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サントリー美術館で開催中の「着想のマエストロ 乾山見参!」を見てきました。
半年前の仁清・乾山展以来の乾山の作品をまとめて見られる機会だったのでwktk、
本阿弥光悦のお蔭で今年は琳派の人たちに関係したイベントや展覧会が全国に目白押しで
大変わたし得な年になっています。光悦ありがとう~。

先日の日曜美術館で取り上げられていましたから混んでるかなと思ったのですが、
お昼時だったせいか有難いことにゆったり鑑賞できてとてもよかったです。
入口で迎えてくれた銹絵山水図四方鉢は山水図に漢詩を入れた四角いお皿で
まるで掛軸や色紙の絵をそっくり貼りつけて焼いたとでもいうような仕上がりで
最初から感動してしまいました。。
藤原定家の和歌集から12首の歌を抜粋して絵をつけた定家十二ヶ月和歌花鳥図角皿が
MOA美術館所蔵のと出光美術館所蔵のと2セット、つまり2ダース全部展示してあって
出光美術館のは半年ぶりの再会でうれしかった~。
わたしの誕生月である12月はおしどりと早梅が描かれています。かわいい(・v・)。
桔梗文盃台はこれどうやって焼いたんだろうか…というか盃を置いても花を活けても
もちろんそのまま飾ってもすごくおもしろい作品だと思う。
能絵皿(10枚)は道成寺や高砂など、能の演目をひとつひとつお皿に描いていまして
制作は18世紀とのことですが、能好きだった兄の光琳はこのお皿を見られたかな…見てたらいいな。
そんな光琳との合作ももちろんあって、
観鷗図角皿って、わたし知らなかったのですけど光琳・乾山合作の基準作といわれるお皿だったのね。
牡丹図角皿の大輪の牡丹の花がすごい自信満々で
光琳のドヤ顔と「兄ちゃんおれが詩を書くスペースが…」って乾山の声が聞こえてくる感じ(笑)。
山水文四方火入も光琳が絵付していますが、まるで雪舟みたいな水墨画タッチで
「青々光琳」と署名がなければ光琳の絵とわからないような気も。
(青々光琳とは光琳が江戸から帰京した1709年以降の署名です)
あとね、びっくりしたのが渡辺始興との合作かもしれないっていう蘭図角皿があったこと!
お皿の裏に「ぼくが疲れて仕事できない時に渡辺素信が絵を描きました」と乾山が書いていて
その素信が始興ではないかという説があるそうです。
「記録が残っていないため立証はできない」とキャプションにあるにも関わらず、
疲れきって縁側でコテンと眠ってしまった乾山の隣で静かに絵を描く始興が頭に浮かんでしまって
さすがわたしの脳はいつでもノンストップだと思った。
てか、始興の氷室節供図(加賀藩が氷を江戸へ献上する道中の図)がお皿の隣にあるんだもん、
妄想するなっていう方が難しいよ!(人のせいにした)

銹絵獅子香炉は半年前も見たのですが、
今回は個人の方が所蔵してらっしゃるのとあわせて2つの香炉が並んでいました!
むり~~かわいすぎる(^◇^)☆(じたばた)
梅波文蓋物、白彩梅花散文蓋物はおもての蓋には光琳の梅があしらってあって
蓋を開けるとそれぞれ波しぶき、梅の模様が描いてあります。
白彩梅花散文蓋物の方は蓋に比べて中の梅が薄色のため、陰陽を表したのではないかとのことで
陶芸って宇宙まで表現できるんだって思った。
金彩芒文蓋物の表面は白と黒が入り乱れて3Dみたいな立体感がありそれだけでもワクワクしますが
表面の金粉はススキに当たる月光と聞いていっぺんに情景が脳内に浮かんじゃった、秀逸。
色絵石垣文皿(5枚)は景徳鎮の氷裂文を参考にしたというカラフルなお皿で
うわあこういうのに琥珀羹とかわらび餅とかシフォンケーキとか乗せて食べたら
至高のおやつタイムじゃないかな…と妄想して5分くらいその場でボーっとしてしまった。
同じように龍田川文透彫反鉢はフルーツポンチ入れたい、
あの器に山ほどフルーツとサイダー入れてシュワシュワさせたい。きっとわくわくする!
菊桐文角向付(5客)のデザインには型紙が使われているそうで、
これは光琳も燕子花図屏風とかでやってますが、彼らの家が呉服商だったことが影響していると思う。
菊図向付(5枚)は菊の花と波模様がデザインされていますが
お皿の形そのものが菊の花みたいな形をしていておもしろい!

