高野山・魔女・比叡山の旅その3。
前回記事の続きで旅行3日目。今回は比叡山レポです。
楽しい旅行もとうとう最終日になってしまいました~さみしい。けどめいっぱい楽しむ。

もうすっかり恒例になりました、京野菜「賀茂」さんでの朝ごはん。
お粥と切り干し大根が本当食べやすいです^^ 水菜もカブも甘くてドレッシング要らず。

京都駅に移動して、ロッカーに荷物を置いてバス停へ。
朝一のバスで向かうのは!最澄の聖地比叡山だ!

京都の街を抜けて銀閣寺道から急速に緑が増えてあっという間にこんな山道に。
くねくね登りながら着々と比叡山に近づいていると思うとわくわくドキドキです。
以下、写真が多いのでたたんであります↓クリックで開閉しますのでどうぞ☆

延暦寺バスセンターに到着~延暦寺創建の地・東塔の入口です。
やっほーやっほー比叡山だ!

駐車場の八重桜が満開でした☆
高野山に続いて比叡山でも桜だー!今年はお花見たくさんできてうれしい。
標高848mだそうですからやっぱり涼しいのですね、スカイツリーより高い。
比叡山延暦寺は天台宗の開祖である最澄が山内にお堂を建てたのが始まりで
開創は788年ですから今年で1227年目になるのですね。
(ちなみに開創当時の最澄さんは21歳でした)
わたしも最近まで知らなかったのですが、延暦寺は「延暦寺」という建物があるわけではなく
比叡山の東塔・西塔・横川の3つの地域およそ150のお堂を総称して延暦寺と呼ぶそうです。
東塔は最澄の開創で、西塔は最澄の弟子円澄、横川も同じく弟子の円仁の開創。
東塔~西塔地域は歩いて移動も可能ですが、峰道や横川方面は遠すぎるので
比叡山内を走るシャトルバスを使って移動します。
まずはバスセンターの売店で比叡山内1日フリー乗車券をゲット。
これでシャトルバス乗り放題だよ٩( ᐛ )و
(あと本数が少ないので時刻表もらうかバス停で写メ撮った方がいいです)

窓口で延暦寺諸堂巡拝券(東塔・西塔・横川のお堂共通拝観券)をゲットして
入口を進むとすぐ左手に国宝殿がありました。
延暦寺所蔵の国宝や重要文化財が展示されています。
1階は仏像だらけでしたよーーうおおお!
入口にいらっしゃる釈迦如来坐像はだいぶ色褪せてしまっていますが
1571年の織田信長による延暦寺焼き討ちの際に
琵琶湖を自ら泳いで渡り助かったという言い伝えのあるパワフルなお釈迦様だそうな。
展示室最奥の薬師如来像は以前は根本中堂の護摩壇に安置されていたそうで
平安時代の作でとても柔和なお顔。
子どもの背丈ほどの千手観音立像は延暦寺最古の仏像で9世紀の制作と伝わるそうで、
おお、つまり最澄と同時代を生きていたかもしれないわけだ!
最澄直筆の「天台法華宗年分縁起」(複製)は僧侶のための規定を著した巻物で、
この後説明しますが「一隅を照らす」などの言葉も見えます。
小さく几帳面な字が並んでいて微笑ましい。

国宝殿を後にして、大講堂への坂道を登っていきますと
両脇には「祖師御行績絵看板」という絵看板が並んでいます。
最澄の生涯や、これまで比叡山で学んできた著名なお坊さんたちが紹介されていました。

入唐求法の図!遣唐使船!ふおおお!!
37歳の最澄さん超がんばったよね…よく生きて帰ってきました。お疲れさまでした。
このとき一緒だったのは藤原葛野麻呂(49)・菅原清公(34)・空海(30)・橘逸勢(22)ら他の皆さんです。
豪華メンバー!

空也さんいました~踊念仏たのしそう。
他にも法然、親鸞、道元、日蓮、武蔵坊弁慶の絵もあります。

大講堂の前に立っている「一隅を照らそう」運動の碑。
この言葉は最澄が著した『山家学生式』の冒頭の「一隅を照らす。これ則ち国宝なり」という
言葉からきています。
大ざっぱに言うと「誰でも持っている仏性や能力を引き出し、
うまく発揮して周りを照らす人になりましょう」という意味だとか。
ちなみに国宝とは物ではなく人の心のことだそうです。

というわけで大講堂です☆ 経典の講義などが行われる延暦寺の学問修行の道場。
創建は最澄の示寂後まもなくで、ご本尊は大日如来像。
天井付近には日蓮や道元、栄西、法然や親鸞、一遍など
この地で学び巣立っていった各宗派の祖師たちの肖像画がズラリと並んでいました。
延暦寺は日本仏教の母山と言われるそうですが、これ見ると本当にそうだなあ…。

講堂の隣にある鐘楼。1回50円で誰でも突けます。
ご家族連れがワイワイ楽しそうに鳴らしていて連続してゴーンて聞こえてきてた(笑)。
毎年8月の比叡山宗教サミットの際にも突かれる「世界平和開運の鐘」でもあるそうだ。

鐘楼から石段を下っていく途中に道真さんイター!登天天満宮です。
怨霊になった道真さんが都で悪いことしまくってるのを
比叡山の尊意という和尚さんが封じようとしたところ、
和尚さんに襲いかかってきたので説法を聴かせたらなんか感動したらしく
「ぼく十一面観音になります」と誓って天に昇ったので登天天満宮と名がついたとか。
以降、雷除けの神様として大切にされているそうです。
ただこの話、北野天神絵巻では鴨川で問答したことになっているので
他にも形を変えてあっちこっちに伝わっているのかもしれないね…。
能『雷電』にも怨霊になった道真さんが比叡山に飛んできて
「オレ今から都に雷落としに行くから!」って高らかに宣言する場面がありますな。
全国各地でやんちゃする道真さんかわいい。

