ。

歩いて高野山高校へ。
おお…ここがかつて夢にまで見し(見てない)有洙川空汰くんの母校!
『X』を読み始めた頃は彼より年下だったのに、いつの間にか年上になってしまったな…。
校庭では野球部の子たちがトレーニング中で、「こんにちはー!」って挨拶してくれました。
(今回お参りした場所が出てないかなーと、帰宅してXの5巻の特別篇読んだら
空ちゃんのじっちゃんの家がやたら広くてびっくりしました。どこの宿坊だー。
それとも金剛峰寺に住んでるんかな…空海に匹敵する力持ってるしな空ちゃん…)

バスに乗って大門へ。
高さ21m、東大寺の南大門に次ぐ大きさ!
仁王像が安置されているため仁王門とも呼ばれ、左の吽形像は運長、阿形像は康意の作。
昔々のお坊さんになりたい人はまずこの門で問答をして負けると追放されたらしく、
今もお坊さんたちは絶対にこの門をくぐらないそうです。
この門が正式な入口なので、本当は一番最初に来なくちゃいけない場所なのですが
今回はどうしても女人堂から入りたかったの^^;
なので門の右側をくぐって(真ん中は仏様の通る道)ピョンと向こう側へ出て
「高野山へin!」の気分だけ味わってみました。
下からひたすらお山を登って登って、やっと辿り着いた昔の人たちホッとしたろうな…。
この門から山を越えていくとさっきの女人堂に着きます。

大門から道を下っていくとお助け地蔵尊があります。
別名「一言地蔵」「一願地蔵」と呼ばれ、ひとつだけ願い事を叶えてくれるお地蔵様です。
この祠の横からも高野山女人道が伸びていた。

お助け地蔵からの眺め!青い空白い雲、いい天気で本当に良かった。
大門に戻る途中で「エクスキューズミー」と外国からの参拝者さんに道を聞かれたのですが
少し日本語わかる方たちだったようで身振りや指さしで何とかお伝えすることができました。
無事に目的地にたどり着けたといいのですが。。
ゆさは豆腐メンタルのため国内の人に道聞かれてもしどろもどろになること多くて
もうちょっとスマートに道案内できようになりたい…orz
高野山は外国からの参拝者さんも年々増えているようで、わたしもかなりお見かけしましたが
パンフレットとか数カ国語で作られてるんですね。
お店のメニューの精進料理も「Japanese vegetable lunch」という表記でおおなるほどってなりました。

バスで霊宝館に戻ってきました。ここも青もみじ赤もみじがきれい。

大法会期間中は夜の8時まで開館していますよ~以上、こうやくんからのアナウンスでした。
館内では「高野山三大秘宝」「御社の奉納品」ほか運慶・快慶の仏像などが特別公開中。
仏像のコーナーがやっぱり一番テンションあがりましたー!
大日如来、薬師如来、不動明王、阿弥陀如来、もうどの御方もパワーすごすぎるし
快慶の孔雀明王像や四天王立像、運慶の八大童子像もサントリー美術館の展示以来で
相変わらず頭のてっぺんから爪先まで迫力…!!
空海の持ち物で有名な諸尊仏龕とももう何度目の再会かなあ、
聾瞽指帰も久々の再会で相変わらず弓なりだなって思ったし、
金銅三鈷杵は唐から空海が投げたら空と海を越えてさっきの三鈷の松に引っ掛かった現物で
一部が欠けているのは遠くから飛んできた勲章のようで「がんばったね」って声かけたくなった。
あと空海が狩場明神や丹生明神と一緒に描かれている掛軸が多くて
これらは壇上伽藍の御社へ奉納された絵だそうです。

だいぶ暗くなってきたので宿坊へ帰ってチェックイン。
案内の小僧さんが「今日はお泊りが少ないのでグレードアップしてあります」とニッコリされて
通された2階のお部屋はとっても見晴らしがよかったです☆
お部屋の床の間にこんな絵が掛かっていました。未年、メエェ@(・ω・)@

