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ゆさな日々

猫・本・歴史・アートなど、好きなものやその日考えたことをそこはかとなく書きつくります。つれづれに絵や写真もあり。


夜空ノムコウ。

  1. 2016/02/02(火) 23:58:15_
  2. 文化・美術
  3. _ tb:0
  4. _ comment:0
にゃんにゃんの日です!節分が近くてソワソワしています、こんばんはっ☆
はあぁあ今年も鬼に浮気し放題の日がやってくる…!!
昔の風習から現代の流行に至るまで世の中に鬼があふれかえり
大っぴらに話ができる節分は鬼クラスタにとって祭日です。
『おにたのぼうし』とか『鬼のサラリーマン』、『鬼の橋』『鬼さん、どちら』などを南南東を向いて読んで
(恵方巻ならぬ恵方読みです)、
植物図鑑で鬼灯やオニユリ写真見て、カピバラ画像眺めて(カピバラの和名は鬼天竺鼠)、
鬼束ちひろの曲聴いて、Twitterで皆さんがつぶやく鬼の話題を楽しんで
auの雷さま鬼ちゃんのCMをリピートしまくるぞ!テレビでもいっぱい流してください。

そして次の日は立春(=゚ω゚)ノ☆
何だかんだで暖冬はどこかへ消えましたね…早くあったかくならないかな、はーるよこいっ。

tsuina.jpg
鶴屋吉信の節分限定和菓子、追儺「鬼」と「お多福」。
先月から楽しみに待ってましたよ~~買えてほんとにうれしかった(*´∀`*)。
赤鬼かわいい赤鬼!!!(落ち着け)
お多福さんがカオナシですが、かえって色んな顔が想像できていいと思う( ω )ニヤリ

kobunko.jpg
先月末ギリギリにとらやさんでゲットできた「木花文庫」。
梅の焼き印がついた文箱をかたどったお菓子で、外はもちもち中は甘いあんこ、春の予感がいたします。
とてもおいしいのでもう1個買ってくればよかった、来年また販売されるといいな。


先日、東博で小林忠先生の講演会があって聞いてきたのですが、まあいつものことですが
あのかたは江戸美術に対する愛情が本当にやさしくて深いなあと思います。
海外のミュージアムに所蔵される日本美術作品は「美の外交官である」という話題を切り口に
各国の美術館がとても適切に展示・保存してくれているかを語られて
また修復・保存に関する課題についても提示なさいました。
「私の選んだ在外日本美術ベストテン」が探幽、宗達、光琳、抱一、歌麿、若冲、文晁など
見事に江戸絵画しかなかった(笑)。
これからもずっとお元気で江戸美術を語り続けてほしいです。
そして4月から始まる若冲展の混雑を大変心配しておられました…^^;
あまり宣伝しなくても人は来るような気がしますが、総監修を務めるらしいのでそうもいかないのかな。

raikoeyama.jpg
本館も見てきたよ。
もう何度目の再会かわからなくなってますが、「頼光大江山入図大花瓶」の写真をアップします。
東博ブログでも解説されてますけど、とにかくでかくて重たそうだし細部の超絶技巧は惚れそう。
刀剣展示室の童子切安綱と合わせて見ると楽しいよ!

moshi.jpg
藤原定家「申文」(重要文化財)。昇進したいよ~という気持ちをしたためた手紙です。
身内や同僚の経歴も挙げてかなり切実です。がんばれ定家たん。

koduru.jpg
伊藤若冲「松梅孤鶴図」。卵に首と足が生えたみたいなシュールなデザイン。
もう面白すぎて何も言えないんですけど、若冲さんだなあという感じ。

harukoma.jpg
鈴木春信「春駒を舞う二美人」。
片方が馬の頭(カシラ)をつけて舞い、片方が三味線で伴奏する、新年を寿ぐおめでたい踊りです。

hagoromo.jpg
高円宮根付コレクションの部屋の扉が開いていたのでひさびさに鑑賞。
写真は岸一舟「羽衣」(象牙)とアレクサンダー・デルカチェンコ「狐僧」(マンモス牙)。
能楽師のホレボレする造形、狐僧がまとう布のフワフワ感もいいなあ。

shibukawa1.jpg
科博に移動して企画展「渋川春海と江戸時代の天文学者たち」も見てきました~!
江戸人展と同じく、江戸時代の人物や文化を特集する企画展の11回目。
去年が渋川春海没後300年にあたりますので記念の展覧会でもあります。