東塔地域の中枢・根本中堂へ向かいますよっと。

坂を下る途中にこんな看板が。漱石先生の「虞美人草」冒頭ですね~。
これ、「比叡山ぶらり文学散歩」シリーズといって
他にも延暦寺の主要建物の近くに色んな文学から引用した看板が立っています。
主な看板は大講堂に吉川栄治『新平家物語』が、文殊楼に谷崎潤一郎『二人の稚児』が、
戒壇院に長與吉郎『最澄と空海』が、にない堂に心海『新拾遺和歌集』の歌が、
恵心院に源信『往生要集』がそれぞれ立っていました。

根本中堂!国宝にも指定されている延暦寺の総本堂です。
(お寺の中心的な建物を「本堂」といいますがこの根本中堂が語源になったとの説があるとか)
今の建物は徳川家光の時代に再建されたもの。前のはノブ様が焼いちゃったからね。
中堂の門から先は撮影・土足禁止。聖域のため脱帽し、回廊を回ってお堂に入ります。
この日はお天気もよく気温も割と高めなんですが、お堂の中はとてもひんやりしていました。
暗いな…と思って天井を仰ぎ見ると格天井になっていて、
ひとつひとつの板に美しい花々が描かれていました。
百花の図といって、各地の大名たちがこぞって献花したのだそうです。
ほとんど色褪せてしまっていましたが、とてもきれいだった。
堂内の柱に使われているケヤキは1本1本がとても太くて
江戸時代の再建ということはこれ全部人力で運んできたんだよな…途方に暮れる。
内陣の中央にいらっしゃるのがご本尊・薬師如来像。
ふつう、お寺のご本尊というとこちらが見下ろされる位置に鎮座されていることが多いですが
根本中堂は内陣が参拝者のいる外陣よりも低めに造られているため、
内陣を覗くとちょうど視線が合う位置にお薬師様が鎮座されています。
間に扉がありますので近づくことはできませんが、小さなお姿を拝見できました。
(ちなみにこちらのお薬師様は御前立ちで、
さらに扉の奥には最澄が彫ったと伝わる秘仏の薬師瑠璃光如来像がいらっしゃいます)
そして、お薬師様の前に3つ並ぶ燈籠の中にともるのが
最澄が灯して以来、一度も消えることなく1200年以上受けつがれてきた不滅の法灯です。
よーく目を凝らすと、燈籠の中でゆらゆらと火が揺れているのがわかりました。
前にも書きましたけど、この火には毎日毎日お坊さんの手で油が注がれているため
長い間灯りつづけているわけで、だから油を絶やすことを「油断」というわけですな…。
(この火の分灯が岩手県毛越寺と山形県立石寺にあります。
毛越寺の火は2年前に見たので、いつか立石寺のを見に行きたい)

中堂のそばにある伝教大師童形像。
比叡山開創1150年記念に建立されたものです。かわいらしい。

隣にはいつもの最澄さん。

中堂から石の階段(ものすごく急)を登っていくと、文殊楼がそびえています。
最初に建てたのは最澄の弟子円仁で、現在の門は江戸時代に再建されたもの。
ほんとにごめんね信長がごめんね。

歩いて根本中堂入口の坂に戻ってきました。写真は大黒堂。
20歳で比叡山を登ってきた最澄が根本中堂を建てるとき大黒天に会ったそうで
守護神として像を作りお祀りしたのが始まりだそうです。
お姿は大黒天(正面)・毘沙門天(左)・弁財天(右)が一体になっている
三位一体スーパー大黒天様です。わあお。
(そういえば鞍馬寺の尊天像も千手観音・毘沙門天・魔王尊の合体した姿じゃなかったっけ)
空海は丹生明神と狩場明神、最澄は大黒天。それぞれ神様に会ってるのがおもしろいな。

境内の石楠花が咲き始めていました~。
満開になるのは5月中旬だそうです。ちょうど今頃かな。

戒壇院。
お坊さんになるための大乗戒を受ける戒壇のある場所です。
最澄が朝廷に建立願いを出していましたが実現せず
(当時、戒律を授ける儀式ができるのは東大寺や唐招提寺など一部のお寺だけでした)、
最澄の示寂7日後にめでたく勅許が下りて建立されたそうです。

阿弥陀堂と東塔(法華等持院)。
階段を登ったところにしだれ桜が咲いていまして、
おとといの金剛峰寺みたいに桜とのツーショットが撮影できました!ほんとにいい時期だ。
阿弥陀堂は回向法要を行う道場で、比叡山開創1150年の際に建てられたもの。
ご本尊は阿弥陀如来です。

阿弥陀堂の前にある水琴窟。
石の隙間に耳をすますと、テーン、テーン……と澄んだ音がしました。

延暦寺バスセンターに戻って、次のバスまで時間があるので
甘味処でごま豆腐をいただきました。
高野山ではお醤油味でしたが、こちらは黒蜜をかけてくださってすごくおいしかったです!
わらび餅や信玄餅のような気分でいただきました。ご馳走様でした☆

バスで第2目的地、西塔エリアにやって来ましたよ。

こちらの駐車場も八重桜が満開でした!

入口から東塔方面に下って10分ほど歩いたところにある浄土院。
この建物の後ろにぐるりと回ったところに最澄の御廟があります。
賑やかな西塔エリアから離れていますのでとても静か、参拝する人もまばらです。
最澄のために毎日お香が焚かれ食事がお給仕されているというのは
ぶっちゃけ寺で露の団姫さんがおっしゃってたな…お伊勢さんや高野山と同じですね。

浄土院から戻ってくると椿堂を発見~。
昔、厩戸皇子が比叡山に登った際に杖にしていた椿の枝をここにさしたところ
その木が芽を出して花を咲かせたことにちなみます。
お堂の隣にはそれらしい椿の木がありました。花の咲く季節にまた来たい。

椿堂から坂を登ったところにある法華堂と、

常行堂です。

2棟を繋いでいる回廊。
昔、武蔵坊弁慶が肩を入れて両堂を担ったとの言い伝えがあるため
この回廊をにない棒に見立てて2棟を「にない堂」とも呼ぶそうです。
常行堂のご本尊は阿弥陀如来、法華堂のご本尊は普賢菩薩で
法華堂は源氏物語で夕顔の四十九日の法要が行われたお堂でもありますな。
(源氏の従者・惟光の兄の阿闍梨が引き受けてくれたんだよね)

