みちのく青森の旅その1。
青森へ旅行に行ってきました☆
GWに高野山と比叡山をお参りしたので、当分、旅に出る予定はなかったのですが
青森県立美術館で成田亨展が開催されると聞いて(成田氏は青森出身です)、
ホウホウと公式Twitterを見ていたらあの鬼の彫刻が展示されるというではありませんか!
「は!!??!!!!????!?!?!?」ってなって調べまくったのですが
関東への巡回がないというではありませんか!!(号泣)
うぎゃあああこれは会いに行かねばーーーって頭パーンして旅行を決めて
せっかくですから他にも観光してこようと思ったわけなのでした。
夜行バスに揺られて(久々によく寝られたバスでした)朝7時到着のはずが
6時半前に弘前駅前に着いてしまって、仕方ないのでベンチでおにぎり食べて
さあ弘前城行きのバスに乗ろう~と歩いていたら、

こんな郵便ポストを発見☆ 弘前はりんごの収穫日本一だそうな。

バスに乗って弘前公園にやって来ました。写真は入口の追手門。
江戸時代の弘前藩主津軽氏の居城だった弘前城がそのまま公園になっているとか。

早朝の園内はとても静かで、ジョギングやお散歩してる人が数人いましたね。
両脇の木はぜんぶ桜。満開の時期は美しいだろうなあ。

杉の大橋。
有事の際に橋を落として敵の侵入を防ぐのを目的に架けられたため、
壊しやすく燃えやすい杉が材料として使われたのでその名がついたらしい。
ちなみに現在は檜材。
この橋を渡ると南門があり、その先にあるのが天守です^^
以下、写真が多いのでたたんであります↓クリックで開閉しますのでどうぞ☆

弘前城天守!初代は江戸時代初期築ですが現在の天守は後期に築かれたそうです。
両隣の木も桜で、お堀の周囲にも桜の木が植わっていますよ~。

真っ白い壁に三層の切妻破風がめちゃくちゃかっこいいね!
そんなに大きくないけど堂々と見えるのは破風がピンと張っているからかな。
天守の内部は弘前城史料館になっていて見学できるそうですけども
開くのが朝9時からとのことで(このときまだ8時にもなっていませんでした)、
引き返すことにしました。
次は桜の季節に来たいな~人多そうだけど。天守にも登ってみたい。

弘前公園の周辺には近代に建てられた洋風建築が多数残されています。
写真は青森銀行記念館(旧第五十九銀行)。重要文化財に指定されています☆
設計者は太宰治の生家「斜陽館」を手掛けた堀江佐吉だ!

銀行記念館前の市民中央広場には安寿と厨子王と母の像がありました。
弘前市にそびえる岩木山には岩木山神社というお社があり、安寿姫が祀られているとか。
2人の話は森鴎外の小説「山椒大夫」にも書かれているよね。

旧東奥義塾外人教師館。
弘前市立東奥義塾(現:東奥義塾高等学校)に招かれていた
外国人英語教師の住まいだったそうです。

実は弘前城より見たかった旧弘前市立図書館!
銀行記念館と同じく堀江佐吉の設計で、ルネサンス様式の木造モルタル製です。
現在の市立図書館は別の建物に移転しており、今は使われていませんが
市立郷土文学館の施設として保存されています☆

内部の見学も可能ですが、やはり朝9時開館で入館はできなかったので
窓ガラスにレンズを当てて根性で撮影。
写真は婦人閲覧室です。当時は男性と女性の閲覧室が別々に設けられるのが普通でした。
(樋口一葉も東京図書館に通っていた頃、館の婦人閲覧室を利用している)
跳ね上げ式の机を見ていると赤毛のアンを思い出すね^^

図書館と教師館の後ろにはミニチュア建造物があります☆
弘前市内に現存する、またはかつて存在していた建物が
実際の1/10サイズで再現され展示されていました。
人々のフィギュアも置いてあって、その視点にカメラを合わせるとリアリティのある写真が撮れます。

公園入口バス停前にあるスタバ弘前公園前店。4月にオープンしたばかりでピカピカだよ!
旧第八師団長官舎だった建物をそのまま利用しているそうです。

弘前駅行きのバスが来るまで時間があったのでひと休み、お庭側のテーブルに座れました。
有形文化財の中でほうじ茶ティーラテ飲めるしあわせ(*´ω`*)
そうこうしているうちにバスが来たので、乗って弘前駅前に戻って
駅前でレンタカーを借りて弘前市から津軽方面へ向かいます。
どこまでも続くりんご農園の向こうには雪をかぶった岩木山が美しく映えていて
ついチラチラ見ながら運転してしまいました。脇見運転よくない。
それにしても弘前市内のドライバーさんたちはとても安全運転(゜ω゜)、
お蔭様で特に交通違反とかすることもなくドライブできました(笑)感謝。

弘前から車で約1時間、つがる市内の木造駅に到着。
駅舎の壁に張りついている高さ17mの超でっかい土偶「シャコちゃん」を見るためだけに
やってまいりましたよ!
角を曲がって駅前通りに差し掛かるとばーんとお姿が見えて大興奮、
わあわあ言いながら駐車場に車を停めて夢中でシャッター切りまくりました。
やばいシャコちゃんかわいい超かわいいいぃぃぃいいい+゚+。:.゚(*゚Д゚*).:。+゚ +゚
モデルになったのはつがる市の亀ヶ岡遺跡から発掘された遮光器土偶。
わたしこの土偶ほんとに大好きで東博の展示も見に行ったし土偶ストラップも持ってますが
その後木造駅に土偶がめり込んでいると聞いたものですから
青森に来ることがあったら何が何でも見たかったんです!感無量です!!
電車の発着時には目からビーム(通称「いらっしゃいビーム」)が出るらしい。なにそれ超見たい。
(町内のマンホールや看板などいたるところにシャコちゃんがいます。もはやアイドル)

駅の横には広場があって古代の建物が再現されています。
ちょっとわかりにくいけど、地面の煉瓦にもシャコちゃん。

木造駅を後にしてレンタカーを走らせること30分、
道路上の青看板に「五所川原」ではなく「龍飛」と表示された時はびびりましたが
無事に金木町に到着。太宰治の家はもうすぐだ!

着いたよ~太宰治記念館「斜陽館」。
近代にこの辺り一帯の大地主だった津島源右衛門(太宰治の父)が建てたものです。
現在は津島家の人は住んでおらず(戦後に手放したらしい)、
いっときは旅館になったのを自治体が買い取って公開しています。

玄関から入るとむちゃくちゃ広い土間に座敷がズラリと並んでいました。
左手には勘定台があって、かつて金融業を営んでいた名残があります。
津島家は青森で4番目の大金持ちだったらしく(金木の殿様と呼ばれていたとか)、
敷地内には役場・郵便局・警察・銀行などが置かれて
周辺一帯が町のようになっていたそうです。(後に発電所と津軽鉄道の線路も作られる)
言われてみれば今も郵便局が近くにあるし、斜陽館の目の前は青森銀行だ。
あと仏間にあった仏壇が食器棚並みの巨大さ+キンキラキンでまぶしかった。

廊下。当時のガラスがそのまま残っているそうです。
この日は風が強かったのでガタガタ鳴っていて、雰囲気からネコバスの通過を連想したり。
台所前には扉つき階段もあってサツキとメイの家を思い出しました^^登れなかったけど。

太宰治誕生の部屋「小間」。
新築されたばかりの家で最初に産まれたのが津島修治、つまり太宰治だったそうです。
11人きょうだいの10番目でした。

2階に上がる階段がモダ~ン。

洋室の隣に太宰の母タネの部屋がありまして、
左から2番目の襖に書かれた漢詩に「斜陽」の文字があることから斜陽の間と呼ばれているそうです。

2階の廊下からお庭が見えます。立派。

角部屋にあった襖絵は真野暁亭という、河鍋暁斎に学んだ経験がある絵師ですって奥さん!
青森でまさかの暁斎先生!ほんと弟子いっぱいいるよなあ…。
弟子の国も国籍もバラエティに富むインターナショナル絵師暁斎。