会場は一部を除き写真撮影可(フラッシュと動画は×)でしたので以下に写真レポを上げます↓
クリックで開きますのでどうぞ☆
 
 
 
shibukawa2.jpg
会場入り口では版画の渋川春海が迎えてくれます。
鳳晴堂光正『天文大意録』は1826年刊行なので本人と似ているかはわからないのですが
渾天儀と貞享暦(だよね?たぶん)を前に凛々しく坐すおじいちゃん天文学者、素敵です。
「大日本國天文ノ祖」の添え書きがアツイ(╹◡╹)。
あとね、隣のページに二十八宿書いてあるじゃないすか!フワー!!!
ふしぎ遊戯世代としては反応せざるを得なかった、萌えとはいつどこで再会するかわからぬ。

shibukawa3.jpg
こんなパネルがたくさんあってわかりやすく解説されています。
小さな展示でしたが気づいたら1時間以上うろうろしてた。お江戸天文学楽しいぃ。

平安時代から江戸時代まで800年ほど使われていた宣明暦は
江戸初期には蝕を予報しても起こらないなど、長い年月の中で少しずつズレが生じていたそうで
それを一から観測しなおして新しく貞享暦を作成したのが渋川春海を始めとする天文方たちです。
会場に展示されている本人の著書『古今交食考』には飛鳥時代からの日食・月食のデータが
自分の計算と合っていることを独自調査により確認したことが書いてあって
春海のドヤ顔が見えるようでした^^
1644年刊行の「宣明暦」や「貞享暦」の写本もあったし
『天文瓊統』には地は宙に浮かぶ球であることや月の満欠け、星の位置などが記されてるし
日本書紀をもとに書かれた『瓊矛拾遺』には「神代天地の形」として混沌が墨で表現されていました。
古事記にもイザナギ・イザナミが混沌を矛でかきまわすシーンがあるね。

shibukawa14.jpg
紙張子製地球儀と、

shibukawa15.jpg
紙張子製天球儀。
どちらも渋川春海作で、彼の弟子である谷泰山の家に伝来したものだそうです。
ちなみに泰山は春海とずっと文通で交流してて、念願かなってやっと面会できたときは
「やせたる御老人」「文字一つご存知なきように見える」などと語っているらしくて
なんだかオフ会みたいだなと思いました。
「なんかペンネームとイメージ違いますね~」「や、恐縮です~」みたいな^^

shibukawa4.jpg
展示の天球儀は重要文化財のため回してみることはできませんが
こちらでトラックボールを使って動かすことができます!
グルグル動かして北極南極、360度全部まわせるよ~☆
春海は中国から伝わった天文学の星座と実際の夜空を観測によって照合し、
自分で見つけた308個の星を追加して星座も新たに61個作ってしまったそうです。
星座は大昔の夜に羊飼いたちが作ったという言い伝えがありますが
それと同じことをお江戸のおっさんがやっていたと思うと燃えて萌えてたまらん。

shibukawa5.jpg
冬至の時の太陽の位置。

shibukawa6.jpg
赤い点と線で結ばれた北斗七星と、北斗(北極星)。ひしゃくの中にあるんだね。

shibukawa7.jpg
春海が作った星座、太宰府(笑)。
ちなみに太宰府を上へたどるとオリオン座の三ツ星が書いてあります。
あと大貮とか少貮(太宰府の役職ですね)、厠、狼、隼人なども。

shibukawa8.jpg
こと座の織女。左には鎮守府。

shibukawa9.jpg
おうし座のそばに昴。
あと!アルデバランのそばに畢(あめふり)ってあるのわかります??
わーそうだったそうだった昴と畢は二十八宿の西方白虎だった!