夕食、お待ちかねの精進料理。小僧さんが部屋まで運んできてくださいます。
ごま豆腐、天ぷら、お吸い物、山菜のおひたし、湯葉の刺身、たけのこ、
野菜の煮物と高野豆腐、野菜グラタン、みかん、みろく石。
すごいこんな量食べたことない…!
話には聞いていましたけど、牛や豚どころか鶏も魚もネギ系も見事なまでに見当たらなくて
タンパク質どうやって摂るんだろうと思ったけど、お豆腐とお味噌でしょうか…。
(ちなみに左手前がわたしの御膳で、奥がご先祖様の御膳ですって)
精進料理の基本は以下のとおりだそうです↓
五味:醤油・酢・塩・砂糖・辛み
五法:生のまま・煮る・焼く・揚げる・蒸す
五色:赤・緑・黒・黄・白
手間暇かかってるよな…と思うととても残す気になれなくて、
時間はかかりましたが残さず全部いただきました。おいしかった☆
夜はあちこちのお寺がライトアップされると聞いたので、宿坊の門限を聞いて外出しまして
金剛峰寺にやって来ましたら。

うおーきれい!

蛇腹路もこのとおり。

根本大塔と、

高野四郎うつくしすぎるだろ…!

金堂は厳かな雰囲気。

中門。

善女龍王祠もきれい。

霊宝館。
8時前でしたがまだ鑑賞者さんがいらっしゃいました。ゆっくり見られたかな。
たっぷり堪能したので宿坊に戻ってお風呂に入り、
部屋のテレビをつけたらちょうどヤメゴクが始まってました。
麦ちゃんほんとかっこいいよな…。
櫻井氏の脚本だからハッピーエンドな話じゃなかったけど
(『相棒』を書いても社会派うつエンドが多い脚本家さんよね)、
堤幸彦氏がいい具合にユーモアを混ぜててうまいなあと思う。
あと、ゆるキャラ「やメーたん」がかわいすぎるのでカタギの人間にもください。
次回記事では空海が今も修行しているという奥の院をレポします!wktk
高野山開創1200年大法会と、比叡山へのお参りが目的です。
まずは1日目、高野山レポ。
今年は弘法大師空海が密教の修行の場として高野山に伽藍の建立を始めてから
1200年目にあたる節目の年なので、4/2~5/21まで様々な法会が行われています。
全国各地からお坊さんや関係者が集まり、ふだんは非公開のお堂も御開帳されますので
混雑を承知のうえでお参りすることにしました\\ ٩( 'ω' )و //
夜行バスに揺られて行ったのですが、難波に到着する前に目が覚めてしまって
カーテンで仕切られているのをいいことに
母が持たせてくれた炊き込みご飯(採りたてタケノコ入り)のおにぎりを食べていましたら
南海なんば駅に着きました。

窓口で高野山・世界遺産きっぷを買って改札をくぐってこんなの見つけたときの
わたしの気持ちを想像してくださいよ。
不意打ちにも程があるだろ!思わず家族に写メ送ったわ!!
1200年公式キャラクターこうやくんとジバニャン大明神の貴重なツーショット。
(南海電鉄が妖怪ウォッチのキャラクターをプリントした特急を走らせているのだそうです)

南海電車のホームが高野山一色☆
現在、高野山霊宝館にて展示中の八大童子像のポスターが下がっていました。かっこいい。

お山の聖地へ連れて行ってくれる特急りんかん。1200年カラーだ!
わたしが乗ったのは黒で、ほかに赤と紫があるそうです。
橋本駅で急行に乗り換えて極楽橋駅に向かっていると、
春の遠足か何かでしょうか、帽子にジャージ姿の小学生たちが先生に引率されて
わーっと乗ってきたものですから車内がものすごくにぎやかに(;´∀`)。
おしゃべりが関西弁でしたから地元の小学校かもしれないなー。