米蔵も2つあって、現在は展示室になっています(撮影禁止)。
一つ目は太宰治の遺品や作品、津島家の生活用品などが展示されていて
直筆原稿や手紙、文房具や初版本などを見ることができます。
コートのサイズが思いのほか大きくてびっくり、身長175㎝だもんね。
「叔母の言ふ」と題された本人の書に
「お前はきりやうがわるいから 愛嬌だけでもよくなさい
お前はからだが弱いから 心だけでもよくなさい
お前は嘘がうまいから おこなひだけでもよくなさい」とあって、
そうだ修治君はお母さんの体が弱かったから叔母さんと女中さんに育てられたんだっけ、と。
二つ目の蔵は、わたしが訪れた時は太宰治と中国文学についての企画展が行われていました。
津島家全盛期にはこの蔵に周囲の小作人からの米俵が無数に仕舞われていたそうです。
家の発展と源右衛門の出世によって潤う一方、まわりはどんどん小作人に落ちていって
小さな修治君はそれらを目の当たりにしながら吹っ切ることもできずに成長したわけで
どんなにどんなに悩んだろうと思う。

斜陽館から歩いて5分の場所に津島家新座敷という建物があります。
太宰の兄夫婦が住んでいた新居で、昔は斜陽館に併設され廊下でつながっていましたが
戦後の農地改革で母屋を手放す際、ここだけ移築して家族の居宅にしたそうです。
移築といっても津島家敷地の中の移動ですけどねとガイドさんに聞いて驚いてしまいました。
家の敷地を歩いて5分かかるってどんだけ広いんだよ…イオンの駐車場みたい^^;

玄関から入るとこんな洋間になっています。
奥が実際に津島家の人々の暮らした和室です。

お座敷。太宰の母タネが亡くなった部屋でもあるそうです。
母が危篤と聞いて東京からすっ飛んできた太宰が、集まっていた親戚たちの見守る中
ベッドに横たわるお母さんの手をしっかり握ったと短編「故郷」にありますね。
(近所の噂になるといけないから裏口からこっそり入ってきたとも)
奥の小さな座敷は太平洋戦争中に家族で疎開してきた太宰の執筆スペースで、
ガイドさんが「どうぞお座りください」と言ってくださったので有難く座らせてもらいました。
ふおお作家の目線!ふおおお!
家族とはあまりうまくいっていなかった太宰ですけども
噂を聞きつけた現地の文学青年たちは「太宰先生が来てるぞ!」とこの家を訪ねてきて
とても賑やかな時間を過ごすこともあったようです^^
(太宰はお客さんを迎えるとお酒ばっかり飲んでたみたいですが)
ちなみに当時青年だった方々が時折、ふらりと訪れるそうです。だいたい80~90代だとか。
もし太宰が生きていたら今年で106歳ですから
もしかしたらこの家が老人たちの交流の場になっていたかもしれないですね。
戦争が終わり東京へ戻った太宰が自殺するまでわずか1年半。
結核を患っていたので自殺しなくても半年持たなかったろうとガイドさんから伺いました。
その間に書かれた作品は御伽草子やパンドラの匣、ヴィヨンの妻、斜陽、人間失格、
グッド・バイなど長編短編合わせて数十作にのぼるという多作ぶり。
38歳だもんね…津島家とも和解できていたし、力が満ち満ちていたのかもしれない。
そういえばガイドのお兄さんが「どちらからですか」と聞かれたので「埼玉です」と答えると
「おや遠くから。しかもいい時期に来てくださいましたよ」とニコニコおっしゃいました。
実は小説『津軽』の取材のため太宰治が金木町に帰って来たことがあって
それが1944年5月21日~24日なんだそうです。
わたしが訪れたのは23日、ヒョエーなんですか何のお導きですか太宰さん!(゚Д゚;≡;゚Д゚)
『津軽』はその年の11月に刊行されています。

洋間。
造りつけのストーブの上の写真に修治君と弟と3番目の兄と2人の姪っ子が
ストーブをバックにソファに座った状態で写っていて微笑ましい。
廊下には寄木細工のような模様が描かれていました。特注だそうです。
この奥に兄夫婦の寝室と居間がありまして、
まだ小さかった頃の修治君は廊下(うぐいす張り)から居間をのぞき
お兄さんのお嫁さんがどんな人が確かめようとしたこともあるそうです。おませ君。
新座敷から斜陽館への坂道は「メロス坂通り」という名前がついていて
メロスの小説から一部を引用した看板も点々と立っています。
あと、五所川原市主催の「走れメロスマラソン」なるポスターを見かけました…。
すでに今年で4回目の開催だそうですが、
走れメロスというからには出場者は全員、友達をひとりずつゴールに待たせて
主催者に激怒しながらスタートを切ってそれぞれのマラソンコースを走りきり、
ゴールしたら一発ずつ殴り合って熱く抱擁しなければならないのでしょうか(爆)。
マラソン大会にこれ以上似合う名前もないね…考えた人GJ。

斜陽館から歩いて2分のところにある雲祥寺。
修治君の子守をしていたタキさんという女性のご実家の菩提寺です。
5~6歳の修治君が見て泣いてしまったという御絵掛地「十王曼陀羅」も見られます。
(のんのんばあに連れられて正福寺の六道絵を見て「これが別の世界か」と感心したという
水木しげる氏とは正反対だなあ、やはり氏は妖怪だかrゲフンゲフン)

レンタカーで金木小学校付近を通りかかったときに見つけた「太宰治思い出広場」。
レンガの壁に太宰の作品タイトルが年代順に並んでいました。

斜陽館から車で5分、芦野公園に着きました。
写真はカフェ「駅舎」。元芦野公園駅の駅舎をそのまま使用しているそうです。

この線路、津軽鉄道の線路として今も現役!
公園の中を電車が走っているって奈良の平城宮跡みたいですね。

駅舎から左手にずんずん歩いていくと津軽三味線発祥の地碑がありました。
津軽三味線の元祖秋元仁太郎(神原の仁太坊)が金木町の出身ということから建てられ、
春の桜まつりには三味線の全国大会も開かれるそうです。

太宰治像。晩年の姿でしょうか。

ファンにより建てられた太宰治文学碑。
「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」というのは
太宰が愛したフランスの詩人ポール・ヴェルレーヌの詩集「叡知」からの引用です。
裏にはフランス語の原詩も彫ってありました。

太宰像と文学碑の間から伸びている吊り橋。
風が強くてギシギシ鳴っていましたが、この先に何があるか知りたくて渡ってみました。

吊り橋の次は浮き橋。「夢の浮橋」という、源氏物語みたいな名前がついています。

水バッシャバッシャはねてた。。この先はキャンプ場があるようです。

吊り橋から公園の反対側に向かって歩いていくと、太宰橋がありました。
金木町の山の木(ヒバ)を使用しているらしい。

公園のツツジが満開でした。
いつから植えられているのかわかりませんが、小さかった修治君が遊びに来たときや
ちょうど今頃「津軽」の取材で太宰が金木町に戻っていたときは咲いてたのかな。
そんなこんなで名残惜しいですが津軽を後にして
レンタカーで1時間かけて青森市内に移動。
山道をくねくね走らされてナビの設定間違えたかしらと不安になった頃、
ふっと前が開けてわーやっと降りてきたなあとホッとしたとたんに
ものすごい強風にあおられてハンドル取られるかと思いました。。
「本日の海風 風速7km」などと道路の電光掲示板に表示されているのを見かけたりして
ああ、海沿いを走っているんだなあとワクワク。←海なし県民

青森県立美術館に到着したよ!成田亨展をいよいよ鑑賞します!楽しみです!!