そういえば乾山の龍田川文透彫反鉢の隣に鍋島焼の龍田川文皿があったのですが
さすが藩の窯だけあって形もコンパスで描いたような○で絵も狩野派みたいな模範的な美しさで、
のびのびとかわいらしい乾山の龍田川とは正反対でびっくりして
ああそうか、ロイヤルってこういう物だ…などと今更のように思い出したりした。
あと乾山の自由さは織部に通じるような気がする…。
織部は武士なのでわびさび+アバンギャルド+ちょっと驚かせよう的な精神が垣間見えますけど
乾山は自分がおもしろいと思った形や絵を思いつくまま気の向くままに手を動かしたら
こんな風にできちゃったというような自由さというか。
中国やベトナム、オランダなどの陶器を乾山が写して制作したものもありましたが
そのままコピーするのではなく四角い器を五角形に変えたりオリジナルの模様を自分なりに描いたりと
お手本通りに作らないのが乾山だなあと思いました。

陶芸を始めた頃の乾山は四角いお皿や丸いお茶碗など、決まった形のものに絵付をしていたけど
そのうち模様を描き始めて、器も変形し始めて、しまいには器と絵のハーモニーみたいになって
バリエーションや技法がどんどん増えていくのがやっぱり感動します。
小さな双葉だった青葉が、土から水をすって太陽の光を浴びてぐんぐん伸びていくみたいで。
デザインも型紙使ったり和歌を入れたり掛軸を参考にしたりと
文人で読書家で型紙のある生活が当たり前だった様子も伝わってきましたし。
尾形宗謙が息子たちに財産を分配するとき末っ子の乾山に蔵書を託したのは間違ってなかった、
お父さん見る目があったよ…息子はちゃんと活かしましたよ。よかったね。

乾山の師匠・野々村仁清の作品もよかったです☆
輪宝羯磨文香炉は密教法具の輪宝と羯磨を描いた強そうな壺だし
獅子鈕鞠形香炉は牡丹柄の手毬のような香炉にエメラルドグリーンの獅子がいてかわいいし
鶴香合は鶴の首から翼にかけてのなめらかなラインに神秘を感じるし
花輪違文茶碗の前衛的なカラーリングは見習いたいと思った。
手のひらサイズの褐釉四方茶入は真っ茶色ですが、
じーっと見ていると色んな色が混じりあったみたいに見えてくるからふしぎ。
乾山は仁清の器もたくさん写していまして、特に比較展示はなかったけど
今回の展示だけでも優雅な遊び心のある師匠と本気で遊んじゃってる弟子って構図が伝わってくる。
ほんと器で遊ぶことに関しては最強の師弟だよな…。

乾山や光琳が生きた時代の陶器や資料などの展示もありました。
光悦と宗達の合作は和歌集の断簡がありました~この2人はよく和歌集をモチーフに合作するよね^^
楽家三代目の道入の黒楽四方茶碗は去年の仁阿弥道八展にもあったから久々の再会、
漆黒の表面に金色で山の形が太い一筆書きで描いてあります。
(そういえば楽家五代目の宗入は尾形宗謙の弟である三右衛門の息子で
光琳・乾山にとってはいとこにあたるそうだ)
仙洞御所御拝領十二ヶ月の絵巻は当時の公卿たちによる和歌+絵のアンソロジーで
光琳を支援した二条綱平が12月の絵を描いているとのことでしたが、
展示されていたのは1~2月の部分だった(^◇^)ソウイウヒモアル
法蔵禅寺の鳴滝窯跡地から出土したという陶器の破片の数々は
そう遠くない昔の京都に乾山が本当にいて器を焼いていたと証明してくれているわけで、
本人はうっかり割っちゃったとか失敗したとかで捨てたつもりだろうけど
ほんとこのゴミめっちゃいい資料ですありがとうって泣きそうになった。
(発掘調査は1928年に行われて川喜田半泥子が参加していたと聞いて腰が抜けそうになった)