にない堂から階段を降りていくと、西塔の本堂・転法輪堂があります。
(ご本尊が釈迦如来のため釈迦堂とも)
室町時代の園城寺の金堂を豊臣秀吉が持ってきてあげたそうです。

境内にある法然の碑。
18歳の法然が西塔北谷にある黒谷青龍寺で修業をしていたそうです。

転法輪堂から左へ抜けていくところにいらしたお地蔵さま。

お地蔵さまからアスファルトへ出て道の向こう側へ渡って
坂を下り10分ほど歩いていきますと、

瑠璃堂がひっそり建っています。
信長の延暦寺焼き討ちの際、見逃されたのか唯一焼けずに残ったもので
室町時代の建築様式のとても貴重な建物だそうです。
よかったねえ、よく残ってくれましたね。
ここは西塔エリアから遠いためあまり訪れる人がいないのか、
わたしが行ったときも誰もいませんでした。

西塔駐車場に戻って、バスで峰道へ。
こちらのレストランでランチをいただきます。

春の限定メニュー、湯葉のあんかけ丼!
ごま豆腐と漬物もついてて大満足でした~おいしかった☆

こちらの駐車場も桜が満開でした。
もう今日はどこ行っても桜が咲いてて、ようこそようこそって言われてる気分になりますよ。

高さ11メートルの伝教大師像!最澄が40歳くらいの時の姿だそうです。
比叡山開創1200年を記念して1987年に建立されたとか。

駐車場からは琵琶湖が一望できます♪
レストランでも窓際に座れれば、琵琶湖を眺めながら食事ができますよ~。

お腹もいっぱいになったので、バスで3つめの地域・横川にやって来ました。
最澄の弟子である円仁により開創され、日蓮や道元、良源などが修行した地域です。

赤もみじ・青もみじがきれい!

龍ヶ池と弁天社。
池で毒気を吐いていた大蛇を良源が問答のすえ小さくしてしまい(観音様の補助つき)、
弁天様の侍者の龍神にしたという伝説があるそうです。
ので、雨乞いの弁天様としても信仰されているとか。

龍ヶ池から見える横川中堂!
清水寺と同じ舞台造りで、遣唐使船をモデルに造られたという説もあるとか。
現在の建物は1971年に再建されたもので、朱色がとにかく美しい!

階段を登って正面にやって来ました。
ご本尊は円仁の作と伝わる聖観音菩薩像です。

中堂前にあった恵心僧都の絵。これからこの人に会いに行きます。
そうですわたしはこの人に会うために比叡山に来たんです!
恵心さん、俗名源信、平安時代半ばに往生のためのマニュアル本『往生要集』を書いて
「往生したいそこのあなた、これ読めばバッチリ☆」って言ってた人です。
わたしはこの本を読んで極楽と地獄を学んだよ~。

中堂から坂を登っていくと鐘楼があります。これも誰でも突けます。

坂を下ってやって来ました、恵心堂!わーい来たよっ(^o^)
恵心さんは9歳のとき比叡山に登って良源(元三大師)の弟子になり、
ここで隠棲しながら念仏三昧の日々を送っていたんですね。
入滅の際は合掌した手と阿弥陀如来像の手が糸で結ばれていたとか。
実はここでちょっとした奇跡が^^
わたしが訪れたとき、お堂の扉は空けられていて堂守さんが境内を掃いてらっしゃって
「どうぞご覧ください」と言っていただいたので有難くお参りさせていただきました。
お話を伺うと延暦寺へ来る人はたくさんいても横川エリアまで来る人は少なく、
さらにこの恵心堂へ来る人はもっと少ないそうな。
恵心さんに会いに来たんですと言うと驚かれて
「どちらから」と聞かれたので「埼玉です」と言うと「ありゃー遠くから」ともっと驚かれて
「あなた今朝一番のバスにいたでしょ、ぼく、後ろに座ってました」とおっしゃる。
え!?って今度はわたしがびっくりしていたら「帽子の飾りに見覚えがあります」って。
(言い忘れましたが旅行中は日差しが強かったので帽子被ってました)
しかも、「このお堂、毎日開いてるわけじゃなく僕が来たときに開けるんです」とのことで
頻度を聞いてみると「だいたい月一くらいかな」とおっしゃる!
え、え、ちょっと、じゃ、わたしたまたま堂守さんがいらっしゃる日に予定組んで
同じバスに乗って、さらにお昼とかで席を外すわけでもない時間帯に来たってこと!?
マジすかああぁぁ.゚。(゚Д゚;)≡(;゚Д゚)・。゚
どういう巡り合わせですか!って思わずエーッて声出ちゃって
思い出したのがいつも見ている占い師さんの今日の占いでして、
射手座は「一対一の結びつきがいくつか集まってふわっと場を形成するような日」だったんです。
結構、よく当たる占いなのですが今回当たりすぎですよ~ありがとうございました!
堂守さんにはその後も源信さんの生涯や恵心となってからの事、
また源氏物語の横川の僧都のモデルが彼であることなど色々お話いただき
とてもとても有意義な時間を過ごすことができました。
何より普段は非公開の阿弥陀様を、お堂に入って間近でお参りできたのが大収穫!
「ぼくが来たときくらいは扉を開けて風を入れてさしあげたくてね」と
ニコニコ語ってくださった堂守さん、本当にありがとうございましたm(_ _)m
というわけで今後ここをお参りされるご予定の方、
堂守さんがいらっしゃったらラッキーです、幸せです!ぜひ阿弥陀様を拝んできてください。
最澄さんどっかでわたしのこと見てるのって思っちゃったよね…びっくりしたびっくりした。