極楽橋駅からケーブルカーに乗って高野山駅を目指します。
(運転手さんが輪袈裟をつけていたのが、なんか高野山って感じ)
車内はお参りやお遍路の人たちで激混みですが、めげずに颯爽と山の中を走るぜ。
あと、さっきの小学生たちは1本後に乗ったようでした。人数確認もあるしね。

ケーブルカーが動き出すと山の中にこんな看板が。
高野町はさらに上、海抜900mの盆地にあります。スカイツリーより高い。
以下、例によって異様に長いのでたたんであります↓クリックで開閉しますのでどうぞ☆

高野山駅に!着いた!!
うおおおずっとずっと来たかったんだめちゃめちゃうれしいっ夢じゃないっついに来たあああああひゃっほう(はしゃぎすぎ)
屋根の宝珠と、「高野山駅」の白い提灯と、こうやくんの姿がまぶしい!
駅舎は去年に改修工事を終えたばかりでピカピカです。

こうやくんマークのついた南海りんかんバスに乗っていきます。
とにかく駅に人が多くて臨時バスがじゃんじゃん出ていた。

バスに揺られて5分、最初の停留所である女人堂に着きました。
ご本尊は大日如来像で、脇侍は弁財天と役行者。
参拝者も少なくて静寂の中でのお参り。
高野山はつい150年前に女人禁制が解かれるまで女性の入山が禁止されていたために
こうした籠り堂が建てられ、女性たちが宿泊したり修行したり金剛峰寺を遥拝したそうです。
高野山には7つの登山道があり、女性が通る道は女人道と呼ばれて
女人堂もそれぞれ建っていたようですけど現存する建物はこちらのみ。
(ちなみに高野山に限らずそういうお寺は最近まで各地にあり女人堂もたくさん建ってたよ)

女人堂の隣に鎮座されている小杉明神。
江戸時代、亡くした子どもを弔うために高野山にやってきた小杉という女性が
入山できなかったのでお堂を建てて留まり、参詣する女性たちをお世話したそうです。
その小杉さんが女人堂の鎮守明神として祀られています。

女人堂の向かいにあるお竹地蔵。
夫の弔いに高野山へ来たお竹さんという人が、女人堂で参籠中に地蔵尊の夢を見て
こちらに供養したと伝わります。
女人堂の前には「高野山金剛峰寺」と文字が入った石造りの門構えがあって。
昔ここから先に行きたくても行けなかった人たちが大勢いて、わたしは行けるんだなあ、
いっぱい色んなもの見聞きしてこなくちゃと、門をくぐって歩き出しました。
女人堂から街中までは下り坂なので歩くのは特に困りません。
道沿いにお寺や宿坊が何軒も並んでいて、途中で徳川家霊台に寄って拝観しようとしたら。

ねねね猫ーーー!!うおおお!!!(本日2度目の不意打ち)
思わず駆け寄ってなでこなでこさせてもらいましたが全然動くことなく落ち着いていて
むしろもっとやって、と顎を差し出されるしまつ(笑)。
お寺の人が「館長さんやで。ここで一番偉いの」とおっしゃってて笑ってしまった(´∀`)。
ちなみに誰に対してもこんな猫ちゃんだそうだ…なんて器の広い高野山にゃんこさま。

そんなわけで霊台。徳川家康と秀忠をまつるために家光が建立しました。
元々は大徳院というお寺の境内で、お寺だけがなくなり今は霊台のみ残っているそうです。
扉は開いていませんが、外観の装飾だけでも見応えあります!
四神に龍虎、飛天、象などものすごい緻密な彫刻…極楽が彫られていた。
(あと家康は寅年生まれで秀忠は卯年生まれだから虎や兎の彫刻もあったよ)
帰りにもう一度、入口の眠ったままの猫ちゃんに挨拶してなでさせてもらって思い出したけど
家康をまつる日光東照宮には猫がいるんでした。眠り猫。