shibukawa10.jpg
陰陽寮まであった。
そして下に翼(たすき)と軫(みつかけ)がー!!

shibukawa11.jpg
春海による天象列次之図。日本で最初の星図といわれます。

shibukawa12.jpg
天文成象にも二十八宿ー!うおおお!!
天文成象は渾天儀で観測された星と星座が書きこまれたものです。

shibukawa13.jpg
お江戸の高札みたいな解説パネルもある。

shibukawa16.jpg
映画「天地明察」をご覧になった方はご存知かと思いますが
春海は二代目安井算哲の名を持つ碁打ちでもありました。
1670年の算哲vs本因坊道策の対局をデジタルサイネージで再現した展示があって
初手天元からどんどん石が打たれていきます。写真はちょうど100手目。
ちなみに全部で244手あり本因坊道策(白)の9目半勝ちだったとか。
(映画では岡田くんと横ちゃんがバッチバチな真剣勝負してたよね!たぎるシーン!)

shibukawa17.jpg
……えっと。(突然の暴れん坊将軍に戸惑うゆさ)

学問好きで知られる吉宗さんは天文学も大好きだったとかで
当時、海外の学問に関する書物の輸入が規制されていたのを緩和したあげく
簡天儀(簡略化された渾天儀)とか測午表儀(天体が南中を通過する際の高さを測る道具)とかを考案して
吹上御苑に大渾天儀を設置して自分で観測もしてたらしい。
う、上様~~~!!知らなかったです…!
『江府日景』には「夜明けと夕暮れで北極星の位置が違うから確かめて」と吉宗に命じられた部下が
観測したら本当に違っていて恐れ入ったという記録があるそうですが
なんかもう吉宗さん研究者みたいだね!相当ハマってたんだな…。
ちなみに江府日景とは吉宗が観測させた太陽の高さの記録で
1737年10月10日には「木星入月中(木星が月の陰に隠れた)」などの記述がみられまして
「隠れた隠れた!すげえ!」とはしゃぐ上様もかわいいし
「ふむ、隠れたな…」と物静かに記録をつける上様も渋かわいいなとか妄想。
なんだかワクワクしますねえ。

shibukawa18.jpg
吉宗の命を受けて森仁左衛門(御用眼鏡師)が作った望遠鏡。
さすが御用でピカピカの装飾がたっぷりついてるし、長さ3.4mって人間2~3人分だよ!
まして当時の平均身長は現代よりも低いですから
(江戸時代の人は日本史上もっとも身長が低いといわれています)、
この望遠鏡がどれだけの驚きをもって迎えられたか想像すると楽しい。

shibukawa19.jpg
浅草天文台の測量台を再現した模型。
隣に展示されていた浅草天文台配置図によると、広大な観測地のど真ん中に測量台があって
周囲に役所や天文方職員の役宅がいくつも並んでいてさながら村のようでした。

shibukawa20.jpg
渾天儀!
1776年に仙台藩で使われていたものの複製です。(原物は仙台市天文台が保存し重文指定されている)
春海の孫弟子である戸板保佑の指導により制作されたそうで、
わたしは使い方が全然わからないけどこの中に入って空と目盛とにらめっこしていた人たちが
たくさんいたんだろうなと思うとロマンが広がる。

shibukawa21.jpg
続いては町の天文学者たち。
楽しい楽しい高橋至時と伊能忠敬コーナーですよ!年下の先生と年上の弟子!(確か19歳差)