お堂の境内にある源氏物語の碑。数年前に建てられたものです。
薫と匂宮の板挟みになり入水を試みたものの死にきれず、山で倒れていた浮舟を助けたのが
横川の僧都で、のちに浮舟は彼の手を借りて出家します。
この僧都は源信、つまり恵心をモデルにしていると室町時代の注釈書にあるそうです。

どんどん行きますよ~歩いて四季講堂へ。
恵心のお師匠、良源(元三大師)の住居跡とされる講堂で
良源の諡号から元三大師堂とも呼ばれます。
滋賀に生まれた良源は12歳で比叡山に入り、頭がよく政治力もあり霊力も強かったので
数々の伝説を残し示寂後には元三大師信仰なるものまで生まれたとか…。
(元三大師の名は正月三日に亡くなったことからつけられました)

門の前にあったおみくじ発祥の地碑。
現代に伝わるおみくじの形は、良源が考案した「観音籤」が原型と言われています。
観音籤は良源が「人々をお救いください」と観音菩薩に祈り授かったとされる偈文で、
江戸時代の僧侶・天海がある夜みた夢に良源が現れて
「戸隠山に埋まってる観音籤をオレの像の前に置いて占うと吉凶がわかるよ」と告げまして
言われたとおり山を掘ると偈文が見つかったそうです。
そこから、偈文に祈りながらくじを引きその番号にあわせた文の内容を解釈するという
今のお神籤の形がだんだんできあがっていったとか。
現在もお堂でお神籤は引けますが(お坊さん直々の説明つき)、
事前に電話で申込が必要だそうなので今回は断念。次回は絶対電話してから来よう。

元三大師と角大師の由来碑。
昔、疫病が流行した年ときに良源が人々を救おうと自分の姿を鏡に映したところ、
鏡の中の姿がみるみる変わり角のある鬼の姿になって
その姿をお札に写し取り都の人々の家に貼ってまわると病気が逃げて行ったそうです。
以来、病気平癒と魔除けのお守りとして大切にされているそうで
今も本堂には角大師グッズがいっぱい売られていました。
病気の姿なんだけどデフォルメされててかわいらしいファンキーデザイン。

現在の四季講堂は1652年に再建されたものだそうです。

屋根の下には大津絵が掛けてあって
そうかここは京都じゃなく滋賀だったと今更のように思い出すなど。

道元禅師得度霊跡の碑。
道元は13歳で横川にやってきて修行を始め、福井県に永平寺を創建しています。

箸塚弁財天。
東塔の無動寺弁財天、西塔の箕淵弁財天とともに比叡山三弁天といわれます。
無動寺弁財天は東塔からしばらく下ったところにある無動寺に、
箕淵弁財天は椿堂の近くにあります。

弁財天から道を下って元三大師御廟をめざします。木がすごい。

歩くこと7~8分、御廟に着きました!
生前も示寂後も数々の伝説を残した良源さん、今はこんなに静かな場所においでなのですね。
比叡山は京都御所の北東にあたり都の鬼門とよく言われますが、
横川は比叡山の北東にあたり、さらに横川エリアの鬼門にあるのがこの御廟だそうです。
つまり鬼門中の鬼門。すごい。
そして頭をよぎるのは恵心さんのことで、師が師なら弟子も弟子だなあと思いました。
ちくしょー師弟そろってファンになっちゃったちくしょー!(完敗)

歩いて歩いて、ふと道が繋がったと思うと横川中堂の下に出ていました。
そうかあ、こうなってるのか。

ふと階段を見上げたら見えたので上がってみました。根本如法塔。
40歳の円仁が横川で生活しながら書き写した法華経を安置するために建てたのが始まりで
現在の塔は1925年に再建されました。
木々に囲まれていて紅葉の時期はきれいだろうなあ。
時計を見ると帰りの新幹線の時間が迫っていましたので、
この後は延暦寺バスセンターまでバスで戻って
そこからまた都バスに乗り換えて京都市内まで戻りました。
山から銀閣寺道まではすいすい進んでいたバスが出町柳を過ぎるや大渋滞に巻き込まれ、
四条通~京都駅まで30分以上かかったのは予想外でしたけど^^;
ってかGWの四条通なんですかあれは、人いすぎて車道にはみ出てたよ。。
あ、四条大橋を渡るとき鴨川沿いのお店に床が作られ始めていたのを見ました!
もうそんな季節なのですね。
未だに納涼床は体験できていないのでいつか必ず。ハモ食べたいハモ。
そうして京都駅に着いてバスの扉が開いたら
昨日の大阪ほどではないけどじわりと熱気が!比叡山は涼しかったんだな…。
しかも駅構内はかつてないほどの激混み。。
大名行列なみどりの窓口、芋を洗うようなお土産売場、改札目指して鬼のように走る群衆。
こ、こんな京都駅、初めてっ…!(絶句)

めげずに何とか駅弁を買って、無事に東京行きの新幹線に乗れましたよ~。
お弁当もタケノコや三色だんごや山菜で5月の香り、たいへんおいしゅうございました。
そんなわけで帰ってきて1週間ほど経ちますが
まだなんとなく立体曼荼羅と不滅の法灯のパワーにやられている気がして頭フラフラ、
体は帰ってきても心が全然帰ってこれてません。
最澄も空海も20~30代から山へ登って神様に会って理想のお寺づくりを目指して
2人とも入寂前に完成形は見られなかったけど、
お弟子さんもそのお弟子さんもみんながんばってお寺作って
たまに焼けたり焼かれたりもしたけど
その後のお弟子さんたちもずっとずーっと絶やすまいと受け継いできたと思うと
もう大河ドラマでも描き切れないような気がしてきました。
1200年のエネルギーは伊達じゃないぜ!
時間がなくて行けなかった場所もあるしもう一度見たい場所もあるし、
生きてるうちに絶対また行きますよー比叡山も高野山も!待ってて。
さあ、次はどこへ行こうかな…。
「明日のことはわからない 今ある道をすすむすすむ
猫背をしゃきっと伸ばし手の鳴る方へ
気まぐれ 口笛 ならして
東の空から夜は開ける 当たり前のこと確かめたい
どこからか現れ消えていく 気ままな旅はまだつづく」
(星羅「ふうらいぼう」より)
楽しい旅行もとうとう最終日になってしまいました~さみしい。けどめいっぱい楽しむ。

もうすっかり恒例になりました、京野菜「賀茂」さんでの朝ごはん。
お粥と切り干し大根が本当食べやすいです^^ 水菜もカブも甘くてドレッシング要らず。

京都駅に移動して、ロッカーに荷物を置いてバス停へ。
朝一のバスで向かうのは!最澄の聖地比叡山だ!