バス停のベンチ。こうやくんは仕事を選ばない。

なんやねんと思われるかもですが、高野山の交番です(笑)。
景観を損ねないためにこういう外観をしているそうです。
他にもカフェとかファミマとか、色んな建物がこんな感じに保護色つかってた。
(ちなみにファミマは今年できたばかりだそうです。
喉乾いてペットボトルだけ買いに入ったけど、ふつうに食べ物や事務用品、化粧品も売ってた。
ATMやコピー機もあって、おお、これで写経して徳を積みほうdうわ何をするやめ(ry
千手院橋交差点を過ぎて小田原通りをまっすぐ歩いて下り、
この日お世話になる宿坊へ荷物を預けて(実は女人堂からずっとキャリーバッグ引いてた)、
道を引き返しますと。

苅萱堂があります。
平安時代の僧侶・苅萱道心と子の石動丸が、訳あって親子と名乗り合わずに修行した場所で
ご本尊の地蔵菩薩像は彼らの手によるものと伝わります。
苅萱というのは、前にも書きましたけどお説教や浄瑠璃のタイトルで
現在も語られることが多いとか。

苅萱堂前のお店でちょっと一休み。高野山名物・笹巻あんぷをいただきました。
熊笹の葉のなかみはもっちりした生麩で、あんこが入っています。おいしい~☆
「あんぷ」の名前はあんこを麩で包んだことが由来とか。

金剛峰寺へ向かって歩いていく道にもお寺がいっぱい並んで、中にはこんなのも。
この狛犬とお坊さんのいる摩尼宝塔は日本でも数少ない八角形のお堂で、
ビルマ方面戦没者の供養塔でもあります。
発願者のご住職がビルマ(現ミャンマー)で戦争を経験されたらしい。
チャンテ君はカタカナなので読めますが、お坊さんの札の字が全然読めない。。
あと、お堂の近くの屋根で宮大工さんたちが何やら作業してた。

千手院橋交差点にある食堂「さんぼう」さんでランチ☆
大人気のお店ですぐに行列ができてしまうので早めに入りました。
山菜湯葉ごはんをいただきました。うどんもツルツルしこしこ、ご馳走様でした!

いたるところに高野槙(空海が花の代わりに仏前に供えたもの)が売っている。

総本山金剛峰寺~ついに!来ました!
橋の両脇のしだれ桜が満開でびっくり、四月下旬が見頃なんですって。

まさか桜と金剛峰寺のコラボが撮れるとは。。
今回は花や行事ではなく自分の都合に合わせて来たのですが、すごくいい時期だったと思う。
高野山の海抜を考えるとさもありなんとは思いますな…4月に雪が降る年もあるそうだ。

境内へ。
金剛峰寺は、元々は空海がつけた高野山の総称で
豊臣秀吉が母大政所の菩提をとむらうために建立したお寺が前身で
現在の建物は江戸時代に再建されたもの。
手前には大きな卒塔婆が立ち、金剛線という紐を介して中のご本尊とつながっています。