高橋至時が天文学を学び始めたちょうどその頃にケプラーの法則を用いた暦算書が中国から輸入されて
至時とともに伊能忠敬を指導した間重富がその本を入手し一緒に研究していたそうですが
重富はお手上げだったけど至時はさっさと解読してしまったらしい。
たぶんそういう評判があって大坂から江戸へ呼ばれて幕府に暦作ってくれって言われたんじゃないかな…。
あ。重富さんは渾天儀を改良し観測精度を大幅にアップしたり
垂揺球儀の誤差を3秒レベルまで縮めた人だそうで
独学を極めると人間どこまで行けるんだろうって思いました。。

shibukawa22.jpg
その垂揺球儀。伊能忠敬記念館にある国宝の複製です。
振り子の積算値によって時刻がわかるという、つまり振り子時計ですな。
誤差が数秒単位で非常に少ないとのことで天体観測にも使われたそうです。

shibukawa23.jpg
浦島測量之図。
伊能忠敬が広島を観測したときの様子を描いたもので、
忠敬が行灯を持ち上げて糸を照らしているところから夜の観測とわかります。
みんな上を向いていてかわいい。

伊能忠敬が高橋至時に弟子入りしたきっかけは「質問すると即座に答えが返ってくる」かららしいですが
忠敬の「地球を測りたい」という途方もない夢を後押ししたのも至時なんですね。
(忠敬が北海道の測量に行けたのも至時の計らいらしい)

shibukawa24.jpg
岩橋善兵衛『平天儀図解』と、岩橋家作の望遠鏡。
江戸時代の半ばになると市井にも望遠鏡を作る店がぽつぽつと現れ始め、
特にこの善兵衛さんは注文を多く受けていた人だそうです。
(幕府天文方や伊能忠敬も彼の望遠鏡を使ったそうな)
図解には星の早見盤が解説されていて、土星のスケッチには「鎮星図」と書き添えてありました。
こんな本と望遠鏡を手に町の人々が天体観測を楽しんでいたのかな(゚∀゚)☆

shibukawa25.jpg
いよいよ幕末、そして太陰暦から太陽暦へ変わる時代のコーナーです。

高橋景保と渋川景佑はきょうだいで高橋至時の息子。
伊能忠敬の測量を補佐したり、日本最後の太陽太陰暦「天保暦」を作ったりしました。
景保の著書『彗星略考』には彗星が太陽系の天体であり尾を引いていることなどが書いてあったり
景佑の『新巧暦書』には「木星附四小星」(ガリレオ衛星)の記述があります^^
また、間重富の著書に『烏刺奴斯諸数並図』というのがあり
なんて読むのかと思ったら烏刺奴斯(ウラヌス)!天王星なんですね!!
出版された1826年からさかのぼること45年、1781年にイギリスの学者ハーシェル兄妹が天王星を発見すると
世界中の学者たちがこぞって観測するようになったそうで、日本でも行われていたようです。
過去記事にも書いたけど、江戸時代というのは貿易拠点が長崎に限られてはいたけど
世界の情報はそれなりに入ってきていたわけで
それらを手に入れ仕事に活かしていた人たちは(少ないけど)いたんだなと、改めて思いました。

shibukawa26.jpg
『新巧暦書』のパネル。「木星附四小星」の記述があるね。

最後の太陰暦である「壬申頒暦」(1872年)の展示はしみじみしてしまったな…。
「癸酉頒暦」は翌1873年から使われる予定で1872年11月には発行されていましたが
政府が太陰暦→太陽暦への改暦のため12月2日を12月31日とし翌日から1873年1月1日となり、
未使用のまま終わった幻の暦です。
これも発行されるまで多くの天文学者や出版業の人が関わったと思うけど
使われないとわかったとき彼らはどんな気持ちだったろうな…。
また、日本で最初の太陽暦は1873年の刊行で
保存しているのが国立天文台とのことで現代との地続きを感じる。
西暦が使われるようになってからまだ150年程度なんですね…しみじみ。

展示室の最後には「太陰太陽暦を作ってみよう!」というパネルと、作成用の紙が置いてあったのでチャレンジ。
それぞれの月が何月かとか、大小の月とかひたすら計算しまくりました。。
星空は大好きですが数学は苦手なのだよワトソン君。(何)
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