京都の街を抜けて銀閣寺道から急速に緑が増えてあっという間にこんな山道に。
くねくね登りながら着々と比叡山に近づいていると思うとわくわくドキドキです。
以下、写真が多いのでたたんであります↓クリックで開閉しますのでどうぞ☆

延暦寺バスセンターに到着~延暦寺創建の地・東塔の入口です。
やっほーやっほー比叡山だ!

駐車場の八重桜が満開でした☆
高野山に続いて比叡山でも桜だー!今年はお花見たくさんできてうれしい。
標高848mだそうですからやっぱり涼しいのですね、スカイツリーより高い。
比叡山延暦寺は天台宗の開祖である最澄が山内にお堂を建てたのが始まりで
開創は788年ですから今年で1227年目になるのですね。
(ちなみに開創当時の最澄さんは21歳でした)
わたしも最近まで知らなかったのですが、延暦寺は「延暦寺」という建物があるわけではなく
比叡山の東塔・西塔・横川の3つの地域およそ150のお堂を総称して延暦寺と呼ぶそうです。
東塔は最澄の開創で、西塔は最澄の弟子円澄、横川も同じく弟子の円仁の開創。
東塔~西塔地域は歩いて移動も可能ですが、峰道や横川方面は遠すぎるので
比叡山内を走るシャトルバスを使って移動します。
まずはバスセンターの売店で比叡山内1日フリー乗車券をゲット。
これでシャトルバス乗り放題だよ٩( ᐛ )و
(あと本数が少ないので時刻表もらうかバス停で写メ撮った方がいいです)

窓口で延暦寺諸堂巡拝券(東塔・西塔・横川のお堂共通拝観券)をゲットして
入口を進むとすぐ左手に国宝殿がありました。
延暦寺所蔵の国宝や重要文化財が展示されています。
1階は仏像だらけでしたよーーうおおお!
入口にいらっしゃる釈迦如来坐像はだいぶ色褪せてしまっていますが
1571年の織田信長による延暦寺焼き討ちの際に
琵琶湖を自ら泳いで渡り助かったという言い伝えのあるパワフルなお釈迦様だそうな。
展示室最奥の薬師如来像は以前は根本中堂の護摩壇に安置されていたそうで
平安時代の作でとても柔和なお顔。
子どもの背丈ほどの千手観音立像は延暦寺最古の仏像で9世紀の制作と伝わるそうで、
おお、つまり最澄と同時代を生きていたかもしれないわけだ!
最澄直筆の「天台法華宗年分縁起」(複製)は僧侶のための規定を著した巻物で、
この後説明しますが「一隅を照らす」などの言葉も見えます。
小さく几帳面な字が並んでいて微笑ましい。

国宝殿を後にして、大講堂への坂道を登っていきますと
両脇には「祖師御行績絵看板」という絵看板が並んでいます。
最澄の生涯や、これまで比叡山で学んできた著名なお坊さんたちが紹介されていました。

入唐求法の図!遣唐使船!ふおおお!!
37歳の最澄さん超がんばったよね…よく生きて帰ってきました。お疲れさまでした。
このとき一緒だったのは藤原葛野麻呂(49)・菅原清公(34)・空海(30)・橘逸勢(22)ら他の皆さんです。
豪華メンバー!

空也さんいました~踊念仏たのしそう。
他にも法然、親鸞、道元、日蓮、武蔵坊弁慶の絵もあります。

大講堂の前に立っている「一隅を照らそう」運動の碑。
この言葉は最澄が著した『山家学生式』の冒頭の「一隅を照らす。これ則ち国宝なり」という
言葉からきています。
大ざっぱに言うと「誰でも持っている仏性や能力を引き出し、
うまく発揮して周りを照らす人になりましょう」という意味だとか。
ちなみに国宝とは物ではなく人の心のことだそうです。

というわけで大講堂です☆ 経典の講義などが行われる延暦寺の学問修行の道場。
創建は最澄の示寂後まもなくで、ご本尊は大日如来像。
天井付近には日蓮や道元、栄西、法然や親鸞、一遍など
この地で学び巣立っていった各宗派の祖師たちの肖像画がズラリと並んでいました。
延暦寺は日本仏教の母山と言われるそうですが、これ見ると本当にそうだなあ…。

講堂の隣にある鐘楼。1回50円で誰でも突けます。
ご家族連れがワイワイ楽しそうに鳴らしていて連続してゴーンて聞こえてきてた(笑)。
毎年8月の比叡山宗教サミットの際にも突かれる「世界平和開運の鐘」でもあるそうだ。

鐘楼から石段を下っていく途中に道真さんイター!登天天満宮です。
怨霊になった道真さんが都で悪いことしまくってるのを
比叡山の尊意という和尚さんが封じようとしたところ、
和尚さんに襲いかかってきたので説法を聴かせたらなんか感動したらしく
「ぼく十一面観音になります」と誓って天に昇ったので登天天満宮と名がついたとか。
以降、雷除けの神様として大切にされているそうです。
ただこの話、北野天神絵巻では鴨川で問答したことになっているので
他にも形を変えてあっちこっちに伝わっているのかもしれないね…。
能『雷電』にも怨霊になった道真さんが比叡山に飛んできて
「オレ今から都に雷落としに行くから!」って高らかに宣言する場面がありますな。
全国各地でやんちゃする道真さんかわいい。