真っ白な建物が長く伸びている面白い設計。
展示室への入口がいくつかあって、成田亨展は一番手前でした。

ウルトラセブンに出てきたポインター!
ナンバープレートは取得していないため公道は走れませんが
乗って動かすことはできるらしく、搬入の際には駐車場から動かして運んできたようです。
県美の顔本に動画がアップされていました→こちら。すげええぇ動いてる(゚Д゚)

展示で(特に鬼展示で)めちゃくちゃエネルギー使うだろうと思ったので
鑑賞前に美術館カフェ「4匹の猫」にてオヒルゴ・ハーン。
あべ鶏のBLTベーグルをいただきました~ボリュームたっぷりでおいしかった☆

青森産りんごとクリームチーズのタルトにアップルティー。りんご尽くし。
青森に来たらりんごスイーツを食べなきゃいけないんですよ!(別にいけなくはない)

お腹がいっぱいになりましたのでいざ展示室へ。
入口からしてすごい雰囲気、ウルトラマンと彫刻が並んでいる時点で
特撮だけじゃないよっていう成田氏と学芸員さんの心意気を感じた。
成田氏の展覧会はこれまでも何度か開催されていますけども
だいたいが特撮美術に関する展示でしたので(まあ無理もない)、
彫刻、絵画、デザイン、イラスト、特撮美術と73年の生涯で多岐にわたる活動を網羅した
大回顧展は史上初だそうで、そういう意味でも画期的ですな。
(実際、展示品が700点以上にのぼるとかで作品リストの作成も不可能とのことでした)
まずは初期の彫刻作品や習作のスケッチの展示がありまして、
ヤタガラスがモチーフと思われるメカは生き物というより機械的だったり
唄の彫刻のからだのひねり具合も極端だったりして
まだご自分のスタイルの模索段階っぽい感じ。
ゴジラとゴジラの逆襲の制作現場でバイトしてらっしゃったとキャプションで初めて知った!
その時円谷英二氏と出会って、ウルトラQの企画で再会してタッグ組んだみたいですね。
モンスター大図鑑や未発表怪獣のデザイン原画が
壁にびっしり展示されてて圧倒、これでもほんの一部なんだそうな…。
ドラゴン、キメラ、ドラキュラ、セイレーン、ゴブリン、ホビット、オーク、トロル、ドッペルゲンガー、
エルフ、ユニコーン、ジャバウォック、バジリスク、グレムリン、スライムほか
世界の神話のモンスターたちが今にも動き出しそうなタッチで描かれています。
怖いし迫力あるけど全然グロテスクじゃないのがすごいね…。
怖さとグロさって紙一重のような気がしますが
気持ち悪さを出さずにビジュアルで恐怖や畏怖を表現するのは本当に難しいと思う。
「怪獣は怖くて愛嬌があればいいのです」という氏の言葉がキャプションにあって
言われてみれば怖さだけじゃなくユーモアもあったから
子どもの頃あんなに成田氏の怪獣が好きだったんだな…と思ったりしました。
『ナリタ・モンストロ・ヒストリカ』という作品も制作されていて
メソポタミアの怪獣やエジプトのホルス、グリフィン、ケンタウロス、デュラーの竜、
ガルーダ、ガネーシャ、八頭大蛇などの絵に成田氏の考察が寄せられたもので
幻獣図鑑のようになっています。
鉛筆1本でここまで奥行きと立体感と躍動感を出せるものなのか…。
考察は「怪獣って何だろうと首をかしげながら」とはおっしゃいつつ
確かな知識と生き物たちへのリスペクトに裏打ちされていてもはや哲学。
晩年に氏は東洋のモンスターをよく描いていたとかで、
神話や神獣に登場する生き物たちの絵も。
四神を描いた「四神獣」の生き物感と神々しさが両立しててすごいと思いました、
さっきヒストリカでも思ったけど生きてるわ…そうかこう描けばいいんだ…。
草むらの白虎とか、空を飛ぶ朱雀とか、荒野の岩にたたずむ玄武とか、
牛若と戦う鞍馬の僧正坊とか、刀を振り上げる首なし武士とか、もう雰囲気ありすぎて最高です。
なんだろうなんだろう、成田氏の描くモンスターって血がかよっているというか
キャンバスに手を入れたら向こうの世界の風や気温やモンスターの吐息まで伝わりそうな
生命力にあふれまくっている感じがします。生きてる。
彫刻作品もあって、六角錐のそれぞれの面に鬼が埋め込まれたレリーフは
宗達に取材したと思われる風神雷神の躍動感に夜叉や羅刹のするどさ、
般若の恐ろしさと悲しさに地獄鬼の凶暴さに阿修羅の神々しさと力強さ。
酒呑童子は生首レリーフで首から下がないのですが
目と口をかっと開いて呵呵大笑していて泣きそうになりました。
そしていよいよです…鬼モニュメントの展示スペースです…。
あまりに巨大なため、鬼レリーフを鑑賞してるとき後ろにチラチラ見えていたのですが
中途半端に見たくなくてがんばって手でさえぎって、
よし心の準備できた!と顔を伏せたままモニュメントに近づいてパッと顔を上げたら
いたあああぁぁぁぁああああああ鬼3人いたあああぁぁぁあああああ
去年の福知山旅行ではズームしたカメラのレンズ越しにしか見られなかったけど
今回は目の前で!カメラや双眼鏡もなしで!自分の目で鬼たちに会えた~~(;∀;)
酒呑童子の呵呵大笑をこんな間近で見られる日が来るなんて…来るなんてっ…!
あまりに感激しすぎてウゴウゴルーガのロボットくんみたいに頭がパカッと開いて
脳みそがロケット噴射して大気圏を突破しそうになった。
もうガチで涙出まして、この瞬間鬼たちにのしかかられてしんでもいいと思った。
青森県立美術館さんありがとうございますありがとうございますありがとうございます!
よかった来てよかった本当によかった生きててよかった。
この鬼たち、福知山のモニュメントをそのまま持ってきたのか
成田氏が別に制作したものなのかわからなくて、キャプションにも何も書いてなくて
スタッフさんに聞こうかとも思ったけどあの時のわたし頭パンパンで言語機能がマヒしていて
SHIROBAKOの久乃木さんみたいに「あ」とか「う」とかしか言えなくて
結局聞けませんでした…。
もういいやどっちでも、福知山のを持ってきたなら青森県美グッジョブだし
成田氏の別作品なら鬼が合計6体になるってわけでさらにすばらしいことだよ。
あの彫刻がこの世に2種類あるかもしれないと考えただけで脳みそが大気圏をとpp(ry
本当に穴があくほど見つめてしまってどれくらいそうしていたか記憶にございません。
絶対スタッフさんにこいつまだいるよって思われただろうな…。
モニュメントの近くには「大江山の鬼」と題された成田氏の言葉が添えてあって
「酒呑童子は叡山の児のなれのはてであり、それを誇りに思っていたから
成長して盗賊になっても童子と名乗っていたのである。
童子は肩までの長髪で、けっして月代を剃らなかった。
それは神人であるあかしであって仏教徒への反抗でもあった。
浮浪無頼の徒に破滅していった屈辱をせい一杯に正当化している衰亡のあわれがある」
ギャー!!(仏倒れで地面に頭つっこむ)
鬼たちへのやさしいまなざしと敬愛が伝わってくるようなお言葉ではないか…つか御伽草子読まれたんですね…(そこかい)
またモニュメントの近くには、氏が日本の鬼の交流博物館(福知山市)のために描いた
日本各地の民話や民俗芸能から題材を得た鬼たちの顔が、額装されてズラリ。
ここでも酒呑童子は笑顔だったので泣けました。成田氏ブレないな…。
茨木童子は柔和な巨大顔、星熊童子はむっつりのオッサン顔だった。
ウルトラシリーズにおけるウルトラ戦士たちと怪獣たちのデザイン画。
成田氏の怪獣デザイン三原則(動物をただ巨大化させない、
奇形化(頭が二つとか八つとか、ひとつの体に獅子と竜と羊の首がつく等)はしない、
傷や傷跡をつけたり血を流したりはしない)にのっとってデザインされた怪獣たちは
生命力にあふれアイデンティティさえ垣間見えます。
カネゴンやセミ人間かわいいしケムール人はブキミー族だしジャミラ哀しいし
ダダにゴモラにレッドキングにゼットン、日本一有名な宇宙人バルタン星人なども
色々なデザインを経て決定稿に至っていたんですね…。
ネタ帳とみられるスケッチブックにもスケッチや写真が貼ってあって
ブラジルのバッタとか無脊椎動物などからもヒントを得ていたことがわかります。
黒田長政の兜を見てゴモラをデザインしたり、顕微鏡で見たダニの写真や魚をモチーフにしたり
ありとあらゆる観察からデザインを起こしていたとキャプションの言葉にもありました。
(長政の兜はよほど気に入られたらしくMUなど実現しなかった企画のデザインにも使われていた)
そんなカオスな怪獣たちに比べ、ウルトラマンのシンプルなこと。
カラータイマーがなくてあれっと思うかもだけど、ちゃんと理由があって
胸にカラータイマーをつけるのを嫌った氏はデザイン画にも描かなかったんだよね。
ウルトラマンのマスクは目が光っていてかっこよかった、
中の人古谷敏さんの顔に合わせて作られたマスクですね…。
当時の映像や写真とか見てるとウルトラマンの立ち姿やスペシウム光線ポーズが美しすぎて
あの体格と筋肉を保つのにどれだけ努力なさっただろうと思うと胸がいっぱいになる。
ウルトラセブンも試行錯誤がとても多かったようで、
やっとわたしが知るセブンになったのは10枚目くらい。
エレキングも三日月みたいな目とニタアと笑う口がすごい魅力的、幼獣形態もかわゆす。
あと、展示室に入るときは気づかなかったけど
出て横をふっと見たら暗がりにウルトラマンの墓と題された作品(?)が!
「南無妙法蓮華経」と荒々しく刻まれた墓石にウルトラマンの顔だけがついていて
そばには成田氏による鎮魂の詩が。
「星から来た勇者 地球を救った勇者 永遠であれ
君を利用し 金儲けをたくらむ地球人の為に
角をつけたり 髭をつけたり 乳房を出したりしてはいけない
スーツを着たり 和服を着たり 星空に向かってラーメンをかゝげてはいけない
経済と技術に溺れて了った地球人は 叡智と勇気を失って いま もだえ苦しんでいる
しかし 遠からず必ず不変の叡智を取りもどすだろう
君は星空の彼方から見とどけてくれたまえ
永遠の偶像よ」
何度目かわかりませんが泣きそうになった。
映画「麻雀放浪記」の上野の焼野原セットを再現した展示では
レールとキャスター付きのカメラが置かれていて自由に動かす体験ができます。
セットの脇にテレビが置いてあって、そこにカメラの映像が映るというもの。
実写映画でも等身大セットじゃなくミニチュアセット使って撮影することあるんですな…。
おもしろくてつい何度も動かして楽しんだ後にセットの後ろへ回ったら
建物はほとんどハリボテで造られていることがわかりました。
カメラで撮影するとあんなにリアルに見えるのになあ、視覚トリックすごい。
あと「この子を残して」のセットや背景美術に参加されていたの知らなかったー!
原爆とキノコ雲と浦上天主堂の美術と絵コンテ…そうか成田氏だったのですか。
後年、成田氏は自分が彫刻家なのか特撮デザイナーなのか何度も悩んだそうです。
彫刻を展覧会に出品して認められるとうれしい一方で
バルタン星人のぬいぐるみを抱く子どもを見て涙がこぼれたとか。
そんな頃、ウルトラシリーズからも彫刻からも離れていっとき絵画に没頭し
膨大な油彩画やアクリル画を制作したようで、内容は写生、静物画、怪獣と風景画など多彩です。
ヌードとケムールとかめちゃくちゃシュールでダリとかこんな絵描いてそうだし
ひまわりはもっとタッチを荒くしたらゴッホになったかもしれないし。
飛行メカが海上を飛ぶ一瞬の動きをとらえたアクリル画の、無機質な機体とうねる水しぶき。
ひっそりした街の上空に浮かぶ、落花生の殻みたいな乗り物の上でたそがれるカネゴン。
翼をもった人間の化石は、両翼はそれぞれ科学と経済をあらわし
それらを信奉しすぎた人間の末路を表現した彫刻でまさに芸術品。
ウルトラマン・ウルトラセブン・ネクスト3体のレジン像にも
「真実と正義と美の化身」というタイトル(本当にその通りだと震撼した)の油彩画ウルトラマンにも
やっぱりカラータイマーはついていなかった。
葛藤はあったけど怪獣も戦士たちも氏にとって芸術だったのだろうな…。
最後の仕事はヒューマンのフィギュアの監修で、それから間もなく亡くなられています。
最後の展示が、図録の表紙にもなっている夜空に風船を見上げるピグモンの絵でした。
出口に「天井をご覧ください」と貼り紙があったので出てから見上げると
赤い風船がひとつだけ天井に留まっていました。
あれはウルトラマン8話でピグモンが科特隊につけられた風船爆弾ですな…(後でレッドキングに炸裂するやつ)。
美術館によると「持ち手がいなくなって空に浮かぶ風船に
成田さんへの追悼と感謝の気持ちを込めています」とのことでした。じーん。