檜皮葺の屋根の上にある天水桶。
雨水をためておいて、火災のときには梯子で屋根に上りこの桶の水をまくのだそうです。
普段から色んな事を考えておくのは大変大切な事。
窓口で「高野山開創1200年参拝証」を買って(世界遺産きっぷに割引券がついてた)、
大法会中は大広間の持仏が16年ぶりの御開帳!安置されているのは弘法大師像です。
室内の襖は斎藤等室によると伝わりまして
金地に鶴の群れや松の絵が美麗なまま残っててものすごく感動して、
ほとんど日光に当たることなく過ごしてこられたお堂の年月を思うと胸がいっぱいになった。
肝心の本尊は大広間のさらに奥で、扉が開いてても暗くてよく見えませんでしたけど
金剛線が仏間から伸びていて、それを握って空海さんと縁を結べました。
他にも斎藤等室が梅の襖絵を描いた「梅の間」や
山本探斉が襖絵を描いた「柳の間」など、お部屋ごとに著名な絵師の手による作品が。
柳の間は豊臣秀吉の甥・秀次が自害した部屋なので秀次の間とも呼ばれるとか。
(金剛峰寺の近くの光台院には秀次のお墓もあるそうだ)
天井から壁までキンキラキンの書院上段の間(天皇のための応接間)が特に見応えがあって、
格天井の中ってふつうは絵が描いてあるものが多いんですけどここのは浮彫だった!
なにあのリアルな植物の彫刻の数々…。
空海の甥である真然さんをまつった廟が建物のもっとも奥にあって
ここが一番人が多かったけど一番静寂を感じた場所だったな…。
朝夕に僧侶の食事を作る土室(台所)もありまして、一応、煙突穴は天井にあって光も差してましたが
竈で火をおこしますので柱も梁もまっくろくろすけが出そうなくらいススで真っ黒だった。。
竈も食器も、2000人分のごはんを炊ける釜も、釜の上の三宝荒神(台所の神様)も
すべて和歌山県の文化財に指定されているそうです。

蟠龍庭。
左に雄龍・右に雌龍が雲海の中で向かい合う姿が表現されています。
お寺を守りますのポーズ\\٩( 'ω' )و //
石は、空海の出身地である四国の花崗岩だとか。

新別殿にてお茶の接待を受けました。
赤い絨毯の敷かれた広い部屋に大勢の参詣者が集まって、お坊さんの法話を聴きます。
わたしが行ったときは「ありがとう」の言葉を大切に、とのお話を聞くことができました。

金剛峰寺を後にして、壇上伽藍へ向かいます。
すぐ近くにある六時の鐘。福島正則が両親の供養のため1618年に建てました。
今も昼間の偶数時に鳴らしているそうです。

壇上伽藍へ続く蛇腹路。
東西に伸びている高野山の町を、空海が「東西に龍の臥せるがごとく」と形容したことから
「龍」の頭は壇上伽藍で尾は金剛峯寺の蓮花院の辺りとされ、
この道は龍のお腹の部分にあたることから蛇腹路と呼ばれるそうです。
紅もみじと青もみじがきれいだった。

壇上伽藍に着きました。東塔です!
高野山に入ってきた空海が密教の道場として真っ先に整備したのが壇上伽藍です。
金堂を中心に塔をたくさん建てるという壮大な計画で、
なんだか東寺講堂の立体曼荼羅を思わせるといいますか、3次元を追求した人だな…などと。
2次元に満足しない男・空海。

愛染堂の前に、西行が植えたと伝わる桜があります。
空海さんも全国あっちこっち行ってるイメージですが、西行もほんとよく各地行くよね…。
現在の桜は、当時のものではなく新しい花だそうです。

根本大塔☆空海が密教の根本道場としたことが名前の由来です。
かなりの巨大建造物のため完成したのは空海の死後だそうだ。
内陣には胎蔵界曼荼羅の大日如来座像(キラッキラ!)が鎮座され、
周囲の柱には堂本印象氏による極彩色の十六菩薩が描かれ立体曼荼羅を表しています。
えっ今わたし曼荼羅の世界にいる…!?ってテンションが登竜門を登る鯉のようにアップ↑
手前の柱に描かれた金剛愛菩薩さんが弓を持っているのは恋愛を叶えるためで
つまりキューピッドみたいなものです、と
団体さんにガイドさんが説明しておられてへええって思った。
(ちなみに金剛愛菩薩が怒ると愛染明王になるそうです)