東塔地域の中枢・根本中堂へ向かいますよっと。

坂を下る途中にこんな看板が。漱石先生の「虞美人草」冒頭ですね~。
これ、「比叡山ぶらり文学散歩」シリーズといって
他にも延暦寺の主要建物の近くに色んな文学から引用した看板が立っています。
主な看板は大講堂に吉川栄治『新平家物語』が、文殊楼に谷崎潤一郎『二人の稚児』が、
戒壇院に長與吉郎『最澄と空海』が、にない堂に心海『新拾遺和歌集』の歌が、
恵心院に源信『往生要集』がそれぞれ立っていました。

根本中堂!国宝にも指定されている延暦寺の総本堂です。
(お寺の中心的な建物を「本堂」といいますがこの根本中堂が語源になったとの説があるとか)
今の建物は徳川家光の時代に再建されたもの。前のはノブ様が焼いちゃったからね。
中堂の門から先は撮影・土足禁止。聖域のため脱帽し、回廊を回ってお堂に入ります。
この日はお天気もよく気温も割と高めなんですが、お堂の中はとてもひんやりしていました。
暗いな…と思って天井を仰ぎ見ると格天井になっていて、
ひとつひとつの板に美しい花々が描かれていました。
百花の図といって、各地の大名たちがこぞって献花したのだそうです。
ほとんど色褪せてしまっていましたが、とてもきれいだった。
堂内の柱に使われているケヤキは1本1本がとても太くて
江戸時代の再建ということはこれ全部人力で運んできたんだよな…途方に暮れる。
内陣の中央にいらっしゃるのがご本尊・薬師如来像。
ふつう、お寺のご本尊というとこちらが見下ろされる位置に鎮座されていることが多いですが
根本中堂は内陣が参拝者のいる外陣よりも低めに造られているため、
内陣を覗くとちょうど視線が合う位置にお薬師様が鎮座されています。
間に扉がありますので近づくことはできませんが、小さなお姿を拝見できました。
(ちなみにこちらのお薬師様は御前立ちで、
さらに扉の奥には最澄が彫ったと伝わる秘仏の薬師瑠璃光如来像がいらっしゃいます)
そして、お薬師様の前に3つ並ぶ燈籠の中にともるのが
最澄が灯して以来、一度も消えることなく1200年以上受けつがれてきた不滅の法灯です。
よーく目を凝らすと、燈籠の中でゆらゆらと火が揺れているのがわかりました。
前にも書きましたけど、この火には毎日毎日お坊さんの手で油が注がれているため
長い間灯りつづけているわけで、だから油を絶やすことを「油断」というわけですな…。
(この火の分灯が岩手県毛越寺と山形県立石寺にあります。
毛越寺の火は2年前に見たので、いつか立石寺のを見に行きたい)

中堂のそばにある伝教大師童形像。
比叡山開創1150年記念に建立されたものです。かわいらしい。

隣にはいつもの最澄さん。

中堂から石の階段(ものすごく急)を登っていくと、文殊楼がそびえています。
最初に建てたのは最澄の弟子円仁で、現在の門は江戸時代に再建されたもの。
ほんとにごめんね信長がごめんね。

歩いて根本中堂入口の坂に戻ってきました。写真は大黒堂。
20歳で比叡山を登ってきた最澄が根本中堂を建てるとき大黒天に会ったそうで
守護神として像を作りお祀りしたのが始まりだそうです。
お姿は大黒天(正面)・毘沙門天(左)・弁財天(右)が一体になっている
三位一体スーパー大黒天様です。わあお。
(そういえば鞍馬寺の尊天像も千手観音・毘沙門天・魔王尊の合体した姿じゃなかったっけ)
空海は丹生明神と狩場明神、最澄は大黒天。それぞれ神様に会ってるのがおもしろいな。

境内の石楠花が咲き始めていました~。
満開になるのは5月中旬だそうです。ちょうど今頃かな。

戒壇院。
お坊さんになるための大乗戒を受ける戒壇のある場所です。
最澄が朝廷に建立願いを出していましたが実現せず
(当時、戒律を授ける儀式ができるのは東大寺や唐招提寺など一部のお寺だけでした)、
最澄の示寂7日後にめでたく勅許が下りて建立されたそうです。

阿弥陀堂と東塔(法華等持院)。
階段を登ったところにしだれ桜が咲いていまして、
おとといの金剛峰寺みたいに桜とのツーショットが撮影できました!ほんとにいい時期だ。
阿弥陀堂は回向法要を行う道場で、比叡山開創1150年の際に建てられたもの。
ご本尊は阿弥陀如来です。

阿弥陀堂の前にある水琴窟。
石の隙間に耳をすますと、テーン、テーン……と澄んだ音がしました。

延暦寺バスセンターに戻って、次のバスまで時間があるので
甘味処でごま豆腐をいただきました。
高野山ではお醤油味でしたが、こちらは黒蜜をかけてくださってすごくおいしかったです!
わらび餅や信玄餅のような気分でいただきました。ご馳走様でした☆

バスで第2目的地、西塔エリアにやって来ましたよ。

こちらの駐車場も八重桜が満開でした!

入口から東塔方面に下って10分ほど歩いたところにある浄土院。
この建物の後ろにぐるりと回ったところに最澄の御廟があります。
賑やかな西塔エリアから離れていますのでとても静か、参拝する人もまばらです。
最澄のために毎日お香が焚かれ食事がお給仕されているというのは
ぶっちゃけ寺で露の団姫さんがおっしゃってたな…お伊勢さんや高野山と同じですね。

浄土院から戻ってくると椿堂を発見~。
昔、厩戸皇子が比叡山に登った際に杖にしていた椿の枝をここにさしたところ
その木が芽を出して花を咲かせたことにちなみます。
お堂の隣にはそれらしい椿の木がありました。花の咲く季節にまた来たい。

椿堂から坂を登ったところにある法華堂と、

常行堂です。

2棟を繋いでいる回廊。
昔、武蔵坊弁慶が肩を入れて両堂を担ったとの言い伝えがあるため
この回廊をにない棒に見立てて2棟を「にない堂」とも呼ぶそうです。
常行堂のご本尊は阿弥陀如来、法華堂のご本尊は普賢菩薩で
法華堂は源氏物語で夕顔の四十九日の法要が行われたお堂でもありますな。
(源氏の従者・惟光の兄の阿闍梨が引き受けてくれたんだよね)