常設展も見てきました。奈良美智さんのあおもり犬には自然に頭が下がります。
あと馬場のぼるさんの11ぴきのねこ部屋がすごい和みました…
絵本コーナーのねこもかわいい、なまはげ親子の絵本原画もほわほわあったかくて和む…。
大きな吹き抜けの部屋の壁3面にシャガールの巨大アートがあってファンタジック!

壁の県美マークがチカチカしていた。
いやあお腹いっぱいになりました…。
正直、ここまでエネルギー使うと思ってなくて身も心もヘロヘロでしたけども
しっかりしろすぐ側に古代人が待っているぞと言い聞かせて
這うようにして美術館の隣にある三内丸山遺跡へ行きました。

「遺跡ー!うおおお!!」と、なんか看板見たら元気出ました。(単純)
古代人パワー。

結構広い敷地に古代の建物や遺構がそのまま再現・保存されていて自由に見学できます。
これで見学料無料って!いいんすか!むしろ払うよ!?
全国の遺跡好きさん考古学好きさんぜひ見に来るべきです。

竪穴住居に再現された住居。
跡地がこれまでに500棟以上も見つかっているそうで、
このあたりに大変大きなムラがあったことが伺えます。

ドームに覆われて保存されている遺構もあります。写真は南盛り土。
大量の土器や石器やヒスイなどが捨てられていた場所で、
発掘の穴からは黒ずんだ石がいくつものぞいていました。
当時の人はもう使わないってことで捨てたんだろうし、つまりゴミなわけですけど
このゴミめっちゃいい資料ですねありがとう。
他にも大人の墓や子どもの墓、北ノ谷(ゴミ捨て場)、
大型掘立柱住居跡などがドームの中で保存されていました。

大型掘立柱建物と大型掘立住居。どちらも復元です。
左端に歩いているおじさんと比べてみてください、でかいよー。

大型掘立住居の内部です。
たぶん中心の火をたくところで会議とか占いとか行われていたんだろうな…。

個人的にツボだったのがこれ、土器の水飲み場(笑)。
ちょっとしたところに遊び心を出してくれる施設は大好きです(^v^)。

レンタカーで20分くらい移動して、青森港の近くにある諏訪神社に来ました。
大国主の子である武御名方神(水の神様)を祀っているそうです。

拝殿。

ここに来たかった理由はこれです、イルカの参詣伝説☆
神社の前に流れる堤川をさかのぼってイルカがお参りに来たという言い伝えがあるそうです。
今のお社は堤川沿いですが、昔はもっと海に近い川の中州にあったそうで
イルカがやって来たとしても不思議はないような。
青森湾内には今もイルカがいるようですがそんなに数は多くないらしくて
昔は写真の絵みたいにきっとたくさんいたのでしょうね。

拝殿の中にイルカのねぶたがいくつかありました。
余談ですがこの神社には諏訪のいるか丸というゆるキャラがいてTwitterもやっています。
語尾に必ず「~キュ」ってついててかわいい☆

日も暮れてきたので青森駅まで移動して、レンタカーを駅で返してホテルにチェックイン後、
駅前にあるねぶたの家ワ・ラッセに来ました。
ねぶたミュージアムとしてねぶたに関する展示を行っている施設です。
チケットを買おうとしたら受付にいたお姉さんがピーヒャラと横笛を奏で始めて
びっくりしましたけどとてもすばらしい演奏を聴かせていただきました。

天井からぶら下がっていた金魚ねぶた。かわいい。

館内にはたくさんのねぶたが展示されています。どれもすごい迫力でまるで不夜城!
夏にはこんな大きなのが駅前道路を練り歩くわけで、夜でも明るく感じそう。
いつかお祭りの季節に来てみたいです。人多そうだけど。

壁には歴代ねぶた師たちの制作した顔がズラリと。
みんな口開けておっかない顔して、大声でケンカしてるみたいに見える(笑)。

月末の東北六魂祭に出品するねぶたも置いてあったのですが
「現在制作中です」との看板が。間に合ったのかな?(^^;)