乾山は69歳で江戸の下谷に引っ越して活動し、お墓も巣鴨にあるのですが
酒井抱一が発掘するまでしばらく忘れられていたそうです。
その抱一の乾山顕彰活動の展示がちょっとおもしろかった(笑)。
まずは乾山の紅葉に菊流水図の掛軸が展示してあって
デザイン化された紅葉とリアルな菊がかわいいな~って見ていたら、
キャプションに「抱一が編集した『乾山遺墨』では菊が光琳菊になっている」とあったので
えっと思って隣に並んでいた同書を見たらちょうど菊流水図のページが開かれていて
ほんとに光琳菊でスケッチされちゃってるんですよ、ああもう、抱一!(笑)
(でも隣のページが抱一が建てた乾山の顕彰碑の拓本だったので全わたしが泣いた)
そんなドジっ子抱一の活動のおかげでお江戸にも乾山のデザインが広まったようで
様々な陶芸家が乾山から発想を得て制作に励んだようです。
三浦乾也は明らかに乾山を意識した号だなと思いましたが
展示されていた菊文茶碗が五代目菊五郎の愛用品だったとのことで頭が破裂しかけた。
そしてそして井伊直弼が陶芸やってたの知らなかった!
27歳から焼き始めて、三浦乾也に学びながら「緒方流陶術秘法書」などをまとめたようです。
展示されていた楽焼の2品は武家っぽさを感じさせる力強さがあった。
富本憲吉はバーナード・リーチと交流しているうちに自分が焼き物にハマってしまって
とうとうろくろを回し始めた人と聞いてoh...沼に引きずり込まれたのねって思ってしまった。。
椿模様大飾箱はふたに大きな椿が一輪、大胆にデザインされていてかっこいい。
仁阿弥道八の桜楓文鉢は去年の仁阿弥道八展からの再会でした、いつ見ても大きいなあ☆


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とらやミッドタウン店に寄り道したら、
ギャラリーで「“みらい”の羊羹~わくわくシェアする羊羹~」を開催中でした。
3名のクリエイターがデザインしたカラフルな羊羹が展示されています。
(ちなみにレプリカではなく本物の羊羹が並んでいるそうだ)

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扇みたいなディスプレイの羊羹。一口サイズで食べやすそうでした。
お店でも売られていたので買えるようです(・v・)。

nagoshi.jpg
季節の生菓子も買ってきました。
右は「琥珀饅」。琥珀製で中の白あんが透けて見える夏らしいお菓子です。
左は「白水無月」といって夏越の大祓(半年間の穢れを祓うためのお祭)の日、
つまり本日のためのお菓子です。
とらやさんだけではなくあちこちの和菓子屋さんでも売っていますね。
小豆の赤が邪気払いになるとのことでした。白い外郎もおいしかった~☆


korin9.jpg※クリックで大きくなります
「風神雷神図屏風Rinne」光琳・乾山編その9。8はこちら
二条邸にて素踊りを披露する光琳の図。
風雷は人様のお屋敷など意に介さず、いつものように好き勝手に飛び回っています。

綱平「ほお~宗達の風神雷神ですか」
乾山「たぶん」
綱平「彼らが来て何か、変わりましたか」
乾山「生活は、特に。兄が描くことに火をつけたのは確かですが」
綱平「それはお手柄だ。おかげでわたしは能楽や絵を習えるようになって、庭に窯も開けたのですから。まだまだこれからですが」
乾山「とんでもない、数年でずいぶん上達なさいました」
綱平「先生方には感謝申し上げていますが、彼らにも感謝しなくては。…ところでね」
乾山「はい」
綱平「来月には、いい返事ができそうだよ…」
乾山「…それって」
綱平「うん、法橋の」
乾山「ありがとうございます!兄も喜びます」

なんだか乾山が法橋に叙せられたみたいに見えますが、光琳へのおめでたい話です。

二条家は藤原北家九条流を祖とし、
鎌倉時代の公卿二条良実が二条富小路の邸宅を二条殿と称したのが始まりです。
五摂家(近衛、九条、二条、一条、鷹司)のひとつで、当主はほぼ摂政・関白を務めていました。
幕末まで今出川にあった邸の敷地の一部は現在、同志社女子大学今出川キャンパスになっていて
跡地からは乾山が焼いた陶器なども出土しています。


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皆様いつもありがとうございます(^-^)/☆
 
 
>まったりなイラストで癒されました!三( ゜∀゜)またきますよー様

ご来訪ありがとうございます☆
癒されましたか~よかった!またいらしてくださいね^^
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キャットガーデンその3。

鬼神に横道なきものを。

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