にない堂から階段を降りていくと、西塔の本堂・転法輪堂があります。
(ご本尊が釈迦如来のため釈迦堂とも)
室町時代の園城寺の金堂を豊臣秀吉が持ってきてあげたそうです。

境内にある法然の碑。
18歳の法然が西塔北谷にある黒谷青龍寺で修業をしていたそうです。

転法輪堂から左へ抜けていくところにいらしたお地蔵さま。

お地蔵さまからアスファルトへ出て道の向こう側へ渡って
坂を下り10分ほど歩いていきますと、

瑠璃堂がひっそり建っています。
信長の延暦寺焼き討ちの際、見逃されたのか唯一焼けずに残ったもので
室町時代の建築様式のとても貴重な建物だそうです。
よかったねえ、よく残ってくれましたね。
ここは西塔エリアから遠いためあまり訪れる人がいないのか、
わたしが行ったときも誰もいませんでした。

西塔駐車場に戻って、バスで峰道へ。
こちらのレストランでランチをいただきます。

春の限定メニュー、湯葉のあんかけ丼!
ごま豆腐と漬物もついてて大満足でした~おいしかった☆

こちらの駐車場も桜が満開でした。
もう今日はどこ行っても桜が咲いてて、ようこそようこそって言われてる気分になりますよ。

高さ11メートルの伝教大師像!最澄が40歳くらいの時の姿だそうです。
比叡山開創1200年を記念して1987年に建立されたとか。

駐車場からは琵琶湖が一望できます♪
レストランでも窓際に座れれば、琵琶湖を眺めながら食事ができますよ~。

お腹もいっぱいになったので、バスで3つめの地域・横川にやって来ました。
最澄の弟子である円仁により開創され、日蓮や道元、良源などが修行した地域です。

赤もみじ・青もみじがきれい!

龍ヶ池と弁天社。
池で毒気を吐いていた大蛇を良源が問答のすえ小さくしてしまい(観音様の補助つき)、
弁天様の侍者の龍神にしたという伝説があるそうです。
ので、雨乞いの弁天様としても信仰されているとか。

龍ヶ池から見える横川中堂!
清水寺と同じ舞台造りで、遣唐使船をモデルに造られたという説もあるとか。
現在の建物は1971年に再建されたもので、朱色がとにかく美しい!

階段を登って正面にやって来ました。
ご本尊は円仁の作と伝わる聖観音菩薩像です。

中堂前にあった恵心僧都の絵。これからこの人に会いに行きます。
そうですわたしはこの人に会うために比叡山に来たんです!
恵心さん、俗名源信、平安時代半ばに往生のためのマニュアル本『往生要集』を書いて
「往生したいそこのあなた、これ読めばバッチリ☆」って言ってた人です。
わたしはこの本を読んで極楽と地獄を学んだよ~。

中堂から坂を登っていくと鐘楼があります。これも誰でも突けます。

坂を下ってやって来ました、恵心堂!わーい来たよっ(^o^)
恵心さんは9歳のとき比叡山に登って良源(元三大師)の弟子になり、
ここで隠棲しながら念仏三昧の日々を送っていたんですね。
入滅の際は合掌した手と阿弥陀如来像の手が糸で結ばれていたとか。
実はここでちょっとした奇跡が^^
わたしが訪れたとき、お堂の扉は空けられていて堂守さんが境内を掃いてらっしゃって
「どうぞご覧ください」と言っていただいたので有難くお参りさせていただきました。
お話を伺うと延暦寺へ来る人はたくさんいても横川エリアまで来る人は少なく、
さらにこの恵心堂へ来る人はもっと少ないそうな。
恵心さんに会いに来たんですと言うと驚かれて
「どちらから」と聞かれたので「埼玉です」と言うと「ありゃー遠くから」ともっと驚かれて
「あなた今朝一番のバスにいたでしょ、ぼく、後ろに座ってました」とおっしゃる。
え!?って今度はわたしがびっくりしていたら「帽子の飾りに見覚えがあります」って。
(言い忘れましたが旅行中は日差しが強かったので帽子被ってました)
しかも、「このお堂、毎日開いてるわけじゃなく僕が来たときに開けるんです」とのことで
頻度を聞いてみると「だいたい月一くらいかな」とおっしゃる!
え、え、ちょっと、じゃ、わたしたまたま堂守さんがいらっしゃる日に予定組んで
同じバスに乗って、さらにお昼とかで席を外すわけでもない時間帯に来たってこと!?
マジすかああぁぁ.゚。(゚Д゚;)≡(;゚Д゚)・。゚
どういう巡り合わせですか!って思わずエーッて声出ちゃって
思い出したのがいつも見ている占い師さんの今日の占いでして、
射手座は「一対一の結びつきがいくつか集まってふわっと場を形成するような日」だったんです。
結構、よく当たる占いなのですが今回当たりすぎですよ~ありがとうございました!
堂守さんにはその後も源信さんの生涯や恵心となってからの事、
また源氏物語の横川の僧都のモデルが彼であることなど色々お話いただき
とてもとても有意義な時間を過ごすことができました。
何より普段は非公開の阿弥陀様を、お堂に入って間近でお参りできたのが大収穫!
「ぼくが来たときくらいは扉を開けて風を入れてさしあげたくてね」と
ニコニコ語ってくださった堂守さん、本当にありがとうございましたm(_ _)m
というわけで今後ここをお参りされるご予定の方、
堂守さんがいらっしゃったらラッキーです、幸せです!ぜひ阿弥陀様を拝んできてください。
最澄さんどっかでわたしのこと見てるのって思っちゃったよね…びっくりしたびっくりした。

お堂の境内にある源氏物語の碑。数年前に建てられたものです。
薫と匂宮の板挟みになり入水を試みたものの死にきれず、山で倒れていた浮舟を助けたのが
横川の僧都で、のちに浮舟は彼の手を借りて出家します。
この僧都は源信、つまり恵心をモデルにしていると室町時代の注釈書にあるそうです。