ワ・ラッセの隣にあるA-Factoryで晩御飯^^
魚介類が食べたいなーとお寿司をいただきました。サビ抜きにしてくださって有難かった。

外に出たらA-Factoryの建物がライトアップされてた~きれい☆
建物の後ろにあるのは青森ベイブリッジです。

時間が経つと色が変わってました。
この後はホテルに戻ってブラタモリ鎌倉編見てお風呂に入って、
次の日のブロともさんとの合流時間だけ確かめて早々に寝てしまいました。
たくさん移動して色んなもの見て頭も心も充実。よい1日でした。
次回記事では本州最北端と恐山のレポをお届けします!
GWに高野山と比叡山をお参りしたので、当分、旅に出る予定はなかったのですが
青森県立美術館で成田亨展が開催されると聞いて(成田氏は青森出身です)、
ホウホウと公式Twitterを見ていたらあの鬼の彫刻が展示されるというではありませんか!
「は!!??!!!!????!?!?!?」ってなって調べまくったのですが
関東への巡回がないというではありませんか!!(号泣)
うぎゃあああこれは会いに行かねばーーーって頭パーンして旅行を決めて
せっかくですから他にも観光してこようと思ったわけなのでした。
夜行バスに揺られて(久々によく寝られたバスでした)朝7時到着のはずが
6時半前に弘前駅前に着いてしまって、仕方ないのでベンチでおにぎり食べて
さあ弘前城行きのバスに乗ろう~と歩いていたら、

こんな郵便ポストを発見☆ 弘前はりんごの収穫日本一だそうな。

バスに乗って弘前公園にやって来ました。写真は入口の追手門。
江戸時代の弘前藩主津軽氏の居城だった弘前城がそのまま公園になっているとか。

早朝の園内はとても静かで、ジョギングやお散歩してる人が数人いましたね。
両脇の木はぜんぶ桜。満開の時期は美しいだろうなあ。

杉の大橋。
有事の際に橋を落として敵の侵入を防ぐのを目的に架けられたため、
壊しやすく燃えやすい杉が材料として使われたのでその名がついたらしい。
ちなみに現在は檜材。
この橋を渡ると南門があり、その先にあるのが天守です^^
以下、写真が多いのでたたんであります↓クリックで開閉しますのでどうぞ☆

弘前城天守!初代は江戸時代初期築ですが現在の天守は後期に築かれたそうです。
両隣の木も桜で、お堀の周囲にも桜の木が植わっていますよ~。

真っ白い壁に三層の切妻破風がめちゃくちゃかっこいいね!
そんなに大きくないけど堂々と見えるのは破風がピンと張っているからかな。
天守の内部は弘前城史料館になっていて見学できるそうですけども
開くのが朝9時からとのことで(このときまだ8時にもなっていませんでした)、
引き返すことにしました。
次は桜の季節に来たいな~人多そうだけど。天守にも登ってみたい。

弘前公園の周辺には近代に建てられた洋風建築が多数残されています。
写真は青森銀行記念館(旧第五十九銀行)。重要文化財に指定されています☆
設計者は太宰治の生家「斜陽館」を手掛けた堀江佐吉だ!

銀行記念館前の市民中央広場には安寿と厨子王と母の像がありました。
弘前市にそびえる岩木山には岩木山神社というお社があり、安寿姫が祀られているとか。
2人の話は森鴎外の小説「山椒大夫」にも書かれているよね。

旧東奥義塾外人教師館。
弘前市立東奥義塾(現:東奥義塾高等学校)に招かれていた
外国人英語教師の住まいだったそうです。

実は弘前城より見たかった旧弘前市立図書館!
銀行記念館と同じく堀江佐吉の設計で、ルネサンス様式の木造モルタル製です。
現在の市立図書館は別の建物に移転しており、今は使われていませんが
市立郷土文学館の施設として保存されています☆

内部の見学も可能ですが、やはり朝9時開館で入館はできなかったので
窓ガラスにレンズを当てて根性で撮影。
写真は婦人閲覧室です。当時は男性と女性の閲覧室が別々に設けられるのが普通でした。
(樋口一葉も東京図書館に通っていた頃、館の婦人閲覧室を利用している)
跳ね上げ式の机を見ていると赤毛のアンを思い出すね^^

図書館と教師館の後ろにはミニチュア建造物があります☆
弘前市内に現存する、またはかつて存在していた建物が
実際の1/10サイズで再現され展示されていました。
人々のフィギュアも置いてあって、その視点にカメラを合わせるとリアリティのある写真が撮れます。

公園入口バス停前にあるスタバ弘前公園前店。4月にオープンしたばかりでピカピカだよ!
旧第八師団長官舎だった建物をそのまま利用しているそうです。

弘前駅行きのバスが来るまで時間があったのでひと休み、お庭側のテーブルに座れました。
有形文化財の中でほうじ茶ティーラテ飲めるしあわせ(*´ω`*)
そうこうしているうちにバスが来たので、乗って弘前駅前に戻って
駅前でレンタカーを借りて弘前市から津軽方面へ向かいます。
どこまでも続くりんご農園の向こうには雪をかぶった岩木山が美しく映えていて
ついチラチラ見ながら運転してしまいました。脇見運転よくない。
それにしても弘前市内のドライバーさんたちはとても安全運転(゜ω゜)、
お蔭様で特に交通違反とかすることもなくドライブできました(笑)感謝。

弘前から車で約1時間、つがる市内の木造駅に到着。
駅舎の壁に張りついている高さ17mの超でっかい土偶「シャコちゃん」を見るためだけに
やってまいりましたよ!
角を曲がって駅前通りに差し掛かるとばーんとお姿が見えて大興奮、
わあわあ言いながら駐車場に車を停めて夢中でシャッター切りまくりました。
やばいシャコちゃんかわいい超かわいいいぃぃぃいいい+゚+。:.゚(*゚Д゚*).:。+゚ +゚
モデルになったのはつがる市の亀ヶ岡遺跡から発掘された遮光器土偶。
わたしこの土偶ほんとに大好きで東博の展示も見に行ったし土偶ストラップも持ってますが
その後木造駅に土偶がめり込んでいると聞いたものですから
青森に来ることがあったら何が何でも見たかったんです!感無量です!!
電車の発着時には目からビーム(通称「いらっしゃいビーム」)が出るらしい。なにそれ超見たい。
(町内のマンホールや看板などいたるところにシャコちゃんがいます。もはやアイドル)

駅の横には広場があって古代の建物が再現されています。
ちょっとわかりにくいけど、地面の煉瓦にもシャコちゃん。

木造駅を後にしてレンタカーを走らせること30分、
道路上の青看板に「五所川原」ではなく「龍飛」と表示された時はびびりましたが
無事に金木町に到着。太宰治の家はもうすぐだ!

着いたよ~太宰治記念館「斜陽館」。
近代にこの辺り一帯の大地主だった津島源右衛門(太宰治の父)が建てたものです。
現在は津島家の人は住んでおらず(戦後に手放したらしい)、
いっときは旅館になったのを自治体が買い取って公開しています。

玄関から入るとむちゃくちゃ広い土間に座敷がズラリと並んでいました。
左手には勘定台があって、かつて金融業を営んでいた名残があります。
津島家は青森で4番目の大金持ちだったらしく(金木の殿様と呼ばれていたとか)、
敷地内には役場・郵便局・警察・銀行などが置かれて
周辺一帯が町のようになっていたそうです。(後に発電所と津軽鉄道の線路も作られる)
言われてみれば今も郵便局が近くにあるし、斜陽館の目の前は青森銀行だ。
あと仏間にあった仏壇が食器棚並みの巨大さ+キンキラキンでまぶしかった。

廊下。当時のガラスがそのまま残っているそうです。
この日は風が強かったのでガタガタ鳴っていて、雰囲気からネコバスの通過を連想したり。
台所前には扉つき階段もあってサツキとメイの家を思い出しました^^登れなかったけど。

太宰治誕生の部屋「小間」。
新築されたばかりの家で最初に産まれたのが津島修治、つまり太宰治だったそうです。
11人きょうだいの10番目でした。

2階に上がる階段がモダ~ン。

洋室の隣に太宰の母タネの部屋がありまして、
左から2番目の襖に書かれた漢詩に「斜陽」の文字があることから斜陽の間と呼ばれているそうです。

2階の廊下からお庭が見えます。立派。

角部屋にあった襖絵は真野暁亭という、河鍋暁斎に学んだ経験がある絵師ですって奥さん!
青森でまさかの暁斎先生!ほんと弟子いっぱいいるよなあ…。
弟子の国も国籍もバラエティに富むインターナショナル絵師暁斎。