真っ白できれいな大塔の鐘。高野四郎とも呼ばれます。
年末のゆく年くる年でテレビに映るのはこの鐘。

三鈷の松。
空海が唐での修行を終えたときに「密教を日本で広めるのにふさわしい場所へ飛んで行け」と
港から三鈷杵(密教の法具)を東の空に向けて投げて帰国すると、
この松の木で杵を見つけたことからそう呼ばれています。
松の葉は基本的に2本なのですが、三鈷の松は3本あるという珍しい松なので
お参りの人たちが根元に落ちていないか探していました。
わたしも探しましたが見つからなかった…話しかけてくださった尼さんによると
「今は1日6000~7000人も来るからほとんど残ってないですね~。
雨の日や台風の後にはよく落ちていますよ」と教えてくれました。いいこと聞いたー!
旅行するならできればお天気の日がいいと思ってましたけど、
高野山は雨や台風の後に松が拾えますよみなさん!(笑)

西塔。
根本大塔とは違って白木造ですが、大塔と対になっている建物だそうです。
近くに大きな切株があって芽が出ていました。この塔を建てるために使われたそうな。

御社。土地神様で高野山の守護神です。
空海は高野山を開くとき、もともと住んでいた神様に土地をくださいとお願いをしまして
それが丹生都比売明神(天照大神の妹)と狩場明神(丹生都比売の子)です。
この御社はそのお二柱を勧請したもの。
高野山で修行をした人は四度加行の後、晴れてお坊さんになったら護摩札を作って
丹生都比売明神にお参りするのが慣例になっているそうです。

境内をぐるぐる回ってやっと伽藍のメイン建物・金堂に着きました。
大法会の期間中はご本尊(秘仏!)の薬師如来坐像が御開帳されていて
入口で手に塗香をつけてからお参りいたします。
堂内はとても広く天井も高く、ご本尊まで結構距離があるので目を一生懸命こらして拝観。
真っ白な体に金の光背を背負った美しいお姿でござった…。
脇侍は普賢延命菩薩像、降三世明王像、金剛王菩薩像、金剛薩タ像、虚空蔵菩薩像、不動明王像で
ご本尊が白なのに対し脇侍はどなたもカラフルで見応えがありました。
薬師如来像は当時78歳だった高村光雲の制作で、氏は年齢を理由に一度断られたそうですが
お坊さんたちから「彫刻を終るまでは高野山で祈祷をしてお前を死なせない」と
たいへん頼もしい申し出があったとかで(笑)お引き受けになったそうです。
ほかにも灌頂を受けたり高野山の桧材を使うことなど条件がいくつかあったようですが
ご本人の意気込みと御祈祷の甲斐あってか1931年に無事完成、翌年に安置されています。
高村氏が亡くなったのはその2年後(享年82歳)ですからほんとにギリギリだったね…。

金堂の前の卒塔婆。今回の大法会のために立てられたもの。

卒塔婆には金剛線が下がっていて、さっきの金剛峰寺の弘法大師像と同じく
この線を握ることでご縁が結べます。
よく見たら五色(青(緑)・赤・黄・白・黒)なんですねえ。
せっかくなのでぎゅっと握って拝んできました。仏様との握手。

金堂と中門の間にある対面桜。
落雷で焼失した根本大塔を平清盛が建て直したとき、ここに空海が現れて
「次は厳島神社を直してあげてね☆」と勧めたのだとか。
空海さんグッジョブ!お蔭で厳島神社は当時のハイテク死ぬほど積んだから現代も健在だ!
清盛は金堂に納めるための曼荼羅(清盛本人の血を混ぜた絵の具を使った)も寄進してるし、
何かと高野山には縁がありますね。

中門。伽藍の正門にあたります。
1200年大法会に合わせて172年ぶりに再建されたばかり、すべて高野檜による門です。
朱色がまぶしい!
また、門には四天王像が安置されていますが
こちらも毘沙門天・多聞天だけだったのを新たに広目天・増長天が制作されて
めでたく四人揃ったとのことでした。