どんどん行きますよ~歩いて四季講堂へ。
恵心のお師匠、良源(元三大師)の住居跡とされる講堂で
良源の諡号から元三大師堂とも呼ばれます。
滋賀に生まれた良源は12歳で比叡山に入り、頭がよく政治力もあり霊力も強かったので
数々の伝説を残し示寂後には元三大師信仰なるものまで生まれたとか…。
(元三大師の名は正月三日に亡くなったことからつけられました)

門の前にあったおみくじ発祥の地碑。
現代に伝わるおみくじの形は、良源が考案した「観音籤」が原型と言われています。
観音籤は良源が「人々をお救いください」と観音菩薩に祈り授かったとされる偈文で、
江戸時代の僧侶・天海がある夜みた夢に良源が現れて
「戸隠山に埋まってる観音籤をオレの像の前に置いて占うと吉凶がわかるよ」と告げまして
言われたとおり山を掘ると偈文が見つかったそうです。
そこから、偈文に祈りながらくじを引きその番号にあわせた文の内容を解釈するという
今のお神籤の形がだんだんできあがっていったとか。
現在もお堂でお神籤は引けますが(お坊さん直々の説明つき)、
事前に電話で申込が必要だそうなので今回は断念。次回は絶対電話してから来よう。

元三大師と角大師の由来碑。
昔、疫病が流行した年ときに良源が人々を救おうと自分の姿を鏡に映したところ、
鏡の中の姿がみるみる変わり角のある鬼の姿になって
その姿をお札に写し取り都の人々の家に貼ってまわると病気が逃げて行ったそうです。
以来、病気平癒と魔除けのお守りとして大切にされているそうで
今も本堂には角大師グッズがいっぱい売られていました。
病気の姿なんだけどデフォルメされててかわいらしいファンキーデザイン。

現在の四季講堂は1652年に再建されたものだそうです。

屋根の下には大津絵が掛けてあって
そうかここは京都じゃなく滋賀だったと今更のように思い出すなど。

道元禅師得度霊跡の碑。
道元は13歳で横川にやってきて修行を始め、福井県に永平寺を創建しています。

箸塚弁財天。
東塔の無動寺弁財天、西塔の箕淵弁財天とともに比叡山三弁天といわれます。
無動寺弁財天は東塔からしばらく下ったところにある無動寺に、
箕淵弁財天は椿堂の近くにあります。

弁財天から道を下って元三大師御廟をめざします。木がすごい。

歩くこと7~8分、御廟に着きました!
生前も示寂後も数々の伝説を残した良源さん、今はこんなに静かな場所においでなのですね。
比叡山は京都御所の北東にあたり都の鬼門とよく言われますが、
横川は比叡山の北東にあたり、さらに横川エリアの鬼門にあるのがこの御廟だそうです。
つまり鬼門中の鬼門。すごい。
そして頭をよぎるのは恵心さんのことで、師が師なら弟子も弟子だなあと思いました。
ちくしょー師弟そろってファンになっちゃったちくしょー!(完敗)

歩いて歩いて、ふと道が繋がったと思うと横川中堂の下に出ていました。
そうかあ、こうなってるのか。

ふと階段を見上げたら見えたので上がってみました。根本如法塔。
40歳の円仁が横川で生活しながら書き写した法華経を安置するために建てたのが始まりで
現在の塔は1925年に再建されました。
木々に囲まれていて紅葉の時期はきれいだろうなあ。
時計を見ると帰りの新幹線の時間が迫っていましたので、
この後は延暦寺バスセンターまでバスで戻って
そこからまた都バスに乗り換えて京都市内まで戻りました。
山から銀閣寺道まではすいすい進んでいたバスが出町柳を過ぎるや大渋滞に巻き込まれ、
四条通~京都駅まで30分以上かかったのは予想外でしたけど^^;
ってかGWの四条通なんですかあれは、人いすぎて車道にはみ出てたよ。。
あ、四条大橋を渡るとき鴨川沿いのお店に床が作られ始めていたのを見ました!
もうそんな季節なのですね。
未だに納涼床は体験できていないのでいつか必ず。ハモ食べたいハモ。
そうして京都駅に着いてバスの扉が開いたら
昨日の大阪ほどではないけどじわりと熱気が!比叡山は涼しかったんだな…。
しかも駅構内はかつてないほどの激混み。。
大名行列なみどりの窓口、芋を洗うようなお土産売場、改札目指して鬼のように走る群衆。
こ、こんな京都駅、初めてっ…!(絶句)

めげずに何とか駅弁を買って、無事に東京行きの新幹線に乗れましたよ~。
お弁当もタケノコや三色だんごや山菜で5月の香り、たいへんおいしゅうございました。
そんなわけで帰ってきて1週間ほど経ちますが
まだなんとなく立体曼荼羅と不滅の法灯のパワーにやられている気がして頭フラフラ、
体は帰ってきても心が全然帰ってこれてません。
最澄も空海も20~30代から山へ登って神様に会って理想のお寺づくりを目指して
2人とも入寂前に完成形は見られなかったけど、
お弟子さんもそのお弟子さんもみんながんばってお寺作って
たまに焼けたり焼かれたりもしたけど
その後のお弟子さんたちもずっとずーっと絶やすまいと受け継いできたと思うと
もう大河ドラマでも描き切れないような気がしてきました。
1200年のエネルギーは伊達じゃないぜ!
時間がなくて行けなかった場所もあるしもう一度見たい場所もあるし、
生きてるうちに絶対また行きますよー比叡山も高野山も!待ってて。
さあ、次はどこへ行こうかな…。
「明日のことはわからない 今ある道をすすむすすむ
猫背をしゃきっと伸ばし手の鳴る方へ
気まぐれ 口笛 ならして
東の空から夜は開ける 当たり前のこと確かめたい
どこからか現れ消えていく 気ままな旅はまだつづく」
(星羅「ふうらいぼう」より)
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