米蔵も2つあって、現在は展示室になっています(撮影禁止)。
一つ目は太宰治の遺品や作品、津島家の生活用品などが展示されていて
直筆原稿や手紙、文房具や初版本などを見ることができます。
コートのサイズが思いのほか大きくてびっくり、身長175㎝だもんね。
「叔母の言ふ」と題された本人の書に
「お前はきりやうがわるいから 愛嬌だけでもよくなさい
お前はからだが弱いから 心だけでもよくなさい
お前は嘘がうまいから おこなひだけでもよくなさい」とあって、
そうだ修治君はお母さんの体が弱かったから叔母さんと女中さんに育てられたんだっけ、と。
二つ目の蔵は、わたしが訪れた時は太宰治と中国文学についての企画展が行われていました。
津島家全盛期にはこの蔵に周囲の小作人からの米俵が無数に仕舞われていたそうです。
家の発展と源右衛門の出世によって潤う一方、まわりはどんどん小作人に落ちていって
小さな修治君はそれらを目の当たりにしながら吹っ切ることもできずに成長したわけで
どんなにどんなに悩んだろうと思う。

斜陽館から歩いて5分の場所に津島家新座敷という建物があります。
太宰の兄夫婦が住んでいた新居で、昔は斜陽館に併設され廊下でつながっていましたが
戦後の農地改革で母屋を手放す際、ここだけ移築して家族の居宅にしたそうです。
移築といっても津島家敷地の中の移動ですけどねとガイドさんに聞いて驚いてしまいました。
家の敷地を歩いて5分かかるってどんだけ広いんだよ…イオンの駐車場みたい^^;

玄関から入るとこんな洋間になっています。
奥が実際に津島家の人々の暮らした和室です。

お座敷。太宰の母タネが亡くなった部屋でもあるそうです。
母が危篤と聞いて東京からすっ飛んできた太宰が、集まっていた親戚たちの見守る中
ベッドに横たわるお母さんの手をしっかり握ったと短編「故郷」にありますね。
(近所の噂になるといけないから裏口からこっそり入ってきたとも)
奥の小さな座敷は太平洋戦争中に家族で疎開してきた太宰の執筆スペースで、
ガイドさんが「どうぞお座りください」と言ってくださったので有難く座らせてもらいました。
ふおお作家の目線!ふおおお!
家族とはあまりうまくいっていなかった太宰ですけども
噂を聞きつけた現地の文学青年たちは「太宰先生が来てるぞ!」とこの家を訪ねてきて
とても賑やかな時間を過ごすこともあったようです^^
(太宰はお客さんを迎えるとお酒ばっかり飲んでたみたいですが)
ちなみに当時青年だった方々が時折、ふらりと訪れるそうです。だいたい80~90代だとか。
もし太宰が生きていたら今年で106歳ですから
もしかしたらこの家が老人たちの交流の場になっていたかもしれないですね。
戦争が終わり東京へ戻った太宰が自殺するまでわずか1年半。
結核を患っていたので自殺しなくても半年持たなかったろうとガイドさんから伺いました。
その間に書かれた作品は御伽草子やパンドラの匣、ヴィヨンの妻、斜陽、人間失格、
グッド・バイなど長編短編合わせて数十作にのぼるという多作ぶり。
38歳だもんね…津島家とも和解できていたし、力が満ち満ちていたのかもしれない。
そういえばガイドのお兄さんが「どちらからですか」と聞かれたので「埼玉です」と答えると
「おや遠くから。しかもいい時期に来てくださいましたよ」とニコニコおっしゃいました。
実は小説『津軽』の取材のため太宰治が金木町に帰って来たことがあって
それが1944年5月21日~24日なんだそうです。
わたしが訪れたのは23日、ヒョエーなんですか何のお導きですか太宰さん!(゚Д゚;≡;゚Д゚)
『津軽』はその年の11月に刊行されています。

洋間。
造りつけのストーブの上の写真に修治君と弟と3番目の兄と2人の姪っ子が
ストーブをバックにソファに座った状態で写っていて微笑ましい。
廊下には寄木細工のような模様が描かれていました。特注だそうです。
この奥に兄夫婦の寝室と居間がありまして、
まだ小さかった頃の修治君は廊下(うぐいす張り)から居間をのぞき
お兄さんのお嫁さんがどんな人が確かめようとしたこともあるそうです。おませ君。
新座敷から斜陽館への坂道は「メロス坂通り」という名前がついていて
メロスの小説から一部を引用した看板も点々と立っています。
あと、五所川原市主催の「走れメロスマラソン」なるポスターを見かけました…。
すでに今年で4回目の開催だそうですが、
走れメロスというからには出場者は全員、友達をひとりずつゴールに待たせて
主催者に激怒しながらスタートを切ってそれぞれのマラソンコースを走りきり、
ゴールしたら一発ずつ殴り合って熱く抱擁しなければならないのでしょうか(爆)。
マラソン大会にこれ以上似合う名前もないね…考えた人GJ。

斜陽館から歩いて2分のところにある雲祥寺。
修治君の子守をしていたタキさんという女性のご実家の菩提寺です。
5~6歳の修治君が見て泣いてしまったという御絵掛地「十王曼陀羅」も見られます。
(のんのんばあに連れられて正福寺の六道絵を見て「これが別の世界か」と感心したという
水木しげる氏とは正反対だなあ、やはり氏は妖怪だかrゲフンゲフン)

レンタカーで金木小学校付近を通りかかったときに見つけた「太宰治思い出広場」。
レンガの壁に太宰の作品タイトルが年代順に並んでいました。

斜陽館から車で5分、芦野公園に着きました。
写真はカフェ「駅舎」。元芦野公園駅の駅舎をそのまま使用しているそうです。

この線路、津軽鉄道の線路として今も現役!
公園の中を電車が走っているって奈良の平城宮跡みたいですね。

駅舎から左手にずんずん歩いていくと津軽三味線発祥の地碑がありました。
津軽三味線の元祖秋元仁太郎(神原の仁太坊)が金木町の出身ということから建てられ、
春の桜まつりには三味線の全国大会も開かれるそうです。

太宰治像。晩年の姿でしょうか。

ファンにより建てられた太宰治文学碑。
「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」というのは
太宰が愛したフランスの詩人ポール・ヴェルレーヌの詩集「叡知」からの引用です。
裏にはフランス語の原詩も彫ってありました。

太宰像と文学碑の間から伸びている吊り橋。
風が強くてギシギシ鳴っていましたが、この先に何があるか知りたくて渡ってみました。

吊り橋の次は浮き橋。「夢の浮橋」という、源氏物語みたいな名前がついています。

水バッシャバッシャはねてた。。この先はキャンプ場があるようです。

吊り橋から公園の反対側に向かって歩いていくと、太宰橋がありました。
金木町の山の木(ヒバ)を使用しているらしい。

公園のツツジが満開でした。
いつから植えられているのかわかりませんが、小さかった修治君が遊びに来たときや
ちょうど今頃「津軽」の取材で太宰が金木町に戻っていたときは咲いてたのかな。
そんなこんなで名残惜しいですが津軽を後にして
レンタカーで1時間かけて青森市内に移動。
山道をくねくね走らされてナビの設定間違えたかしらと不安になった頃、
ふっと前が開けてわーやっと降りてきたなあとホッとしたとたんに
ものすごい強風にあおられてハンドル取られるかと思いました。。
「本日の海風 風速7km」などと道路の電光掲示板に表示されているのを見かけたりして
ああ、海沿いを走っているんだなあとワクワク。←海なし県民

青森県立美術館に到着したよ!成田亨展をいよいよ鑑賞します!楽しみです!!