蓮池の善女龍王祠。
こんな風に朱色の橋がかかっている眺めは大好き。

町石1番石。
町石は、根本大塔への道標として1町(約109メートル)ごとに置かれる石柱で
麓の慈尊院から大塔まで180基、大塔から奥の院まで36基あって
1番ですのでここが目的地ということになります。
昔は参拝者がひとつひとつに手を合わせながら参詣したそうです。

高野山大学へ向かって歩いていたらこんな石像が。気持ちよさそうに眠ってます(´∀`)。

高野山開創1200年参拝センター。

センターの入口にいた石のこうやくん。

出版社もあった。

高野山大学のキャンパスに入って奥の方にある図書館です!
石造りのとても立派な建物で、重要文化財にも指定されているのでぜひ見学したかったけど
GW中は休館ということで扉が閉まっていました。
残念~次は絶対に開いてる日に来よう。

歩いて塔頭寺院の金剛三昧院に。
北条政子が夫・源頼朝の菩提をとむらうために建てたお寺です。
左奥の本堂には運慶作の愛染明王像が安置されていて、
頼朝の等身大だそうで…なんというか、かわいらしいサイズだった^^

経蔵。経典や版木などを保管するための建物です。
この中には経典高野版や金剛三昧院の版木が500枚以上保管されているとか。
建てられたのは鎌倉時代。おお、鎌倉アーカイブセンター!(笑)

境内の天然記念物・石楠花と一緒に多宝塔をパチリ。
多宝塔(国宝)は、大法会期間中は運慶作の五智如来像(重要文化財)を公開しています。
石楠花は5月が見頃だそうで、わたしが訪れたときは咲き始めでしたので
たぶん今頃は綺麗に咲いてるだろうなあ。

歩いて高野山高校へ。
おお…ここがかつて夢にまで見し(見てない)有洙川空汰くんの母校!
『X』を読み始めた頃は彼より年下だったのに、いつの間にか年上になってしまったな…。
校庭では野球部の子たちがトレーニング中で、「こんにちはー!」って挨拶してくれました。
(今回お参りした場所が出てないかなーと、帰宅してXの5巻の特別篇読んだら
空ちゃんのじっちゃんの家がやたら広くてびっくりしました。どこの宿坊だー。
それとも金剛峰寺に住んでるんかな…空海に匹敵する力持ってるしな空ちゃん…)

バスに乗って大門へ。
高さ21m、東大寺の南大門に次ぐ大きさ!
仁王像が安置されているため仁王門とも呼ばれ、左の吽形像は運長、阿形像は康意の作。
昔々のお坊さんになりたい人はまずこの門で問答をして負けると追放されたらしく、
今もお坊さんたちは絶対にこの門をくぐらないそうです。
この門が正式な入口なので、本当は一番最初に来なくちゃいけない場所なのですが
今回はどうしても女人堂から入りたかったの^^;
なので門の右側をくぐって(真ん中は仏様の通る道)ピョンと向こう側へ出て
「高野山へin!」の気分だけ味わってみました。
下からひたすらお山を登って登って、やっと辿り着いた昔の人たちホッとしたろうな…。
この門から山を越えていくとさっきの女人堂に着きます。

大門から道を下っていくとお助け地蔵尊があります。
別名「一言地蔵」「一願地蔵」と呼ばれ、ひとつだけ願い事を叶えてくれるお地蔵様です。
この祠の横からも高野山女人道が伸びていた。

お助け地蔵からの眺め!青い空白い雲、いい天気で本当に良かった。
大門に戻る途中で「エクスキューズミー」と外国からの参拝者さんに道を聞かれたのですが
少し日本語わかる方たちだったようで身振りや指さしで何とかお伝えすることができました。
無事に目的地にたどり着けたといいのですが。。
ゆさは豆腐メンタルのため国内の人に道聞かれてもしどろもどろになること多くて
もうちょっとスマートに道案内できようになりたい…orz
高野山は外国からの参拝者さんも年々増えているようで、わたしもかなりお見かけしましたが
パンフレットとか数カ国語で作られてるんですね。
お店のメニューの精進料理も「Japanese vegetable lunch」という表記でおおなるほどってなりました。