真っ白な建物が長く伸びている面白い設計。
展示室への入口がいくつかあって、成田亨展は一番手前でした。

ウルトラセブンに出てきたポインター!
ナンバープレートは取得していないため公道は走れませんが
乗って動かすことはできるらしく、搬入の際には駐車場から動かして運んできたようです。
県美の顔本に動画がアップされていました→こちら。すげええぇ動いてる(゚Д゚)

展示で(特に鬼展示で)めちゃくちゃエネルギー使うだろうと思ったので
鑑賞前に美術館カフェ「4匹の猫」にてオヒルゴ・ハーン。
あべ鶏のBLTベーグルをいただきました~ボリュームたっぷりでおいしかった☆

青森産りんごとクリームチーズのタルトにアップルティー。りんご尽くし。
青森に来たらりんごスイーツを食べなきゃいけないんですよ!(別にいけなくはない)

お腹がいっぱいになりましたのでいざ展示室へ。
入口からしてすごい雰囲気、ウルトラマンと彫刻が並んでいる時点で
特撮だけじゃないよっていう成田氏と学芸員さんの心意気を感じた。
成田氏の展覧会はこれまでも何度か開催されていますけども
だいたいが特撮美術に関する展示でしたので(まあ無理もない)、
彫刻、絵画、デザイン、イラスト、特撮美術と73年の生涯で多岐にわたる活動を網羅した
大回顧展は史上初だそうで、そういう意味でも画期的ですな。
(実際、展示品が700点以上にのぼるとかで作品リストの作成も不可能とのことでした)
まずは初期の彫刻作品や習作のスケッチの展示がありまして、
ヤタガラスがモチーフと思われるメカは生き物というより機械的だったり
唄の彫刻のからだのひねり具合も極端だったりして
まだご自分のスタイルの模索段階っぽい感じ。
ゴジラとゴジラの逆襲の制作現場でバイトしてらっしゃったとキャプションで初めて知った!
その時円谷英二氏と出会って、ウルトラQの企画で再会してタッグ組んだみたいですね。
モンスター大図鑑や未発表怪獣のデザイン原画が
壁にびっしり展示されてて圧倒、これでもほんの一部なんだそうな…。
ドラゴン、キメラ、ドラキュラ、セイレーン、ゴブリン、ホビット、オーク、トロル、ドッペルゲンガー、
エルフ、ユニコーン、ジャバウォック、バジリスク、グレムリン、スライムほか
世界の神話のモンスターたちが今にも動き出しそうなタッチで描かれています。
怖いし迫力あるけど全然グロテスクじゃないのがすごいね…。
怖さとグロさって紙一重のような気がしますが
気持ち悪さを出さずにビジュアルで恐怖や畏怖を表現するのは本当に難しいと思う。
「怪獣は怖くて愛嬌があればいいのです」という氏の言葉がキャプションにあって
言われてみれば怖さだけじゃなくユーモアもあったから
子どもの頃あんなに成田氏の怪獣が好きだったんだな…と思ったりしました。
『ナリタ・モンストロ・ヒストリカ』という作品も制作されていて
メソポタミアの怪獣やエジプトのホルス、グリフィン、ケンタウロス、デュラーの竜、
ガルーダ、ガネーシャ、八頭大蛇などの絵に成田氏の考察が寄せられたもので
幻獣図鑑のようになっています。
鉛筆1本でここまで奥行きと立体感と躍動感を出せるものなのか…。
考察は「怪獣って何だろうと首をかしげながら」とはおっしゃいつつ
確かな知識と生き物たちへのリスペクトに裏打ちされていてもはや哲学。
晩年に氏は東洋のモンスターをよく描いていたとかで、
神話や神獣に登場する生き物たちの絵も。
四神を描いた「四神獣」の生き物感と神々しさが両立しててすごいと思いました、
さっきヒストリカでも思ったけど生きてるわ…そうかこう描けばいいんだ…。
草むらの白虎とか、空を飛ぶ朱雀とか、荒野の岩にたたずむ玄武とか、
牛若と戦う鞍馬の僧正坊とか、刀を振り上げる首なし武士とか、もう雰囲気ありすぎて最高です。
なんだろうなんだろう、成田氏の描くモンスターって血がかよっているというか
キャンバスに手を入れたら向こうの世界の風や気温やモンスターの吐息まで伝わりそうな
生命力にあふれまくっている感じがします。生きてる。
彫刻作品もあって、六角錐のそれぞれの面に鬼が埋め込まれたレリーフは
宗達に取材したと思われる風神雷神の躍動感に夜叉や羅刹のするどさ、
般若の恐ろしさと悲しさに地獄鬼の凶暴さに阿修羅の神々しさと力強さ。
酒呑童子は生首レリーフで首から下がないのですが
目と口をかっと開いて呵呵大笑していて泣きそうになりました。
そしていよいよです…鬼モニュメントの展示スペースです…。
あまりに巨大なため、鬼レリーフを鑑賞してるとき後ろにチラチラ見えていたのですが
中途半端に見たくなくてがんばって手でさえぎって、
よし心の準備できた!と顔を伏せたままモニュメントに近づいてパッと顔を上げたら
いたあああぁぁぁぁああああああ鬼3人いたあああぁぁぁあああああ
去年の福知山旅行ではズームしたカメラのレンズ越しにしか見られなかったけど
今回は目の前で!カメラや双眼鏡もなしで!自分の目で鬼たちに会えた~~(;∀;)
酒呑童子の呵呵大笑をこんな間近で見られる日が来るなんて…来るなんてっ…!
あまりに感激しすぎてウゴウゴルーガのロボットくんみたいに頭がパカッと開いて
脳みそがロケット噴射して大気圏を突破しそうになった。
もうガチで涙出まして、この瞬間鬼たちにのしかかられてしんでもいいと思った。
青森県立美術館さんありがとうございますありがとうございますありがとうございます!
よかった来てよかった本当によかった生きててよかった。
この鬼たち、福知山のモニュメントをそのまま持ってきたのか
成田氏が別に制作したものなのかわからなくて、キャプションにも何も書いてなくて
スタッフさんに聞こうかとも思ったけどあの時のわたし頭パンパンで言語機能がマヒしていて
SHIROBAKOの久乃木さんみたいに「あ」とか「う」とかしか言えなくて
結局聞けませんでした…。
もういいやどっちでも、福知山のを持ってきたなら青森県美グッジョブだし
成田氏の別作品なら鬼が合計6体になるってわけでさらにすばらしいことだよ。
あの彫刻がこの世に2種類あるかもしれないと考えただけで脳みそが大気圏をとpp(ry
本当に穴があくほど見つめてしまってどれくらいそうしていたか記憶にございません。
絶対スタッフさんにこいつまだいるよって思われただろうな…。
モニュメントの近くには「大江山の鬼」と題された成田氏の言葉が添えてあって
「酒呑童子は叡山の児のなれのはてであり、それを誇りに思っていたから
成長して盗賊になっても童子と名乗っていたのである。
童子は肩までの長髪で、けっして月代を剃らなかった。
それは神人であるあかしであって仏教徒への反抗でもあった。
浮浪無頼の徒に破滅していった屈辱をせい一杯に正当化している衰亡のあわれがある」
ギャー!!(仏倒れで地面に頭つっこむ)
鬼たちへのやさしいまなざしと敬愛が伝わってくるようなお言葉ではないか…つか御伽草子読まれたんですね…(そこかい)
またモニュメントの近くには、氏が日本の鬼の交流博物館(福知山市)のために描いた
日本各地の民話や民俗芸能から題材を得た鬼たちの顔が、額装されてズラリ。
ここでも酒呑童子は笑顔だったので泣けました。成田氏ブレないな…。
茨木童子は柔和な巨大顔、星熊童子はむっつりのオッサン顔だった。
ウルトラシリーズにおけるウルトラ戦士たちと怪獣たちのデザイン画。
成田氏の怪獣デザイン三原則(動物をただ巨大化させない、
奇形化(頭が二つとか八つとか、ひとつの体に獅子と竜と羊の首がつく等)はしない、
傷や傷跡をつけたり血を流したりはしない)にのっとってデザインされた怪獣たちは
生命力にあふれアイデンティティさえ垣間見えます。
カネゴンやセミ人間かわいいしケムール人はブキミー族だしジャミラ哀しいし
ダダにゴモラにレッドキングにゼットン、日本一有名な宇宙人バルタン星人なども
色々なデザインを経て決定稿に至っていたんですね…。
ネタ帳とみられるスケッチブックにもスケッチや写真が貼ってあって
ブラジルのバッタとか無脊椎動物などからもヒントを得ていたことがわかります。
黒田長政の兜を見てゴモラをデザインしたり、顕微鏡で見たダニの写真や魚をモチーフにしたり
ありとあらゆる観察からデザインを起こしていたとキャプションの言葉にもありました。
(長政の兜はよほど気に入られたらしくMUなど実現しなかった企画のデザインにも使われていた)
そんなカオスな怪獣たちに比べ、ウルトラマンのシンプルなこと。
カラータイマーがなくてあれっと思うかもだけど、ちゃんと理由があって
胸にカラータイマーをつけるのを嫌った氏はデザイン画にも描かなかったんだよね。
ウルトラマンのマスクは目が光っていてかっこよかった、
中の人古谷敏さんの顔に合わせて作られたマスクですね…。
当時の映像や写真とか見てるとウルトラマンの立ち姿やスペシウム光線ポーズが美しすぎて
あの体格と筋肉を保つのにどれだけ努力なさっただろうと思うと胸がいっぱいになる。
ウルトラセブンも試行錯誤がとても多かったようで、
やっとわたしが知るセブンになったのは10枚目くらい。
エレキングも三日月みたいな目とニタアと笑う口がすごい魅力的、幼獣形態もかわゆす。
あと、展示室に入るときは気づかなかったけど
出て横をふっと見たら暗がりにウルトラマンの墓と題された作品(?)が!
「南無妙法蓮華経」と荒々しく刻まれた墓石にウルトラマンの顔だけがついていて
そばには成田氏による鎮魂の詩が。
「星から来た勇者 地球を救った勇者 永遠であれ
君を利用し 金儲けをたくらむ地球人の為に
角をつけたり 髭をつけたり 乳房を出したりしてはいけない
スーツを着たり 和服を着たり 星空に向かってラーメンをかゝげてはいけない
経済と技術に溺れて了った地球人は 叡智と勇気を失って いま もだえ苦しんでいる
しかし 遠からず必ず不変の叡智を取りもどすだろう
君は星空の彼方から見とどけてくれたまえ
永遠の偶像よ」
何度目かわかりませんが泣きそうになった。
映画「麻雀放浪記」の上野の焼野原セットを再現した展示では
レールとキャスター付きのカメラが置かれていて自由に動かす体験ができます。
セットの脇にテレビが置いてあって、そこにカメラの映像が映るというもの。
実写映画でも等身大セットじゃなくミニチュアセット使って撮影することあるんですな…。
おもしろくてつい何度も動かして楽しんだ後にセットの後ろへ回ったら
建物はほとんどハリボテで造られていることがわかりました。
カメラで撮影するとあんなにリアルに見えるのになあ、視覚トリックすごい。
あと「この子を残して」のセットや背景美術に参加されていたの知らなかったー!
原爆とキノコ雲と浦上天主堂の美術と絵コンテ…そうか成田氏だったのですか。
後年、成田氏は自分が彫刻家なのか特撮デザイナーなのか何度も悩んだそうです。
彫刻を展覧会に出品して認められるとうれしい一方で
バルタン星人のぬいぐるみを抱く子どもを見て涙がこぼれたとか。
そんな頃、ウルトラシリーズからも彫刻からも離れていっとき絵画に没頭し
膨大な油彩画やアクリル画を制作したようで、内容は写生、静物画、怪獣と風景画など多彩です。
ヌードとケムールとかめちゃくちゃシュールでダリとかこんな絵描いてそうだし
ひまわりはもっとタッチを荒くしたらゴッホになったかもしれないし。
飛行メカが海上を飛ぶ一瞬の動きをとらえたアクリル画の、無機質な機体とうねる水しぶき。
ひっそりした街の上空に浮かぶ、落花生の殻みたいな乗り物の上でたそがれるカネゴン。
翼をもった人間の化石は、両翼はそれぞれ科学と経済をあらわし
それらを信奉しすぎた人間の末路を表現した彫刻でまさに芸術品。
ウルトラマン・ウルトラセブン・ネクスト3体のレジン像にも
「真実と正義と美の化身」というタイトル(本当にその通りだと震撼した)の油彩画ウルトラマンにも
やっぱりカラータイマーはついていなかった。
葛藤はあったけど怪獣も戦士たちも氏にとって芸術だったのだろうな…。
最後の仕事はヒューマンのフィギュアの監修で、それから間もなく亡くなられています。
最後の展示が、図録の表紙にもなっている夜空に風船を見上げるピグモンの絵でした。
出口に「天井をご覧ください」と貼り紙があったので出てから見上げると
赤い風船がひとつだけ天井に留まっていました。
あれはウルトラマン8話でピグモンが科特隊につけられた風船爆弾ですな…(後でレッドキングに炸裂するやつ)。
美術館によると「持ち手がいなくなって空に浮かぶ風船に
成田さんへの追悼と感謝の気持ちを込めています」とのことでした。じーん。