バスで霊宝館に戻ってきました。ここも青もみじ赤もみじがきれい。

大法会期間中は夜の8時まで開館していますよ~以上、こうやくんからのアナウンスでした。
館内では「高野山三大秘宝」「御社の奉納品」ほか運慶・快慶の仏像などが特別公開中。
仏像のコーナーがやっぱり一番テンションあがりましたー!
大日如来、薬師如来、不動明王、阿弥陀如来、もうどの御方もパワーすごすぎるし
快慶の孔雀明王像や四天王立像、運慶の八大童子像もサントリー美術館の展示以来で
相変わらず頭のてっぺんから爪先まで迫力…!!
空海の持ち物で有名な諸尊仏龕とももう何度目の再会かなあ、
聾瞽指帰も久々の再会で相変わらず弓なりだなって思ったし、
金銅三鈷杵は唐から空海が投げたら空と海を越えてさっきの三鈷の松に引っ掛かった現物で
一部が欠けているのは遠くから飛んできた勲章のようで「がんばったね」って声かけたくなった。
あと空海が狩場明神や丹生明神と一緒に描かれている掛軸が多くて
これらは壇上伽藍の御社へ奉納された絵だそうです。

だいぶ暗くなってきたので宿坊へ帰ってチェックイン。
案内の小僧さんが「今日はお泊りが少ないのでグレードアップしてあります」とニッコリされて
通された2階のお部屋はとっても見晴らしがよかったです☆
お部屋の床の間にこんな絵が掛かっていました。未年、メエェ@(・ω・)@

夕食、お待ちかねの精進料理。小僧さんが部屋まで運んできてくださいます。
ごま豆腐、天ぷら、お吸い物、山菜のおひたし、湯葉の刺身、たけのこ、
野菜の煮物と高野豆腐、野菜グラタン、みかん、みろく石。
すごいこんな量食べたことない…!
話には聞いていましたけど、牛や豚どころか鶏も魚もネギ系も見事なまでに見当たらなくて
タンパク質どうやって摂るんだろうと思ったけど、お豆腐とお味噌でしょうか…。
(ちなみに左手前がわたしの御膳で、奥がご先祖様の御膳ですって)
精進料理の基本は以下のとおりだそうです↓
五味:醤油・酢・塩・砂糖・辛み
五法:生のまま・煮る・焼く・揚げる・蒸す
五色:赤・緑・黒・黄・白
手間暇かかってるよな…と思うととても残す気になれなくて、
時間はかかりましたが残さず全部いただきました。おいしかった☆
夜はあちこちのお寺がライトアップされると聞いたので、宿坊の門限を聞いて外出しまして
金剛峰寺にやって来ましたら。

うおーきれい!

蛇腹路もこのとおり。

根本大塔と、

高野四郎うつくしすぎるだろ…!

金堂は厳かな雰囲気。

中門。

善女龍王祠もきれい。

霊宝館。
8時前でしたがまだ鑑賞者さんがいらっしゃいました。ゆっくり見られたかな。
たっぷり堪能したので宿坊に戻ってお風呂に入り、
部屋のテレビをつけたらちょうどヤメゴクが始まってました。
麦ちゃんほんとかっこいいよな…。
櫻井氏の脚本だからハッピーエンドな話じゃなかったけど
(『相棒』を書いても社会派うつエンドが多い脚本家さんよね)、
堤幸彦氏がいい具合にユーモアを混ぜててうまいなあと思う。
あと、ゆるキャラ「やメーたん」がかわいすぎるのでカタギの人間にもください。
次回記事では空海が今も修行しているという奥の院をレポします!wktk
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