常設展も見てきました。奈良美智さんのあおもり犬には自然に頭が下がります。
あと馬場のぼるさんの11ぴきのねこ部屋がすごい和みました…
絵本コーナーのねこもかわいい、なまはげ親子の絵本原画もほわほわあったかくて和む…。
大きな吹き抜けの部屋の壁3面にシャガールの巨大アートがあってファンタジック!

壁の県美マークがチカチカしていた。
いやあお腹いっぱいになりました…。
正直、ここまでエネルギー使うと思ってなくて身も心もヘロヘロでしたけども
しっかりしろすぐ側に古代人が待っているぞと言い聞かせて
這うようにして美術館の隣にある三内丸山遺跡へ行きました。

「遺跡ー!うおおお!!」と、なんか看板見たら元気出ました。(単純)
古代人パワー。

結構広い敷地に古代の建物や遺構がそのまま再現・保存されていて自由に見学できます。
これで見学料無料って!いいんすか!むしろ払うよ!?
全国の遺跡好きさん考古学好きさんぜひ見に来るべきです。

竪穴住居に再現された住居。
跡地がこれまでに500棟以上も見つかっているそうで、
このあたりに大変大きなムラがあったことが伺えます。

ドームに覆われて保存されている遺構もあります。写真は南盛り土。
大量の土器や石器やヒスイなどが捨てられていた場所で、
発掘の穴からは黒ずんだ石がいくつものぞいていました。
当時の人はもう使わないってことで捨てたんだろうし、つまりゴミなわけですけど
このゴミめっちゃいい資料ですねありがとう。
他にも大人の墓や子どもの墓、北ノ谷(ゴミ捨て場)、
大型掘立柱住居跡などがドームの中で保存されていました。

大型掘立柱建物と大型掘立住居。どちらも復元です。
左端に歩いているおじさんと比べてみてください、でかいよー。

大型掘立住居の内部です。
たぶん中心の火をたくところで会議とか占いとか行われていたんだろうな…。

個人的にツボだったのがこれ、土器の水飲み場(笑)。
ちょっとしたところに遊び心を出してくれる施設は大好きです(^v^)。

レンタカーで20分くらい移動して、青森港の近くにある諏訪神社に来ました。
大国主の子である武御名方神(水の神様)を祀っているそうです。

拝殿。

ここに来たかった理由はこれです、イルカの参詣伝説☆
神社の前に流れる堤川をさかのぼってイルカがお参りに来たという言い伝えがあるそうです。
今のお社は堤川沿いですが、昔はもっと海に近い川の中州にあったそうで
イルカがやって来たとしても不思議はないような。
青森湾内には今もイルカがいるようですがそんなに数は多くないらしくて
昔は写真の絵みたいにきっとたくさんいたのでしょうね。

拝殿の中にイルカのねぶたがいくつかありました。
余談ですがこの神社には諏訪のいるか丸というゆるキャラがいてTwitterもやっています。
語尾に必ず「~キュ」ってついててかわいい☆

日も暮れてきたので青森駅まで移動して、レンタカーを駅で返してホテルにチェックイン後、
駅前にあるねぶたの家ワ・ラッセに来ました。
ねぶたミュージアムとしてねぶたに関する展示を行っている施設です。
チケットを買おうとしたら受付にいたお姉さんがピーヒャラと横笛を奏で始めて
びっくりしましたけどとてもすばらしい演奏を聴かせていただきました。

天井からぶら下がっていた金魚ねぶた。かわいい。

館内にはたくさんのねぶたが展示されています。どれもすごい迫力でまるで不夜城!
夏にはこんな大きなのが駅前道路を練り歩くわけで、夜でも明るく感じそう。
いつかお祭りの季節に来てみたいです。人多そうだけど。

壁には歴代ねぶた師たちの制作した顔がズラリと。
みんな口開けておっかない顔して、大声でケンカしてるみたいに見える(笑)。

月末の東北六魂祭に出品するねぶたも置いてあったのですが
「現在制作中です」との看板が。間に合ったのかな?(^^;)

ワ・ラッセの隣にあるA-Factoryで晩御飯^^
魚介類が食べたいなーとお寿司をいただきました。サビ抜きにしてくださって有難かった。

外に出たらA-Factoryの建物がライトアップされてた~きれい☆
建物の後ろにあるのは青森ベイブリッジです。

時間が経つと色が変わってました。
この後はホテルに戻ってブラタモリ鎌倉編見てお風呂に入って、
次の日のブロともさんとの合流時間だけ確かめて早々に寝てしまいました。
たくさん移動して色んなもの見て頭も心も充実。よい1日でした。
次回記事では本州最北端と恐山のレポをお届けします!
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